カテゴリー「Notes:夏目漱石」の17件の記事

2015年4月12日 (日)

#15 漱石が影響を受けた(?)プラグマティズム ④心霊現象研究協会(SPR)と神智学協会

アメリカ哲学の創始者といわれ、その影響は哲学、心理学、生理学、文学など多岐に及ぶとされるウィリアム・ジェームズ。

こうした評判の高い人物とブラヴァツキーを苦しめた心霊現象研究協会(SPR)とがわたしの中で結びつかず、歴史小説執筆のために漱石研究を棚上げしようとしたまさにそのとき、気づいた。

そして、夏目漱石の研究からウイリアム・ジェームズの哲学プラグマティズム、さらにSPRに辿り着いたことで、SPRが異様なまでに権威を帯びた団体であったことを知った。

心霊現象研究会:Wikipedia

心霊現象研究協会(しんれいげんしょうけんきゅうきょうかい、英: The Society for Psychical Research)は、1882年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの(フレデリック・マイヤーズを含む)心霊主義に関心のあった3人の学寮長によって設立された非営利団体である。この組織は頭文字をとって SPR と略称される。
「心霊研究協会」と訳されることも少なくないが、本来科学的研究を意味する Psychical Research(心霊現象研究)と、元はその訳語でありながら日本独自に心霊主義的に発展した「心霊研究」とは異なる。

概要
初代会長は哲学・倫理学者でもあったヘンリー・シジウィック教授である。一般に、これをもって超心理学元年と目されている。
協会の目的は、心霊現象や超常現象の真相を究明するための科学的研究を促進することであった。当初、研究は6つの領野に向けられていた。すなわち、テレパシー、催眠術とそれに類似の現象、霊媒、幽霊、降霊術に関係した心霊現象、そしてこれら全ての現象の歴史である。
1885年にはアメリカ合衆国でもウィリアム・ジェームズらによって米国心霊現象研究協会(英語版) (ASPR) が設立されて、1890年には元祖 SPR の支部になった。有名な支持者には、アルフレッド・テニスン、マーク・トウェイン、ルイス・キャロル、カール・ユング、J・B・ライン、アーサー・コナン・ドイル、アルフレッド・ラッセル・ウォレスなどである。
協会は、1884年のブラヴァツキー夫人と神智学協会のトリック暴き(後にこれは協会手続上の瑕疵により、協会としての行動ではなかったと表明)で名をあげ、設立後30年間とりわけ活動的だったが、霊媒のトリックを次々に暴いたりしたため、アーサー・コナン・ドイルなど心霊派の人々が大挙して脱退したこともあった。

主な歴代会長のリスト
1882-1884 ヘンリー・シジウィック、哲学者
1892-1894 A・J・バルフォア、イギリスの首相、バルフォア宣言で有名
1894-1895 ウィリアム・ジェイムズ、心理学者、哲学者
1896-1897 ウィリアム・クルックス卿、物理学者、化学者
1900 F・W・H・マイヤース、古典学者、哲学者
1901-1903 オリバー・ロッジ卿、物理学者
1904 ウィリアム・フレッチャー・バレット、物理学者
1905 シャルル・リシェ、ノーベル賞受賞生理学者
1906-1907 ジェラルド・バルフォア、政治家
1908-1909 エレノア・シジウィック、超心理学者
1913 アンリ・ベルクソン、哲学者、1927年にノーベル文学賞受賞
1915-1916 ギルバート・マリー、古典文学者
1919 レイリー公、物理学者、1904年にノーベル賞受賞
1923 カミーユ・フラマリオン、天文学者
1926-1927 ハンス・ドリーシュ、ドイツの生物学者、哲学者
1935-1936 C・D・ブロード、哲学者
1939-1941 H・H・プライス、哲学者
1965-1969 アリスター・ハーディ卿、動物学者
1980 J・B・ライン、超心理学者
1999-2004 バーナード・カー、ロンドン大学の数学、天文学の教授

歴代会長のリストを見ると、錚々たる顔ぶれだ。イギリスの首相に、ノーベル賞受賞者が3人もいる。こんな仰々しい連中をブラヴァツキーは相手にしていたわけである! 

病身に鞭打って、寸暇を惜しみ執筆していた無抵抗なブラヴァツキーをSPRは猫が鼠を狙うように狙い、追い詰めた。さすがは植民地大帝国を築いだけのことはある、執拗さ、残酷さで。

ウィリアム・ジェームズはブラヴァツキーが1891年に亡くなったあとの1894年から1895年にかけて会長を務めている。

偏見抜きでW・ジェームズの代表作『プラグマティズム』を読むことができて、幸いだった。SPRとブラヴァツキーの間で起きたいざこざを、わたしは心情的にどうしてもブラヴァツキーの側から見てしまうからである。

そして、プラグマティズムに興味を持つこともないまま、ブラヴァツキーがどんな人々と、どんな風潮と闘っていたかを把握できず、またそうする必要性にも気づかなかっただろう。

欧米諸国や日本が経済的物質主義に染まってしまう前に、SPRとブラヴァツキーの一騎打ちがあった。それはブラヴァツキーからすれば、相手側の陣中に引き摺り込まれた不利、不当な戦いだった。

それは、SPRの一方的な勝利宣言に終わり、やがてSPRに象徴されるような唯物論の潮流は、一気に神秘主義の砦ともいえた――「霊的な意味での唯物論」*1を展開する――神智学協会を押し流した。

 *1 『新時代の共同体 一九二六』(日本アグニ・ヨガ協会、平成5年)の用語解説「唯物論」(pp.275-276)を参照。

 唯物論 近代の唯物論は精神的な現象を二次的なものと見なし肉体感覚の対象以外の存在をすべて否定する傾向があるが、それに対して古代思想につながる「霊的な意味での唯物論」(本書123)は、宇宙の根本物質には様々な等級があることを認め、肉体感覚で認識できない精妙な物質の法則と現象を研究する。近代の唯物論は、紛れもない物質現象を偏見のために否定するので、「幼稚な唯物論」(121)と呼ばれる。「物質」の項参照。(pp..275-276)

 物質 質料、プラクリティ、宇宙の素材。「宇宙の母即ちあらゆる存在の大物質がなければ、生命もなく、霊の表現もあり得ない。霊と物質を正反対のものと見なすことにより、物質は劣等なものという狂信的な考え方が無知な者たちの意識に根づいてきた。だが本当は、霊と物質は一体である。物質のない霊は存在しないし、物質は霊の結晶化にしかすぎない。顕現宇宙は目に見えるものも、見えないものも、最高のものから最低のものまで、輝かしい物質の無限の面をわたしたちに示してくれる。物質がなければ、生命もない」(『手紙Ⅰ』373頁)(p.275)

尤も、SPR事件を境として神智学協会が衰退したわけではなかった。実際には、ブラヴァツキーの死後も1920年代までは、神智学協会の強い影響力は洋の東西を問わず及んだ*2

*2 以下のオンライン論文を参照。
2010 杉本良男「比較による真理の追求―マックス・ミュラーとマダム・ブラヴァツキー」出口顯・三尾稔(編)『人類学的比較再考』(国立民族学博物館調査報告90): 173-226
URL:http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/4459/1/SER90_009.pdf(最終確認日:2015年4月12日)

神智学協会第2代会長アニー・ベザントの死後、協会から活気が失せたのには協会内部の問題もあったのだろうが、第二次世界大戦やマルクシズムの影響など、外部的な要因も無視できないのではないだろうか。

前掲の杉本論文(2010)に、参考資料として「神智協会の目的 Objects の変遷[Ransom 1938: 545‒553]」が挙げられ、三つの目的のうち、2番目の英文の邦語訳について注意が促されている。

2 .比較科学[ママ],比較哲学,比較科学の研究を促進すること。(比較宗教,哲学,科学の研究を促進すること)。
  To encourage the study of comparative religion, philosophy and science.

 邦語訳については現行の「神智学協会ニッポン・ロッジ」の邦語訳をかかげるが,訳自体2種類あるので,タイトル・ページにかかげられている訳を初めにあげ,括弧内に入会案内のページでの訳をかかげておいた。個人的には後者の方がこなれた訳のように思う。それはともかく,第2項の「比較omparative」が,この訳のように哲学,科学までかかるのか,宗教だけにかかるのかについては大きな問題をはらんでいる。科学史的には,1896年時点で比較哲学,比較科学という概念はありえないようであるが,協会自体も明確ではないようである。(……)[杉本 2010]

翻訳技術上の問題もあるだろうが、まずは内容から「比較omparative」が哲学、科学までかかるのか、宗教だけにかかるのか、ブラヴァツキーの主要著作『The Secret Doctrine シークレット・ドクトリン』『Isis Unveiled ベールをとったイシス』ぐらいはざっとでも読んで、判断してみようとするのが常識ではないのかと学術的慣わしに無知なわたしなどは思ってしまう。

英語が堪能で羨ましいが、その英語力を駆使しながら肝心のものを読まないという姿勢がよくわからない。

ブラヴァツキーの代表作を読まずしてブラヴァツキーを語ろうとする人々による、ブラヴァツキー批判の無責任な孫引きが執拗に繰り返されて、彼女の畢生の大作は泥だらけにされたのだ。

内容からすれば、比較宗教、比較哲学、比較科学でいいんじゃないかとわたしは思う。

オカルトブームやニューエイジムーブメントの先駆者としてブラヴァツキーの名が挙がることはよくあるが、そこには概ね、蔑視的、批判的な意味合いが籠められている。

そして、その根拠としてSPR事件がよく使われるのである。

具体的にどのようなことが起きたかというと、SPRは、神智学協会の結成とブラヴァツキーの執筆がアデプト*3、と呼ばれる――マハトマあるいはマスターと呼ばれることもある――方々の直接的な指導下で行われたという評判やブラヴァツキーが大衆向きに披露したサイキックな実験などについて調査し、否定的な報告書を作成して、それを公表したのだった。

 *3 H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成7年改版)の用語解説(用語解説p.14)を参照。

 アデプト(Adept:Adepts,羅) オカルティズムでいうアデプトは、イニシエーションの段階に達し、秘教哲学という科学に精通された方を指す。(用語解説p.14)

ブラヴァツキーを詐欺師に仕立てて、神智学協会の評判を失墜させたSPRは、1986年になって、その原因をつくったホジソン・リポートはSPRの正式な手続きに基づくものではないことを表明したそうだ(ヘレナ・P・ブラヴァツキー:Wikipedia)。

