カテゴリー「創作関連(賞応募、同人誌etc)」の322件の記事

2019年8月15日 (木)

ツイッターで問題となっている、芥川賞候補作「百の夜は跳ねて」(古市憲寿)。8月15日に追記あり、赤字。

芥川賞候補となった古市憲寿「百の夜は跳ねて」がツイッターで話題になっていました。

古市氏の小説の最後に「参考文献」として、『文學界』2012年10月号に掲載された木村友祐氏の短編小説「天空の絵描きたち」が挙げられているそうです。

誰かの小説を読んで、その中の素材に興味を持ち、自分で調べ直して独自の小説を書くということはあると思いますが、その場合、資料として挙げるのは小説ではなく、調べた文献なのではないでしょうか。

以下の、参考にされた小説の作者・木村友祐氏のツイートによると、木村氏が古市氏に窓拭きの達人を紹介したそうなので、その取材をもとに独自の書き方がなされていれば、問題ないはずです。

しかし、選考委員たちの書きぶりからすると、文章表現などのオリジナルな部分が参考に、というより盗られていることを疑います。以下の記事が参考になります。

【追記あり】古市憲寿さんが芥川賞選考委員にいろいろ言われちゃってる件」『はてな匿名ダイアリー』。2019年08月12日、URL: https://anond.hatelabo.jp

わたしは以前から、直木賞作家・恩田陸氏が得意としている「オマージュ」というフランス語でごまかしたパクリに似た手法に疑問を抱いてきました。純文学界にもその手法が「導入」されたのではないかと危惧します。

尤も、文学賞が文学性を競うものではなく、アイディア戦になり下がったのは随分前からのように記憶しています。

2011年8月 8日 (月)
文藝春秋「文學界 平成二十三年八月号」 ‐ 「新人小説月評」に対する私的不信感
https://elder.tea-nifty.com/blog/2011/08/post-723d.html

わたしが「新人小説月評」に関する前掲記事の感想を書いたのが2011年。古市氏に参考にされた木村氏の短編は、2012年の掲載です。同じ商業雑誌『文學界』。

今回の件から、左派に牛耳られた文学界では才能のある作家がなかなか世に出られないだけでなく、その作家たちは飼い殺されて、防衛本能すらなくしているのではないかという別の危惧も生じました。

追記: 木村氏のツイッターを閲覧させていただくと、集英社、新潮社、未来社などの有名出版社から5冊ほども出版しておられました。報われない才能ある普通の日本人作家が世に出られないまま飼殺されて、防衛本能を失くしているのかと勝手に妄想していました。そんな日本人作家を複数知っているものですから、つい。いずれにしても、作品も読まずに、申し訳ありませんでした。こういういい方は語弊があると思いますが、仲間内での出来事であった様子が窺えました。左派村では安倍総理は本当に人気がありませんね。

そういえば、2018年の第159回芥川賞(平成30年上半期)の候補作になった北条裕子『美しい顔』にも盗作疑惑があったような……

2018年、小説『美しい顔』で講談社の第61回群像新人文学賞を受賞。この作品は第159回芥川龍之介賞の候補にも選ばれたが、主要な参考文献を明記しておらず、他の作家の先行作品と類似している箇所が複数あることが指摘され、謝罪文と参考文献が『群像』2018年8月号に掲載されることとなった。
「北条裕子 (小説家)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年11月6日 18:09 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

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2019年6月10日 (月)

戦後日本の文学を支え続けてこられた優れた昭和の作家、田辺聖子さんが逝去された

ウィキペディア「田辺聖子」より

田辺 聖子 (たなべ せいこ、1928年3月27日 - 2019年6月6日)は、日本の小説家。
大阪府大阪市生まれ。淀之水高等女学校を経て樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)国文科卒。恋愛小説などを中心に活動し、第50回芥川龍之介賞など数多くの文学賞を授与されている。文化勲章受章者。 (中略)
幼少時は古典文学に親しみ、多くの少女小説を愛読した。戦時中は愛国心にあふれた軍国少女としての時代を過ごし、戦争で死ぬことを本望としていた。1943年『少女の友』の作文欄で川端康成の選により掲載された「さら」が最初の活字作品。敗戦後ではその反動と喪失感から複雑な思いを抱く中、古典文学の世界に癒しを見出した。大阪の金物問屋に就職で勤める傍ら文芸同人の『文芸首都』『大阪文学』に参加、『花狩』がラジオドラマに採用され放送作家となった時期もある。1956年『虹』で大阪市民文芸賞受賞し本格的な作家活動に入り、恋愛をテーマにした小説や大阪弁を用いた一種の方言文学の制作に取り組んだ。1964年に『感傷旅行』で第50回芥川賞に選出され、若手女流作家の寵児となる。以降は人気作家として多くの執筆依頼を受ける様になるが、純文学の賞である芥川賞の受賞者としての立場を枷に感じ、後年に「直木賞の方が欲しかった」と冗談含みで語っている。1987年の第97回直木賞から2004年第132回まで直木賞の選考委員を務めた。 (後略)
「田辺聖子」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年6月10日 05:47 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

