カテゴリー「イベント・行事」の66件の記事

2021年8月11日 (水)

東京オリンピック2020で、無残にも潰された複数の企画(12日にツイートの追加・加筆あり、赤字)

昨日のBSフジ プライムニュースで、長尾クリニック院長の長尾和宏先生が「アベノマスク」ならぬ「スガノメクチン」制度を提案しておられたので、それに関する記事も書きたいのですが、別記事にすることにして、まずは、やりきれない思いの残る東京オリンピック2020について、記事にしておきたいと思います。

アスリートが文字通り華だった、東京オリンピック2020。アスリートの皆さんのすばらしい活躍が、呪いをかけられたような酷い開閉会式の厄払いをしてくれたような気がしました。

次のツイートは12日に追加したものです。

コリ餡が牛耳っている電通とパソナがやってくれたみたいです。

何か大きな事件が起きるたびに、調べれば黒幕として必ずといっていいくらい出てくる創価、CIA、ディープステート。今回もそうでしょうか。闇が深すぎて、まだ浅くしか調べていません。

いずれにしても、彼らの所業は厳正なる宇宙の法則によって彼ら自身に戻っていくことでしょう。

つまるところ、あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」と同じ意図が仕組まれていたということのようです。あれは日本のお葬式だったんですって。

天皇陛下のための特別席が用意されていなかったことからも、まあそうした子供じみた意図やプロパガンダは読み取れますね。

日本文化は、天皇を花心として公家が薫り高い精神文化を創出し、それを享けた大衆が作り上げ育み、盛り上げてきた、全体として一輪の花のような文化を基礎としています。天皇は外国の王様とは違う存在なのです。そうした国民性を、今回のオリンピック開閉会式に対する失望を通して自覚した日本国民も多かったのではないでしょうか。

こうした国民性とは真逆の多様性、多様性五月蠅い、日本文化のパクリにすぎない断片をつなげたような無残な開閉会式でした。

馬渕睦夫氏はポリコレ五輪とおっしゃっています。まさにそうでしたね。

大東亜戦争の敗戦からディープステートの手先となって日本を支配、蝕んでいった彼ら自身のお葬式、日本ではなくなっていた日本のお葬式だった――ということでいいのではないでしょうか。日本国民はここから、日本らしい日本を取り戻すのです。

前掲「ツイッ速!」で、東京オリンピック2020の流れがわかりやすくまとめられていましたので、引用させていただきます。

まとめ

最初は野村萬斎が総合演出

野村萬斎「能と狂言の世界観を大切に、厳かな感じでやりたい」

演出が地味すぎて解任

オリはMIKIKO・椎名林檎、パラは佐々木体制

AKIRAやドラえもんやマリオを使ったMIKIKO案がIOCで大絶賛
リハーサル寸前まで進む

MIKIKO、椎名林檎「フジヤマゲイシャ的なダサい感じにはしたくない」
森元「海老蔵出せ!歌舞伎やれ!」小池「火消し出せ!」

佐々木「自分なら電通の言うとおりにしまっせ!MIKIKO排除!」

MIKIKO「佐々木が勝手に仕切り出して何もできない」

MIKIKO「一体どうなってるのか」と問いただしてもロクな返事無し
MIKIKOと率いるスタッフ500人を完全放置

佐々木の新しい案をIOCにプレゼンするがMIKIKOの方が良いと言われる

佐々木「MIKIKO案も切り貼りして使わせて」

MIKIKO「完全拒否、辞めます」
椎名林檎「MIKIKOが辞めるなら私も辞める」

佐々木「俺の天下だ!渡辺直美に豚の格好させてオリンピッグ!」

メンバー「MIKIKOさんを排除しといて、やりたいことがオリンピッグ?頭おかしいんかコイツ」

佐々木「辞任します」

そして責任者が誰もいなくなる

パラリンピックの演出担当だった小林賢太郎にやらせよう。

小林賢太郎「え?俺っすか?じゃあラーメンズ引退してこっち専念してやります」

片桐仁「これから俺どうすりゃ…キングオブコントでも出ようかな」

小林賢太郎「ってみんな辞めて誰もいないじゃん、友達の小山田、なだぎ、劇団ひとり、がーまるちょばに頼もう」

小山田、障害者虐めで「辞任します」

小林賢太郎、ホロコースト解任(本番2日前)

