カテゴリー「マダムNの他サイト情報」の204件の記事

2021年12月25日 (土)

クリスマスには、やはり新約聖書

何だか慌ただしくて、クリスマス・イヴという雰囲気には遠い昨夜でしたが、クリスマスには新約聖書を紐解かないと、忘れ物をしたような気持ちになります。

クリスチャンではありませんが、新約聖書の放つ白い柔らかな光に惹かれて、昔から愛読してきました。大学卒業間際に母が倒れ重態に陥った夜、枕許で紐解いたのも新約聖書でしたっけ。

2007年9月30日 (日)
手記『枕許からのレポート』
https://elder.tea-nifty.com/blog/2007/09/post_e32f.html

読むたびに、何らかの発見があります。

今日、目に留まったのは、イエスがローマ総督ピラトと問答する場面を描いたヨハネの記述でした。ピラトについて、ウィキペディアにはいろいろなことが書かれています。脚注の出典を見ると、比較的バランスよく引用されている気がします。

ピラト(ウィキペディア)

ポンテオ・ピラト(古典ラテン語:Pontius Pilatus (ポンティウス・ピーラートゥス)、生没年不詳)は、ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督(タキトゥスによれば皇帝属領長官、在任:26年 - 36年)。新約聖書で、イエスの処刑に関与した総督として登場することで有名。新約聖書の福音書の登場のほか、少し後の時代のユダヤ人の歴史家であるフィロンやフラウィウス・ヨセフスなどの歴史書においては、アグリッパ1世以前のユダヤ総督で唯一詳しい説明が存在する[1]。……(以下略)……

フランシスコ会聖書研究所訳『新約聖書』(中央出版社、改訂初版1984)の「ヨハネによる福音書」から引用します。

 そこで、ピラトは再び官邸に入った。そして、イエズスを呼び寄せ、「お前がユダヤ人たちの王なのか」と尋ねると、イエズスはお答えになった。「あなたはご自分の考えでそう言うのですか。それとも、ほかの人がわたしについて、あなたにそう言ったのですか」。ピラトは言い返した。「このわたしがユダヤ人であるとでも言うのか。お前の国の人、また、祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。お前はいったい何をしたのか」。イエズスはお答えになった。

「わたしの国は、この世に属していない
わたしの国がこの世に属していたなら、
わたしがユダヤ人の手に
引き渡されないように、
部下が戦ったことであろう。
しかし、実際、わたしの国は、
この世に属していない」。

 そこでピラトが、「では、お前はやはり、王なのか」と言うと、イエズスはお答えになった。

「わたしが王であるとは、
あなたの言っていることである。わたしは、
真理について証しをするために生まれ、
また、そのためにこの世に来た。
真理に属している人は皆、
わたしの声に耳を傾ける」。

ピラトは、「真理とは何か」と尋ねた。

(フランシスコ会聖書研究所訳,1984,pp.384-385)

イエスに対してピラトがユダヤ人の王か、と問いかけ、イエスがそれはあなたの言っていることだと返す場面は、どの聖書記者も書いていますが、それ以外のここでの長い問答はヨハネしか書いていません。

そして、ピラトの「真理とは何か」という問に対するイエスの返答はなかったのか、後に削除されたのか、書かれていません。

イエスの言葉は、低次元であるこの世を包んで存在する、高次元の観点から語られた言葉であるように思われます。

そう考えると、ピラトの「真理とは何か」という言葉は愚問ですね。イエスは既に、真理とは何かについて、語っているからです。ピラトには、イエスの言葉を理解するだけのものが備わっていないことは明らかです。イエスは黙するしかなかったとも考えられます。

神秘主義的観点から新約聖書を考察した「マダムNの神秘主義エッセー」におけるオススメは、以下の記事です。

49 絵画に見る様々なマグダラのマリア
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/05/05/025512

目次

  1. 絵画によるマグダラのマリアの競演
  2. 東方教会が伝える、誇り高く行動的なマグダラのマリア(主の復活の第一証人、方々へ伝道、ローマ第二代皇帝にイエスの冤罪を直訴)
  3. イエスが結婚していたとする説
  4. イエスの愛しておられた者とは誰か?(横になって食事するローマ式だった最後の晩餐)
  5. イエス一家の棺の発見
  6. 「フィリポ言行録」について

105 トルストイ『戦争と平和』…⑥テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2020/10/11/220929

目次

  1. なぜイルミナティズムとマルクシズムは酷似しているのか?
  2. 唯物史観は日本には当てはまらない
  3. 『共産党宣言』に出てくる「新エルサレム」は理想郷の喩えなのか?
  4. マルクスはサタニスト(悪魔崇拝者)だったのだろうか?
  5. 転向したイルミナティの元メンバーの告発動画
  6. シオン長老の議定書と新約聖書に出てくるパリサイ派
  7. 中国共産党に改竄された教科書のヨハネ福音書
  8. 2021年2月4日における追記

また、児童小説『不思議な接着剤』に、グノーシス主義の福音書文書の一つ 『マリアによる福音書』に登場するマグダラのマリアをモデルとした人物を登場させたいと思い、研究してきたノートを以下のブログで公開中です。2016年5月から収録できていませんが、No.100まであります。

創作ノート - 不思議な接着剤
https://etude-madeleine.blog.jp/

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2021年12月24日 (金)

おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2022

もう年賀状はお済みでしょうか。わたしは何と、これからです(^0^;)

明日までに投函しないと、元旦には届かないというのに。

これから、というかた――同志――のために、遅くなりましたが、「おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2022」をブログ「Nのめもちょう」に公開しました。

おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2022
https://n2019memo.blogspot.com/2021/12/2022.html

インターネットが不具合になった頃から、忙しく動くわりには一向に用事はこなせていないという情けない状態で、おすすめの言葉もろくに挿入できていませんが、一年ぶりに昨年紹介したサイトを閲覧させていただき、やはりおすすめしたいと思うサイトばかりですので、不完全な状態ではありますが、アップしておくことにしました。

おすすめしたい新規参入サイトは、うまく見つけることができませんでした。ビジネスが全面に出たサイトが多く、ここで紹介させていただいているような、何か純粋な絵心の感じられる年賀状デザインをアップされているサイトは本当に貴重だと思った次第です。

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2021年12月14日 (火)

大分トリニータ、天皇杯決勝戦進出。札付き巨大製薬会社ファイザー、アストラゼネカの10年前の行状。「ワイス博士の前世療法の問題点について、神秘主義的観点から考察する」を再公開。

コロナ禍の影響など、色々あって、J2降格が決まっている大分トリニータですが、12日に行われたサッカー天皇杯の準決勝で守りに徹して延長戦に持ち込み、延長戦では互角の戦いとなってPK戦へともつれ込んだ末、何と川崎フロンターレを下して初の決勝進出を決めました。

片野坂監督、素敵です。還暦過ぎのわたしはすっかり高校生くらいの気持ちになって、片野坂監督の姿を追い求めながらテレビ観戦しました。片野坂監督、大分トリニータ監督を辞めないで!

これ、亀記事もいいところですね。この記事は大分トリニータの決勝進出の直後にアップするつもりだったのですが、ネット接続が不安定で、原因究明に追わていました。

でも、まだ解決していません。今はたまたま調子がいいだけでしょうね。

原因は、レンタルしているモデム(ONU)の経年劣化だと思うので、交換してほしいのですが、すんなり交換して貰えるのかどうか。

とりあえずフレッツ光西日本の故障時サポート(録音受付)に夫が昨日の午前中に電話し、午後3時になっても電話がかかってこなかったので、再度、用件を録音したにもかかわらず、今に至るまで応答なし。以前も何かの問い合わせで、なかなかつながらず、困ったことがありましたっけ。

BUFFALOのWi-Fiルーターも買い替え時だとは思っていますが、あれこれやってみたところではやはり、モデム。7~10年程度で寿命らしく、それからすると、うちのは寿命を越えた長寿モデムとなっております。

話題は執筆関係に移りますが、現在、図書館から借りたユング関係の著作を数冊借りて精読しています。その中でもリチャード・ノル(老松克博訳)『ユングという名の〈神〉―秘められた生と教義』(新曜社、1999)は封印されてきたユングの一面を生々しく伝える貴重な著作内容で、この本が邦訳されたことの意義は大きいと思われます。

そう思うだけに、前に借りたときのようにざっと読んだだけではいけない、精読しなければと思い、読んでいるのですが、以下の冒頭部分からしてわたしは脱力し、読書が進みません。

チューリヒ湖の上流側の岸辺、ボーリンゲンの閑静な地にユングの「塔」として知られる石造りの建物があり、今でも巡礼のように訪れる人が絶えない。1923年、ユングはそこにささやかで素朴な隠れ家を建てはじめた。ひとりきりで過ごす円い器としてである。後年それは増築されて塔になり、聖域となった。彼はそこで、みずからの経験したヴィジョンを壁に描いたり、石に刻んで保存したりすることができた。それはまた、性の空間、異教的な背徳の祭壇にもなっていた。ユングはキュスナハトの妻や家族、あるいはチューリヒの弟子たちから離れ、深い仲であったトニー・ヴォルフと思う存分享楽の時を過ごした。(ノル,老松訳、1999,p.3)

「何やっとるんだね、チミは?」といいたくなります。

ユングの行為が単にプライベートなものだとするなら、どうでもいい話ですけれど(趣味の塔づくりをしようが何しようが)、ユングの解釈による異教的意味づけをした上での行為であれは、それは神秘主義とは真逆の何かです。その真逆の何かと心霊主義を一緒にして、ユングは心理学に持ち込んだわけです。

聖域にカーマ(欲望)を持ち込むなど、神秘主義ではありえないことですけれど、ユングの「聖域」にはヴィジョンを通して出逢ったユングの導師フィレモン(ヘレニズム時代からやって来た超個人的実体で、長く白い髭と翡翠の翼を持つ老人)が描かれているとか。

老人の奇怪な姿は、カーマ・ローカの幽霊がユングの好みに合わせた扮装でしょうか。どことなく子供じみた「超個人的実体」ですね。

「マダムNの神秘主義的エッセー」で一旦公開し、その後非公開設定したエッセーは、とりあえず、そのまま再公開しました。

2021-11-23
113 ワイス博士の前世療法の問題点について、神秘主義的観点から考察する
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2021/11/23/030326

目次

  1. 神秘主義=心霊主義ではない
  2. 前世療法やオーラ診断が連想させる、眠れる予言者エドガー・ケーシー
  3. ヨガ行者パラマンサ・ヨガナンダと前世療法における「前世の記憶」の様態の決定的違い
  4. 降霊術のとりこだったユングの影響
  5. 2021年11月25日における追記: 心理クラブの影響を受けたヘッセ、神智学及び人智学の影響を受けたカロッサ
  6. 2021年11月30日における追記: ヘッセの代表作『デミアン』に登場するアプラクサスとイルミナティの神、そしてユングの神々

今後ユングについて書きたいことが出てきたときは、別のエッセーにします。

ところで、積ん読の山を何気なく眺めていたら、内海聡『精神科は今日も、やりたい放題 ―医者が教える、過激ながらも大切な話―』(PHP文庫 - ‎ PHP研究所、2018) が目に留まりました。

ワクチン懸念派のツイートで、そのお名前をたびたび見たことがあったからです。

娘は書店員時代に内海氏の著作を数冊、内容確認のためにざっと読んだことがあったといいました。悪い読後感ではなかったようでした。

昨日読んだわたしには、全編通して共鳴できる内容でした。それについては、当記事では触れません。プロフィール欄に、この作品は「2012年4月」に刊行されたものを再編集したものとありました。10年近く前の作品なのですね。

この本に、新型コロナウイルスワクチンで馴染み深い製薬会社となったファイザー社、アストラゼネカ社が出てきます。

アストラゼネカ社は、「今やドル箱となった抗精神薬の違法な市場拡大に対する連邦の捜査で、金銭の支払いを行った巨大製薬企業は、過去3年間でアストラゼネカ社が4社目となる。ロンドンに拠点を置く同社は、『セロクエル』に都合のよい研究データだけを誇張し、リスクを適切に開示せず、医師や患者を欺いたとして告訴もされている。現在もアストラゼネカ社は、薬剤のリスクを開示しなかったとして2万5000件に上る患者側からの民事訴訟を抱えている」(内海,2018,p.66-67)

ファイザー社については、デッチアゲ研究が紹介されています。「捜査機関が発表したところによると、ファイザー社が販売する「ガバペンチン」(てんかん薬)のマーケットの拡大に不都合な研究結果の揉み消しや改竄を同社が行っていたことを示す社内文書が見つかり、製薬会社でどのように科学研究の操作が行われているかを知る機会を提供する結果となった」(内海,2018,p.92-93)

札付きの巨大製薬会社のワクチンを高い値段で膨大な量、買わされた日本政府。「日本は世界における抗精神薬の在庫処分場と化しており、たとえば、ベンソジアゼピン系(安定剤、睡眠薬として用いられる種類)でみれば、どの国と比べても世界一の精神薬消費国となっている」(内海,2018,p.68)と書かれています。日本がワクチンの在庫処分場となっているというツイートを目にしたことを思い出しました。さもありなん、です。

 

カテゴリー「新型コロナ対策: イベルメクチン」記事一覧

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2021年11月28日 (日)