戦後日本の文学を支え続けてこられた、優れた昭和の作家がまた一人逝ってしまわれた。深い喪失感を覚えずにはいられない。

何といってもわたしが忘れられない田辺聖子さんの作品は、閨秀俳人・杉田久女の評伝『花衣ぬぐやまつわる… わが愛の杉田久女』。

花衣ぬぐやまつわる… 上 わが愛の杉田久女 (集英社文庫)
田辺 聖子 (著)
出版社: 集英社 (1990/6/20)

花衣ぬぐやまつわる… 下 わが愛の杉田久女 (集英社文庫) 文庫 – 1990/6/20
田辺 聖子 (著)
出版社: 集英社 (1990/6/20)

微に入り細を穿った描写により、久女の人生と心の機微が余すところなく伝わってきた。俳句のすばらしさも同時に伝わってきて、自分でも句作をするようになった。以下は、以前大宰府に行ったときに詠んだ下手俳句。

大宰府は底冷えの町久女の忌

古典の教養、社会を鳥瞰し人性を見抜く眼力、絶妙なバランス感覚、そうしたところから生まれる確かな筆力。

わたしは賞狙いをしていたころ、執筆に疲れたら『猫なで日記』を読んだ。賞狙いというギャンブルのために人生が狂わなかったのは、田辺聖子さんの作品のお陰かもしれない。

猫なで日記 私の創作ノート (集英社文庫)
田辺 聖子 (著)
出版社: 集英社 (1991/1/18)

賞狙いは不発に終わったが、「芸術は長く人生は短し」で、わが創作人生はようやく中盤に差しかかったところだ。

大衆に絶大に支持される田辺聖子さんは、芥川賞作家である。「田辺先生の文章の確かさはな、出発点が純文学だったところにあるんや」と、文学を教えていただいた横井三保さん(織田作之助賞を主宰する大阪文学振興会事務局長。関西文学散歩の会代表)は以前おっしゃった。

感傷旅行 Tanabe Seiko Col (ポプラ文庫)
田辺 聖子 (著)
出版社: ポプラ社 (2009/2/2)

田辺聖子さんはスヌーピーのぬいぐるみがお好きで、ぬいぐるみ好きのわたしはその点でも、いたく共感を覚えたものだった。

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2016年10月23日 (日)

最近、文学賞関係の検索ワードで

今月に入ってから、ほぼ毎日「九州芸術祭文学賞 連絡」という検索ワードでお見えになる方があります。

同じ方かそうでないかはわかりませんが、昨年も今年もわたしは応募していないため、九州芸術祭文学賞関係の情報はアップできません。

2014年に応募したときは、翌年に以下の記事を書いて、地区入選作がいつ決定したかを書いています。

地区入選作は10月末から11月上旬に発表になることが多いように記憶していますが、その年によって、また地区によっても、入選作が決定する日は違ったりするので、応募先に問い合わせるほうが確実かもしれませんね。

九州芸術文学賞にはこのところ応募する気が薄れてしまっています。今月末締め切りの三田文学には応募したいと思っていましたが、これも断念。

今は萬子媛を主人公とした歴史小説を自分なりに完成させたいということと、過去の作品をはてなブログに収録することを優先させたいということから、新しい小説を書く時間がとれませんでした。

賞応募に対する思いには複雑なものがありますが、作品をまとめ上げる力を自分の中から引き出そうと思えば、賞応募に勝るものはない気がします。

ただわたしの場合、怖いのは、不本意であっても作品を賞に合わせようとしてしまうことです。単純なところでは、枚数です。

作品を引き締めたり、膨らみを持たせたりするには枚数が影響してくるので、このあたりの調整から、内容に関することまで……

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2016年10月20日 (木)

純文学小説「地味な人」「救われなかった男の物語」「銀の潮」をはてなブログで連載。「地味な人」連載第1回

純文学小説「地味な人」「救われなかった男の物語」「銀の潮」をはてなブログで連載することにしました。

はてなブログを現在二つ持っていますが、無料で三つまで作ることができるので、神秘主義的エッセー、それ以外のエッセーに続き、小説ブログとして残りの一つを作ることにしたのです。

といっても、作るのはこれからなのですが。

実は、前掲三作は古い作品で、ワープロで清書していました。パソコンでフロッピーが開けなくなったこともあって、Kindle ダイレクト・パブリッシングで電子出版したいと考えています。

しかし、まずはパソコンで作品を打ち込むことから始める必要が出てきました。平成12年(2000)5月脱稿に脱稿した「地味な人」から打ち込むことにしました。

「地味な人」は感熱紙の原稿しかなく、印字が薄くなってしまっています。感熱紙原稿のコピーをとるか、パソコンで清書するかで迷い、再校正しながら清書することにしたのでした。

