カテゴリー「シネマ」の91件の記事

2019年4月28日 (日)

ティム・バートン監督『ダンボ』

10連休に突入しましたね。如何お過ごしでしょうか。

娘が書店勤務から病院勤務に変わり、間に1日出勤日はありますが、大型連休を初体験中です。

連休中はほとんど予定がないようで、今日も幸せそうにのんびり。

流通業界に身を置いていたときは春夏冬に一度ずつ連休がとれるだけで、毎週土日の連休がある今とは別次元の慌しさでした。常に時間的余裕がないために常に疲れ、目は三角になり(?)、肌は荒れて、まるで奴隷労働だなと思ったものでした。

また、連休に入る前のひと月ほどが娘は怒濤の如く、前の職場のお別れ会、友人達や語学仲間との集まり、今の職場の歓送迎会などありました(お陰でわたしは夫と2人のお気楽な夕飯の日々でした)。

でも、本好きの娘は、奴隷のような扱われかたが嫌だっただけで、仕事は嫌ではなかったようです。

就職氷河期末期に属する娘の世代は、比較的、親も子も真面目で責任感があり、文化的関心も高いのに、社会的事情でいつまでも報われません。

政府よ、この世代を全員、正社員にしなさい。馬鹿世代の親子だけが受ける無意味な恩恵を、こちらに回せば済むことです。

例えば、子育てクーポン一つとっても、絵本を買うために支給された1万円のクーポンで絵本を買い込んだ馬鹿母は「メルカリで売ろう!」と、馬鹿父にいうそうですよ。書店員だった娘の目の前で。

他にも、子育て支援を受けている世代の親子が書店で惹き起こす、怒りと嘆きを誘うあれこれを聞かされましたっけ。書店での出来事一つとっても、こうなのですよ。

このような人間と不法移民が異常増殖していく、傾いた船、日本。

こんな日本であっても見捨てることなく、後陽成天皇の曾孫女であられた花山院萬子媛は今日も肉眼には見えないお姿で太陽のようにオーラを輝かせ、彼の世の有志の方々と共に此の世の人間を見守り、慰め、力づけるための高度で繊細なボランティアをなさっていることでしょう。

ところで、昨日は夫の休日に合わせて、家族でーー息子の帰省のないのが残念ーーティム・バートン監督の実写映画『ダンボ』を観に行きました。例によって、主目的はカルディでコーヒー豆を買うことでした。

ここ数年の映画鑑賞では、中国資本の影響を感じさせる不快、不吉な感じを受けることが多かったのですが、『ダンボ』は安心して鑑賞できました。なぜ、と思いググると、次のような記事がヒットしました。

中国資本のハリウッド買収を止めた「大きな力」の正体:サクラス→https://www.sakuras.tokyo/posts/3839550

なるほどね。

『ダンボ』はサーカスを舞台とし、家族愛とロマンスをテーマとしたアメリカ映画らしい作品でした。このような映画を見ると、ホッとします。この家族愛とは、親子という小さな単位のものからサーカス団、さらには、生きとし生けるもの……へと波及する性質のものです。

ただティム・バートン監督のものとしては、『チャーリーとチョコレート工場』『アリス・イン・ワンダーランド』と比べると、やや生彩を欠く印象でした。

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2019年2月22日 (金)

魔法というにはあまりにも自然で美しい、原作のメアリー・ポピンズ

1964年ウォルト・ディズニー・カンパニー製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ」、2018年ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ リターンズ」の原作であるメアリー・ポピンズのシリーズから邦訳された以下の本を図書館から借りたことは、過去記事で書いた。

  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2003・新装版)
  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2001・新版)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(篠崎書林、1983)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『メアリー・ポピンズとお隣さん』(篠崎書林、1989)
  • 森恵子『P.L.Travers』(現代英米児童文学評伝叢書8、KTC中央出版、2006)

一昨日から鍋にかまけていて、まだ読了できていない。『さくら通りのメアリー・ポピンズ』『メアリー・ポピンズとお隣さん』は83歳、89歳のときの上梓とあって、さすがに筆の衰えを感じさせられるところがあり、どちらもスケッチ風の作品となっている(年齢を考えれば、その筆力には感心させられる)。

子供のころ、最初のほうの保証人がどうのというくだりで「わあ面倒臭そうなお話……」と思い込んで読む気が失せた『風にのってきたメアリー・ポピンズ』を改めて読み、子供のころはつまらない箇所に躓いていたものだと呆れた。

還暦を過ぎた年齢になってちゃんと読んで、メアリーにすっかり魅了されてしまったのだった。『不思議の国のアリス』も同様に子供のころに躓いた作品だった。

2010年5月 6日 (木)
アメリカンな『アリス・イン・ワンダーランド』とルイス・キャロルの世界
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/05/post-141c.html

この記事を書いたころはまだ、ハリウッド映画は全然変ではなかったなあ。

『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は正真正銘の純文学作品であり、メアリーの心情が繊細に表現され、子供たちの描写は細やかで、まるで本当に生きているかのようだ。邦訳がすばらしい。

わたしはすっかり子供たちの一人になってしまって、メアリーの動作に釘付けになっていた。「ねるまえに一さじ」と書いた紙の貼ってある大きなびん。

子供たちと同様、わたしもそれを飲むのを一旦は拒絶した。

ところが、「マイケルは、息をとめて、目をつぶり、グッとのみました。おいしい味が、口じゅうにひろがりました、舌をまわして、あじわいました。そして、のみこむと、うれしそうに、にっこり笑いました」(トラヴァース,林訳,2003,p.22)という文章を読み、興奮してきた。

苦くはなく、ストロベリー・アイスの味がするようだ。マイケルはもっととせがむが、メアリーはきつい顔をしてジェインのぶんをついでいた。「それは、銀や緑や、黄色に光って、スプーンに流れこみました」(トラヴァース,林訳,2003,p.22)と文章は続き、ジェインはライム・ジュース・コーディアルだわ、という。ライム・ジュースのような味なのだろう。

ふたごのちびちゃんたち、赤ん坊のジョンとバーバラも飲ませて貰って、バーバラなんかは、まるでネコみたいに喉を鳴らして満足そうだ。わたしにも、ねえ、わたしにもちょうだい。メアリー・ポピンズ!

