カテゴリー「Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派」の103件の記事

2019年7月28日 (日)

(承前)「フィリポ言行録」について

シンハ・ヤコボビッチ&チャールズ・ベルクリーノ(沢田博訳)『キリストの棺』(イースト・プレス、2007)には、初期キリスト教の文献にたびたび引用されていますが、わずかな断片が残るのみだった「フィリポ言行録」がよみがえったという、次のような興味深い記述があります。

1976年、フランス人のフランソワ・ボボンとベルトラン・ブービエがアトス山のクセノフォントス修道院の車庫に眠る文献の中から、「フィリポ言行録」のほぼ完全な写本を発見したのである。4世紀ごろのテキストにもとづく、14世紀の写本とされている。
 2000年6月、ボボンらはアトス山版「フィリポ言行録」のフランス語訳を完成し、世に問うた。そしてマグダラのマリアが使徒フィリポの妹であり、「マリアムネ」と呼ばれていたことを明らかにした。マグダラのマリアに関する限り、「フィリポ言行録」は新約聖書をはるかにしのぐ情報の宝庫だった。(ヤコボビッチ&ベルクリーノ,沢田訳,2007,p.160)

英語版ウィキペディアによると、フランソワ・ボボン(FrançoisBovon 1938年3月13日 - 2013年11月1日)はスイスのローザンヌ生まれ。聖書学者、初期キリスト教の歴史家。ハーバード神学校宗教史の名誉教授。

フランス語版ウィキペディアによると、ベルトラン・ブービエ(Bertrand Hermann Bouvier  1929年11月6日 - )はスイスのチューリヒ生まれ。ジュネーブ大学文学部の名誉教授。

残念ながら、『フィリポ言行録』はまだ邦訳されていないようです。

前掲フランス語版ウィキペディア「ベルトラン・ブービエ」によると、ブービエには次のような著作があり、フィリポ言行録関連の著作と思われます。

Actes de l’apôtre Philippe. Introduction, traduction et notes, par Frédéric Amsler, Bertrand Bouvier et François Bovon (Apocryphes 8), Turnhout: Brepols, 1996.
・"Actes de Philippe", par Frédéric Amsler, Bertrand Bouvier et François Bovon, in: François Bovon et Pierre Geoltrain (éditeurs),Écrits apocryphes chrétiens, I (La Pléiade 442), Paris, Gallimard, 1997, p. 1179-1320.
Acta Philippi, Textus, édition critique en collaboration avec François Bovon et Frédéric Amsler, vol. 11 du Corpus Christianorum: Series Apocryphorum, Bruxelles, Brepols, 1999.

アマゾンフランスで、次の本が購入可能のよう。わたしは日本のアカウントしか持っていないので(アメリカのアカウントを持っていると、フランスなどでもお買い物できて便利でしょうね)、無理ですが(購入したところで読めないでしょうし)。邦訳版が出るのを首を長くして待つばかり。

Actes de l'apôtre Philippe Broché – 19 août 1996
de Bertrand Bouvier (Auteur), François Bovon (Auteur), Frédéric Amsler (Auteur)
Editeur : Brepols; Édition : 01 (19 août 1996)
Collection : Apocryphes
Langue : Français
ISBN-10: 2503504221
ISBN-13: 978-2503504223

マービン・マイヤー&エスター・A・デ・ブール(藤井留美&村田綾子訳)『イエスが愛した聖女 マグダラのマリア』(日経ナショナル ジオグラフィック社、2006)には、マグダラのマリアが登場する文書として、新約聖書の福音書、ペトロの福音書の他に注目すべき文書群――マリアの福音書、トマスの福音書、フィリポの福音書、救い主との対話、ピスティス・ソフィア、マニ教詩篇集「ヘラクレイデスの詩篇」が紹介されています。

これらに「フィリポ言行録」が加わって、いよいよマグダラのマリアの存在感、文書類の内容の統一感が際立ってきます。それにつれて、新約聖書に登場する人々のよくわからなかった異様、異常と思われた行動も理解できるものとなっていきます。

| | コメント (0)

2019年7月26日 (金)

『キリストの棺 世界を震撼させた新発見の全貌』を読んでいるところです(加筆あり、緑文字。8月21日に追記、青文字)

Img_2568_c

今夏も無事に収穫できたバジルでバジルソースを作り、コーヒーを淹れることと麺を茹でることに特化したわが家のシェフである夫がパスタを茹で、バジルパスタの出来上がり。

と、タイトルとは無関係の話題でした。

まだ二つの記事が書きかけで、それに関する本を再度、図書館から借りました(メアリー・ポピンズの1・2巻は何度も借りて悪いので、ついに購入しました。所有しておきたい本でした)。

その図書館から借りた10冊の中に、以下の本が混じっていました。何となく借りた、内容にはほとんど期待していなかった本でした。

キリストの棺 世界を震撼させた新発見の全貌
シンハ・ヤコボビッチ/チャールズ・ペルグリーノ (著), ジェームズ・キャメロン (編集), 沢田 博 (翻訳)
出版社: イースト・プレス; 1版 (2007/6/20)

ところが、わたしには面白いどころの本ではありませんでした。

1980年代にエルサレムで2000年前の墓が発見されていたそうです。そして、納骨洞にあった10個の骨棺は、イエス(ヨセフの息子イエス)、マグダラのマリア(師として知られたマリアムネ)、2人の子供であると思われる男の子ユダ(イエスの息子ユダ)、他に新約聖書に登場するイエスの家族のものだというのです。

1世紀ごろのユダヤ社会では、イエスもマリアもユダも他の家族の名もありふれたものでしたが、これだけの名が一つの家族に集まる可能性は600に一つにすぎないとか。

このドキュメンタリーから、ジェームズ・キャメロン監督によるテレビ用のドキュメンタリー番組が制作されました。

わたしは『ダ・ヴィンチ・コード』の元ネタとなった以下の本を読み、大変に面白く、また『マリアによる福音書』に登場するマグダラのマリアをモデルとした児童小説の参考にしたのですが、『キリストの棺』も、日本でも放送されたというドキュメンタリー番組も(ググったらフランスの動画サイトで出てきました)、全く知りませんでした。

レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説 (叢書ラウルス)
マイケル ベイジェント (著), ヘンリー リンカーン (著), リチャード リー (著), Michael Baigent (原著), Henry
出版社: 柏書房 (1997/7/1)

当時の新聞記事が出てきました。

「キリストに妻子」、ジェームズ・キャメロンのドキュメンタリーが波紋 - 米国
2007年2月27日 11:45 発信地:米国 [ 北米 米国 ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2187431

キリストの墓発見か、TVドキュメンタリーに反響 - イスラエル
2007年2月27日 15:51 発信地:イスラエル [ 中東・北アフリカ イスラエル ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2187570?pid=1376916

わたしが興奮したのは、わたしにとって辻褄が完全にあったからです。

グノーシス文書とされる新約聖書外典『マリアによる福音書』『トマスによる福音書』などから、マグダラのマリアがイエスの最高の愛弟子であり、妻でもあったことを新約聖書の記述とも合わせて確信し、最後の晩餐のときにイエスの胸に寄り添っていた弟子は彼女なのではないかと憶測していました。

2000年前の骨棺の中には、「師として知られたマリアムネ」と刻まれた骨棺がありました。マリアムネはミリアムのギリシア語形、つまりマリアのことだとか。

マグダラのマリアは、正教会でも、主の復活を伝える第一証人として伝道の旅をしたと伝えられていますから、師として知られていたとしても不思議ではありません。

ただ、最後の晩餐だからといって、妻がラビ(師)である夫の胸に寄り添うのは行き過ぎのような気がしていました。でも、それが成人男性であるとすれば、もっと異常な場面であると思われ、従ってマグダラのマリアと考えざるをえないと思っていたのでした。

また、ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』に出てくるマグダラのマリアに関する伝説の中で、舵のない船で海に流されたマリア一行が南フランスに漂着したという伝説と、その伝説に領主夫妻の子として出てくる、愛くるしい男の子が忘れられませんでした。

2010年4月 1日 (木)
Notes:不思議な接着剤 #50/マグダラのマリアに育てられた男の子
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/04/notes50-2ea0.html

2010年4月 5日 (月)
Notes:不思議な接着剤 #51 二つの嵐とマグダラのマリアの安否
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/04/notes51-7d04.html

わたしが最初、あまり『キリストの棺』を読む気がしなかったのは、マグダラのマリアは南フランスで亡くなったと思っていたからでした。

ところが、本によると、新約聖書外典『フィリポ言行録』には、ローマ帝国の迫害を逃れていったんフランスへ渡ったマグダラのマリアは、兄フィリポと共に小アジアへ伝道の旅に出、後にエルサレムへ戻ったという記述があるというのです。

確認しておきたいと思いました。もしそれが本当であれば、彼女の骨棺がエルサレムで発見されても不思議ではありません。

マグダラのマリアとされる古い骨のサンプルに核まれる核のDNAは損傷がひどくて使えなかったそうですが、もっと小さなミトコンドリアDNAの抽出には成功し、それによるとイエスとマグダラのマリアとされる骨からは、2人が母と子ではなく、兄弟でもないと判明したとか。

他人でありながら同じ墓から出てくるケースは夫婦以外に考えられないそうです。

またもし、イエスにユダという名の息子がいたという推定について、その根拠を新約聖書に求めるとするなら、『マルコ伝』に出てくる若者がそうではないかというのです。

イエスが捕らえられるときに、素肌に亜麻布だけを纏った若者が追いすがったのです。人々が逮捕しようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げたとマルコ伝ではあります。

異様な記述だと思っていましたが、大人が素肌に薄い亜麻布のシャツだけを身につけているなど考えられないけれど、子供ならありえたそうです。

最後の晩餐でイエスの胸に寄り添っていたのが幼い息子であったとすれば、何と納得がいくことでしょう! 自身の死とエルサレムの崩壊を予感していたイエスは、後継ぎである息子を抱き寄せて最後の食事をしたのではないでしょうか。

『キリストの棺』はまだ読んでいる途中です。いずれにせよ、拙『マダムNの神秘主義的エッセー』の以下の記事は改稿の必要がありそうです。

49 絵画に見る様々なマグダラのマリア
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/05/05/025512

追記:

イエス、聖母マリア、マグダラのマリアのものと考えられている骨棺について、『キリストの棺』を参考にもう少し詳しく書いておくと、イエスのものと考えられる骨棺は10個の骨棺のうち最も簡素だったそうです。

それには、「YESHUA BAR YOSEF(ヨセフの息子イエス)」というアラム文字の刻印がありました。しかも、先頭の Y の字の前には、文字より大きな「X」マークが刻まれていました。

それが何であるかは、『キリストの棺』では、旧約聖書のエゼキエル書(9・4)に根拠を求め、アラム語やヘブライ語のアルファベットで最後に来る文字「タウ」だとしています。

その「X」に似た文字は、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ(2007,pp.293-294)によれば、「それ自体で何かの終わりを、また同時に新しい何かの始まりを意味していた」と考えられるそうです。

聖母マリアのものだとされる骨棺には、ヘブライ文字らしきもので「マリア」と刻まれていました。ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ(2007,p.38)によると、「ただしヘブライ語の綴りではなく、ラテン語での発音をそのままなぞっていた」とあります。

マグダラのマリアのものだとされる棺には、「マラとして知られたマリアムネ」と刻まれていました。

Marat(マラ)はアラム語で「主」または「師」を意味し、男性形も女性形も同形。Mariamne(マリアムネ)は、ヘブライ語Miriam(ミリアム)のギリシア語バージョンだそうです。

マグダラのマリアはガリラヤ湖周辺の生まれで、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ(2007,p.168)によると、「イエスの教団を経済的に支える存在」であり、地域柄、彼女はバイリンガルでギリシア語ができ、ヘブライ語、アラム語、ギリシア語を使いこなしていたと考えられるようです。

だからこそ、マグダラのマリアはギリシア語圏であった小アジア(アナトリア)で、師と呼ばれるほどの活動ができたのでしょう。

ちなみに、旧約聖書はヘブライ語で記されています。イエス時代のパレスチナで使われていたのはアラム語です。新約聖書にもイエスの言葉としていくつかアラム語が出てきます、新約聖書はギリシア語で記されました。