清書の作業と並行してブログで作品を公開して読んでいただこうと思い、2010年4月26日にそうしかけたところで、なぜか中断してしまっています(記事は下書きとなっていました)。

まだ専業主婦が多かった時代に執筆した小説を今読み返すと、さすがに時代を感じさせます。

ですが、現代の日本社会で「ママカースト」などという恐ろしい――ある意味では滑稽ともいえる――流行語が生まれていることから考えると、小説で描こうとした問題が決して古いものとはいえず、また小説に描いた時代はわが国が格差社会に突入した日本の転換期でもありました。

こうした作品の内容から、古い作品だからと切り捨てる気にはなれません。

「地味な人」のような小説は、今のわたしには書けません。

他の執筆作業の合間に行うことになるので、遅々として進まないでしょうし、また中断するかもしれませんが、とりあえず始めます。

気がむけば、当ブログでも連載することにしますが、まずはお試しで第1回。いずれにせよ、はてな小説ブログを開設、更新したときには当ブログでお知らせします。

ライン以下に、あらすじ、前書き、連載第1回があります。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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2016年4月17日 (日)

バルザックの夢と亡くなった近藤くんのことなど

仮眠中にバルザックが出てくる夢を見た。ごく普通の夢で、わたしは第三者的立場で夢を傍観していた。

全体がノスタルジックなベージュの感じ。

夜の広いカフェのように見えるそこはバルザックの仕事場兼学習塾(?)。

幅のある楕円形のカウンターがあって、カウンターにはチーズや飲み物が置かれているようでもある(はっきりしない)。ワンルームのようになったこちらやあちらの暗がりは別の部屋のようになっている。

写真で見るような風貌のバルザックはカウンターの向こう側にいて、気さくな優しい態度で数人の子どもたちの学習を見てやっている。

宿題は創作で、子どもたちは日記帳のような学習帳に短い小説を書いていっている。

夢の中でひとりの子どもがクローズアップされた。

小学3年生くらいの子どもで、白っぽい金髪をしている。学習帳に目を近づけて一生懸命に何か書きつけているその子の小説に興味を持ったバルザックが、どんな小説なのか見ている。

その子の素養や生活環境をバルザックは熟知しているようで、学習帳を見るのも初めてではなさそうだ。

挿絵なのか、悪戯書きなのか、学習帳には子どもっぽいイラストがある。

その子の最近の小説には見どころがあるようで、バルザックは新鮮さを覚えたように読んでいる。バルザックが感興をそそられたのは一つ前に書きつけられた小説であるようだ。

バルザックはその子の恵まれない境遇に涙する。優しい、温かな、その子を思った涙だ。

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Honoré de Balzac (1799-1850)
1842
Louis-Auguste Bisson (1814–1876)
From Wikimedia Commons, the free media repository

夢にどんな意味があるのかわからない――何の意味もないのかもしれない――が、夢の中であったとしてもバルザックの拝顔の栄に浴することができて幸せだった!

ブラヴァツキーをして「フランス文学界最高のオカルティスト」といわしめたバルザック。

フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかった が)、バルザックはどこかで、数とマインドの関係は数と物質の関係と同じであると言っている。即ちマインドと物質の両方にとって数は“不可解な動因”であ る(おそらく世俗の者には不可解だが、イニシエートの心には決してそうではない)。その偉大な作家が考えたように、数は一つの実在であり、同時に、彼が神 と呼び、私達が一切と呼ぶものから発する息である。その息だけが物質コスモスを組織することができた。“そのコスモスでは、数の結果である神を通してだけ、すべてのものは形体を得る”。この問題についてバルザックの言葉を引用するのは有益である。

  ――最も小さな創造物と同じように、最も大きな創造物も、すべてによって生まれたものであり、その量、特性、寸法、力、属性によって互いに区別されているのではないか?……(H・P・ブラヴァツキー著、田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、p.279)

ブラヴァツキーの引 用は長いので全部は無理だが、これはバルザックの神秘主義的哲学小説『ルイ・ランベール』、あるいは『セラフィタ』からの引用だろうか? まだ確認していない。拙エッセーブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」収録作品で、『ルイ・ランベール』の美しい断片を紹介したことはあった。

  • 20 バルザックと神秘主義と現代
    http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/09/02/225128

過去記事で、近藤くんの訃報を閲覧して早すぎる死に衝撃を受けたと書いた。

近藤くんとは同人雑誌『日田文學』の仲間だったが、彼と懇親会で顔を合わせたことはなく、「九州芸術祭文学賞」の授賞式でお目にかかったことがあっただけだった(わたしが2001年に地区優秀作になったときで、そのとき彼は地区次席だった)。