たけし「金返せ!!」

https://tweetsoku.com/2021/08/09/%e3%80%90%e5%8f%8d%e7%9c%81%e4%bc%9a%e3%80%91%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e4%ba%94%e8%bc%aa-%e9%96%89%e4%bc%9a%e5%bc%8f%e3%80%81%e3%81%a4%e3%81%be%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%a8%e8%a9%b1%e9%a1%8c%e3%81%ab/

MIKIKO案がどのようなものだったのか、以下の動画を視聴すると、おおまかなところがわかります。

東京五輪の開閉会式のクソさについて
2021/08/09
桃太郎ちゃんねる
https://youtu.be/DXCw6o0QW_Y

ナショナルオリンピック委員会の国と地域206 + 難民選手団​(ラグビーW杯の英国を構成する地域などを加えると、全213着)を制作したキモノプロジェクト「イマジン・ワンワールド」の世界各国を意匠とした百花繚乱というにふさわしい着物を、わたしたちがオリンピックで見られたはずの機会も潰されました。

2020年東京オリンピックに向け、世界各国をモチーフにした着物を!キモノプロジェクト「イマジン・ワンワールド」
2019/05/02
趣通信
https://youtu.be/Ddzm265Rn60

その経緯が以下の動画で語られています。

〖東京五輪〗開会式の裏で着物を巡る対立が明らかに
2021/07/25
きもの応援団
https://youtu.be/s0NXJeX1jDU

せめて動画で、世界の国々が薫る着物を鑑賞したいと思います。

2020.07.24 【The Dream Comes True (Full ver.)】KIMONO Project Completed 213 KIMONO - KIMONOプロジェクト完成記念
2020/07/27
Imagine One World KIMONO PROJECT
https://youtu.be/g0WRuT2ifxw

閉会式の花火も違和感がありました。スペイン製だったそうです。

7月29日の時点で、馬渕睦夫氏は東京オリンピック2020をどのようにご覧になっていたか。以下の動画の内容に共感しました。

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第30回「ポリコレ五輪と恐怖プロパガンダで世界は少数派の手に?」[桜R3/7/29]
2021/07/29
日本文化チャンネル桜・別館
https://youtu.be/iW_zzuIHAMc

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2019年10月23日 (水)

天も祝福した「即位礼正殿の儀」。天皇という存在の本質をついた、石平氏の秀逸な論考。

2019年10月22日(昨日)、行われた「即位礼正殿の儀」。

テレビをつけて「即位礼正殿の儀」が始まるのを待っていました。あいにく、画面は雨模様。

時間帯によっては風雨が強いときもあり、こちらは晴れているのに……とハラハラしながら見守っていると、儀式が始まるころには明るくなってきて、風も静まりました。

そのとき、「即位礼正殿の儀」を祝福するかのように虹がかかっているとは知りませんでした。そして、富士山に初冠雪が見られたということも。

あとでニュースで知り、感動に包まれました。美しい瞬間を捉えた画像や動画がツイッターで流れてきました。

この虹と初冠雪こそ、神的な、最高の芸術品ですね。

 

 

 

 

 

 

ところで、石平氏が「iRONNA」に秀逸な論考「天皇陛下は無私だからこそ無敵」を発表しておられます。

すばらしい内容ですので、一部引用しておきます。ぜひ「iRONNA」に掲載された全文をお読みください。

 中国の皇帝とは違い、日本の天皇と皇室は天下国家を私物化していないし、民衆を抑圧と搾取の対象にしているわけでもない。搾取していないからこそ、皇室は常に財政難を抱え、天皇はあれほど質素な御所をお住まいにしていたのだろう。
 ゆえに、日本の天皇には敵対勢力もいなければ民衆の反乱の標的になることもない。それどころか、最高祭司として常に日本国民全員の幸福をお祈りされ、国民全員にとって守り神であり、感謝と尊敬を捧げる至高の存在なのだ。
 こうしてみると、日本の天皇と皇室は、まさに「無私」だからこそ「無敵」となっているが、「無敵」であるがゆえに、現在に至るまでの「万世一系」を保つことができるのであろう。
 重要なことは、まさにこのような無私の天皇と皇室が頂点に立っているからこそ、日本国民が多くの苦難を乗り越えて一つのまとまりとして存続を保ってきたということだ。そして万世一系の天皇と皇室がコアになっているからこそ、日本の伝統と文化が脈々と受け継がれてきているのであろう。
石平. “石平手記「天皇陛下は無私だからこそ無敵」”. IRONNA. 2019-10-23. https://ironna.jp/article/13654?p=2, (参照 2019-10-23).

