カテゴリー「Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ)」の147件の記事

2020年7月15日 (水)

創作予定の変更。田中保善氏の愛読書。パンみたいな?

このタイトルで書き出したところ、ちょっと動画の宣伝をしておこうと思い、そうしたら、話が逸れて、すっかり神秘主義的話題になってしまったので、それは別記事にします。

萬子媛をモデルに三つの作品――童話、新作能、小評伝――を執筆する予定で、最初に童話を書くつもりでしたが、考えが変わり、新作能から入ることにしました。

お試しに短い歴史小説にしてみたときもそうでしたが、なぜか全く書けず、説明の羅列のような作品になってしまったのです。こんな失敗は初めてでした。童話も、異様にハードルが高い。説明の羅列のような童話になりそう。

言い訳になりますが、わたしの作品って、別にそんな風ではないのです。一応まともな小説、童話を書いてきたはずでした。

なぜ調子が出ないのか、書けなくなってしまうのか。その理由にようやく思い至りました。それは、モデルが神様だからだと思うのですね。

神様にふさわしい形式があるとすれば、それは能以外にないのではないでしょうか。能であれば、わたしの想像の中に前シテ、後シテの姿で萬子媛が御姿を現してくださるのです。

前シテは尼僧でしょうね。そして後シテは神々しい神様そのものの御姿。

で、舞台を設定しようとして、やはり田中保善氏の御著書『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980)の中のいくつかの場面をモチーフにさせていただきたいと思い、再読して、この本の感想を書いている人はいないだろうかとググってみたところ、何と、この本のあちこちが「日本軍慰安所マップ」というサイトのマップ作成の資料とされていたのを発見したというわけでした。

それで、前記事を先に書いたのでした。

これほど豊かな内容の戦争体験記を読みながら、あんなことに利用することしか考えない人がいるのですね。

そして、今度は、僧侶が書いた戦争体験記がないかググってみたくなりました。複数出てきましたが、内容紹介文を読む限りでは、一般人のものと大差ないと感じさせられる、興味の湧かない著書ばかりでした。

田中氏の読書遍歴は興味深く、一冊一円の円本全集で、日本文学全集、世界文学全集、哲学概論、カントの純粋理性批判、実践理性批判、ヘーゲルの観念論的弁証法など読み散らし、マルクスなんかも勉強したそうですが、弁証法に唯物論を結びつけた唯物弁証法にはどうしても納得できず、どうしてもマルクス主義を全面的に肯定するまではいかなかったそうです。

カウツキーのマルクス資本論解説を翻訳した白柳舟湖氏が『民族日本歴史』を出版し、田中氏は舟湖史学に魅せられたとか。

日本民族が封建時代から資本主義社会に移行して、資源と販路を大陸と大陸住民に求めて進出するのが、歴史的必然とする舟湖史学にすっかり共鳴してしまった。白人に侵略され、搾取されているアジアの諸民族の現状を座視できず、白人に代わって新興の日本民族がアジアを指導し、大東亜共栄圏を建設するのも当然であると考えるようになっていた。
 かくて日本民族の資本主義発展のために、国民は犠牲になって生命をなげうって奉仕せねばならぬのも必然であり、つまり我々国民は日本民族発展のために生命を捧げねばならない。死の覚悟を必要とする。それで私は死を恐れないようになるために宗教に走った。親鸞の『歎異抄』、『碧巌録』、『無門関講和』、道元の『正法眼蔵』等が愛読書となり、通俗仏教も多数あさり、なんとかして死の悟りを開きたいと模索し、仏教的な悟りについて知識は一応得られた。だが実際に戦場では夢中で衝動的な行為を繰り返していたが、部隊長の話相手になる時は、その知識が役に立ち、立派な言葉が出てきて部隊長に気に入られ、精神的な面では双方意見が一致する点が多かった。(田中,1980,p.95)

日本人の大陸進出にマルクス主義の影響が皆無とはいえないようですね。この点を左派はご存じ?

話が合った部隊長とは、日本史の話から戦国武将の話、長篠の戦、田楽狭間の戦の正確な戦史、孫氏の兵法、クラウゼウィッツの戦争論や万葉集の防人の歌等、話題に事欠かなかったようです。

日本兵が強姦と殺害にしか興味がなかったかのように捏造した連中を、わたしは決して許さない。その連中がそうだから、他人もそうだと思うのでしょうよ。

最後に、パンみたいなものを流れてきたツイートからご紹介。

|

2020年7月 8日 (水)

深夜 5 本の緊急エリアメール。9本目の文学動画をYouTubeにアップしました。今後の創作予定。

あなた様がお住まいの地域の天候は如何ですか?

こちらは小康状態といった曇り空ですが、まだ油断できないようです。

深夜、けたたましいスマホの音。娘のスマホです。少し遅れて、わたしのガラケーにも緊急エリアメールが届きましたが、音が低めです。午前 0 時すぎに立て続けに 5 本ものメールが届いて、そのたびにドキッとしました。

  • 00:03「警戒レベル 4 避難勧告発令」
  • 00:12「警戒レベル 4   相当 大分川で氾濫のおそれ」
  • 00:38「警戒レベル 4 避難勧告発令」
        祓川が氾濫するおそれのある水位に到達したため、……
  • 00:43「警戒レベル 5   相当 大分川で氾濫が発生」
  • 00:49「警戒レベル 4 避難指示(緊急)発令」

一級河川の大分川が氾濫し、祓川が氾濫するおそれのある水位に到達といった内容の避難情報、避難勧告→避難指示(緊急)発令でした。

幸い対象校区、対象自治区には入っておらず、洪水には耐えられそうなマンションの上階に住んでいるので――地震のほうが怖い――、家でじっとしていました。

民家住まいの娘の書店時代からの女友達が電話してきて(ご主人は単身赴任で不在)、避難を迷っているとのことでした。彼女には車がありますが、猫がいます。彼女が避難を迷っていたのは、避難指定先の学校を地図で確認すると、氾濫の危ぶまれる川下に近く見えたからでした。

そういう事情を聞けば、うちに避難していただきたいと思いましたが、彼女の家からはかなり距離があり、途中が心配です。娘は、連絡先に問い合わせてみてはどうかと返信していました。

その後、雨音が聴こえなくなり、新しい緊急エリアメールも届きませんでした。

娘の女友達は、水位が下がる午前 3 時くらいまで、学校に避難していたそうです。猫と一緒に。

大分川は由布市で氾濫し、被害をもたらしました。以下のツイートのような状況だったようです。

朝、大分市内の大分川の写真をツイートなさっていたかたがありました。川は、比較的落ち着いて見えます。濁流ですけれど。今夜降らなければいいのですが。

避難勧告から緊急性の高い避難指示まで 46 分。避難の判断は避難勧告が出た時点で下し、すみやかに避難したほうがよさそうです。

ただ、警戒レベル 4 相当の大分川氾濫のおそれメールと警戒レベル 3 の避難情報メールは、7 日早朝にも届いていました。避難するかどうかの判断は、そのときに下せたでしょう。状況は刻々と変化するので、災害の危険のある間は油断禁物ですね。

あなた様も、気をつけてお過ごしください。 

今、ツイッターをチェックしていたら、アメリカ大使館の異例ともいえるツイートが流れてきました。

加えて、臓器収奪問題もあります。日本も他人事ではありません。「香港国家安全法」、怖ろしい。

話題が変わりますが、文学動画をYouTubeにアップしました。

https://youtu.be/JeV2KgdKF4s
「内側」の拡がりを欠くジブリ映画『思い出のマーニー』
2020/07/05

2 回目のエッセー動画です。

これは Microsoft フォトの機能ビデオ・エディターで作成しました。作成前に再度フォトをリセットしたところ、幸い音のノイズは入っていませんでした。でも、いつそうなるかわからないので、フリー動画作成ソフト「AviUtl」をインストールしたことは過去記事で書きました。

使いかたがおおまかに呑み込めました。

また、何年も新しいKindle書籍を出さず、表紙を作成することもなかったということもあって、フリー画像編集・加工ソフト「GIMP」の使いかたをすっかり忘れてしまっていました。新しいバージョンがわかりづらかったので、これをやめて古いバージョンと入れ換えることも考えつつ、解説サイトに従って動画のサムネイルを作成したら(フリー素材をお借りしたものに、文字入れした程度のことですが)、これの使いかたも、大体、呑み込めました。

フリーのフォントも入れました。

古いバージョンでは OS のフォントフォルダにダウンロードしたフォントを単純に入れるだけでよかったと思うのですが、それでは駄目で、フォントファイルを右クリックして、表示された「インストール」をクリックする必要がありました。右クリック→プレビューをクリックして、表示された「インストール」をクリックしてもインストールできました。

新しいバージョンにフォントを追加できないと書いている人がいらしたので、ちょっと書いてみました。

フリー動画作成ソフト「AviUtl」を使ってお試し動画を作成したいところですが、いつまでも創作入りを引き延ばすわけにはいかないので、萬子媛をモデルとした童話の執筆に入りたいと思います。

普通の短編童話なら最短 1 日でできるのですが、これには難航しそうです。対象年齢を大雑把に決めるだけでも迷います。大人向きの童話にするか、子供向きの童話にするかといった最初の選択すらまだできていません。テーマ、歴史的な背景をどの程度入れるか、舞台の時代設定etc……。

このあと、新作能、小評伝と書きたいのですが、どうなるやら。

動画を視聴してくださるかたが少しずつ増えてきたところなので、今、動画作成をお休みするのはちょっとつらい。萬子媛の童話が仕上がったら、動画にしますね。これも視聴してくださるかたがあればいいのですが。まだ創作に手もつけていないのに、馬鹿ですね。

| | コメント (0)

2020年6月26日 (金)

坂口安吾ノート ① GHQ 御用作家だったのか? 対照的に、胸を打つ田中保善『泣き虫軍医物語』の記述。(27日朝に加筆)