その後当ブログがきっかけで、メールを頂戴し、彼が一つ下の学年(同年生まれだが、わたしは早生まれ)だったことから「くん」をつけて呼ぶようになった(失礼なことだが、嫌そうではなかったので)。

そう呼んだ理由には他にも、彼が神秘主義的な作風の作品を書いたことから覚えた親しみがあったと思う。その後、それは真の神秘主義的な情感や動機か ら書かれたものではなく、創作上の戦略から神秘主義的色付けがなされただけではないかと思うようになった。真相がどうであったかはわからない。

その後、近藤くんは2008年に「黒い顔」で「九州芸術祭文学賞」の最優秀作になり、文藝春秋「文学界」デビュー。

いずれにせよ、近藤くんはわが国の左傾化した文学界とも折り合いが悪くないように思われたので、辛抱強く書いていけば、芥川賞を受賞することもできるのではないかと思っていた。

だが、もし彼が隠れ神秘主義者だったとしたら、世に出ることをほぼ諦めてぬけぬけと神秘主義物書きとして生きているわたしより遥かに無理をしていたのではないかと思う。

「仕事で責任のある立場となり、大変」とメールにあったことからすると、仕事と執筆の調整で苦労していたのかもしれない。

いずれにしても、彼はこの国で小説家として亡くなった。以下は毎日新聞の記事より。

訃報
近藤勲公さん57歳=小説家「はがき随筆」選者

毎日新聞2016年3月17日 19時41分(最終更新 3月17日 21時29分)

  近藤勲公さん57歳(こんどう・のりひろ=小説家)16日死去。葬儀は18日午後1時、大分県津久見市港町4142の25の風之荘つくみ。喪主は妻直美(なおみ)さん。

 2008年度の九州芸術祭文学賞で「黒い顔」が最優秀作に選ばれ、その後も「銀杏神社」「夏の底」などの作品を雑誌「文学界」で発表した。14年5月からは毎日新聞大分版「はがき随筆」の選者も務めた。

早すぎる死ではあったけれど、もし彼が神秘主義者でなかったとしたら葛藤なく念願のこの国の小説家として生きることができたはずだし、もし彼が神秘主義者だったとしたらこの世の価値観から解放されてあの世で楽しんでいることと思う。

わたしはこの国で小説家として死ぬことはできないだろう。バルザックのような小説家がわが国の文学界の大御所として君臨してくれていたら……という思いがこのような夢を見せたのだろうか。

といってもこのところ、近藤くんのことは考えたが、地震のことで頭がいっぱいで、それ以外のことはほとんど何も考えていなかった。

いずれにせよ、バルザックのような人物がトップにいる文学界と反日左派にのっとられたこの国の文学界とでは全く異なる世界である。

この国で報われない神秘主義小説を書き続けているわたしをバルザックは憐れんでくれたのだと思いたい。

白っぽい金髪の子がわたしだとすると、バルザックの小説を基準としてわたしの小説は小学3年生くらいのレベルのようだ。そういえば、ブラヴァツキーが出てきた夢でもわたしは小学生だった(あれはまぎれもなく、わたしとして出てきた)。

  • 43 H・P・ブラヴァツキーが出てきた最近の単なる夢三つ
    http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/02/04/143331

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2016年4月16日 (土)

地震が怖い!

震度5弱でもかなり揺れ、頭を振るマンションの上のほうなので、部屋の中に物が散乱しました。

怖いので、すぐに出られるよう娘と廊下に寝ています(寝られませんが)。

こちらより夫の職場のある地域のほうがひどかったと思いますが、電話がありました。

今後どうなるのか……九州でこれほど広範囲の地震は珍しいです。

動悸がしているので、ミオコールスプレーをポケットに入れています。

九州地方の方々、どうぞお気をつけて。

実は、地震がある直前にブログのアクセス解析の検索ワードを見て驚いて検索し、近藤くんの訃報を閲覧しました。

3月に亡くなったようです。知りませんでした。小説家としてこれからだったのに……残念です。

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2016年2月26日 (金)

応募者の死闘の歴史がわかる凄い情報サイト「文学賞の世界」。電子書籍の表紙作りに役立つサイト。

最近、「文学賞の世界」というサイトを見つけました。「日本で行われてきた数々の文学賞に関する基礎的な資料をご紹介しています」と説明があります。

サイトマップを一望し、目眩がしてしまったほど。これは凄いです! 