ヘッセの代表作「デミアン」に登場するアプラクサスとイルミナティの神、そしてユングの神々

「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開した「ワイス博士の前世療法の問題点について、神秘主義的観点から考察する」という記事にちょっと加筆するつもりが(一旦この記事は閉じている)、とんだことになってしまった! 不気味な闇の中を彷徨っていたような数日間だった。

ワイス博士の前世療法には分析心理学を創始したユングの影響が当然あるはずで、そのユングが降霊術のとりこだったことはリチャード・ノル(老松克博訳)『ユングという名の「神」―秘められた生と教義』 (新曜社、1999)で知った。

ユングは若い頃から降霊術に熱中しており、生涯にわたって、降霊術に出現する死者の国の霊や神々に相談し、それを他人にも相談するよう教えたというのである。(ノル,老松訳、1999,p.37)

ユングがロックフェラー家の助力で設立した心理学クラブを訪れていたヘッセ。

わたしは前記事で採り上げたヘッセの代表作「デミアン」に出てくるアプラクサスが気になった。「神的なものと悪魔的なものを結合する象徴的な使命を持つ」神として、アプラクサスは登場する。

家にあるジョン・R・ヒネルズ編(佐藤正英監訳)『世界宗教事典』(青土社、1991)にアプラクサスの項目はなかった。あれこれ調べたが、家にあるものからは出て来なかった。コトバンクに解説があった。

ヘレニズム時代に,アレクサンドリアを中心にして,一部の人たちが最高神を呼ぶときに使った名称。しばしば鶏の頭をもち,右手に盾,左手にむちをかざし,両足が蛇で,4頭立ての馬車に乗った姿であらわされている。鶏は予見と用心深さを意味する鳥であり,盾は知恵,むちは力を意味し,2匹の蛇であるヌースとロゴス,すなわち霊性と理解とに支えられ,宇宙の四つの方向をめぐって支配する神とされる。ABRAXASの7文字は,七つの光,または数理的に365を意味し,紀元2世紀のアレクサンドリアに在住したグノーシス派のバシレイデスBasileidēsによれば,この宇宙は365の層をなす天によって構成され,その最下層の神がアブラクサスであって,地球や人類を創りだし,七つの属性によってこの世を支配している。

平凡社. “世界大百科事典 第2版「アブラクサス」の解説: アブラクサス【Abraxas[ギリシア]】”. コトバンク. https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%B9-1143525, (参照 2021-11-27).

ウィキペディアには次のようなことが書かれている(出典が書かれていない)。

アブラクサスはエジプト神話においてイシスの眷属だったらしく、さらにペルシア起源のミトラ神信仰とも関係があったが、この宗教はローマにおいて、はじめの400年間、キリスト教の最大の対抗勢力であった。……(略)……アブラクサスは物質界を創造し、悪魔的な性質を持つ旧約聖書の神(実際は創造された存在で、高位のアイオーンであるソフィアの息子)に同化していった。
中世には、アブラクサスは正統派のキリスト教によってデーモンとみなされ、崇拝者は異端とされた。

関連項目
・イルミナティ

ウィキペディアの執筆者. “アブラクサス”. ウィキペディア日本語版. 2021-03-18. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%B9&oldid=82510531, (参照 2021-11-28).

「イルミナティ アブラクサス」で検索すると、「バーバリアン・イルミナティ: イルミナティに罪をなすりつけてきた黒魔術団」という記事がヒットした。

バヴァリアン・イルミナティ(Bavarian Illuminati)の7位階の人々によって運営されている、正真正銘のイルミナティの啓蒙サイト「啓明:「秘密の宗教-神になるには(Illumination: the Secret Religion - How to become God)」から、翻訳紹介した文章のある「バーバリアン・イルミナティ: イルミナティに罪をなすりつけてきた黒魔術団」という記事だった。

その記事に「アブラクサス」という記述があったのである。「プロローグ全文翻訳」からその箇所を引用させていただく。

私たちはイルミナティです。

私たちは、真の神のメッセンジャーです。

私たちの神聖な任務は、人類と神の神々しい本質との間には、もはや少しの差異もない、という本当の神との全体的合一の中に、人類を導くことです。

どのようにして、このことが達成できるのかは、アインシュタインの相対性理論と量子力学の理論を使うことによって、はっきり見ることができるのです。
もう、人類は、しっかり目を見開いて、この神聖な光を見るべき時なのです。

私たちの宗教は、イルミネーション(Illumination=啓明)と呼ばれています。
私たちは、この無知で開かれていない世界に、真の神、アブラクサス(Abraxas)の光を当てるために影の世界から出てきた者です。
すべての人たちに、啓明の光、覚醒の光をもたらすために。

大谷弘仁. “バーバリアン・イルミナティ: イルミナティに罪をなすりつけてきた黒魔術団”. 備忘録ノート. http://bibourokunote.blogspot.com/2011/06/blog-post_14.html, (参照 2021-11-26).

アブラクサスが「真の神」と呼ばれている。そして、イルミナティのグランド・マスターだったアダム・ヴァイスハウプト(Adam Weishaupt)の紹介の後に、以下のユングの言葉が引用されているのである。

「私が15歳のとき、聖杯伝説を読んで以来、それは私にとって、もっとも重要なことになったのである。聖杯伝説の背後には、大いなる秘密が隠されていることを感じ取ったからである」  カール・ユング

同上 (参照 2021-11-26).

前掲「プロローグ全文翻訳」にはグランド・マスターの名前も挙げられている。

イルミナティのもっとも有力なグランド・マスターは以下のとおりです。
・背教者ソロモン王(King Solomon the Apostate)
・ピタゴラス(Pythagoras)
・ヘラクレイトス(Heraclitus)
・エンペドクレス(Empedocles)
・シモン・マグス(Simon Magus)
・ヒュパティア(Hypatia)
・ライプニッツ(Leibniz)
・アダム・ヴァイスハウプト( Adam Weishaupt)
・ゲーテ(Goethe)
・ヘーゲル(Hegel)
以上の10人です。

同上 (参照 2021-11-26).

アダム・ヴァイスハウプト(1748 - 1830)以降のゲーテ(1749 - 1832)、ヘーゲル(1770 - 1831)はイルミナティだったのだろう。

イルミナティのサイトに引用されているユングも、イルミナティだったのだろうか? ユングの影響を受けたヘッセは「デミアン」で主人公シンクレールをアプラクサスに捧げるという行為を創作上の行為とはいえ、やってのけているのだから、イルミナティだった可能性もある。

薔薇十字団、フリーメーソン、フリーメーソンを侵食したイルミナティはキリスト教の弾圧を怖れて地下に潜り、秘密結社となった。その弾圧がなくなった現代、秘密結社は地上に出てきたのだろうか? 前掲記事で紹介されているイルミナティのサイトは真正なものなのだろうか?

冒頭で引用したリチャード・ノルの文章にユングが「降霊術に出現する死者の国の霊や神々に相談」したとあるのが気にかかる。もし神々を招喚する魔術を行っていたのだとすれば、ユングは精神医学者の仮面を被った黒魔術師ではないか。あるいは、降霊会に神の名を騙るカーマ・ローカの幽霊たちが出現した、それを「神々」と呼んでいるだけなのかもしれないが。

いずれにせよ、もしノルの記述が本当だとしたら、それは精神医学を中世の闇に引き戻した、信じられない所業である。

マダムNの神秘主義的エッセー」における関連記事:

69 革命結社の雛形となったイルミナティの思想と掟、イルミナティ用語としての「市民」
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/06/19/183509

77 前世療法は、ブラヴァツキー夫人が危険性を警告した降霊術にすぎない
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/11/16/195219

80 トルストイ『戦争と平和』… ①映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/04/03/200934

81 トルストイ『戦争と平和』… ②ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/04/05/151342

82 トルストイ『戦争と平和』… ➂18世紀のロシア思想界を魅了したバラ十字思想
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/05/05/221437

83 トルストイ『戦争と平和』… ④フリーメーソンとなったピエールがイルミナティに染まる過程
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/05/24/200700

91 C・G・ユングの恣意的な方法論と伝統的な神秘主義
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/01/13/170110

104 トルストイ『戦争と平和』…⑤イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2020/10/11/220247

105 トルストイ『戦争と平和』…⑥テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2020/10/11/220929

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2021年11月25日 (木)

(再度の加筆のため、一旦閉じました)神秘主義的エッセーブログを(一応)更新しました(加筆あり、赤字)

※加筆に時間がかかりそうなので、一旦閉じました。「いいね」してくださったかたがあったのに、申し訳ありません。(2021/11/27 18:44)

ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

113 ワイス博士の前世療法の問題点について、神秘主義的観点から考察する
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2021/11/23/030326

公開後に改めてヘッセの『デミアン』を読み、以下のようなことを考えたところなので、これをそっくり加筆するかもしれません。

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

ヘルマン・ヘッセ(高橋健二訳)『デミアン』(新潮文庫 - 新潮社、2007改版)の訳者解説によると、1919に発表された『デミアン』がドイツの若者に如何に大きな影響を与えたかが窺えます。

『デミアン』は力作であると同時に問題の作である。大戦直後、発表された当時、シュペングラーの『西洋の没落』と並んで、迷えるドイツ青年層に大きな衝撃を与えたばかりでなく、ヘッセ自身にとっても人間的にも芸術的にも一転機を画した作である。成功した作であるか、失敗した作であるかは別として、『デミアン』はヘッセが必死になって自我と取り組んだ力作であり、よかれあしかれ彼の代表作であることは衆評の一致しているところである。(p.247)

ヘッセによると、デミアンとはデーモン(悪霊にとりつかれたもの)から出ているとか。

『デミアン』執筆の背景として、第一次世界大戦の衝撃、ラングという精神分析に詳しい医師と知り合いになったことから精神分析に強い興味をそそられ、読心術、夢の解釈などをはじめとする精神分析的要素が随所にとり入れられたことが挙げられています。

ロックフェラー家の助力でユングの「心理学クラブ」が設立されたのは1916年。そこを訪れたというヘッセの『デミアン』にはクラブの大きな影響が――作風を一変させるほどに――あったというわけです。

神的なものと悪魔的なものとに引き裂かれそうになったヘッセは、この作品を書くことで、二つの概念の止揚を試みたのではないでしょうか?

悪魔的なものの中には性欲も入っており、性欲の扱いに困っている青年の姿が生々しく描かれているのですが、それを主人公が頭の中で誇大妄想的に、理想とする生身のエヴァ夫人の幻像を世界観に溶かし込む様子に読者として不安にさせられました。エヴァ夫人と息子のデミアンは主人公の指南役として、過剰なまでに大きな役割を果たします。

若者受けを狙ったのかどうかはわかりませんが、この作品の発表当時のヘッセが42歳だったことを思えば、大人の視点を完全に欠いたまま無理に脱稿したような作風にわたしは奇異な感じを受けざるをえませんでした。何歳での発表だったか確認するまでは、20代前半での発表と思っていたほどです。

心理学クラブの影響を受けたヘッセ(1877 - 1962)と、神智学及び人智学の影響を受けたカロッサ(1878 - 1956)は同世代です。

『デミアン』の後半部はあまりに夢幻的、抽象的、観念的であり、世界と自己の陥っている限界感を解決するものとして、ヘッセは次のような結論を主人公にもたらします。

巨大な鳥が卵から出ようと戦っていた。卵は世界だった。世界は崩壊しなければならなかった。
ヘルマン・ヘッセ(高橋健二訳)『デミアン』(新潮文庫 - 新潮社、2007改版、p.242)

これは革命思想ですね。

崩壊後の具体的なヴィジョンのないところは、イルミナティ教団を創設したアダム・ヴァイスハウプトと同じです。カバール(悪魔崇拝主義)といわれる国際金融資本ロスチャイルド家がヴァイスハウプトとマルクスを支援し、ロックフェラー家がユングを支援していたとはね。

一方、カロッサの作品では、神智学の影響が次のような言葉となっています。

空疎な唯物論は、さいわいにして、ようやく没落し、今では神智学という立派な信頼すべき学問が存在している。そしてその学問のおかげで、私たちが現世の肉体のほかにもう一つの肉体、エーテルの肉体を持っていることが、決定的に証明された。この肉体は宇宙のあらゆる永遠の生命力とつながっていて不滅であり、幾度も浄化され、いくつも星をへめぐったのちにおいて、ふたたび自分の血縁者たちと出会うだろう。
カロッサ(国松孝二訳)『指導と信徒』(岩波文庫 - 岩波書店、2012、p.40)

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2021年10月29日 (金)

(29日に加筆あり、赤字。夜になって再度の加筆、マゼンタ字)エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」に49、50―アストリッド・リンドグレーン(2)(3)―をアップしました

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」に 49「アストリッド・リンドグレーン (2)『はるかな国の兄弟』を考察する 2014.4.30」、50「アストリッド・リンドグレーン (3)愛蔵版アルバムで紹介された『はるかな国の兄弟』と関係のあるエピソード 2015.9.14」をアップしました。当ブログで公開中の記事をまとめたものですが、加筆訂正がありますので、転載しておきます。

28日に公開した記事でしたが、29日になって、エッセー「50」 にかなり加筆しましたので、一旦閉じ、再公開しました。加筆部分は赤字にしています。夜になって再度の加筆を行いました、マゼンタ色の文字です。

49 アストリッド・リンドグレーン (2)『はるかな国の兄弟』を考察する 2014.4.30

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vermilionchameleonによるPixabayからの画像

長編児童小説「はるかな国の兄弟」は悲惨な場面から始まる。

貧しい地区で火災が起こり、10歳になる病気の弟を背負って窓から飛び降りた13歳の少年が亡くなるのだ。物語の語り手は兄を失った弟クッキーである。

兄のヨナタンは弟にとって、お話の王子のように美しく、優しく、強くて、なんでもできた。弟思いの兄は、死期の迫った弟が死ぬことを恐がらないように、死んだらナンギヤラという「野営のたき火とお話の時代」に行くのだと語って聞かせていた。

先にそこへ行くはずの弟が残り、弟には「この町じゅうにも、ヨナタンのことを嘆かない人はひとりもなく、ぼくが代りに死んだほうがよかったのに、と思わない人はひとりもいません」というつらい自覚がある。

ヨナタンに先立たれた今、母親とクッキーにとってお互いはただ一人の家族なのだが、母親は存在感のない人物に描かれている。

裁縫師として家計を支えている母親が多忙であるにしても、あまりにも描写に乏しいのだ。兄弟にスポットライトを当てるため、作者は故意に読者から母親を遠ざけているようにも思える。

クッキーにとって、ヨナタンは理想的な兄というだけでなく、父母に代わる人間でもあって、唯一全き他者といってもよいくらいだ。別の見方をすれば、クッキーにとってヨナタンの影響は大きすぎる。クッキーはヨナタンに取り込まれてしまっているかに見える。

そんな危険な匂いが、冒頭から漂う。

ヨナタンはクッキーを自分のものとして可愛がりすぎるのである。我が子を溺愛する母親のように。クッキーという愛称もヨナタンが与えたものであって、母親はカッレと呼ぶのだ。

兄の死から2ヶ月して、兄の待つナンギヤラに弟も行く。死んで他界に行ったと考えてよいのだろうか? 

