#15 漱石が影響を受けた(?)プラグマティズム ④心霊現象研究協会(SPR)と神智学協会
アメリカ哲学の創始者といわれ、その影響は哲学、心理学、生理学、文学など多岐に及ぶとされるウィリアム・ジェームズ。
こうした評判の高い人物とブラヴァツキーを苦しめた心霊現象研究協会(SPR)とがわたしの中で結びつかず、歴史小説執筆のために漱石研究を棚上げしようとしたまさにそのとき、気づいた。
そして、夏目漱石の研究からウイリアム・ジェームズの哲学プラグマティズム、さらにSPRに辿り着いたことで、SPRが異様なまでに権威を帯びた団体であったことを知った。
心霊現象研究会:Wikipedia
心霊現象研究協会(しんれいげんしょうけんきゅうきょうかい、英: The Society for Psychical Research)は、1882年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの(フレデリック・マイヤーズを含む)心霊主義に関心のあった3人の学寮長によって設立された非営利団体である。この組織は頭文字をとって SPR と略称される。
「心霊研究協会」と訳されることも少なくないが、本来科学的研究を意味する Psychical Research(心霊現象研究)と、元はその訳語でありながら日本独自に心霊主義的に発展した「心霊研究」とは異なる。概要
初代会長は哲学・倫理学者でもあったヘンリー・シジウィック教授である。一般に、これをもって超心理学元年と目されている。
協会の目的は、心霊現象や超常現象の真相を究明するための科学的研究を促進することであった。当初、研究は6つの領野に向けられていた。すなわち、テレパシー、催眠術とそれに類似の現象、霊媒、幽霊、降霊術に関係した心霊現象、そしてこれら全ての現象の歴史である。
1885年にはアメリカ合衆国でもウィリアム・ジェームズらによって米国心霊現象研究協会(英語版) (ASPR) が設立されて、1890年には元祖 SPR の支部になった。有名な支持者には、アルフレッド・テニスン、マーク・トウェイン、ルイス・キャロル、カール・ユング、J・B・ライン、アーサー・コナン・ドイル、アルフレッド・ラッセル・ウォレスなどである。
協会は、1884年のブラヴァツキー夫人と神智学協会のトリック暴き(後にこれは協会手続上の瑕疵により、協会としての行動ではなかったと表明)で名をあげ、設立後30年間とりわけ活動的だったが、霊媒のトリックを次々に暴いたりしたため、アーサー・コナン・ドイルなど心霊派の人々が大挙して脱退したこともあった。主な歴代会長のリスト
1882-1884 ヘンリー・シジウィック、哲学者
1892-1894 A・J・バルフォア、イギリスの首相、バルフォア宣言で有名
1894-1895 ウィリアム・ジェイムズ、心理学者、哲学者
1896-1897 ウィリアム・クルックス卿、物理学者、化学者
1900 F・W・H・マイヤース、古典学者、哲学者
1901-1903 オリバー・ロッジ卿、物理学者
1904 ウィリアム・フレッチャー・バレット、物理学者
1905 シャルル・リシェ、ノーベル賞受賞生理学者
1906-1907 ジェラルド・バルフォア、政治家
1908-1909 エレノア・シジウィック、超心理学者
1913 アンリ・ベルクソン、哲学者、1927年にノーベル文学賞受賞
1915-1916 ギルバート・マリー、古典文学者
1919 レイリー公、物理学者、1904年にノーベル賞受賞
1923 カミーユ・フラマリオン、天文学者
1926-1927 ハンス・ドリーシュ、ドイツの生物学者、哲学者
1935-1936 C・D・ブロード、哲学者
1939-1941 H・H・プライス、哲学者
1965-1969 アリスター・ハーディ卿、動物学者
1980 J・B・ライン、超心理学者
1999-2004 バーナード・カー、ロンドン大学の数学、天文学の教授
歴代会長のリストを見ると、錚々たる顔ぶれだ。イギリスの首相に、ノーベル賞受賞者が3人もいる。こんな仰々しい連中をブラヴァツキーは相手にしていたわけである!