萬子媛をモデルとした童話の執筆に入ろうか、というときに、坂口安吾全集を丹念に読み、小論を書くだけの時間がわたしにはない。

それで、いつものように、時間ができたときにノートだけでもとっていこうと思う。トラヴァースも放置状態。

『坂口安吾全集・444作品⇒1冊』 Kindle版
出版社: 坂口安吾全集・出版委員会; 1版 (2015/3/6)
ASIN: B00UDH9QY6

このKindle書籍を読んで、坂口安吾について見直しを迫られたことについては、前記事に次のように書いた。

先月、坂口安吾のエッセーをパソコン向けのKindleアプリ(Amazonのサイトから無料で入手できます)で読んでいたところ、大変ショッキングな文章に出くわしました。坂口安吾について再考を迫られる出来事でした。この男、こんなに頭が軽かったのかと失望しました。続いて織田作之助のエッセーを読み、これにも失望(この人、エッセーは書かない方がいい)。

太宰にはとっくに失望していましたが、安吾と織田作には一目置いていたのに。思想家であり作家であり、といった連中ではなかった、器用な小説家にすぎなかったと心底失望しました。勿論、彼らの小説に対する評価まで下がったわけではありません。ただ、この三羽ガラスの頭の中の頼りなさを考えるとき、日本文学が下り坂になったのも当然だったように思えました。

わたしにとって、ショッキングな文章は「もう軍備はいらない」に存在した。

 自分が国防のない国へ攻めこんだあげくに負けて無腰にされながら、今や国防と軍隊の必要を説き、どこかに攻めこんでくる兇悪犯人が居るような云い方はヨタモンのチンピラどもの言いぐさに似てるな。ブタ箱から出てきた足でさッそくドスをのむ 奴の云いぐさだ。
 冷い戦争という地球をおおう妖雲をとりのぞけば、軍備を背負った日本の姿は殺人強盗的であろう。

坂口 安吾. 『坂口安吾全集・444作品⇒1冊』 (Kindle の位置No.97732-97736). Ango Sakaguchi Complete works. Kindle 版.

 高い工業技術とか優秀な製品というものは、その技能を身につけた人間を盗まぬ限りは盗むわけにはゆかない。そしてそれが特定の少数の人に属するものではなく国民 全部に行きたわっている場合には盗みようがない。
 美しい芸術を創ったり、うまい 食べ物を造ったり、便利な生活を考案したりして、またそれを味うことが行きわたっ ているような生活自体を誰も盗むことができないだろう。すくなくとも、その国が 自ら戦争さえしなければ、それがこわされる筈はあるまい。

坂口 安吾. 『坂口安吾全集・444作品⇒1冊』 (Kindle の位置No.97761-97765). Ango Sakaguchi Complete works. Kindle 版.

人に無理強いされた憲法だと云うが、拙者は戦争はいたしません、というのはこの 一条に限って全く世界一の憲法さ。戦争はキ印かバカがするものにきまっているのだ。
坂口 安吾. 『坂口安吾全集・444作品⇒1冊』 (Kindle の位置No.97806-97808). Ango Sakaguchi Complete works. Kindle 版.

坂口安吾の文庫本を大学時代に買い漁った記憶があるが、このエッセーは初めて読んだ。

連合国軍最高司令官総司令部 GHQ の民政局は、占領政策の中心的役割を果たした。ここは左翼の巣窟だったといわれる。

WGIP(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)が占領政策の一環として行われたそうだから、戦後生まれの人間がこのようなことを書くのであれば、不思議ではない。

しかし、安吾は明治39年(1906)に生まれ、昭和30年(1955)に死去した、明治生まれの人間である。明治期から日本を見てきた作家でありながら、ここまでバランスを欠いた見方をする人間というのは、珍しい気がする。

そう思うのは、わたしに比較対象ができたからで、その対象とは過去記事でいくらか内容を紹介した田中保善『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980)である。

田中保善『泣き虫軍医物語』に見る第二次大戦の諸相 ①映画「タイタニック」ばりの脱出劇と醤油樽
https://elder.tea-nifty.com/blog/2019/11/post-b53bf2.html

田中保善氏も明治生まれの人間で、明治42年(1909)のお生まれなのだ。安吾と 3 歳しか違わない。両者の戦争観のこの違いは何だろう? まるで、別の戦争であったかのようだ。

尤も、安吾は出征していない。エッセー「魔の退屈」には徴用令・出頭命令体験について、次のように述べられている。

戦争中、私ぐらゐだらしのない男はめつたになかつたと思ふ。今度はくるか、今度は、 と赤い紙キレを覚悟してゐたが、たうとうそれも来ず、徴用令も出頭命令といふのはきたけれども、二三たづねられただけで、外の人達に比べると驚くほどあつさりと、おまけに「 どうも 御苦労様でした」と馬鹿丁寧に送りだされて終りであつ た。私は戦争中は天命にまかせて何でも勝手にしろ、俺は知らんといふ主義であつたから、徴用出頭命令といふ時も勝手にするがいゝや何でも先様の仰有る通りに、といふアッサリし た考へで、身体の悪い者はこつちへと言はれた時に丈夫さうな奴までが半分ぐらゐそつちへ行つたが、私はさういふジタバタはしなかつ た。
坂口 安吾. 『坂口安吾全集・444作品⇒1冊』 (Kindle の位置No.84219-84226). Ango Sakaguchi Complete works. Kindle 版.

ウィキペディア「坂口安吾」には「1944年(昭和19年)- 38歳。(略)徴兵逃れの目的で日本映画社の嘱託社員になる。」(「坂口安吾」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年6月23日 06:39 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org)とあるが、この文章のソースがわからないので、確認できていない。

ウィキのこの記述が本当だとすれば、安吾は嘘つきである。一方、田中氏は何のけれん味もなく、赤紙(召集令状)、身体検査について記述している。

緒戦華々しかった太平洋戦争もこの年になると、太平洋の島々は次々と連合軍に占領されて戦局は重大化し、開業医も次から次と召集されていった。丙種合格の国民兵の医者は、招集されたら衛生兵にされるが、軍医予備員を志願して教育を受けておけば、招集時には軍医として入隊できるというので、私をはじめ国民兵の医者は揃って軍医予備員を志願した。(田中,1980,p.8)

田中氏は身体検査での不合格を願っていた。それで事前に仕入れた情報に従って受け答えをするが、それが裏目に出て合格してしまう。

というのも、田中氏には18歳のときに罹患した多発性神経炎の後遺症があり、手足に振顫があった。検査のとき、両手を揃えて前に伸ばしたら、振顫が止まらなかった。試験管に「静脈注射ができますか」と訊かれ、そのときに「できます」と答えなければ、不合格になっていた可能性が高かった。

田中氏が、心の奥では不合格を希望しながら口では注射でも何でもできますと言ったのは、試験管の心証をよくして不合格になる作戦をとったからなのだ。後で、田中氏は医者と医者との間柄で不要な粉飾や虚勢を行ったことを反省している。

出征に当たり、地元の地区一同約 70 戸総出で武運長久の祈願祭を祐徳稲荷神社でいとなんでくれ、帰りには地区有志による送別会が開かれた。

田中氏の妻は接待に忙しく、目が離れた隙に、4 歳になる長女が勝手にご馳走を食べて疫痢になり、生死不明の重態に陥ってしまう。自分で治療してやる時間のない田中氏は長女をすぐに入院させ、後ろ髪を引かれる思いで、町主催の壮行会に出席した。その下りは次のように描かれている。

 駅には既に沢山の見送りの人達が集まっていた。親類、先輩、後輩、友人、医師会、町の有志の方々、私が校医をしていた能古見村国民学校児童 3 年生以上と能古見村青年学校生徒並びに先生方全員、鹿島駅内外にあふれんばかりである。その日はひじょうに暑かったが、国民学校の児童は皆素足であった。大地は土埃が立ち、焼ける程暑く、児童達は両足を揃えて立っておられずに、交互に足踏みをしていた。(略)
 〽我が大君に召されたる
   生命はえある朝ぼらけ……
 児童達が日の丸を振り振り無心に歌う。一般の見送りの人も同調して合唱は波のごとく広がり、駅の内外を包んだ。姉のテイ子の目に涙があふれ出した。私の家族の目にも涙が光っている。瀕死の愛児を残して心は後に引かれながら不平も言えず、“大君に召されていく” 私の気持ちを察して、私を可哀想と思って涙が出てきたのであろう。私も感極まって涙があふれてきた。出征兵士が出発にあたり泣き出すような女々しいことは男の恥である。泣くまいと思っても涙は止まらず、私は直立不動の姿勢で流れる涙をふきもせず、列車のデッキに立っていた。(田中,1980,pp.9-10)

前途多難な出征が予想される記述である(幸い長女は助かる)。そして、見送る側からも、見送られる側からも、温かく繊細な情感が伝わってくるではないか。

実際に、戦地での――否、戦地に向かう途中から既に――田中氏は一難去ってまた一難の連続であり、生還は奇跡的であった。そのような中にあっても、田中氏の率直で素直な感情の発露や細かな観察眼は衰えない。戦地での連合軍との戦いの合間にあったのは、とにかく「生活」であり、その生活スタイルが大きく崩れていなかったことに驚かされる。

不足する食糧や物品の調達にも、現地の人に対しては軍票での支払いや物々交換が貫かれていた。兵隊たちに餓死者も出ているような状況であるのに、である。日本が負けたことで、軍票はただの紙切れになってしまうが、無価値になった軍票でバナナを買ってくれと追いかけてきた現地人がいた。

この現地人たちはケニンゴウで山崎知事の下で働き、人間的に平等に待遇され、感激して、敗戦後もその恩を忘れず、なんとかして日本人に恩返しをしようと思っているのであった。(田中,1980,p.197)

また、意外だったのは、戦争末期の過酷な戦地ボルネオにあっても、危険地帯と安全地帯が存在したということである。安全地帯は、連合軍の侵攻によって、反日ゲリラの夜襲、また気象などによって、変化する。