ナンギヤラで、星の明るい晩に、どの星が地球かをあててみようとしたクッキーにヨナタンが「地球ね。そう、あれはずっとずっと遠くの宇宙をうごいていて、ここからは見られないよ」というところからすると、彼らは別の星にテレポーションしたのかしらん。

だが、この作品に SF 的な要素はないので、何にせよナンギヤラは人間が死んだあとにいく他界なのだろう。だとすると、ナンギヤラは天国なのだろうか。

ナンギヤラは中世の村社会を想わせるが、理想郷のようなナンギヤラのサクラ谷で、兄弟は谷の人々と交わりながら楽しく暮らす。暴君テンギルや竜カトラとの戦いが始まるまでは――。

死後の世界であるにも拘わらず、この世と同じような暴力があり、流血があり、死があり、悲しみがあって、この世にはいない怪物までいるとなると、ナンギヤラは天国ではありえないが、地獄にしてはよいところなので、煉獄といってよい世界と思える。

クッキーには秘密にされていたが、暴君テンギルに抵抗する地下組織が既にあって、兄はその一員だった。クッキーも一員となる。第一線部隊の目立つ地位にいる兄に対して、クッキーはどちらかというと、彼らを後方で支える側につく。

クッキーは物語の初めから終わりまで、控えめな存在なのである。常に兄に追従し、兄を信心するよき信徒のようである。クッキーはいつまで経っても主人公にはなれない。兄依存症といってよいくらいだ。

クッキーも歯がゆいが、その原因に兄ヨナタンの過度な保護や出過ぎたリードがあるように思われ、わたしにはそのことが不気味にすら感じられる。

彼らがまだこの世にいたとき、弟をなぐさめるためだとしても、ヨナタンは死後の世界を弟に対して規定しすぎたのではあるまいか。クッキーが死んでも天国へ行けず、ヨナタンから借りた煉獄的世界で堂々巡りしなければならないのがヨナタンのせいとばかりはいえないにしても……。

わたしは神秘主義者だから、死後の世界に関する情報と独自の考えをいささか頑固に持っているが、それをブログや電子書籍で語ることはあれ、他人に強要しようとは思わない。わたしは共鳴して神智学協会の会員になったが、家族を含めて、わたしの周囲に神智学協会の会員は一人もいない。

人間には死後の世界を自分で想像し、創造する権利があると考えている(こんな考えかたは特殊だろうか)。その自由を、ヨナタンは弟から奪っているように思えるのである(こんな考えもまた、一つの思想であろうが)。

そういう疑問はわくにしても、この冒険活劇には心に沁みる、美しい場面が沢山あり、ビアンカという伝書バトの出てくる場面などは忘れられない。

ソフィアのハトたちがほんとに人間の言葉がわかるのかどうか、ぼくは知りませんが、ビアンカはわかっていたように思います。なぜってビアンカは、安心しなさいというように、ヨナタンの頬にくちばしをあて、それから飛び立ったのです。夕方の薄明りの中に、ビアンカは白くきらめきました。ほんとに危険なほど白く。*1

戦いは暴君の敗北で終わり、竜カトラも死ぬのだが、この物語はそこでめでたし、めでたしとはならない。犠牲が多く出て、兄弟の馬たちも死に、兄は竜の火に触れたために体が麻痺してしまう。

そして、この勝利と敗北が残酷に混ざったクライマックスで、奇妙なことに、作者リンドグレーンは物語のはじまりで起きた悲惨な状況を――兄弟の役割を入れ替わらせて――再現してみせるのである。

場所は、夜のとばりが降りかけた山中。カトラの火――火災の火を連想させる――に触れて体が麻痺したヨナタンにクッキーが「また、死ななきゃならないの、ヨナタン?」と叫ぶと、ヨナタンは「ちがう! だけど、ぼくは、そうしたいんだ。なぜって、ぼくは、もうけっして体を動かせなくなるんだから。」という。

このヨナタンの言葉には戦慄を覚える。自殺願望のように聴こえるからである。ヨナタンは弟に「ぼくたち、もう一ぺん、とんでもいいかもしれないと、ぼくはおもうんだ。あの崖の下へ。あの草原へね。」という。

なぜリンドグレーンはこの場面を、火災の場面に似た設定に近づけようとしたのだろうか。実際には全然違う状況にあるのに、である。

火災の場面では、弟を助けるために兄の犠牲があった。ヨナタンが弟を背負って飛び降りたのは古い木造家屋の三階からだった。

が、ここでヨナタンが飛んでもいいというのは、クッキーが「ぼくは崖のへりまで出ていって、下をのぞきました。もう、あたりは暗すぎました。あの草原は、もうほとんど見えません。でも、それは目がくらむような深みでした。ぼくたちがここにとびこめば、すくなくとも、ふたりそろってナンギリマに行くことはたしかです。」と描写するような高所からなのである。

兄ヨナタンの言葉は、どう考えても心中をそそのかす言葉なのだ。

山を下りるつもりだった弟は、自分たちが別の世界ナンギリマに行ってしまったら、ソフィアとオルヴァルは兄さんなしでサクラ谷と野バラ谷の世話をしなけりゃならないよ、と懸念を口にする。

それに対してヨナタンは、もうぼくは要らない、というだけだ。「クッキー、きみがいるじゃないか。きみがソフィアとオルヴァルを手伝えばいい」とはいわない。

兄弟が山中で遭難する危険性がどの程度のものだったのかはわからない。クッキーが山を下りて助けを呼び、体の麻痺した兄を連れ帰って、介護しながらサクラ谷で生きていくこともできたのではなかったか。

ふたりはもう充分に、サクラ谷や野バラ谷の人々の助けを当てにできるくらいの人間関係が築けていたはずである。

しかし、あたかも心中でもするかのように兄弟は新たな他界ナンギリマを信じて崖から飛び降り、弟クッキーが「ああ、ナンギリマだ!……(後略)……」と声をあげて物語は幕を閉じる。

ふたりが飛び込んだナンギリマがどんな世界かというと、ヨナタンの話では「そこでは、まだまだ、たき火とお話の時代」であるという。ナンギヤラが「野営のたき火とお話の時代」だったのだから、その続編的世界ということだろうか。まるでエンドレステープのようである。

リンドグレーンの死生観については、伝記など読んでもよくわからず、作品から探るしかないが、環境をいえば、リンドグレーンの国スウェーデンはルター派を国教としている。人口の8割がルター派の教会に所属しているという。一方では、エマーヌエル・スヴェーデンボーリのような神秘家を生んだ国としても知られている。

作品に出てきたカルマ滝のカルマという言葉が気になった。竜カトラは、もう一匹の怪物である大蛇カルムと滅ぼし合ってカルマ滝へ消えていく。

カルマをKarmaと綴るのだとすればだが、英語にカルマ、 因縁、 宿縁、 因果、 縁、 天命といった意味があるように、スウェーデン語にも宿縁という意味があるようだ。リンドグレーンの死生観にはもしかしたら、東洋的な死生観がいくらかは混入しているのかもしれない。

Karmaは本来サンスクリット語で、因果応報の原則をいう。

ところで、当エッセーを書いている途中でわたしはたまたま、室温の変化が刺激となったのか、持病である冠攣縮性狭心症の発作を起こした。

死の危険を感じていたさなか、ヨナタンとクッキーが死んでから行ったナンギヤラのことが頭に浮かんだりして怖くなり、あんなところへ行くのは御免だと思った。

その一方では、物語の世界のしっとりと潤いのある空気が心地よく体に染み込んでくるようで、あの世界がリンドグレーンも共に息づく世界であることを確信した。

病人に寄り添うナイチンゲールのような空気だと感じられたのである。

そして、思った。あの世界は死後の世界として描かれてはいるが、この世界のことではあるまいか。

語り手であり、主人公でもあるクッキーはまだ生きていて、夢を見ているだけなのかもしれない。

とすると、生きているクッキーの現状は苦しみが長引くだけであって、希望がなさすぎるけれど、希望のない現実というものもあるということを、リンドグレーンは多く描いている。もう死にしか希望が見い出せないような過酷な状況を。

ナンギリヤラがいわゆる天国ではないのは、現実にはクッキーがまだ生きている証拠なのではあるまいか。

ここままで書いてきたが、結論は出ない。疑問は解消しないながらも、この作品がわたしにとって、豊かな、魅力に溢れる物語であることは、どうにも否定しようがない。

 

*1:リンドグレーン,大塚訳,2001,pp.164-165

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50 アストリッド・リンドグレーン (3)愛蔵版アルバムで紹介された『はるかな国の兄弟』と関係のあるエピソード 2015.9.14

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Astrid Lindgren omkring 1960
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

ヤコブ・フォシェッル監修(石井 登志子訳)『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(岩波書店、2007)を、誕生日プレゼントとして娘に買って貰った。

この大型本に見るリンドグレーンの境遇についてはエッセー 46「シネマ『バベットの晩餐会』を観て」の追記で述べたことと重複するが、アルバムでは作品解釈に役立つようなエピソードが沢山紹介されているので、合わせて『はるかな国の兄弟』に関係のあるエピソードを引用しておきたいと思う。

 目次

  1. アルバムに見るリンドグレーンの境遇
  2. アルバムで紹介された「はるかな国の兄弟」と関係のあるエピソード


1.  アルバムに見るリンドグレーンの境遇

石井登志子訳『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(ヤコブ・フォシェッル監修、岩波書店、2007年)を読んで初めて、それまで断片的にしか知らなかったリンドグレーンの人生を鳥瞰できた。

アストリッド-アンナ-エミリア・エリクソンは 1907 年 11 月 14 日、スウェーデンの南部スモーランド地方、カルマル県にある都市ヴィンメルビー郊外のネースで誕生した。2002 年、94 歳の誕生日を迎え、クリスマスを家族で祝った数日後インフルエンザにかかり、1 月 28 日亡くなった。

両親は農場が軌道に乗るまで苦労したかもしれないが、あのころのスウェーデンの時代背景を考えると、彼女は何しろ農場主の娘で、父親は酪農業組合、雄牛協会、種馬協会を結成した活動的な事業家でもあり、娘のアストリッドが苦労した様子はアルバムからは窺えない。

ラッセを産んだ件では苦労しただろうが、一生を共にしたくない男の子供を妊娠し、その男と一生を共にしない選択の自由がともかくもあり、女性の権利拡張運動の闘士(職業は弁護士)エヴァ・アンデンの援助も受けられて……と、確かに一時的な苦労はあったようだが、自由奔放な女性がしたいようにしたという印象を強く受ける。

「ヴィンメルビー新聞」の編集長ブロムベリイの子どもを妊娠したとき、アストリッドは 18 歳だった。ラッセは、実父から 3 万クローナの遺産を受けとっている。

ちなみに、ラッセが大学受験資格に合格したときの写真を見ると、どちらかというと、いかつい男性的な容貌のアストリッドとは対照的な、女性的といってよいようなハンサムボーイだ。

アストリッドの再婚相手は、秘書として就職した先で知り合った、王立自動車クラブ支配人ステューレ・リンドグレーンだった。21 歳のアストリッドも出席した王立自動車クラブの毎年恒例の晩餐会の写真は凄い。豪華絢爛な晩餐会の様子に圧倒される。

第二次世界大戦前の写真だが、福祉大国スウェーデンが今も――以前の特権を維持していないとはいえ――貴族が存在する社会であることを思い出させた。

それまでに読んだアストリッド・リンドグレーンの作品解説や伝記的なものからは地味な境遇が想像されていたが、いや、とんでもなかった!

