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2020年1月 5日 (日)

エッセーブログに「44 バルザックの風貌、悲鳴、ホロスコープ」をアップしました

拙ブログ「The Essays of Maki Naotsuka オンラインエッセー集」を更新しました。

当ブログの過去記事三本をまとめ、加筆訂正したものですが、当ブログにもアップしておきます。

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ルイ=オーギュスト・ビソン(Louis-Auguste Bisson,1814–1876)が1842年にダゲレオタイプ(銀板写真術)で撮影したオノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac,1799-1850)、パリ美術館(Paris Musées)。

目次

  1. 風貌
  2. 悲鳴
  3. ホロスコープ


風貌

 バルザックと動物園に来ている。

 シロアヒルを見たいのだが、「シロアヒルは呼び出し中です」という園内放送が流れる。

 再びシロアヒルの場所に来るが、まだ呼び出し中らしい。ここで弁当を食べるつもりだったが、バルザックが「ここではよそう」という。確かにここは埃っぽいし、糞もある。

 最初はブラウスのようなシャツとズボン姿だったバルザックだが、いつ着替えたのか、諷刺画にあるような王子様風の派手な姿になっている。膨らんだ短いズボンに飾りのある袖、襟、あの有名なステッキを手にしている。

 シロアヒルの場所の横に、マガモかアオクビアヒルかはわからないが、水鳥が鞠のように丸くなって点在し、眠っている。……

 たとえ夢の中の出来事とはいえ、バルザックと一緒にいられただけで嬉しいので、解釈はやめておこう。今年に入ってから、バルザックが夢に出てくるのは二度目だ。一度目に出てきたときは、子供時代の可愛いらしい溌剌としたバルザックだった。

 わたしの夢に出てくるバルザックは、本で紹介された写真や肖像画や諷刺画がもととなっているようだ。

 アンリ・トロワイヤ(尾河直哉訳)『バルザック伝』(白水社、1999)のカヴァーに使われている白いシャツ姿のバルザックの写真は、前掲のルイ=オーギュスト・ビソンが1842年にダゲレオタイプ(銀板写真術)で撮影したバルザックの写真がもとになったものだろう。

 様々なバルザックの肖像画が存在するが、この写真のバルザックが実在したバルザックの風貌を最もリアルに捉えたものであるに違いない。

 わたしはこれまでに見たどのバルザックよりも、このバルザックに魅力を覚える。

 まなざしが透視的といっていいくらいに鋭くて、それでいて冷たさはなく、尋常でない彼の資質を感じさせる。

 何ともすばらしい眼ではないか。わたしはこのバルザックとベルニー夫人の肖像画を撮って、一時期、携帯電話の待ち受け画面にしていた。わたしの創作魂のパパとママは、バルザック、及び彼の愛人であり文学上の育ての親でもあったベルニー夫人だと思えたからだった。

 前掲書『バルザック伝』から、バルザックの風貌を同時代人たちがどう捉えたかを抜粋してみたい。

太った小柄な方でした。服の仕立てが悪いので、よけい不格好に見えました。手はほんとに素敵。ひどくぶざまな帽子をお召しになっていましたけど、帽子をお取りになると、そんなこともうどうでもよくなります。わたくし、あの方のお顔にただただ見とれておりましたから。(略)おわかりにならないでしょうねえ、あの額とあの眼差し。ほんと、実際ご覧になっていない方にはねえ。大きな額でございましてね、まるでランプの光が照り映えたように輝いておりました。褐色の目は一面に散った金砂子が光っていて、口ほどにものを言う目とはあのことでございましょう。鼻は大きくごつごつしていて、口も大きゅうございました。歯はぼろぼろでしたけど、いつもお笑いになっていらっしゃって、濃い口髭をおたくわえになって、長い髪は後ろに掻き上げておいででした。*1

ポムルール男爵夫人の回想である。お次は、若き日の詩人フォンタネーの日記から。

ついにその男を目にする。輝き始めた栄光の新星を。太った若者だ。生き生きとした目、白いベスト、薬草売りのような風采、肉屋のような服、金泥師のような雰囲気。それらが合わさるのだからものすごい。この男は典型的な文学商人[あきんど]なのだ。*2

 ラマルティーヌによる観察。

彼は太って、がっしりと胸板も厚く、ミラボーのようにたっぷりとしていた。顔からは、知性にもまさって、気さくな人のよさがうかがえた。[……]この男が善良でなかろうはずがない。*3

 最後に、『クロニック・ド・パリ』という雑誌を一時期経営していたバルザックに執筆者として招かれた若き日のテオフィル・ゴーティエによる描写。

「修道服の襟元を大きくはだけて、円柱の柱身のように丸い首を見せていたが、筋張ったところのない、白い繻子のようなその首は、より赤みを帯びた顔と対照をなしている」さらに、「厚く、うねるような唇はよく笑い」、鼻は、「先が四角くすわって、二つに分かれて」おり、額は「美しく気高く秀で、顔の他の部分よりも際立って白」く、その眼ときたら吸い込まれるように黒くて金色にきらきらと輝き、「鷲でも負けて瞳を伏せてしまうほどの、壁の向こう側でも胸の内側でも見透かすような、君主の、見者の、猛獣使いの眼だ」*4

 

悲鳴

 バルザックの仕事ぶりが窺われる悲痛な手紙の文面を、クルティウス(大矢タカヤス監修、小竹澄栄訳)『バルザック論』(みすず書房、1990)から抜粋しておきたい。

 バルザックの作品の発行者ヴェルデによると、彼はよく何ヶ月もの間、閉じこもって毎日 18 時間仕事し続けていたという。

《私には生活する暇がありません。》*5

《彼は日夜働いているのだと、ご自分にいい聞かせてください。そうしたら、ひとつのことにだけ驚かれるでしょう。私の死亡通知がまだ届かないこと。》*6

《私はペンとインクに繋がれた、ガレー船の奴隷なのです。》*7

《私は、人間と事物と私との間に繰り広げられるこの果てしない闘いに疲れきってしまいました。》*8

《私はペンとインクに対する恐怖症です。それが昂じて肉体的苦痛を感ずるまでになりました。》*9

坐ったきりの生活のおかげで、彼は太った。すると、新聞がこれをからかった。《これがフランスです。美しいフランスです。そこでは仕事が原因で振りかかった不幸が嘲笑されるのです。私の腹が笑い物になっています! 勝手にするがいい、彼らにはそれしか能がないのですから。》*10

《私は知性の戦闘のさなかに斃れるでしょう。》*11

《私はまるで鉛球に鎖で縛りつけられた囚人のようです。》*12

《私の望みは柩に入れられてゆっくり休息することだけです。でも仕事は美しい経帷子です。》*13

《私の生活は、ただ単調な仕事一色に塗り潰されています……時折私は立ち上がり、私の窓を士官学校から……エトワール広場まで埋め尽くしている家々の海原を眺めます。そうして一息つくと、また仕事にかかるのです。》*14

《仕事がきっと私の生命を奪ってしまうだろうと、私は確信しています。》*15

《今や私は、全く実りなき仕事に十年間をつぶしてしまったのです。もっとも確実な収穫は、中傷、侮辱、訴訟等々。》*16

《絶え間なく、そして次第に烈しさを増す我が伴侶、窮乏夫人の抱擁。》*17

《神よ、私のための人生はいつ始まるのでしょう! 私は今日まで誰よりも苦しんできたのです。》*18

《私は自分に暗澹たる運命を予見しています。私は私の望みの一切が実現する日の前日に、死ぬことになるでしょう。》*19

《そうです、自分の体全体を頭に引きずり込んでおいて、罰を受けずにいる者はいません。私はただただそう痛感するばかりです。》*20

《私はもう自分の状態を、疲労とはいえません。私は文章作成機になってしまいました。私は自分が鋼鉄製のような気がします。》*21

《私はもう一行も頭から引き出せません。私には勇気も力も意欲もありません。》*22

 いつも陽気だったといわれるバルザックが人知れず上げ続けた悲鳴。

 悲鳴を上げてやめるのではなく、悲鳴を上げながら書き続けたところがあっぱれだ。彼が天才であったことは間違いのないところだが、手紙の悲鳴からは、あの超人的な仕事が凄まじい自己犠牲によって成し遂げられたものであったのだとわかる。

 

ホロスコープ

 バルザックのホロスコープを作成してみた。

 バルザックは牡牛座だが、あの底知れない創作力の源、及び神秘主義的傾向は、多彩な角度を持つ冥王星の働きだった。

 バルザックのサビアンシンボルを、松村潔「決定版!! サビアン占星術」(学習研究社、2004)で見ると、基本的なパーソナリティを意味する太陽が『古代の芝生をパレードする孔雀』である。

 その意味するところは、伝統的な価値を「総花的にまとめていくことになり、それはしばしば芸術的な表現力としての優れた力なども表しています。最後の華という言い方をしてもよいところがあり、伝統文化のおいしいところをすべて取ったような豪華さがあります」「伝統的な価値を総決算セールのようにまとめて表現できる力があるので、表現者としては有能ですが、やりすぎはグロテスクになります」*23ということになるらしい。

 バルザックの今生での使命を意味する土星のサビアンシンボルは、『文学会の集まり』である。

 批評能力を持ち、教養面が発達、言葉を巧みに扱え、日々の細かい諸事に埋もれない貴重な主張ができて、「文化や文明を批評をする活発な知性活動が展開されてゆきます」*24

 太陽と土星のサビアンシンボルが、文豪バルザックの文学的性格をいい得て妙だ!

 究極的な目的を意味する冥王星のサビアンシンボルは、『狭い半島での交通混雑』。
「真に価値があると思うものを多くの人に広く浸透させようとするので、流通に関係した働きをするとよい人です」*25

 バルザックが若い頃に印刷所の経営に手を出して失敗し、大借金を背負ったことは有名な話だが、モリエール、ラ・フォンテーヌのコンパクトな全集を考案したことには先見の明があったといわれている。ことごとく事業に失敗したのは、むしろ時代を先取りしていたからだともいわれているのだ。

 早すぎたのだろう。よい協力者に恵まれていたら、実業家としても大成功していたのかもしれない。

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拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」における関連記事

16 フランス文学界の最高のオカルティスト、とブラヴァツキーにいわせたバルザック
20 バルザックと神秘主義と現代

 

*1:トロワイヤ,尾河訳,p.117

*2:トロワイヤ,尾河訳,pp.131-132

*3:トロワイヤ,尾河訳,p.187

*4:トロワイヤ,尾河訳,p.268

*5:クルティウス,小竹訳,p.288

*6:クルティウス,小竹訳,p.289

*7:クルティウス,小竹訳,p.289

*8:クルティウス,小竹訳,p.289

*9:クルティウス,小竹訳,p.289

*10:クルティウス,小竹訳,p.289

*11:クルティウス,小竹訳,p.289

*12:クルティウス,小竹訳,p.290

*13:クルティウス,小竹訳,p.290

*14:クルティウス,小竹訳,p.290

*15:クルティウス,小竹訳,p.290

*16:クルティウス,小竹訳,p.290

*17:クルティウス,小竹訳,p.290

*18:クルティウス,小竹訳,p.290

*19:クルティウス,小竹訳,p.290

*20:クルティウス,小竹訳,p.290

*21:クルティウス,小竹訳,p.290

*22:クルティウス,小竹訳,p.290

*23:松村,2004,p.255

*24:松村,2004,p.323

*25:松村,2004,p.604

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2019年12月26日 (木)