「マラとして知られたマリアムネ」と刻まれた骨棺は、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ(2007,p.50)によると、「バラの花弁をあしらったロゼッタ文様で美しく飾られて」いました。

| | コメント (0)

2018年4月24日 (火)

ヤコブ・ベーメに関するメモ2

トルストイの『戦争と平和』について書いている途中なのだが、ちょっとメモ。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」中、「49 絵画に見る様々なマグダラのマリア」に次のように書いた。

執筆中の拙児童小説『不思議な接着剤』にはグノーシス主義の福音書文書の一つ  『マリアによる福音書』に登場するマグダラのマリアをモデルとした人物を登場させるため、マグダラのマリアについて自分なりに調べてきた。
マグダラのマリアを調べるということは原始キリスト教、グノーシス主義について調べるということでもあるが、参考資料を探すうちに神智学徒として馴染んできたH・P・ブラヴァツキーの諸著がこの方面の研究には欠かせないことがはっきりしてきた。

マグダラのマリアが印象的に登場する「マリア福音書」をはじめとするグノーシス文書を色々と読んできた目でベーメの「シグナトゥーラ・レールム」を読むと、この作品がグノーシス文書群に混じっていたとしても何の違和感も起きないだろうと思った。

ベーメの哲学はキリスト教グノーシス的であるが、悲観的、厭世的なところが全くない。グノーシス思想といっても複雑だが、本来はそのようなものではないかと思う。

また何より、錬金術的である。ここでベーメを研究している時間がない。それでも、せっかくトルストイの『戦争と平和』の中でバラ十字が出てきたのだから、バラ十字と切り離せない人物であるベーメの哲学の重要な部分の引用くらいはしておきたい。

ベーメの哲学は二元論的であるが、根本に汎神論的なところがある。ダイナミックな神秘体験に圧倒される。ひじょうに難解で、一つの単語が重層的な意味合いをもっている。それでいながら音楽的で、美しい。わたしのハートが刺激されて、白い光がとめどもなく……

|

2017年10月30日 (月)

ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)』を読んで

当記事は、アマゾンの拙レビューに加筆したものです。

レビューを書いた時点では品切れでした(新古品、中古品は表示されていました)。

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』
文芸社 (2016/8/1)

ブラヴァツキーの二大大著は『シークレット・ドクトリン』と、その前に書かれた『Isis Unveild』です。

ブラヴァツキーが生まれたのは1831年、すなわち日本では江戸時代の天保年間で、亡くなったのは1891年、明治24年です。どちらもそんな昔に書かれたとはとても思えない内容です。

『シークレット・ドクトリン』の原典第一巻の前半に当たる部分が宇宙パブリッシングから『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》』というタイトルで出ています。
第二巻が人類発生論。
第三巻の前半部分が、この加藤大典氏の翻訳による『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) ――科学、宗教、哲学の統合―― 』で、未完に終わっていたものがアニー・ベサントの編集で世に出た貴重なものですね。アニー・ベサントは神智学協会第二代会長を務めました。

ただ、『シークレット・ドクトリン』の最新版であるジルコフ版から訳出されたH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)の凡例には「原典『シークレット・ドクトリン』(英文)は四巻になる予定であったが、“第三巻”と“第三巻”は結局出版されなかった」と明記されているのです。このあたりの複雑な事情については冒頭に掲げられたジルコフによる「『シークレット・ドクトリン』の沿革」(松田佳子訳)に詳しく書かれています。
そして、ジルコフは「数年もの間多くの論議をかもした」第三巻、第四巻に関しては、「以上、我々は様々な意見を引用してきたが、第三巻、第四巻の原稿存在に関しはっきりとした是非は下せない」と結論づけています。

『Isis Unveild』の前半に当たる部分の邦訳版が『ベールをとったイシス〈第1巻〉科学〉』上下巻で竜王文庫から出ていますが、わたしはこのアニー・ベサントの編集による『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』を読みながら、『ベールをとったイシス』の続きを読んでいるような気がしました。

アカデミックの世界ではグノーシス主義の定義すら曖昧でしたが、死海文書やナグ・ハマディ文書の発見により、グノーシス主義の輪郭や初期キリスト教に関することが次第に明らかになってきています。
『シークレット・ドクトリン』より前に書かれた『ベールをとったイシス』には、それらに関する多くの記述があります。またアリストテレスはプラトンの教えをどう間違って伝えかを的確に指摘していますし、プラトン哲学の核となったピタゴラス哲学に内在するインド的(バラモン教的)概念の抽出を行っています。古代イスラエル人は何者だったのか。国家集団の中で最古のものだったインドとエジプトはなぜ似ているのか。アトランティスに関する記述も、そうした考察と関連する中で出てきます。

この『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』では、プラトンの著作、新旧両聖書、エノク書、ヘルメス文書、カバラ文書などが採り上げられており、ブラヴァツキーは様々な推論や学説を紹介しながら、世界の諸聖典の中にある秘教的寓意と象徴に隠された意味を明らかにしていきます。

ちなみにブラヴァツキーがインドという場合には太古の時代のそれを指すそうで、上インド、下インド、西インドがあって、ブラヴァツキーが『ベールをとったイシス』を執筆した当時にペルシア - イラン、チベット、モンゴル、大タルタリーと呼ばれていた国々も含まれるそうです。

ウィキペディア「タタール」に、「モンゴル高原や北アジアは、19世紀まで西ヨーロッパの人々によってタルタリーと呼ばれており、その地の住民であるモンゴル系、テュルク系の遊牧民たちはタルタル人、タルタリー人と呼ばれつづけていた」とあります。

また、『シークレット・ドクトリン』の宇宙発生論では、「一太陽プララヤ後の地球惑星体系とそのまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけが扱われている」(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)とありますので、『第三巻(上)』を読む場合にも、このことに留意しておくべきでしょう。

『シークレット・ドクトリン 第三巻(下) 』の上梓も心待ちにしています。

これ以前に、加藤氏の翻訳によるブラヴァツキーの『インド幻想紀行』を読みました。とても面白い本でした。『シークレット・ドクトリン』は副題に科学・宗教・哲学の統合とあるように、学術的で、難解なところのある論文ですから、読み進めるには当然ながらその方面の教養が要求されますが、『インド幻想紀行』は一般の人にも読みやすい本ではないかと思いました。

|

2017年7月18日 (火)