病身に鞭打って、寸暇を惜しみ執筆していた無抵抗なブラヴァツキーをSPRは猫が鼠を狙うように狙い、追い詰めた。さすがは植民地大帝国を築いだけのことはある、執拗さ、残酷さで。
ウィリアム・ジェームズはブラヴァツキーが1891年に亡くなったあとの1894年から1895年にかけて会長を務めている。
偏見抜きでW・ジェームズの代表作『プラグマティズム』を読むことができて、幸いだった。SPRとブラヴァツキーの間で起きたいざこざを、わたしは心情的にどうしてもブラヴァツキーの側から見てしまうからである。
そして、プラグマティズムに興味を持つこともないまま、ブラヴァツキーがどんな人々と、どんな風潮と闘っていたかを把握できず、またそうする必要性にも気づかなかっただろう。
欧米諸国や日本が経済的物質主義に染まってしまう前に、SPRとブラヴァツキーの一騎打ちがあった。それはブラヴァツキーからすれば、相手側の陣中に引き摺り込まれた不利、不当な戦いだった。
それは、SPRの一方的な勝利宣言に終わり、やがてSPRに象徴されるような唯物論の潮流は、一気に神秘主義の砦ともいえた――「霊的な意味での唯物論」*1を展開する――神智学協会を押し流した。
*1 『新時代の共同体 一九二六』(日本アグニ・ヨガ協会、平成5年)の用語解説「唯物論」(pp.275-276)を参照。
唯物論 近代の唯物論は精神的な現象を二次的なものと見なし肉体感覚の対象以外の存在をすべて否定する傾向があるが、それに対して古代思想につながる「霊的な意味での唯物論」(本書123)は、宇宙の根本物質には様々な等級があることを認め、肉体感覚で認識できない精妙な物質の法則と現象を研究する。近代の唯物論は、紛れもない物質現象を偏見のために否定するので、「幼稚な唯物論」(121)と呼ばれる。「物質」の項参照。(pp..275-276)
物質 質料、プラクリティ、宇宙の素材。「宇宙の母即ちあらゆる存在の大物質がなければ、生命もなく、霊の表現もあり得ない。霊と物質を正反対のものと見なすことにより、物質は劣等なものという狂信的な考え方が無知な者たちの意識に根づいてきた。だが本当は、霊と物質は一体である。物質のない霊は存在しないし、物質は霊の結晶化にしかすぎない。顕現宇宙は目に見えるものも、見えないものも、最高のものから最低のものまで、輝かしい物質の無限の面をわたしたちに示してくれる。物質がなければ、生命もない」(『手紙Ⅰ』373頁)(p.275)
尤も、SPR事件を境として神智学協会が衰退したわけではなかった。実際には、ブラヴァツキーの死後も1920年代までは、神智学協会の強い影響力は洋の東西を問わず及んだ*2。
*2 以下のオンライン論文を参照。
2010 杉本良男「比較による真理の追求―マックス・ミュラーとマダム・ブラヴァツキー」出口顯・三尾稔(編)『人類学的比較再考』(国立民族学博物館調査報告90): 173-226
URL:http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/4459/1/SER90_009.pdf(最終確認日:2015年4月12日)
神智学協会第2代会長アニー・ベザントの死後、協会から活気が失せたのには協会内部の問題もあったのだろうが、第二次世界大戦やマルクシズムの影響など、外部的な要因も無視できないのではないだろうか。
前掲の杉本論文(2010)に、参考資料として「神智協会の目的 Objects の変遷[Ransom 1938: 545‒553]」が挙げられ、三つの目的のうち、2番目の英文の邦語訳について注意が促されている。
2 .比較科学[ママ],比較哲学,比較科学の研究を促進すること。(比較宗教,哲学,科学の研究を促進すること)。
To encourage the study of comparative religion, philosophy and science.邦語訳については現行の「神智学協会ニッポン・ロッジ」の邦語訳をかかげるが,訳自体2種類あるので,タイトル・ページにかかげられている訳を初めにあげ,括弧内に入会案内のページでの訳をかかげておいた。個人的には後者の方がこなれた訳のように思う。それはともかく,第2項の「比較omparative」が,この訳のように哲学,科学までかかるのか,宗教だけにかかるのかについては大きな問題をはらんでいる。科学史的には,1896年時点で比較哲学,比較科学という概念はありえないようであるが,協会自体も明確ではないようである。(……)[杉本 2010]