「101 香港問題と中共の闇の深さ、そしてブラヴァツキー夫人の…」を神秘主義エッセーブログにアップしました(追記あり、赤字)

101 香港問題と中共の闇の深さ、そしてブラヴァツキー夫人の心臓に関する注目すべき美しい文章
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/12/23/183230

マダムNの神秘主義的エッセー」の「101」は当ブログの過去記事に加筆訂正したものです。加筆訂正が大きいので、全文以下に紹介しておきます。

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        目次

  1. メディカル・ジェノサイド
  2. メディカル・ジェノサイドを阻止しようとする世界的な動き
  3. わが国の臓器移植
  4. ブラヴァツキー夫人の心臓に関する文章

 

メディカル・ジェノサイド

香港問題には、香港市民 vs 中国共産党ではなく、習近平 vs 江沢民派という構図が潜んでいるといわれる。

江沢民派といえば、江沢民派による法輪功弾圧の実態、及びその弾圧が臓器ビジネスへとつながっていること――総合してメディカル・ジェノサイドというようだ――を知ったときの驚きを思い出す。

法輪功学習者の他に、チベット人、ウイグル人、地下教会信者などが本人の意思に反して「ドナー」とされた人々だと考えられている。*1

儲けるために、また臓器ビジネスを支える病院、スタッフなどにかかる経費のためにも、臓器移植をどんどんしなければならないそうで、それには臓器がいくらあっても足りないらしい。

日本人がお得意さまだという記事を何本も閲覧した。臓器移植のためのとても立派な病院が中国には何軒もあるようだ。3年前のテービッド・マタス氏の報告は具体的である。*2

そして、大規模なウィグル人の拘束とハイテクを駆使した管理、ウィグル自治区のカシュガル空港に出現した臓器専用のグリーン通路(「特殊旅客、人体器官運輸通道」と簡体字、アラビア文字で記されている)……もうこれはすっかり有名である。

「ドナー」は臓器の鮮度を保つために、生きながら臓器を抜き取られているという話もある。

こうした情報は以前は作り話とされていた時期すらあったが、現在ではそうではない。多くの情報が発信されている。

 

メディカル・ジェノサイドを阻止しようとする世界的な動き

一方では、メディカル・ジェノサイドを阻止しようとする世界的な動きも加速しており、アメリカがようやく関与し始めた。*3日本でも、具体的な動きが出始めた。

山田宏・参議院議員(自民党)は2019年11月7日、国会で初めて(参議院「外交防衛委員会」)、中国臓器強制摘出問題について質疑を行った。*4

https://youtu.be/EhOCYOr-Of4

また、2019年12月23日には、安倍首相が習近平国家主席との会談で、「香港について「自由で開かれた」場所であり続けるべき」との見解を示し、「新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)における人権問題にも言及し、中国政府が透明性をもった説明をすることを望む」と述べた。*5

臓器移植は唯物主義の観点から進められてきたものだ。

渾身のルポ、城山英巳『中国臓器市場』(新潮社、2008)は日本人ブローカーとの出会いの話から始まる。2005年12月の話である。

脳死移植はキリスト教社会で発達したもので、儒教的考えの残る中国では日本と同じように両親から授かった自分の体を完全な状態で火葬したいという伝統的価値観が浸透しているため、臓器提供に積極的でないとある。

それなのになぜ、中国はアメリカに次ぐ移植大国となったのか。2020年には中国が世界一の臓器移植大国になるそうである。2017年における中国人体臓器提供・移植委員会の黄潔夫委員長のコメントを聴こう。

中国には現在、1900人あまりの臓器提供・移植コーディネーターがおり、近く5千人にまで増やす計画だ。現在、臓器移植手術を実施している病院は173軒あるが、年内に200軒、2020年までに300軒まで増やすことを目指している。*6

中共の臓器移植がどのような目的で始まったかといえば、中国高官が憧れた「延命」や「若返り」のためだったという。本当にこの世しか眼中にない人々なのだと戦慄させられる。

不老長生・現世利益は中国の伝統的な価値観のようだが、それが唯物論と結びつくと、ここまでグロテスクになるということなのか……。人食い人種、吸血鬼を連想してしまう。彼らは生きているうちから既に、カーマルーパのようだ。死後の人間がデヴァチャン(天国)に入るときに脱ぎ捨てていく魂殻を、カーマ・ルーパという。

 

わが国の臓器移植

日本では、臓器移植法の改正後は家族の承諾だけで臓器提供が可能になり、15歳未満の者からの脳死下での臓器提供が可能になっている。

2009年の法改正により、2010年1月17日からは、臓器を提供する意思表示に併せて、親族に対し臓器を優先的に提供する意思を書面により表示できることになった。また2010年7月17日からは、本人の臓器提供の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば臓器提供が可能となった。これにより15歳未満の者からの脳死下での臓器提供も可能になった。*7

2009年改正の経緯を見ると、衆議院での審議において、ABCD案のうちA案が可決されたのだが、意外なことに共産党が審議不十分として全員棄権し、自民党議員を中心にA案賛成者が多く、賛成263人・反対167人でA案が可決され、衆議院を通過している。

戦後、日本人が如何に唯物主義的になってしまっているかがわかる。

尤も、衆議院での審議については「2009年5月に世界保健機関(WHO)総会において、臓器不正売買を目的に、移植ツーリズムの原則禁止や、生体移植、組織移植をめぐるガイドラインを決議する見込みになったことから、2009年になって、改正の機運が出てきている」とあるから、自民党議員には臓器移植希望者が移植ツーリズムへ流れることを防ぐために、国内での臓器移植の機会を高めたいという思惑があったのかもしれない。

いずれにしても、現行法では脳死判定が行われて死が確定する。しかし、そもそも脳死判定で本当に人の死を確定できるのだろうか。

小松美彦・市野川容孝、田中智彦編『いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植(岩波ブックレット782)』(岩波書店、2010)を読むと、脳死移植に疑問が湧く。

脳死者から臓器を切り出すときには、麻酔や筋肉弛緩剤が投与されるそうだ。「脳死者に深くメスを入れただけで、脈拍や血圧が急上昇するばかりか、暴れ出して摘出手術どころではなくなってしまうからです」*8とある。

ずいぶん活発な死体ではないか。科学に不案内な人間は、驚かされることばかりだ。次のようなニュース記事も見つけた。

人は心臓が止まった後、3〜5分は脳が活動しており、血流が再び流れれば蘇生できる可能性がある、ということが、最新の調査で明らかになった。(略)英紙エクスプレスによるとドライヤー博士は、この脳波が通常の脳波計では記録されないと述べているという。また、アナルズ・オブ・ニューロロジーの論文によると、現在は臓器移植のために臓器が取り出されるのは心肺機能が停止して死亡が宣告されから2〜10分後だ。しかし今回の調査結果から判断すると、この時点では脳に血流が戻ればその人は蘇生できる可能性が残っているということになる。*9

現在、日本では全ての臓器移植に保険が適用されるようになった。また、やむを得ないものと判断された海外での渡航移植について、海外療養費の支給が認められるようになった。*10

日本はこのまま臓器移植の道を突っ走ってもいいのだろうか。

 

ブラヴァツキー夫人の心臓に関する文章

こうした分野においては、だまされたと思って、神秘主義者の言い分も聴いていただきたい。極めて限定的な唯物主義的観点では、重大な見落としのある可能性がある。

近代神智学運動の母ブラヴァツキー夫人は、心臓に最後に死ぬ一点があると書いており、ヨギが土中に埋められ肉体のすべての部分が死んでしまっても、この点が生きている限り、復活することができるという。

心肺の停止が先か、脳の活動の停止が先か……いずれにしても、最後に死ぬ一点が生きている限りは、ブラヴァツキー夫人の説に従えば、死んだように見えていたとしても、それは死ではないということになる。

ブラヴァツキー夫人のような日本でいえば江戸末期に生まれ明治時代に亡くなった人の説を持ってくるまでもなく、現代科学においてもあまりに不確かな「死」。臓器の必要に駆られて死んだかどうかわからないものを死と決めつけなければならないとしたら、これほど非科学的な話もないだろう。

前述した心臓に関するブラヴァツキー夫人の論文を、わたしは1995年3月1日発行の竜王会の機関誌「至上我の光」(490号)の10頁に掲載された田中恵美子訳「七本質と内臓諸器官との対応(3)心臓(つゞき)」で読んだ。

ブラヴァツキー著作集12巻(H. P. Blavatsky Collected Writings Vol.12(1889-1890))所収の論文で、1888年に秘教部門を設立したブラヴァツキー夫人がその秘教部門で教えたものだった。現在は Blavatsky Study Center で一般にオンライン公開されている。

田中先生亡き後、竜王会、神智学協会ニッポン・ロッジには幸いなことに、優秀な翻訳家が沢山いらっしゃる。日本語の神智学用語は田中先生とジェフ・クラークさんによって確立されたといってよく、クラークさんの他にも忠源さん、老松克博さん、星野未来さん・・・・・・といった方々が頑張ってくださっている。

ブラヴァツキー文集第12巻はすばらしい内容なので、どなたか訳してくださらないか待っている。そのうち邦訳版が出ることを期待しつつ、心臓に関する文章のうちの一部分を英語が苦手な拙訳で紹介しておく。まだしもGoogle先生の訳のほうがましかもしれない。原文に当たっていただきたい。

メディカル・ジェノサイドとの関連から心臓に関する記述の一部分を紹介するにとどめるが、教えの神秘性と奥深さは全内臓諸器官にわたっている。

人間の尊厳が今日ほど愚弄され軽んじられたことはなかった。中共は「ドナー」を飼っている。金儲けと若返りのために。少数の勇敢な人々と利用者を除けば、かれこれ10年以上も世界は鈍感な振りをしてきたか、本当に鈍感かのどちらかだった。

もし、中共のメディカル・ジェノサイドが拡大し続ければ、人類が被る被害は取り返しのつかないレベルのものとなり、次に引用するような秘教科学の教えを伝えることも難しくなっていくだろう。

そのような暗愚と無知と野蛮に人類が埋没してしまうことは、絶対にあってはならないことである。

THE HEAT(心臓) 


(前略)心臓は肉体の王であり、その最も重要な器官である。たとえ頭が胴体から切断されたとしても、心臓は30分間脈動し続ける。脱脂綿にくるんで暖かな場所に置けば、脈動は数時間続く。

心臓には最後に死ぬ点(spot)、小さな菫色の光で示される点がある。それは生命の座、全ての中心であり、ブラフマー(Brahmâ)である。胎児に生まれる最初の点、そして最後に死ぬ点である。トランス状態のヨギが埋められるとき、肉体の残りの部分が死んだとしても、この点は生きていて、これが生きている限り、ヨギは復活することができる。この点は潜在的にマインド、生命、エネルギー、そして意志を含んでいる。生きている間中、この点は虹色を放射し、燃え立つようで、オパールのような乳白色を放っている。

脳は知的意識の中心であるが、心臓は霊的意識(Spiritual Consciousness)の中心である。 しかし、この霊的意識は、人がブッディ・マナス(Buddhi-Manas)*11と完全に一体化するまでは、その人に左右されることはありえず、そのエネルギーが管理されることもありえない。それまでは、可能な限り、霊的意識がその人を導く。すなわち、霊的意識がその人に届こうとし、低級意識に印象づけようとして骨を折る。それで、こうした骨折りは、その人が清浄となることによって助けられる。それゆえに、誤った行いに対する後悔の苦しみ、良心の呵責、悪に対する非難、善への衝動、といったものは頭からではなく、心臓から来る。心臓には唯一の顕現した神が御座[おわ]します。他の二柱は隠れている。つまり、アートマー・ブッディ・マナスの三位一体を表すのは、この顕現した神である。(後略)*12

*1:佐渡道世.21分で知る 恐るべき中国医療の真実「メディカル・ジェノサイド」.大紀元.2017-05-30,大紀元時報日本,https://www.epochtimes.jp/p/2017/05/27533-2.html,(参照 2019-12-22).