想像とは違っていたが――違っていたからこそ、というべきか――、図書館から借りて見たアストリッドや周囲に写っているものがとても素敵だったので、昨年、娘に誕生祝いに何がほしいかと訊かれたとき、迷わずこの本を挙げたのだった。

だから勿論、わたしは、アストリッドが有名だったり、お金持ちだったり、また自由奔放だったりしたからどうのとケチをつけたいわけではない。

無名で貧乏だと取材もままならないから、有名でお金持ちのほうがいいに決まっているし、自由でなくては書きたいように書けないから、環境的に自由なムードがあり、気質的にも自由奔放なくらいがいいと思う。

ただ、「小さいきょうだい」、「ボダイジュがかなでるとき」からも、極貧状態の描写と物語の展開にどことなく貼り付いたような不自然さを覚えていたので、つい、どんな環境で書かれたかを探りたくもなったのだった。

『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』には作品解釈の手がかりになるようなことが多く書かれている。「はるかな国の兄弟」の謎はそれで大部分が解けた。

わたしが深読みしたより、単純に――シンプルにというべきか――書かれていた。それでも、まだ謎の部分が残る。


2.  アルバムで紹介された「はるかな国の兄弟」と関係のあるエピソード

「はるかな国の兄弟」について触れられているのはアルバムの中の「写真で綴る、アストリッドの人生」で 2 箇所、マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」で 3 箇所である。

アストリッドの娘には 4 人の子どもがあって、それぞれ文学関係の道に進んだそうだ。アストリッドは一人ひとりの孫から創作の着想を得ることはなかったというが、ちょっとした言葉づかいや心の動きは借りることがあったとか。

「はるかな国の兄弟」の創作時には二男ニルスと三男ウッレが貢献しているらしい。

4 歳だった二男ニルスの、死についての不安な気持ちは『はるかな国の兄弟』の創作に貢献した。三男のウッレは 1 歳の時に、しきりに「ナン-ギ、ナン-ギ。」と口にしていたのが、やはり『はるかな国の兄弟』の中の主人公、クッキーやヨンタンの住む世界“ナンギヤラ”の名前に使われている。*1

マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」には、アストリッドの作品によく出てくる、印象的な台所について触れられた箇所がある。

 何か特別な雰囲気のある、部屋や場所があるものだ。
「わたしが台所のことを書く時は、わたしたちの家の台所ではないの。ほとんどいつもクリスティンの台所なの。」アストリッドは言っていた。
 クリスティンは牛の世話係と結婚していて、ふたりの娘がエディットである。……(略)……
 わたしが、クッキー・レヨンイェッタ(『はるかな国の兄弟』)が横になっていた台所はどんなだったかを尋ねると、アストリッドは自分でも驚いていた。
「そりゃクリスティンの古い台所でしょ! でも、考えていなかった。そこは 3 階だったのに、クリスティンの台所にしていたわ。」*2 

また、アストリッドの死のイメージがどこから来ていたのかにも言及している。

 アストリッドのベッドで休んだ夜は、初夏の明るさに包まれていた。外には、リンゴと桜の花が咲いていた。室内には、明るいところと半分影のようなほのぐらいところがあり、白夜の夏の夜明かし、アストリッド自身の夜明けへ向かう光があった。彼女の死のイメージは、光のイメージだ。「ぼくには光が見える!」とクッキーは、ナンギヤラやナンギリマやあらゆる未知の世界へ向かって叫ぶ。他の作家が暗く恐ろしげな色合いで表現してきた世界へ向かってそう叫ぶのだ。*3 

神秘主義者であるわたしにとっても死は光のイメージだが、その光のイメージは自然光ではなく、圧倒的だが精妙なオーラの光のイメージである。ストレムステッドのいう「アストリッド自身の夜明けへ向かう光」というのが内的な光のことだとすれば、オーラの光は内的な光といってよい性質のものだから、同種のイメージといってよいのかもしれない。

弟クッキーと兄ヨナタン・レインイェッタの物語『はるかな国の兄弟』は、1970年あたりに、ふたりの兄弟と死を主題とすることで構想が徐々にまとまったという。

 1971 年の元旦の朝、フリーケン湖に沿って汽車に乗っている時、湖上のバラ色に輝く朝日を見て、アストリッドははっとした。「これは人類の夜明けの光だ。そして何かに火がついたと感じた。」兄弟の物語は、この世で展開されるものではないと気づいたのだ。
 善と悪、生と死、そして互いに滅ぼし合うことになるふたつの怪物の登場、これをアストリッドは、第 2 次世界大戦のナチズムとボルシェビキと見なしていたようだが、物語は緊張感あふれる作品になった。物語を書き始めた時、どんな終わり方をするのか、アストリッドには分からなかった。クッキーが確かな死に向かって飛び降りる結末は、子どもにはよくないと、多くの大人が不快感を示したが、子どもたちは明るい結末ととらえていた。*4

マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」でも大人たちの反応に触れられている。

『はるかな国の兄弟』は、「“死”というタブーの境界に添って展開していくため、多くの大人に不安を与え脅えさせた」という。しかし、子どもたちは大人とは違う方法で読んでいるとストレムステッドは書いている。

『はるかな国の兄弟』が出版された直後、アストリッドが若い心理学者に会い、そのときのことをストレムステッドに語ったという。

アストリッド・リンドグレーンは語った。「彼は、子どもに対しては『はるかな国の兄弟』の最後のあたりを読むことができないと言ったの。兄弟が二度も死ななくてはならないと考えるのはおぞましいから、と。その後、家に帰ったら、エーミル映画でイーダの役をしていた女の子から電話があって、こう話してくれたの。“たった今、『はるかな国の兄弟』を読み終わったんだけれど、幸せな終りにしてくれてありがとう”って、子どもはそのように経験できるのよ。」*5

大人の読後感はいろいろだろうし、子どもたちの反応も一律ではないと思うが、あの終わらせかたにはやはり議論を呼ぶところがあるとは思う。

そして、物語に登場する悪役――二匹の怪物――が第2次世界大戦のナチズムとボルシェビキを喩えるものだったとは、安直な技法と思えて驚いた。しかも、「物語を書き始めた時、どんな終わり方をするのか、アストリッドには分からなかった」というからには、この物語は綿密に構成されたものですらなかったということになる。

しかしながら、二匹の怪物が互いに滅ぼしあい、カルマ滝の中で死ぬまで戦いあって深みへと沈んでいくのを見届けた作者アストリッド・リンドグレーンは、そのことによって物語全体を覆う煉獄的ムードを払いはしなかった。

このことは、彼女が哲学的な人物ではなかったとしても、勧善懲悪的世界観に与するような単純な思考の持ち主ではなかったことを示している。

主婦として一旦は家庭に入ったアストリッドだったが、すぐに速記記者として弁護士事務所や国会議事堂で臨時に働き、第二次大戦中の 1940 年からの 5 年間を手紙検閲機関で秘密裏に働いている。戦争に、体制側の一員として深く関わっていた。

こうして見ていくと、「はるかな国の兄弟」は、第二次世界大戦についてのアストリッド的総括、犠牲者に捧げられた鎮魂歌ともいえるのかもしれない。

 

*1:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.106

*2:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.257

*3:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.257

*4:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.175

*5:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.255

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2021年10月 9日 (土)

神秘主義エッセーブログに「112 祐徳稲荷神社参詣記 (15)新作能「祐徳院」創作ノート ①2020年7月~10月 」をアップしました

やはり新作能にチャレンジすることにし、これまで当ブログに綴ってきた新作能に関する覚書を2本の記事にまとめ、「マダムNの神秘主義的エッセー」に収録することにしました。1本目の公開はご報告済みでした。2本目も公開しました。若干手を加えましたので、当ブログに転載しておきます。

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112 祐徳稲荷神社参詣記 (15)新作能「祐徳院」創作ノート ①2020年7月~10月
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2021/10/06/195736

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龍右衛門作と伝えられる「雪の小面」を江戸時代初期に写したもの。
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

 目次

  1. 「断り書き」ノート、曲名の第一候補、「ワキ〈名ノリ〉」ノート1、(2020年7月25日)
    ● 「断り書き」ノート
    ● 曲名の第一候補
    ● 「ワキ〈名ノリ〉」ノート1
  2. 挿入する和歌、経典の断章(2020年7月28日)
  3. 作中に挿入する経典の断章として外せない『般若心経』(2021年9月22日)
  4. あの世の涼しき観点から眺めれば、この世の出来事は一幕の芝居(2020年10月31日)


1.「断り書き」ノート、曲名の第一候補、「ワキ〈名ノリ〉」ノート1、(2020年7月25日)

「断り書き」ノート

当作品は、田中保善著『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980年)に触発されて執筆したものです。執筆にあたり、「本音と建前」の章「キャプテン・ラスト」の節の中の41頁の記述をモチーフとさせていただきました。

『泣き虫軍医物語』の内容については、著者あとがきに「この本は太平洋戦争末期の昭和19年7月、町の一開業医だった私がにわか軍医として応召、戦地ボルネオを中心に体験した記録である」とあります。

曲名の第一候補

祐徳院

「ワキ〈名ノリ〉」ノート1

○○軍医(ワキ)は、戦場ボルネオへ向かう貨物船の通路で尼僧達(前ジテとツレ)に出遭う。出遭うはずのない人々であった。

尼僧達は求法のために船に乗ったという。

軍医の疑問に対して、前ジテは「法[のり]の舟さしてゆく身ぞもろもろの神も仏もわれをみそなへ」(新古今和歌集 巻第二十 釈教歌 1922)*1、「しるべある時にだに行け極楽[ごくらく]の道にまどへる世の中の人」(新古今和歌集 巻第二十 釈教歌 1923)*2という歌を答えの代わりとして、尼僧一行は何処にか姿を消す。

ツレの人数が問題だ。わたしはエッセー100「祐徳稲荷神社参詣記 (12)祐徳院における尼僧達:『鹿島藩日記 第二巻』」で次のように書いた。

もし、萬子媛の葬礼のときの布施の記録に名のあった僧侶達の中で、蘭契からが祐徳院に属した尼僧達だとすれば、17 名。
蘭契、満堂、蔵山、亮澤、大拙、瑞山、眠山、石林、観渓、英仲、梅点、旭山、仙倫、全貞、禅国、智覚、●要(※ ●は「しめすへん」に「同」)。
萬子媛の存命中は総勢 18 名だったことになる。

この方々をツレのモデルとするつもりなので、17名全員登場させたいところなのだが、さすがに多すぎる。登場人物の多い「安宅(あたか)」では、義経の家来だけでも10名ほど登場するが、それでも10名ほどだ。

人数をぐっと絞って蘭契1人にするか、3名ほどにするか、多く登場させるか(それでも17名は無理)、うーん、それが問題だ。

○○軍医は里に妻子を残してきており、幼子は重態であった。

船が爆発し、○○軍医が飛び込んだ大海原。流れてきた里の樽に縋り付いて命拾いした○○軍医に、神々しい姿となって登場する後ジテは、自分が我が子を亡くしたことから出家した身であることを明かす。

能向きの文章に調えるのは後にして、まずは、へんてこな文章になるのを怖れず、サクサク書いていこう。

ワキ〈名ノリ〉

これは肥前国鹿島より出でたる大日本帝国陸軍軍医にて候。このたびの東亜細亜の大事を計らひ、ちはやぶる天下を和(やは)さんと、わが大日本帝国は米國また英國へ宣戦を布告せり。
初めつ方は時つ風吹けども、やうやう勢ひのしづまれり。
赤紙来たれば、地区一同各戸総出にて、われの武運長久の祈願祭を祐徳稲荷の社にいとなみたまひて、其の後に地区有志はなむけの会を開きたまひき。
国に留め置きつる妻子あり。明日打ち出でんとての夜、子とみに病ひづきて候。子の病ひ、軽からねば、われは後ろ髪を引かるる思ひなり。
わが船団十二隻は門司の泊まりを発向致し候。駆逐艦、水雷艇、駆潜艇、飛行機に守られて、朝鮮海峡、東支那海と南下すれど、鬼神よりは凄まじき敵は取り掛けき。其をからうじて交はして、魔のバシー海峡凌ぎけり。

『泣き虫軍医物語』によると、田中氏が出発する直前に発病した4歳になる長女は、鶏のもも肉に当たったらしい。病名は疫痢(幼児の赤痢)と書かれている。幸い、病気は治った。

『泣き虫軍医物語』で、ボルネオにいた兵隊達がよく罹患していたのはマラリアだ。用いられていた薬はキニーネである。田中軍医は、宿舎付近の藪を切り払い、水溜まりをなくして蚊の発生を防ぎ、残った水溜まりにはカルキを散布、夜は必ず蚊帳を使用させている。

マラリアの他に病名で目につくのは、赤痢、肝炎、栄養失調症、脚気である。外科的なものでは、外傷のほか虫垂炎。時々、性病患者も出ている。

兵隊達が息を引き取る時は「天皇陛下万歳」、「お母さん」といったり、あるいは色々とつぶやいたり、また叫んだりして死んでいったと書かれている。


2.挿入する和歌、経典の断章(2020年7月28日)