翻訳技術上の問題もあるだろうが、まずは内容から「比較omparative」が哲学、科学までかかるのか、宗教だけにかかるのか、ブラヴァツキーの主要著作『The Secret Doctrine シークレット・ドクトリン』『Isis Unveiled ベールをとったイシス』ぐらいはざっとでも読んで、判断してみようとするのが常識ではないのかと学術的慣わしに無知なわたしなどは思ってしまう。
英語が堪能で羨ましいが、その英語力を駆使しながら肝心のものを読まないという姿勢がよくわからない。
ブラヴァツキーの代表作を読まずしてブラヴァツキーを語ろうとする人々による、ブラヴァツキー批判の無責任な孫引きが執拗に繰り返されて、彼女の畢生の大作は泥だらけにされたのだ。
内容からすれば、比較宗教、比較哲学、比較科学でいいんじゃないかとわたしは思う。
オカルトブームやニューエイジムーブメントの先駆者としてブラヴァツキーの名が挙がることはよくあるが、そこには概ね、蔑視的、批判的な意味合いが籠められている。
そして、その根拠としてSPR事件がよく使われるのである。
具体的にどのようなことが起きたかというと、SPRは、神智学協会の結成とブラヴァツキーの執筆がアデプト*3、と呼ばれる――マハトマあるいはマスターと呼ばれることもある――方々の直接的な指導下で行われたという評判やブラヴァツキーが大衆向きに披露したサイキックな実験などについて調査し、否定的な報告書を作成して、それを公表したのだった。
*3 H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成7年改版)の用語解説(用語解説p.14)を参照。
アデプト(Adept:Adepts,羅) オカルティズムでいうアデプトは、イニシエーションの段階に達し、秘教哲学という科学に精通された方を指す。(用語解説p.14)
ブラヴァツキーを詐欺師に仕立てて、神智学協会の評判を失墜させたSPRは、1986年になって、その原因をつくったホジソン・リポートはSPRの正式な手続きに基づくものではないことを表明したそうだ(ヘレナ・P・ブラヴァツキー:Wikipedia)。
SPRによってブラヴァツキーの名誉回復が図られたともいえるが、あまりに遅すぎた。
『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)を再読し、神智学協会の創立者たちは純真で、お人好しすぎた、との印象が残った。一般に形成されてしまったイメージとは対照的である。
神智学協会にサイキック調査の希望を申し出たSPRに対するブラヴァツキーの協力者たちは、次に引用するような反応を示した。
一般にインド人達は、秘伝をうけた僅かな人達だけに、秘教的知識を限定した方がよいと思っていましたが、モヒニは創立者達が望んでいた通りにしようとしました。シネットは神智学というものは大衆のためのものではなく、知性的な人達の学ぶものと考えていましたので、サイキック研究会(S・P・R)の学者や科学者と協力するのを大変、幸福だと思いました。心の広いアメリカ人の大佐はいつも自分の発見したよいものを誰とでも頒ち合おうとしていました。事実、彼はその研究をすばらしい万全の機会だと思いました。S・P・Rは「学者の団体」という高い基準を維持することを目ざしていました。もしもこの団体が研究の末、神智学現象の真正さを公言できたなら――その筈だと大佐は考えていました――西洋の物質的思考形式に完全な革命をもたらすことでしょう。大佐は一生懸命、協力しました。(p.266)
SPRの申し出を拒絶するどころか、期待さえ寄せる協力者たちに対して、さすがにブラヴァツキーには懸念があった。
HPBの考えでは、大佐は熱心なあまり、研究員達の懐疑的な慎重な心に、自分の奇跡的な体験をあまりに押しつけすぎていました。彼女はこの研究全体に懸念をいだいていました。S・P・Rの高慢な英国の知識人達は現象の背後にある人間についての深いヴェーダの考え方については何も知りませんし、自分の徳性の全傾向を変える放棄のヨガや自己放棄については何も知りませんでした。彼等にとっては、推理的な心が最高の神でした。彼等の心は非常に訓練されていたかもしれませんが、制限されており彼等がつかもうとしている超メンタル界にはとても及ばぬものでした。――間違った角度から本質的な謙虚さもなくとらえようとしていたのです。(pp..266-267)