餓死の多くは単独で訪れたのではなく、マラリアが先にやってきている。それがどのような訪れかたであったか、典型例と思われるものを引用する。

移動を開始した各部隊は、スコールのため出現した地図にない沼を腰まで没して渡ったり、密林中道なき所をさまよい、マラリアに冒され、発熱し衰弱して歩けなくなり、落伍して食糧がなくなり餓死する兵隊も続出した。(田中,1980,p.165)

そして、戦地での敗戦後の困難。敗戦ゆえの困難は大きかった。敵に降伏に行く惨めな行軍にも物資は必要であるのに、けわしい山道で頼りになる水牛は連合軍の告知により、使用できなくなった。

俘虜後の収容所での飢餓感から、交換物資もなくなった日本兵による食糧品の窃盗事件が頻発するようになる。監視の豪州兵に発見されると、体刑として石切り場のメンパクトに送られた。そこでの重労働のため、メンパクトは死を意味した。何とか別の刑をと嘆願し、道端に土下座して通行人に一日中頭を下げることを実行することで刑の執行を免除して貰う。

灼熱の太陽に照らされながら、缶詰を盗んだ兵隊は「私は盗みをしました。今後絶対にしませんからお許しください」と謝罪の叩頭を続けた。

戦争映画などではよく、日本人を馬鹿にするかのように、昭和天皇による玉音放送にあった一節「耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び」が流される。しかし、重要な玉音放送全文が紹介されることはない。

玉音放送には、「先にアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも、まさに日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとより私の本意ではない」(「玉音放送」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年6月25日 13:07 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org))という宣戦の動機について語られた箇所があり、その内容を日本人に知られたくない人々が日本に存在し続けているからだろう。

「耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び」の一節が、叩頭を続ける兵隊への励ましの言葉として出てくる。

津山兵長は監視兵の眼を盗んで土下座した兵に近づき、「頑張れ、頑張れ、我々は生き抜いて日本へ帰るんだ。ここで挫けては駄目だ。作業終了時刻まで頑張るんだ。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、我々は共に生きて祖国日本へ帰るんだ」と熱心に激励し続けていた。(田中,1980,pp.212-213)

戦争物はあまりにも一面的な描かれかたをしているように思う。それを後押ししたのは、残念ながら坂口安吾のような作家たちであったのではないだろうか。

エッセー「特攻隊に告ぐ」の次のような箇所など読んで、そのように思わずにはいられない。

私はだいたい、戦法としても特攻隊というものが好きであった。人は特攻隊を残酷だ というが、残酷なのは戦争自体で、戦争となった以上はあらゆる智能方策を傾けて戦う以外に仕方がない。特攻隊よりも遥にみじめに、あの平野、あの海辺、あのジャングル に、まるで泥人形のようにバタバタ死んだ何百万の兵隊があるのだ。戦争は呪うべし、 憎むべし。再び犯すべからず。その戦争の中で、然し、特攻隊はともかく可憐な花であったと私は思う。
坂口 安吾. 『坂口安吾全集・444作品⇒1冊』 (Kindle の位置No.57663-57670). Ango Sakaguchi Complete works. Kindle 版.

私は文学者であり、生れついての懐疑家であり、人間を人性を死に至るまで疑いつづける者であるが、然し、特攻隊員の心情だけは疑らぬ方がいいと思っている。なぜなら、 疑ったところで、 タカが知れており、分りきっているからだ。要するに、死にたくない本能との格闘、それだけのことだ。疑るな。そッとしておけ。そして、卑怯だの女々しいだの、又はあべこべに人間的であったなどと言うなかれ。
坂口 安吾. 『坂口安吾全集・444作品⇒1冊』 (Kindle の位置No.57678-57683). Ango Sakaguchi Complete works. Kindle 版.

ここまで特攻隊を馬鹿にした文章を、安吾が書いていたとは知らなかった。田中氏の戦地――ジャングル――体験記録を読む限り、安吾が書くような「泥人形」のように死んでいった人間など、1 人もいない。何て失礼極まる、無責任な書きかたであることか!

| | コメント (0)

2020年6月17日 (水)

YouTube動画『ぬけ出した木馬(前編)』公開。リルケのフランス語詩編『薔薇』のレビュー。

ぬけ出した木馬(前編)
https://youtu.be/RcPTg6hHRPk 

YouTube動画、5本目のアップです。今回朗読してくれたのは、標準語話者 のぞみ です。

この動画をアップした時点で、選べるサムネイル3枚が中途半端な印象の2枚の画面と、最終画面でした。

どうもしっくりこなかったので、自分でサムネイル画像をアップしようと思いました。カスタムサムネイルを設定するには、YouTubeアカウントの確認が必要です。

電話番号を入力して、確認コードを自動音声メッセージかSNSで受け取ります。わたしはまだガラケーを使っていますが、コードはちゃんと届きました。

アカウントの確認後は、次のことができるようになります。

  • 15 分を超える動画のアップロード
  • カスタム サムネイルの追加
  • ライブ配信
  • Content ID の申し立てに対する再審査請求

わたしはまだ、10分ぐらいの動画作成で精一杯。前後編にせずに、時間をかけて1本にまとめればいいのでしょうが、一旦区切ってアップしないと、今はまだ無理。というのも、Windowsフォトのビデオエディターで動画作成していると、カスタムオーディオの追加をするときに混乱状態になることがあるからです。

あとで楽曲や時間配分をいくつも変更したりすると、もう大変。まだ初心者で、動画作成法がよくわかっていないからかもしれませんが。

夫が前にダウンロードして動画作成した――確かその動画は、前に当ブログで紹介しました――という無料の「AviuTl」を、わたしもそのうちダウンロードしてみようかなと考えています。無料のダウンロードというと、警戒心が働きますが、これは大層、有名であるようです。

紹介サイトからではなく、直接、公式サイト「AviuTlのお部屋」にアクセスして、そこからダウンロードしようと思っています。

あれもこれも覚えることだらけで、消化しきれません。久しぶりにGimpを使ったら、これの使い方もほぼ忘れています。

フォントにはライセンスの問題が発生するものも多いので、いくつかフリーフォントを追加したところ、IPAフォント以外受け付けない……。Gimpの使いかたは勉強し直す必要があるので、操作が簡単な、一太郎に付属していた「花子フォトレタッチ3」を使って、急ぎのサムネイル画像を作成。

何だか、Kindle書籍の作成しているみたいな錯覚を覚えます。

毎日動画アップしている人たちって、凄いですね。わたしには到底、無理。

わたしは、とにかく予定している児童小説の動画をアップしてしまいたい。これらの作品の登場人物から「早く、動画にして!」と、せかされている気がするのですよ。

そのあと、萬子媛をモデルとした童話を執筆する予定。『萬媛』という絵本が既に上梓されていますが、わたしの童話は舞台も作風も――たぶん異なるものになります。

サイト「萬媛(まんひめ)-絵本の紹介」に、その絵本が紹介されています。

そして、ノートの充実を図りつつ年末までには新作能の第一稿に着手したい。

本当は、まだ小説化も諦めてはいません。

話題は変わって、当ブログのサイドバーでリルケの選集を紹介しています。この中の「薔薇」という詩編がすばらしいからです。中古品しかないようですが、Amazonに数点出ていました。レビューを書きました。

5つ星のうち5.0
締め括りに収められた『薔薇』が絶品!
2020年6月14日に日本でレビュー済み

リルケが白血病で亡くなった翌年の 1927 年、フランス語詩集『薔薇』(Les Roses )が上梓されています。

この本を締めくくるかのように、そこから訳出された詩編が収められているのは、何とも粋な計らいです。

24 編から成る詩編なのですが、これが絶品なのです。読んでいくと、24 編の全てが、薔薇を構成する一枚一枚の花弁さながらに香ります。本当に香ってくるかのような、めくるめく気分にさせられる、言葉の巧みな綴れ織りなのです。

開業医、小説家、詩人であったハンス・カロッサの小説に、リルケを医者として診察したときの描写や交際の様子を記した箇所があり、彼はリルケに潜む東方的な影響――ヨガの精神――について書いています。

『薔薇』には、カロッサのそうした記述を連想させるような、瞑想的な深みがあり、高貴な雰囲気が醸し出されています。

山崎栄治氏の訳がまた素晴らしく、日本語の秘める優美さが最高度に発揮された、秀逸な訳詩となっています。

小説、エッセイ、評論、詩といったリルケの業績がバランスよく配された選集だと思います。中古品しかないのは残念ですが、リルケファンであれば、手元に置いておきたい 1 冊です。

以下は、関連記事です。

58 神智学をさりげなく受容した知識人たち――カロッサ、ハッチ判事 ①ハンス・カロッサ(追記)
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/06/27/064748

| | コメント (0)

2020年5月22日 (金)

グローバリズムの縦串とソ連――のちに中共――の横串に貫かれた日本、そして守るべき日本の宝(林千勝氏登場の動画より)

前記事で紹介した林原チャンネル「ひとりがたり馬渕睦夫」のディープステートに関する動画ですが、それとテーマを同じくする興味深いチャンネル桜の動画を視聴しました。

【特別対談】林千勝×水島総「やはり世界はそうなっているのか」[桜R2/5/1]
https://youtu.be/Q0fVaZZwpow

水島総(註1)氏の発言も興味深いのですが、林千勝(註2)氏の発言の中から印象深かった箇所を拾ってみました。

(前略)
戦後の日本の構造は、占領軍が入ってきてグローバリズムの縦串が貫いていて、横串でソ連というか後の中共が浸透してきて、それが反日でもあり左派でもあり、この縦串と横串の両方が刺さっているのが今の日本と思うんですよね。
縦串と横串は現場ではやり合っているとおもうんですけれども、奥の奥ではうまく分け合おうぜとなっているんですよ。
(略)
縦串と横串の両方から苛まれて、無気力になり、お人好しになり、アイデンティティーを失っていっているのが日本人であり、特に縦串でやられているわけですから、そうですね、占領政策ね。ですから哀しいかな、超限戦(註3)に対する抵抗力も持ち得ない。
(略)
で、我々どうすればいいのかということなんですが……
(略)
戦争でもそうですが、二正面作戦は必ず負けますね。とりあえず縦串じゃなくて、横串と戦うと。とにかく横串をぬくことに日本人は全精力を注ぐと。そりゃ抜けるかどうかわかりませんけれども、そこに意識を集中し、そして我々の側からのプロパガンダというかね発破かけといいますかね、そこに集中するしかないのかなと。
(略)
難しいのは縦串はまさに日米安保とも絡んでいるわけですね。