能作品には、歌がよく引用される。

万葉集。山家集。古今和歌集、千載和歌集、新古今和歌集、玉葉和歌集……等の勅撰和歌集。和漢朗詠集(漢詩・漢文・和歌を集めた、朗詠のための詩文集)。

今昔物語、伊勢物語、大和物語、源氏物語、平家物語もよく引用され、また、経典からも当然のように引用される。

わたしは、神秘主義エッセーブログのエッセー 78 「祐徳稲荷神社参詣記 (5)扇面和歌から明らかになる宗教観」で、次のように書いた。

神社外苑にある祐徳博物館には、萬子媛遺愛の品々を展示したコーナーがある。初めてそこを訪れたとき、わたしにとって最も印象深かったものは、萬子媛の遺墨、扇面和歌だった。

金箔を張った扇面の馥郁と紅梅が描かれた扇面に、新古今和歌集からとった皇太后宮大夫俊成女(藤原俊成女)の歌が揮毫されている。

萬子媛は花山院家の出で、花山院家の家業は四箇の大事(節会・官奏・叙位・除目)・笙・筆道だから、萬子媛が達筆なのも当然といえば当然というべきか。

元禄9年(1696)――出家後の71歳のころ――に揮毫されたものだ。揮毫されたのは、藤原俊成女の次の歌である。

  梅の花あかぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜の月

藤原俊成女は鎌倉時代前期の歌人で、皇太后宮太夫俊成女、俊成卿女の名で歌壇で活躍した。藤原俊成女は藤原定家の姪だった。

萬子媛の扇面和歌が出家後に揮毫されたものであることから考えると、僧侶としての生活の一端も見えてくる気がする。修行生活は、芸術(文芸)などを通して培われる類の情緒的豊かさを犠牲にする性質のものではなかったということだ。

一方では、『祐徳開山瑞顔大師行業記』の中の記述からすると、萬子媛の修行には男性を凌駕するほどの厳しい一面があったと考えられる。

その二つがどのように共存していたのだろうか。いえることは、だからこそ、わたしの神秘主義的感性が捉える萬子媛は今なお魅力的なかただということである。

萬子媛遺愛の品々の中には、二十一代巻頭和歌の色紙もあった。萬子媛が愛読愛蔵されたものだと解説されていた。

二十一代集(勅撰和歌集)とは、平安時代に勅撰和歌集として最初に編纂された古今和歌集(905)から室町時代に編纂された新続古今和歌集(1439)までの534年間に編纂された21の勅撰和歌集のことで、合わせて23万44首といわれる。

二十一代集は、平安時代から室町時代までの文化史が歌という形式で表現されたものということもできる。そこからは日本人の精神構造が読みとれるばすで、宗教観の変遷などもわかるはずである。

二十一代集の巻頭和歌を愛読された萬子媛は、和歌そのものを愛されたといってよいのではないかと思う。

昔の日本人の宗教観は凛としている。洗練された美しさがあり、知的である。

平安時代末期に後白河法皇によって編まれた歌謡集『梁塵秘抄』を読んだときに思ったことだが、森羅万象に宿る神性、神仏一如、輪廻観、一切皆成仏といった宗教観が貴族から庶民層にまで浸透しているかのようだ(エッセー 74 「祐徳稲荷神社参詣記 (4)神仏習合」を参照されたい)。

こうした宗教観は鎌倉時代初期の勅撰和歌集『新古今和歌集』にも通底しており、森羅万象に宿る神性、神仏一如、輪廻観、一切皆成仏といった宗教観が読みとれる。

萬子媛をシテのモデルとした今回の作品では、新古今和歌集から多く引用したい。黄檗宗の僧侶として入定されたので、経典からの引用も当然ながら……

萬子媛が愛された前掲歌「梅の花あかぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜の月」を後ジテの過去を物語るものとして、引用したい。

前に書いたことと重複するが、○○軍医(ワキ)が戦場ボルネオへ向かう貨物船の通路での場面。

○○軍医(ワキ)は、戦場ボルネオへ向かう貨物船の通路で、尼僧達(前ジテとツレ)に出合う。出合うはずのない人々であった。尼僧達は求法のために船に乗ったという。

軍医の疑問に対して、前ジテは「法[のり]の舟さして行く身ぞもろもろの神も仏もわれをみそなへ」(新古今和歌集 巻第二十 釈教歌 1922)*3、「しるべある時にだに行け極楽[ごくらく]の道にまどへる世の中の人」(新古今和歌集 巻第二十 釈教歌 1923)*4という歌を答えの代わりとして、尼僧一行は何処にか姿を消す。

尼僧から死を覚悟せよと諭された――と解釈するワキの心境を物語るものとしては、この歌がいい。「極楽へまだわが心行きつかず羊[ひつじ]の歩みしばしとどまれ」(新古今和歌集 巻第二十 釈教歌 1934)*5

歌の意味を、訳者代表 窪田空穂『日本古典文庫12 古今和歌集・新古今和歌集』(河出書房新社、1988)から引用する。

極楽へは、わが心の修行は、まだ行き着いていない。死すべき者は、屠所の羊であるが、その歩みの命数は、修行の間のしばらくは留まっていてくれ。*6

そして、大海原で船が爆発して海に投げ出された兵隊達が波間に浮き沈みする戦火の光景を天空からご覧になる、生死を超越した神的な観点からは――想像するのも畏れ多いことではあるが――おそらく、この歌がふさわしい。「春秋[はるあき]も限らぬ花におく露はおくれ先立つ恨みやはある」(新古今和歌集 巻第二十 釈教歌 1940)*7
歌の意味を同書から引用する。

春とも、秋とも限らない、永久の極楽の蓮華の花に置く露の命である人の命は、現世の命の、消えるに遅れたり先だったりするような恨みがあろうか、ない。*8

江戸時代からこの世の人間達のために働いていらっしゃる萬子媛のような方々の御心を畏れ多くも憶測すれば、次の歌が目に留まる。

「立ちかへり苦しき海におく綱も深き江にこそ心引くらめ」(新古今和歌集 巻第二十 釈教歌 1940)*9

※わたしは新古今和歌集を、訳者代表 窪田空穂『日本古典文庫12 古今和歌集・新古今和歌集』(河出書房新社、1988)と久保田淳 訳注『新古今和歌集 上下』(角川文庫 - 角川書店、2007)で読んでいるが、両書で歌の番号の異なる場合がある。

歌の意味を久保田淳 訳注『新古今和歌集 下』(角川文庫 - 角川書店、2007)から引用する。

漁師は立ち戻って海にしかけておいた綱を深い入り江で引くのであろう。聖衆は煩悩に苦しむ人間の世界に立ち帰って、深い因縁があって人々を極楽へと引き取ろうと努めるのであろう。*10

聖衆、という表現は、あの方々にぴったりだと思う!


3.作中に挿入する経典の断章として外せない『般若心経』(2021年9月22日)

エッセー 71 「祐徳稲荷神社参詣記 (2)2016年6月15日」を参考にすれば、作品に挿入する経典の断章として外せないのは、般若心経』である。エッセー 71 から引用する。

博物館で見学した萬子媛の御遺物の中で、僧侶時代のものと思われるものに、御袈裟[みけさ]と鉄鉢があった。御袈裟には「御年60才のころ、普明寺の末寺として祐徳院を草創、出家せられた」と説明があった。

御遺物の中でも最も印象的だったのが、畳まれてひっそりと置かれたこの御袈裟だった。褪せているが、色は鬱金色[うこんいろ]、蒸栗色[むしぐりいろ]といったもので、萬子媛の肖像画を連想させた。素材は麻のように見えた。夏用なのだろうか。冬にこれでは寒いだろう。意外なくらいに慎ましく見える萬子媛の尼僧時代の衣服から、しばし目が離せなかった。

鉄鉢[てっぱつ]も印象が強かった。

鉄鉢とは、「托鉢(タクハツ)僧が信者から米などを受ける。鉄製のはち」(『新明解国語辞典 第五版(特装版)』三省堂、1999)のことだそうだ。

また、金字で書写された「金剛般若波羅蜜経」の前からもしばし動けなかった。

「臨済禅、黄檗禅 公式サイト」*11によると、臨済宗・黄檗宗でよく誦まれるお経には次のようなものがある(他にも、各派本山のご開山の遺誡や和讃なども含め、多くのお経が誦まれるという)。

 
 開経偈
 懺悔文
 三帰戒
 摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)
 消災妙吉祥神呪(消災呪)
 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五(観音経)
 大悲円満無礙神呪(大悲呪)
 開甘露門(施餓鬼)
 仏頂尊勝陀羅尼
 金剛般若波羅蜜経(金剛経)
 大仏頂万行首楞厳神呪(楞厳呪)
 延命十句観音経
 四弘誓願文
 舎利礼文
 白隠禅師坐禅和讃


このうち、経名を含めてわずか276文字の『摩訶般若波羅蜜多心経[まかはんにゃはらみたしんぎょう](般若心経)』は宗派を問わず広く誦まれるお経で、仏さまの教えのエッセンスともいえ、この題目は「偉大なる真理を自覚する肝心な教え」(山田無文『般若心経』)とも訳されるという。

『金剛般若波羅蜜経[こんごうはんにゃはらみきょう](金剛経)』は般若経典の一つで、『般若心経』についで広く流布しているもの。禅宗では特に重んじられる経典で、午課で一日半分ずつ誦むのだそうだ。


博物館で見学したときに見た、この般若経典のことが記憶に残ったためか、見学後に神楽殿で30分間家内安全の御祈願をしていただいていたときのことだった。

前述したように、わたしたち家族は長椅子に座っていたのだが、その背後に萬子媛を中心に見えない世界の大勢の方々――ボランティア集団と呼びたくなる統一感のある方々――のいらっしゃるのがわかった(お仕事の一環のような感じであった)。
映像的には内的鏡にはほんのり映ったような気がするだけなのだが、なぜかそうした方々の挙動や心の動き、そして萬子媛のオーラは――色彩より熱として――鮮明に感じられた。
前述したように、わたしが心の中でつぶやいたことは筒抜けで、それに対する萬子媛やその近くにいる方々の反応が伝わってきた瞬間が何度かあった(願い事も雑念も筒抜けであるから、参拝するときは願い事の整理ときよらかな心持ちが肝要)。

博物館で見た『般若経典』のことが頭をよぎり、わたしはふと「波羅蜜多」と2回心の中でつぶやいた。わたしが見たのは『金剛般若波羅蜜経』だったのだが、つぶやいたのは『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)』の方だった。

つぶやいたとき、萬子媛から、すぐさま動揺の気配が伝わってきて、精妙な情感が音楽のように流れてきた。郷愁の交じった、きよらかな心の動きが感じられた。こうした心の動きという点では、生きている人間もあの世の方々も変わらない。

これも前述したことで、高級霊は自己管理能力に優れていることを感じさせる――幼い頃からわたしを見守っていてくださっている方々もそうである――が、萬子媛は情感という点ではわたしが知っているこの世の誰よりもはるかに豊かで、香り高い。心の動きのえもいわれぬ香しさが伝わってくるために、蜜蜂が花に惹かれるようにわたしは萬子媛に惹かれるのだ。

萬子媛はもっと聴こうとするかのように、こちらへ一心に注意を傾けておられるのがわかった。

『金剛般若波羅蜜経』は御遺物にあったのだから愛誦なさっていたのは当然のこととして、『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)』という言葉に強く反応されたのは、それだけ生前、般若心経を愛誦なさっていたからだろう。

神様として祀られるようになった萬子媛は、衆生救済を目的とする入定を果たした方らしく、稲荷神社という大衆的な形式を衆生救済の場として最大限に活用していらっしゃるように思われる。

しかしながら、萬子媛の生前は大名の奥方でありながら出家し、晩年の20年を禅院を主宰して入定された僧侶だったのだ。

わたしが何気なくつぶやいた「波羅蜜多」という言葉に、それが甘露か何かであるかのように反応なさった萬子媛、否、瑞顔実麟大師がどれほど僧侶に徹した方だったのかということが自ずと想像された。

わたしは萬子媛が愛誦し指針とされたに違いない『般若心経』を暗記することにした。

ちなみに、このあとで「オウム、アモギャーヴァイロウ、キャーナーマハムドラ、マニペードム、デュヴァラー、プラヴァルスターヤー、ウーン」という竜王会で教わったマントラムを意図的につぶやいてみたのだが、こちらのほうは反応が感じられなかった。

萬子媛を囲むように控えている大勢の方々に幾分白けたような気配さえ漂ったところからすると、マントラムは意味不明な言葉と受け取られたのだと思われる。

現代人と変わりないように感じられるのに、やはり江戸時代に生きた方々ということなのだろうか。現代人であれば、マントラムの内容はわからなくとも、こうした言葉がインド由来の真言であることぐらいの察しはつくだろうから。

エッセー 59 「神智学をさりげなく受容した知識人たち――カロッサ、ハッチ判事 ②ハッチ判事」で紹介したエルザ・バーカー(宮内もとこ訳)『死者Xから来た手紙―友よ、死を恐れるな』(同朋社、1996)には、次のようなことが書かれている。

物質界と霊界が交流するとき、物質界にいるきみたちは、霊界にいるわれわれがなんでも知っていると思いがちだ。きみたちは、われわれが占い師のように未来を予言し、地球の裏側でおきていることを教えてくれると思っている。まれにできることもあるが、ふつうわれわれにはそういうことはできない。*12