息子の土産話。温まった旧交を冷やす、女友達との価値観の違い。

昨夜、フランス語圏の国に2週間出張していた息子から電話があり、長電話になった。興味深い話をいろいろと聞くことができた。

古い洋館が研修施設になっていたそうだが、近くに森があり、その森は日本の森や林といったイメージからは遠く、そう大きな森ではないのに、とても暗くて、ヨーロッパのお伽噺によく出てくる魔女でも出てきそうな感じだったとか。

魔女裁判があっていたころ、異端視された人々が森の中で秘密の集会を開く場面を本で読んだことがあったが、隠れるにはぴったりといった雰囲気だそう。

尤も、息子は森に入ったわけではなく、近くを通ったときに見た程度だったようだ。

小さな国の割には放牧地が広大で、牛の群れが無造作に点在していたとか。

森の近くの研修施設も、そこからは離れた研究団地のようなところにあるオフィスも国際色豊か、人々は友好的。

ただその国の礼儀作法で、親しい男女間、女性同士が頬を触れ合う挨拶があり(男性同志ではしない)、女性と頬をくっつけ合う挨拶では固まってしまい、それを察知した相手は次の日から握手に代えてくれたとか。

オフィスには世界中飛び回っているアフリカ出身のキャリアウーマンがいて、その人は大の日本贔屓だそうで、それは青年海外協力隊に親切にして貰ったからだという。

オフィスのある街の住人もとても親切で、フランス語しか通じないレストランで戸惑っていると、隣で食事していたお客さんが通訳を買って出てくれたそうだ。

研修の間もオフィスでも昼食はフランスパンにハム、チーズ、野菜などを挟んだサンドウィッチ。ハーブがきつくて、息子はそれが苦手だったそう。

息子がチョコレートを送ってくれるそうで、娘と楽しみにしている。

暗い森の話のところで、つい魔女裁判を連想してしまったのは、わたしが児童小説に魔女裁判にかけられる女性を登場させたいと思い、いろいろと調べてきたからだった。

そして、ヨーロッパの昔話に見られるような魔女の起源はキリスト教会に異端視されたカタリ派に求められるらしいこと、またカタリ派ではイエスとマグダラのマリアが結婚していたと教えていたらしいことを知った。

『異端カタリ派と転生』(原田武、人文書院、1991)によると、カタリ派は都市部における富裕層の知識人たちによって担われ、栄えたが、弾圧されるにつれて農村部に移り、次第に迷信化、妖術化していった。つまり、どんどん俗化を強めていき、遂には絶えたということである。

イエスとマグダラのマリアの結婚については、拙神秘主義ブログの以下の記事を参照されたい。

これも過去記事で書いたことだが、上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社〈講談社学術文庫〉、1998年)によると、魔女裁判が異端審問の延長上に生まれたことは確かであるようだ。

フランスのように教皇庁指揮下の裁判は異端審問、世俗裁判所では魔女裁判――という風に担当が明確であった所もあれば、ドイツのように教皇庁の力が弱くて双方が入り乱れていた所もあって、地域により時代によりまちまちだったようである。

異端者という語を生み、異端審問の開始のきっかけとなったのは、カタリ派だった。カタリ派は、それだけキリスト教会を脅かす存在だったのだ。

現代であれば精神病者に分類されるような人々が訴えられたり、逆に訴えたりするケースは多かったようだ。

一貫して魔女裁判の抑止力となったのは、神秘主義者たちだった。

前掲書『魔女とキリスト教』によると、魔女裁判の衰退に最も影響を与えたのは、ヴァイアーの医学的アプローチ、魔女懐疑論だった。

ヴァイアーはパラケルスス、アグリッパの思想系譜に属する神秘主義者で、彼の師アグリッパは魔女迫害推進派から邪悪な魔術の象徴として攻撃された。

アグリッパは異端視されながら『女性の高貴』など女性賛美の文章を書き(男性優位の社会背景があった。ちなみにカタリ派は男女平等論者だったという)、パリに秘密結社をつくり、メッツ市の法律顧問となって、魔女の嫌疑のかかった老婆の救援に立った。

勿論彼自身も魔女裁判の犠牲となる危険と隣り合わせだったが、個人的に教皇から好意をもたれていたことが幸いしたという。

ヴァイアーは、メランコリーという医学概念を魔女の判定に持ち込んで、魔女は責任能力を有しないことを立証しようとした。

こうした精神病理学の発達で、魔女裁判をリードしてきたフランスの法曹界がその影響を受けるようになったことから、魔女は火炙りにされるよりは拘禁され始め、山火事のようにヨーロッパに拡がった魔女現象は次第に鎮静化したという。

旧交を温めた友人のご主人が統合失調症と診断され、大変なようだ。別の医者は別の診断を下しているという。飲み薬漬け、アル中気味だったのが、療養所に入所したことで、少なくともアルコールとの縁は断っているそうだ。

律儀に夫を支え続けている彼女は立派だ。

が、残念ながら、彼女と前述したような話はできない。

戦後の日本が、共産主義者が大勢入り込んだ進駐軍による愚民政策によって唯物主義、現世主義に大きく傾いたように、彼女の物の考えかたにはその影響が色濃く、それが現代日本における主流なのだから、目下わたしに勝ち目はない。

物心ついたときから神秘主義者であったわたしなどは、現代日本の価値観からすれば、非科学的な時代錯誤の人間と映って当然だ。一方では、これをいってはまずいのかもしれないが、わたしにはむしろ彼女のような人々のほうが古めかしい人々に映る。

高校時代に親しかった彼女に、当時のわたしは自身のほのかな前世やあの世の記憶について、話したことはなかった。話せない雰囲気を感じていたからだろうが、かくも価値観の異なる青春時代における友人関係というものが、互いにとって有意義であったかどうかは微妙なところだろう。

ただ、何にせよ、神秘主義は科学に反する立場をとっているわけではない。オーラが肉体を包んでいるように、神秘主義は科学そのものを包含し、包含する観点から正誤を考察しようとするものなのだ。