*2:デービッド・マタス.”中国での移植手術の濫用と日本との関わり 参議院議員会館での報告のための所見(改訂版)”(2016年12月14日版 日本語訳).ETAC.中国での移植手術の濫用と日本との関わり 2016年12月1日 – International Coalition to End Organ Pillaging in China,(参照 2019-12-22).

*3:佐渡道世.中国の臓器収奪問題、米政府が公式調査を=米政策提言組織.大紀元.2019-08-20,大紀元時報日本,https://www.epochtimes.jp/p/2019/08/46087.html,(参照 2019-12-22).

*4:佐渡道世.参議院委で中国人権問題を取り上げ 臓器収奪も.大紀元.2017-11-07,大紀元時報日本,https://www.epochtimes.jp/p/2019/11/48857.html,(参照 2019-12-22).

*5:安倍首相が訪中、習氏と会談 香港やウイグル問題に言及.AFP通信.2019-12-24,AFPBB News,https://www.afpbb.com/articles/-/3260897,(参照 2019-12-26).

*6:中国、2020年に世界一の臓器移植大国に―中国メディア.Record China.2017-08-09,人民網日本語版,https://www.recordchina.co.jp/b186821-s10-c30-d0035.html,(参照 2019-12-22).

*7:ウィキペディアの執筆者. “臓器の移植に関する法律”. ウィキペディア日本語版. 2019-07-10. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%87%93%E5%99%A8%E3%81%AE%E7%A7%BB%E6%A4%8D%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B&oldid=73411888, (参照 2019-12-22).

*8:小松・市野,2010,p.15

*9:松丸さとみ.心肺停止後、5分は意識がある!? 最新の脳神経学で分かった「死」.Newsweek.2018-03-06,ニューズウィーク日本版,https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/03/5-40_2.php,(参照 2019-12-22).

*10:厚生労働省. “臓器移植に係る海外療養費の取扱いについて〔健康保険法〕平成29年12月22日”.厚生労働省ホームページ(https://www.mhlw.go.jp/).https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc3091&dataType=1&pageNo=1, (参照 2019-12-23).

*11:ブッディ・マナスは高級自我、霊的魂、人間の輪廻する本質。H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)の「用語解説」61頁参照。

*12:Helena Petrovna Blavatsky.H. P. Blavatsky Collected Writings Vol.12(1889-1890)Online.Blavatsky Study Center,2019,Instruction No.V,p.694-695.EI : Instruction No. V- Blavatsky Collected Writings Vol. 12, (参照 2019-12-21).

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2019年12月17日 (火)

「Nのめもちょう」に「おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2020」をアップしました。亡くなった女友達のこと。

日が開いてしまいました(゚▽゚*)

12月は何かと気忙しいですね。過去記事を見て、昨年は16日に「おすすめ年賀状テンプレート・イラスト」の記事を書いたことがわかって昨日までにアップしたいと思い、予定を変更して書き始めたものの、今日になってしまいました。もうとっくに年賀状は済ませたという方もいらっしゃるでしょうね。

当ブログは11月にHTTPS化済みですが、2006からの古いブログであるため、混在コンテンツが解消できていません。で、昨年同様、単なるメモ帳として使用している「Nのめもちょう」の方へアップすることにしました。

Nのめもちょう
https://n2019memo.blogspot.com/

おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2020
https://n2019memo.blogspot.com/2019/12/2020.html

無料で利用できる、素敵な年賀状テンプレートがいっぱいですよ、訪問してみてください。

ところで、ツイッターで「人間性を暴く!もし生き物以外に生まれていたら?診断」というのが流れてきたので、やってみると、太陽と出ました。

太陽の意味を読むと、「あなたは脳天気です」といわれているようなものですね。

そういえば過日、小倉に住む女友達と大学時代の話になったときに、彼女にはわたしがまさにこの診断通りに見えていたことがわかりました。繊細な詩人風とか神経質な哲学者風に見えていたのだとばっかり思っていた(?)ので、衝撃でした。自由奔放で実にのびのびと生きており、何の悩みもないように見えたのだそうです。

医者の娘でありながら、何の治療も受けずに乳がんで亡くなった女友達のことを話していたのでした。かなり個性的だけれど、綺麗で華やかな彼女は高校時代、人気者だと思っていたので、小倉の女友達が彼女がとても暗くて存在感が薄かったといったことに驚きました。2人は同じ高校でした。

亡くなった女友達には大学時代、深刻な悩みがあり、暗く沈んでいることはありました。そして、そのことを率直に打ち明けてくれ、打ち明けたあとはちょっと気ままな、明るい人に戻っていたのです。

大学生になって別人のようになったのか、対人関係によってそのような違いが起きたのか。わたしにしても、結婚後に暗く見えるといわれたことが2度ありました。結婚後は自信とプライドが何度も打ち砕かれるような、独身時代とは異なる悩みが生じ、考え込むことが多くなったので、そのように思われても不思議ではありません。

ただ、同じ時期に、わたしには何の悩みもなさそうだと別の人からいわれたことがあるので(そんな風に他人にいえる人も脳天気な人の気もしますが)、わたしも対人関係によって自分で自覚している以上に変化するのかもしれません。でも、太陽は何しろ魚座ですから、本当は(たぶん)繊細で、神秘主義が肌にも思想的にも合うのです。

占星術でいえば、太陽は魚座にありますが、上昇宮は獅子座、月は牡羊座、土星は射手座と男性星座にあり、金星と水星は水瓶座とこれも男性星座にあるので、単細胞に見えるのでしょうか(男性星座に星が沢山ある人には失礼な発言ですみません)。

乳がんで亡くなった女友達と幼馴染みのことで、過去記事に加筆したので、以下にリンクしておきます。この過去記事は訂正加筆して、神秘主義エッセーにアップする予定です。

2019年2月27日 (水)
大学時代からの女友達の死(12月17日に追記あり)
https://elder.tea-nifty.com/blog/2019/02/post-d6d8.html

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2019年12月 9日 (月)

「100 祐徳稲荷神社参詣記 (12)祐徳院における尼僧達」を神秘主義エッセーブログにアップしました

「マダムNの神秘主義的エッセー」の「100」は当ブログの過去記事に加筆訂正したものです。

目次の 4 は全文加筆であるうえに、「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップしたあと、訂正しています。

 4 では、萬子媛の研究に自身の神秘主義的な考察を加える理由について書いています。

神秘主義的な考察を加えることで、この研究全体がトンデモ扱いされる可能性が高くなるだろうことは研究に入った段階から考慮済みでした。真実の追究ということに関しては、世間の扱いなどに構っていられないのです。

時代の趨勢に応じて、神秘主義に対する世間の反応は如何様にでも変化します。以下の引用をご覧ください。

58 神智学をさりげなく受容した知識人たち――カロッサ、ハッチ判事 ①ハンス・カロッサ(追記)
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/06/27/064748

空疎な唯物論は、さいわいにして、ようやく没落し、今では神智学という立派な信頼すべき学問が存在している」(カロッサ、国松孝二訳『指導と信徒』岩波文庫 - 岩波書店、2012、pp.39-40)

ドイツの良心的な作家として知られるカロッサのこの言葉、また以下のエッセーで引用したH・P・ブラヴァツキー「ベールをとったイシス」に対する当時の報道機関の反応を読むと、現代とは神智学に対する扱いが相当異なっていることに気づかされます。

77 前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/11/16/195219

『ベールをとったイシス』は、ブラヴァツキーの著作の中で最も有名な『シークレット・ドクトリン』の前に書かれた、これも代表作の一つである。ジルコフ「前書きにかえて」には、当時の報道機関の反応が複数引用されている。その中のトップに来ている、当時の最も有能な文芸評論家の一人シェルトン・マッケンジー博士は『フィラデルフィア・プレス』に次のように書いたという。

それは,考えの独創性,研究の徹底性,哲学的説明の深さ,学識の多彩さと広がりといった点で,遠い過去まで遡っても最高に非凡な著作の一つである」(H・P・ブラヴァツキー、ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』竜王文庫、2010、前書きにかえてp.2)

科学の進歩によって神秘主義理論の古いことが証明された――というわけではありません。戦後なぜか世界を席巻したマルクス系唯物主義の言論人が神秘主義の論文をろくに読みもせず、そういっているだけの話です。神秘主義が保管してきた膨大な知識は古びる性質のものではありません。

また、科学と神秘主義は対立するものではなく、このことはブラヴァツキーの次の言葉からも明らかです。神秘主義者が古代から続けてきたのは、科学的な探究です。

神智学の教えは霊と物質の同一性を主張し、霊は潜在的な物質であり、物質は結晶化した霊にすぎないと言います。
H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、p.42)

スピリチュアル・ブームを惹き起こしたのは、マルクス系唯物主義者だとわたしは考えています。彼らは自分達に都合のよいところだけを神秘主義から盗って商業的に利用したり、神秘主義を貶めることで自分の株を上げようと学術を装って低レベルの論文を発表したりしています。

日本で大流行しているオーラ診断、前世療法などはその最たるもので、この二つは明らかにエドガー・ケーシーを真似ており、わたしの見る限りでは、そうしたものはインチキか危険かのどちらかです。

エドガー・ケーシーは善良であったとしても霊媒だったと考えられるので、それを真似るというのはちょっと考えただけでも危険なことですし、その危険を冒すメリットがあるとはわたしには全く思えません。

前置きが長くなりましたが、目次 4 とつながりのある 目次 3 から当ブログにアップしておきます。

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100 祐徳稲荷神社参詣記 (12)祐徳院における尼僧達:『鹿島藩日記 第二巻』
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/12/08/233845

目次

  1. 布施の記録
  2. 三十五日に供された精進料理
  3. 蘭契という名の僧侶
  4. 神秘主義者としての私見

 

3. 蘭契という名の僧侶

「蘭契」という名が女性的だな、とわたしは思った。果たして、この蘭契が他でも出てくる。「蘭契」という名が出てくるのは、宝永二年閏四月廿日(1705年6月11日)の日記*15である。

素人解読なので間違っているかもしれないが、大体次のようなことが書かれているのではないかと思う。

……佐賀の御親類方より勝屋伊右衛門まで、祐徳院様の御中陰は何日より何日まで御執行でしょうかとの問い合わせがあり、こちらに言ってよこされた。それについて、外記より蘭契まで伺ったところ、御中陰というのはなく、御葬礼が行われたことで、儀式は済みました。(略)尼達と相談して申し上げますが、殊に山中ということもありますので、御名代などを送って寄越すには及びません、伊右衛門よりそのようにお口添え下さるのがよいでしょう、とのこと。……

わたしの憶測でしかないが、蘭契という尼僧が萬子媛亡き後、代表者的、長的な役割を果たしたのではないだろうか。その代表者に、外記が問い合わせたと考えるのが自然だと思う。

その蘭契という人物が、祐徳博物館で伺った、萬子媛に仕えて岩本社に祀られたという尼僧かどうかはわからない。72 「祐徳稲荷神社参詣記 ③2017年6月8日 (収穫ある複数の取材)」を参照されたい。