あの方々の端然とした統一感のとれているところが、地上界のためにボランティア活動を行っているあの世の方々の特徴なのか、かつて江戸時代に生きた方々ならではの特徴なのか、わたしにはわからない。

いずれにしても、萬子媛の清麗な雰囲気こそは、高級霊のしるしだとわたしは考えている。

御祈願が終わるころ、萬子媛は近くに控えている方々に促されるようにして、どこかへ去って行かれた。全員がさーっと……一斉に気配が消えた。『竹取物語』の中の昇天するかぐや姫を連想してしまった。上方へ消えて行かれた気がしたのだ。……(略)……
あの方々の行動から推測すれば、地上界での一日の仕事が終われば全員があの世へ帰宅なさるのだろう。まさか、あの世の方々が地上界の人間と同じようなスケジュールで行動なさっているなど想像もしなかった。

前掲書には次のようなことも書かれている。

 大師を信じることを恐れてはいけない。大師は最高の力を手にした人だ。彼らは、肉体をもっていてもいなくても、こちらの世界と地上を意志の力で自由に行き来できるのだ。
 だがわたしは、彼らが二つの世界を行き来する方法を世間に教えるつもりはない。大師以外の者がその方法を試そうとすれば、行ったきり戻れなくなる恐れがあるからだ。知は力なり。それは事実だが、ある種の力は、それに見合うだけの英知をもたない者が行使すると、危険な事態を招く場合がある。……(略)……
 こちらの世界でわたしを指導している師は大師である。
 地上の世界に教授より地位の低い教師がいるのと同じで、こちらの世界には大師でない教師もいる。……(略)……
 わたしは、死と呼ばれる変化のあとで迎える生の実態を人々に伝えようとしているわけだが、師はその試みを認めてくれていると言ってよいと思う。もし師が反対するなら、わたしはその卓越した英知に従うしかない。*13

萬子媛や三浦関造先生がどのような地位にある教師なのか、わたしには知りようがない。

ただ、萬子媛にしても三浦先生にしても、生前からその徳を慕われ、また神通力をお持ちだった。現在はどちらも肉体を持っておられない。そして、お二方が二つの世界を自由に行き来なさっていることは間違いのないところだ。


4.あの世の涼しき観点から眺めれば、この世の出来事は一幕の芝居(2020年10月31日)

「江戸の女性が芝居見物で楽しんだ幻の重箱弁当が200年ぶりに復活!?……(以下略)……」という番組予告に心惹かれて録画しておいたNHKの選・スペシャル - 美の壺「日本のお弁当」。

夫から頼まれた『カサブランカ』を忘れないうちにダビングしておこうと思い、視聴を中断したので、まだ最初のほうしか観ていないのだが、歌舞伎の幕間に食べるから「幕の内」弁当と名付けられた弁当に施された華やかさの演出、一口で食べられる工夫……といったエピソードに早くも魅了された。

江戸時代、紅葉狩りのときに持って行った弁当箱が紹介され、その中に黒漆金蒔絵で水面に落ちる紅葉が描かれているものがあった。その風雅な美しさといったら、溜息が出るほどだ。

文化の担い手であった公家にとって、四季の行楽は大切な行事の一つで、それは遊びであり、また仕事でもあった。萬子媛も嫁入り前は四季の行楽を楽しみ、愛でられていたに違いない。京都でのそうした日々をいくらかでも再現したいという思いがおありになったのだろう。田中保善『鹿島市史真実の記録』(1990)に次のような記述がある。

花頂山の下に水を湛えた大きな水梨堤があるが、これを京都の暮しを思い出すために直朝公にせがんで萬子姫が、近江の国琵琶湖畔に見立てて近江八景の雛形を作って楽しんでいたという事である。*14

直朝公は萬子媛を娶ってから文化的に感化され京風が好きになられたらしいが、大名は、陣法など学ぶ以外に、色々と身につける必要があったらしく、大変だ。『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』(編集:井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一、佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2016)所収、普明寺蔵『鹿島家正系譜』収載「直朝公」より引用する。

候、陣法(陣立の仕方)を堀江甚三郎重治に問い、神道を惣社宮内昌賢より伝え、禅は桂老和尚に参じ、書を光源院に学ぶ。又た飛鳥井雅章郷を師として、和歌道・臨池法(書道)・蹴鞠を受く。戯(戯曲)は、観世七大夫を師として曲舞(足利時代の舞曲)に巧みなり。在府(江戸滞在中)の時、即ち、光茂公と往々(しばしば)歌会あり。*15

この「直朝公」には七十歳の誕生日に「申楽(能楽)を花頂山に奏す」*16と書かれている。このときの能楽の舞台では、直朝公自ら能を舞われたのだろうか。

能楽は美の世界だと思う。悲惨な、あるいは荒涼、索漠とした場面に、美的幻影が紗のように重なる世界である。その美的幻影の多くがシテの在りし日の思い出を宿している。

戦場となった海原に、萬媛である後ジテ[のちじて]がツレである尼僧達(後ツレとして見れば天人達)を伴い、大海原に降り立つ……と設定している場面では、当然ながら、天華が海面に散り敷くことになる。

わたしは水面に散る紅葉を描いた弁当箱を観ながら、その場面のことを考えていた。

田中保善『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980)によると、田中軍医の乗る貨物船が戦地に向かう途中の海域で、戦車を積んだ船倉に魚雷が命中した。炎が弾薬をいっぱい積んだところに燃え移ったら一巻の終わりだから、思い切って海に飛び込み、船尾の渦に巻き込まれる難も逃れたものの、救命胴衣の浮力は頼りなく、溺れ死にそうであった。

藁にもすがりたいときに、郷里(鹿島市の隣の吉田村)の名入りの醤油樽が流れてきたという出来事は、作り話ではなく、現実だったのだから、本当に神秘的だ。貨物船だったのだから醤油樽があったとしても不思議ではないといえないこともないが、やはり不思議である。

何しろ、貨物船がリエンガン湾のサンフェルナンド港を出港して、比島(フィリピン諸島)西岸を海外沿いに南下していたところだったのである。岸まで1キロくらいだった。

そんな海で、偶然も偶然、積まれていた郷里の名入りの醤油樽が敵の攻撃でバラバラにもならず、沈みもせず、また、よそへ流れて行ったりもせず、まるで飼い犬のように溺れそうな田中軍医のところに流れてきたのだが、その醤油樽はあたかも名札を自慢する小学生のように郷里の名を見せて流れ着いたのだ。田中保善『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980)より引用する。

海岸までは一キロくらいである。海岸へ上陸しようと泳いでみたが、引き潮で海水は沖へ向かって流れていて、思うように進めない。そのうち爆発で海中に散らばったいろいろな物がわたしの周りに流れてきた。なかでも私がびっくりしたのは「佐賀県藤津郡吉田村」と墨で書かれた空の醤油樽であった。はるか故郷をはなれた南海で、しかも海に投げ出されて藁をも掴む気持ちでいる時に、故郷鹿島市の隣の吉田村と書かれた醤油樽が流れてきたのである。急に故郷に残してきた母や妻を思い出し、なんとかして助からねばと思い、その醤油樽を拾って麻縄で腰にくくり付けた。浮揚力は救命胴衣よりもずっと強い。それで、気をよくしていると、運のよい時は重なるもので、今度は大きな厚い板が流れてきた。*17

この場面をどう描こう?

此方へ流れ来たるは、国方(くにがた=郷里)の名のある醤油樽ではござらぬか。

それとも……。

それがしへ流れ来ぬるは、国(くに=郷里)の名を記せし醤油樽にて御座候。

あるいは……。

あれに見ゆるは樽なり。(悲惨な場面だけに、逆に滑稽味を持たせて)いざいざ、此方来[こ]。やや、これは如何な事。国の名の記されし醤油樽かな。

醤油樽に意志があるのでなければ、醤油樽を操る存在がいたとしか思えないではないか。

田中軍医は『泣き虫軍医物語』を上梓した10年後に著した『鹿島市史真実の記録』で、次のようにお書きになっている。

第二次世界大戦では日本軍の敗色歴然たる時、国民兵の私にも召集令状が来た。昭和十九年七月十五日軍医として入営である。その出発前に、地元の若殿分区全員が祐徳稲荷神社に参詣して、私の武運長久の祈願祭を開いてくれた。
私は以前より祐徳稲荷神社を研究していたので、私は私なりに神通力のある荼枳尼天の倉稲魂大神に御願いすると同時に、荼枳尼天と同等に神通力を有しておられる萬子姫の霊たる祐徳院殿瑞顔大師に御助け下さいと御願いした。母親に甘えるだだっ子のように罪深き卑怯者の私をどうか御助け下さい。私には母も妻も子供もおります。今度の戦争は敗戦で戦死するのが当り前ですが、何卒御助け下さいと御願いした。*18

あの世の涼しき観点から眺めれば、この世の出来事は、一幕の芝居のように映るのではないだろうか。

そして、遠い異国で前世のわたしは前世の萬子媛と接点があり(共にモリヤ大師の大勢の弟子達の中にいた)、何の用事でか、まるで田中軍医の許へ流れ着いた郷里の名入りの醤油樽のように、江戸中期に死去したはずの萬子媛が、今なお神霊(高級霊)としてボランティアのために毎日清浄なあの世と不浄なこの世を往来していられる鹿島市へ流れ着いた(生まれた)のではないだろうか? 

いや、勿論、これはワタクシ的空想のお遊びにすぎない。萬子媛とは何らかの縁があるような感じを抱いているのは事実であるが。

 

*1:訳者代表 窪田空穂『日本古典文庫12 古今和歌集・新古今和歌集』(河出書房新社、1988、P.447)

*2:訳者代表 窪田空穂『日本古典文庫12 古今和歌集・新古今和歌集』(河出書房新社、1988、P.447)

*3:訳者代表 窪田空穂『日本古典文庫12 古今和歌集・新古今和歌集』(河出書房新社、1988、P.447)

*4:訳者代表 窪田空穂『日本古典文庫12 古今和歌集・新古今和歌集』(河出書房新社、1988、P.447)

*5:訳者代表 窪田空穂『日本古典文庫12 古今和歌集・新古今和歌集』(河出書房新社、1988、p.449)

*6:窪田,1988,p.449

*7:訳者代表 窪田空穂『日本古典文庫12 古今和歌集・新古今和歌集』(河出書房新社、1988、p.451)

*8:窪田,1988,p.451

*9:久保田淳 訳注『新古今和歌集 下』(角川文庫 - 角川書店、2007、P.394)

*10:久保田,2007,p.395

*11:<http://www.rinnou.net/>(2016/8/20アクセス)

*12:バーカー,宮内訳,1996,p.25

*13:バーカー,宮内訳,1996,pp.203-204

*14:田中,1990,p.145

*15:p.59

*16:p.58

*17:田中,1980,p.41

*18:田中,1990,p.157

 

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2021年9月25日 (土)

神秘主義エッセーブログに「111 祐徳稲荷神社参詣記 (14)新作能への想い 」をアップしました

どうやらぎっくり腰は治りました。癖になっているようです。次回なったときは(なりたくないけれど)、整形外科で診ていただこうと思います。

それから、創作に関してですが、やはり新作能にチャレンジすることにしました。時間がかかっても、とりあえずは駄作でもいいので、何とか仕上げまで持って行きたいです。

そのための下準備として、これまで当ブログに綴ってきた新作能に関する覚書を2本の記事にまとめ、「マダムNの神秘主義的エッセー」に収録することにしました。1本目は既に公開済みです。加筆がありますので、当ブログに転載しておきます。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

111 祐徳稲荷神社参詣記 (14)新作能への想い
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2021/09/23/190905
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広島県廿日市市の厳島神社で演じられる能
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

目次

  1. 観能記「船弁慶」(2007年10月)
  2. この世ならぬ現象を描くにふさわしい形式(2019年9月)
  3. 新作能を読んだ感想(2019年9月)
    ・瀬戸内寂聴「虵」
    ・石牟礼道子「不知火」
    ・多田富雄新作能全集
  4. ぎっくり腰になってしまったが、いざ能楽堂へ(2020年1月)


1.  観能記「船弁慶」(2007年10月)