SPRによってブラヴァツキーの名誉回復が図られたともいえるが、あまりに遅すぎた。

『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)を再読し、神智学協会の創立者たちは純真で、お人好しすぎた、との印象が残った。一般に形成されてしまったイメージとは対照的である。

神智学協会にサイキック調査の希望を申し出たSPRに対するブラヴァツキーの協力者たちは、次に引用するような反応を示した。

 一般にインド人達は、秘伝をうけた僅かな人達だけに、秘教的知識を限定した方がよいと思っていましたが、モヒニは創立者達が望んでいた通りにしようとしました。シネットは神智学というものは大衆のためのものではなく、知性的な人達の学ぶものと考えていましたので、サイキック研究会(S・P・R)の学者や科学者と協力するのを大変、幸福だと思いました。心の広いアメリカ人の大佐はいつも自分の発見したよいものを誰とでも頒ち合おうとしていました。事実、彼はその研究をすばらしい万全の機会だと思いました。S・P・Rは「学者の団体」という高い基準を維持することを目ざしていました。もしもこの団体が研究の末、神智学現象の真正さを公言できたなら――その筈だと大佐は考えていました――西洋の物質的思考形式に完全な革命をもたらすことでしょう。大佐は一生懸命、協力しました。(p.266)

SPRの申し出を拒絶するどころか、期待さえ寄せる協力者たちに対して、さすがにブラヴァツキーには懸念があった。

 HPBの考えでは、大佐は熱心なあまり、研究員達の懐疑的な慎重な心に、自分の奇跡的な体験をあまりに押しつけすぎていました。彼女はこの研究全体に懸念をいだいていました。S・P・Rの高慢な英国の知識人達は現象の背後にある人間についての深いヴェーダの考え方については何も知りませんし、自分の徳性の全傾向を変える放棄のヨガや自己放棄については何も知りませんでした。彼等にとっては、推理的な心が最高の神でした。彼等の心は非常に訓練されていたかもしれませんが、制限されており彼等がつかもうとしている超メンタル界にはとても及ばぬものでした。――間違った角度から本質的な謙虚さもなくとらえようとしていたのです。(pp..266-267)

SPRを疑っているように見られたくなかったブラヴァツキーは拒絶できなかった。それが1883年のことだった。そして、1885年12月31日の大晦日に、最悪の打撃がブラヴァツキーにふりかかった。

 伯爵夫人は次のように書いています。「一言の警告もなしに、サイキック調査に関する協会の報告の写しを、HPBは速達便で受け取りました。その日のことも、彼女が私を見た、生気のない石のような絶望のまなざしも、私は決して忘れることは出来ません。私が居間にはいると、彼女は手に開いた本を持っていました。『私はこの時代の最大の詐欺師で、おまけにロシアのスパイだと言われてしまいました。これでは誰が私の言うことを聞き、シークレット ドクトリンを読んでくれるでしょう?』と彼女は嘆きました」(p.312)

よりによって大晦日に、何て礼儀知らずな連中だろう! 一体、どんな権利があって、そんなことができたのかと呆れる。まるで、魔女裁判のようではないか。 自分たちは恵まれた環境で、ぬくぬくと新年を迎えたに違いないと想像する。

わたしはつい自分の身に置き換えて、頭がおかしくなった父夫婦の訴えにより、地裁から訴状が届いた日の衝撃を連想してしまった。

訴状には、認めるか争うしか選択肢がないとあった。答弁書を提出せず、かつ、定められた期日に法廷に出てこられないときは、訴状に記載されていることをこちらが認めたものとして、即日、原告の請求通りの判決がされることがあるとあった。さらに、地裁では、弁護士以外の者を代理人とすることはできないとあった。

訴状の内容に何の覚えもなかったわたしにとって、その訴状はまさに青天の霹靂であり、ひどいダメージを受けた。

弁護士をつける金銭的な余裕などなく、大学は法学部だったといっても、答弁書を作成しようにももう法律的なことなど何も覚えていず、そもそもそのような実際的なことは学んだ覚えがなかった。

再婚したときから少し異常を感じさせた奥さんの影響があったとはいえ、父があそこまでおかしくなったのには加齢もあるだろうが、何より長年の飲酒癖にあった気がしている。外国航路の船員だった父の飲酒は豪快そのもので、吸っていた煙草も缶ピースだった。

日中は常に完全にしらふだったから、アルコール中毒を疑ったことはなかったけれど、脳に悪影響がなかったはずはない。それより、わたしは父が霊媒体質になってしまっているのではないかと疑っており、その原因がわからなかったが、それも飲酒の影響である可能性が大きいように今は思う。

父夫婦を案じてはいても、わたしにはどうしてあげることもできない。時々入ってくる情報によると、相変わらずのようだが、この先どうなるのかと思えば、心配で胸が痛くなってくる。

ブラヴァツキーの協力者たちの多くは神秘主義的能力の持ち主で、彼ら特有の世界を形作っていたといえるのかもしれない。それが当たり前の人間にとっては、ブラヴァツキーがそうした能力を最高度に発揮するのを目撃したからといって、特殊なことだとは思わないだろう。

心が綺麗でないと神秘主義的な、高級な能力は目覚めないから、ある意味で彼らは赤ん坊のように騙されやすい一面を持っている。自分を騙そうとしている相手の奥底にも美を透かし見てしまうから、その美の印象深さのためについ信じたくなり、結果的に騙されてしまう。

全てにおいてスケールの大きなブラヴァツキーは、騙され方や傷つき方も、半端ではなかったのだ。

ブラヴァツキーの伝記を読むと、若いころからアデプトと接触がありながら、試行錯誤し、実験を試み、幾度も試練に遭い、そうした体験の中で彼女が訓練され、磨かれ、霊的に開花していったことがわかる。それこそ、ブラヴァツキーが霊媒でなかった証拠である。

もちろん、霊媒になってしまう危険性はあっただろう。それは霊的に目覚めている人間にも、そうでない人間にも、どんな人間にも起こりうることである。

自分たちは霊媒性質とは無関係だと思っている、霊媒の定義すらブラヴァツキーの本で学んでいない人々は、霊媒、霊媒とブラヴァツキーを馬鹿にしてうるさいが、わたしが見る限り、世間は霊媒だらけで、彼らの吐く息で大気汚染がひどく、とかくに人の世は住みにくい(いけない、これ漱石の小説に出てくる言葉だった)。

父のことで前述したように、アルコール好きは自分で霊媒体質を作り出しているといえる。アルコールは脳や肝臓に悪いだけではないのだ。まともな宗教の教えに、飲酒をすすめるものなどない。

ブラヴァツキーの卓抜な神秘主義的な能力は前世までに得られたものであったに違いないが、生まれ変わる度に、その能力は再獲得されなければならない。それは本当につらい体験を伴う。

わたしにもいくらかは前世までに獲得した神秘主義的能力があって、それを今生で目覚めさせるのはそれなりに大変だった。今も試行錯誤や実験の最中であり、これはとりあえず死ぬまで続くのだろう。こうした能力は、どんな人間にもいつかは目覚める能力であるはずだ。

自分より遙かに進んでいるように思えるブラヴァツキーがわたしには霊媒、詐欺師に見えるどころか、輝かしく見えることは当然である。素晴らしい大先輩だと思う。この道をもっと進めばあんな試練が待っているのかと思うと、戦慄を禁じ得ないが……

ブラヴァツキーとSPR との間に起きた詳細は『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)、『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成8年第3版)中、「『シークレット・ドクトリン』の沿革」に書かれている。

『シークレット・ドクトリン』の執筆中、ブラヴァツキーと共に住んだコンスタンス・ワクトマイスターによると、『シークレット・ドクトリン』執筆に際し、ブラヴァツキーはかなりな透視力を用いていたように見受けられたという。

神秘主義的能力の持ち主だったワクトマイスターは、アデプトが精妙体で出現するのを度々見、言葉を聴くこともあったという。

このように『シークレット・ドクトリン』が複数のアデプトとの共作だったからこそ、ブラヴァツキーははしがきで、「今、しようとしていることは、最古の教義を集めて、一つの調和のとれた全体としてまとめることである。筆者が先輩達よりも有利な唯一の点は、個人的な推論や学説をたてる必要がないということである。この著作は著者自身がもっと進んだ学徒に教えられたことの一部であって、筆者自身の研究と観察による追加はごく僅かだからである」(田中&クラーク訳、平成8)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』p138)と、率直に書いたのだ。

ウィリアム・ジェームズは超常現象にかんして、「それを信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるけれど、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。超常現象の解明というのは本質的にそういう限界を持っている」と発言し、コリン・ウィルソンはこれを「ウィリアム・ジェームズの法則」と名づけたそうだ(ウィリアム・ジェームズ:Wikipedia)。

このウィリアム・ジェームズの法則、わたしには意味がわからない。

信じるとか信じないといったことが、事の真偽に何の関係があるのだろう? W・ジェームズのこの言葉は、おそらく正しくは次のような意味である。「盲信したい人には盲信するに足る材料を与えてくれるけれど、(……)」

端から超常現象を馬鹿にしている言葉ではないか。この男はいつもこんな風だ。まず先入観ありきなのだ。神秘主義者のわたしは、この世界の物質レベルを超えた現象をこの世界の物質レベルの装置を使って証明したり、この世界の物質レベルの能力しか持たない人間にわからせることは不可能ではないかと思うだけだ。

そして、わからないことを端から色眼鏡で見たり、否定したりする態度が科学的だとはわたしには思えない。わかるときまで、仮説として、置いておけばいいことではないか。

ブラヴァツキーを誹謗中傷する人々はコリン・ウィルソンの著作の影響を受けたり、引用していることが多い。

わたしが怪訝に思うのは、ウィリアム・ジェームズのような哲学者を会員として持ちながら、なぜSPRはブラヴァツキーの著作について学術的な論文を書かなかったのかということである。

尤も、『ブラグマティズム』(桝田啓三郎訳、岩波書店[岩波文庫]、2010年改版)で「プラトン、ロック、スピノザ、ミル、ケアード、ヘーゲル――もっと身近な人々の名前をあげることは遠慮する――これらの名前は、わが聴講者諸君の多くには、それだけの数の奇妙なそれぞれのやりそこない方を憶[おも]い出させるに過ぎないと私は確信する。もしそういう宇宙の解釈がほんとうに真理であるとしたら、それこそ明らかな不条理であろう」(p.45-46)と、大哲学者たちをまず否定してかかることを何とも思わないW・ジェームズが、ちゃんと読む以前にブラヴァツキーの著作を否定したことは充分考えられる。