近代神智学運動の母H・P・ブラヴァツキーの著書はそのようなもので、その著書には古代から当時知られた科学者に至るまで、多くの科学者、哲学者の説が沢山出てくる。

わたしは友人ににこうした考えを押し付けようとは思わない。彼女が思った以上に現世主義者で、価値観があまりにも異なることがわかったため、高校時代にそうであったように、今後こうした方面の話はしないだろう。

彼女も、彼女のご主人も一定の落ち着きを得たようだし、頼りになる妹さんもいるようだから、元のように距離を保つほうがいいかもしれない。

もっとも、神秘主義の研究を標榜しながら出鱈目な論文を書く学者や、スピリチュアルという名の下に誤った知識を商売道具にしている者など怪しげな人々が沢山いて、神秘主義が誤解されるのも無理はない。

それでも、精神病理学を発達させたのがヴァイアーのような神秘主義者であったことから考えると、神秘主義を排除して唯物的なアプローチを続けたところで、精神医学が停滞を続けるばかりであることは想像できる。

ユングのような神秘主義に関心を持った心理学者も出たが、そのアプローチの仕方はあまりに恣意的なのではないだろうか。

|

2017年7月 8日 (土)

大雨から考えさせられた、古代文明社会における魔術とイアンブリコス

凄まじいばかりの大雨には驚かされるばかりで、古代文明社会で魔術の研究が盛んだったのも心情的にわかるような気がした。

古代文明社会では、人智を超えた力を招聘してでも何とかしたいという思いに至るほど、天災による悲劇が数多く発生したに違いない。

近代神智学運動の母P・H・ブラヴァツキーは、半分邦訳版が出ている Isis unveiled ――H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 下』(竜王文庫、2015)――の中で、古代文明社会で行われた魔術がどのようなものであったかを、歴史的な変遷に沿って理論面から丹念に考察している。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)の用語解説「魔術」には次のように書かれている。

(……)魔術とは現世を越えた天上的な力と交流してこれを意のままに動かし、またより低級な領域の諸力を自在に使用するという科学である。それは隠れた自然の神秘の実際的知識で、ごくわずかな人にしか知られていない。魔術は非常に得がたい知識であり獲得しようとする人はほとんど法則に違反し罪を犯して失敗してしまうからである。古代と中世の神秘家達は魔術を、テウルギー(神々との交流)とゴスティアと自然の魔術の三つのクラスに分類した。(……) (ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説p.59)

テウルギー(神働術)について多くを書き残し、それを実践したのは、3世紀の新プラトン派に属する神智学者で、イニトエートであったとされるイアンブリコスだった。

彼は「たいへんな苦行をし、清浄で真剣な生活を送った。(……)地面から約5メートルの高さまで空中浮遊したと言われている。」(ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説p.17)

神智学の創始者アンモニオス・サッカスの直弟子達プロティノスとポルフィリオスはテウルギーは危険であるとして、懸念を抱いたらしい。

イアンブリコスの一派は、プロティノスやポルフィリオスの一派とは違っていた。このふたりの高名な人物は、典礼魔術も神働術も堅く信じてはいたが,危険であるとして強く反対した。 (H・P・ブラヴァツキー、ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』竜王文庫、2010、ベールの前でp.lvi)

イアンブリコスはピタゴラスについて最も多くを書き残している。ピタゴラス派の日々の生活がどのようであったかがイアンブリコス(水地宗明訳)『ピタゴラス的生き方(西洋古典叢書 2011 第3回配本)』(京都大学学術出版会、2011)を読むと、細かにわかる。

共同食事を解散する前に最年長者が神に献酒した後で唱える戒告が印象的なので、引用しておこう。ちなみに共同食事の献立はワイン、大麦パン、小麦パン、おかずは煮たのと生のままの野菜。神々に供えられた動物の肉も[時には]添えられた。

栽培され果実を産する植物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。同じく、人類に有害でない動物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。なおまた、神とダイモーンとへーロースのたぐいについては言葉を慎み、よい心情を抱け。また両親と恩人についても同様の心情を持て。法に味方せよ。違法と戦え。 (イアンブリコス,水地訳,2011,p.108)

|

2017年5月 4日 (木)

Notes:不思議な接着剤#95 ナザレ人

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベサント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』(文芸社、2016)に注目すべきことが書かれている。この第三巻は、未完のまま終わった『シークレット・ドクトリン』をアニー・ベサントが再編し刊行したものだという。

ブラヴァツキーは次のように書いている。

『新約聖書』、『使徒行伝』そして『使徒書簡』集が――いかにイエスの歴史像の真実に迫るとしても――すべて象徴的、比喩的な発言であること、また「キリスト教の創設者はイエスではなくパウロであった」こと、しかしそれはいずれにしても、正式な教会キリスト教ではなかったこともまた真実である。「弟子たちがキリスト教徒と初めて呼ばれたのは、アンテオケにおいてであった」ことを『使徒行伝』は伝える。それまで彼らはそう呼ばれなかったし、その後も長い間、単にナザレ人と呼ばれた。(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,p.262)

また、「ナザレ人はカルデアのテウルギストつまり秘儀参入者の階級」(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,p.265)であって、パウロが「秘儀参入者」の階級に属していたと書き、その根拠を示している。パウロが目指した教義は次のようなものだったという。

パウロにとって、キリストは個人でなく、具体化された理念である。『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者であり』この人は、秘儀参入者のように、生まれ変わったのだ。なぜなら主は霊――人間の霊――だからである。パウロは、イエスに会ったことはなかったけれども、イエスの教えの底に横たわる秘密の理念を理解していた唯一の使徒であった」「しかしパウロ自身は無謬ではなく完全でもなかった」「新しく広やかな改革、人類全体を包むことのできる改革をスタートすることに心を傾けていた彼は、自身の教義を本心から、時代の知恵のはるか上位、古代の密儀や最終的な『エポプタイ』(秘儀の伝授)より上に本心で設定した」(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,pp.264-265)