だからひじょうに巧みであって、この巧みなものをどこで研究し調査し立案したかっていうのはわたしもかなり解明できていますけれども、これは原点は太平洋問題調査会にあり、ロックフェラー家のね。

それよりもさらに緻密なのがロスチャイルド家といわれる王立国際問題研究所であり、彼らはもう日本が戦争しているうちに戦後の日本……例えば教育機構と行政機構は優秀で効率的だから、頭だけ変えりゃ、いってみれば反日組織として機能するということを研究結果として出しているし、戦後日本はアメリカ型の工業社会として時を経ずして繁栄するって結論まで出しているんですね、戦争中にね。
(略)
日本の皇統というものは日本にとって最高のものですが、人類的、地球的規模で見てもわたしは宝だと思うんですよ。
(略)
日本についてもひじょうにロスチャイルド家もロックフェラー家も研究が深くて、国際縄文学研究会の今の名誉会長は今のロスチャイルド家の当主の娘なんですね。
ですから、これはっていう発掘があっても一番に情報が行くわけで、ひじょうに日本に対する見識も深いわけですね。

そうするとね。経済戦略、そしてナショナリズムを潰すということでは皇統に対してそういう扱いかもしれませんが、観点を変えてね。これは人類の宝でしょうと、地球の歴史にあって至宝のものでしょうという話をね、コミュニケーションを日本のしかるべきかたに、向こうのしかるべきかたとのコミュニケーションをね、わたしはね、どっかでとって貰いたい。それはおまえ空論をいってるよといわれるかもしれませんが、僕は物凄くそういう思いが強くてね。
(略)
わたしは日本民族そのものがワンセットで地球の宝なんだと思うんですよ。人類史上、こんなにすばらしい民族はないですよ。最近やられてちょっと劣化しているとはいえね。
(略)
彼らとのコミュニケーションが大事だっていう話ですけれども、日本は例えば覇権は求めませんと、普通の国でいますと、だからこの日本的ありかたは尊重して貰いたいと。簡単にいうと、そういうことですよね。

そういう協定を結べないかということなんですけれど、おそらくですね。普通の国になるということは普通の軍隊は持つと、覇権は絶対求めないと、日本人はあくまでそういう心でいると、そうなると思うんですが……

でもね、終戦直後、白人達彼らの心の奥底には日本人て怖いと、やっぱりあるんです、潜在的に。
(略)
彼らは日本を怖れていると、でも我々としてはこうあるというヴィジョンがあると、そこのすり合わせの余地はあると思うんですね。
(後略)

天皇は、あの世とこの世、自然界と人間界を結ぶ祭祀王といえる存在であり、皇統は花の芯のような存在です。日本人はこの芯を核として文化を形成してきました。古くはその文化形成の専門職が公家でした。日本の宝といえるのは、日本人が古代から慈しみ育ててきたものだからでしょう。

神秘主義者としていわせて貰えば、公家に生まれた後陽成天皇の曾孫女であった萬子媛(註4)が、死後もあの世から――そこでの楽しみを放棄して――毎日この世へ、地上界へと通い、様々な意味合いにおいて弱い人間を加護し、高雅な霊的刺激をもたらし続けてこられたことを思うとき、他のどのような国であっても、萬子媛のような逸材を育成しえたとは思えないので、林千勝氏がおっしゃるように、皇統を芯とした日本という国は地球の奇跡の一つといってよいのではないでしょうか。

ロスチャイルド的価値観でいえば、価値の高い絶滅危惧種といえるでしょう。絶滅危惧種にしたのは彼らでしたが。

ただ、林千勝氏は、ロスチャイルドのような国際金融資本家を買いかぶっているとわたしには思えます。

彼らには物の鑑賞眼とそれへの執着があるようですが、それは物質主義的な価値観で物事を見ることしかできない、カーマ(欲望)の肥大したある種、霊的文盲のような人々であるように思えるのです。

利得のために投資という手段で世界の戦争や紛争を操作してきた彼らのごとき人間に、この本当の価値がわかるとは到底思えません。

しかしながら、地上界にある限り、彼らに天罰が下るまでは――神智学的にいえばカルマが具体化するまでは――影の権力者であり続けるでしょうから、信用のおける人々とはとても思えませんが、否だからこそ、林氏がおっしゃるようなコミュニケーション及び取引という手段は一考の余地を残しているとは思います。

もしかしたら、既に歴代首相は裏でそのような取引を余儀なくされてきたのではないでしょうか。

トランプ大統領についての水島総氏の人物評に、わたしは共鳴します。そうした意味では馬渕睦夫氏は――クローバリストの原点から現在までの考察は優れていると思いますが――トランプ大統領を買いかぶりすぎではないでしょうか。(註5)

いずれにせよ、水島・林両人がおっしゃるように、日本はまず、いくらかでも抜き取りやすい横串を先に抜くことに精力を注ぐのが賢明であるという気がします。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

註1 水島総
水島 総(みずしま さとる、1949年(昭和24年)6月18日 - )は、日本の経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー、YouTuber、政治活動家、日本文化チャンネル桜代表取締役社長、頑張れ日本!全国行動委員会幹事長、2014年東京都知事選挙田母神俊雄選挙対策本部長、朝日新聞を糺す国民会議事務局長、北海道歴史伝統文化環境保全機構理事、国民保守党東京顧問、国民保守党北海道顧問、民間防衛実働部隊「国守衆」全国評議会結成準備会発起人(仮議長)。
「水島 総」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年4月22日 03:04 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

註2 林千勝
林 千勝(はやし ちかつ、1961年(昭和36年) - )は、日本の昭和史研究家・戦史研究家。ノンフィクション作家。
「林 千勝」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年4月24日 03:55 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

註3 超限戦

『超限戦』(ちょうげんせん、中国語:超限战/超限戰、英語:Unrestricted warfare)とは1999年に発表された中国人民解放軍大佐の喬良と王湘穂による戦略研究の共著である。
中国空軍の喬良、王湘穂は、これからの戦争を、あらゆる手段で制約無く戦うものとして捉え、その戦争の性質や戦略について論じた。
本書の第1部は、新しい戦争についてであり、第2部では、作戦の新しい方法についての議論となっている。この中で喬良、王湘穂は、25種類にも及ぶ戦闘方法を提案し、通常戦、外交戦、国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦などを列挙している。そして、このような戦争の原理として、総合方向性、共時性、制限目標、無制限手段、非対称、最小消費、多元的協調、そして全ての過程の調整と支配を挙げている。
このような戦争は、別に中国に限らずグローバリゼーションの時代の戦争に特徴的なものであり、軍人と非軍人の境界もまたあいまい化する。したがって、本書は、単に戦争手段の多様化を示すだけではなく、それに対応した安全保障政策や戦略の研究の必要を主張している。
「超限戦」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。 2020年4月27日 09:51 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

註4 萬子媛
花山院萬子媛(祐徳院): 寛永二年(1625年)誕生、宝永二年閏四月十日(1705年6月1日)逝去。
マダムNの神秘主義的エッセー」中、カテゴリー『祐徳稲荷神社参詣記』を参照されたい。

註5 馬渕睦夫

馬渕 睦夫(まぶち むつお、1946年(昭和21年)1月21日 - )は元全権大使(キューバ、ウクライナ等で勤務)
「馬渕 睦夫」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年5月6日 13:10 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

林原チャンネル「ひとりがたり馬渕睦夫」#7 ディープステートの原点を探る

https://youtu.be/xxC2giu1bjk

林原チャンネル「ひとりがたり馬渕睦夫」#8 ディープステートの正体とは?
https://youtu.be/Z85BnnOPmZ4

林原チャンネル「ひとりがたり馬渕睦夫」#9 ディープステートvsトランプ〜米中間選挙振り返り〜
https://youtu.be/2ks0l-F81f4

林原チャンネル「ひとりがたり馬渕睦夫」#10 移民受入問題と日本の危機 〜移民政策はディープステートの世界グローバル化プラン〜
https://youtu.be/7fdZ8Iz-WkQ

| | コメント (0)

2020年1月27日 (月)

今度はぎっくり腰? それでも観能(萬子媛…)。(28日早朝に加筆あり)

新型コロナウイルス関係の新情報にも触れたいとこだが、昨日、娘と観能に出かけたので、そのことをちょっとだけ書いておきたい。ぎっくり腰のことも。

その前日、あるちょっとした動作をした拍子に腰がギクッとして、たぶん、ぎっくり腰。どうもわたしにはこの種の身体トラブルが多い。副甲状腺ホルモンの過剰な分泌で、骨、関節が弱っているのかもしれない。椎間板ヘルニアや圧迫骨折なら困ると思ったが、ぎっくり腰と思われた。

過日、足底筋膜炎ではないかと思った左土踏まずの痛みは、例のハートの光を数回放射したのが効いたのかどうか、回復。

2020年1月19日 (日)
1月18日に、循環器クリニック受診。やりすぎのかかと落としにオーラビーム? 代わりに脳トレ。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/01/post-6561b3.html

強烈な痛みと疲労感で横になろうとしたけれど、痛くて無理。座るのも痛い。まだ立っている方がよかったが、腰が不安定でまだギクッとやりそうで、やはり痛く、横になりたい。痛いので何度も寝返りを打ちながら(その寝返りするのも痛い)、必死でオーラビームを試みるも、痛みのためか、新型コロナウイルスについて調べすぎた疲れのためか集中できず、なかなか痛みが消えなかった。

翌日、整形外科を予約外受診することと観能とどちらにするか迷った。整形外科はいつでも行けるが(?)、観能の機会は少ない。萬子媛をモデルに、わたしが想像する人物像をシテとした新作能にチャレンジするためには、今年中にできれば2回は観たいと思っていた。