当地に引っ越してきたとき、能楽堂があることに驚いた。

九州の能楽堂といえば、福岡の大濠公園能楽堂が有名だか、九州には少ないのではないだろうか。

公益社団法人「能楽協会」公式サイト(https://www.nohgaku.or.jp/)の能楽堂検索で検索したところによると、九州は8件ヒットした。

大濠公園能楽堂
〒810-0051 福岡県福岡市中央区大濠公園1-5
092・715・2155
定席470席

森本能舞台
〒810-0023 福岡県福岡市中央区警固3-8-1
092・711・8888
250席

白金能楽堂
〒810-0012 福岡県福岡市中央区白金1-8-16
092・522・0658
250席

井内能舞台
〒840-0831 佐賀県佐賀市松原4-5-13
0952・26・5378
300席

平和市民公園能楽堂
〒870-0924 大分県大分市牧緑町1-30
0975・51・5511
定席500席

青島神社能楽殿
〒889-2162 宮崎県宮崎市青島2-13-1
0985・65・1262
250席

住吉能楽堂
〒812-0018 福岡県福岡市博多区住吉3-1 住吉神社境内
092・291・2670
600席

かごしま県民交流センター 県民ホール能舞台
〒892-0816 鹿児島県鹿児島市山下町14-50
099・221・6600
690席

わたしが初の観能体験をしたのは30代。福岡県飯塚市にあるホールで「杜若」を観、夢心地に誘われた。

それに触発されて、思わず短編幻想小説「杜若幻想」「牡丹」を書いたほどだった。

直塚万季 幻想短篇集(1)
https://www.amazon.co.jp/dp/B00JBORIOM

世阿弥の『風姿花伝』『花鏡』を読んでもう恍惚となり、ますますのめり込んで、前掲の大濠公園能楽堂にも出かけたりしたが、その後パッタリ行けなかった。

この街に能楽堂があると知り、行きたいと心は逸ったものの、またのめり込むことにでもなれば、楽しい反面辛いな……という思いもあった。

しかし、昨日、ついに出かけてしまったのだ。40代も終ろうとするときになって……ああ、いつか新作能の脚本を書いてみたいなあ。

能は謡・舞・囃子から構成される歌舞劇で、室町時代に大成された総合芸術であるが、新作能とは一般には明治維新以降に創作された能のことである。

新作能を書いてみたいなどといえば、ろくに能のことを知りもしないくせにと叱られそうだが、神秘主義者のわたしにはぴったりくる世界であるし、古典、新作、どちらの脚本を読んでみても大した長さではなく、俳句と同じで、ある型にはめ込めばよい気楽さがありそうで(などといっては、ますます叱られそう)、文体も頑張れば何とかなるのではないだろうか。数年間、しっかり勉強し、取り組めば。

前置きが長くなった。

能を鑑賞して不思議なのは、いつまでも余韻の消えないときがあることだ。最初に観た「杜若」の装束の匂い立つような美しさは、今もはっきりと記憶にある。

今回鑑賞した演目は、見所の多い「船弁慶」だった。それが、舞台を観ているときはあの一瞬、この一瞬が印象に残った程度で、実はわたしは失望していたのだった。

シテ(主役)が予想外に小柄で、まるで女性のよう。芸も大人しすぎるように思えた。前ジテは静(源義経の恋人、静御前)、後ジテは平知盛の怨霊で、演じたのは同じ人である。

長身の役者が凛々しい静と勇壮な怨霊を演ずるーーといった類の派手な芸を勝手に期待していたわたしは、期待が裏切られた恨めしさを覚えながら能楽堂を出、がっかりして帰宅したのだった。

ところが、不思議なことに、時間が経つごとに、橋掛かりに佇む前ジテの無言の姿がいじらしい、かけがえのないものとして脳裏に浮かび上がるのである。繰り返し、何度も。

それとダブるように、後ジテが物柔らかな舞の中からこちらに面を向けたときの突如露わになった狂気の表情の記憶が甦って、戦慄させられた。否、能面が表情を変えるわけはないので、わたしは観能時に、気の触れた人の金光りする目を確かに見たような錯覚を覚えていたということになる。

そうした記憶のフラッシュバックする中で、それに被さるように、後ジテの絢爛豪華な装束の白銀の輝きが意識にクローズアップされるのだ。その白銀の輝きは、あたかも浄化の焔のようである。

感激は、何て遅れてやってきたことだろう! 

ところで、神秘主義では、高貴な影響力ほど、鈍重できめの粗いこの現実世界(物質世界)で実現するには時間がかかるといわれている。

固定観念に囚われていたわたしが、シテを演じた役者のまさに幽玄の美というべき高級な情趣を実感するには、時間が必要だったということだろう。

わたしは自分が期待したタイプではない役者から、期待したようでない「船弁慶」の解釈を贈られて困惑し、一旦は拒絶したけれど、時間が経ってそれを享け入れたということもできよう。

結果的に、新しい感覚を身につけることができたような気がしている。いくらか生まれ変わった気がするほどである。シテを演じた武田志房氏――すばらしい能楽師である!

義経は子供が演じる。

子方を演じた鷹尾雄紀くんは、小学校の中学年くらいだろうか。子供とは思えない落ち着きで、上手だった。顔立ちもなかなかのハンサムボーイであり、将来が楽しみだ。「その時義経少しも騒がず」というセリフ、可愛らしかった。

船頭を演じた野村万禄氏は、狂言『附子』のシテとしても活躍された。

一緒に出かけた娘とわたしは万禄氏に魅了され、ずっと彼を褒めていて、「でも、船弁慶のシテはもう一つだったわね。重要無形文化財保持者だなんて本当かしら」などと、失礼極まることをいっていたのだった。

それが、あとになって陶然となるという得がたい体験をした。

ちなみに、入場料は一般・全席自由で4,000円、学生席で1,000円だった。「船弁慶」のあらすじを「NHK 日本の伝統芸能 能・狂言鑑賞入門」(日本放送出版協会、1990)から紹介しておく。

源義経は、讒言によって頼朝から疑われ、兄弟不和となります。そこで西国へ落ちのびるため、弁慶ら家来を作って津の国大物浦へ到着します。そこに静御前が義経を慕って来たので、弁慶は義経の了解を得て静を訪ねます。

義経に帰京を言い渡された静は、別れの悲しさに涙します。名残の酒宴が催され、静は勧められるままに、中国の越王勾践と陶朱公の故事をひきつつ、別れの舞を舞い、泣く泣く一行を見送ります。

別れの悲しさに出発をためらう義経をはげまし、弁慶は出航を命じます。船が海上に出たところで、にわかに風が変わり波が押し寄せます。船頭が必死で船を操っていると、海上に平家一門の幽霊が現れます。

中でも平知盛の怨霊は、自分が沈んだように義経をも海に沈めようと、長刀を持って襲いかかって来ます。義経は少しも騒がず、刀を抜いて知盛の怨霊と戦います。

そこを弁慶が押し隔て、相手は亡霊だからと言い、数珠を揉んで神仏に祈ると、知盛の怨霊はしだいに遠ざかり、ついに見えなくなってしまうのでした。

(2007年10月17日)


2.  この世ならぬ現象を描くにふさわしい形式(2019年9月)

能に詳しいわけでもないのに、「新作能の脚本を書いてみたいなあ」などと過去記事で恥ずかしいことを書いた……と思いながら、小学館と岩波書店の『謡曲集』2冊を開いた。すると、熱心にこうした本を読んでいたころの記憶が甦ったのである。

確かに、能を含む古典にはまっていたあのころであれば、新作能の脚本を書けそうな気がしたのもわかるような気がした。そして、今回連想したのは、第2稿に一向に入れない、祐徳稲荷神社を創建した花山院萬子媛をモデルとした歴史小説のことだった。

歴史小説にするには、何か、そぐわないものがあるのである。

わたしは、神秘主義者に特徴的な精緻な感性によって、萬子媛及び彼女を取り巻く一群の存在――と解釈するしかない特異な存在を捉えた。

こうした存在からもたらされた、この世ならぬ高雅な現象を書きたいのであって、結婚前のことが判然としない萬子媛の生前のあれやこれやではないのだ。

いや、あれやこれやにも興味があるから、研究ノートを「マダムNの覚書」に綴り、それを不定期更新のエッセーとして「マダムNの神秘主義的エッセー」に収録してきたわけであるが、そのノートは萬子媛のこの世ならぬ現象を表現できてこそ存在価値があるのだ(ノートはいずれ「萬子媛研究」といった形にまとめたいと考えている)。

その表現にふさわしい形式は、新作能以外にありえない気がしてきた。

残念ながら、古典にはまっていない現在、新作能を書けそうな気がしない。勉強すれば、書けるだろうか。

何しろ、能舞台を生で観たのは3回だけで、あとはテレビでの鑑賞と謡曲集の読書くらいがわたしの能楽体験である。それで、新作能を書こうというのだから、無知とは怖ろしいものだ。

母がお謡を習っていたのに、無関心で、からかっていただけだったことが悔やまれる。母が生きていたら、教わることも多かっただろうにと思う。

当地には能楽堂があり、3回観た舞台のうち1回はこの能楽堂で観たものだ。

舞台を観なくてはと思う。ホームページを閲覧したところでは、今年中にはそれらしいものがない。何にせよ、これからは当地の能楽堂と福岡の大濠公園能楽堂の催事情報をこまめにチェックしなくてはならない。能鑑賞貯金もしなくては。その貯金箱を、一昨日夫がうっかり割ってしまったのよ……(T_T) 

とりあえず、戯曲にしてみてはどうか? 戯曲なら書いたことがあるから、書けるはずだ。いきなり新作能が書ければいいが、わたしにはハードルが高いに違いない。

とりあえず戯曲にしてみようかと思った瞬間、脳裏に百花繚乱の情景が匂うばかりに広がった。そう、描き出したい「絵」はもう見えているのだ。

萬子媛に関する研究ノートを一つの作品としてまとめるには、郷土史家・迎昭典氏から送っていただいた貴重な史料のコピー及び迎氏のご考察、また祐徳博物館の職員のかた、鹿島市民図書館学芸員のかた、黄檗宗の大本山である萬福寺宝物館の和尚様から伺ったお話など、慎重に扱わなければならない情報があるので、作業には時間がかかるだろう。

新作能の研究のために、図書館から3冊借りた。

  • 瀬戸内寂聴著『瀬戸内寂聴の新作能 : 蛇・夢浮橋』(集英社、2003)
  • 石牟礼道子著『石牟礼道子全集 : 不知火 16巻〔新作 能・狂言・歌謡ほか〕 (石牟礼道子全集・不知火(全17巻・別巻一))』(藤原書店、2013)
  • 多田富雄著、笠井賢一編『多田富雄新作能全集』(藤原書店、2012)

瀬戸内寂聴氏を知らない人は少ないだろう。石牟礼道子氏は2018年にお亡くなりになったが、水俣病を扱った代表作「苦海浄土」でとても有名なかたである。多田富雄氏は免疫学者、文筆家として活躍された。

多田氏の新作能をざっと見ると、脳死、第二次大戦における諸問題、物理学の法則を扱ったものなど多作なかたである。

石牟礼道子『石牟礼道子全集 : 不知火 16巻〔新作 能・狂言・歌謡ほか〕』所収のエッセイに、「台本を書くまでにお能といえば二度しか見たことがありませんでした」(75頁)という記述があり、わたしは石牟礼氏のこの言葉に救われる思いがした。


3.  新作能を読んだ感想(2019年9月)

図書館から借りた前掲本のうち、読んだ作品の感想を書いておく。

瀬戸内寂聴「虵」

鎌倉時代前期の仏教説話集、鴨長明編『発心集』の中の説話「母、女[むすめ]を妬[ねた]み、手の指虵[くちなは]に成る事」を基にした新作能である。

「発心集」の説話を紹介すると、娘のある女が年下の男と結婚し、老いの不安から娘と男を強いて夫婦にしたまではよかったが、女は一室でのどかに隠居するどころか、嫉妬のあまり両手の親指がくちなわになってしまうという話。

惑乱した娘は尼に、男は法師に、女も尼になる。それでようやく女の指は元の指になり、後には京で乞食になったという。

両手の親指がくちなわになるというグロテスクさ。娘も男も女のいいなりで、狂言回しに使われているだけだ。

女が後に乞食になったとあるのは、どういうことだろう? 

女が尼になったのは怪奇現象を起こした指を元に戻すことだけが目的で、純粋な信仰心などはなく、目的達成後に尼をやめたということなのか。

尼であれば托鉢であって、乞食とはいうまい。それとも、この「乞食」とは仏教用語「こつじき」、すなわち托鉢のことなのだろうか。こつじきが転じて物乞いする行為「乞食」となった。

尼としての矜持を感じさせる暮らしであれば、いずれにせよ、その部分だけが強調されることはないだろう。

俗人が俗欲に終始した、花も実もないお話である。

瀬戸内氏は、男を仏師にすることで、作品の俗っぽさを一層強めている。能の形式上、男と女は成仏した格好だが、成仏はしていまい。

それが小説「虵」になると、表現がリアルであるだけにいよいよ救いがたい結末となっている。尼となった女が老い、見世物小屋でくちなわの指を見世物にしていたというエピソードが語られるのだ。

能舞台となれば美しいのかもしれないが、作品として読むと、あまりにも救いがなさすぎる。登場人物の魅力が微塵も感じられなかった。

石牟礼道子「不知火」

石牟礼道子氏の新作能「不知火」は流麗な文章で、情緒に満ちて美しいというだけでなく、偏頗な文明に対する作者の危機意識が伝わってくる。入魂の作品という印象を受けた。この曲が水俣で演じられることは意義深いことだろう。

たが、わたしにはこのストーリーがうまく理解できない。

竜神の娘・不知火[しらぬひ]には、海霊[うみだま]の宮の斎女として久遠の命が与えられているにも拘わらず、生類の定命衰滅に向かえば、不知火の命もこれに殉ずるという。

竜神の息子・常若は父に命じられて生類の世を遍歴し終えた。

姉と弟は海と陸からこの世の水脈を豊かにすることに携わってきたが、この世の初めからあった真水が霊性を徐々に喪い、生類を養う力が衰えて、姉弟共に身毒が極まり、余命わずかとなった。