ペテロは秘儀参入者ではなく、ユダヤのカバリストであった。

このような方向で、ギリシアの秘儀とカバラという確かなガイドを目の前にして探索をすすめるならば、パウロがペテロ、ヨハネおよびヤコブによりあのように迫害され憎悪される秘められた理由を発見するのは容易であろう。『黙示録』の著者は、生粋のユダヤ人カバリストであり、異教の秘儀に対する先祖伝来の憎悪を全身に漲らせていた(註『ヨハネによる福音書』がヨハネによって書かれたものでなく、プラトン主義者、あるいは新プラトン学派に属するグノーシス主義者の一人によって書かれたことは言うまでもない。イエスの存命中における彼の嫉妬はペテロにまで広がった。(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,pp.266-268)

この第三巻(上)は、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 下』(竜王文庫、2015)と重なる部分も多く、『ベールをとったイシス』に補足した巻ということもできそうだ。

原始キリスト教を研究するには、『ベールをとったイシス』同様に欠かせない著作であると思う。

「『ヨハネによる福音書』がヨハネによって書かれたものでなく、プラトン主義者、あるいは新プラトン学派に属するグノーシス主義者の一人によって書かれたことは言うまでもない」と前掲書の註に書かれていた文章から、カタリ派がヨハネ福音書を偏愛していた事実を思い出した。

ナザレ人はカルデアのテウルギストつまり秘儀参入者の階級だった、とブラヴァツキーは書いている。そのナザレ人というのは、意見の相違によりエッセネ派から分かれた分派ともブラヴァツキーは書いている。

新バビロニア(カルデア人が築いた王国で、カルデア王国ともいう。紀元前625 - 紀元前539)の王ネブカドネザル2世により紀元前597年に滅ぼされたユダ王国のユダヤ人たちは、バビロンに捕囚された(ダビデ王によって統一された統一イスラエル王国は、ソロモン王の死後、紀元前930年頃に分裂し、北のイスラエル王国は紀元前722年、アッシリア帝国に滅ばされている)。

その地で、ユダヤ人は圧倒的なバビロニア文化(カルデア人は天文学・占星術に優れていた)の影響を受ける一方では、それに抗して律法を重視する(エルサレムの町も神殿も失っていたため)ユダヤ教を確立した。

ブラヴァツキーはこうも書いている。ノート92から引用する。

アリストテレスの時代には物質主義が優勢な思潮となって、霊性と信仰は頽廃した。秘儀そのものが甚だしく変質し、熟達者[アデプト]と秘儀参入者[イニシエート]は侵略者の武力で散り散りになり、その後継者と子孫は少数だった(ジルコフ編,老松訳,2010,pp.18-19)とブラヴァツキーはいう。

エジプトの「聖なる書記や秘儀祭司は,地上をさすらう者となった。彼らは聖なる秘儀の冒涜を恐れて,ヘルメス学的な宗団――後にエッセネ派Eseenesとして知られるようになる――のなかに隠れ家を探さざるをえず,その秘儀知識はかつてなかったほどに深く埋もれた」(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.19)

エッセネ派はノート91で書いたように、ユダヤ人の一派であって、グノーシス派、ピタゴラス派、ヘルメス学的集団、あるいは初期キリスト教徒であったとブラヴァツキーは述べているのだ。
(……)

ウィキペディアからナグ・ハマディ文書について引用すると、写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。(……)調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる(ウィキペディアの執筆者. “ナグ・ハマディ写本”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-23. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E5%86%99%E6%9C%AC&oldid=58723955, (参照 2016-02-29).)とあることからもわかるように、エッセネ派に関するブラヴァツキーの記述はまるでナグ・ハマディ文書の内容を述べたかのようである。

当ブログにおける関連記事:

| | トラックバック (0)

2016年10月11日 (火)

キリスト教会の著作に関しての参考になるメールを頂戴いたしました

キリスト教会の著作に関しての参考になるメールを頂戴いたしました。

許可もいただかずにそのメールを掲載するわけにはいかないので、わたしの返事を掲載します。

Y様、ありがとうございます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

Y様

メール拝読しました。

バチカンの教皇庁文化評議会と教皇庁諸宗教対話評議会が2003年に発表した「『ニューエイジ』についての考察」という論文とそれを収めた邦訳書があることは知りませんでした。

これはカトリック教会の公式文書ですね?

すぐにでも目を通したいところですが、残念ながら利用している二つの図書館には置かれていないようなので、金銭的余裕のできたときに購入したいと考えています。

ご紹介のブログを閲覧したところでは、「ニューエイジ」という用語の出典については書かれていても、漠然とした定義のように思えますが、本ではどのように定義され、どのような批判が展開されているのか、甚だ興味があります。

わたしは無知な一神智学徒にすぎませんが、あまりにブラヴァツキーバッシングがひどいので、彼女の論文のどこが攻撃されているのかを調べたところ、これまでのところではすべてのケースでろくに読まれてもいないことがわかり、個人のブログでそれに対する疑問を表明することが適切なことだとは思っていませんが、火のないところに煙が立ちすぎている恐ろしさを感じて自分なりの調査を進めていたところでした。

わたしはブラヴァツキーがイエス・キリストを批判した文章を一行も読んだことがなく、「『天国の奥義』と言われるキリストの秘密の教えと、教会及び宗派の後世の典礼過重主義や独断的神学との違い(略)」(『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、24頁)という彼女の言葉に表されているように、ブラヴァツキーの批判はあくまでイエスの教えを私物化し、歪めようとするキリスト教会に対する批判です。

火のない煙では焼き芋を作ることもできないので、今後も地味な調査を続けていきたいと思っています。

御礼があとになりましたが、この度は貴重な情報をありがとうございます。

マダムN

|

2016年8月18日 (木)

Notes:不思議な接着剤#94 ユダヤ人の発祥地

過去のノートでエッセネ派については考察を重ねてきた。重要な引用を確認しておきたい。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)にはエッセネ派についての詳しい記述がある。

エッセネ派ESSENESとは「癒やし手」を意味するAsaiに由来する。「プリニウスPlinyによればユダヤ人の一派で,彼らは死海の近くに何千年にもわたって暮らしていた」「たくさんの仏教的観念と修行があった」「初期教会で用いられた『兄弟[同胞]』なる呼称は,エッセネ派的なものだった。彼らは一つの友愛団体であり,かの初期改宗者たちに似たコイノビオンKoinobion,すなわち共同体だったのである」(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳、2010,ベールの前でXXXViii-XXXViX)