それからメアリー・ポピンズは、もう一さじついで、しずかにじぶんでのみました。『ラム・パンチ。』といって、舌をならして、びんのせんをしました」(トラヴァース,林訳,2003,p.24)

わたしは飲ませて貰えず、そのことが本気で残念に思われるほど、物語の世界に完全に入り込んでいた。不思議な飲み物の場面一つとっても、ひじょうに丹念に描かれている。

メアリーの恋人らしい画家兼マッチ売りのバードが描いた絵の中に、メアリーとバートが入っていく過程は、「メリー・ポピンズ リターンズ」の中でメアリーや子供たちが壺の絵の中に入っていくそれとは比較にならないくらい自然な成り行きでありながら、原作は映画にはない神秘性と詩情を湛えている。

その前の場面で、バートは絵が売れず、メアリーをお茶に誘えなかったと書かれていた。メアリーはバートにいった。「けっこうよ、バート。気にすることはないわ。お茶にいかないほうが、いいくらい。どっちかというと、おなかにもたれるから――ほんとよ」(トラヴァース,林訳,2003,p.25)

バートは、白い手袋をはめたメアリー・ポピンズの手をとると、かたく、にぎりしめました。そしてふたりは、ならんで、かきならべた絵の列にそって歩きだしました」(トラヴァース,林訳,2003,p.35)

絵の描写も細やかだ。その絵を見たメアリーはいう。「『まあ、バート。すばらしいじゃないの!』そして、そのいいかたは、その絵が、ほんとなら王立美術館にかざるのがあたりまえなのに、というようにきこえました」(トラヴァース,林訳,2003,p.35)

メアリーがバートの絵に心酔していればこそ、バートの誘いにのったメアリーは彼と絵の世界に入ることができたのだろう。それは、魔法というにはあまりにも自然で、美しい。

<ここから引用>
そこは、なんてあおあおとしていて、なんてしずかなのでしょう! そして、足もとの芝生は、なんとまたやわらかで、こまやかなことでしょう! ふたりは、とても、ほんとうだとは思えませんでした。しかし、緑の枝は、下をくぐろうとすれば、帽子にあたって、さわさわ音をたてましたし、歩いてゆくくつのまわりには、いろいろの小さな花が、まつわりつくようでした。ふたりは、おどろいて顔を見あわせました。
<ここまで引用>
(トラヴァース,林訳,2003,pp.36-37)

恋人たちはそこで、現実の世界では叶わなかったお茶の時間を楽しむ。

原作は映画と比較すれば本当に自然な感じで、バンクス夫妻は長短併せ持つ普通の人々だ。バンクス夫人は映画とは違って、リベラルな社会活動などしていず、家にいる。

普通の人々が脇を固めているからこそ、闖入者達の風変りっぷりが際立つのだ。

神智学の影響は作品全体から感じられた。特にそのように思えた箇所を引用しておきたいが、それはまとめの段階で。これから、『帰ってきたメアリー・ポピンズ』を読む。

ところで、鍋にかまけていたと先述した。これは次の記事で。

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2019年2月18日 (月)

神智学の影響を受けたメアリー・ポピンズの生みの親、パメラ・リンドン・トラヴァース

このところの一連の記事を神秘主義エッセーブログにまとめ、萬子媛の小説ノートをアップしてようと思っていたところ、またしても新たな課題が出現した。

また小説に入るのが延びるが、これは嬉しい課題で、大雑把にでもまとめておきたい。

神智学の影響を受けたパメラ・リンドン・トラヴァース(Pamela Lyndon Travers、P.L.Travers、1899年8月9日 - 1996年4月23日)とその作品について、である。

実は昨日、2018年ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ リターンズ」を娘と観た。夫は「アクアマン」を観た。面白かったそうだ。

わたしも還暦を過ぎ、「シニア割引」を利用できるようになったため、一人で映画を安く観ることができるようになった。これまでは「夫婦50割引」を利用していて、夫の好みに合わせていた。

「アクアマン」も観たい気がしたが、児童文学作品の映画化となると、どう映画化されたのか気にかかり、その関心から観たいと思うことが多い。

前作、1964年ウォルト・ディズニー・カンパニー製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ」(原題: Mary Poppins)は、テレビで視聴した記憶がある程度だった。ジュリー・アンドリュースが大好きなので、「チム・チム・チェリー」「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」「2ペンスを鳩に」「お砂糖ひとさじで」など、劇中の名曲を集めたLPレコードを持っていた。

で、昨日観た「メリー・ポピンズ リターンズ」だが、前半は夢見心地にさせてくれる美しい映像に加えて、メリー役の綺麗なエミリー・ブラントが頑張っているところ、子供たちの可愛らしさが好ましく、楽しめたが、後半になると原作にも前作にもない、説教臭さやストーリーのあざとさが見えてきて、警戒心が出てきてしまった。

前作の記憶が曖昧だったので、はっきりとしたことはいえないながら、こんなに赤い――リベラルっぽい――印象の映画だったかなと疑問が湧いたのだった。

「くるみ割り人形と秘密の王国」もそうだったが、最近のハリウッド映画は、底抜けに楽しませてくれない。

90 映画「くるみ割り人形と秘密の王国」とホフマンの原作
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/12/15/005345

前作の舞台は1910年のロンドン。

続編リターンズの舞台は、25年後のロンドン。

その時代はガス灯、大恐慌時代のロンドンで、ガス灯掃除人の白人たちが貧困暮らしを強いられている風だ。長女ジェーンは前作の母親がそうであったように社会活動をしている。母親が女性参政権運動をしていたのに対して、ジェーンは労働者の支援活動をしている。弟マイケルは妻を亡くし、経済的窮地に陥っていた。

ところが、その1935年のロンドンでは――ありえなかったことだが――黒人が弁護士を勤めていたり、銀行の案内係を勤めていたりと見事に社会進出を果たしている。一方、白人間では、依然として、ひどい格差があるようだ。

キング牧師の名で知られるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr. 1929 - 1968)がアフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活動し、アメリカ各地で公民権運動が盛り上がる中、“I Have a Dream”(私には夢がある)を含む演説を行ったのは1963年のことだった。

インド独立の父マハトマ・ガンディーに啓蒙されたキング牧師は、徹底した「非暴力主義」を貫いたことで、有名である。ガンディーは過去記事でも書いたように神智学協会の影響を受けている。

ガス灯の時代に黒人の社会進出が実現しているかのような、ちぐはぐな描きかたになったのは、イデオロギーを感じさせない原作の映画の続編にイデオロギーを捻じ込んだためだろうか。

そうではなく、たぶん、リターンズで描かれた社会は1935年のロンドンではなく、現代のロンドンあるいはアメリカなのだ。

原作のメアリー・ポピンズも、映画の前作メリー・ポピンズも、時の政治体制外にいるニュートラルな存在で、そのポピンズから見れば、ブルジョアであるバンクス夫妻の子供たちは貧困者だったのだ。

よい家に住み、よい服を着、御馳走を食べなれている子供たちは、ある意味で、懐の寒い庶民の子供たちと同じくらいか、それ以上に貧しかったのである。鳩にあげる餌の代金2ペンスさえ自由にならなかったのだから。厳格なうえにケチな父親のせいで。

社会活動に忙しい母親のせいで、愛情にも飢えていた。メリーに映るバンクス家の子供たちはある意味で貧しい、愛情に飢えた子供たちだったのだ。

バンクス氏は首を宣告されたときになって、メアリー・ポピンズの魔法の言葉を思い出して愉快になったことで金銭欲から解放される。それを見届けるのを待っていたように、前作のメアリーは去っていった。

子供達がバンクス氏に差し出した小遣いが、続編のリターンズでは、何と投資としての効果を生み、いつしか莫大な儲けとなって、マイケルの窮地を救い、一家は家を手放さずに済む。

そして、この続編のメリーはブルジョアジーの味方である。家族を抱えているに違いない大勢のガス灯掃除人(自転車アクロバット野郎)をビックベンにロック・クライミングさせて平気だ。

どんな義理があって、大勢の貧しいガス灯掃除人達はバンクス家のために命を賭けてロック・クライミングしなければならなかったのだろう? 労働者の団結を謳い、支配者に隷属させる構図が透けて見える。