 

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2019年4月 1日 (月)

薫り高い新元号「令和」

本日――2019年4月1日13時15分、元号を「令和[れいわ]」に改める政令が官報に掲載され、公布されました。

新元号「令和」は万葉集の梅の花の歌、32首の序文にある次の文章から引用されたとか。典拠が漢籍ではなく、国書――それも日本最古の和歌集――というのは意外でした。

初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す

「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたいとの願いを込め、『令和』に決定した」との安倍首相の言葉です。

「令和」が始まる日となる政令の施行日は、皇太子さまが天皇に即位する5月1日。

古い時代の和歌では、花というと、梅を指すことが多いですね。冬の寒さに耐えていた花の中で、梅は一番に莟をふくらませ、開花します。百花の魁[さきがけ]といわれ、「春告草」の別名がある、大変おめでたい花です。

ウィキペディア「万葉集」には、次のような解説があります。

『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人々が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので(うち作者不詳の歌が2100首以上ある)、759年(天平宝字3年)までの約130年間の歌が収録されており、体裁が整った成立は759年以後の、780年頃にかけてとみられている。
和歌の原点である万葉集は、時代を超えて読み継がれながら後世の作品にも影響を与えており、日本文学における第一級の史料であることは勿論であるが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な史料である。
また、日本史上初めてその出典を漢籍に求めなかった元号「令和」は、この万葉集に収められた一文が元である。(略)
編纂された頃にはまだ仮名文字は作られていなかったので、万葉仮名とよばれる独特の表記法を用いた。漢字の意味とは関係なく、漢字の音訓だけを借用して日本語を表記しようとしたのである。その意味では、万葉仮名は、漢字を用いながらも、日本人による日本人のための最初の文字であったと言えよう。
「万葉集」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。 2019年4月1日 07:53 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

ウィキペディア「万葉仮名」によると、万葉仮名の最も古い資料と言えるのは、5世紀の稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣で、漢字の音を借りて固有語を表記する方法は5世紀には確立していたそうです。平安時代には万葉仮名から平仮名・片仮名へと変化していきました。

江戸時代の和学者・春登上人は『万葉用字格』(1818年)の中で、万葉仮名を五十音順に整理し〈正音・略音・正訓・義訓・略訓・約訓・借訓・戯書〉に分類した。万葉仮名の字体をその字源によって分類すると記紀・万葉を通じてその数は973に達する。
「万葉仮名」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年11月23日 14:59 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

古い時代から長い時間をかけて整えられてきた文字を、わたしたちは今、日本語として使っているわけです。

令という字でわたしなどが思い浮かべるのは命じるという意味ですが、同時に「令室」「令嬢」という敬称としての使い方も思い浮かびます。他に、「よい」「立派な」という意味もあるのですね。

令月はよい月という意味のようです。

梅を愛でる日本人の感性は、鎌倉時代初期に編纂された勅撰和歌集『新古今和歌集』などにも脈々と受け継がれ、江戸時代に生きた萬子媛が愛した『新古今和歌集』の中の藤原俊成女の歌にも梅が出てきます。梅は俳句でも盛んに詠まれてきました。

平成にはよいことも沢山ありましたが、物書きのわたしからすれば、わが国の文化――その中でも文化と深い結びつきのある文学――が貶められた時代だったとの印象が強いのです。

文化が損なわれるということは、日本の国柄が損なわれるということです。香気が薄れるということです。

新元号に、日本文化の回復と深化を期待し、外国から日本に訪れたり、滞在したり、帰化している方々にもそのような思いが伝わればいいなと思います。

ところで、3年前に「令和」を予知した人がいるようで、話題になっています。何気なく書かれているだけに、驚きです。未来人の予言は全滅ですね。

https://twitter.com/syaaaan_/status/753177564164653056

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2018年7月 3日 (火)

敗退するも、すばらしかったベルギー戦(サッカーW杯2018)