前述したように萬子媛の葬礼は簡素だったようだ。五月十五日(1705年7月5日)の日記に記された三十五日についても、格峯(鍋島直孝、断橋)が恵達(慧達)、石柱を帯同して祐徳院に一泊し、御霊供膳と皆に振る舞う料理を用意させているが、目立った儀式はなかった模様だ。

もし、萬子媛の葬礼のときの布施の記録に名のあった僧侶達の中で、蘭契からが祐徳院に属した尼僧達だとすれば、17 名(蘭契、満堂、蔵山、亮澤、大拙、瑞山、眠山、石林、観渓、英仲、梅点、旭山、仙倫、全貞、禅国、智覚、𫀈要)。萬子媛がいらっしゃったときは総勢 18 名だったことになる。

萬子媛の小伝といってよい『祐徳開山瑞顔大師行業記』は、義理の息子・鍋島直條(鹿島藩第4代藩主)がまだ萬子媛が存命中の元禄17年(1704)――萬子媛が亡くなる一年前――に著述したものとされている。

郷土史家・迎昭典氏はわたし宛の私信で、「萬子媛についての最も古くて上質の資料は『祐徳開山瑞顔大師行業記』だろうと思います」とお書きになっている。

その『祐徳開山瑞顔大師行業記』*16には、萬子媛が尼十数輩を率いたとあるので、人数的には合う。

求道者らしいストイックな暮らしをなさっていたと想像できる祐徳院所属の尼僧達。五月十五日に料理を振る舞うことで、格峯は尼僧達をねぎらったのだろうか。

彼女達がその後どうなられたかが気になるところだ。

 

4. 神秘主義者としての私見

ところが、わたしは神秘主義者として知っている。

祐徳院のその後の歴史とは次元の異なる話になるが、江戸時代に亡くなった彼女達は、彼の世で萬子媛を長とするボランティア集団を形成し、中心的役割を果たしておられるのだ。カルマに障らないような、高度なボランティアを手がけておられることが窺える。

萬子媛は太陽さながら、豊麗なオーラを放射されるのだが、その光が如何にすばらしいものであったとしても、そのやりかたはわたしが神秘主義者として竜王会、神智学協会ニッポン・ロッジで理論的に学び、また前世での男性僧侶としての修行や今生での独習から会得した技法と同じだと思う。

それは、この世でも彼の世でも通じるやりかたなのだとわかった。誰もができるやりかたのはずだ。この世の出来事に囚われ、その技法を磨くことを怠ってきたけれど、このことが確信できただけでも、わたしにとっては大きな進歩であった。

今、技法を磨くことを怠ってきたと書いたけれど、これは今生で三浦関造先生のような師に出会わなかったことから、意図的にそうしてきたことでもあった。

スピリチュアル・ブームの中で瞑想を含めた身体的技法、また前世療法などの神秘主義的観点からは黒魔術に属する催眠療法(ピプノセラピー)が商業的に拡散している。このような傾向はひじょうに危険なことであるので、避けるべきであるからだ。独習と書いたのも、前世で修行したきたことが自然に表れたことを、このように書いたまでである。

萬子媛に関する記述に神秘主義的な私見の混じることにご不快の向きもあろうかと思うが、如何に現代社会が唯物論的価値観で動いていようと、萬子媛の晩年が宗教の核たる神秘主義的体験を通して深められていったことは間違いない。

萬子媛の晩年の生きかたに迫るには、神秘主義者でなければ不可能だと考え、幸いにしてその感性と知識に恵まれたわたしであるから、あえて神秘主義的観点を支柱として考察してきたことをお断りしておきたい。

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2019年12月 5日 (木)

「99 祐徳稲荷神社参詣記 (11)二組の葬礼」を神秘主義エッセーブログにアップしました。

「マダムNの神秘主義的エッセー」の「99」は当ブログの過去記事に加筆訂正したもので、これに続くノート「祐徳院における尼僧たち」も一緒に(11)に収録したいと思ったのですが、長くなりすぎるので、別にしました。

加筆訂正があるので、ここにも全文アップしておきます。

藩日記から引用しようと思った文章に、どうしてもわからない漢字があり、悶々としました。漢和辞典にも出ていないので、省略したものなのか。前日は変体仮名に悩まされ……老眼にこたえます。

田中保善先生の御本『泣き虫軍医物語』の紹介の続きや他の課題も残っています。年賀状の無料テンプレートも紹介したい。

還暦を挟んだ3年間ほどの間に本人が亡くなったり、実家のお母さまを亡くされた友人が多いこと。わたしにも何かと問題の多い3年間でした。年末になって健康問題にぶち当たるとはね。

日本も今後どうなっていくのやらと悲観的な気分に誘われますが、萬子媛のような方々が全国のあちこちで何だか頼りない我々を見守ってくださっているはず。それに応えられるでしょうか。

マダムNの神秘主義的エッセー」より

99 祐徳稲荷神社参詣記 (11)二組の葬礼:『鹿島藩日記 第二巻』
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/12/05/164327

花山院萬子媛は佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社の創建者として知られている。
祐徳稲荷神社の寺としての前身は祐徳院であった。明治政府によって明治元年(1868)に神仏分離令が出されるまで、神社と寺院は共存共栄していたのだった。祐徳院は黄檗宗の禅寺で、萬子媛が主宰した尼十数輩を領する尼寺であった。
萬子媛は、公卿で前左大臣・花山院定好を父、公卿で前関白・鷹司信尚の娘を母とし、1625年誕生。2歳のとき、母方の祖母である後陽成天皇第三皇女・清子内親王の養女となった。
1662年、37歳で佐賀藩の支藩である肥前鹿島藩の第三代藩主・鍋島直朝と結婚。直朝は再婚で41歳、最初の妻・彦千代は1660年に没している。父の花山院定好は別れに臨み、衣食住の守護神として伏見稲荷大社から勧請した邸内安置の稲荷大神の神霊を銅鏡に奉遷し、萬子媛に授けた。
1664年に文丸(あるいは文麿)を、1667年に藤五郎(式部朝清)を出産した。1673年、文丸(文麿)、10歳で没。1687年、式部朝清、21歳で没。
朝清の突然の死に慟哭した萬子媛は翌年の1988年、剃髪し尼となって祐徳院に入った。このとき、63歳。1705年閏4月10日、80歳で没。

目次

  • 神仏二本立てで醸成された雰囲気
  • 黄檗宗色の濃かった萬子媛の葬礼
  • 大がかりだった鍋島直條の葬礼


● 神仏二本立てで醸成された雰囲気

三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社 宮司・鍋島朝純、1979)を読むことによって、萬子媛が剃髪後も鹿島鍋島家から濃やかに見守られていたことがわかった。そこには考え抜かれた絶妙な距離感がある。

台風被害の記録では、倒木の一本に至るまで把握されていることに驚いた。罪を犯した者の記録もあったが、その者達は追放になったようだ。

引用からはわからないと思うが、藩全体に何か家族のような雰囲気があるように感じられるのが意外だった。台風で倒れた木、死んだ馬、盗まれた材木、打擲された下人……生きとし生けるものが、藩の大切な財産であると同時に、家族のようなもの、慈しまれるものでもあったのだ。

そのような雰囲気が交際などを通して、藩の外まで広がっているように感じられるのだ。いや、それはあるいは藩の内外から来るものであったのかもしれない。

その雰囲気には、拙神秘主義的感性の捉える萬子媛及び一緒に行動なさっている方々の雰囲気に似通ったものがある。

地上で喜怒哀楽のうちに暮らす人間を見守ってくださっている、家族的といってよいような慈愛に満ちた雰囲気が、確かに藩日記からも薫ってくるのである。

全国の神社には、このような見えざる奉仕者がどの程度の割合で存在するのだろう? 萬子媛のような無私の奉仕者を輩出するには、ストイックな修行を特徴とする仏教が有功だったに違いない。神仏二本立てで醸成されたこのような雰囲気が、日本の国柄を創ってきたのである。

● 黄檗宗色の濃かった萬子媛の葬礼

前置きが長くなったが、『鹿島藩日記 第二巻』によると、萬子媛(祐徳院)の葬礼は、宝永二年閏四月十四日(1705年6月5日)に執り行われた。

僧侶方――格峯(鍋島直孝、断橋和尚)、月岑和尚――のご意見により、「祐徳院様御事、御出家御同前ノ御事候ヘハ、」、つまり萬子媛に関する事柄は御出家同然の事柄なので、簡素に――「軽ク」と書かれている――執り行われた。

僧侶の方々が大勢お見えになった、黄檗宗色の濃い葬礼であったようだ。布施の額が記されている。

祐徳院様御葬礼、今日於津御庵相済申候、右に付、僧衆へ被下候布施、左ニ書載、

 白銀三枚   桂岩和尚
 同 壱枚   月岑和尚
 金子弐百疋  慧達
 同 弐百疋  石柱
 銀拾五匁宛  先玄 五州 絶玄 盤江 長霊 禹門 石応 万山 訥堂 蘭契 満堂 蔵山 亮澤 大拙 瑞山 
 銀拾匁宛   眠山 石林 観渓 英仲 梅点 旭山 仙倫 全貞 禅国
 銀五匁宛   智覚 𫀈要 *1

30名の僧侶方。匁[もんめ]は江戸時代における銀貨の重量単位。僧侶方にはまた、ニ汁六菜、あるいは一汁六菜の料理が出された。

日記には「御葬礼ニ付、御領中今日一日、殺生禁断申付候、」と記されている。

桂岩和尚というのは、桂巌禅師(桂巌明幢1627 - 1710)のことだろう。桂巌は萬子媛を黄檗宗に導いた義理の息子・断橋の師で、萬子媛はこの桂巌を授戒師として得度した。

● 大がかりだった鍋島直條の葬礼

鹿島四代藩主・鍋島直條の場合、五月十九日(1705年7月9日)が四十九日に当ったが、葬礼がまだだった。それでも、(葬礼より先に)普明寺・泰智寺で軽い四十九日の法事が執り行われたようだ。

五月二十日(1705年7月10日)の日記に、「今晩より来ル廿六日迄、殺生禁断、筋々相触候」と記されている。

直條の葬礼が二十二日(1705年7月12日)に普明寺で執り行われるのだが、前日の二十一日(1705年7月11日)の日記に、それにたずさわる者の名が15頁に渡って記されている。大がかりなものだった様子がわかる。萬子媛の簡素な葬礼と対照的である。

次に引用するのは「正統院(鍋島直條)様御葬礼、一通役者左ニ記載」からである。人名は割愛する。

都合頭人  銀穀役  料理方  筆者  御茶湯方  普明寺門番  施行幷放生気遣  方々より御名代衆  普明寺被罷越候節、近辺宿気遣、野菜・薪等迄、宿々へ指出候気遣  方々より之御名代取合  普明詰給仕  寺中無作法之儀無之様、気遣・掃除等、見計役、  御香奠請取役  法泉庵詰  通玄庵詰  御霊前堪忍  御霊供奉役  *2  

続いて、「御葬禮行烈(列)次第」からも引用しておこう。人名などは割愛する。

壱番 御卒馬/ 二番 沓箱/ 三番 御挾箱/ 四番 御鑓/ 五番 具足箱/ 六番 御臺笠/ 七番 御長柄/ 八番 御打物/ 九番 散花/ 十番 散米/ 十一番 大幡/ 十二番 鍬/ 十三番 挑灯/ 十四番 小幡 此間ニ大衆/ 十五番 御霊供/ 十六番 御菓子二盆/ 十七番 御茶/ 十八番 酒水/ 十九番 燭台二本/ 廿番 花瓶二ツ/ 廿一番 香炉香台/ 廿二番 宮燈/ 廿三番 香※(※帝の市が十)/ 廿四番 紗燈 此間ニ左右に家老両人/ 廿五番 御棺/ 廿六番 御大小/ 廿七番 天蓋/ 廿八番 家老中不残幷惣家中/ 廿旧番 御草履取/卅番 御茶弁当/ 卅一番 合羽箱/ 卅二番 雑多/ 
諸役者右之通也  *3        