皆が公園で風船遊び(?)に興じた4年後の1939年に、現実の世界では大戦の火蓋が切られた。

原作、前作に比べて、メリーの魔法は人々に気晴らしをもたらすだけのただの余興となっていた。

続編リターンズからはグローバリズムの肯定、共産主義礼賛が嫌でも見てとれ、ハリウッドはかつてソ連共産主義者で赤かったが今は中国共産党の影響で赤いという以下の動画における河添恵子さんの指摘が正しいことを感じさせられた。穿った見方だろうか。

【Front Japan 桜】ハリウッドの反トランプは親中国共産党!? / 「蛍の光」とセンタ ー試験問題 / 北方領土問題、何かが動く?[桜H31/1/23]
https://www.nicovideo.jp/watch/1548227222

映画の原作となったトラヴァースの本を図書館から借りた。児童図書を借りるのは、子供が本を借りようとするのを邪魔するようで悪い気がするが、幸い同じ本が何冊もあって、新しい本以外は眠っていることがわかった。映画の影響か、新しい『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は貸出中。

眠っている何冊かの本の中から一冊借りた。新品のように綺麗だ。大人たちが昔ほどには純文系の児童図書を子供に読ませなくなっているのだろうか。書店員だった娘は、そんな風にいっていた(現在は転職して病院勤め)。

「メアリー・ポピンズ」シリーズは全10巻である。

  • 1934年(35歳)第1巻『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins)
  • 1935年(36歳)第2巻『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Comes Back)
  • 1943年(44歳)第3巻『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Opens the Door)
  • 1952年(53歳)第4巻『公園のメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in the Park)
  • 1962年(63歳)第5巻『メアリー・ポピンズ AからZ』(Mary Poppins from A to Z)
  • 1968年(69歳)第6巻『メアリー・ポピンズ AからZ ラテン語編』
  • 1969年(70歳)第7巻『メアリー・ポピンズのぬり絵絵本』(Mary Poppins Story for Coloring)
  • 1975年(76歳)第8巻『メアリー・ポピンズのお料理教室―おはなしつき料理の本』(Mary Poppins in the Kitchen: A Cookery Book with a Story)
  • 1982年(83歳)第9巻『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in Cherry Tree Lane)
  • 1988年(89歳)第10巻『メアリー・ポピンズとお隣さん』(Mary Poppins and the House Next Door)

借りた本は以下。

  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2003・新装版)
  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2001・新版)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(篠崎書林、1983)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『メアリー・ポピンズとお隣さん』(篠崎書林、1989)
  • 森恵子『P.L.Travers』(現代英米児童文学評伝叢書8、KTC中央出版、2006)

まだこれから読むところなので、どの程度の加筆になるかはわからない。神秘主義エッセーブログにアップする予定。

トラヴァースと神智学の関係は、森恵子氏の評伝『P.L.Travers』に出てくる(20~21頁参照)。

1933年、トラヴァースはアイルランドの文芸復興運動の指導者の一人で詩人であったAE(ジョージ・ラッセル George William Russell, 1867 - 1935)に頼み、AEの友人で『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』の編集者アルフレッド・リチャード・オイレジ(Alfred Richard Orage,1973 - 1934)に紹介して貰う。

トラヴァースはオイレジに才能をみこまれ、『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』に詩を寄稿、ほどなく同誌の劇評家となった。オイレジはマダム・ヘレナ・ブラヴァツキ(Helena P.Blavatsky、1831 – 1891)の神知学派の流れをくむジョージ・イワノヴィッチ・グルジェフ(George Ivanovich Gurdjieff,1866 - 1949)の布教活動をしていた。

トラヴァースはオイレジを通じグルジェフに出会った。トラヴァ―スにとって、AEは文学的な父、グルジェフは精神的な父であった。

<ここから引用>
当時、マダム・ブラヴァツキの神知学協会は、AEやイェイツにも大きな影響を与えていた。AEから聞いた神知学にはじめは疑問をいだいていたトラヴァースだったが、オイレジの話を聞き積極的な信奉者に変わった。彼女が実際にグルジェフに会うのは1936年である。
 神知学には、ゾロアスター教やヒンズー教、グノーシス主義などが混同している。人間は肉体に閉じこめられ本来の自己(霊性)を忘却し深い眠りのなかに落ちこんでいる。眠りをさまし本来的自己に目覚め、それが神性と同じであることを認識し救済にいたるという思想である。目覚めるためには超人的な努力が必要である。グルジェフの提唱する「仕事」を通じ、知性と感情と肉体の三つをつなぎバランスをとることで、それが可能となる。ところでトラヴァースによれば、妖精物語は人間の真の姿を見せてくれるものであり、それは子ども時代以降は眠りに落ちている。自分が何者であるかを認識するために、人間は妖精物語を眠りから呼び覚まさなければならない。トラヴァースは眠っている妖精物語と本来的自己は同じものと考え、ここで彼女のなかで妖精物語と神知学は結びつくのである。

<ここまで引用>
(森,2006,pp.20-21)

わたしはグルジェフは未読である。神智学の説明とトラヴァースの考えには若干違和感があるが、トラヴァースが神智学の影響を受けていたとは知らなかった。

グルジェフといえば、ニュージーランド出身の作家キャサリン・マンスフィールド(Katherine Mansfield, 1888 - 1923)も、グルジェフの影響を受けていたのではなかったか。マンスフィールドは、ヴァージニア・ウルフがライバル視した短編小説の名手であった。

「メリー・ポピンズ リターンズ」の描きかたに疑問を抱かなければ、トラヴァースについて特に調べることもなく、神智学の影響についても知らないままだっただろう。

それにしても、神智学協会の影響による文化的業績が片っ端から赤く染められていっているようで、嫌な感じがする。

このところ児童文学作品に触れる時間がなく、飢えていた。萬子媛の小説が遅れるけれど、しばしトラヴァースの作品に純粋に浸ってみたい。

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2018年4月10日 (火)

小泉八雲原作、小林正樹監督作品「怪談」。原田伊織『明治維新という過ち』。

録画していた邦画を、夫が見始めました。『怪談』というタイトルでした。

オカルト映画は嫌いですし、映画を観るのは疲れるので、一緒に見るつもりはありませんでした。ところが、別のことをしながら何気なく見ると、まるで舞台劇のような、セットにこだわりを感じさせる映画で、どこか能楽を意識したような芸術的な感じがしたので、興味が湧き、一緒に見始めました。

「古い映画みたいだけれど、いつの?」と尋ねると、「昭和40年だよ」と夫。その時点では、小泉八雲の短編集から4編を選んでオムニバス形式で映画化したものだとは知りませんでした。

三國連太郎、仲代達矢、志村喬、丹波哲郎といった男優が若い姿で登場しました。女優陣も豪華で、新珠三千代、岸恵子、奈良岡朋子、杉村春子など。

「皆若くて新鮮な気がするけれど、年齢を重ねてからのほうが魅力的に見えない? 若いころは何だか皆、のっぺりしてるように見えるんだけれど」というと、夫も「そうだねー!」と同意。勿論、役柄もあるのだろうけれど、皆さんよい年齢の重ね方をなさったことが窺えます。

わたしは、3時間の映画が長いとは感じなかったほど、『怪談』の映像に惹きつけられました。夫はわたしほどには感激しなかったようでしたが、最後まで観ていました。

『怪談』(東宝、1965)
監督・小林正樹
原作・小泉八雲『怪談』中、「黒髪」「雪女」「耳無芳一の話」「茶碗の中」。
カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞作品