聴衆や読者に先入観を植え付けるような態度が哲学的な態度でないことは、いうまでもない。

また、神秘主義者によって拓かれた心理学の分野*4がウィリアム・ジェームズのような唯物主義的、実利的な人物の影響を受けたことと、現在の精神医療が薬物過剰となっていることとは当然、無関係とはいえまい。

 *4 上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社、1998年)参照。

ところで、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)に、次のように書かれている。

 科学が原子は分割出来るということを確認した時より三年前に、ブラヴァツキー夫人はシークレット ドクトリンに次のように書きました。「原子は弾力があり、分割することが出来るものなので、分子即ち亜原子で構成されていなければならぬ……オカルティズムの全科学は物質の幻影的性質と原子の無限の分割性との理論の上に築かれている。この理論は、実質について無限の視界を開く。実質はあらゆる微妙さの状態にあり、その魂の真正な息によって生気を吹きこまれるものである。(p.405)

わたしは昔、物理学においてクォークを物質の最小単位とする説をわかりやすく紹介した本を読んだとき*5、神秘主義の理論に立てば、クォークが物質の最小単位だなんて、そんなはずはなく、それより小さな粒子が見つかるだろうと思った。

ブラヴァツキーの言葉は、神秘主義の理論を明快に要約したものだ。

 *5 そのとき読んだ本は、南部陽一郎『クォーク―素粒子物理の最前線』(講談社、1981年)だったと思う。『クォーク―素粒子物理の最前線』の第2版に当たる『クォーク第2版: 素粒子物理はどこまで進んできたか』が1998年に上梓されている。

「『標準模型の"基本的な"粒子のいくつか、あるいはすべては、実はさらに分割できるのではないか』と考える理論もある」(基本粒子:Wikipedia)そうだが、『クォーク―素粒子物理の最前線』では、そのようなことも示唆されていたような気がする。

物理学には全く無知ながら、ブレーン宇宙論(ブレーンワールド:Wikipedia)にも興味がある。『シークレット・ドクトリン』の中の記述を連想させるからだが、そのうち息子にブレーン宇宙論について講義して貰おう。畑違いかもしれない。

これは有名な話だが、アインシュタインは『シークレット・ドクトリン』を愛読していたそうだ。

ところで、わたしは神智学の影響を受けた作家、詩人にかんする研究に着手したが、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』の再読で、ブラヴァツキーの時代に影響を受けた詩人にロバート・ブラウニング、作家にイェーツがいたことを再確認した。

前掲の杉本論文にも、1920年ごろまで協会の影響を受けた欧米の知識人の例が引用されていて、参考になる。ウィリアム・ジェームズの名のあるのが解せないけれど。

ラビンドラナート・タゴールと神智学の関係については、岩間浩『ユネスコ創設の源流を訪ねて - 新教育連盟と神智学協会 - 』(学苑社、2008年)第4章「インド新教育運動の源流―R・タゴールの教育思想と事業を中心に」に詳しい。

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2015年4月 3日 (金)

そういえば、ウィリアム・ジェームズは心霊現象研究協会(SPR)の……(絶句)

ノート#14をもう少し形にし、今日中に祐徳院(花山院萬子媛)をモデルとした歴史小説の準備に入るつもりだった。

が、どういうわけか大事な忘れ物をしたような予感に駆られながら、、そうだ、午前中に、明治期に日本に輸入されたプラグマティズムがどんな風に受容されたかを、借りた本を中心にざっと見ておこうと思った。

そうすれば、数ヶ月後か数年後かに評論ノートを再開するのに都合がいいだろうと考えた。その本をいくらか読み、少し疲れたので、気晴らしに昨日作ったビーツのスープの記事でも書こうと思った。

ビーツの写真をブログ用に準備しているとき、ふと、「もしかしたら、ウィリアム・ジェームズは心霊現象研究協会(SPR)の会員ではなかったかしら?」と思った。

調べたら、やはりそうだった! なぜ気づかなかったのだろう?

ハワード・マーヒットが書いたブラヴァツキーの伝記『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)に、SPRとの間で起きたごたごたが詳しく書かれている。

ブラヴァツキーの協力者で、一時期、生活を共にしたワクトマイスター夫人は、ブラヴァツキーがSPRにどんなに悩まされたかを語った。

W3

まさか、夏目漱石からプラグマティズム、そしてついには神智学協会の評判を大きく失墜させたSPRに辿り着くとは。

しかし、思い出したのがウィリアム・ジェームズの代表作を読んだあとでよかった。でなければ、プラグマティズムについて詳しく知ることはなかっただろうし、あの事件の性質がどんなものだったかがわからないままだったろう。

ノート#15で、簡単にでも触れておかなくてはならなくなった。

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2015年4月 2日 (木)

#14 漱石が影響を受けた(?)プラグマティズム ③現金価値

W・ジェームズの『プラグマティズム』( 桝田啓三郎訳、岩波文庫、2010年改版)を読んでいると、過去の哲学が最新科学ではないといって非難しているかのようだ。

プラグマティズムが何であるかは、以下の引用にいい表されていると思う。

「一つの観念ないし信念が真であると認めると、その真であることからわれわれの現実生活においていかなる具体的な差異が生じてくるであろうか? その真理はいかに実現されるであろうか? 信念が間違っている場合に得られる経験とどのような経験の異なりがでてくるであろうか? つづめて言えば、経験界の通貨にしてその真理の現金価値はどれだけなのか?」
 プラグマティズムは、この疑問を発するや否や、こう考える。真の観念とはわれわれが同化し、努力あらしめ、確認しそして験証することのできる観念である。偽なる観念とはそうできない観念である。これが真の観念をもつことからわれわれに生ずる実際的な差異である。したがってそれが真理の意味である。それが真理が真理として知られるすべてであるからである。
(pp.199-200)

現金価値という言葉が出てくるあたり、アメリカの哲学らしいといえばそうだが、わたしにはW・ジェームズが馬脚を露わしたように感じられた。

神秘主義者は、神秘主義的知識の有無で、この世でもそうだが、より一層死後の世界であるあの世での「現実生活」においていかなる具体的な差異が生じてくるかのデータを集めてきた。

かくいうわたしもほんの少しだが、今生でこれまでに少しは集めた。そのための内的な装置作りをつらい体験によって今生でやり直さなければならなかった(その頂点というべき体験を『枕許からのレポート』で書いた)。この世的にそれを証明できないのが残念であるが。

2007年9月30日 (日)
手記『枕許からのレポート』
https://elder.tea-nifty.com/blog/2007/09/post_e32f.html

※Kindle版もあります。
枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4)

験証とは、検証、実験の結果に照らして仮説の真偽を確かめることだが、最新の実験装置で験証できる観念だけが真の観念である、とW・ジェームズはいっていることになる。

つまりそのときの科学で解明できることだけが真で、それ以外の仮説は全て偽ということになるわけだ。神秘主義者はそうやって切り捨てられたりするわけだが、それはつまり、哲学を科学に限定してしまうという話になるのではないだろうか。

だが、科学の進歩を考えれば、現代のプラグマティストによって偽と見なされた観念も、未来のプラグマティストには真の観念と見なされることもありうるということになるのではないだろうか。

神秘主義がなぜ生き延びてきたのかというと、神秘主義がその方法論において無秩序ではなく、一つのスタイルを遵守してきたからだと考えられる。

H・P・ブラヴァツキー『実践的オカルティズム』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成7年)序文で、それがどんなものかが説明されているので、引用してみよう。

 ブラヴァツキーの言っている「オカルティズム」は当然、心霊現象や「超自然的なこと」を漠然と指す現代の「オカルティズム」とは全く違う意味である。夫人のいうオカルティズムは、人類と同じくらい古い「科学中の科学」で、人間の最高の成就である。神聖な科学は近代科学と同様に、普遍的真理を探求するために厳密な方法を用いるので、科学と言える。しかし、道具と教育と動機という面において、神聖な科学と世俗的な近代科学は大いに異なる。
 物理的な観察をするために近代科学は様々な装置に頼るが、神聖な科学は物理的及び非物理的な観察をするには、主に、清められた人間の心の認識に頼る。(一人の観察は幾代もの先輩達の観察と照らし合わせて真正さが確かめられる。)

今ある物理的な装置で験証できないことを全て偽とする態度が哲学的とは、わたしには思えない。験証できない仮説は仮説のままにしておくほうが愛智者にふさわしい態度に思えるし、そもそもそうでなければ――哲学の仮説がなければ――、哲学が科学の進歩に寄与する機会も乏しくなるのではあるまいか。

だからこそカントは、『純粋理性批判』の中で「どうか理念(イデー)という語をその原義に即して保存されることをお願いしたい」(『純粋理性批判(中)』篠田英雄訳、岩波文庫、1961年、p.37)といって、仮説は仮説のままの純粋さに置いておこうとした。

また、カントはプラトンの「イデア」とアリストテレスのいう「イデア」との違いについて書いている。

プラトンは、イデアという語を用いた。そして彼がこの語を、感覚から採らなかったばかりでなく、アリストテレスの論じた悟性概念を遙かに超出するものと解したことは明らかである。経験のなかには、これと合致するようなものはまったく見出せないからである。[……]表現の行き過ぎということを別にすれば、この哲学者が、世界秩序における自然的なものを理念の不完全な模写と見なすことから始めて、目的即ちイデアに従ってこの世界秩序の建築的〔体系的〕結合へ上昇していく精神の飛翔は、我々の尊敬と追従に値する努力である。また道徳、立法および宗教の原理に関するところのものについて言えば、イデアが経験において完全に実現されることは不可能であるにせよ、しかし(善の)経験を初めて可能にするのは、やはりイデアそのものなのである。従ってイデアは、これらの領域において実に独自の功績を有する。それだのにこの功績を認めないのは、かかる功績がまったく経験的規則によって判定されるためであるが、しかし原理としての経験的規則の妥当性は、当然イデアによって無効にせられた筈である。自然に関しては、我々に規則を与えるものは経験であり、経験が真理の源である。しかし道徳に関しては、経験は(残念ながら!)仮像を産む母であり、私がなすべきところのものに関する法則を、なされるところのものに求めようとし、或いは後者によって前者に制限を加えようとすることは、まことに以てのほかの沙汰である。 (『純粋理性批判(中)』pp.32-37)

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2015年3月27日 (金)

#13 漱石が影響を受けた(?)プラグマティズム ②W・ジェームズの疑わしい方法論

第八講まである『プラグマティズム』のうち、わたしには第一講も第二講も疑問が噴出したが、第三講になってスコラ哲学やロックが出てきたとき、わたしの疑問はいよいよ大噴火を起こすに至った。