翌、五月二十二日(1705年7月12日)の日記には「御葬礼、今昼八ツ時相澄〔ママ〕候、」と一行だけ記されている。読みながら思わず「お疲れ様!」といいたくなった。

*1:三好編、1979、p.406

*2:三好編、1979、pp.454-462

*3:三好編、1979、pp.462-468

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2019年10月18日 (金)

「98 軌道修正したらしい、2019年発表のノーベル文学賞」を神秘主義エッセーブログにアップしました。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

目次

  1. ノーベル文学賞が迷走した3年間
  2. 2019年発表のノーベル学賞は2年分
  3. 2014年の「IRORIO」の記事で見た、ペーター・ハントケに関する記事
  4. ペーター・ハントケは映画「ベルリン・天使の詩」の脚本でも知られる、オーストリアの作家
  5. オルガ・トカルチュクはポーランドの小説家、エッセイスト
  6. 図書館から借りたトカルチュクの2冊、ハントケの4冊
  7. オルガ・トカルチュクの手法に対する疑問
  8. ペーター・ハントケ『左ききの女』のクリアな世界、真摯な創作姿勢

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加筆、訂正した7,8を転載しておきます。青字が主な加筆、訂正箇所です。元記事は加筆、訂正済みです。

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7.オルガ・トカルチュクの手法に対する疑問

オルガ・トカルチュクの『昼の家、夜の家』について、訳者あとがきには「本書を構成する111の挿話は、主人公の日常生活、日記、伝説、聖人伝、料理のレシピ、隣人のうわさ話など、それぞれが独立したものでありながら、互いがゆるやかに連関している」*4と解説されている。

独立したものを、なぜバラバラの断章にしてパラレルな形式にするのかわからない。連載物を掲載した雑誌を発行された順に綴じたような、不親切な体裁なのだ。

例えば、パトハリス修道士の物語はまとまって読むほうがわかりやすいだろうに、キノコのレシピや日記などの間に挟まれている。

わたしには必然性が感じられず、全体としてまとまりのない、統一されない内容のものを、統一感のある、意味のある集積に見せかけるためのまやかしの手法に思えた。

出典も、わざとわからなくしているのだとしか思えない。これも、作者がコレクションした文章の寄せ集めをオリジナル性の高いものに見せかけるための誤魔化しではないだろうか。

引用箇所や参考文献がどことわかるように明記してあれば、作者の改変や潤色がどの程度加わっているのか、いないのか、その引用や参考の仕方が適切なのかどうかを調べることができるのだが、それができず、わが国で流行っているパクリと見分けのつかない、フランス語で誤魔化した「オマージュ」という怪しい手法を連想して、わたしは苛立ってしまう。

というのも、「家」をモチーフとしたカリール・ジブラーンの詩の一部は、トカルチュクの小説の扉に置かれているときとジブラーンの詩の中に置かれているときとでは、別物としか思えないからだ。異なる観点から「家」というモチーフが使われ、「家」は異なる意味合いを持っているということである。

また、例えば、『逃亡派』に出てくる「ショパンの心臓」の話は実話だが、作者の解剖学趣味とショパンの心臓の話は全く意味合いの異なるもので、この作品の中に目玉商品のように置かれるのは、わたしの感覚からすれば、ショパンに対する冒涜でしかない。

作品から見る限り、トカルチュクは自然科学的というよりは即物的で、決して宗教的でも、神秘主義的でもない。ご都合主義的な、ごたまぜのスピリチュアル風俗に生きる人なのだ。

わたしがトカルチュクの作品に神経質になってしまうのは、ジェイムズ・ジョイスの恣意的な手法を連想してしまうからで、その手法に対する不審感をエッセー「96 ジェイムズ・ジョイス (1)『ユリシーズ』に描かれた、ブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名」及び「97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点」で表明した。

ただ、わたしにはオルガ・トカルチュクの作品を読み込んでいる時間的ゆとりがないので、ジョイスの手法に似て見えるという点だけ、指摘しておきたい。

8.ペーター・ハントケ『左ききの女』のクリアな世界、真摯な創作姿勢

ぺーター・ハントケの作品は、池田香代子訳で、『左ききの女』(同学社、1989)を読んだところだ。読み始めると先が気になって、一気に読み通した。

絶対音感という音楽用語があるけれど、これは絶対情感の世界とでもいうべきか、よくも悪くも夾雑物が一切ないクリアな世界である。邦訳文はそれを的確に感じとらせてくれ、読みやすい。

孤独がテーマなのだろう。

女主人公マリアンネには子供が一人いて、彼女は夫ブルーノに別居したい旨を告げる。

小説だが、映像的で、ほぼ会話と描写から成立しており、ハントケが脚本家でもあるという肩書きはなるほどと思わせられる。

女主人公の孤独だけでなく、登場人物全員の孤独が捉えられている。客観的視点を保ちながら、作者は自身を登場人物全員に重ねている。

別居した夫が、腹立ちまぎれにマリアンネにいう。

君はどんどん年をとっていく。たいしたことじゃないわ、とかなんとかいいながら。そしてある日首を吊るんだ。墓に入っても、君の生きざまにお似合いの下品な臭いをぷんぷんさせる。その日まで、君はどうやって過ごすんだ? おおかた、ぼけっと坐りこんで爪でも噛んでるのが落ちだ。そうだろ?*5

ハントケの母親は1971年に自殺しており、このことを扱ったという『幸せではないが、もういい』が出たのは、翌1972年のことだった。『左ききの女』が出たのは1976年である。

女性の孤独を濃密に扱ったこの作品にも、母親のことが投影されているのではないだろうか。図書館にペーター・ハントケ(元吉瑞枝訳)『幸せではないが、もういい』(同学社、2002)がなくて残念だ。いずれ読みたいと思っている。

作者の視点は小説に登場する子供の視点と重なりながらマリアンネを観察し分析し、彼女の輪郭を顕微鏡にかけるかのように外側から克明に描写する。

マリアンネがおかしくなりそうなクライマックスで、彼女の父親が登場し、よい味を出す。父親は往年の流行作家で、今は雑文書きとなっている。この父親に娘のマリアンネは似ており、彼は娘の指標となりうる人物なのだ。

父親の登場で、マリアンネは救われたといっていいだろう。

作者ハントケは無力な子供シュテファンとしてマリアンネを見つめる一方では、滋味に溢れた物書きの父親となって、マリアンネを見つめる。

息詰まるようなストーリー展開であるにも拘わらず、途中で読むのが嫌にならないのは、作者の真摯さ、誠実さ、人間的な温かさが読者にも伝わってくるからだろう。

マリアンネが父親に再会して再生のきっかけを掴むように、読者も作者から言葉にできない何か確かなものを受けとる。

それは孤独を課題として引き受けて身じろぎもしない、作者の誠実な創作姿勢及び不撓不屈の精神性であるかもしれない。

父親と別れたマリアンネは、息子と山登りをする。風景描写が美しい。

下の方では煤に点々と汚れていた積雪もこのあたりでは純白だった。犬の足跡に代わって鹿の足跡があった。
 二人は下生えをかきわけて登って行った。いたるところ鳥の声に満ちていた。雪解け水が小さな流れを作って音たてていた。樫の幹からか細い枝が生え、干涸らびた葉が数枚そよいでいた。白樺の幹には白い樹皮が縞模様をなして垂れ下がり、震えていた。
 二人は木立が疎らになったところを行き過ぎた。空き地の縁には鹿が群れていた。それほど深くもない雪からは枯れ草の先がのぞき、草になびいていた。*6

頂上で、焼いたじゃがいもを食べ、魔法瓶の熱いコーヒーを飲みながら母子は思い出を語り、ふとマリアンネはイエス・キリストの十字架への道行きのいろんな留[りゅう]のシーンを描いた絵の話をする。その話が印象的だ。

『イエス、十字架より下ろさる』はほとんど真っ黒で、その次の最後の留、イエスがお墓に葬られるシーンはまた真っ白なの。そこからがおかしな話なんだけど、お母さんはゆっくりと絵の前を歩いていたのね。その最後の真っ白の絵の前に立ったとき、突然、白い絵と重なってほとんど真っ黒のさっきの絵が、数秒間残像になって見えた。それから真っ白な絵が見えた。*7

このような、宗教に属するモチーフは、作品の中でふいに顔を出す。

宗教がマリアンネにとってかけがえのないものであり、彼女の意識が純粋に向かう対象であって、日々の営みの通奏低音となっていることがわかる。読者にその感覚の共有を強いるようなものではない。ハントケは読者を信頼して、彼の大切なものを女主人公に分かち与えたのだ。

その後、父親を除く大人の登場人物がマリアンネに誘われて集合し、ホームパーティーとなる。夫ブルーノ、マリアンネの友達で教師をしているフランツィスカ、マリアンネがブルーノのセーターを買ったブティックの女性店員、マリアンネを翻訳者として雇っている社長とその運転手、マリアンネに言い寄る俳優――といった人々である。

各人が自分の孤独を身の内に宿したまま大団円を迎え、パーティーは御開きとなる。

これは未だ初期の作品で、後半部は幾分緊張感が緩み、結末を急ぎすぎた感もあるが、純文学作品らしい手応えのある作品である。

ひとまず、ノーベル文学賞が軌道修正したことに万歳といいたい。おめでとうございます、ペーター・ハントケ。疑問点はあるけれど、おめでとうございます、オルガ・トカルチュク。

*4:小椋彩、P.378
*5:ハントケ,池田訳,1989,pp.82-83
*6:ハントケ,池田訳,1989,pp.119-120
*7:ハントケ,池田訳,1989,pp.123

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2019年9月25日 (水)

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新、43。萬子媛の小説に関すること。

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。

目次

  1. 「講談社新社長」「青い鳥文庫」に関する新聞記事
  2. 拙読書体験
  3. ベルテ・ブラット(石丸静雄訳)『アンネは美しく』(偕成社、1970)

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エッセーブログを更新し、続けて「44」として以下の記事を収録するために、その過去記事を再読。2007年の古い記事で、何を書いたかすっかり忘れていただけに、自分の文章に驚かされました。「ああ、いつか新作能の脚本を書いてみたいなあ」なんて、大それたことを書いているのです。

2007年10月17日 (水)
能『船弁慶』を観て
https://elder.tea-nifty.com/blog/2007/10/post_6c22.html

能に詳しいわけでもないのに恥ずかしいことを書いて……と思いながら、記事に加筆するために小学館と岩波の『謡曲集』2冊を開きました。すると、熱心にそれらの本を読んでいたころの記憶が甦りました。

確かに、能を含む古典にはまっていたこのころであれば、新作能の脚本を書けそうな気がしたのもわかるような気がしました。そして、今回連想したのは、第二稿に一向に入れない、祐徳稲荷神社を創建した花山院萬子媛をモデルとした歴史小説のことです。