第一話「黒髪」
武士(三國連太郎)
妻(新珠三千代)

第二話「雪女」
木こり・巳之吉(仲代達矢)
雪女(岸恵子)

第三話「耳無芳一の話」
盲目の琵琶法師・芳一(中村嘉葎雄)
住職(志村喬)
甲冑の武士(丹波哲郎)

第四話「茶碗の中」
関内(中村翫右衛門)
関内の妹(奈良岡朋子)
作者(滝沢修)
おかみさん(杉村春子)

特に第三話「耳無芳一の話」は耽美調な映像で、気に入りました。微動だにせず、端然と座している平家の幽霊たち。

鈍色、青、燃え上がるようなオレンジ、赤といった色彩の変化の中から浮かび上がる壇ノ浦の合戦の様子。中村正義「源平海戦絵巻」が挟まれています。琵琶の音があれほど豊かで、迫力があるとは。

「インドとか東南アジアの楽器を連想させるわね」というと、「うん、そっちから来たんじゃない?」と夫。

第一話「黒髪」が一番オカルト映画っぽく、夫に捨てられて実はとうの昔に死んでいた前妻の髪の毛が生きもののように動き出す最後のほうは怖くなって両手で顔を覆ってしまったので、全部観た気がしませんでした。

第二話「雪女」は雪女が歩いたり走ったりしすぎる気がしましたが、雪女と知らずに恋して暮らし、子をなす、その暮らしが美しく、最後は怖いというより悲痛で、美しく仕上がっていると思いました。雪女役が若かりし頃の岸恵子だと気づいたのはわたしでしたが、なかなかわかりませんでした。

第四話「茶碗の中」だけカラーが違っていました。明治時代の出だしから話は江戸時代に遡り、武家屋敷の中が素敵でした。これくらい、素敵なはずですよね。

大河ドラマで『西郷どん』が放送されています。鈴木亮平が好きなので、久しぶりに観ようと思ったのですが、つまなくて、すぐに挫折しました。最近の大河ドラマも朝ドラも昔の日本人はいつも顔が薄汚れていたように描かれる―――それだけで、もう見る気がしません。

その代わりに、娘が購入した磯田道史『素顔の西郷隆盛(新潮新書)』(新潮社、2018)、原田伊織『明治維新という過ち(講談社文庫)』(講談社、2017)を読みました。

明治維新に肯定的な前者と否定的な後者で、2冊は対照的です。テレビで観る磯田氏のお話は面白くて、いつも楽しませて貰っていますが、話がつながらないので、途中が抜け落ちているのではと思うことがありました。著作にも結構それがある気がします。

原田氏の著作を読み、もしこのようなことであったとすると、廃仏毀釈という出来事もなるほどと思えましたが、衝撃的な内容です。まだ判断できません。他にも出ているようなので、何冊か読んでみたいと思っています。感想は、そのうちに。

話が戻りますけれど、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「雪女」「耳無芳一の話」は青空文庫にあります。小泉八雲の小説は文章が綺麗ですね。

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2017年9月 2日 (土)

『風と共に去りぬ』のアメリカにおける上映禁止について

映画『風と共に去りぬ』に関する以下のニュースがTwitterで話題になっている。

irr @IrrTenko ・ 8月28日
米テネシー州の劇場で、内容が「無神経」「レイシスト」などの批判のコメントを多く受け取ったとして、34年間続いた映画『風と共に去りぬ』の上演が終わる。同映画はユダヤ系プロデューサーが当時、黒人に対する差別表現を避けて作ったといわれる。

Tennessee Theater Cancels ‘Gone With the Wind’ Screening After 34 Years Over ‘Racist’ Content Complaints
http://www.breitbart.com/big-hollywood/2017/08/26/tennessee-theater-cancels-gone-with-the-wind-screening-after-34-years-over-racist-content-complaints/

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YouTubeに公開されていた予告編を貼りつけさせていただく。

動画のタイトル:『風と共に去りぬ』予告編』(※2009年初ブルーレイ化時)
動画のURL:https://youtu.be/lWcdyySRZck

風と共に去りぬ(Gone With the Wind)

監督 ビクター・フレミング
脚色 シドニー・ハワード
原作 マーガレット・ミッチェル
製作 デビッド・O・セルズニック
撮影 アーネスト・ホーラー
音楽 マックス・スタイナー
出演者 スカーレット=ヴィヴィアン・リー、レット・バトラー=クラーク・ゲーブル、メラニー= オリビア・デ・ハビランド、アシュレー・ウィルクス=レスリー・ハワード、マミー=ハティ・マクダニエル
制作会社 セルズニック・インターナショナル
配給 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
公開 1939年(アメリカ)、1952年(日本)
上映時間 222分
製作国 アメリカ合衆国
言語 英語
制作費 $3,900,000、

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『風と共に去りぬ』(1939年)。相手役のレット・バトラーはクラーク・ゲーブルが演じた。
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ハリウッド映画史に残る不朽の名作といわれる『風と共に去りぬ』は南北戦争を背景に一人の女性の生きる姿が繊細、巧みに描かれた壮大な映像芸術作品なのだが、テネシー州の劇場が上映禁止に追い込まれたというニュースに衝撃を覚えた。

しかし、調べてみると、これは初めてのケースではないようで、今やアメリカでは『風と共に去りぬ』を上映するのは大変なようである。

アメリカでの公開は1939年。この年の9月には第二次大戦が勃発している。第二次大戦前にこのような映画が制作されたことは驚くべきことで、歴史的な価値がある映画であることに間違いない。

テネシー州の劇場での上映は無神経、差別主義者という非難を浴びたようだが、そうした非難は誰が誰に、何に対して投げかけた言葉なのだろう?

70年以上経って「今更……」と思わぬでもなかった。人種差別は依然として存在しており、改善されなければならない部分なのだろうが、数の力にものをいわせた『風と共に去りぬ』潰しにも想像され、詳細な経緯を知りたくなる。

黒人の奴隷化を肯定することが目的で制作された作品でないことは映画を観ればわかるはずのことなのだから、黒人が奴隷扱いされた歴史的事実を考慮した上で、上映禁止に関しては慎重に検討されるべきではないかと思うが、甘い考えなのだろうか。

『風と共に去りぬ』は南北戦争という大事件に呑み込まれていく人間模様を南部の視点で描きながら、その中でもがきつつ大倫のロマンスの花を咲かせようとするヒロインの精神的な成長を扱った大河小説である。

原作の終章で、ようやく自分にとってレットがかけがえのない存在であるに気づいたスカーレットであるが、レットは去り、絶望感の中でスカーレットは遂に悟るのである。

彼女は、愛するふたりの男を、ふたりながら、ついに理解していなかったのだ。そして、そのために、ふたりながら失ったのである。もしアシュレを理解していたら、彼を愛するようなことにはならなかっただろうし、もしレットを理解していたら、彼を失うことはなかったであろう。そのことがおぼろげながらわかったのである。いったい自分は、だれにしろ、人をほんとうに理解したことがあったのだろうかと思うと、さびしい気持ちになった。(マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬⅡ』大久保康雄・竹内道之助訳、集英社、昭和44年、688頁)