というのも、わたしは大学時代、『プラグマティズム』に出てくる哲学者や宗教家ヴィヴェーカーナンダの著作をいくらか読んだことがあり、どんな内容だったかはほとんど記憶が失せている今も、その残り香のようなものは忘れがたい印象として残っているので、ウィリアム・ジェームズの要約に甚だ違和感が生じたのだった。

まだちゃんと『プラグマティズム』を読んだわけではないので、再読時に考えが変わるかもしれないが、そのためにざっと疑問点をメモしておくことにしよう。

第三講の冒頭で、W・ジェームズは「私はいまプラグマティズムの方法を特殊な問題に適用した実例を二つ三つ挙げてこの方法をいっそう諸君になじみ深いものにしたいと思う。私はまずはじめにごく無味乾燥なもの、すなわち実体の問題を取り上げることにしよう」と切り出す。

ここで早くもW・ジェームズは実体=ごく無味乾燥なもの、と定義づけている。第一講と第二講にそう定義づけるに至った根拠が書かれていたっけと思い、目を皿のようにして読み返してみたが、実体という哲学用語はまだ出てきていなかった。

とすれば、この第三講でその根拠が示されるに違いない。そうでなければ、おかしい。

実体という用語は、哲学作品にはよく出てくる。アリストテレスは家にはないが、アリストテレスの哲学では重要な用語だったはずだ。

アリストテレスが嫌いだからといって、アリストテレスくらいは家に置いておくべきだと後悔している。

W・ジェームズが3頁に渡って実体について述べていることはアリストテレスの哲学作品『カテゴリー論』のW・ジェームズ的要約ではないかと思うが、おぼろげな記憶しかないので、あとで確認しておきたい。

ひとまず、ウィキペディアのウーシア「実体」から、アリストテレスによる実体の定義を引用しておこう。

ウーシア:Wikipedia
ウーシア(希: οὐσία, 英: ousia)とは、「実体」(英: substance)や「本質」(英: essence)を意味するギリシャ語の言葉。ラテン語に翻訳される際に、この語には「substantia」(スブスタンティア)、「essentia」(エッセンティア)という異なる二語が当てられたため、このような語彙の使い分けが生じた。

アリストテレスによる定義

この「ウーシア」(希: οὐσία, ousia)という語に、「substantia」(スブスタンティア)、「essentia」(エッセンティア)という異なるラテン語の二語が当てられるようになったのは、偶然ではなく、アリストテレスによる多様な定義・用法に由来している。

『範疇論』

アリストテレスは、『オルガノン』の第一書である『範疇論』にて、実体概念を、
第一実体 : 個物 --- 主語になる
第二実体 : 種・類の概念 --- 述語になる

の2つに分割している。

アリストテレスは、「イデア」こそが本質存在だと考えた師プラトンとは逆に、「個物」こそが第一の実体だと考えた。

こうして実体概念はまず2つに大きく分割された。

『形而上学』

アリストテレスの『形而上学』中のΖ(第7巻)では、アリストテレスの実体観がより詳細に述べられている。

そこではアリストテレスは、第一実体としての「個物」は、「質料」(基体)と「形相」(本質)の「結合体」であり、また真の実体は「形相」(本質)であると述べている。
第一実体 : 「個物」(結合体) --- 主語になる 「質料」(基体)
「形相」(本質)

第二実体 : 種・類の概念 --- 普遍 --- 述語になる

また、用語集である第五巻(Δ巻)第8章においては、この「ウーシア」(希: οὐσία, ousia)(実体)という語は、
1.単純物体。土、火、水のような物体や、それによる構成物、及びその部分。述語(属性)にはならず、主語(基体)となるもの。
2.1のような諸実体に内在している、そのように存在している原因となるもの。例えば、生物における霊魂。
3.1のような諸実体の中に部分として内在し、それぞれの個別性を限定・指示するもの。これが無くなれば、全体も無くなるに至るような部分。例えば、物体における面、面における線、あるいは全存在における数など。
4.そのものの本質が何であるかの定義を言い表す説明方式(ロゴス)それ自体。

といった列挙の後、
1.(上記の1より)他の主語(基体)の述語(属性)にはならない、窮極(究極)の基体(個物)。
2.(上記の2・3・4より)指示されうる存在であり、離れて存在しうるもの。型式(モルフェー)、形相(エイドス)。

の2つの意味を持つ語として、定義されている。

このように、「ウーシア」(希: οὐσία, ousia)(実体)という語は、今日における
「物理的実体」「物質」(physical substance)
「化学的実体」「化学物質」(chemical substance)

それも「究極基体的な物質」(今日の水準で言えばちょうど「素粒子」(elementary particle)に相当する)を含む、「実質」(substance)という意味から、それをそれたらしめていると、人間が認識・了解できる限りでの側面を強調した(観念的・概念的・言語的な面も含む)「本質」(essence)という意味までを孕んだ、多義的な語であった。

アリストテレスのいう実体がこうした複雑なニュアンスを含んでいるとなると、第三講でW・ジェームズがまず取り上げるという実体を、彼が最初から「ごく無味乾燥なもの」と安直にいい切る姿勢に、これから哲学的なお話が深まっていくとは思えない違和感を覚えるのだ。

この人の哲学はまず先入観を聴衆や読者に植え付けることから始まるのか、とすら疑ってしまう。

アリストテレスにおける実体と関係がありそうな説明に続けて、W・ジェームズは「スコラ哲学は実体の考えを常識から採り入れて、それを甚だ専門的な理路整然たるものに仕上げた。ここで言う実体ほどわれわれにとってプラグマティックな効果の乏しいものはあまり見あたらないであろう」(p.93)という。

スコラ哲学の代表的神学者といえば、トマス・アクィナスである。

トマス・アクィナスは特にアリストテレスを神学に導入しようとして苦慮した人(カトリック教会と聖公会では聖人)であったので、アリストテレス主義者といわれたりもするが、『神学大全』には様々な哲学者の説が出てくるし、アリストテレスが批判したプラトンのイデアについてもトマスは一章(第一部、第十五問)を割いて神学に採り入れようと頑張っている。イデアは神の精神のうちに存在する――と結論づけて、トマスはホッとしたようである。

『世界の名著 続5  トマス・アクィナス』(責任編集 山田晶、中央公論社、昭和53年再版)の注にトマスが実体という名称を――第三問第五項で――どんな意味に用いているのかが注でわかりやすく解説されているので、引用しておく。

「実体」substantiaという名称は二つの意味で用いられる。一つは「自体的独立的な存在者」ens per se substennsである。この意味では神は最高度に実体的であるといえる。一つは、「独立に存在することがそれに適合する本質」essentia cui competit per se esseを意味する。いま問題とされる「顔」としての実体はこれである。かかる類としての実体であるものは、その本質と存在とが区別されたものでなければならない。しかるに神においては、本質と存在とは同一である。ゆえに神は第一の意味では実体といってよいが、だからといって「実体」の類のうちに含まれるとはいえない。

W・ジェームズの「実体」とトマス・アクィナスの「実体」が別物であることは明らかで、W・ジェームズのスコラ哲学の要約や解説は、スコラ哲学の理解に役立つよりは、ジェームズのスコラ哲学に対する蔑視を聴衆や読者に印象づける。

権威に依存しやすい単純な人間には偏見を植え付けて、スコラ哲学は知るに値しないと思わせるだろうし、わたしのように疑い深い人間にはジェームズ本人に対する警戒心を起こさせる。

このような独断的な要約や解説からなるW・ジェームズの哲学が、プラグマティックな価値はともかく、どのような学問的価値を持つのか、わたしは疑う。 

ちなみに、本棚からデカルト(1596年 - 1650年)、スピノザ(1632年 - 1677年)、ライプニッツ(1646年 - 1716年)、カント(1724年 - 1804年)を引っ張り出して開いてみると、どれにも「実体」が頻繁に出てくる。

スピノザの『エティカ』では第一部が「神について」(『中公バックス 世界の名著 30 スピノザ ライプニッツ』責任編集 下村寅太郎、中央公論社、1980年)となっており、三で「実体とは、それ自身において存在し、それ自身によって考えられるもののことである」、六で「神とは、絶対無限の存在者、言いかえれば、そのおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成り立つ実体のことである」と定義づけられている。そこからのスタートである。

『エティカ』の中で実体という用語は「それ自身において存在し、それ自身によって考えられるもののことである」という意味で使われるのであって、「実体」という用語自体に、「ごく無味乾燥なもの」という意味合いは与えられていない。

ライプニッツの『モナドロジー』は、「一 これからお話するモナドとは、複合体をつくっている、単一な実体のことである。単一とは、部分がないという意味である」と始まる。

実体という用語が出てくるが、これも「ごく無味乾燥なもの」という意味合いは含んでいないと思われる。

「実体」一つとっても、W・ジェームズと他の哲学者たちとではニュアンスが異なる。

それにも拘わらず、何の説明もないまま、ジェームズは好き勝手なところから、好き勝手な方向へ話をどんどん進めて平気である。

W・ジェイムズ『プラグマティズム』で、 哲学者およびその作品に対して「えっ?」と驚くようなことが書かれているので、本棚から哲学書を引っ張り出して読んでいるうちに、2~3日があっという間に潰えた。

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これらを読んだ当時、どこまで理解できていたのか怪しいながら、『プラグマティズム』でひどい書かれ方をしている哲学者の本を引っ張り出して、再読してみなくてはならなかったのだ。

読んだが、家にはない哲学者の本も結構ある。図書館から借りて読んだロックは、好きになったので買いたかったが、当時お金がなく買わなかった。買っておけばよかった。ヴィヴェーカーナンダの評伝は探せば、出てくるのではないかと思う。ヴィヴェーカーナンダの先生だったラーマクリシュナの本は今もたまに読む。

尤も、今でもよく読んでいるプラトンの著作は別として、詳しい内容までは拾い読みしたくらいでは思い出せないのだが、本のあちこちに引いている線や書き込みを読んでいると、当時の高揚感が甦ってくる。

スコラ哲学の代表的神学者、トマス・アクィナスの本は2冊持っている。一冊は中央公論社の「世界の名著」シリーズの中の一冊で、『世界の名著 続5  トマス・アクィナス』(責任編集 山田晶、中央公論社、昭和53年再版)。 