ロシア・ワールドカップ決勝トーナメント1回戦のベルギー戦は、ベルギー3-2日本と残念ながら負けてしまった。

でも、とてもよい試合だった。

原口元気の先制ゴール、乾貴士の見事な無回転ミドルシュートと2点続けて点が入り、「これは……」と息を呑んだ。

試合終了間際の失点による逆転負けは、残念すぎた。

ただ、2点リードされて選手交代したベルギー選手たちの体のデカさときたら! フェライニなどは194cmだという。

その長身から繰り出されるヘッディングシュートや迫力ある速攻など、ああこれは歯が立たないと思われる場面が連続した。

それでも、日本チームならではのチームワークを生かした軽快な連携プレーは光っていた。美しいとさえ感じられる場面がいくつかあった。

8年前に書いた記事を思い出す。

2010年7月 3日 (土)
ブラジル対オランダ戦を観ながら
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/07/post-3979.html

ワールドカップ、ブラジル対オランダ、後半戦。スナイデルが鮮やかなヘディングシュートを決め、ブラジル1に対し、オランダが2となった。
残り20分。わたしはこれまでサッカーに興味がなく、パラグアイ対日本戦から見始めたので、オランダやブラジルの軽快、シャープ、的確な動きに目を見はっている。
これに比べたら日本とパラグアイの動きはねちねちと重かった。オランダ、ブラジルが頭脳プレーで、相手の動きを察知した無駄な動きの少ない小エネ・プレーであったのに比べ、日本とパラグアイは人海戦術とでもいおうか、互いに相手にまとわりつき、妨害することに腐心して、攻撃できないくらいへとへとになっていた。尤も、実力が違う、といってしまえば一言で済むことなのかもしれない。

8年前の日本チームは無駄に走っているという印象で、プレーが野暮ったく感じられた。このベルギー戦ではそのような野暮ったさがなく、日本チームは洗練されたと思う。今後はその洗練度を高めて、勝利をもぎとっていってほしい。

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2018年3月 3日 (土)

雛祭り(過去記事より)

今日は雛祭りですね。雛祭りというと、杉田久女の俳句を連想しますが、過去記事で既に紹介済みでした。過去記事の一部と共に再度紹介します。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

雛祭りというと、わたしは微妙な気持ちになるのが常です。歳時記などを見ても、何とはなしに寂しさを感じさせる句が案外あるように思います。なかには、怖い句もあったりして…… 『カラー版 新日本大歳時記 愛蔵版』(講談社、2008)に掲載されていた句です。

闇のなか髪ふり乱す雛もあれ 〔桂信子〕

御祓いのための流し雛が起源というところから、そんなムードを引き摺っているのでしょうか。あるいは、結婚に関するクラシカルな概念を含んだ伝統というものの重み。そこにひそむ雅やかさと瘴気。世俗の観点から見れば、雛祭りという行事には商売の絡んだ金の力が跳躍する一面もあります。

源氏物語も連想されます。光源氏の手によって、後ろ盾に乏しい貧困気味の境遇から救い出された紫の上でしたが、新しい環境にまだ怯えているなかで、源氏が一緒に雛遊びをしてあげる場面は印象的です。

杉田久女の雛の句を杉田久女『杉田久女全集第一巻』(立風書房、1989)より紹介します。

大江戸の雛なつかしむ句会かな

雛菓子に足投げ出せる人形たち

手より手にめで見る人形宵節句

ほゝ笑めば簪(かんざし)のびらや雛の客

幕垂れて玉座くらさや雨の雛

函を出て寄り添ふ雛の御契り

古雛や花のみ衣(けし)の青丹美し

雛愛しわが黒髪をきりて植ゑ

古雛や華やかならず﨟たけれ

髪そぎて﨟たく老いし雛かな

古りつつも雛の眉引匂やかに

紙雛のをみな倒れておはしけり

雛市に見とれて母に遅れがち

雛買うて疲れし母娘食堂へ

瓔珞揺れて雛顔暗し蔵座敷

雛の麻色紙張りまぜ広襖

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2017年8月23日 (水)