当市に能楽堂があるのは本当に恵まれたことだ。だが、一流の能楽師が一堂に会する能楽の祭典はこの能楽堂最高のイベントであるはずで、年に1回ではなかったか。見逃せば後悔するだろう。

椅子に座れば痛みが増すのではないかと不安になりつつも、出かけた。娘がドーナツクッションを持って行こうといったが、むしろ腰が不安定になってギクッとなりそうなので、断った。痛くて我慢ができそうになければ、狂言と能の上演の間の休憩に帰るつもりだった。

痛みはあったが、幸い椅子は柔らかい割には腰が沈み込むほどではなく、ぎっくり腰にも快適な座り心地で腰が安定した。自宅に持って帰りたいほどにぎっくり腰向きの椅子(?)だった。

演目は『玄象』。観世流以外では『弦上』と書かれるという。

シテとは主人公のことだが、前ジテは尉(老翁)、後ジテは村上天皇。演ずるは、観世流シテ方能楽師・馬野正基。

ツレとはシテに従属する役で、ツレは藤原師長[ふじわらのもろなが]である。

後半部で、萬子媛が背後にいらっしゃるような気配を感じたのは、気のせいだったろうか。神社で感じたように、背中から太陽の光を浴びたように温かくなり、えもいわれぬ清浄な気を感じた。能楽堂が交錯するオーラの光で満ちていた。

それまでは、加齢臭がちょっと堪え難い気がしていた。老人がぎっしりで……自分ももう老人の域であることを棚に上げてすみません。

『玄象』について、ウィキペディアから引用しておこう。

『絃上』(げんじょう / けんじょう)は、能の演目。観世流では『玄象』と書かれる。藤原師長が音楽を志して南宋に旅立つ途中、摂津国須磨の浦で村上天皇の霊に押し止められたという逸話が題材となっている。
八大龍王を助演者に村上天皇が舞う早舞が見所。颯爽とした余韻を残す演目である。
題名の絃上は村上天皇愛用の琵琶の名称であり、曲中でも度々琵琶を演奏している場面があるが、舞台の上では演奏は抽象化されており、特殊な演出を除いて実際に弾くことはない。

「絃上 (能)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年4月8日 12:45 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

藤原師長は平安時代末期の公卿で、藤原北家御堂流、左大臣藤原頼長の長男である。源博雅と並ぶ、平安時代を代表する音楽家だという。箏や琵琶の名手として知られた。

花山院萬子媛は花山院定好の娘で、花山院家は藤原北家師実流の嫡流に当たるから、萬子媛と縁のある能ともいえる。音楽を好まれたことでも縁がある。

祐徳博物館で見た、萬子媛遺愛の楽器「雁[かり]が音の琴」を思い出す。「万媛遺愛の名琴で、黄金を以て雁一双、家紋並に唐詩和歌を象眼[ぞうがん]した鹿島鍋島家の家宝で累[るい]代公夫人に伝わり(略)」と説明があった。

それに、萬子媛は後陽成天皇の曾孫女だから村上天皇とも縁があるわけである。

村上天皇の霊が昇天の前に舞う場面の素晴らしさ。

村上天皇について、ウィキペディアから引用する。

村上天皇(むらかみてんのう、926年7月14日〈延長4年6月2日〉- 967年7月5日〈康保4年5月25日〉)は、日本の第62代天皇(在位: 946年5月23日 〈天慶9年4月20日〉- 967年7月5日〈康保4年5月25日〉)。諱は成明(なりあきら)。
第60代醍醐天皇の第十四皇子。母は藤原基経女中宮穏子。第61代朱雀天皇の同母弟。
(略)
平将門と藤原純友の起こした承平天慶の乱(935–940年)の後、朝廷の財政が逼迫していたので倹約に努めた。文治面では、天暦5年(951年)に『後撰和歌集』の編纂を下命したり、天徳4年(960年)3月に内裏歌合を催行し、歌人としても歌壇の庇護者としても後世に評価される。また『清涼記』の著者と伝えられ、琴や琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた天皇といえる。天皇の治績は「天暦の治」として後世景仰された。

「村上天皇」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年7月14日 04:03 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

祐徳博物館を見学すると、萬子媛が如何に歌を愛されたかがわかるのだが、村上天皇は歌と音楽に造詣の深い人物であった。

実はわたしは創作の参考のために鬘物(女性をシテとする曲)を観たいと思っていたため、思いが叶わなかったと思い、あまり期待していなかった。

ところが、以前、金春信高演ずる 『高砂』の映像に惹かれて、何度も観、その度に生で観たかったと思っていたその映像を連想させる、村上天皇の霊が舞う場面ではないか。魅了された。

白色の袖は、秘密を開示するかのように、抱擁するかのように、何度も大きく広げられた。その袖が光を受けて、白銀に輝いて見えるのが崇高な感じを与える。

威厳と品のあるシテを演じたのがお年寄りではなく、1965年のお生まれで、わたしより7つも若いとは想像しなかった。

世阿弥は、野上豊一郎・西尾実 校訂『風姿花伝』(岩波文庫、1958)で、老人を演ずるときの注意として、その振りや動作を少し遅れがちにするようにと説いている。そして、その他のことは世の常に、如何にも如何にも華やかにすべし、という。これを「老人の、花はありて年寄りと見ゆるる口傳」という。

わたしは若い頃世阿弥の『風姿花伝』と『花鏡』を興奮のうちに読み終え、どちらもとにかくすばらしかったが、最も印象に残ったのがこの「老人の、花はありて年寄りと見ゆるる口傳」だった。

能に観る老人は、世阿弥の美学の一結晶であり、気品に満ちてすばらしいのである。作者不詳の『玄象』を観ながら、この曲にも染み渡っている世阿弥の美学の鋭さ、哲学的奥深さを改めて感じた。

萬子媛の気配を感じた――気のせいだったろうか――のは10分間くらいだっただろうか。観能の間に腰の痛みがほとんどよくなったので、中心街に出、また娘と夜まで歩き回ってしまった(夫には外食してくれるよう頼んで出かけていた)。

帰宅後、明らかに悪化。何回かオーラビームやったが(三浦先生のやりかたも再読した)、まだしつこく痛みが残っている。ちょっと咳したりクシャミするにも勇気がいる。それでも、かなりよくなったと思う。

| | コメント (0)

2019年12月 4日 (水)

(補足)歴史短編1のために #44 鹿島藩日記第二巻ノート (6)祐徳院における尼僧達 その1

以下の記事の引用部分に補足したい。

2018年8月26日 (日)
歴史短編1のために #44 鹿島藩日記第二巻ノート (6)祐徳院における尼僧達 その1
https://elder.tea-nifty.com/blog/2018/08/6-d602.html
食材は豊富である。こんにゃくにも、「こんにゃく」「白こんにゃく」「佐賀こんにゃく」「氷こんにゃく」が出てくる。氷こんにゃくを試しにググってみると、文字通りこんにゃくを凍らせたものがダイエットによいということで流行っているようだが、宝永のころの氷こんにゃくとは別物だろうか。

実は、その補足のための作業に倦み、萬子媛に関する調べものを中断していた。

萬子媛のような人物を生み出した背景を知りたいと思って読んでいる『鹿島藩日記』だが、候文や変体仮名の知識に乏しく、江戸時代の歴史・文化についてもずぶの素人にすぎないわたしは困惑し、途方に暮れてしまうことも多い。

「マダムNの神秘主義的エッセー」にまとめる場合は、ここで「御霊供 幷 格峯様御料理物」「右ハ御膳方 次料理物」としてリストアップされているものを紹介したいと思う。主に食材で、精進料理を調理するためのものと思われる。

何を指すのか推測したものは「?」、見当がつかなかったものは「!?」で表した。

<ここから引用>‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

五月十五日
一、(略)
一、(略)
一、(略)
一、(略)
一、(略)
一、右御三十五日ニ付而、格峯様昨晩景より、古江田御庵御越被遊候、今朝御相伴恵達・石柱被仰付、御料理二汁八菜・次料理一汁五菜、右ハ御庵中比丘尼・男女下〻迄、右御料理物左ニ書載、

    御霊供 幷 格峯様御料理物*1

    一、しいたけ 四合*2/ 一、はいも*3(!?) 六手/ 一、漬松茸 六本/ 一、なすひ(茄子か?) 六ツ/ 一、干かふ(干し蕪か?)/ 一、竹ノ子 四本/ 一、干わらひ(干し蕨か?) 弐組/ 枝さんせう(枝山椒か?) 少シ/ 一、山いも 弐本/ 一、黒豆 弐合/ 一、きんあん*4 弐合/ 一、中くり 九ツ/ 一、佐賀こんにゃく 四丁/ 一、五分麩 四ツ/ 一、梅干 六ツ/ 一、干瓢 六手/ 一、めのは*5 少/ 一、六てう(!?) 弐ツ/ 一、ひろうば(!?) 弐枚/ 一、はせうか(葉生姜か?)/ 一、うり 四ツ/ 一、大こん 弐本/ 一、きくらけ(木耳[きくらげ]か?) 少/ 一、しそたて(!?) 少/ 一、はしかん(!?) 少/ 一、ほしこんふ(干し昆布か?) 弐枚/ 一、白こんにゃく 弐丁/ 一、夕かを(夕顔か?*6) 弐ツ/ 一、かんてん(寒天か?) 弐わ/ 一、なら漬 弐かわ/ 一、大根漬 弐本/ 一、くす(!?) 弐合/ 一、わさひ(山葵[わさび]か?) 壱本/ 一、丸山とうふ 弐丁分/ 一、紫のり 弐枚/ 一、梅仁*7 少/ 一、たうふ(豆腐か?) 弐丁/ 一、こまもち*8 十ヲ/ 一、らくがん(落雁*9 か?) 十ヲ/ 一、御米 三升*10