トマス・アクィナスと『神学大全』の解説に続いて、『神学大全』の一部分が訳出されている。

全体は膨大なものらしい。

  • 第一部「神」
    聖なる教
    一なる本質
    三位一体
    創造
  • 第二部「人間の神への運動」
    第二・一部 一般倫理
    第二・二部 特殊倫理
  • 第三部「神に向かうための道なるキリスト」
    御言の受肉
    キリストの誕生・生涯・受難・復活・昇天
    秘跡――洗礼・堅信・聖体・告解
    〔補遺〕

問答形式で書かれていて、第一問から第六十九問まで存在する。訳出されているのは、第一部「神」の「神の至福」(第一問から第二十六問)まで。

大から中タイトルまで紹介したが、小タイトルは小、小小、小小小タイトルまである。タイトルだけ見ていても楽しい。

例えば「一なる本質」の中の「神のはたらき」には「知性」「意志」「能力」とあって、「知性」には「神の知」「イデア・真・偽」とあるのだが、プラトン好きのわたしはイデアとあるのを見て、まず好奇心をそそられた。

また、「創造」の中の「被造物の区別」には「天使」「物体」「人間」という不思議な分類が示されていて、わたしは特に「天使」についてどう書かれているのか読んでみたかった。

第三部の〔補遺〕にある「終末――復活と審判」なんかも、如何にも面白そうに思えた。そのとき、ちょうど20歳。

それで翌21歳のときに『人類の知的遺産  20  トマス・アクィナス』(稲垣良典著、講談社、昭和54年)を買ったのではなかったか。

この本ではトマスの思想、生涯の紹介に多くの頁が割かれている。そしてトマスの著作については、著作の分類と解説、トマス著作抄となっている。全体が鳥瞰できる親切な構成になっていたが、一番読みたかった天使については、読めないままだった。

他にも多くの本を読んでいたので、わたしの トマス・アクィナスへの関心はそれきりになってしまった。トマスの著作が他の哲学作品への関心をそそったということもあった。

優れた著作というのは、そうだ。架け橋の役目を果たしているものなのだ。

昨年ローマに出張した息子が、お金を出してやるからローマを一度見てくるといい、と過日、あまりにも嬉しい、ありえないようなことをいってくれたが、息子が圧倒されたという大聖堂を、わたしは大学時代にトマス・アクィナスの『神学大全』を通して見ていたといってもいい。

壮麗な哲学大系に、文字通り圧倒されたのだった。その哲学には当然ながらキリスト教という制限があったが、そこにはギリシア哲学が豊かに流れ込んでもいた。

哲学のテーマはどうしても時代の制約を伴っている。しかし、「神は細部に宿る」という言葉があるように、哲学の美しさ、豊かさ、魅力は細部に宿っているとわたしは思う。要約してしまえば、その全てが損なわれてしまう気がする。

「神は細部に宿る」という言葉で有名なライプニッツについて、引用の少ないW・ジェームズにしては第一講で3頁も使って『弁神論』から引用し、「楽観主義的」「現実把握の薄弱なことはあまりにも明白」「冷やかな文筆の遊戯」と手厳しい。

それが批判的というよりは誹謗中傷的に響くのは、『弁神論』がどんな作品なのか、まともな紹介がなされていないからだろう。

中公バックス『世界の名著 30 スピノザ ライプニッツ』に『弁神論』は収録されていないから、その批判については、引用文を読んだだけでは何ともいえないが、『モナドロジー』を読んだとき、自分の身の周りに宇宙が拡がるような錯覚を覚えた。いや、現にわたしも宇宙のただなかに棲まっているのだろうが、星雲のきらめく宇宙が映像として見える錯覚を覚えたのだった。

ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成7年改版)の用語解説によると、ラテン語のモナドはギリシア語のモナスからきた言葉で、「単一なるもの」であり、単元を意味する。ピタゴラスの体系ではモナスは第一原因である。

『シークレット・ドクトリン』ではライプニッツのモナドについて触れられ、神秘主義ではモナドという言葉をそれとは違った使い方をしているとの説明がなされている。

西洋の哲学、哲学論には、何か単純な価値観で、哲学は進歩するという暗黙の了解を含む一つの流れがある気がするが、そうした考え方自体がキリスト教進歩史観に基づいた考え方ではないだろうか。

昔書かれた哲学作品に対するW・ジェームズの何か不遜ともいえるような姿勢に、それを感じてしまう(今ではW・ジェームズも昔の人となっているが)。

バロック音楽は古いからつまらないと思う人は思うだろうが、不断の新しさを感じさせる、みずみずしい音楽だと感動を覚える人も少なくないだろう。哲学作品もそれと同じで、書かれた当時の時代背景を感じさせられながらも、作品の本質は少しも古びていないと感動させられるものは多い。

スピノザなども、悲しいときに読んでいると、ちょっと楽しくなってくるほどだ。

喜びとは、人間がより小さな完全性からより大きな完全性へ移行することである。
悲しみとは、人間がより大きな完全性からより小さな完全性へ移行することである。(『世界の名著 30 スピノザ ライプニッツ』p.245)

漱石はW・ジェームズに似ているような気がしてきた。影響を受けたといえるのかもしれないし、性格が似ているために共鳴したといえるのかもしれない。そこのところは、もう少し調べてみないと、わからない。

ここで漱石研究は置いておいて、初の歴史小説へ行きたい。漱石研究を始めてから、鈴木大拙が神智学協会の会員だったことを知ったが、哲学書の再読(拾い読み)の合間に、大拙の『日本的霊性』を読んでいた。

漱石研究にも、祐徳院(花山院萬子媛)をモデルとした歴史小説にも、参考になりそうな一冊だ。

過去記事で書いたが、廃仏毀釈前の日本の思想の動きを萬子媛を含む周辺を描くことで、また夏目漱石の生き方を追究することで、廃仏毀釈後の日本の思想や文学の動向を探るという構想が生まれた。

歴史小説ではとりあえず五つの短編を書く予定だが、まだ下調べが終わっていない。朱子学のお勉強から逃げていたわたし。もう逃げられない~。 

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2015年3月17日 (火)

#12 漱石が影響を受けた(?)プラグマティズム ①古き良きアメリカの薫り『プラグマティズム』、漱石のおらが村

Notes:夏目漱石・インデックス

漱石研究のために、プラグマティズムにかんする本を2冊借り、代表作『プラグマティズム』は岩波文庫で出ていたので購入した。

プラグマティズム古典集成――パース、ジェイムズ、デューイ
出版社: 作品社 (2014/9/30)

明治プラグマティズムとジョン=デューイ (史学叢書〈3〉)
山田英世 (著) 
出版社: 教育出版センター (1983/06)

プラグマティズム 
W. ジェイムズ (著), 桝田啓三郎 (翻訳)
出版社: 岩波書店; 改版 (1957/5/25)

哲学というものは、それを唱えた人の数だけあると思える。哲学は、哲学の本ををあまり読まない人によって一般に勘違いされているほど、理路整然としたものではなく、本来は単純に区別し、分類できるものではない。

哲学者とその哲学理論は、作曲家とその曲と同じで、ある哲学者の作品を読んだ別の人物がその影響を受けて、新しい作品を書いたりする。よく読めば違うが、似た感じのする哲学理論は同じグループの一員と見なされることがある。

ウイリアム・ジェームズは哲学者・心理学者であったが、代表作『プラグマティズム』を読む限り(まだ読んでいる途中のメモだが)、彼は哲学者というよりは、よりよき哲学書の読み方・影響の受け方を模索し、提唱した哲学評論家であったのではないだろうか。

プラグマティズムとは「ギリシア語のプラグマから来ていて、行動を意味し、英語の『実際(プラクティス)』および『実際的(プラクティカル)』という語と派生を同じくする」(p.52)という

プラグマティズムという語を哲学に導入したのはチャールズ・サンダース・パースで、その影響を受けたのがジェームズ、デューイといわれている。

ただ、パースはプラグマティズムを科学的論理学の一方法として提唱したのであって、「専門学者たちの主張するように、ジェイムズのプラグマティズムは彼がパースの哲学を誤解したところに成り立っており、それゆえに論理実証主義の方向に発展しているこんにちのプラグマティズムとはほとんど関係がないと認められるにしても、それにもかかわらず、プラグマティズムとして知られる哲学上の運動は、疑いもなくジェイムズのこの講演によって強力に押し出されたのであって、アメリカの哲学は、このジェイムズから、ヨーロッパの哲学とは独立な歩みをはじめたと言えるのである」(解説p.319)

ウィリアム・ジェームズはアメリカ哲学の創始者とされているという。恥ずかしながら、わたしはウィリアム・ジェームズがそうした位置づけにあるとは知らなかった。

なるほど、ウィリアム・ジェームズの講義録『プラグマティズム』には、古き良きアメリカのえもいわれぬ芳香がある。

哲学理論というには、最初のほうで出てくる哲学者を二タイプに分類し、一方を「軟らかい心の人――合理論的(「原理」に拠るもの)、主知主義的、観念論的、楽観的、宗教的、自由意志論的、一元論的、独断的」、他方を「硬い心の人――経験論的(「事実」に拠るもの、感覚論的、唯物論的、悲観論的、非宗教的、宿命論的、多元論的、懐疑的)という風に対照させた、そのやりかたからしていささか乱暴で、アメリカ的アバウトさを感じさせるし、また『プラグマティズム』を読むときに強い印象として湧き上がってくる真剣そのもの、純な感じもまたアメリカ的だ。

『プラグマティズム』が、1906年ボストンのロウエル学会、1907年ニューヨークのコロンビア大学で講述されたものであることに、ちょっと注目しておきたい。

弟のヘンリー・ジェームズは「ボストンの人々」(『世界の文学 26 ヘンリー・ジェイムズ』谷口睦男訳、中央公論社、昭和41年)で、ボストンの凋落を描いた。#10で、それについて触れた。

黄金時代のボストン市がどんなところだったかを、解説から引用してみよう。

十九世紀中葉には、エマソン等の文人や理想主義的社会運動家も加わって黄金時代を現出することになった。そして、ボストン市は「アメリカのアテネ」と呼ばれ、ボストンといえば、アメリカ的な知性、教養、上品さ、批判精神などをただちに連想させ、ほとんど他の地域の住人を畏怖させるほどだった。(解説p524.)