見に行きそびれた鶴崎踊

この街に引っ越してきて長くなるのですが、まだ鶴崎踊を見に行ったことがなかったので、家族と見に行こうと話していました。

鶴崎踊は大分県大分市鶴崎地区に伝わる盆踊りで、戦国時代から伝わる歴史のある踊りということなので、一度見に行かなければと思っていたのです。

そしてカレンダーに書き込んでいたにも拘わらず、当日別の用事ができ、行きそびれてしまいました。残念でしたが、とりあえず動画で楽しもうと思い検索してみたら出てきました。

大分市報(№1706)を参考にざっと紹介すると、「鶴崎踊」は大分市を代表する伝統芸能の一つで、「左衛門[さえもん]」と「猿丸太夫[さるまるだゆう]の二種類からなります。

鶴崎踊の起源は、元禄3(1560)年頃、当時の豊後の国主・大友宗麟公のため、京都から踊り子を招き、「三つ拍子」という踊りを踊らせたのがその始まりだとか。

その後三つ拍子は「左衛門」と呼ばれるようになりました。また、「伊勢踊」をアレンジした踊りが江戸時代から踊られるようになりましたが、それが「猿丸太夫」の始まりなのだそうです。

鶴崎踊は、昭和61年に国の選択無形民俗文化財となりました。

元禄3年といえば、桶狭間の戦いが行われた年ではありませんか。

視聴した中では曲が聴きやすいように思ったので、2014年8月23日鶴崎公園グランドで開催された鶴崎踊の前半の踊り、『左衛門』の動画を貼らせていただきます。


動画のURL:https://youtu.be/OBFabGIuv18

ところで、わたしは数年前から佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社を創建した花山院萬子媛をモデルとした歴史小説に取り組んでいます。

萬子媛は江戸時代の初期から中期にかけて生きた人で、当時は神仏習合でした。萬子媛は大名の奥方でありながら62歳で剃髪、尼十数輩を領する祐徳院(黄檗宗の禅寺)を主宰し、80歳で断食入定しました。わたしは神秘主義的な観点からも光を当てて、その後半生に迫ってみたいのです。

エッセーとしてまとめたものは、拙「マダムNの神秘主義的エッセー」に①~③まで公開しています。

45 祐徳稲荷神社参詣記 ①2012~2014年

71 祐徳稲荷神社参詣記 ②2016年6月15日

72 祐徳稲荷神社参詣記 ③2017年6月8日

その祐徳稲荷神社で開催された『かしま伝承芸能フェスティバル』の中の「鹿島一声浮立」を収めた動画が公開されていました。前掲エッセー 72 に貼りつけさせていただいています。以下が動画のアドレスです。

動画のURL:https://youtu.be/-qnzRjJa2AA

鹿島一声浮立は「鹿島小唄」「鹿島節」と共に、盆踊りでお馴染みの曲です。

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2017年1月 1日 (日)

謹んで新年のお慶びを申し上げます(2017年酉年)

謹んで新年のお慶びを申し上げます

新しい年がすばらしい年でありますよう
心からお祈り申し上げます

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Pixabay

初日の出を、これまで生きてきた中で一番堪能することができました。

道路、あるいは建物の通路、または窓など、様々な場所から初日の出を拝んできました。

今年は通路でそのときを待機しながら、「もしかしたらここの非常階段からならよく見えるのでは……?」と考え、そちらへと移動。

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結構高さがあるので、非常階段の踊り場に立っているのは少々怖いのです。

当市の日の出時間は 7:17:02 となっていました。山の間から見える時間はそれより遅くなるようで、山の間から曙光が迸ったときには、30分近くになっていました。

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このとき、お日さまは完全に山の上に出ていたのですが、ガラケーで撮った写真を見ると、出る途中のように見えますね。デジカメにすればよかったなあ。

真正面に初日の出を拝むことができ、まるで、踊り場が観客席のようでした。

このあと、少し家事をしてから、炬燵でうとうとしたのですね。すると、夢の中でも初日の出を拝むことができました。

建物の間から巨大な純白のお日さまが、真っ白な輝かしい光を辺りに燦然と投げかけながら昇っていきます。夢の中の出来事とあって、お日さまもファンタジックなまでに華やかです。

「あら、さっき日の出を拝んだんじゃなかったっけ? でも、これは間違いなく、日の出だから、これこそが初日の出なのね……」と夢の中のわたしはすばらしい太陽の光に感激しつつも混乱していました。

うちのリヴたちは初湯に浸かりに来ています。

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2016年11月21日 (月)

わあ、リラックマのおかず皿だ~!