死海の近くに何千年にもわたって暮らしていたエッセネ派という記述が、わたしには信じられなかった。そんなに古くからだなんて、ありえるだろうか。

また、エッセネ派はユダヤ人の一派であって、グノーシス派、ピタゴラス派、ヘルメス学的集団、あるいは初期キリスト教徒であったとブラヴァツキーは述べている。

アリストテレスの時代には物質主義が優勢な思潮となって、霊性と信仰は頽廃した。秘儀そのものが甚だしく変質し、熟達者[アデプト]と秘儀参入者[イニシエート]は侵略者の武力で散り散りになり、その後継者と子孫は少数だったとブラヴァツキー(ジルコフ編,老松訳,2010,pp.18-19)はいう。

エジプトの「聖なる書記や秘儀祭司は,地上をさすらう者となった。彼らは聖なる秘儀の冒涜を恐れて,ヘルメス学的な宗団――後にエッセネ派Eseenesとして知られるようになる――のなかに隠れ家を探さざるをえず,その秘儀知識はかつてなかったほどに深く埋もれた。(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.19)

そして、イエスは、偽のメシア、古代の宗教の破壊者で、仏教の信奉者という不当な非難をバルデサネス派によって浴びせられた宗派の一つに属しており、そのうちのどれであったかの特定は不可能に近いが、イエスが釈迦牟尼仏の哲学を説いたことは自ずと明らかであるとブラヴァツキーは書く。

ここまではっきり断言するとなると、ブラヴァツキーがキリスト教から叩かれるのも当然だ。仏教の教えを説くイエス……。今でこそ、ブラヴァツキーのいったようなことがいわれ出したのだが。

しかし、もしこれが本当なら、正統キリスト教を主張したカタリ派が「西欧の仏教」といわれ、グノーシス福音文書中の白眉『マリアによる福音書』でマリアがイエスから教わったといって話し始めるその内容が驚くほど仏教的であったことの謎も解ける。

箱崎総一『カバラ ユダヤ神秘思想の系譜』青土社、1988)には次のように書かれている。

フィロンがアレクサンドリアで活躍していた頃、パレスチナ地方死海のほとりに禁欲的な瞑想的生活を続けている一群のユダヤ人たちがいた。〔略〕現代の研究者は彼らを“クムラン宗団”または“死海宗団”と命名している。
 『死海の書』に関する研究が進むにつれて新たに脚光を浴びてきた事実があった。死海宗団はユダヤ神秘思想とくにカバラ思想の原型とも見なすことのできる神的霊知に関するかなり発達した秘儀体系をもっていたことが判明した。〔略〕
 こうした秘儀宗団が共通して抱いていたユダヤ神秘思想の背景には、さらに古代ギリシャで発達した神秘思想との関連も認められる。とくにネオ・ピタゴラス学派からの影響が濃厚であるこの学派は、今日では数学者として知られているピタゴラスに端を発する神秘主義教団であった。
(箱崎,1988,pp.70-72)

#57のノートで、カバラの起源がエッセネびとに遡る可能性について書いたが、箱崎総一『カバラ  ユダヤ神秘思想の系譜  *改訂新版 』(青土社、1988)のp.180以降、盲人イサクの章を読むと、カバラと瞑想が密接な関係にあることがわかる。フィロンによると、エッセネびとは瞑想を実行していた。

盲人イサクのカバラ思想の手稿断片にはしばしば神秘的な光と色彩についての叙述が認められる。(箱崎,1988,p.185)

これはオーラに関する記述だ。

死海文書がエッセネ派によって書かれたものであるかどうかは議論の余地を残しているようだが、死海文書とエッセネ派を結びつける研究者は多い。

ナグ・ハマディ文書は1945年、死海文書の発見は1947年以降のことであり、ブラヴァツキーは1891年に亡くなっているから、彼女がこれらの情報に接することはなかった。

以下の引用は、ウィキペディアのナグ・ハマディ文書に関するものである。

写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。(……)調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる。

ウィキペディアの執筆者. “ナグ・ハマディ写本”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-23. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E5%86%99%E6%9C%AC&oldid=58723955, (参照 2016-02-29).

エッセネ派に関するブラヴァツキーの記述は、まるでウィキペディアに書かれたナグ・ハマディ文書の内容を述べたかのようである。

ここで、前述した疑問に戻る。

死海の近くに何千年にもわたって暮らしていたエッセネ派という記述が、わたしには信じられなかった。そんなに古くからだなんて、ありえるだろうか。

エッセネ派はユダヤ人の一派であるようだ。以下はウィキペディア「ユダヤの神話」からイスラエル民族の起源を述べた部分である。

イスラエル民族の起源
紀元前1207年の出来事を記したエジプトの石碑には「イスラエル人」についての言及が認められ、これがイスラエルという部族集団の実在を確認できる最古の文献である。


ウィキペディアの執筆者. “ユダヤの神話”. ウィキペディア日本語版. 2013-06-07. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1&oldid=48086736, (参照 2016-08-14).

紀元前1207年というと、モーセの活躍が紀元前13世紀ごろとされるから、そのころのことで、「何千年」という長大な時間がどこから出てくるのか、わたしには謎だった。

ところが、その根拠となりそうな記述を(ジェフ・クラーク訳)『エレナ・レーリッヒの手紙(抜粋訳)』(アグニ・ヨガ協会編、竜王文庫(コピー本)、2012校正版)の中に見つけた。

ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』にある記述ということだが、邦訳版が出ている部分にその記述があるのか、出ていない部分にあるのか、わたしはまだ確認できていない。レーリッヒ夫人の手紙には次のようにある。

『シークレット・ドクトリン』にはユダヤ人の発祥地はインドであると示される。タミール人の低級の部族はインドを去り、放浪しながら出会ったセム族と結婚して交じり合ったという。(クラーク訳,2012,p.23)

何だか、頭がクラクラしてしまった。ユダヤ人もジプシーもヒトラーに虐殺されたせいか、彼らのイメージが重なることがあったのだが、ジプシーもインドが発祥地とされてはいなかったか?