ジェームズ兄弟は、こうしたアメリカ的知性、教養、上品さ、批判精神を感じさせる。

神智学協会を創設したH・P・ブラヴァツキー(1831 - 1891)を支え、神智学運動の拡大に貢献した人々の中に、こうしたアメリカのアテネ的知性を湛えた人々が多数存在したことは間違いない。

ブラヴァツキーの相棒で、第一代神智学協会会長になったH・S・オルコット(1832 - 1901)は弁護士、新聞記者をしていた1873年、ブラヴァツキーと出会った。ブラヴァツキーがニューヨーク新聞のオルコットの記事を読んだことが、出会いのきっかけとなった。

『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成8年3版)の巻末に付録されていた『議事録』がKindle版で出ている。

シークレット・ドクトリンの議事録 [Kindle版] 
H・P・ブラヴァツキー(著)
出版社: 宇宙パブリッシング; 1版 (2013/9/29)

シークレット・ドクトリンの議事録

ロンドンのブラヴァツキー・ロッジで、ブラヴァツキーを中心として、『シークレット・ドクトリン』一巻の『ジヤーンの書』のスタンザと註釈について、毎週、質疑応答がなされた。その議事録だが、これを読むと、当時の西洋の知識人のレベルの高さには呆れるばかりだ。

漱石はウィリアム・ジェームズの影響を受けたといわれるが、二者は雰囲気が違いすぎるし、漱石はジェームズの方法論の影響を受けるには哲学、宗教にかんする知識や体験があまりに乏しいように思われる。まだ『プラグマティズム』を読んでいる段階なので、何ともいえないが。

弟ヘンリー・ジェイムズの以下の本も図書館から借りた。

ヘンリー・ジェイムズ自伝―ある少年の思い出
ヘンリー・ジェイムズ (著),舟阪洋子(翻訳),市川美香子(翻訳),水野尚之(翻訳)
出版社: 臨川書店 (1994/07)

ヘンリー・ジェイムズ作品集〈8〉評論・随筆
出版社: 国書刊行会 (1984/01)

分厚い『ヘンリー・ジェイムズ作品集〈8〉評論・随筆』の中の「バルザックの教訓」をまず読んだところだ。わたしがバルザックについて日ごろ思っていることが高尚に、的確に書かれていて、感激のひとこと。

ジョルジュ・サンド、ジェーン・オースティン、ブロンテ姉妹、シェイクスピア、スコット、サッカレー、ディケンズ、ジョージ・メレディス、エミール・ゾラなどにも、対照するために軽く触れられており、結構辛口だったりもするが、人を馬鹿にしたような漱石の口吻とは似たところがない。

漱石の悪口からは、悪口をいわれた作家がどんな作品をどのように書いたのか、さっぱりわからないが、ヘンリー・ジェームズの文章からは作家や作品の特徴がよく伝わってくる。漱石が貶したギ・ド・モーパッサン、エミール・ゾラについては独立した評論が収録されているので、読むのが楽しみだ。

無頼派をはじめとする大正から昭和にかけて活躍した主立った作家たちが、漱石を師とするより、バルザックを師としたのは正解であった。漱石は日本をおらが村に変えてしまう。

以下は、「バルザックの教訓」から。

とにかくわたしは皆さまの文学への関心が充分に強いものと考えて、一時間ばかりわたしたち全員の巨匠バルザックの足下にわたしと共に集まるようお願いした次第です。わたしたちの多くの者は道に迷うかも知れませんが、彼は不動です。その重量感によって安定しているからです。そう聞いて、したり顔などなさらないで下さい。わたしから聞かなくとも、彼が重いことは知っていたのだから、わたしの話の中味がそういうことのみなら、今日の講演は聞く必要がなかったなどとおっしゃらないで下さい。確かに彼は動かすには重すぎる存在です。わたしたちの中の多数の者は先程言いましたように、さまよい散らばります――何しろ軽量なのですから、バルザックのようにぐるぐる廻れないというようなことはないのです。しかし、ぐるぐる廻っても移動しないという場合も、妙な話ですけれど、あるのでして、わたしどもも移動しているのかどうか不確かです。とにかくわたしどもはどう動いても彼から離れられません。彼が前方にいないという困った場合でも、背後にはいるのです。わたしたちが田舎のどこかのよく知らぬ道を進んで行くとした場合、道に迷わぬようにするのには木立や林を通して彼の姿を見失わぬようにするのが一番よい方法だと思います。わたしたちが動いているとすれば、それは彼を中心として移動するのです。すべての道は結局彼のもとに戻って来ます。わたしたちの動きとは無関係な地点で彼はどっしりと腰を下ろしていて、道しるべとなってくれます。ですから彼を「重い」と言えるとしても、それは財産の重みが加わっているからなのです。 (p.384)

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2015年3月 7日 (土)

カテゴリー「Notes:夏目漱石」にこれまでに収録した記事の紹介、及び閲覧にかんするお願い

祐徳院(花山院萬子媛)をモデルとした歴史小説を書くために、下調べをしていました。

江戸時代初期に生を受けた萬子媛が次男の死をきっかけとして出家し、やがて死期を悟って断食入定を遂げた――そして、これは神秘主義者にしかわからないことではありましょうが、今尚彼の世でこの世のためにボランティアを続けておいでになる――そんな筋金入りの生き方を生んだ当時の社会状況、思想などを考え、さらに、そんな生き方を生まなくなった原因を探しているうちに、明治の廃仏毀釈という大事件に行き着きました。

この事件は今だに半ば封印されているような感じがあります。それで日本の宗教はだめになってしまったのだとも思えましたが、そうではない生き方をした人物をわたしは確実に一人は知っていました。

竜王会という総合ヨガ、神智学の会を創設した三浦関造氏です。この方も萬子媛と同じように、死後に彼の世でボランティアをなさっており、わたしは幼いころからこの方を含む一団の方々に見守られて大きくなりました。

今の日本で、このようなことを書くことが如何に風変わりなことであるかの自覚はありますが、実生活ではごく普通の暮らし方をしてきました。あえて書かなければ、伝えられないため、書いています。

過去記事でも書いてきたように、わたしは前世は修行者だったというおぼろな記憶――もちろん脳は一回性のものなので、これは霊的な記憶です――と、彼の世の大気や光の忘れがたい記憶を持って生まれました。見守っていただいているのは、前世の縁ではないかと思います。

見守ってくれている方々の正体がずっとわかりませんでしたが、大学時代に、多くの書物に触れる中で川が海に注ぐような自然さで神秘主義へと、そして、そのエッセンスともいえる神智学に惹かれていきました。

また、日本でその分野の翻訳・出版事業を行っている竜王会という神秘主義の会を知りました。現在は竜王会と神智学協会ニッポン・ロッジに分かれていますが、元は一つのものでした。

入会を迷っていた夜、うとうとしかけたわたしの眼前高く拓けたエメラルドグリーンの円い光の中に、わたしを見守ってくれている方々がいて、その中央で、写真で見ただけの三浦関造氏が「ようやく辿り着いたね」と笑っておいでになりました。

筋金入りの三浦氏のような人物は、明治の廃仏毀釈後にも存在していたのです。こうした人々の影響力が低下したのはなぜか、また三浦氏が神智学を経由して東洋の思想に触れた理由など、明らかになっていくなかで、それと対照的な生き方をした夏目漱石が思いがけない関連性をもって浮かび上がってまいりました。

廃仏毀釈前の日本の思想の動きを萬子媛を含む周辺を描くことで、また夏目漱石の生き方を追究することで、廃仏毀釈後の日本の思想や文学の動向を探るという構想が生まれました。

評論を完成させ、電子書籍にするまでには何年かかかるでしょう。その間、現在の健康を保って書き続けられるという保証はありませんので、見苦しいところはありますが、ノート、メモを公開していくことにしました。

信念をもって書いたものが読まれないまま埋もれることほど、物書きにとって怖ろしいことはないからです。ネット社会が到来したありがたさを思えば、我々報われない物書きは感謝の気持ちでいっぱいにならざるをえません。

夏目漱石にかんしては、一旦削除したカテゴリーを復活させました。

いずれ評論に使うつもりなので、当カテゴリーに属する記事の無断引用、リンクを禁じます(感想文や研究の参考になさる場合はご一報の上、直塚万季のエッセーからの引用であることを明記してください)。
 漱石研究はこれからなので、今後考えが変わり、記事を訂正、削除、非公開にする可能性があります。

以下は、これまでにこのカテゴリーに収録した10本の記事です。新しい記事が上です。

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2015年3月 6日 (金)

#11 疑似祖母との恋愛物語(ぬるま湯物語) - 漱石の「坊ちゃん」

Notes:夏目漱石・インデックス

飛ばし読みしながらも、初めて夏目漱石の「坊ちゃん」を最後まで読んだ。

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この作品は純文学小説ではないが、だからといって大衆小説ともいえず、出来の悪い大衆小説的な作品というほかはない。

平板な表現の毒舌がだらだらと続く文章には耐えられず、飛ばしながらでなくては読めなかった。

その文章自体に、問題があるのではないだろうか。言葉の結びつけ方がおかしいのである(ノートですらないメモだから、ここでは省略するが、評論を書くときに例を出して指摘する)。

坊ちゃんはしきりにレッテル貼りを行う。純文学であれば、逆に、世間で貼られたレッテルをまず剥がす作業を行う。

大衆小説であれば、勧善懲悪の爽快感が得られるのだろうが、そういうストーリー展開でもない。

マドンナの心情に重きを置けば、華のある大衆小説ともなるのだろうが、そうした場面もない。

家柄のよい出でありながら、社会的激変のために女中となった清と坊っちゃんのラブロマンスだろうか?