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娘が「これ使う?」といって、リラックマのお皿を見せました。

「わあ、可愛い! どうしたの?」とわたし。「コンビニで貰ったよ」と娘。

写真では鮭に隠れてよく見えませんが、リラックマの上にLAWSONとあります。

LAWSONで、『秋のリラックマフェア』(キャンペーン期間:2016年9月16日金~12月5日月)をやっているとか。

このお皿もっとほしい、といったら、「リラックマのおかず皿」はシール40枚で貰えるそうで、「会社の人に貰ったりしてようやく集めたんだから、もう無理」だそう。

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上の写真はちょっとムーディに加工しすぎて、はっきりしないので、もう一枚アップ。鮭が生々しいですが、リラックマもはっきりしました。鮭をのせる前に撮ればよかったのですが……

娘はリラックマのお皿で鮭をいただいていました。リラックマ効果で、より美味しかったでしょうね。

詳しいことは、ローソンのホームページに出ています。

 

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2016年11月 4日 (金)

演劇を鑑賞した昨夜

昨夜、演劇を鑑賞しました。県民芸術祭文化祭ジャンル別行事として開催された演劇の会設立10周年記念公演です。

娘の年下の友人が出るので、娘と一緒に出かけたのでした。お花を、と思い、駅で花屋さんに寄ると、花瓶に挿さなくても長持ちするように作られた花束があったので、ささやかながらそれを贈ることにしました。

初舞台と聴いていたこともあって、胸がドキドキしました。

初舞台の初々しさと彼女の研究心が一つとなって、『ヴェニスの商人』のユダヤ商人シャイロックの娘の役をすばらしいものにしていました。

シェイクスピアの原作とはいくぶん違っていました。ユダヤ人シャイロックは悪漢というより、キリスト教徒に虐められる哀れな老人という印象のものとなっていて、シャイロックを演じたかたの卓越した演技力もあって同情を誘いました。

シャイロックの娘は駆け落ちの相手と父親との間で煩悶し、劇の最後のところで泣き顔を隠すように舞台の袖に走り去る姿が何とも清楚で、舞台に花を添えていました。娘と一緒に贈った、ピンク色を基調にした花束を連想しました。

その最後の場面がなければ、単なる老人虐め物語になっていたところでした。

私事になりますが、大学祭で、文芸部は創作劇を行うのが恒例となっていました。わたしも恥ずかしながら出演し、あれは1年生のときだったか、着物姿で「わたいは孕んでやるんだ、闇を孕んでやるんだよう!」という台詞をいうのが恥ずかしかった記憶があります。

今だと、もう少し内面的な表現ができたかもしれないと思います。

娘の友人は初舞台なのに、複雑な内面をさりげなく表現できていて感心しました。今後も続けられるのかどうかはわかりませんが、できたらまた来年も観劇したいものだと思いました。

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2016年10月18日 (火)

2016年に、実質的終焉を告げたノーベル文学賞

10月14日付記事「ボブ・デイランがノーベル文学賞を受賞。快さを伴ったイデオロギーにすぎないあの歌詞群に?」を閉じ、代わりにそれに加筆した拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の記事をこちらに再掲しておきます。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

純文学なんてない、という奇怪な純文学排斥運動がわが国で行われるようになった時期と、村上春樹がもてはやされるようになった時期はだいたい重なっていたように思う。

私事になるが、わたしは1998年度の織田作之助賞第15回で「救われなかった男の物語」(結果発表誌『文學界』1999年2月号)、2005年度の第22回で「台風」(結果発表誌『文學界』2006年5月号)が最終候補になった。

第22回の授賞式で、選考委員のお一人だった三枝和子先生の講演があり、その講演の中で先生が「純文学はわたしはあると思っています」とおっしゃって、その理由を述べられたのを鮮明に覚えている。

わたしはその講演を聴きながら、激しく泣いていた。

何者らかの陰謀――としかわたしには思えなかった――によって純文学の存在そのものが攻撃され、それがわが国における純文学の終わりの始まりだと思われたということと、もうこの国では自分はプロの作家にはなれないという予感とが交じり合い、頭の中で渦巻いていたのだった。