『風と共に去りぬ』に登場するマミーと呼ばれる黒人の侍女役をハティ・マクダニエルが演じて、アカデミー助演女優賞を受賞している。

マミーは主人公スカーレットの母エレンの部屋付きの侍女で、エレンと共にタラに来た忠実な奴隷である。スカーレットの教育係でもあったマミーはスカーレットにとってタラと一体化した何か大きな存在として描かれている。

生まれたときからスカーレットの側に侍女としてマミーがいるのは、スカーレットの咎ではない。原風景の中に黒人奴隷がいるのはスカーレットにとっては自然なことであり、それがそのまま描かれている。

文学作品は風俗史の役割を果たすものでもあるが、南部では黒人奴隷が農場の担い手であったという歴史的事実がある。

南北戦争後の荒廃したタラの大地を耕して作った綿花畑の中で、きつい監督者のまなざしをしたスカーレットが妹たちを叱咤しながら、手籠に綿を次々に摘み取っていく場面が思い出される。スカーレットは黒人奴隷と同じ労働を体験するのである。

レットに去られたスカーレットは、絶望の中でタラに帰ろうと思う。ヒロイン以外の人間で、『風と共に去りぬ』の最後に顔を出すのはマミーである。

それに、あそこにはマミーがいる。きゅうに彼女は、マミーが、子どものときのように、むしょうに恋しくなった。頭をもたせかけてくれる広い胸や、髪をなでてくれる節くれだった黒い手が恋しくなった。マミーこそは、自分となつかしい昔をつなぐ最後の輪なのだ。
 たとえ敗北に直面しようとも、敗北を認めようとしない祖先の血を受けた彼女は、きっと顔をあげた。レットをとりもどすことができる。かならずできる。いったん、これと心をきめたら、自分のものにできない男なんて、いままでにも、けっしてなかったではないか。
(みんな、明日、タラで考えることにしよう。そしてら、なんとか耐えられるだろう。明日、あのひとをとりもどす方法を考えることにしよう。明日はまた明日の陽が照るのだ)
(ミッチェル,大久保・竹内訳,昭和44,pp.689-690)

こうして大河小説『風と共に去りぬ』は終わるのだが、映画は原作を損なうことなく、印象的な場面を数々残して幕を閉じる。

わたしが調べたところでは、前掲の上映禁止の動きには民主党ヒラリーのポリコレリベラル団体が絡んでいるらしい。

ヒラリー・クリントンがドナルド・トランプに大統領選で敗れてから、アメリカでデモや暴動が相次いでいる様子からすると、民主党のリベラル勢力が『風と共に去りぬ』をトランプ政権潰しのアイテムの一つと見なして利用していることも考えられる。

ポリコレというのが何なのかわからなかったので、ウィキペディアを閲覧すると次のように解説されていた。

ウィキペディア「ポリティカル・コレクトネス」

ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、日本語で政治的に正しい言葉遣いとも呼ばれる、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・障害者・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。

1980年代に多民族国家アメリカ合衆国で始まった、「用語における差別・偏見を取り除くために、政治的な観点から見て正しい用語を使う」という意味で使われる言い回しである。「偏った用語を追放し、中立的な表現を使用しよう」という活動だけでなく、差別是正に関する活動全体を指すこともある。

ウィキペディアの執筆者. “ポリティカル・コレクトネス”. ウィキペディア日本語版. 2017-08-24. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8D%E3%82%B9&oldid=65237460, (参照 2017-08-24).

これが行き過ぎた場合、あるいは別の目的のためのアイテムとして使われた場合は、それに対する反発が起きてくるのは当然のことで、梓弓さんというかたの解説にはなるほどと思わせられたので、引用しておきたい。

クリントン敗北の要因の一つはポリコレによる言葉狩り"在米駐在の中小企業サラリーマン、梓弓さんがアメリカの実情を解説。
https://togetter.com/li/1046979

梓弓 @Ma_R8
2016-11-10 06:26:02
今回のクリントン敗北の要因の一つはポリティカル・コレクトネスによる言葉狩りが典型で、普段「和解」とか「融和」と言いながら、リベラル側が決めた枠にハマらない人達に対する言論封殺やヘイトスピーチ全開のリベラル達の非寛容さの偽善に多くの米国民が拒否反応を示したからだと思う。

梓弓 @Ma_R8
2016-11-10 06:30:52
「今年の会社のクリスマスカードはハッピーホリデイズじゃなくてメリークリスマスにするぞ!」と同僚。キリスト教徒以外にメリークリスマスと言えと強制したら問題だが、キリスト教徒が会社ではメリークリスマスのクリスマスカードが使えない窮屈さから解放されそうな同僚は晴れ晴れとした気分だった。

これは日本の左派にもいえることで、左派による言論封殺、自分達には甘くてヘイトスピーチやり放題、不寛容、偽善には多くの日本人に拒否反応が出始めているところなのではないだろうか。

わたしは改めて、映画の原作であるマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』とアン・エドワーズによって書かれたミッチェルの伝記『タラへの道 マーガレット・ミッチェルの生涯』を本棚の奥から引っ張り出して再読したわけだが、今回の再読で初めて気づいた、面白い――というと語弊があろうが――事実に気づいた。

南北戦争当時、南部は民主党の地盤だったということに。ウィキペディアで確認をとってみた。引用する。

ウィキペディア「アメリカ合衆国民主党の歴史」

奴隷制をめぐる対立が激化し、反奴隷制を掲げて共和党が結党された後、1860年から1932年にかけては共和党優位の時代となった。特に南北戦争前後の民主党は弱体化し、一時期は南部の地域政党の様相を呈した。
………………………
南北戦争が終結し、レコンストラクション(再建)の時代に入ると、旧連合国諸州の合衆国復帰や、奴隷制廃止後の諸問題の解決をめぐり、共和党内部にリンカーン等穏健派と急進派の分裂が生じた。共和党急進派は1866年アメリカ合衆国下院選挙で議会の3分の2を占める勝利を挙げて、国内問題を処理するための権力を手に入れ、南部を軍事的に占領して黒人に投票権を与える等の急進的政策を実行した。民主党議員は共和党急進派の再建政策に全力で反対したが、無駄であった。

ウィキペディアの執筆者. “アメリカ合衆国民主党の歴史”. ウィキペディア日本語版. 2017-03-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&oldid=63317093, (参照 2017-03-11).