     右ハ御膳方
      次料理物

   一、からし 弐合/ 一、諸白かす*11(諸白粕[もろはくかす]か?) 弐升/ 一、しいたけ 五合*2/ 一、な 弐手/ 一、とうふ 拾挺/ 一、こんふ(昆布か?) 三枚/ 一、白こんにゃく 七丁/ 一、木くらげ 五合/ 一、干かふ(干し蕪か?) 十五/ 一、梅干 三拾/ 一、竹の子 拾五本/ 一、氷こんにゃく 十五丁/ 一、黒まめ 五合/ 一、夕かを(夕顔か?*6) 七ツ/ 一、こんにゃく 五丁/ 一、とつさか(!?) 弐合半/ 一、きうり(胡瓜[きゅうり]か?) 十ヲ/ 一、大こん 十五本/ 一、なら漬 三かわ/ 一、しやうゆ(醤油か?) 弐升/ 一、諸白さし酒*11 壱升五合/ 一、塩 壱升/ 一、赤みそ 五升/ 一、白みそ 壱升/しやうか(生姜か?) 弐合/ 一、こま(胡麻[ごま]か?) 弐合/ 一、枝さんせう(枝山椒か?) 少/ 一、白はし(白箸か?) 五十人前/ 一、あけ油(揚げ油か?) 五合/ 一、白米 壱斗*12/ 一、薪 三荷    

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥<ここまで引用>三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社 宮司・鍋島朝純、1979、pp.438-442)


*1 幷の音読みはヘイ。訓読みはあわ(せる)。字義を『角川漢和中辞典』から引用すると、①わせる(あは・す)。かねる。➁おなじ。一致する。あう(合)。➂ならぶ。ならびに。…… 貝塚茂樹 ほか編『角川漢和中辞典』(角川書店、1967・65版)

*2 この合は、ふたのある容器を数える助数詞ではないだろうか。

*3   「葉芋」と書くのだろうか。里芋や蓮芋の葉柄[ようへい]、芋茎[ずいき]のことではないかと思うが、憶測の域を出ない。

*4 「金あん」についての記述がある。魚山人. “和食用語「葛餡」”. 手前板前. 2019. https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/7_E/013.html, (参照 2019-12-03).

*5 ワカメを洗い干した、「板わかめ」のことか?

*6 ユウガオの実はかんぴょう(干瓢)の原料となる。生育は極めて旺盛でつるの長さは20mにも達する。日本国内では、栽培は廃れる傾向にあるものの、新潟県や栃木県、山形県、山梨県(富士北麓地域)などで栽培が行われている。岩手県でも、カツオの生利(なまり)節等と一緒に油いためでよく食されている。青森県むつ市では8月半ば近く~8月下旬の期間に¥300~500/本程度で販売され、皮と内側の綿を取り除き破棄し、身の部分を幅5~8㎝・厚さ5㎜程度で切り、だしを入れた醤油ベースの油炒めでよく食されている。「ユウガオ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年10月19日 11:24 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

*7 梅の種を割ると出てくるのが梅仁。梅仁で杏仁豆腐のような梅仁豆腐を作ることができるらしいが、ここではどのような使われかたをしたのだろうか。

*8 鹿児島では高麗餅と書いて「これもち」、宮崎県では「これがし」と呼ばれる、古くから伝わる郷土菓子があるが、ここに出てくる「こまもち」とは無関係だろうか。胡麻餅[ごまもち]なども連想される。

*9 落雁は干菓子。

*10 1升は1斗の10分の1、1合の10倍、1.8039リットル、約1.5kg。

*11 諸白[もろはく] とは、日本酒の醸造において、麹米と掛け米(蒸米)の両方に精白米を用いる製法の名。または、その製法で造られた透明度の高い酒、今日でいう清酒とほぼ等しい酒のこと。「諸白」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年12月7日 14:09 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

*12 1斗は1升の10倍、約18.039リットル、約15kg。

| | コメント (0)

2019年11月26日 (火)

田中保善『泣き虫軍医物語』に見る第二次大戦の諸相 ①映画「タイタニック」ばりの脱出劇と醤油樽(加筆あり、赤字)

慰安婦問題、植民地支配、日本軍の残虐性――といったジャパンバッシングの根拠とされてきた歴史的事象が、少なくとも、飾らぬ心情が吐露された、底抜けに明るく、お人好し、その一方では思慮深く果敢な一人の大日本帝国軍人の人間像が立ち現れてくる一冊の本『泣き虫軍医物語』を読む限りにおいては、真っ赤な嘘、捏造にすぎず、第二次大戦は日本人にとってはまさに大東亜戦争であったことが明白にわかる内容となっている。

そうした意味において、このコンパクトな本は期せずして、第二次大戦における大日本帝国軍人の行動様式、思考傾向を如実に示した、一歴史資料と見なすに足る性格を備えているといえよう。

本書、田中保善『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980)は、第二次大戦末期の昭和19年7月、町の開業医だった著者が軍医として応召、戦地ボルネオを中心とした体験記録である。

信憑性の薄い河野談話が発表されたのは平成5年(1993)、田中氏の『泣き虫軍医物語』が上梓されたのは、それを13年遡る昭和55年(1980)のことであった。

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

田中保善氏は、別の本『鹿島市史 真実の記録』(1990)で、戦時中は祐徳稲荷大神及び萬子媛に祈って何度となく命を救われたとお書きになっていた。萬子媛を研究中のわたしは、当然ながらそうした内容を期待して『泣き虫軍医物語』を注文したのだった。

愛媛の古書店からの発送で、310円。経年劣化で中身は黄ばんでいるものの、美品といってよい商品だった。中表紙に付された青年軍医のきりっとした童顔の御写真を見たとき、思い出した。

小学校だったか中学校だったかは忘れたが、集団予防接種のとき、見かけたお顔だった。上品な、優しそうなお顔。昔のことで、記憶は確かではない……

プロフィールから引用する。

明治42年鹿島市に生まれる。鹿島中学旧制佐賀高を経て昭和10年九州帝大医学部卒、同12年鹿島市で開業。同19年7月応召。同21年4月復員。(後略)

期待に反して、『泣き虫軍医物語』には命拾いした事実が事実のままに活写されているだけで、それを祐徳稲荷大神及び萬子媛に結び付けるという宗教的評価はなされておらず、それが窺えるような心情的反応も記述されていない。

あからさまな神秘体験の記述は全くないのだ。命拾いした出来事と稲荷大神及び萬子媛とが結び付けられたのは、どの時点であったのか。それは不明である。

しかし、次のような故郷の芳香漂う出来事を、故郷を見守っておられる神々の神慮によってもたらされた奇跡的体験といわずして、何といおう? 田中氏は後年の著書で、そのように解釈されているのである。

それは映画「タイタニック」ばりの脱出劇の中で起きた。話が前後することになるが、そのハイライトシーンをまず紹介しておこう。

簡単にそのときの状況を説明しておくと、田中軍医は、久留米陸軍病院から南方派遣部隊に編入された。太平洋の島々は次々と連合軍に占領されて戦局は重大化。サイパン島は昭和19年7月7日に玉砕。この時期に南方に派遣されることは死を意味していた。

駆逐艦、水雷艇、駆潜艇、飛行機に護衛された船団12隻は9月10日、門司港を出港し、朝鮮海峡、東シナ海と南下するにつれて沢山の輸送船団の往来に出会う。台湾の基隆沖に差しかかった。

夜10時頃、ドスーンと腸に響く大音響。夜空に火花を上げながら、船尾を真っ逆さまにして沈んでゆく、後続の輸送船。いわゆる轟沈であった。

四千名以上の兵隊が何らなす術もなく海底に呑み込まれたに違いない。いかに戦争とはいえ悲惨極まりなく、初めて体験した死の恐怖に心臓も凍る思いであった。(田中,1980,p.28)

船団は2日後、高雄港へ。行手には潜水艦が待ち受ける、魔のバシー海峡。

船団は飛行機と艦艇に守られながら強行突破。船団が進む間に、友軍機と艦艇は合計4隻を撃沈。船団が比島(フィリピン諸島)に近づくにつれて沈んだ輸送船の残骸が多くなった。

魔のバシー海峡を無事に乗り切り、高雄港を発って3日目の30日、リエンガエン湾のサンフェルナンド港に到着。 

久留米部隊は港から8キロ離れた海岸へ向けて出発。その行軍が身体にこたえた田中軍医は不覚にも、自らが患者第一号となってしまう。幸い、軽症だった。

背嚢を当番兵に持ってもらって歩いていると、垣根に真っ赤なハイビスカスの花の咲き乱れる家々があり、予定の海岸に辿り着く。ヤシの林の中に点々と民家があり、その中の一軒を医務室にする。クリスチャン農家らしかった。

「家の中の物を荒らしてはいけない。何も盗んではいけない」と田中軍医は皆に注意する。医務室に配給の砂糖1俵と缶詰5箱が届いた。食事もすんだ頃に家の主人らしい比島人が来て英語で話しかけたが、田中軍医には解せない。

主人は、家の内外を見て回り、何も荒らされていないのを喜び、すっかり信頼して、両手いっぱいの卵を差し出した。

田中軍医は、何もいらないから壁の棚に置かれていた発火道具を譲ってくれ、と日本語で頼む。スコールでマッチが駄目になったときのために必要だった。主人は希望を了解して承知してくれた。

当地区の司令官から、サンフェルナンド地区は国道の沿線は安全だが、国道から4キロ離れた密林中には米軍大佐の率いる5千名のゲリラが国道筋をうかがっているとの通達があった。比島は全部平定されて、攻撃して来る米軍のみが敵だと思っていた田中軍医は、「安全なのは点と線だけなのか」(田中,1980,p.34)と思う。

翌日、異動命令があり、サンフェルナンドの街はずれに移った。軍医一行はエジプトの街のように石造りの家が並ぶ街を見物し、コーヒーを飲もうと思い、コーヒー店の前に行列を作って順番を待った。

焼けつくような暑さにコーヒーを諦めて、横の丘に登る。そこには、バシー海峡で救助された兵隊達やら群馬県出身の若い女性たちがいた。

女性たちは、南方のジャワ、スマトラ、昭南(現在シンガポール)等の商社や軍関係の偕行社の女子事務員として、赴任途中だったという。救助された兵隊達は満州国境から南方へ派遣された部隊であった。