それを遡ること、7年前の1998年、第15回受賞式のときにはまだわたしは文学界を信じていた。

受賞式後のパーティーで三枝先生から、ようやく見つけたという表情で、強く光る美しい目で見据えられながら「あなたの頭はわたしと同じく、男ね」といわれたことを覚えている。

三枝先生のあの目は男性的というより、性を超越した哲学者の目だった。ギリシア在住の経験があった先生にはプラトンを諧謔的に描いた作品がおありになる。

三枝先生は2003年にお亡くなりになった。わたしはお亡くなりになったことをあとになって知ったが、先生の臨終を察知していた。印象的な夢を見たのである。余談になるので、この話は別の機会に書きたい。

その後、2006年に村上春樹がチェコのフランツ・カフカ賞(2001年創設)を受賞したのをきっかけとして、彼がノーベル文学賞にノミネートされたというデマがしきりに流されるようになった(ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務がある*1)。それに伴い、文学には無関係なイベントや乱痴気騒ぎなども起きるようになった。

そして、芥川賞受賞作品からは、人間性の追求という学究的側面と豊かな情操を持つ純文学の特徴が失われ、さりとて読者を楽しませることに徹した大衆文学の特徴もない、もはや文学作品といってよいのかどうかもわからないものとなり果てて、異様な臭気が放たれるようになった。

こうした純文学の凋落に至る一連の出来事は、敗戦後の複雑な事情を抱えるわが国だから発生した、いわばわが国固有の不幸な出来事だと思っていた。拙作『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』を参照されたい。*2

日本で起きたようなことが、ノーベル文学賞という国際的な舞台で起きるとは予想しなかった。翻訳文学から推測する限りでは、世界では純文学に分類されるような文学作品は依然として一定の水準を保っているように思われていたからである。

ノーベル文学賞が、国際的に通用する意味合いにおいてのリベラルな傾向を持つ作家に授与されてきたことは過去の受賞者一覧を一瞥すれば、わかることである。

作品の内容から窺われる観察力、認識力、分析力、洞察力、教養の度合い、情操に訴える力、普遍的意義という点で、わたしが首を傾げてしまう大江健三郎のような作家に授与されることがあったにせよ、ノーベル文学賞が優れた文学作品に授与されるという国際的な共通認識は2015年までは不動のものであった。

しかし、2016年、ノーベル文学賞という純文学形式の文学作品に与えられていた賞は、突然別物になった。シンガーソングライターのボブ・ディランに授与されることになったのだ。作家を志す人間には怖ろしい出来事である。ノーベル文学賞の裏事情を知りたいと切に願う。(※現時点まで、ボブはノーベル文学賞の受賞に関して沈黙している)

「風に吹かれて(Blowin' In The Wind)」を久しぶりに聴きかけて、いつもそうであるように、単調なボブ・ディランの声に飽き、途中でピーター・ポール&マリーで聴き直した。ボブにノーベル文学賞が授与されるのであれば、デヴィッド・ボウイにそうされたって、おかしくはない。いや、ボウイが生きていればだが。ボブ・デイランも年とった。皺がいっぱいだ。締めはジャニス・ジョプリンといこう。

ボブ・ディランの歌詞は説教臭くて、如何にもポピュラーソングの歌詞という感じがする。ボブがディラン・トマスに傾倒してディランと名乗るようになったのだとは、知らなかった。

歌詞を曲から切り離して評価することには戸惑いを覚えるが、あえてそうするなら、ボブ・ディランの歌詞はある快さを伴ったイデオロギーにすぎず、ディラン・トマスの詩にあるような――名詩が特徴とする――発見がボブの歌詞にはなく、詩作の過程にはあるはずの結晶化を経ていないように思われる。

Alfrednobel2_s

Alfred Nobel(1833 - 1896),c. 1883
From Wikimedia Commons, the free media repository

ディラン・トマスにノーベル文学賞というのなら、わかる。『世界文学全集――103 世界詩集』*3 所収ディラン・トマスの詩から断片的に引用してみる。

ぼくはばかの唖で吊り下がっている男に言えない
どのように絞首刑執行人の生石灰がぼくの肉体で出来ているかを。
(「緑の信管を通って花をひらかせる力」)