民主党と共和党の地盤が入れ替わるのは、リチャード・ニクソン大統領のときであるようだ。

『風と共に去りぬ』には、クー・クラックス・クランも出てくる。

「もちろん、ケネディさんも、クラン団にはいっていらっしやるのよ。それからアシュレもね。あたしたちの知ってる男たちは、みんなはいっていますよ」とインディアが叫んだ。(ミッチェル,大久保・竹内訳,昭和44,p.375)

クー・クラックス・クランは白人至上主義団体である。ヴィキペディア「クー・クラックス・クラン」には「民主党最右翼の人種差別過激派として保守的な白人の支持を集め始めていく」と書かれている(ウィキペディアの執筆者. “クー・クラックス・クラン”. ウィキペディア日本語版. 2017-08-25. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3&oldid=65246229, (参照 2017-08-25). )。

民主党ヒラリーのポリコレリベラル団体は自分たちの黒歴史を消し去りたいのだろうか。

共和党は戦争屋というイメージが形成されているが、実際には民主党こそ戦争屋の名にふさわしい。第一次世界大戦、シベリア出兵、第二次世界大戦、朝鮮戦争、キューバ侵攻、ベトナム戦争、イラク空爆、ボスニア・ヘルツェゴビナ空爆、スーダン空爆、アフガニスタン空爆、コソボ空爆は民主党政権下で始まっている。

それに対して、共和党政権下で始まったのは米西戦争、アメリカ-フィリピン戦争、コロンビア・パナマ介入、ニカラグア派兵、キューバ派兵、カンボジア侵攻、ラオス侵攻、グレナダ侵攻、リビア空爆、パナマ侵攻、湾岸戦争、イラク空爆である。

話を戻すと、ミッチェルがクー・クラックス・クランを登場させたのは、小説がメロドラマ調に流れないよう、面白くするための試みだったと前掲の伝記に書かれている。

そういえば、ミッチェルの母メイベルはフェミニストだった。「アトランタの戦闘的な婦人参政権推進グループのリーダーの一人だった」(アン・エドワーズ『タラへの道 マーガレット・ミッチェルの生涯』大久保康雄訳、文藝春秋、1986、30頁)。『風と共に去りぬⅡ』巻末の年表によると、メーベルの父は南北戦争当時ジャクスン将軍の兵站総監本部大尉だった。

自由奔放なスカーレットを主人公とする『風と共に去りぬ』は、フェミニズム的色彩を帯びているということもできそうだ。

一方ではスカーレットには日本風にいえば大和撫子的とでもいいたくなるような従順で忍耐強い面があり、一途に片恋するアシュレーから妻メラニーの面倒を見るように頼まれると、神妙にそれに従う。

恋敵であった憎きメラニーの出産がアトランタの陥落間近になって始まるのだが、スカーレットは彼女を見捨てることなく、医師が来てくれないなかで自分の出産時の記憶だけを頼りに産婆役まで――仕方なく――勤めて見事に赤ん坊の産声をあげさせ、その後、北軍によって炎上したアトランタから万難を排してメラニーを連れ出そうとする。

その救出劇に一役買うことになったのが、レット・バトラー。これを書きながら、自分が若いころ、レット・バトラー役を勤めたクラーク・ゲーブルにぞっこんだったことを思い出した。

でも、このレット・バトラー役ほど素敵だったクラーク・ゲーブルは見つけられなかったので、レット・バトラーに恋していたのかもしれない。

一癖も二癖もある人物だけれど、本当に困ったときにはどこからともなく現れて助けてくれる――しかも、必要以上は決して助けず、時には「お題」を出すこともある――レットはまるで白馬の王子様のようだ。

前掲の伝記によると、「生き抜くこと[サヴァイバル]がミッチェルの小説のメインテーマであった。それは彼女の言葉でいえば、「進取の気性」。第二のテーマは大地の魅力だった。

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2016年11月12日 (土)

7日の外出時から今日まで、少し不調。

映画に出かけたときから、腹部膨満感、じわっとくる軽い胸痛といった、心臓がくたびれたときによく起きる症状が出ている。

おなかパンパン、体が腫れぼったく、尿が出にくい、止まりにくい咳、といつもの症状が出揃った。今日は静かにしていたせいか、回復傾向。

強い胸痛や圧迫感は出ていないので、ニトロを使わずに様子を見ている。携帯心電計を当ててみた。

K_20161112405

今日の午前4時05分。目が覚め、腹部膨満感のため何となく苦しくて眠れないので、パソコンをしていた。冠攣縮性狭心症の発作は出ていなかったが、前触れ的な感じあり。結果メッセージは「拍動が一定ではありません。波形に乱れがあるようです」。

I_20161112535

そのあとの5時35分。発作の前触れ的症状はこちらの方がはっきりしており、腹部膨満感も続いていた。結果メッセージは「心拍が遅めで、拍動が一定ではありません。波形に乱れがあるようです」。

K_201611121529

これは午後3時29分。その後も幸いニトロを使うほどの症状は出ず、このときの結果メッセージには「拍動が一定ではありません。波形に乱れがあるようです」とは表示されているが、体調はよくなっていた。

でもまだ警戒が必要。40日に1回くらいの割合で、5日から10日ほどの不調期がやってくる。前回の不調期から6日までは体調がよかったので、このままいけるかと思っていたのだけれど。

大抵、外出後に体調が崩れるが、外出しても崩れないこともあるので、不調の波がやってくるころに外出すると、覿面といった感じで形で出るのだろう。

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映画『インフェルノ』

7日に家族で商業施設へ出かけ、映画を観た。

トム・ハンクス主演のシリーズ第3弾『インフェルノ』。イタリアのフィレンツェ、ヴェネツィア、トルコのイスタンブールが舞台となっていた。

人口増加を解決するために人類の半分を滅ぼすウィルスをつくった狂信的化学者ゾブリスト。映画の冒頭で死亡した彼の計画を実行しようとする一味から世界を守ろうとする、ハーヴァード大学教授ロバート・ラングトン。

『ダ・ヴィンチ・コード』のような歴史ミステリー的要素や、イルミナティの出てくる『天使と悪魔』(この映画、今観たら違った感想を抱くかもしれない)のようなオカルティックな要素はなく、ダンテの『神曲』(わたしはこれつまらなかった)に謎を絡めたりしているが、ミステリーアクション映画という感じで、それはそれで楽しめた。

ロマンス(老人同志のほのかな恋、というところが今回は異色ではあった)、家族の温かな思い出といったまとめかたが如何にもアメリカ映画的で、単純で、わたしはだからアメリカ映画が好きだ。

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2016年9月 5日 (月)

トルストイ『戦争と平和』 ①映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面

文豪トルストイの代表作をオードリー・ヘプバーン主演で映画化した『戦争と平和』(1956年、アメリカ・イタリア)」がNHKのBSプレミアムで9月1日に放送された。

録画しておいたのを3日に分けて観た。普段テレビは15分からせいぜい長く観ても1時間なので、3時間30分を一気に見るのは無理だと思った。

過去にも放送されているが、断片的にしか見ていない。

  • NHK……1970年1月3日・4日、ノーカット版
  • フジテレビ……1972年5月19日・26日、ゴールデン洋画劇場
  • テレビ朝日……1980年12月14日・21日、日曜洋画劇場

今回は隅々まで楽しめた。ただ、オードリー・ヘプバーンのナターシャ、ヘンリー・フォンダのピエールにメル・ファーラーのアンドレイが加わると、このメル・ファーラーがわたしには『風と共に去りぬ』(1939、アメリカ)に登場するレスリー・ハワードのアシュレーに見えてしまい(そっくり!)、セットも似ている気がして、ちょっぴり『風と共に去りぬ』の劣化版に見えてしまった。

『風と共に去りぬ』のセットがもったいないので、『戦争と平和』に使い回したのだろうかとさえ思ってしまったのだが、1939年ごろのセットを17年後の映画に使うのは無理がありそう。

1939年というと、昭和14年。第二次世界大戦が勃発した年ではないか。そんな昔、そんな御時世にあの豪華な映画『風と共に去りぬ』が制作されたとは……!