ウィキペディア「ジプシー」には、欧州における「ジプシー」の最大勢力であるロマは、北インド・パキスタンに起源に起源を持つインド・アーリア人系の移動型民族とあった。

|

2016年5月24日 (火)

ベンジャミン・フリードマンのスピーチ

ユダヤ人について正しく理解しようと思うと困難を極める。情報量が多く、錯綜しているように感じられるからだ。

それはどうやら、ユダヤ人という呼び方に曖昧なところがあり、その呼び方のもとに断片的な歴史的事実が錯綜して呼びこまれ、そこへ誤った見方や妄想までが一緒になってしまっているということのようだ。

とりあえず、古代ユダヤ教を信仰する民族としてパレスチナにいた原ユダヤ人ともいうべき人々、9世紀ごろユダヤ教を国教としたハザール(カザール)王国の人々であるハザール人、またユダヤ復興運動主義者シオニストはそれぞれ別個に考える必要があるということはわかった。

財閥ロスチャイルド家はハザール人。

現在のイスラエルはシオニストによって建国されたバザール人の国家といったほうがいいようである。イスラエルには原ユダヤ人もいるらしいが……

「チャンネルくらら」から配信されている、内藤陽介氏(元東京大学文学部イスラム学科教官)による「きちんと学ぼう!ユダヤと世界史:ユダヤ陰謀論を叱る」シリーズは興味深い。

第1回を過去記事で紹介したが、2015年4月1日配信の第1回から始まり、2016年5月11日配信で第47回と長大な講義となっている。わたしはまだ部分的にしか視聴できていない。

また別の過去記事で至上最悪の偽書といわれる『シオン賢者の議定書』に言及し、ベン=アミー・シロニー教授の動画を紹介した。

  • 2014年9月28日 (日)
    ユダヤ人に関して、わたしにあった二つの疑問
    https://elder.tea-nifty.com/blog/2014/09/post-3140.html

その後もユダヤ人について考え続けていた。

ユダヤ人がなぜドイツであれほどの迫害を受けたのかが、わたしにはもう一つわからなかった。

最近になってベンジャミン・フリードマンのスピーチの動画を聴いた(以下に貼りつけておく)。戦慄させられる内容であるが、とりあえずは他の情報に対するように距離を置き、参考までにとどめておこう。今後もユダヤ人については正しい情報を求めていくことになりそうだ。

ベンジャミン・フリードマンのスピーチ①

ベンジャミン・フリードマンのスピーチ②

ベンジャミン・フリードマンのスピーチ③

|

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

★エッセー・セレクション ★シネマ・インデックス ★マダムNの文芸作品一覧 ★当サイトで紹介した作家、思想家一覧 ☆☆紹介記事 ☆マダムNのサイト総合案内 ☆メールフォーム ☆作品の商業利用、仕事の依頼について Livly Notes:アストリッド・リンドグレーン Notes:アントニオ・タブッキ Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派 Notes:不思議な接着剤 Notes:卑弥呼 Notes:国会中継 Notes:夏目漱石 Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ) Notes:江戸初期五景2(天海・崇伝) Notes:源氏物語 Notes:百年文庫(ポプラ社) Theosophy(神智学) top page ◆マダムNの電子書籍一覧 ◇高校生の読書感想文におすすめの本 あいちトリエンナーレ/ジャパン・アンリミテッド おすすめKindle本 おすすめYouTube おすすめサイト お出かけ お知らせ ぬいぐるみ・人形 やきもの よみさんの3D作品 アクセス解析 アニメ・コミック アバター イベント・行事 イングリット・フジコ・ヘミング ウェブログ・ココログ関連 ウォーキング エッセー「バルザックと神秘主義と現代」 エッセー「卑弥呼をめぐる私的考察」 エッセー「宇佐神宮にて」 エッセー「文学賞落選、夢の中のプードル」 エッセー「映画『ヒトラー最期の12日間』を観て」 エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」 エッセー「百年前の子供たち」 エッセー「精神安定剤」の思い出」 エッセー「自己流の危険な断食の思い出」 オペラ・バレエ・コンサート オルハン・パムク カリール・ジブラン(カーリル・ギブラン) ガブリエラ・ミストラル クッキング グルメ コラム「新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について」 シネマ シモーヌ・ヴェイユ ショッピング テレビ ニュース ハウツー「読書のコツを少しだけ伝授します」 バルザック パソコン・インターネット マダムNのYouTube マダムNの他サイト情報 マリア・テレジア メモ帳Ⅰ メモ帳Ⅱ ライナー・マリア・リルケ 俳句 健康 №1(治療中の疾患と服用中の薬) 健康 №2(体調)  健康 №3(受診) 健康 №4(入院) 健康 №5(お役立ち情報etc) 健康 №6(ダイエット) 健康 №7(ジェネリック問題) 健康 №8(日記から拾った過去の健康に関する記録) 健康№8(携帯型心電計) 児童文学 児童文学作品「すみれ色の帽子」 写真集「秋芳洞」 創作関連(賞応募、同人誌etc) 占星術・タロット 友人の詩/行織沢子小詩集 地域 夫の定年 季節 家庭での出来事 山岸凉子 思想 恩田陸の怪しい手法オマージュ 息子の就活 息子関連 手記「枕許からのレポート」 文化・芸術 文学 №1(総合・研究)  文学 №2(自作関連) 日記・コラム・つぶやき 時事・世相 書籍・雑誌 未来予知・予測(未来人2062氏、JJ氏…) 村上春樹 村上春樹現象の深層 東京旅行2012年 植物あるいは動物 検索ワードに反応してみました 歴史 瀕死の児童文学界 父の問題 珈琲 神戸旅行2015 神秘主義 福島第一原発関連 科学 経済・政治・国際 美術 能楽 自作小説「あけぼの―邪馬台国物語―」 自作短編童話「風の女王」 自作童話「不思議な接着剤」 芥川賞・三田文學新人賞・織田作之助青春賞 萬子媛 - 祐徳稲荷神社 薔薇に寄せて☆リルケの詩篇『薔薇』のご紹介 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』 評論・文学論 連載小説「地味な人」 電子書籍 音楽