SPRを疑っているように見られたくなかったブラヴァツキーは拒絶できなかった。それが1883年のことだった。そして、1885年12月31日の大晦日に、最悪の打撃がブラヴァツキーにふりかかった。
伯爵夫人は次のように書いています。「一言の警告もなしに、サイキック調査に関する協会の報告の写しを、HPBは速達便で受け取りました。その日のことも、彼女が私を見た、生気のない石のような絶望のまなざしも、私は決して忘れることは出来ません。私が居間にはいると、彼女は手に開いた本を持っていました。『私はこの時代の最大の詐欺師で、おまけにロシアのスパイだと言われてしまいました。これでは誰が私の言うことを聞き、シークレット ドクトリンを読んでくれるでしょう?』と彼女は嘆きました」(p.312)
よりによって大晦日に、何て礼儀知らずな連中だろう! 一体、どんな権利があって、そんなことができたのかと呆れる。まるで、魔女裁判のようではないか。 自分たちは恵まれた環境で、ぬくぬくと新年を迎えたに違いないと想像する。
わたしはつい自分の身に置き換えて、頭がおかしくなった父夫婦の訴えにより、地裁から訴状が届いた日の衝撃を連想してしまった。
- 2009年1月22日 (木)
うーん、またやってくれました
https://elder.tea-nifty.com/blog/2009/01/post-af71.html
訴状には、認めるか争うしか選択肢がないとあった。答弁書を提出せず、かつ、定められた期日に法廷に出てこられないときは、訴状に記載されていることをこちらが認めたものとして、即日、原告の請求通りの判決がされることがあるとあった。さらに、地裁では、弁護士以外の者を代理人とすることはできないとあった。
訴状の内容に何の覚えもなかったわたしにとって、その訴状はまさに青天の霹靂であり、ひどいダメージを受けた。
弁護士をつける金銭的な余裕などなく、大学は法学部だったといっても、答弁書を作成しようにももう法律的なことなど何も覚えていず、そもそもそのような実際的なことは学んだ覚えがなかった。
再婚したときから少し異常を感じさせた奥さんの影響があったとはいえ、父があそこまでおかしくなったのには加齢もあるだろうが、何より長年の飲酒癖にあった気がしている。外国航路の船員だった父の飲酒は豪快そのもので、吸っていた煙草も缶ピースだった。
日中は常に完全にしらふだったから、アルコール中毒を疑ったことはなかったけれど、脳に悪影響がなかったはずはない。それより、わたしは父が霊媒体質になってしまっているのではないかと疑っており、その原因がわからなかったが、それも飲酒の影響である可能性が大きいように今は思う。
父夫婦を案じてはいても、わたしにはどうしてあげることもできない。時々入ってくる情報によると、相変わらずのようだが、この先どうなるのかと思えば、心配で胸が痛くなってくる。
ブラヴァツキーの協力者たちの多くは神秘主義的能力の持ち主で、彼ら特有の世界を形作っていたといえるのかもしれない。それが当たり前の人間にとっては、ブラヴァツキーがそうした能力を最高度に発揮するのを目撃したからといって、特殊なことだとは思わないだろう。
心が綺麗でないと神秘主義的な、高級な能力は目覚めないから、ある意味で彼らは赤ん坊のように騙されやすい一面を持っている。自分を騙そうとしている相手の奥底にも美を透かし見てしまうから、その美の印象深さのためについ信じたくなり、結果的に騙されてしまう。
全てにおいてスケールの大きなブラヴァツキーは、騙され方や傷つき方も、半端ではなかったのだ。
ブラヴァツキーの伝記を読むと、若いころからアデプトと接触がありながら、試行錯誤し、実験を試み、幾度も試練に遭い、そうした体験の中で彼女が訓練され、磨かれ、霊的に開花していったことがわかる。それこそ、ブラヴァツキーが霊媒でなかった証拠である。
もちろん、霊媒になってしまう危険性はあっただろう。それは霊的に目覚めている人間にも、そうでない人間にも、どんな人間にも起こりうることである。