坊っちゃんが殿で、清に祖母・恋人・召使いの役割を担わせた、夢物語というべきか。

借家とはいえ、坊ちゃんと一緒に暮らすという清の夢を実現させ、離ればなれになっても思いを通わせ続けた男女が、晴れて一軒の家に収まるという、庶民の好みそうなつつましい夢物語となっている。

マドンナがまともな形では出て来ないのも、そのためである。清が紅一点でなければならないから。そのことからも、「坊っちゃん」が変則的恋愛小説であることは間違いない。

若い男と老女が一軒の家に仲むつまじく暮らすエンディング、女のわたしには相当に気持ちの悪い恋愛小説である。

坊っちゃんは、いわゆるおばあちゃんに溺愛されたおばあちゃん子であるのだろうが、清が祖母でないというところが味噌なのであろう。清は疑似祖母であるが、まぎれもなく女なのだ。

坊ちゃんと性関係があってもなくても、ああ気味が悪い。疑似祖母との恋愛物語なんて。

わたしは、年齢差のある恋愛関係が気持ちが悪いといっているわけではない。男の側に都合のよすぎる漱石の女性観が、気持ちが悪いといっているのである。

この女性観、既視感がある。村上春樹の女性観だ。以下の作品(Kindle版)で、わたしはそれを指摘している。

「村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)」 (ASIN:B00BV46D64)

マドンナ(若い女性)に欲情することもなく、清への初恋を貫いたままの幼児心理で成人後も生きる坊っちゃん。したい放題して、事が暴力沙汰に及んでも逮捕されることもなく、学校をやめても、すぐに他の仕事が転がり込む。常に保護される坊っちゃん。

清にも天にも愛でられる坊っちゃん。このことからも、純文学小説には欠かせない、主人公と作者との間に存在すべき距離感のないことがわかる。

そして、老女が亡くなったあとのことは書かない漱石。

ぬるま湯に浸かり続ける坊っちゃんを、作者が限りなく肯定するお話なのである。

まともに読んで、まともな感想が書けますか、こんな小説で。シェークスピア、デフォー、モーパッサン、ゾラ、イプセン、芭蕉、李白まで貶す漱石が書いた小説がこれって……。

かような内容の「坊っちゃん」を読書感想文に推薦……ほほほ……ホント、どうかしてますねえ、この国。書けないでしょう、まともな感想文なんか。

デフォーは読んだことがないけれど、それ以外のどなたを読書感想文に選んでも、それなりに書き応えがあるはずだ。読書感想文には、漱石が貶す作家をオススメする。

この男が真面目づらして「門」なんか書くと、なおのこと罪深い。門なんてタイトル、こけおどしもよいところだ。

お稽古事に1、2度行ってやめる子供がいるけれど、主人公の参禅がそのレベルにすぎないことを思えば。

まだ漱石にかんする研究は序の口だが、早くも飽きてきた。この男が文豪と祭り上げられてさえいなければ、とっくに夏目漱石から離れているだろう。

夏目漱石は本当はあばた面だが、日本では文豪のシンボルとなっているあの有名な写真には、それを消す修正が施されているそうだ。それは漱石の罪ではないだろうが、加工されたあの写真が漱石のイメージアップに利用されてきたことは間違いない。

隠れマザコン(ババコン)で、幼児心理のまま成熟することを拒否、無教養であることを自慢すらし(この世で教養のある人間は漱石先生だけでなければならない)、他人にレッテル貼りをして馬鹿にして、暴力沙汰を好む――そんな生き方を天は愛でると漱石の文学は教えている……(絶句)。

ちょっと、漱石から離れよう。そのつもりなのに、気になってなかなかそうできない。

テレビの国会中継をつけたまま、KindlePaperwhiteで「坊っちゃん」を読んでいるうちに、爆睡。とにかく、漱石を読んでいると眠くなる。

すると、夢を見た。学校に(高校?)、安倍首相が視察にくる。ぞろっと一団になってこちらに来る安倍首相は、わたしたち生徒のほうを見て、「いつからこの国ではいじめが流行るようになったのか、誰かわかる人がいたら教えてください」と声をかける。

わたしはいじめをテーマとした小説を書いたことがあると思い、その小説の載った雑誌を手に、安倍首相を追いかける。

最上階が首相官邸ということになっていて、最上階へと続く階段の踊り場に首相がひとり。わたしが近づくと、ペロペロキャンディーを差し出される。「お一つどうぞ」

この踊り場でペロペロキャンディーをなめる時間だけが、首相の唯一の自由時間らしかった。

わたしは自作の宣伝ととられると困るなと思いながら雑誌を渡して、この小説を書いた時期からいじめが流行り出しました、いじめをテーマとした小説を書かざるをえない社会状況でした、と説明する。

ほお、という表情の首相。

「子供たちにはよい本を読ませなければいけません。でなければ、この国は崩壊してしまいます。よい本がどんな本かの選択が難しいところですが……」と、力説しているところで、目が覚めた。まだ国会中継中で、共産党議員の質疑中だった。

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2015年3月 5日 (木)

#10 漱石の講演録「文芸の哲学的基礎」を読了し、ショックから抜け出せなかった昨日

Notes:夏目漱石・インデックス

#9で、漱石の講演録「文芸の哲学的基礎」を読みかけていると書いた。

それを何とか読了したものの、昨日一日受けたショックから抜け出せなかった。

お札にまでなった夏目漱石。何て、滅茶苦茶な文学論を展開するのかと呆れ、漱石が国民作家と崇められ続けてきた現実と、そのことでどれだけ日本人の読書環境、情操が損なわれ続けてきたかを思うと……(絶句)。

これほど神格化されることなく、一作家として、実力に応じた遇され方をしたのであれば、それほどの問題はなかったのかもしれない。が、漱石を神格化した勢力が日本には明らかに存在していて(その勢力は、村上春樹を第二の漱石にしようとしたと思われる)、彼らの目的が何なのかをわたしは疑う。

わたしは以下の電子書籍で村上春樹にかんする評論を書いたが、食わず嫌いせず、もっと早い時期に、漱石をちゃんと読むべきだった。まあ無力なわたしがそうしたからといって、それでどうなるというわけでもないのだが。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

ハーヴァード大学のカレン・L・キング教授がイエスにかんする重大な発表を行っても、バチカンが公式にひとこと否定して、それで終わりなのだから、わたしなんかがここや電子書籍で声を限りに叫んでも、南海の孤島からボトルメールを日本に向けて流すのに等しい。

ウィキペディアによると、幸い、漱石は欧米での知名度はあまり高くないという。そりゃそうだろう! 村上春樹を高く評価したジェイ・ルービンが漱石を積極的にプッシュしているようで、苦笑してしまった。

漱石の小品にはすばらしいものがあるから、作品のどこかで引っかかったりしながらも、その引っかかりが問題意識にまで発展するに至らず、追究しようとはしなかった(小品を読む程度で、興味がなかった)。だから、今日になるまで漱石の文学の全貌がわからなかったのだった。最近になって、ようやく読み始めてからは驚きの連続……

「文芸の哲学的基礎」を研究した学者も少なくないだろうに、なぜ、漱石の文学が問題視されないのか、不思議である。問題視した学者、評論家は潰されたのだろうか。

勿論、「文芸の哲学的基礎」がどんな思想家の影響を受けているのか、きちんと調べられているのはさすがに学者の仕事だとありがたい思いでいっぱいになる。

しかし、漱石が影響を受けたとされるウィリアム・ジェイムズにしても、漱石がウィリアム・ジェイムズに本当の意味で影響されたのか、そうではなく、漱石が自分の勝手な都合で断片を拝借し、結果的にウィリアム・ジェイムズの仕事を貶める結果になったのか、そこのところは究明されなくてはならないはずである。それでなくては、研究とはいえない。

当記事のトップに挙げた拙過去記事で、わたしは漱石の因果の法則にかんする解釈に疑問を呈し、「漱石は、キリスト教史観(直線史観)と東洋哲学でいう因果の法則をごちゃ混ぜにして論じているのではないだろうか。ずいぶん滅茶苦茶な内容に思えてしまう」と書いたが、ウィリアム・ジェイムズに因果の法則にかんするものがあるのだろうか。漱石のいう因果の法則とは、東洋哲学でいう因果の法則ではなく、ウィリアム・ジェイムズのいうそれなのだろうか。

西洋哲学由来の因果の法則であるならば、そう説明すべきであろうが、いずれにしてもわたしには漱石のいう因果の法則は東洋哲学でいうそれとしか思えない。

わたしは、まだプラグマティズムの哲学者ウィリアム・ジェイムズを読んではいない。

だが、弟のヘンリー・ジェイムズの小説は――まだ読み残しのほうが多いにせよ――愛読している。この二人はよく比較され、両者共に比較に耐える人物であることを思えば、ウィリアム・ジェイムズの哲学も弟の小説と同レベルの高さを持っていると想像するのが自然ではないだろうか。

その想像からすると、漱石の「文芸の哲学的基礎」はあまりといえばあまりの「猫踏んじゃった」ではあるまいか。だから、漱石がウィリアム・ジェイムズの影響を受けたということに、ウィリアム・ジェイムズを読む前から疑問を抱かずにいられない。

「ねじの回転」はよく知られているヘンリー・ジェイムズの小説で、幽霊小説としても、心理小説としても読める名作である。わたしは何度読み返しても、物書きとしての羨望のため息が出る。過去記事で、「ねじの回転」に触れている。

  • 2010年8月 6日 (金)
    真夏の夜にジュニア向きホラーは如何?
    https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/08/post-1bd7.html

     わたしがこれまでの人生で一番ぞっとさせられた文学作品は、ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』です。次が泉鏡花の『草迷宮』。
     どちらもこの世の深淵を垣間見せてぞっとさせながら、襞に秘められた魅力……とでもいうべきものを教えてくれました。

もう一編、過去記事でヘンリー・ジェイムズの「ボストンの人々」に触れている。長いので、ライン以下に関係のない部分を除き、折り畳んでおく。

わたしはその記事の中で、「ヘンリー・ジェイムズはボストンのいわば凋落の秋を『ボストンの人々』という作品で描いた。そこは俗物時代が到来し、拝金主義が蔓延る世界だった」と書いたが、そういえば、漱石も頻りにお金のことを恨みがましく書いた男であった。

ヘンリー・ジェイムズのお金と人物の描き方は、漱石とは著しく異なる。漱石が貶すモーパッサンにしても、ゾラにしても、その描き方はそれぞれに個性的だが、それを描くときの作家の透徹したなまざしを感じさせるという点では、モーパッサン、ゾラ、ヘンリー・ジェイムズには共通したものがある。

漱石の小説とは明らかに違う。モーパッサン、ゾラ、ヘンリー・ジェイムズは社会的視点を感じさせる。お金と人間の関わり方を見通しの利く世界の中で見事に描いてみせたが、漱石の場合は「私」の域を出ていないように思える。

社会的視点が感じられないため、作者の愚痴、よくても世間話のようにしか感じられないのである。むしろ、だから人気があるのかもしれないが、文学作品として評価しようとする場合、貧弱に感じられるのは否めない。

例えば、主人公が騙される話なら、モーパッサン、ゾラ、ヘンリー・ジェイムズの小説では、騙される主人公、騙す人間の人物像だけでなく、そのときの社会状況や経済の動き、人間関係がどのようなものであるかが鮮明に浮かび上がってくる。

漱石の場合は、騙された側の苦境や心理状態はよく描かれているが、そのときの社会状況や経済の動きまではわからない。

明治の初期には、江戸時代の経済の仕組みが崩壊して混乱があったようだし、明治時代を通して激動の時代だったわけだから、そうした時代背景をもっと感じさせていいはずだが、あまりそうした情報を得ることはできない。

