ピアニストのフジコ・ヘミングが4月21日、膵臓がんで亡くなった。92歳だった。
私事ですが、晩年血液疾患と認知症を患っていた舅の死後――実際にはその数年前から――義妹夫婦が色々とおかしなことを仕出かしてくれていまして――そのことを放置もできないので、法律家の助言を仰いだりして対処する必要があり(娘もわたしも法学部出身なので、法的におかしなことには気づくことができます。内容は話せませんが)、何かと気忙しい日々です。
それで、電子ピアノにも触っていなかったのですが、昨日の昼下がり、職場にいる娘からメールがありました。昼休みだったのでしょう。
ピアニストのフジコ・ヘミングが4月21日、膵臓がんで亡くなったとのこと。
92歳だったそうですね。
わたしが娘とフジコさんの独奏会に出かけたのは、2006年、2007年、2008年、2012年の4回でした。
4回目のとき、フジコさんは80歳。高齢でしたから、これが最後になるかもしれないと思ったものでした。でも、そのときから10年以上長生きして演奏会をなさっていたのだから、もう1回くらいは行っておきたかった――と残念です。
深夜、フジコさんのCD、動画を聴こうとしたのですが、つらくて聴けませんでした。
電子ピアノに触りたくなりました。しばらく触っていなかったので、前より少し下手になっていましたが、いつも練習前に弾くことにしているバッハ「主よ人の望みの喜びよ」、パッヘルベル「カノン」(いずれも易しく書き変えられたもの)、ソナチネとバッハインベンションの最初の曲を弾きました。
以下はX(旧ツイッター)より。
ピアニストのフジコ・ヘミングさん
— macaron (@fraisst) May 1, 2024
4月21日、膵臓(すいぞう)がんで亡くなった
92歳だった
2024年3月 すい臓がんと診断
2024年4月 容態が急変
治療やリハビリに励み
3月に予定していた
NY カーネギーホールでの公演を楽しみにしていたhttps://t.co/WI0wzPWdYO pic.twitter.com/oRPMRDQ8DD
macaron@fraisst
ピアニストのフジコ・ヘミングさん
4月21日、膵臓(すいぞう)がんで亡くなった
92歳だった
2024年3月 すい臓がんと診断
2024年4月 容態が急変
治療やリハビリに励み
3月に予定していた
NY カーネギーホールでの公演を楽しみにしていた
fuzjko.net/news/20240502
(画像あり)
午前8:25 · 2024年5月2日
「ファンの皆様ならびに関係者の皆様へのご報告」『フジコ・ヘミング オフィシャルサイト』。2024年05月02日、URL: https://fuzjko.net/news/20240502
フジコ・ヘミングさん、いっぱい動物たちが迎えに来るんだろうな🥲
— まゆー (@degu_mayu) May 1, 2024
国籍を、聴力を失っても、天からの使命のように弾き続けるあの演奏。
安らかに💐
「私がピアノを弾くのは、小さき命のためです。そのためなら永遠に弾ける」
フジコ・ヘミング#フジコ・ヘミング #RIP pic.twitter.com/mltzqRPviQ
まゆー@degu_mayu
フジコ・ヘミングさん、いっぱい動物たちが迎えに来るんだろうな🥲
国籍を、聴力を失っても、天からの使命のように弾き続けるあの演奏。
安らかに💐
「私がピアノを弾くのは、小さき命のためです。そのためなら永遠に弾ける」
フジコ・ヘミング
(画像あり)
午前8:20 · 2024年5月2日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ウィキペディア「フジ子・ヘミング」
フジコ・ヘミング(本名:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ(Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko[1]、1931年12月5日[2] - 2024年4月21日)は、日本とヨーロッパ・アメリカ合衆国で活躍したピアニストである。
父親はスウェーデン人画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング(スウェーデン語版)(1986年死去[3])。母親は日本人ピアニストの大月投網子(1903年 - 1995年)[4][注釈 1][5]。俳優の大月ウルフは弟[6]。歌手の橋本潮は従姪にあたる。……(以下略)……
ウィキペディアの執筆者. “フジ子・ヘミング”. ウィキペディア日本語版. 2024-05-02. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%B8%E5%AD%90%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0&oldid=100221876, (参照 2024-05-02).
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当ブログにおけるフジコさんに関する記事
2006年4月29日 (土)
イングリット・フジ子・ヘミング(Ⅰ)
https://elder.tea-nifty.com/blog/2006/04/post_532e.html
2006年5月 1日 (月)
イングリット・フジ子・ヘミング(Ⅱ)
https://elder.tea-nifty.com/blog/2006/05/post_19e4.html
2007年5月21日 (月)
フジコ・ヘミング、ソロコンサート①
https://elder.tea-nifty.com/blog/2007/05/post_a68b.html
2007年5月29日 (火)
フジコ・ヘミング、ソロコンサート②『革命のエチュード』の素晴しさとベーゼンドルファー
https://elder.tea-nifty.com/blog/2007/05/post_3e23.html
2008年6月 2日 (月)
イングリット・フジコ・ヘミング2008ソロリサイタル~4月23日のメモより
https://elder.tea-nifty.com/blog/2008/06/2008423_eaa5.html
2010年5月 3日 (月)
中村紘子のピアノ・リサイタルで、フジ子・ヘミングを想う
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/05/post-c8ee.html
2012年6月 7日 (木)
フジコ・ヘミング, ソロピアノリサイタル.
https://elder.tea-nifty.com/blog/2012/06/post-9344.html
2014年5月 5日 (月)
別府アルゲリッチ音楽祭で、またしてもフジコを想う
https://elder.tea-nifty.com/blog/2014/05/post-5dc0.html