3回に分けて観たせいか、ヘプバーンの『戦争と平和』が長いとは全然感じられなかった。如何にもハリウッド版らしい編集で、ロシアの対ナポレオン戦争をほどよく背景としながら恋愛物にまとめていた。

途中、新潮社版『戦争と平和』(これ、夫の蔵書。わたしのは文庫だが、夫の単行本を愛読している。夫はコレクションしただけなので、綺麗)と岩崎書店のジュニア版『戦争と平和』を書棚から引っ張り出して紐解いたりした。

ジュニア版が映画のストーリーを追いながら原作をざっとなぞるにはちょうどよくて、プログラム代わりになった。

視聴後、ソ連の国家的威信をかけて制作されたという『戦争と平和』(1965-67年、ソ連)はどうだったかが気になった。7時間30分という気の遠くなるような長さ。

こちらも、テレビで放映されたものを観た記憶があった。テレビ初放映は1974年、日曜洋画劇場で4回に分けて放送されている。その後NHKのBSプレミアムで2012年1月30日から同年2月1日まで放送された。

「最近」ソ連版を見た気がしていたのは、2012年に放映された『戦争と平和』を断片的に観ていたからに違いない。

こちらは壮大で、音楽も素晴らしいが、日本的(?)なリュドミラ・サベーリエワのナターシャは可憐でいいとしても(わたしの好みはヘプバーン)、セルゲイ・ボンダルチュクのオヤジ風ピエールにはちょっと我慢できなかった。

また、時代に忠実な映画化であるためか、夜の場面になると薄暗くて(舞踏会の場面もそうなのだ)、幻想的で美しいとはいえ、わかりづらい。

ハリウッド版も、ソ連版も、どちらも最後の方はドタバタ終わってしまう気がする。原作をなぞりきるには7時間30分かけても時間が足りないというわけだろう。

ナポレオン1世率いる大陸軍(仏軍を中心としたヨーロッパ諸国連合軍)とクトゥーゾフ率いるロシア軍との間で行われた「ボロジノの戦い」の場面が、ソ連版では圧巻だった。

Battle_of_borodino

Artist: Louis Lejeunet(ルイ・ルジューン)
Title: Battle of Moscow, 7th September 1812
Date: 1822

ハリウッド版も迫力といえば迫力だが、どうしても「あっ南北戦争」と思ってしまう。

映画の中の戦闘ですらあの凄まじさだと思うと、つくづく恐ろしい国である。ハリウッドの中で何度も戦争をやらかし宇宙戦争すら辞さないアメリカとなるともう……あんな国とよく日本は戦ったものだ。

もっと早く降伏すればよかったのに――という言葉を聞くことがあるが、映画で観ても敗れた側のみじめさといったらない。皆殺しに遭い国がなくなる可能性すらあるというのに、「もっと早く降伏すればよかった」というのは概ね結果論にすぎないと思う。現に、ソ連は日本の降伏後も侵攻を続けた……。まあ当時の日本に生きていたら、もう何でもいいから早く終わってほしいと思っただろうけれど。

映画『戦争と平和』の中の凛々しいロシア帝国軍の姿に、那須田稔『ぼくらの出航』(木鶏社、1993)の次の場面を連想した。

満州にソ連軍が侵攻するときの様子が描かれ、それを観ていた満人ヤンとロシア人の御者が会話する場面から引用する。

 ヤンは、ロシア人の御者に中国語で話しかけた。
「おじいさん、あなたたちの国からきた兵隊だね。ロシアの兵隊がきたので、うれしいでしょう?」
 ところが、ロシア人の御者は、はきだすようにいった。
「あれが、ロシアの兵隊なものかね。」
「ロシアの兵隊じゃないって?」
 ヤンはけげんな顔をした。
 御者のじいさんは、白いあごひげをなでて、「そうとも。ロシアの兵隊はあんなだらしないかっこうはしていないよ。わしらのときは金びかのぱりっとした服をきていたものだ。」
「へえ? おじいさんも、ロシアの兵隊だったことがあるの……。」
「ああ、ずうっと、ずうっと、むかしな。」
「それじゃ、ロシアへかえるんだね。」
「いや、わたらは、あいつらとは、生まれがちがうんだ。」
 おじいさんはぶっきらぼうにいった。
「よく、わからないな。おじいさんの話。」
「つまりだ、生まれつきがちがうということは、わしらは、ちゃんとした皇帝の兵隊だったということさ。」
 ヤンは、まだ、よくわからなかったが、うなずいた。
「皇帝だって! すごいな。」
「そうとも。わしらは、あいつらとは縁もゆかりもないわけさ。あいつらは、レーニンとか、スターリンとかという百姓の兵隊だ。」
「ふうん。」
 ヤンが、小首をかしげて考えこんでいると、ロシア人の御者は、馬車にのっていってしまった。
(那須田,1993,pp.75-76)

満州には、ロシア帝国時代にロシアから移住した人々や、1917年の十月革命で逃げてきた貴族たちが住みついていたと書かれている。

作品の最後で主人公タダシら子供たちを救ってくれたのは新しい中国の軍隊であったが、その中国の軍隊とは中華民国の国民党だろう。

新しい中国への希望を抱かせる明るい場面となっているが、事実はこの後、中国国民党は中国共産党(人民解放軍)との内戦となる。

内戦で勝利した中国共産党の毛沢東は1949年10月、中華人民共和国を樹立した。しかし、発展した社会主義国家建設を目指す「大躍進」政策は失敗し、中国はプロレタリア文化大革命と称する凄惨な暗黒時代へと突入……。

そういえば、『戦争と平和』ではフリーメーソンについて長々と描写されているのだが、御存じだろうか?

『戦争と平和』はかなりの長編なので、有名なわりに読破した人は少ないのかもしれない。欧米の純文学作品を読んでいると、フリーメーソンなど珍しいとも思わなくなるのだが(よく出てくるため)、『戦争と平和』ほどフリーメーソンでの入会式の様子が克明にリポートされた文学作品は珍しい。

主人公ピエールがフリーメーソンになるのである。

トルストイがフリーメーソンだったかどうかははっきりしない。その理由は、当時のロシア政府が入会を禁止していたことにあるという。

レフ・トルストイ(1828年生) - 作家。著書は主人公(ピエール)がメイソンリーに入会する『戦争と平和』など。『10,000 Famous Freemasons』は、多くの者がトルストイをメイソンだと考えているが当時のロシア政府が入会を禁止していた、と記述している。当局のその措置のためトルストイはメイソンでないとの説もある。

ウィキペディアの執筆者. “フリーメイソン”. ウィキペディア日本語版. 2016-08-19. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3&oldid=60821276, (参照 2016-09-05).