プロ対象の文学賞、素人対象の文学賞の詳しい情報が提供されています。

ふと「あのとき受賞なさったあの方は、その後どうなさっているのだろう? プロとして活躍なさっているのだろうか、まだ素人の立場で他の賞にチャレンジなさっているのだろうか?」と思ったりしていたのですが、かなり消息を辿ることができました。

審査員のお名前、その賞が今も継続しているかどうか、青色になっているお名前をクリックすると同じ人が他にどんな賞に応募し受賞しているかなど、様々なことがわかり、驚かされました。

わたしが最終候補(九州芸術祭文学賞の場合は地区優秀作)まで行ったのは「織田作之助賞」「九州芸術祭文学賞」だけで、各2回ずつですが、最終候補者の名前も出ています。

「織田作之助賞」の頁全体を閲覧して賞の変遷がわかりましたし、「九州芸術祭文学賞」では地区次席までわかり、何度となくチャレンジしている人が如何に多いかがわかりました。

応募の参考になる、これだけ多くの情報を提供してくれるサイトはなかなかありません。

また、応募者のほとんどが志を遂げずにいわば文学界という戦場で戦死する運命にあることが改めてわかるような、わが国の文学界における死闘の歴史を見せてくれるサイトでもあります。

これだけの文学賞があり、それにチャレンジする夥しい人間がいるにも拘わらず(だからこそ、なのかもしれませんが)、日本の文学が劣化と衰退の一途を辿っている現実は本当に深刻な問題でありましょう!

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わたしはパブリックドメインの写真、イラスト、フレーム、フォントなどをお借りして電子書籍の表紙を作成していますが、以下は最近発見したサイトです。

上記サイトを管理なさっている方のまとめもありました。いやあ、これも凄い! 貴重なまとめですね。

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2016年2月18日 (木)

江戸初期五景2 #4 表現の仕方(萬子媛をどう表現するかの再確認) 

萬子媛を主人公とした歴史短編小説を20人ほどに内々で読んでいただいたところ、賛否両論半々だったと過去記事で書いた。

あとで細部を膨らませるつもりで、書かなければならないことを詰め込むだけ詰め込んだ書き方になったことが問題だったのは当然である。

枚数制限のある賞応募のためにそうなったというより、まずはそんな書き方をして要点を掴みたかった。

不謹慎な考えだが、賞応募はついでの話。わたしの場合、賞応募は集中度を高めることが目的なのだ。本当に賞をゲットするつもりなら、傾向と対策が必要で、そもそも文学界批判など御法度である(それくらいのことわからずにやっているほど馬鹿ではない。文学界批判が御法度となっているほど今の日本の文学は文学離れしているということでもある)。

どこからどこまで書くかを決めなければならないが、過去ノートで書いたように萬子媛から辿れる江戸初期に起きた大きな動きを全てとはいわないが、なるべく網羅した小説の完成形にしたい。

もう一つ、技法上の問題があったのだろうと考えている。

主人公の物語になっていない、主人公の感情や考えが出ていないという不満はそこから出て来ている部分もあるのではないだろうか。

というのも、わたしは主人公に意図的に距離を置いた書き方をしたので。

江戸時代を小道具にした現代小説だけは書きたくないという思いが強く(エンター系の歴史小説はだいたいそのような書き方だと思う)、『源氏物語』の中で、紫式部が藤壺の宮を描くときの技法を参考にしてみようと思ったのだった。

藤壺の宮に対して紫式部は距離を置いた描きかたで、その結果すりガラスを通して見るような、伝聞のような効果が出ている。

藤壺は光源氏に次ぐ――紫の上以上の――重要人物であるにも拘わらず、その人の感情や考えが行動を通してしかわからないために、読者は隔靴掻痒の焦れったさを覚える場合があるかもしれない。『源氏物語』が苦手な人の中にはそういった人々もいるのではないか。

その書き方を通せば、紅茶をすぐに茶碗に注ぐよりもポットの中で茶葉を蒸してから注ぐほうが香りも味も引き立つように、むしろ高貴さが香り立つように思う。

登場回数では紫の上のほうが多いのに藤壺の存在感が薄らぐことがないのは、紫式部がこうした技法上の効果を「雲隠」の手前まで持続させているからに他ならない。

また、紫式部は時々こうした技法を無視したかのように接写しているが、これも同じ技法に含まれるものと考えられ、そうすることによって印象が際立つ。

現代小説としてではなく、古典として読んでください……と読者に注文をつけるわけにもいかない。賛否両論がなく、否定的な感想しか寄せられなかったら歴史物に手を出すのはよそう、この計画は中断せざるをえないとまで思い詰めていた。

が、幸い半々で、すりガラスの向こう(深窓の麗人)の萬子媛に魅了される人が複数いてくださったことはありがたかった。

とはいえ、どなたからも社交辞令的礼賛をいただけたら、それで「歴史小説ごっこ」にけりをつけられる――、電子書籍にしたり印刷屋さんで簡単な冊子にしてあちこちにお送りすることで「仕事」を完了させられる――と、むしろ重荷が下ろせてよいような気もしていた。

ところが、賛否両論あれど、何だか「本気」の感想が届いたことに、鳩が豆鉄砲食らったみたいに驚いた。ちゃんと書かねばならないということだと諦めた。萬子媛からわたしが感じる神秘主義的魅力からすれば、確かに「仕事」を始めたばかりで放り出すのは無責任極まる話だろう。