歴史小説にするには、何か、そぐわないものがあるのです。

わたしは神秘主義者として萬子媛を通して感じることのできた高雅な現象を書きたいのであって、よくわかりもしない萬子媛の生前のあれやこれやではないのです。

いや、あれやこれやにも興味があるから研究ノートを当ブログにアップし、そのまとめをエッセーとして「マダムNの神秘主義的エッセー」に収録してきたわけですが、そのノートは、萬子媛の高雅な現象を表現できてこそ存在価値があるのです(エッセーは「萬子媛研究」といったような形にまとめたいと考えます)。

その表現にふさわしい形式は、新作能以外にありえない気がしてきました。

古典にはまっていない現在、新作能を書けそうな気がしません。勉強すれば、書けるでしょうか。とりあえず、戯曲にしてみてはどうでしょう。戯曲なら書いたことがあるので、書けるはずです。新作能ならなおいいでしょうが、それはハードルが高いかもしれません。

とりあえず戯曲にしてみようかと思った瞬間、脳裏に百花繚乱の景色が匂うばかりに広がりました。新作能の本を数冊、図書館から借りて読んでみたいと思います。

「The Essays of Maki Naotsuka」に収録しようと思っていた前掲記事は、加筆して「マダムNの神秘主義的エッセー」のほうに収録する予定です。

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ところで、最近、わたしのパソコンにもWindows 10 の新大型アップデート「May 2019 Update (バージョン1903)」が提供されたのですが、それ以降、Microsoft Edgeでサイトを閲覧していると、よくEdgeがフリーズするようになりました。Chrome、Firefoxでは正常に動作するのですよ。

タスクマネージャーでEdgeを閉じても、立ち上げるとまたフリーズしたままの元の画面が出てきます。再起動しても、シャットダウンしても、Edgeを立ち上げると、同じ元のフリーズしたままの画面。

困ったと思い、ググったら、Edgeの設定をリセットしたらいいことがわかりました。

「スタート」メニューの歯車(設定)」をクリック→「Windowsの設定」画面で「アプリ」をクリック→「アプリと機能」画面で「Microsoft Edge」をクリック→「詳細オプション」をクリック→「Microsoft Edge」画面で「リセット」をクリック。

そうすると、閲覧の履歴などのデータが削除されます。わたしの場合は今回、この方法で改善しました。

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2019年8月23日 (金)

神秘主義エッセーブログ「49 絵画に見る様々なマグダラのマリア」に加筆しました

マダムNの神秘主義的エッセー
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/

49 絵画に見る様々なマグダラのマリア
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/05/05/025512

別記事にしようかと迷いながら、加筆を重ねています。加筆部分を転載しておきます。

目次

  1. 絵画によるマグダラのマリアの競演
  2. 東方教会が伝える、誇り高く行動的なマグダラのマリア(主の復活の第一証人、方々へ伝道、ローマ第二代皇帝にイエスの冤罪を直訴)
  3. イエスが結婚していたとする説
  4. イエスの愛しておられた者とは誰か?(横になって食事するローマ式だった最後の晩餐)
  5. イエス一家の棺の発見
  6. 「フィリポ言行録」について

イエス一家の棺の発見
2019年8月22日における追記 1: イエス一家の棺の発見

前章「イエスの愛しておられた者とは誰か?(横になって食事するローマ式だった最後の晩餐)」で、わたしは最後の晩餐でイエスに寄り添っていた「イエスの愛しておられた者」が誰なのかを推測した。

その人物が、イエスの最も高位の愛弟子であり、妻でもあったマグダラのマリアであってはなぜいけないのか、と書いた。そのように書きながらも、疑問を拭いきれなかった。

最後の晩餐だからといって、妻が師でもある夫の胸に寄り添うのは行き過ぎのような気がしていたのだった。だが、それが成人男性であるとすれば、もっと異常な場面であると思われ、従ってマグダラのマリアと考えざるをえないと思っていたのだ。

疑問を払拭する著書に出合ったので、追記しておきたい。

7月のある日、図書館から借りた10冊の中に、シンハ・ヤコボビッチ&チャールズ・ペルグリーノ(沢田博訳)『キリストの棺 世界を震撼させた新発見の全貌』(イースト・プレス、2007)が混じっていた。何となく借りた、内容にはほとんど期待していなかった本だった。

ところが、わたしには面白いどころの本ではなかった。

1980年代に、エルサレムで2000年前の墓が発見されていたという。納骨洞にあった10個の骨棺は、イエス(ヨセフの息子イエス)、マグダラのマリア(師として知られたマリアムネ)、2人の子供であると思われる男の子ユダ(イエスの息子ユダ)他、新約聖書に登場するイエスの家族のものだというのである。

1世紀ごろのユダヤ社会では、イエスもマリアもユダも他の家族の名もありふれたものだったが、これだけの名が一つの家族に集まる可能性は600に一つにすぎないらしい。

このドキュメンタリーから、ジェームズ・キャメロン監督によるテレビ用のドキュメンタリー番組が制作された。

わたしは『ダ・ヴィンチ・コード』の元ネタとなったマイケル・ベイジェント &ヘンリー・リンカーン&リチャード・リー『レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説』(柏書房、1997)を面白く読み、『マリアによる福音書』に登場するマグダラのマリアをモデルとした児童小説の参考にもしていた。

それなのに、どういうわけか、『キリストの棺』も、日本でも放送されたというドキュメンタリー番組も(ググったらフランスの動画サイトで出てきた)、全く知らなかったのである。

当時の新聞記事が出てきた。

「『キリストに妻子』、ジェームズ・キャメロンのドキュメンタリーが波紋 - 米国」『AFPBB News』。2007年2月27日 11:45 発信地:米国、URL: https://www.afpbb.com/articles/-/2187431

わたしは興奮した。何と、著書の内容が欠けていたピースの役割を果たし、イエスの物語を辻褄の合う物語にしてくれたのである!

最初、あまり『キリストの棺』を読む気がしなかったのは、マグダラのマリアが南フランスで亡くなったと思っていたからだった。

ところが、『キリストの棺』によると、わたしが未読の新約聖書外典『フィリポ言行録』に、ローマ帝国の迫害を逃れて一旦フランスへ渡ったマグダラのマリアが兄フィリポと共に小アジアへ伝道の旅に出、後にエルサレムへ戻ったという記述があるというのである。

マリアには、マルタという姉とラザロという弟がいたのではなかったか? 兄もいたのだろうか。

もし、『フィリポ言行録』の記述が本当であれば、彼女の骨棺がエルサレムで発見されても不思議ではないことになる。

『キリストの棺』によると、「マリアムネ」と「イエス」の骨片はそれぞれの骨棺の底に残っていた。

細胞核から抽出したDNAは、損傷がひどくて、分析に適さなかった。母方の家系を探るのに使える、細胞質に存在するミトコンドリアDNAの抽出に成功し、それによると、マリアムネすなわちマグダラのマリアとイエスは母と子ではなく、兄弟でもないと判明した。つまり、他人である。

他人でありながら同じ墓から出てくるケースは、夫婦以外に考えられないという。

イエスにユダという名の息子がいたという推定については、著者達はその根拠を新約聖書に求め、『マルコによる福音書』に出てくる次の若者がそうではないかという。

ある若者が素はだに亜麻布だけをまとって、イエズスの後についていたが、人々が逮捕しようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げ去った。*10

異様な記述だと思っていた。裸で逃げる? 著書によると、大人が素肌に薄い亜麻布のシャツだけを身につけているなど考えられないが、子供ならありえたそうだ。

また、『ヨハネによる福音書』で、イエスの十字架の傍らに女性達に混じって立っている「愛する弟子」も、イエスの息子ユダだと著者達は考えた。

ところで、イエズスの十字架の傍らには、その母と母の姉妹、クロバの妻マリアとマグダラのマリアがたたずんでいた。イエズスは、母とそのそばに立っている愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、これはあなたの子です」と仰せになった。それから弟子には、「この方は、あなたのお母さんです」と仰せになった。そのときから、この弟子はイエズスの母を自分の家に引き取った。*11

著者達は、聖書ではマグダラのマリアと聖母マリアが意図的に混同されている、とする説を紹介している。意図的な混同は、マグダラのマリアとイエスの本当の関係を隠すためだという。

この場合、ヨハネの福音書に言う「母」は実のところ「妻」マグダラであり、死にゆくイエスは愛する妻に「息子を頼む」というメッセージを残したとも解釈できる。*12

『ヨハネによる福音書』のこの箇所にも、わたしはずっと違和感を覚えていた。女性達の中に男性の弟子が一人だけ混じっている不自然さ。その弟子に、イエスはなぜ自分の母親を押し付けることができたのだろう。弟子の正体が皆目わからなかった。

だが、女性達の家族的な雰囲気の中に混じっているのが子供だったとすれば、納得がいく。この子は父親であるイエスが心配でたまらなかったのだろうし、子供であれば、祖母と母がいるところに一緒にいてもおかしくない。

いずれにしても、最後の晩餐でイエスの胸に寄り添っていたのが幼い息子であったとすれば、何と納得がいくことだろう! 自身の死とエルサレムの崩壊を予感していたイエスは、後継ぎである息子を抱き寄せて、最後の食事をしたのではないだろうか。

ところで、中世に著わされた聖人伝説集、ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』にはマグダラのマリア伝説がある。舵のない船で海に流されたマリア一行が南フランスに漂着したという伝説なのだが、その中に領主夫妻の子として出てくる、愛くるしい男の子がわたしは忘れられなかった。

ヤコブス・デ・ウォラギネ(前田敬作&山口裕訳)『平凡社ライブラリー 578 黄金伝説 2』(平凡社、2006)では、マリアの出自について、次のように書かれている。

マグダラのマリアは、〈マグダラ城〉とあだ名されていた。門地は、たいへんよかった。王族の出だったのである。父の名はシュロス、母はエウカリアといった。弟のラザロ、姉のマルタとともに、ゲネサレト湖から2マイルのところにあるマグダラ城とイェルサレム近郊のベタニア村と、さらにイェルサレム市に大きな地所を所有していた。しかし、全財産を3人で分けたので、マリアはマグダラを所有して、地名が名前ともなり、ラザロはイェルサレムを、マルタはベタニアを所有することになった。

マグダラのマリアは王族の出で、マグダラの領主だったという。マグダラは古代におけるガリラヤの都市の一つである。

彼女はイエスの死後14年目に、南フランスに船で漂着した。

そして、奇妙なことに、マグダラのマリア一行の漂着後、すぐに子宝物語が始まるのである。『黄金伝説』から、ざっと紹介しておこう。

偽神に子宝をさずかる願をかけようとしたマルセイユの領主は、マリアにとめられ、キリスト教の信仰を説かれた。領主は、マリアの信仰が真実であるか確かめたいといい出し、マリアはそれに対して、聖ペテロに会うようにと促す。領主は、マリアに男の子をさずけてくれたならそうするという。夫人はみごもる。

ペテロに会いに行くという領主に、身重の夫人は無理について行く。マリアはお守りの十字架をふたりの肩に縫いつける。一昼夜航海したとき、嵐に遭い、夫人は船の中で男児を産み落とした後で死ぬ。困った領主は、母の乳房を求めて泣く赤ん坊と亡骸を岩礁に置き去りにする。

ローマのペテロに会いにいった領主は、2年間をペテロと共に過ごす。帰途、赤ん坊と亡骸を置いた岩の島に寄ると、赤ん坊は愛くるしく育っていて、領主が妻のことをマグダラのマリアに祈るうちに、妻はまるで『眠れる森の美女』のように目を開ける……

これはどう考えても不自然な話だが、イエスとマグダラのマリアの間に子供がいたという秘密を潜ませようとしたための不自然さなのかもしれない。

イエス、聖母マリア、マグダラのマリアのものと考えられている骨棺について、『キリストの棺』から、もう少し詳しく紹介しておくと、イエスのものと考えられる骨棺は10個の骨棺のうち最も簡素であったという。