慕い逢う二人は、息絶え絶えとなりながら、恋路が浜に辿り着く。そして姉のほうは死んだ(弟もか?)。

こうした一切を見ているのは、隠亡[おんぼう]の尉[じょう](じつは末世に顕れる菩薩)である。

わたしには二人の勤めの内容がよくわからない。人間の罪業が重なったために毒変した海を浚えて浄化するとあるから、いわば濾過装置のような役割を果たしてきたということだろうか? 竜神の子たちの勤めかたにしては、人間の労働臭い。苦役そのものである。

そして、亡き妻を含む竜神一家は、末世の菩薩の秘命の下に働いてきたというのである。

その菩薩の助力もあって不知火は生き返り、二人の結婚を祝うために中国から楽祖(じつは木石の怪にして魍魎の祖)が招かれる。

楽祖が磯の石を手にとって打ち鳴らせば、浜で惨死した猫たち、百獣が神猫となり、胡蝶となり、舞う、橘香る夜となる……海も陸も再生したのだろう。

水俣病問題は産業における人為的ミスに社会的要因が絡んで被害が拡大し、社会問題となった。

その問題を石牟礼氏は現世と来世が重なり合う宇宙空間、悠久の時間の流れの中に直に置こうとしたため、一つの作品として見るとき、整合性のとれない部分が出てきたように思う。

多田富雄新作能全集

収録された作品は、脳死(「無明の弁」)、朝鮮人の強制連行(「望恨歌」※ 最近の検証により、朝鮮人の強制連行はなかったことが判明した――引用者)、原爆投下(「原爆忌」「長崎の聖母」)、相対性原理を題材とした能(「一石仙人」)、沖縄戦(「沖縄残月記」)、横浜に因んだ能(「横浜三時空」)、白州正子さんを題材とした能(「花供養」)、(「生死の川――高瀬舟考」)、子供能チャレンジのための能(「蜘蛛族の逆襲――子供能の試み」)と多彩である。

わたしが馴染んできた古典の曲とはテーマ自体が違う気がした。時事問題的な題材が多い。構成は巧みで、文章も端正なのだが、悪くいえばプロパガンダ的であり、唯物的世界観によって閉じられている。

これらの能は、地上界から一歩も出ていないように感じられるのである。異世界に触れることによる浄化現象は期待できない。

まだざっと読んだだけなので、読み込めばまた違った感想が生まれるのかもしれない。そのときは別の記事にしたい。

ただ、能に関して右も左もわからないわたしのような人間には、参考になる。観能のあとで購入したのかどうかは覚えていないが、多田富雄 監修『あらすじで読む 名作能50』(世界文化社、2005)を再読している。わかりやすい。

(2019年9月25日、29日)


4.  ぎっくり腰になってしまったが、いざ能楽堂へ(2020年1月)

娘と観能に出かける前日、ちょっとした動作をした拍子に腰がギクッとして、たぶん、ぎっくり腰である。

どうもわたしにはこの種の身体トラブルが多い。副甲状腺ホルモンの過剰な分泌で、骨、関節が弱っているのかもしれない。椎間板ヘルニアや圧迫骨折なら困ると思ったが、ぎっくり腰と思われた。

強烈な痛みと疲労感で横になろうとしたけれど、痛くて無理だった。座るのも痛い。まだ立っている方がよかったが、腰が不安定でまたギクッとやりそうで、やはり痛く、横になりたい。

痛いので何度も寝返りを打ちながら(その寝返りするのも痛い)、必死でオーラビームを試みるも、痛みのためか、新型コロナウイルスについて調べすぎた疲れのためか集中できず、なかなか痛みが消えなかった。

オーラビームとは当方の命名で、神秘主義的な技法であるが、修行者だった前世の習慣が元となった多分に我流なところがあるため、勝手にこのように呼んでいる。ハートの光を患部に放射するやりかただ。

翌朝になっても痛みは引かず、整形外科を予約外受診するか観能かで迷った。整形外科にはいつでも行けるけれど(?)、観能の機会は少ない。新作能にチャレンジするからには、今年中にできれば2回は観たいと思っていた。

当地に能楽堂があるのは本当に恵まれたことだ。一流の能楽師が一堂に会する能楽の祭典はこの能楽堂最高のイベントであるはずで、年に1回ではなかったか。見逃せば後悔するだろう。

椅子に座れば痛みが増すのではないかと不安になりつつも、出かけた。娘がドーナツクッションを持って行こうと提案してくれたが、むしろ腰が不安定になってギクッとなりそうな気がしたので、断った。痛みに我慢できなければ、狂言と能の上演の間の休憩時間に帰るつもりだった。

幸い椅子は柔らかい割には腰が沈み込むほどではなく、ぎっくり腰にも快適な座り心地で腰が安定した。自宅に持って帰りたいほどにぎっくり腰向きの(?)椅子であった。

演目は「玄象」。観世流以外では「弦上」と書かれるという。

シテとは主人公のことだが、前ジテは尉(老翁)、後ジテは村上天皇。演ずるは、観世流シテ方能楽師・馬野正基。

ツレとはシテに従属する役で、ツレは藤原師長[ふじわらのもろなが]である。

後半部で、萬子媛が背後にいらっしゃるような気配を感じたのは、気のせいだったろうか。神社で感じたように、背中から太陽の光を浴びたように温かくなり、えもいわれぬ清浄な気を感じた。能楽堂が交錯するオーラの光で満ちていた。

それまでは、堂内に充満した加齢臭にちょっと堪え難い気がしていた。老人がぎっしりで……自分ももう老人の域である癖にである。

「玄象」について、ウィキペディアから引用しておこう。

『絃上』(げんじょう / けんじょう)は、能の演目。観世流では『玄象』と書かれる。藤原師長が音楽を志して南宋に旅立つ途中、摂津国須磨の浦で村上天皇の霊に押し止められたという逸話が題材となっている。
八大龍王を助演者に村上天皇が舞う早舞が見所。颯爽とした余韻を残す演目である。
題名の絃上は村上天皇愛用の琵琶の名称であり、曲中でも度々琵琶を演奏している場面があるが、舞台の上では演奏は抽象化されており、特殊な演出を除いて実際に弾くことはない。*1

藤原師長は平安時代末期の公卿で、藤原北家御堂流、左大臣藤原頼長の長男である。源博雅と並ぶ、平安時代を代表する音楽家だという。箏や琵琶の名手として知られた。

花山院萬子媛は花山院定好の娘で、花山院家は藤原北家師実流の嫡流に当たるから、萬子媛と縁のある能ともいえる。音楽を好まれたことでも縁がある。

祐徳博物館で見た、萬子媛遺愛の楽器「雁[かり]が音の琴」を思い出す。「万媛遺愛の名琴で、黄金を以て雁一双、家紋並に唐詩和歌を象眼[ぞうがん]した鹿島鍋島家の家宝で累[るい]代公夫人に伝わり……(後略)……」と説明があった。

また、萬子媛は後陽成天皇の曾孫女だから、村上天皇とも縁がおありなわけである。村上天皇の霊が昇天の前に舞う場面の素晴らしさ。

村上天皇について、ウィキペディアから引用する。

村上天皇(むらかみてんのう、926年7月14日〈延長4年6月2日〉- 967年7月5日〈康保4年5月25日〉)は、日本の第62代天皇(在位: 946年5月23日 〈天慶9年4月20日〉- 967年7月5日〈康保4年5月25日〉)。諱は成明(なりあきら)。
第60代醍醐天皇の第十四皇子。母は藤原基経女中宮穏子。第61代朱雀天皇の同母弟。
……(略)……
平将門と藤原純友の起こした承平天慶の乱(935–940年)の後、朝廷の財政が逼迫していたので倹約に努めた。文治面では、天暦5年(951年)に『後撰和歌集』の編纂を下命したり、天徳4年(960年)3月に内裏歌合を催行し、歌人としても歌壇の庇護者としても後世に評価される。また『清涼記』の著者と伝えられ、琴や琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた天皇といえる。天皇の治績は「天暦の治」として後世景仰された。*2

祐徳博物館を見学すると、萬子媛が如何に歌を愛されたかがわかるのだが、村上天皇は歌と音楽に造詣の深い人物であった。

実はわたしは創作の参考のために鬘物(女性をシテとする曲)を観たいと思っていたため、思いが叶わなかったと思い、あまり期待していなかった。

ところが、以前、金春信高演ずる 「高砂」の映像に惹かれて、何度も観、その度に生で観たかったと思っていたその映像を連想させる、村上天皇の霊が舞う場面ではないか。魅了された。

白色の袖は、秘密を開示するかのように、抱擁するかのように、何度も大きく広げられた。その袖が光を受けて、白銀に輝いて見えるのが崇高な感じを与える。

威厳と品のあるシテを演じたのがお年寄りではなく、1965年のお生まれで、わたしより七つもお若いとは意外だった。

世阿弥は、野上豊一郎・西尾実 校訂『風姿花伝』(岩波文庫 - 岩波書店、1958)で、老人を演ずるときの注意として、その振りや動作を少し遅れがちにするようにと説く。そして、その他のことは世の常に、如何にも如何にも華やかにすべし、というのである。これを「老人の、花はありて年寄りと見ゆるる口傳」という。

わたしは若い頃、世阿弥の『風姿花伝』『花鏡』を興奮のうちに読み終えた。どちらもとにかくすばらしかったが、最も印象に残ったのがこの「老人の、花はありて年寄りと見ゆるる口傳」だった。

能に観る老人は、世阿弥の美学の一結晶であり、気品に満ちてすばらしいのである。作者不詳の「玄象」を観ながら、この曲にも染み渡っている世阿弥の美学の鋭さ、哲学的奥深さを改めて感じた。

観能中、萬子媛の気配を感じたように思ったのは、10分くらいだっただろうか。観能の間に腰の痛みがほとんどよくなったので、中心街に出、また娘と夜まで歩き回ってしまった(夫には外食してくれるよう頼んで出かけていた)。

帰宅後、明らかに悪化。何回かオーラビームをやったというのに(参考のために、エレナ・レーリッヒの『ハート』*3を再読した後、三浦関造先生の技法を『マニ光明ヨガ』*4で確認した)、まだ痛みが残っている。ちょっと咳したりクシャミするにも勇気がいる。それでも、かなりよくなったと思う。

(2020年1月27日)

*1:「絃上 (能)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年4月8日 12:45 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

*2: 「村上天皇」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年7月14日 04:03 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

*3:田中恵美子訳、アグニ・ヨガ協会編『ハート: アグニ・ヨガ叢書 第8輯(平成17年9月1日コピー本復刻)』(竜王文庫、2005)

*4:三浦関造『マニ光明ヨガ』(竜王文庫、1981-第5版)

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2021年5月 3日 (月)

神秘主義的エッセーブログ「109」に加筆しました

ゴールデンウィークを如何お過ごしでしょうか?

コロナ騒ぎと他に気にかかることもあって、あまりゴールデンウィークという気分が出ません。夫の勤務は2日行って1日休みというサイクルに変わりなく、娘は休日出勤がありました。

コロナ情報が気になり、記録しておきたいことが新たに出てきました。それは別記事にします。

今、はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中の以下の記事を動画にしているところです。

2021-02-17
109 田中保善著『泣き虫軍医物語』に見る第二次世界大戦の諸相
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2021/02/17/114030

動画を作成しながら、一人でも多くの人にこの本の存在を知ってほしいという思いでいっぱいになりますが、現実は、「日本軍慰安所マップ」というサイトがマップ作成の資料として、『泣き虫軍医物語』から何箇所も引用しているという不当、不名誉な状態にこの本は置かれています。

なぜそう感じるかは、前掲記事を読んでいただければ、わかっていただけるのではないかと思います。『泣き虫軍医物語』全体を読めば、あの戦争が日本人にとってどのようなものであったのかが胸に迫ってきます。それを少しでも伝えたいと思い、動画にすることにしました。

1時間と長いので、視聴していただけるかしらと思いますけれど。それ以前に、ちゃんと仕上がるかどうかですね。機械朗読を標準語話者せいじくんにお願いして、彼が頑張ってくれたところです。音楽はまだこれから……。

動画化に当たり、「109」に加筆しました。この挿入文は朗読には反映しませんが、動画の画面で見ていただけるように作成しています。

田中氏が命拾いした体験を前掲書『鹿島市史 真実の記録』から拾っておこう。(田中,1990,pp.157-158)

  1. 輸送船が敵の潜水艦に撃沈→海に飛び込んだ約 500 人死亡したが助けられた
  2. ボルネオへ航行中のマニラ丸に敵の砲弾が命中→不発弾
  3. 陣地巡回診察中、敵戦斗機に狙われ機銃掃射→軍刀の鞘に命中
  4. クダット県知事公舎に敵の戦斗機が三機来襲→直前に脱出成功
  5. 患者輸送隊コタブルト到着で準備された大きな医務室を敵が早朝、大爆撃→前夜、患者のいるアバラ屋に戻って無事

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2020年12月11日 (金)

「Nのめもちょう」に「おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2021」を公開しました。

Bloggerブログ「Nのめもちょう」に「おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2021」をアップしました。

おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2021
https://n2019memo.blogspot.com/2020/12/2021.html

趣向を凝らした美しいデザインテンプレートを見ていると、文字通り、癒やされます。年賀状素材をお探しでしたら、アクセスしてみてください。おおかたのサイトには、年賀状テンプレートの他に、写真フレーム、イラスト、賀詞、寒中見舞いハガキテンプレートなどが置かれています。

 

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