細部を膨らませながら全体に統一感を持たせるには、中心に萬子媛を置いて、あちこちでちらりと登場させなくてはならない。紫式部はそこのところをうまくやっていて、他の女人たちに読者の関心が奪われてしまいそうになるところで藤壺の宮がどうなさった、といった短い情報を怠りなく挿入している。

こうした企業秘密(?)について過去記事で書かなかったが、このノートで再確認しておきたいと考えた。

紫式部に学んだ、考え抜いたわたしなりの手法なので、このやりかたを通す。

萬子媛の魅力を思想面から探るためには江戸時代がどんな影響を及ぼしたかの分析が必要であるため、短編2では二人の黒衣の宰相を主人公にしてみようと思ったのだが、この2人を主人公にした小説にするかエッセーにするかはもう少し調べてみなくてはわからない。

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2016年2月11日 (木)

「マダムNの神秘主義的エッセー」更新のお知らせ。萬子媛の小説の今後。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

当ブログに書いた2012年から2014年までの3回にわたる参詣記をエッセーとしてまとめたものです。祐徳稲荷神社の石壁社における3回の神秘主義的な記録といっても差し支えありません。

締めくくりとして次のようなことを書きました。

3回の参詣を通して思ったことは、本当に貴重な体験をさせていただいたということである。

何しろ、萬子媛は1625年にお生まれになり、1705年閏4月10日(1705年6月1日)に80歳で入定なさった御方なのである。おそらく、あの世でボランティア集団を形成して300年以上、この世のために尽くしてこられたということなのだ。凡人には気が遠くなるような話である。千手観音のような萬子媛だ。

2012年に石壁社で萬子媛に語りかけたときに、「え?」と驚かれたその感じが如何にも高貴な率直な印象で、生きていらっしゃるときには江戸時代の貴婦人だったし(晩年は黄檗宗の僧侶だったわけだが、わたしには貴婦人の印象が強い)、霊界ではもっとすばらしい姿だろうが、わたしには光としてしかわからない。

萬子媛を一度驚かせたが、萬子媛のお考えをこちらで読みとることはできない。

霊感が徐々に開かれてよかった。江戸初期に生まれた400歳近い貴婦人と心を通わせることができたのだから。

だが、こんな無分別なことをいつもしているわけではない。

神社はある意味でお墓であることも多く、わたしは神秘主義者として、そこに存在しているかしていないかわからない霊に向かって不用心に話しかけるようなことは怖ろしくてできない。

萬子媛の場合は生前どんな人物だったかがある程度わかっており、ある種の勘もあって、話しかけても安全だと思ったのだった。でもまさかお返事というか、実際に反応があるとは想像もしなかった。

それが何と300年以上、参拝者のために律儀にご公務なさっているとは。霊的にはすばらしい段階に、おそらくは達しておられながら。いや、だからこそなのだろうが。

萬子媛が生前から村人たちにその徳や神通力を敬慕されていたことを思い出そう。エッセー40「ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ②三浦関造の雛たちに危いまなざしを向ける人」で書いたように、死んだからといって、誰もが聖者のようになれるわけではない。生前に聖者であった人のみが死後も聖者としての高級な影響力を発揮しうるのだ。

萬子媛が「水鏡」の村人と会話を交わしたのがいつのことかはわからないが、「村人からは大変敬慕されていました」とあるから、僧侶としての方向性が定まり、落ち着きが備わって、貫禄が出て来たころではないかと想像する。透視力も備わっていた。

元禄11年(1698)に黄檗僧の正装をした萬子媛の肖像画が描かれている。このとき73歳。

謹厳そのもののお顔だが、わたしが神秘主義的に感じとった萬子媛は、さすがは神様として祀られているだけあって、光源となりうる圧倒的なパワーの持ち主であり、おそらくは生前もそうであったように温かな人柄と微に入り細を穿つ濃やかさを持ちながら、一方ではユーモアを好みそうなタイプの御方だと感じた。

そして、生前も、あの世でボランティア集団を組織して300年以上も奉仕活動をなさっている今も、とても率直な御方なのではないだろうか。

そうした率直さ、優しさ、面白さ、楽しさ――などの豊かな情緒が太陽の光のようなオーラを通じて格調高く伝わってくるので、わたしは萬子媛が怖くなく、たちまち大好きになってしまったのだ。

もしわたしが江戸初期に生まれ、萬子媛の禅院で修行生活を送ったとしたら、厳格さをより強く感じることになったのだろうか。

萬子媛を知る人間によって書かれた、萬子媛の唯一の小伝といってよい「祐徳開山瑞顔大師行業記」は、佐賀藩の支藩である鹿島藩の文人大名として知られる義理の息子、鍋島直條によって、まだ萬子媛が存命中――逝去の1年前――の元禄17年(1704)に著述された。