魚雷を食って全員が退船した時、一名の兵の姿が見えなかった。中隊長は皆が危険だからと止めるのもきかず、その兵隊を求めて輸送船に引き返し、捜しているうちに船もろとも沈んでしまった。部下思いの中隊長を偲んで兵達は涙ぐんでいた。日露戦争の旅順港口封鎖作戦における広瀬中佐と杉野兵曹長の話とそっくりである。
 それに引き替え、部隊長と船長はボートに乗り移り、兵隊も乗ろうとすると、沢山乗ってはボートが沈むと、ボートに掴まった兵隊の手を払い除けて海に突き落として漕ぎ去った。泳ぎながらこれを見ていた兵隊達は、陸へ上がってからも部隊長と船長の態度を非難し続けた。私はこの話を聞いて、もし自分がそうなった時は、兵隊から非難されるようなことは絶対にしないと心に誓った。(田中,1980,p.36)

すぐ後に、田中軍医は同様の惨事に身を置くことになる。

10月10日午前11時、サンフェルナンド港を出航した12隻の輸送船団は比島西岸を海岸沿いに南下。今度は護衛艦が半減し、飛行機の援護もなかった。田中軍医の乗船「江尻丸」(貨物船、7千トン)は第四番船で、煙突に「4」の字が大きく書いてあった。縁起が悪いと兵隊たちは心配する。

12時頃、右側を護衛していた駆逐艦が急に面舵を取り、「右舷前方二時の方向に魚跡、魚跡!」とけたたましい叫び声が上がった。

このときは魚雷をうまくかわした江尻丸だったが、2時半ごろ、また突然「魚雷、魚雷!」の叫び声がした。田中軍医は便所で放尿中だった。江尻丸は今度はかわしきれなかった。

惨事、と一言でいえないほど、海と船と魚跡と船内の様子を活写する著者の描写は絵画的ですばらしいが、引用の制限もあって、全部は伝えきれない。

船が爆発して沈む前に退船しなければ死ぬ。部屋に降りて軍刀、図嚢、軍医携帯嚢を取り出したかった田中軍医は果たせず、かろうじて拾った救命胴衣を着用し、海に飛び込むために左舷へ急いだ。

船は惰力で進み、艦橋から全員退船の命令を伝える進軍ラッパが鳴り響いていた。敵の魚雷は、戦車を積んである船倉に命中していた。

その爆発で船倉の上にいた沢山の兵隊達は、粉々になった戦車の破片とともに肉体もバラバラになり、噴き上げられて船内各所に落ちてくる。私の胴衣にも灼熱した戦車の破片が飛来して、襦袢を通して右脇腹に食い込んだ。灼けつくようにチリチリと痛い。私は右脇腹の傷はそのままにして甲板を左舷へ急いだ。無電のアンテナを張ってある針金に兵隊の胸部だけが引っかかっている。首も両手も腹から下もない。剣道道具の胴が引っかかっているようであった。肉片が甲板に落ちて、それを兵隊があわてて踏みつけ、バナナの皮を踏みつけて滑って転ぶように甲板上に転がる。海へ飛び込もうと兵隊はひしめきあい、それにつまずき折り重なって倒れる。(田中,1980,p.38)

前後左右の兵隊にはさまれ、足が甲板につかないまま引きずられていき出した田中軍医は、いつしか兵隊たちの頭の上に転がされてしまう。左舷は遠ざかっていた。

弾薬をいっぱい積んだ船倉に燃え移ったら船もろとも爆発して死ぬことになるので、田中軍医は自分から兵隊の頭の上を転がっていき、やっと甲板の橋の鉄の鎖に掴まった。ここで著者は、「私の左右で次々と兵隊達は元気に飛び込んでいる」と書く。読みながら、まるで水泳の授業が描かれているような錯覚に陥った。

海面まではめまいがするほど高かったが、水泳に自信のある田中軍医は思い切って飛び込んだ。

グングンと一直線に海底に向かって沈んで行き、早く浮上したくとも、高所からの飛び込みであったため、沈下が止まらない。これ以上もたないくらいになってやっと沈下が止まった。浮上しようにも呼吸が苦しくなり、思うように力が出なかった。

船体から離れた45度くらいの角度で浮上したつもりが船尾に近く、船尾にはスクリューが回っていた。渾身の力でクロールで泳いで、船体から離れた。夢中で泳ぎ、泳ぎをやめてみると、救命胴衣の浮揚力が大したものではないことに田中軍医は気づいた。2、3時間もつかどうかだった。

立ち泳ぎをしていると、顔に水筒が当たってうるさい。時計は中が水浸しになりながらもまだ動いており、12時45分。海岸までは1キロくらい。引き潮で海水は沖へ向かって流れていて、思うように進めなかった。

爆発で海中に散らばったいろいろな物が流れてきた。そのとき、驚くべきものを田中軍医は発見するのである。

なかでも私がびっくりしたのは「佐賀県藤津郡吉田村」と墨で書かれた空の醤油樽であった。はるか故郷を離れた南海で、しかも海に投げ出されて藁をも掴む気持ちでいる時に、故郷鹿島町の隣の吉田村と書かれた醤油樽が流れてきたのである。急に故郷に残してきた母や妻子を思い出し、なんとかして助からねばと思い、その醤油樽を拾って麻縄で腰にくくり付けた。浮揚力は救命胴衣よりもずっと強い。(田中,1980,p.41)

ここがハイライトシーンである。

神秘主義者の目で見ると、これは偶然の出来事ではない。高級霊がカルマとのバランスを考えながらなさる、典型的な救助例の一つといってよい。それは、偶然を装って行われるのが常なのだ。

爆発したのは貨物船だったのだから、その中に醤油樽が混じっていたとしてもおかしくはないが、溺死しそうなこの窮地で故郷の名を記した醤油樽が流れてくるなど、いくつもの偶然が重なるのでなければ、起きることではない。

「萬子媛、大戦中もよいお仕事をなさっていますね。さすがです」とわたしは半ば呆れた。醤油樽は使命を帯びていた。そのとき、大海原に降り立っておられたに違いない、萬子媛のオーラの輝きがわたしには見えるような気がする。

この脱出劇には続きがある。前述のバシー海峡で起きたボートの一件に酷似した状況が、田中軍医をめぐって発生したのだった。

| | コメント (0)

2019年10月30日 (水)

あいちトリエンナーレと同系のイベント「ジャパン・アンリミテッド」。ツイッターからの訴えが国会議員、外務省を動かす。

カテゴリー「あいちトリエンナーレ/ジャパン・アンリミテッド」
https://elder.tea-nifty.com/blog/cat24228090/index.html

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

あいちトリエンナーレと同意企の美術展示会「JAPAN UNLIMITED(ジャパン・アンリミテッド)」(9月26日~11月24日)が、オーストリアで、在オーストリア(ウィーン)日本国大使館の公式イベントとして開催されています。日本オーストリア友好150周年事業と位置づけられているものです。

その17」で書いたように、わたしはこのことを、これまでのようにツイッターで知りました。

shin (@shin_shr190506) さんがずいぶん精力的に動いてくださって、わたしに確認できたところでは、安倍首相、茂木外務大臣、若宮外務副大臣、大西宏幸議員、長尾たかし議員、板東忠信さん、小野田紀美議員、上念司さん、高須克弥先生といった方々に働きかけていらっしゃいました。

その中で、小野田紀美議員が自民外交部会でこの件を問題提起され、また自民党の大西議員から外務省に問い合わせが行われたことは「その17」で書いた通りです。

shinさんが最新状況をツイートしてくださったので、お伝えしておきます。

shinさんが働きかけられた前掲の人々の中の自民党・長尾たかし議員が追及しておられ、また外務省も動いているとのことです。

以下が、shinさんに対する長尾たかし議員の返信ツイートです。

ただ、「使用許可のハードルが低いロゴマーク」という長尾議員の認識に対しては、「日本オーストリア友好150周年事業の公募ガイドライン 平30年7月23日」に照らして考えると、疑問が湧きます。shinさんも以下の2点について、長尾議員に注意を呼びかけておられます。

① 【日本オーストリア友好150周年事業の公募ガイドライン】の記載要項によると、ロゴ使用は容易ではなく二週間の審査が必要では?

②「JAPAN UNLIMITED」はこの応募要項に則らず、簡単にロゴ使用を認められたのか?

この二点を、外務省や大使館に確認すべきと考えます。

「ジャパン・アンリミテッド」の件に関しては、shinさんがおっしゃるように、ツイッターからの訴えが国会議員と外務省を動かしたのです。

shinさんの熱誠なる働きかけに感動したわたしは、感謝の気持ちを込めてメッセージを送りました。「shinさんのご尽力に感謝、感動しています。日本の名誉を守り、芸術や国際交流を大切にしようという熱い思いが伝わってきます。小野田議員が自民外交部会でこの件を問題提起され、大西議員から外務省に問い合わせが行われたのは、shinさんの働きかけあってのことでした。ツイッターって使えるんですね

純文学界が完全に左傾化しており、そのことに日本文学の危機を覚えたわたしは、文学運動――というと大げさですが、問題提起となるような同人雑誌が作れないかと思い、仲間を探しました。ですが、賞狙いに勤しむ人々ばかりで、一人も見つけることができませんでした。

真剣に純文学のことを思っている人が日本にいないわけではないでしょうが、わたしは巡り会えませんでした。

そのようなわたしには、shinさんの存在がとても清々しく感じられました。

ところで、一連の今回の事件で敵(?)ながらあっぱれと思ったことがありました。文化庁など公的機関が行う企画や助成などの利用が上手であるということです。彼らの場合はそれが悪用になってしまっているからいけないのですが、正しく利用できれば、大きな力となります。