それには、「YESHUA BAR YOSEF(ヨセフの息子イエス)」というアラム文字の刻印があった。しかも、先頭の Y の字の前には、文字より大きな「X」マークが刻まれていた。

それが何であるか、著者達は旧約聖書のエゼキエル書(9・4)に根拠を求め、アラム語やヘブライ語のアルファベットで最後に来る文字「タウ」と推定する。

その「X」に似た文字は、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ*13によれば、「それ自体で何かの終わりを、また同時に新しい何かの始まりを意味していた」というのである。

 イエスのミトコンドリアDNAは、2000年前のヨルダン川流域に住んでいたセム族のそれに酷似していた。ギリシャやインドに由来する遺伝子も観察できたが、圧倒的にセム族の痕跡が強い。
 イエスやマグダラのマリアはどんな顔をしていたのだろう。確かなことは誰にもわからないが、マセソン博士によれば、髪と目は黒かった可能性が高い。イエスの髪にはウェーブがかかり、アフリカの人のように「縮れて」いただろう。*14

聖母マリアのものだとされる骨棺には、「マリア」の名がヘブライ文字で刻まれていた。「マリア(Maria)」は聖書に出てくる「ミリアム」のラテン語バージョン。ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ*15によると、「ただしヘブライ語の綴りではなく、ラテン語での発音をそのままなぞっていた」そうだ。

マグダラのマリアのものだとされる棺には、「マラとして知られたマリアムネ」と刻まれていた。

Marat(マラ)はアラム語で「主」または「師」を意味し、男性形も女性形も同形。Mariamne(マリアムネ)は、ヘブライ語Miriam(ミリアム)のギリシア語バージョンだという。

マグダラのマリアはガリラヤ湖周辺の生まれで、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ*16によると、「イエスの教団を経済的に支える存在」であり、土地柄からも彼女はおそらくバイリンガルで、ヘブライ語とアラム語に加えてギリシア語にも通じていたと考えられるそうだ。

ギリシア語ができたからこそ、マグダラのマリアはギリシア語圏であった小アジア(アナトリア)で、師と呼ばれるほどの活躍ができたのだろう。

ちなみに、旧約聖書は概ねヘブライ語で記されている。イエス時代のパレスチナで使われていたのはアラム語であった。新約聖書にもイエスの言葉としていくらかアラム語が出てくる。新約聖書はギリシア語で記された。

「マラとして知られたマリアムネ」と刻まれた骨棺は、ヤコボヴィッチ&ペルグリー*17によると、「バラの花弁をあしらったロゼッタ文様で美しく飾られて」いた。

 

「フィリポ言行録」について
2019年8月22日における追記 2: 「フィリポ言行録」について

シンハ・ヤコボビッチ&チャールズ・ベルクリーノ(沢田博訳)『キリストの棺』(イースト・プレス、2007)には、初期キリスト教の文献にたびたび引用されているが、わずかな断片が残るのみだった「フィリポ言行録」がよみがえったという、次のような興味深い記述がある。

1976年、フランス人のフランソワ・ボボンとベルトラン・ブービエがアトス山のクセノフォントス修道院の車庫に眠る文献の中から、「フィリポ言行録」のほぼ完全な写本を発見したのである。4世紀ごろのテキストにもとづく、14世紀の写本とされている。
 2000年6月、ボボンらはアトス山版「フィリポ言行録」のフランス語訳を完成し、世に問うた。そしてマグダラのマリアが使徒フィリポの妹であり、「マリアムネ」と呼ばれていたことを明らかにした。マグダラのマリアに関する限り、「フィリポ言行録」は新約聖書をはるかにしのぐ情報の宝庫だった。*18

英語版ウィキペディアによると、フランソワ・ボボン(FrançoisBovon 1938年3月13日 - 2013年11月1日)はスイスのローザンヌ生まれ。聖書学者、初期キリスト教の歴史家。ハーバード神学校宗教史の名誉教授。
François Bovon - Wikipedia

フランス語版ウィキペディアによると、ベルトラン・ブービエ(Bertrand Hermann Bouvier  1929年11月6日 - )はスイスのチューリヒ生まれ。ジュネーブ大学文学部の名誉教授。
Bertrand Bouvier — Wikipédia

残念ながら、『フィリポ言行録』はまだ邦訳されていないようだ。

マービン・マイヤー&エスター・A・デ・ブール(藤井留美&村田綾子訳)『イエスが愛した聖女 マグダラのマリア』(日経ナショナル ジオグラフィック社、2006)には、マグダラのマリアが登場する文書として、新約聖書の福音書、ペトロの福音書の他に注目すべき文書群――マリアの福音書、トマスの福音書、フィリポの福音書、救い主との対話、ピスティス・ソフィア、マニ教詩篇集「ヘラクレイデスの詩篇」が紹介されている。

これらに「フィリポ言行録」が加わって、いよいよマグダラのマリアの存在感、文書類の内容の統一感が際立ってくる。それにつれて、新約聖書に登場する人々のよくわからなかった異様、異常と思われた行動も理解できるものとなっていく。

 

*10:マルコ14.51-52,フランシスコ会聖書研究所訳,1984,p.171

*11:ヨハネ19.25-27,フランシスコ会聖書研究所訳,1984,p.388

*12:ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ,2007,p.305

*13:2007,pp.293-294

*14:ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ,2007,p.262

*15:2007,p.38

*16:2007,p.168

*17:2007,p.50

*18:ヤコボビッチ&ベルクリーノ,沢田訳,2007,p.160

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2019年6月19日 (水)

「97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスの…」を神秘主義エッセーブログにアップしました

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/18/200850

当ブログで公開した記事に手を加えたものですが、加筆、訂正しましたので、以下に転載しておきます。

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97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点 


なぜ、ジェイムズ・ジョイス(ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス James Augustine Aloysius Joyce,1882 - 1941)がブラヴァツキー夫人(ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー Helena Petrovna Blavatsky,1831 - 1891)を、神智学関係者を、神智学用語を茶化したのかがどうしても気になって、エドナ・オブライエン(井川ちとせ訳)『ペンギン評伝双書 ジェイムズ・ジョイス』(岩波書店、2002)を読んだ。

わたしのジョイスに関する見方は、オブライエンの評伝によって、裏付けられた気がする。

彼は様々な知識を、概念を、頭がパンクするくらいに蓄えたが、それらは断片のままで、纏まりを欠き、深められることもないまま、頭の中で極彩色を放ちながら散乱している状態にあったのではないだろうか。

詩的(?)な小説家として、彼はそれらに勝手なイメージを付与し、いわば音律的感覚で、利己的に利用した。

わたしはジョイスの評伝を読みながら、太宰治(1909 - 1948)を、あるいはフィッツジェラルド(フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド Francis Scott Key Fitzgerald, 1896 - 1940)を連想した。

アイルランドのダブリン南郊ラスガー*1の子沢山の家庭に生まれたジョイスは、評伝によると、幼少時には「おひさまジム」と呼ばれた可愛がられる子で、イエズス会の学校に入ってからは、まるで現代日本の児童のように、ある少年の意地悪と司祭(教師)の無理解が発端となり、養護室通学をしたりした。

カトリックの壮麗な内装や典礼に魅了され、聖母マリアを憧憬したが、司祭によって語られるありとあらゆる罰や灼熱の地獄に関する説教に恐怖し、その恐怖体験から終生逃れられなかったようである。

ジョイスは十代ですでにカトリック教会とは決別していたが、ある意味では決して信仰を離れることはなかった。離れられなかったのだ。母や司祭に教え込まれたことはあまりに強烈だった。*2

ジョイスは、家庭の経済事情で学校を何度か変わる。優等生で、将来は聖職者になると思われていたほど敬虔だった。ジョイスの創作は早い時期に始まり、彼が作家になることを予想していた司祭もいた。

しかし、その後、ジョイスは変貌する。反抗期に入ったのかもしれない。

わずか数年のあいだに彼に起こった変化は、サムライのごとき決断によるものだった。それは子どもらしい優しさから冷淡な無関心へ、臆病ゆえの敬神から不信と反逆への移行であった。*3

こうした反抗期が、人生の終焉まで続いたようだ。わたしがジョイスの作品を読んで感じた幼稚さは、こうしたところから来ているのではないだろうか。成人した後も反抗期を引き摺るというのは、どう考えても知的な何かが足りない。彼の作品が如実にそのことを物語っている。

一方では、ジョイスの人気の秘密が彼のこうした、ある種の永遠の若さにあるのではないかとも思わせられる。わたしがジョイスから太宰治やフィッツジェラルドを連想するのもそのためだ。

ジョイスが性に目覚めたのは12歳のときで、集英社版『ユリシーズ Ⅲ』年譜によると、14歳で娼婦との体験を持った。早熟すぎて(只というわけでもないだろうに)、このあたりの記述はわたしには信じられない。

青年期のジョイスは家を罵倒したりしながらも、両親をはじめとする家族に期待され、学んだりフラフラしたりする自由を与えられている。

物書きとしてのジョイスは、ダブリンに根付けなかった。

ダブリンでは彼は周縁に追いやられ、嘲られ、文芸サークルからも締め出された。ジョイスはその都市を、徹底的に作り直してやろうと決めた。*4

この記述は、ジョイスの主観ではないかと少々疑う。

というのも、ジョイスはアイルランド文学復興運動の指導的人物であったラッセル(ジョージ・ウィリアム・ラッセル George William Russell, 1867 - 1935)、イェイツ(ウィリアム・バトラー・イェイツ William Butler Yeats, 1865 - 1939)、グレゴリー夫人(イザベラ・オーガスタ・グレゴリー Lady Isabella Augusta Gregory, 1852 - 1932)らの恩恵を被っているはずだからである。

ただ、22歳のジョイスが20歳のノラ・バーナクルと駆け落ちする資金集めにイェイツ、グレゴリー夫人に無心したときは、その申し出を断られていることから考えれば(グレゴリー夫人はあとで金を送ってやっている)、彼の逆恨みがあったのかもしれない。

また、『ユリシーズ』でジョイスはブラヴァツキー夫人のことをあくどく、見てきたように書いているが、二人に接点があったはずはないのである。純粋に、空想の産物である。

評伝にみる限り、ジェイムズは謙虚な礼儀正しい人物とはおよそいいがたい。しかし、破天荒、豪放磊落というには変に憶病である。

評伝及びジェイムズ・ジョイス(丸谷才一&永川玲二&高松雄一訳)『ユリシーズ Ⅲ』(集英社、1997)巻末の「ジェイムズ・ジョイス年譜」を参考にすると、ノラとアイルランドを出発したジョイスはイタリア領プーラ(現在はクロアチア共和国のプーラ)のベルリッツ校に英語教師の職に就いたのを皮切りに、23歳でトリエステのベツリッツ校に転任。24歳でローマに移って銀行に職を得(父がダブリン市長に書いて貰った手紙のおかげ)、25歳でトリエステのベツリッツ校に復職。27歳で映画館ヴォルタ座を開館(翌年潰れた)。

31歳でレヴォルテッラ高等商業学校(後のトリエステ大学)にポストを得、33歳でジョイス一家は(長女ルチア、息子ジョルジオ)はチューリヒに移住。1919年、ジョイス37歳のとき、アイルランド独立戦争が始まっている。一家でトリエステに戻り、レヴォルテッラ高等商業学校に復職。