お世話になっている郷土史家・迎昭典氏が「萬子媛についての最も古くて上質の資料」とおっしゃる、萬子媛に関する第一級のソース――史料――である。

萬子媛の2人の息子は不幸にも1人(文丸あるいは文麿。鍋島直朝の4男)は10歳で、もう1人(式部、朝清。鍋島直朝の7男)は21歳で夭逝したが、義理の2人の息子、直孝(断橋、鍋島直朝の2男)、直條(鍋島直朝の3男)との関係がどれほど温かな、良好なものであったかは前掲史料からも推し量ることができる。

親戚がうるさくてなかなか出家できなかった……と、僧侶になっていた断橋に萬子媛が打ち明けたようなことまで書かれていて、つい笑ってしまった。生前から率直な御方だったんだと納得した次第。

人間、死んでもそう変わるものではないというが、本当にそうだという気がする。また、あの世には具体的な実際的な活動を通してこの世のために奉仕している方々がいらっしゃるといわれていることが、萬子媛の存在とあり方で本当にわかった。

江戸時代に生きた御方と霊的なふれあいができたという驚くべき、高級感のある歓びはこの世の何にも勝るものと思われるが、俗人の悲しさで、人生の問題に直面しているときには全てが夢ではなかったかと疑ってしまいたくなる。

2015年が暮れるころ、萬子媛を主人公とした歴史短編小説を仕上げた。この短編を核として作品を膨らませたいと考えている。果たして、オーブンの中でふんわり膨らむシフォンケーキのように上手に膨らませることができるだろうか。

どのように膨らませていくかで迷いがありましたが、わたしには江戸を小道具にしてヒューマンストーリーを書くことは逆立ちしてもできないので、初の歴史小説として完成させた短編の書き方でやっていくことを自己確認しました。

郷土史家の資料をそのままの形で生かし、萬子媛の小伝を書いた萬子媛の義理の息子である鍋島直條の作品を紹介するには、その形式しかないだろうと考えます。

評伝風小説、あるいは小説形式の評伝です。

いわゆる歴史小説とは若干異なる、こうした形式の作品は実は多く書かれていて、わたしは特に門玲子氏のご諸著に学ばせていただきたいと考えています。

夫はそうした形式の作品を多く読んできたため、わたしの作品には違和感がないといい、感動までしてくれたので本当に驚きました。結婚した意味があったとまで思ったほどでした(?)。

萬子媛の評伝風小説を膨らませることを主目的とするため、残る江戸四景を各短編として完成させるかどうかはまだ迷いのあるところですが、勉強のために何らかの形にせざるをえないだろうと思います。

以下の過去記事に絡んだ神秘主義的分野の学習でもちょっとした進歩(わたしにとっては大きな前進)がありました。急に学習が進むことってありますよね。

荒井献『ユダとは誰か』(講談社、2015年)を読んで、もう一つ『ユダの福音書』のイメージが掴めず、グノーシス文書の中でどう位置づければいいのかもわかりませんでした。

図書館にこの方面の第一級の研究家二人の共著、エレ―ヌ・ペイゲルス&カレン・L・キング『『ユダ福音書』の謎を解く』(山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社、2013年) があったので、夫に頼んで借りてきて貰いました。

エレ―ヌ・ペイゲルスはナグ・ハマディ研究で大層有名な人で、プリンストン大学初期キリスト教史学の教授。カレン・L・キングはハーヴァード大神学部教授です。

カレン・L・キングは以下の記事を書いた時期にテレビのニュース番組で見ました。時間をかけた貴重な研究の成果をバチカン関係者(だったかな)にあっさり否定されていましたっけ。

しばらくこの方面の読書から離れていたので、二人のその後の研究がどうなったか知りませんでしたが、『ユダ福音書』を共同研究していたなんて、夢のよう。

『『ユダ福音書』の謎を解く』には『ユダ福音書』の原典が注解付で載っています。まだざっと読んだだけですが、これは驚くべき作品です。

実は『ユダ福音書』に関する著作は以前図書館から借りましたが、あまり読めずに終わりました。そのときの印象と違います。荒井献氏の著作から受ける印象とも違います。

ところで、神秘主義方面の研究にはカバラの知識が絶対的に必要で、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成元年)にも理解を助けるために補遺「カバラについて」という解説が訳者である田中先生、ジェフさんの手で加えられています。

この邦訳書の初版が平成元年ですから、27年もチャレンジしては挫折を繰り返してきました。勿論、カバラに関する他の著作も読みました。

カバラから取り出された断片が数秘術として大衆的な占いにも利用されていますが、とにかく難解に感じられました。

それが、何と、憑きものがとれたようにわかりました。なぜこれまでわからなかったのか。わかりません。否。わかった気がするというべきでしょう。これに関しては別の記事にします。

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2016年1月24日 (日)

歴史短編にご感想をお寄せいただいた皆様、ありがとうございます!