一般の個々の創作者はどの芸術分野においても、組織作りや連携が苦手なように見えます。この点だけは左派を見習うべきでしょうね。

祐徳稲荷神社を創建した花山院萬子媛をシテとした新作能のプランは、何しろずぶの素人ですから、まだ候文の書き方を勉強している段階です。

候文には鹿島藩日記を読むことでいくらかは慣れ、それほど難しくはないはずですが、これをいざ書くとなると難しいかもしれません。

そうろ・う【候う】サウラフ
〔古〕
㊀〘自四〙「ある」の意の丁重語。あります。また、「おる」「いる」の意の丁重語。おります。
「それがしはこちらに━」
㊁〘補動四〙《「に(て)」「で」や形容詞(型活用語の)連用形を受けて》「ある」の意の丁寧語。…ございます。…あります。…です。
「御帰国された次第に━」「御相談申し上げたく━」
㊂〘助動 四型〙《動詞の連用形に付いて》丁寧の意を表す。…ます。
「大慶に存じ━」
◆「候(そろ)」とも。
[表記]終止・連体形では慣用的に「候」のように、送りがなをつけないことも多い。
北原保雄 (編)『明鏡国語辞典 第二版』(大修館書店; 第二版 、2010)

話が脇道へ逸れました。当ブログにアップしている萬子媛の研究ノートで、はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップしていないものをまとめてアップしておかなければと思っています。その作業に入ります。

| | コメント (0)

2019年10月 8日 (火)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その15。10月8日午後再開。河村市長の座り込み抗議、赤に白一点のフォーラム。田中保善『泣き虫軍医物語』。

物議を醸し続けている「あいちトリエンナーレ 2019」の企画展「表現の不自由展・その後」ですが、本日――10月8日午後、再開の予定だそうです。

これに異を唱えてきた名古屋市の河村たかし市長が、その再開に合わせて、抗議の座り込みをなさるそうです。また、河村市長は7日、18日が支払い期限の市が負担する開催費用の一部約3380万円について、支払い留保の考えを記者団に明らかにしました。

入場者には教育プログラムを受けさせるのだそうです。このやりかたは石平氏がおっしゃる通り、共産党の洗脳を連想させます。

 

「ひろしまトリエンナーレ2020」のプレイベントにあたる企画展が10月5日、広島県尾道市の離島、百島で始まったそうで、これも大同小異のひどいものであるようです。わたしも、西村氏のご意見に同感です。

あいちトリエンナーレのあり方検討委員会とあいちトリエンナーレ実行委員会が主催する国際フォーラム「『情の時代』における表現の自由と芸術」の第1日「表現の自由と芸術、社会」が2019年10月5日(土)13時から17時まで、愛知芸術文化センターで開かれました。

それを記録した動画の中で、「国家や一部の人々を傷つけたり驚かせたり混乱させるものも表現の自由として保証される」などという、司会者のとんでもない発言がありました。日本国憲法第12条に真っ向から挑戦する発言であり、これはもはや芸術とは無関係なテロリストの発想です。 

第一二条[自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任]この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

フォーラムの最後で良識的な発言がありました。それを司会者が潰した格好でフォーラムは終了し、芸術監督・津田大介氏がオマケの大あくびをしました。

日本人が大東亜戦争と呼び、終戦後、GHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、太平洋戦争などと呼ばれるようになった先の戦争を、左翼がプロパガンダに絶賛活用中です。

彼らの脳内では、その戦争において、大日本帝国軍人は天皇陛下の命により、植民地戦争を繰り広げて残虐行為を行ったということになっています。そして、これら軍人の性の相手を朝鮮人の従軍慰安婦がさせられ、ひどい扱いを受けたということにもなっています。

「表現の不自由展・その後」の展示作品も、この二点に依拠したものです。この二点が覆ってもなお芸術作品として何か優れたものが残る作品が一点でもあるのでしょうか。

そもそも、どなたの御写真であろうが、それを焼いたり踏みつけたりする行為、また死者を冒涜する行為は、日本人の感性には到底馴染まないものです。日本人は古来、礼節を尊ぶ国民性です。

祐徳稲荷神社の創健社、花山院萬子媛に祈って何度となく命を救われたとお書きになっている田中保善氏の御著書『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、昭和55年)が届きました。

戦争末期の昭和19年7月、町の開業医だった著者が軍医として応召、戦地ボルネオを中心とした体験記録です。

愛媛の古書店からの発送で、310円。経年劣化で中身は黄ばんでいるものの、美品といってよい商品でした。中表紙に付された青年軍医のきりっとした童顔の御写真を見たとき、思い出しました。

小学校だったか中学校だったかは忘れましたが、集団予防接種のとき、見かけたお顔です。上品な、優しそうなお顔。昔のことで、記憶は確かではありませんが……

プロフィールから引用します。

明治42年鹿島市に生まれる。鹿島中学旧制佐賀高を経て昭和10年九州帝大医学部卒、同12年鹿島市で開業。同19年7月応招。同21年4月復員…

まだ読んでいる途中なので、記事を改めてレビューを書きたいと思っています。

ちょっとだけ書いておくと、従軍慰安婦は出てきませんが、慰安婦(公娼)は結構出てきます。日本の娘だけでなく、「朝鮮や台湾の娘もおり、時にはジャワ島から来たジャワ娘もいた」(73頁)とあります。連れてこられたではなく、「来た」とありますよ。

信憑性の薄い河野談話が発表されたのは平成5年(1993)、田中氏の御著書が上梓されたのはそれを遡ること13年、昭和55年(1980)です。率直でユーモラスな筆致が特徴的なこの体験記には、様々なことが赤裸々に書かれています。

慰安婦達との恋愛遊戯のようなこともよくあったようで、田中氏は千代龍という美女に一目惚れ。こんなことを書いて、奥様に叱られなかったでしょうか。千代龍というのは源氏名でしょう。

日本軍がクダット地区を撤退するとき、酋長は部下幹部と共に涙を流して悲しみ、次のように言ったと書かれています。

クダットを撤退するのは思いとどまって下さい。他の新鋭部隊でなく今のあなた達でよい。日本軍がいなくなって、またもし白人が来たら、我々はまた人間扱いはされない。日本軍は私達を同等に扱ってくれた。我々と同じ物を食べ、一緒に同席してくれた。また赤十字をつけた兵隊さんからは我々の仲間が病気を治療してもらって沢山助けられている。どうか日本軍の皆さん、クダットに残っては下さらないでしょうか。日本軍の代わりに白人が来たら、我々はまた奴隷にされてしまいます。(131~132頁)

田中氏のこの御著書だけでも、左翼がしがみついている前掲二点を覆すことができます。「勝てば官軍、負ければ賊軍」といいますけれど、勝った側って、本当に嘘つきですね。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

★エッセー・セレクション ★シネマ・インデックス ★マダムNの文芸作品一覧 ★当サイトで紹介した作家、思想家一覧 ☆☆紹介記事 ☆マダムNのサイト総合案内 ☆メールフォーム ☆作品の商業利用、仕事の依頼について Livly Notes:アストリッド・リンドグレーン Notes:アントニオ・タブッキ Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派 Notes:不思議な接着剤 Notes:卑弥呼 Notes:国会中継 Notes:夏目漱石 Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ) Notes:江戸初期五景2(天海・崇伝) Notes:源氏物語 Notes:百年文庫(ポプラ社) Theosophy(神智学) top page twitter ◆マダムNの電子書籍一覧 ◇高校生の読書感想文におすすめの本 あいちトリエンナーレ/ジャパン・アンリミテッド おすすめKindle本 おすすめYouTube おすすめサイト お出かけ お知らせ ぬいぐるみ・人形 やきもの よみさんの3D作品 アクセス解析 アニメ・コミック アバター イベント・行事 イングリット・フジコ・ヘミング ウェブログ・ココログ関連 ウォーキング エッセー「バルザックと神秘主義と現代」 エッセー「卑弥呼をめぐる私的考察」 エッセー「宇佐神宮にて」 エッセー「文学賞落選、夢の中のプードル」 エッセー「映画『ヒトラー最期の12日間』を観て」 エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」 エッセー「百年前の子供たち」 エッセー「精神安定剤」の思い出」 エッセー「自己流の危険な断食の思い出」 オペラ・バレエ・コンサート オルハン・パムク カリール・ジブラン(カーリル・ギブラン) ガブリエラ・ミストラル クッキング グルメ コラム「新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について」 シネマ シモーヌ・ヴェイユ ショッピング テレビ ニュース ハウツー「読書のコツを少しだけ伝授します」 バルザック パソコン・インターネット マダムNのYouTube マダムNの他サイト情報 マリア・テレジア メモ帳Ⅰ メモ帳Ⅱ ライナー・マリア・リルケ 俳句 健康 №1(治療中の疾患と服用中の薬) 健康 №2(体調)  健康 №3(受診) 健康 №4(入院) 健康 №5(お役立ち情報etc) 健康 №6(ダイエット) 健康 №7(ジェネリック問題) 健康 №8(日記から拾った過去の健康に関する記録) 健康№8(携帯型心電計) 児童文学 児童文学作品「すみれ色の帽子」 写真集「秋芳洞」 創作関連(賞応募、同人誌etc) 占星術・タロット 友人の詩/行織沢子小詩集 地域 夫の定年 季節 家庭での出来事 山岸凉子 思想 恩田陸の怪しい手法オマージュ 息子の就活 息子関連 手記「枕許からのレポート」 文化・芸術 文学 №1(総合・研究)  文学 №2(自作関連) 日記・コラム・つぶやき 時事・世相 書籍・雑誌 未来予知・予測(未来人2062氏、JJ氏…) 村上春樹 村上春樹現象の深層 東京旅行2012年 植物あるいは動物 検索ワードに反応してみました 歴史 瀕死の児童文学界 父の問題 珈琲 神戸旅行2015 神秘主義 福島第一原発関連 科学 経済・政治・国際 美術 能楽 自作小説「あけぼの―邪馬台国物語―」 自作短編童話「風の女王」 自作童話「不思議な接着剤」 芥川賞・三田文學新人賞・織田作之助青春賞 萬子媛 - 祐徳稲荷神社 薔薇に寄せて☆リルケの詩篇『薔薇』のご紹介 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』 評論・文学論 連載小説「地味な人」 電子書籍 音楽