林芙美子の小説では、さすがにその辺りはよく描かれている。ちなみに、バルザックの小説は経済学者が引用するほど、経済情報が書き込まれているそうだ。ゾラの金融小説は圧巻である。

また、「文芸の哲学的基礎」では、文芸家の理想として美、真、愛及び道義、荘厳とあるが、具体例があまりに低俗なものばかりなので、どれも同じに思えてしまう。

当記事で挙げた欧米の作家たちの小説には、美、真、愛、荘厳が気高い輝きを放って(漱石のいうそれらとは意味合いもムードも違うものだが、それらの言葉を連想させるだけのものがある)、美も真も愛も荘厳も分かちがたく存在しており、そうした小説を愛読してきたわたしには、漱石の分類の意味がさっぱり呑み込めない。

その分類も、どこからか借りてきて、勝手な使い方をしているのではあるまいか。そう疑いたくなるほどの奇妙さだ。

シェークスピアからは妙な圧迫を受けるだけで不愉快(技巧のあるところはよいそうだ。その点デフォーは駄目だそうで)、イプセンは不愉快な女を書いた、軽薄な落ちを作るモーパッサンも不愉快だそうだ。

ゾラに至っては「ゾラ君は何を考えてこの著作を公けにされたものか存じませんが……ゾラ君なども寄席へでも出られたら、定めし大入りを取られる事であろうと存じます」と偉そうに講演なさる漱石先生は、批判するゾラの著作のタイトルさえ解説なさらず、ゾラも余席も〈普通の人〉もまとめて馬鹿扱い。ゾラとモーパッサンは、ほとんど探偵と同様に下品でもあるとか。探偵をなさっている方にも失礼な物言いだ。

芭蕉の俳句は消極的、李白の詩は放縦……

ここまで読むと、わたしはもう恥ずかしい。これが日本の文豪だというのだから。頭がおかしいのではないかとすら、疑ってしまう。

以下の過去記事で、李白の「月下独酌」を山本和夫訳で紹介し、短い感想を書いている。

  • 2010年9月20日 (月)
    更新のお知らせ。山本和夫編『ジュニア版 世界の文学 35 世界名詩集』(岩崎書店、昭和44年)より。
    https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/09/post-baaf.html

    酒仙、李白の詩をジュニアのわたしは、ふん、と思っただけでしたが、今は惚れ惚れします。道士の修行をしただけあって、雄大ですわ。李白の詩からは、芳醇な老荘思想の香りがしますわね(わたしは結婚後はほとんどお酒を呑まなくなったせいか、酒呑みは嫌いです。李白みたいな酒呑みって、いませんもの)。

何だかわたしまで頭がおかしくなった気がするが、気をとり直して、まずは、ウィリアム・ジェイムズの著作を読むことから始めなくてはならない。

それには時間がかかるだろうし、今は他にしたいことがあるので、とりあえず、2本の記事(メモ)をまとめ、ノートとはいえもう少し整理して、「国民作家・夏目漱石の問題点と、神智学協会の会員だった鈴木大拙 ④漱石の異常な文学論 #1」を書いておこう。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

続きを読む "#10 漱石の講演録「文芸の哲学的基礎」を読了し、ショックから抜け出せなかった昨日"

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2015年3月 2日 (月)

#9 漱石の哲学風講演録を読みかけて、爆睡。

Notes:夏目漱石・インデックス

早いとこ、短編小説を書いて初の歴史小説に戻りたいところだが、夏目漱石の評論類を読んでしまいたいと思った。「文学論」「文明論」は手元にない。

講演録「文芸の哲学的基礎」「創作家の態度」は青空文庫版がKindlePaperwhiteに入っている。「創作家の態度」にはウィリアム・モリスが出てくるので、そちらから読みかけたのだが、途中で睡魔に襲われ、寝てしまった。

最近、心臓の調子が悪く、例によっておなかが膨れている(腫れている。せっかく痩せたのに)。そのせいもあるだろう。あとでちゃんと読もうと思い、「文芸の哲学的基礎」から読むことにした。

時間、空間、意識という、それぞれが哲学的一大テーマとなってきた各概念が、いともあっさり、勝手気ままに――と、わたしには思えた――定義され、そうした定義が錯綜する中でなぜか唐突に「因果の法則」がバッサリ否定し尽くされると、特にびっくりしてしまう。

というのも、読み始めてずっとびっくりしていたので。わたしが特にびっくりしたのは、以下に引用する部分。

 それから意識の連続のうちに、二つもしくは二つ以上、いつでも同じ順序につながって出て来るのがあります。甲の後には必ず乙が出る。いつでも出る。順序において毫も変る事がない。するとこの一種の関係に対して吾人は因果の名を与えるのみならず、この関係だけを切り離して因果の法則と云うものを捏造するのであります。捏造と云うと妙な言葉ですが、実際ありもせぬものをつくり出すのだから捏造に相違ない。意識現象に附着しない因果はからの因果であります。因果の法則などと云うものは全くからのもので、やはり便宜上の仮定に過ぎません。これを知らないで天地の大法に支配せられて……などと云ってすましているのは、自分で張子の虎を造ってその前で慄えているようなものであります。いわゆる因果法と云うものはただ今までがこうであったと云う事を一目に見せるための索引に過ぎんので、便利ではあるが、未来にこの法を超越した連続が出て来ないなどと思うのは愚の極であります。それだから、よく分った人は俗人の不思議に思うような事を毫も不思議と思わない。今まで知れた因果以外にいくらでも因果があり得るものだと承知しているからであります。ドンが鳴ると必ず昼飯だと思う連中とは少々違っています。

漱石は、キリスト教史観(直線史観)と東洋哲学でいう因果の法則をごちゃ混ぜにして論じているのではないだろうか。ずいぶん滅茶苦茶な内容に思えてしまう。

東洋哲学あるいは仏教でいう因果の法則というのは、過去記事で紹介した動画の中でお坊様がおっしゃっているようなことだと思う(再度動画をアップ)。

以下に、ウィキペディアから「因中有果(いんちゅううか)」について引用。

因果:Wikipedia

因中有果(いんちゅううか)
正統バラモン教の一派に、この世のすべての事象は、原因の中にすでに結果が包含されている、とするものがある。

仏教の世界観を表現したものは曼荼羅、円。神秘主義は螺旋史観。

因果の法則は、漱石のいうようなギャンブルめいた確率の問題とは無関係である。

わたしが漱石の講演に行けば、間違いなく爆睡する……まだ「文芸の哲学的基礎」を最後まで読めない。ノート④を書くはずだったが、時間がかかりそうだ。

ひとまず、書いてしまいたい短篇小説に行こう。そして、初の歴史小説に戻らなくては。漱石ノートは時間がとれたときということにしたい。評論に仕上げるには、相当な時間がかかりそう。

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2015年3月 1日 (日)

#8 漱石の問題点と、神智学協会の会員だった鈴木大拙 ③廃仏毀釈後の動き

Notes:夏目漱石・インデックス

図書館から鈴木大拙の『神秘主義 キリスト教と仏教』(岩波書店、2004年)『東洋の心』(春秋社、昭和9年新装版)、『鈴木大拙未公開書簡』(禅文化研究所、1987年)を借りた。

東洋の心

鈴木大拙未公開書簡

『神秘主義 キリスト教と仏教』の訳者後記(板東性純)にあるような以下のような文章を読むと、如何にも神智学協会の会員らしい著作という気がする。

 また、本書は単に大学の講壇における講義内容のみでなく、他大学やキリスト教会、仏教会、あるいは精神分析・宗教学・神学・哲学等の学者のセミナー等で語った内容でもあったようである。また本書は、アメリカの最大都市ニューヨークで、最晩年、十年近くの歳月を送った、大拙の心中に去来した思索内容を生々しく伝えている。その広がりはかなり多肢に亘っており、初期仏教の教義をはじめとして、華厳・般若・唯識等の主要な大乗仏教思想の他、わけても大拙が大乗仏教の帰結と見ていた禅・浄土思想に広く説き及んでいる。殊に、西欧においては、長い間異端視されてきたマイスター・エックハルト(一二六〇―一三二七)の神秘思想とその境涯を、禅語録に登場する数多の禅者の場合と直に対照せしめるなど、空前絶後の対比の試みを事もなげに遂行している。仏教・キリスト教、両教に通底した神秘主義の普遍的性格を、縦横無尽に論じていることは、書名が標榜している通り、本書の白眉と見ることができよう。〔pp.307-308〕

過去記事で見てきたように、廃仏毀釈で日本の宗教の主軸となってきた仏教が徹底的に破壊されてしまったため、仏教を本当に知ろうと思えば、仏教の根源、インドの原始仏教からさらにヒンドゥー教へと遡る必要があったのだろうが、インドは1858年から大英帝国の植民地となり、ようやく独立を果たしたのは1947年であった。

悲惨な状態に陥っていたインドの宗教に救いの手を差し伸べたのは、バラモン、仏教の哲学の重要性を認識していたブラヴァツキーの神智学協会だった。

このブラヴァツキーの神智学協会は第一の目的として「人種、肌の色、宗教の差別をせず、人類の普遍的同胞団の核を作ること」(H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』神智学協会ニッポンロッジ、平成7年改版、p.48)と挙げているような傾向を帯びていた。

神智学協会においては、政治活動は完全に協会外のこととして関知しない方針だが、協会からは、インドの独立運動に飛び込み、ガンジーに影響を与え、インド国民会議の議長に選ばれたアニー・ベザントのような人物が出ている。

鈴木大拙(1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)や三浦関造(1883年7月15日(明治16年) - 1960年3月30日(昭和35年))が神智学協会の会員であったのは、偶然ではない。

当時は仏教を深く知ろうとすれば、神智学協会というルートをとって、そこへ辿り着く以外に安全、確実な方法がなかったのではないかと思われる。

同様に、ブラヴァツキー著作の邦訳『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』にインド哲学、仏教研究の世界的権威であった中村元の推薦の言葉があるのも、偶然ではない。以下はウィキペディアより抜粋。

中村元(哲学者):Wikipedia

中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、インド哲学者、仏教学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。在家出身。
主たる専門領域であるインド哲学・仏教思想にとどまらず、西洋哲学にも幅広い知識をもち思想における東洋と西洋の超克(あるいは融合)を目指していた。外国語訳された著書も多数ある。

明治の廃仏毀釈後に日本で起きたのは上述したような動きと、ウィリアム・モリスの著作やジェームズ・マードックとの接触を通して共産主義思想の影響を受けた夏目漱石に見られるような、共産主義思想、無神論、唯物主義への動きであったろう。

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