邦訳版でも充分に伝わってくるだけの思索の深みを感じさせる。このような作品はディラン・トマスにしか書けない。

ぼくが千切るこのパンは かつて燕麦[からすむぎ]だった。
異国の樹になる この葡萄酒は
その実
[み]の中に飛びんだ。
日中は人間が、また夜は嵐が
作物を倒した、葡萄の歓びを砕いた。
(「千切るパン」)

この詩を読んでいると、本当にパンや葡萄の香りがしてくる。ノーベル文学賞を受賞したガブリエラ・ミストラルの詩を連想した。

ほかのいくつかの渓谷でいっしょに
パンを食べていた亡き友人たちは味わっている
刈り入れのすんだカスティリャ地方の八月の
そして挽き砕かれた九月のパンの呼気を。
(「パン」)*4

彼らの味わっているパンが特別な清らかなパンに思えてくる。パンの呼気をわたしも感じる。   

最初の死者と地下深く ロンドンの娘は横たわる、
永劫の友だち、
年齢をこえた時間、母の暗い静脈に包まれて、
海へ注ぐテムズ河の
悲しむことのない水のほとりに秘
[ひめ]やかに、
最初の死のあと、もうほかの死はない。
(「ロンドンの空襲により焼死した子供を悼むことを拒む詩」)

空襲で焼死した子供を、流れる時間のただ中へと釘づけるようなトマスの詩作……

ボブ・ディランの歌詞は単純だから単調で、それゆえに曲を必要とする。彼の歌詞は曲と一体となってこそ真価を発揮するものであって、独立した詩とみなすには無理があるのではないかと思う。

作品の優劣以前の問題として、文学作品とはいえないのではないだろうか。文学作品であるような詩は、音楽的な調べを言葉のうちに含んでいるものなのだ。

次のリルケの詩「LES ROSES 薔薇」からの引用は、山崎栄治の秀逸な邦訳によって、その詩に内在する音楽性が現代日本語として可能な限り高められている。

薔薇よ、おお、おまえ、この上もなく完全なものよ、
無限にみずからをつつみ、
無限ににおいあふれるものよ、おお、やさしさのあまり
あるとしもそこにみえぬからだから咲き出た面輪
[おもわ] よ、

おまえにあたいするものはない、おお、おまえ、さゆらぐ
そのすみかの至高の精よ、
ひとのゆきなやむあの愛の空間を
おまえの香気はめぐる。
(Ⅲ)*5

一輪の薔薇、それはすべての薔薇、
そしてまたこの薔薇、――物たちの本文に挿入
[そうにゅう]された、
おきかえようのない、完璧
[かんぺき]な、それでいて
自在なことば。
  この花なしにどうして語りえよう、
わたしたちの希望のかずかずがどんなものだったか、
そしてまたうちつづく船出のあいまあいまの
ねんごろな休止のひとときがどんなものだったか。
(Ⅵ)*6

「薔薇」には24編が収められている。この詩に値する曲など存在しないと思わせられるほど、音楽的な詩である。下手に曲がつけられたリしたら、幻滅を招くだろう。

賞は文化の振興に役立つものだが、使い方を間違えれば、それは直ちに文化破壊の道具となる。

文学作品とはどんなものをいうのかさえわからない人々が選んだのではないか――という危惧さえ抱かせる今回のノーベル文学賞。一度でも、こういうことがあったら、御仕舞だ。

もうノーベル賞は理系に限定すべきである。

賞ではないが、賞に似た文化振興の役割を果たしてきたユネスコも今や完全におかしい。

2014年11月に、岩間浩『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』(学苑社、2008)を読んで、神智学協会の理念がユネスコの精神的母胎となったことを知った。今のユネスコの動向から、その精神を感じることはできない。


*1:ウィキペディアの執筆者. “ノーベル文学賞”. ウィキペディア日本語版. 2016-10-15. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%B3%9E&oldid=61533301, (参照 2016-10-15).

*2:直塚万季『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)』(Kindle版、2013年、ASIN: B00BV46D64)

*3:安藤一郎・木村彰一、生野幸吉、高畠正明編、講談社、1981

*4:『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』田村さと子編・訳、小沢書店、1993

*5:『新潮世界文学32 リルケ』新潮社、1971年、山崎栄治訳「LES ROSES 薔薇」よりⅢp.745

*6:『新潮世界文学32 リルケ』新潮社、1971年、山崎栄治訳「LES ROSES 薔薇」よりⅥp.746

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