40歳のとき、アイルランド自由国成立。49歳のとき、ロンドンで妻ノーラと結婚式を行っている。1939年、57歳のとき、第二次大戦勃発。南仏に移住。58歳で、チューリヒに移住。翌1941年、1月13日に十二指腸潰瘍穿孔で死去。

作品の発表については早くから発表舞台にも、出版にも恵まれていたように思える。

なぜかジョイスには孤独癖があり、恨みがましく、僻みっぽかったようだが、常に協力者が都合よく現れていて、世渡りは上手だったとしか思えない。甘え上手だったのかもしれない。

ノラとの間では紆余曲折あったようだ。

ジョイスはノラと別れず、それどころか、ますます依存するようになっていた。スチュアート・アルバートは、一年ほど前の悶着を回想している。ジョイス夫人がホテルに移るために荷物をまとめていると、ジョイスが椅子に丸くなり、ひとりでは自分のこともできない、彼女がいないとだめだと言い、それに対してノラは、川に身投げしたらどうかと言ったというのだ。*5

が、ノラは添い遂げ、彼の死後ノラは自分の妹に宛てた手紙で「かわいそうなジム、彼はとても素晴らしいひとだった」*6という感動的な言葉を綴っている。

死の前年にスイスに移住したのは占領下のフランスにいるのが危険になったからだった。長女ルチアには奇行が目立ったが、それは精神を病んでいたためで、このとき彼女はリヴリの病院に入院していた。溺愛する娘を心配しながらの出発だった。

フルンタン墓地で行われた葬儀はささやかだった。

ポール・ルッジェロは司祭を呼んではどうかと提案したが、ノラは、ジムに対して自分にはそれはできないと言った。*7

新約聖書「ルカによる福音書」に「放蕩息子」(15:11 - 32)という例え話がある。

ある人に二人の息子があり、弟のほうが父に生前分与を要求する。その財産を持って遠い国に旅立った弟は、放蕩で身を持ち崩し、飢えて帰郷する。

父はその弟を温かく迎え、弟は改心の言葉を父に告げて、もう自分に子と呼ばれる資格はないという。しかし、父は祝宴を開いた。

ジョイスは、キリスト教の観点では帰還した放蕩息子なのだろうか。唯物主義者の観点では、ジョイスは自由に正直に生き、世界を諧謔的に眺めた才能豊かな小説家だろうか。

一神秘主義者の観点から眺めると、ある特殊な知力はずば抜けていたにせよ、落ち着いて物事の考えられない、バランス感覚と高貴さに結び付くような高級なタイプの知力の不足した人に見える。そのわりには、馬鹿に高く評価されている気がする。

エッセー 96「ジェイムズ・ジョイス (1)『ユリシーズ』に描かれた、ブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名」でみたように、結城英雄氏がオンライン論文「アイルランド文学ルネサンスとジェイムズ・ジョイス」*8で、「文学における毀誉褒貶は珍しいことではないが,アイルランドのイェイツ批判は,ジョイス賛美と同じく,カトリックや民族主義者による陰謀と思われる」とお書きになっているところからすると、こうした文学現象は――村上春樹現象がそうであったように――多分に作られたものであった。

それが物書きとして幸福なことなのか、不幸なことなのかは、わたしにはわからない。しかし、文学にとっては明らかに不幸なことであった。しかも、不幸は――被害は、というべきだろうか――文学の分野に留まらない。

茶化しや悪ふざけというには悪意の感じられる、捏造された、誤解を招くジョイスの表現のために、迷惑を被った人物や事柄は多いと思われる。ブラヴァツキー夫人及びその思想が被った迷惑は、その一例である。

評伝でみる限り、酒を飲みすぎた感のあるジョイスが死後、あの世でどのような状態にあるかは浅学のわたしにはわからない。

ところで、死んだ人を眺めると、この世にはどうも、死んだはずなのに死んでいない人々がいるようである。

そのような人々のあの世での霊的な体は、死人さながらの昏睡状態にあるようだ。

そして、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)によると、彼らの強すぎる欲望のために崩壊しきれない遺物、カーマ・ルーパと呼ばれる「物質に関するあらゆる精神的、肉体的欲望と思いによって作られた主観的な形体」*9は、時にこの世の人々に憑依してまでも、欲望を存続させようとする吸血鬼となる。

その強すぎる欲望の対象の筆頭に来るのがアルコール、麻薬ではあるまいか。

この世に有害物質を置き土産とする放蕩息子たちは、自らの意志であの世に――霊的価値観に――目覚めるしかない。人は完全に自由であり、天国も地獄も自分で創り出す世界にすぎないからだ(客観世界であるこの世が地獄である以外は)。

なぜ、この世が、この世だけが地獄というかといえば、神智学では、自我の賞罰をカルマとの関係で考えるからである。ブラヴァツキー夫人の言葉を、前掲書『神智学の鍵』から引用しておきたい。

自我の前世の罪が罰せられるのは、自我のために用意されているこの再生においてです。新しい人生は、この神秘で容赦のない、しかも公平さと賢明さで絶対に誤りのない法則によって選ばれ、用意されるのです。自我が投げ込まれるのは、芝居がかった焔や尻尾や角のあるばかばかしい悪魔達のいる想像上の地獄ではなく、この地上です。つまり、自分が罪を犯したこの世界でこそ、あらゆる悪い思いと行いを贖[あがな]わなければなりません。自分の蒔いた通りに刈り取るのです。*10

 

*1:ジェイムズ・ジョイス(丸谷才一&永川玲二&高松雄一訳)『ユリシーズ Ⅲ』(集英社、1997)巻末の「ジェイムズ・ジョイス年譜」参照

*2:オブライエン,井川訳,2002,p.14

*3:オブライエン,井川訳,2002,p.7

*4:オブライエン,井川訳,2002,p.16

*5:オブライエン,井川訳,2002,p.200

*6:オブライエン,井川訳,2002,p.196

*7:オブライエン,井川訳,2002,p.204

*8:結城英雄 . アイルランド文学ルネサンスとジェイムズ・ジョイス(5). 法政大学文学部紀要. 2014-03, 68, p.59 -70. http://hdl.handle.net/10114/9303, (参照 2019-06-04).

*9:ブラヴァツキー,田中訳,1995,「用語解説」p.24

*10:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.142

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2019年6月 4日 (火)

神秘主義エッセーブログ「96 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で…」に加筆しました

加筆は青字部分です。目次8。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

96 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で茶化されたブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/02/004130

ジョイスの幼児性が物悲しい

ところで、ジョイスはヴァージニア・ウルフ同様、意識の流れという技法を使ったといわれている。ウルフの小説は確かにそのような実験ごころと何かに到達しようとする祈りのような意志を感じさせる。一方、ジョイスの場合は遊びにしかなっていないとわたしには思える。

例えば 18 のペネロペイア。句読点のない、主人公ブルームの妻モリーの独白が455頁から563頁まで続く。意識の流れがこんなに不自然なものであるはずがない。ヴァージニア・ウルフの技法とは似て非なるものだ。

ジョイスは糞尿好き、卑猥好きで、わたしは読みながらうんざりするが、丸谷才一氏はそうした傾向にも、解説「巨大な砂時計のくびれの箇所」で好意的な考察を加え、ユリシーズで最も重要なのは言語遊戯だという。「対象のきたなさと言葉の藝の洗練との対立は、ただ息を呑むしかない」*14そうである。

ヴァージニア・ウルフをはじめとするブルムベリー・グループの作家、イギリスの読者は『ユリシーズ』を嫌がったそうで、それはこの糞尿譚のせいではないかと思っていたそうだ。理性的な作家であれば、それが作品を嫌う一番の原因となることはないのではないか。不快に感じてしまうこのような箇所を、わたしなら飛ばすだけだ。

合成語、造語も得意だったらしい。脚注から引用した前掲のyogibogeybox(降霊術用びっくり箱)はそうだが、電話、エレベーター、水道設備、水洗便所という4つの単語を「神智学者が好きなサンスクリット用語めかした綴り字で書いて、ダブリンの文学者たちが AE やイェイツを含めてマダム・ブラヴァツキーに心酔してゐるのをからかったもの」*15もある。

ジョイスのからかいはともかく、当時のダブリンに、ブラヴァツキー夫人の神智学に心酔していた真摯な文学者たちがいたという情報がもたらされたことは、ありがたい。ウィリアム・バトラー・イェイツは1923年にノーベル文学賞を受賞している。わたしは未読だが、彼には日本の能楽の影響を受けた戯曲『鷹の井戸』などもある。

氷川玲二氏の解説「ダブリン気質」の次の記述は、ジョイスの言語遊戯に彼の屈折した感情があったことを推測させる。

ただしそれに関しても彼は狷介孤独だった。たとえば目下流行のアイリッシュ・ルネサンス(アイルランド文芸復興運動)とやらにも何だか馴染めない。人並みに多少ゲール語をかじってみたりしたけれど、なにしろこれは現在ではアイルランド西部の田舎でしか通用しない言葉だし、それによって表現できる事柄の範囲も狭い。*16

ジョイスは、アイルランド文芸復興運動の指導的人物であったラッセル、イェイツ、グレゴリー夫人*17らの恩恵を被りながらも、結城英雄氏のオンライン論文「アイルランド文学ルネサンスとジェイムズ・ジョイス」*18によると、彼らと対立していたという。

それは、出自の違いによるところもあったらしい。彼らがアイルランドの支配層であったイギリス系アイルランド人のプロテスタント教徒であったのに対し、ジョイスは土着のカトリック教徒だった。

今日のアイルランドにおけるイェイツ批判の背景にあるのは,プロテスタントとカトリック,イギリス系アイルランド人と土着のケルト人という,19世紀後半から顕在化していた対立図式である。批判者のほとんどがカトリックの側に属していることからして,南北に分裂したアイルランドの現状を映し出している。文学における毀誉褒貶は珍しいことではないが,アイルランドのイェイツ批判は,ジョイス賛美と同じく,カトリックや民族主義者による陰謀と思われる。*19

結城英雄氏は、「ジョイスもイェイツも,アイルランドという地方性を越え,ヨーロッパ文明を包括する普遍性を希求していたのである」*20とお書きになっているが、普遍性を希求していたにしてはジョイスのフィルターは自身の好悪の念で曇りすぎているのではないだろうか。

丸谷才一氏によると、ジョイスの語彙は、専門語、学術語から、俗語、卑語、幼児語、誓語(罵り言葉)、擬音語にまで及ぶという。「言語の多様性へのかういう執着は、長編小説を、 辞書と競争 させようといふもので、この企てもまた明らかに言葉遊びの一種であり、そしてこの遊びは当然、 百科事典と競争 歴史事典と競争 地名事典と競争 する段階へ進む」*21そうだ。

何が当然なんだか……わたしは、ジョイスと関わるのはもう充分である。ブラヴァツキー夫人が病身に鞭打ち、どれほどの思いで執筆に向かっていたかを伝記と著書を通して知っているためか、何か物哀しい気分にさえなった。

*14:丸谷,1997,p.585

*15:丸谷,1997,p.583

*16:氷川,1997,p.637

*17:イザベラ・オーガスタ・グレゴリー Lady Isabella Augusta Gregory, 1852 - 1932 アイルランドの劇作家・詩人

*18:結城英雄 . アイルランド文学ルネサンスとジェイムズ・ジョイス(5). 法政大学文学部紀要. 2014-03, 68, p.59 -70. http://hdl.handle.net/10114/9303, (参照 2019-06-04).

*19:結城,2014,pp.59-60

*20:結城,2014,p.69

*21:丸谷,1997,p.587

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