自分たちは霊媒性質とは無関係だと思っている、霊媒の定義すらブラヴァツキーの本で学んでいない人々は、霊媒、霊媒とブラヴァツキーを馬鹿にしてうるさいが、わたしが見る限り、世間は霊媒だらけで、彼らの吐く息で大気汚染がひどく、とかくに人の世は住みにくい(いけない、これ漱石の小説に出てくる言葉だった)。
父のことで前述したように、アルコール好きは自分で霊媒体質を作り出しているといえる。アルコールは脳や肝臓に悪いだけではないのだ。まともな宗教の教えに、飲酒をすすめるものなどない。
ブラヴァツキーの卓抜な神秘主義的な能力は前世までに得られたものであったに違いないが、生まれ変わる度に、その能力は再獲得されなければならない。それは本当につらい体験を伴う。
わたしにもいくらかは前世までに獲得した神秘主義的能力があって、それを今生で目覚めさせるのはそれなりに大変だった。今も試行錯誤や実験の最中であり、これはとりあえず死ぬまで続くのだろう。こうした能力は、どんな人間にもいつかは目覚める能力であるはずだ。
自分より遙かに進んでいるように思えるブラヴァツキーがわたしには霊媒、詐欺師に見えるどころか、輝かしく見えることは当然である。素晴らしい大先輩だと思う。この道をもっと進めばあんな試練が待っているのかと思うと、戦慄を禁じ得ないが……
ブラヴァツキーとSPR との間に起きた詳細は『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)、『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成8年第3版)中、「『シークレット・ドクトリン』の沿革」に書かれている。
『シークレット・ドクトリン』の執筆中、ブラヴァツキーと共に住んだコンスタンス・ワクトマイスターによると、『シークレット・ドクトリン』執筆に際し、ブラヴァツキーはかなりな透視力を用いていたように見受けられたという。
神秘主義的能力の持ち主だったワクトマイスターは、アデプトが精妙体で出現するのを度々見、言葉を聴くこともあったという。
このように『シークレット・ドクトリン』が複数のアデプトとの共作だったからこそ、ブラヴァツキーははしがきで、「今、しようとしていることは、最古の教義を集めて、一つの調和のとれた全体としてまとめることである。筆者が先輩達よりも有利な唯一の点は、個人的な推論や学説をたてる必要がないということである。この著作は著者自身がもっと進んだ学徒に教えられたことの一部であって、筆者自身の研究と観察による追加はごく僅かだからである」(田中&クラーク訳、平成8)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』p138)と、率直に書いたのだ。
ウィリアム・ジェームズは超常現象にかんして、「それを信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるけれど、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。超常現象の解明というのは本質的にそういう限界を持っている」と発言し、コリン・ウィルソンはこれを「ウィリアム・ジェームズの法則」と名づけたそうだ(ウィリアム・ジェームズ:Wikipedia)。
このウィリアム・ジェームズの法則、わたしには意味がわからない。
信じるとか信じないといったことが、事の真偽に何の関係があるのだろう? W・ジェームズのこの言葉は、おそらく正しくは次のような意味である。「盲信したい人には盲信するに足る材料を与えてくれるけれど、(……)」
端から超常現象を馬鹿にしている言葉ではないか。この男はいつもこんな風だ。まず先入観ありきなのだ。神秘主義者のわたしは、この世界の物質レベルを超えた現象をこの世界の物質レベルの装置を使って証明したり、この世界の物質レベルの能力しか持たない人間にわからせることは不可能ではないかと思うだけだ。
そして、わからないことを端から色眼鏡で見たり、否定したりする態度が科学的だとはわたしには思えない。わかるときまで、仮説として、置いておけばいいことではないか。
ブラヴァツキーを誹謗中傷する人々はコリン・ウィルソンの著作の影響を受けたり、引用していることが多い。