萬子媛の歴史短編を書き、内々で読んでいただこうと年末の慌ただしい時期になって20人ほどにお送りしました。

ご迷惑おかけしたにも拘わらず、お電話、お便り、お年賀などで感想を伝えていただいたり、「これから拝読します、ありがとう」といっていただいたりしました。

昨日は京都の方が介護中にもかかわらず、重厚な封書をお送りくださり、恐縮した次第です。特にとんでもない誤字の指摘、ありがたいと思いました、冷や汗が出ました。

皆様のご感想や、それとない反応など、全てが参考になりました。

感謝の気持ちでいっぱいです。当ブログをご閲覧くださっているかどうかはわかりませんが、改めて、御礼申し上げます。

難しいと感じた方も少なくなかったようで、難しく書いたつもりはないんだけれどなと困惑してしまいました。その方々の読書傾向をお尋ねすると、今わが国で流行っているミステリーが多いですね。

そんな作品が書ければ応募できる賞も多く、読んでいただくにも抵抗感がないかもしれないと思いました。わたしも、海外物ですが、ミステリーに熱中していた時期があるので、そんな読書の楽しみを持っている方々へ愚作を送るなど、野暮なことをしてしまったと思いました。

が、後の祭りというか、いや実は確信犯といおうか、歓迎されないとわかっていてお送りした次第でした

こちらに伝わってくる迷惑度で、一般読書人の反応がだいたいわかると思ったのです。

礼儀正しい方ばかりなので、露骨に伝わってくるわけではありませんが、何となくわかったところによれば、結構迷惑だったみたいで、申し訳ありませんでしたm(_ _)m

それでも、萬子媛に魅了されて周辺の人物に感情移入しながら読んでくださった方々があったことは望外の喜びでした。

そして、そうした方々のご感想は案外共通していて、背景が細々と描かれている中から萬子媛が浮かび上がってくるのだから削らなくていい――むしろ削ったら萬子媛が萬子媛でなくなる――というものでした。

それとは対照的に、歴史小説らしい作品を好む方々にとっては、余分な記述が多く、主人公の感情・考えの表出は少なくて、物語性に乏しいというものでした。

実は意外なことに、郷土史家のご感想を中立的なものだとすれば、こうした2つの対照的なご感想は現在のところ半々なのです。

肯定的なご感想は皆無かもしれないと覚悟していただけに、予想外でした。またシビアな反応を予想していた方々からは好反応が、もしかしたら肯定的なご感想をいただけるかもしれないと期待していた方々からはシビアなご感想をいただいて驚きました。

萬子媛の小説を「江戸初期五景」の五つの短編の一つとして改稿するか、長編に組み込むのかはまだ決めていません。残る四つの短編はエッセーにしてしまって、萬子媛の小説を改稿するための資料とする考えも浮上しています。

というのも、「江戸初期五景」の2番目の作品で二人の黒衣の宰相を主人公にしたいと考えていたのですが、萬子媛に感じたような魅力を彼らにも感じられるかどうかが微妙なところだからです。

萬子媛の小説の場合は、萬子媛その方に霊感的なシンパシーを感じるという思ってもみなかった出来事が執筆の動機となっていて、史料のコピーや研究資料を郷土史家が提供してくださるという幸運にも恵まれました。

そのことを考えると、改稿するにせよ長編化するにせよ、何としても萬子媛の小説は世に出すべきと思えます。落選を確認したら本格的に改稿して別の賞に応募し、作品を世に出す機会を可能な限り追求すべきとも思えます。

残念なことには該当する賞は少なく、現在応募中の賞もミステリーと時代物が中心であるようです。発表以前から応募作品を落選したものとして考えているのはそのためです(勿論、作品の公開は控えていますが)。

話が逸れましたが、2番目の作品は1番目の作品とは事情が違い、古文書に当たったり取材に歩いたりする余裕はないので、出版されている書籍を孫引き的に参考にさせていただくことになります。

それで、2番目の作品は研究論文的なものにはしたくてもできませんから、物語性の高い作品にせざるを得ません。主人公に魅力を感じなければ、わたしには書けそうにありませんが、今のところは先に述べたように微妙なのです。

ただ萬子媛の小説の改稿や長編化には、江戸初期五景のテーマとして考えていることを調べ、どのような形であれ作品化しておく必要があると感じています。

無知なわたし自身に、江戸初期がどんなものだったかをそのような形で教える必要があるからです。その過程を経なければ、萬子媛の小説を深化させることもできません。

どこかで賞がとれたら一番いいのですが、今はわたしには「江戸初期五景」の完成や長編化など、到底不可能な仕事に思えています。第一、老後が不安なのに、こんなことをしていいのかという思いが脳裏をよぎります。

執筆は案外体力を使うので、それをやめ、外で働けるような健康体になることを目指して摂生一途に努めるべきではないかと。

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