わたしが怪訝に思うのは、ウィリアム・ジェームズのような哲学者を会員として持ちながら、なぜSPRはブラヴァツキーの著作について学術的な論文を書かなかったのかということである。
尤も、『ブラグマティズム』(桝田啓三郎訳、岩波書店[岩波文庫]、2010年改版)で「プラトン、ロック、スピノザ、ミル、ケアード、ヘーゲル――もっと身近な人々の名前をあげることは遠慮する――これらの名前は、わが聴講者諸君の多くには、それだけの数の奇妙なそれぞれのやりそこない方を憶[おも]い出させるに過ぎないと私は確信する。もしそういう宇宙の解釈がほんとうに真理であるとしたら、それこそ明らかな不条理であろう」(p.45-46)と、大哲学者たちをまず否定してかかることを何とも思わないW・ジェームズが、ちゃんと読む以前にブラヴァツキーの著作を否定したことは充分考えられる。
聴衆や読者に先入観を植え付けるような態度が哲学的な態度でないことは、いうまでもない。
また、神秘主義者によって拓かれた心理学の分野*4がウィリアム・ジェームズのような唯物主義的、実利的な人物の影響を受けたことと、現在の精神医療が薬物過剰となっていることとは当然、無関係とはいえまい。
*4 上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社、1998年)参照。
ところで、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年)に、次のように書かれている。
科学が原子は分割出来るということを確認した時より三年前に、ブラヴァツキー夫人はシークレット ドクトリンに次のように書きました。「原子は弾力があり、分割することが出来るものなので、分子即ち亜原子で構成されていなければならぬ……オカルティズムの全科学は物質の幻影的性質と原子の無限の分割性との理論の上に築かれている。この理論は、実質について無限の視界を開く。実質はあらゆる微妙さの状態にあり、その魂の真正な息によって生気を吹きこまれるものである。(p.405)
わたしは昔、物理学においてクォークを物質の最小単位とする説をわかりやすく紹介した本を読んだとき*5、神秘主義の理論に立てば、クォークが物質の最小単位だなんて、そんなはずはなく、それより小さな粒子が見つかるだろうと思った。
ブラヴァツキーの言葉は、神秘主義の理論を明快に要約したものだ。
*5 そのとき読んだ本は、南部陽一郎『クォーク―素粒子物理の最前線』(講談社、1981年)だったと思う。『クォーク―素粒子物理の最前線』の第2版に当たる『クォーク第2版: 素粒子物理はどこまで進んできたか』が1998年に上梓されている。
「『標準模型の"基本的な"粒子のいくつか、あるいはすべては、実はさらに分割できるのではないか』と考える理論もある」(基本粒子:Wikipedia)そうだが、『クォーク―素粒子物理の最前線』では、そのようなことも示唆されていたような気がする。
物理学には全く無知ながら、ブレーン宇宙論(ブレーンワールド:Wikipedia)にも興味がある。『シークレット・ドクトリン』の中の記述を連想させるからだが、そのうち息子にブレーン宇宙論について講義して貰おう。畑違いかもしれない。
これは有名な話だが、アインシュタインは『シークレット・ドクトリン』を愛読していたそうだ。
ところで、わたしは神智学の影響を受けた作家、詩人にかんする研究に着手したが、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』の再読で、ブラヴァツキーの時代に影響を受けた詩人にロバート・ブラウニング、作家にイェーツがいたことを再確認した。
前掲の杉本論文にも、1920年ごろまで協会の影響を受けた欧米の知識人の例が引用されていて、参考になる。ウィリアム・ジェームズの名のあるのが解せないけれど。
ラビンドラナート・タゴールと神智学の関係については、岩間浩『ユネスコ創設の源流を訪ねて - 新教育連盟と神智学協会 - 』(学苑社、2008年)第4章「インド新教育運動の源流―R・タゴールの教育思想と事業を中心に」に詳しい。
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