禁止されていたにも拘らず、あそこまであけすけに描写できるとは何て大胆不敵なのだろう。もっとも、その程度の禁止だったのかもしれない。

フリーメーソンの思想が『戦争と平和』に深い影響を与えていることは確かだと思う。

ピエールがフリーメーソンの思想に心の中でいくらか距離を置くような場面は出てくるのだが、その後も小説の終わりかけまで、訪ねてきた知己のフリーメーソンと会話する場面が出てくるのである。

トルストイは取材魔だったようだから、綿密な取材を行ったとも考えられる。でも、秘密結社というのは禁止されたり迫害されたりするからこその秘密にされざるをえない結社であることを考えれば、トルストイがフリーメーソンだったとしても不思議ではない。

トルストイの下の方に「マルク・シャガール(1887年生、1912年入会) - 画家。作品は『私と村』『誕生日』など」とあって、シャガールもフリーメーソンだったと知った。

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2016年7月 7日 (木)

『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』を観て。神智学に何らかの関心を持っていたルイス・キャロル。

昨日の不調は遊び疲れから来たものだった。

月一回、家族でカルディコーヒーファームへコーヒー豆を買いに行くことが恒例の行事となっている。そのときに観たい映画があれば、観ることにしている。

夫に比べたらあまり観たい映画がないわたしと娘は商業施設内をブラついたり、お茶を飲んだりすることのほうが多いが、今回はあった。『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』。『アリス・イン・ワンダーランド』の続編である。

2本の映画はうまい具合につながっていた。続編となる本作は、ルイス・キャロルの原作からはますます遠ざかっていたけれど、楽しめた。上映方式は2Dと3D。3Dで観たかったが、映画代のことを考え、2Dで我慢した。

映画については少し触れるだけにしておこうと思うが、ネタバレあり

『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』
原題……Alice Through the Looking

監督……ジェームズ・ボビン
脚本
……リンダ・ウールヴァートン
原案
……ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』
製作総指揮
……ティム・バートン
出演者
……ミア・ワシコウスカ,ジョニー・デップ,ヘレナ・ボナム=カーター,アン・ハサウェイ,サシャ・バロン・コーエン
音楽
……ダニー・エルフマン
主題歌
……『ジャスト・ライク・ファイア』 - P!nk
撮影
……スチュアート・ドライバーグ
編集
……アンドリュー・ワイスブラム
製作年
……2016年
製作国
……アメリカ
配給
……ディズニー
上映時間
……113分
上映方式
……2D/3D

マッドハッターと家族の再会、女王姉妹の絆の回復のためにアリスが時間を超えて働く……手短にいえば、そのようなお話。

前編では結婚を拒否したアリス。本作のアリスは未亡人となった母親が切実な思いから娘に押し付ける世間体及び女性らしい安定した生き方を冒険後に受け入れかけるが、土壇場で母親のほうがそれらを蹴飛ばす。

母娘で意気揚々と、手放さなかった船に乗り込む結末は清々しい。嵐が来たらひとたまりもないかもしれないリスクを恐れない強さがあって。続々編も観たいものだ。

前編を観たとき、赤の女王の頭の形はなぜハート形に膨張しているのかと不思議に思っていた。その謎が本作で解ける。

前編ではアン・ハサウェイ演ずる白の女王の存在感が際立っていた。本作ではオーストラリア出身の女優ミア・ワシコウスカ演ずる主人公アリス・キングスレーが存在感を増していた。

わたしは帽子職人マッドハッター演ずるジョニー・デップが好きで、デップ独特の物柔らかに訴えかけるかのような人懐こい表情にはほろりとさせられるのだが、今回もその表情を見せてくれて安心した。

サシャ・バロン・コーエン演ずるタイムもなかなか魅力的で、目が離せなかった。ヘレナ・ボナム=カーター演ずる赤の女王は今回も弾けた、味のある演技をしていた。

子役達が素晴らしい演技をしていた。前編と本作がよくつながっていたように、子役と大人の役者もよくつながっているように見えた。それにしても、日本の子役のようなわざとらしさが全くないのはどういう工夫によるのだろう?

映像が美しくて、夢のようだった。海賊とやり合う航海シーンや遊園地のような楽しいシーンがあったので、『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『チャーリーとチョコレート工場』を連想した。

嫌な事件がよく起きる昨今、こういう映画を観るとホッとする。以下にディズニー公式YouTubeチャンネルの予告編を貼っておく。

そういえば、原作者のルイス・キャロルについて書くつもりで、そのままになっていた。神智学の影響を受けた人々を探している中で、ルイス・キャロルが神智学に関心を持っていたことがわかった。

神智学ウィキによると、彼は心霊現象研究協会の会員で、神智学に何らかの関心を持っていた(A・P・シネットのEsoteric Buddhism(『エソテリック ブディズム』)のコピーを所有していたといわれている)。→Lewis Carroll,http://www.theosophy.wiki/en/Lewis_Carroll(2016/7/7アクセス)

心霊現象研究協会(SPR)は神智学協会の会員だったフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤースが友人達とつくった会だった。

心霊現象研究協会の会員によって公開されたホジソン・リポートはブラヴァツキーが誹謗中傷される原因を作ったが、ホジソン・リポートの虚偽性は1977年に心霊現象研究協会の別の会員ヴァーノン・ハリソンによって暴かれた。

ブラヴァツキーが生きていたそのころ、神智学協会はロンドンの社交界の流行になり、指導的な知識人や科学者、文学者達が訪れていた。→ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981、p.265)参照。

サロンのようなオープンな雰囲気があったようだから、様々な人々が神智学協会に興味を持ち、訪れたようである。ルイス・キャロルもその中の一人だったのだろうか。あるいは、神智学協会との接触のある心霊現象研究協会の会員を通じて神智学論文のコピーを入手したのかもしれない。

ホジソン・リポートを根拠に、心霊現象研究協会を神智学協会の上位に位置付けて対立構造を煽るような書かれかたをされることも多いが、実際には心霊現象研究協会は神智学協会の知的で自由な、開かれた雰囲気のなかから生まれた会であった。

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2016年5月25日 (水)

カルディコーヒーファームで。観たい映画。サンドイッチの島で(リヴリー)。

月に1回ほどカルディコーヒーファームへ出かけて、200g入りコーヒー豆を3袋買うのがすっかり習慣化しています。

6月19日の父の日はまだ先ですが、「ファーザーズブレンドFather's Blend」という父の日限定炭焼ブレンドというのが出ていたので、1袋はそれにしました。生豆生産国名はグアテマラ、インドネシア、ブラジル他となっています。

「スモーキーな炭焼きの香り、しっかりとした苦みとやさしい甘さを持ち味とした父の日限定ブレンド」と説明があります。

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娘が好物の杏仁豆腐。3等分して、ちょうどいいくらい。

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オランダ産「ヘクター チーズラウンズクリスピーワッフル」が出ていたので、買いました。家族全員これが好きです。

ゴーダチーズ味の薄く焼き上げたワッフルで、ほどよい塩味です。軽い食感ですが、案外腹持ちがいいですよ。わたしは間食をしなくなったので、朝ごパンの代わりにいただきます。

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イタリア産「フルッタチェレスチィーナ レモンマーマレード」もリピート。甘さ控えめで、ジャムとソースの中間的な液体っぽさがあります。パン、ヨーグルトにかけると、爽やかな美味しさで最高。

面白い映画があれば観たいと思いましたが、大抵何かは観るものがある夫でさえ「観たいものが何もない。ビデオになって100円で出ていたとしても、どれも観ない」昨日でした。チラシを貰ってきました。

チラシの中で観たいと思ったのは、『アリス・イン・ワンダーランド~時間の旅~』(全国公開は2016年7月1日)。

マッド・ハッター役のジョニー・デップ、赤の女王役のヘレナ・ボナム・カーター、白の女王役のアン・ハサウェイが好演した『アリス・イン・ワンダーランド』の続編です。

2016年8月11日に全国で公開されるディズニーの新作映画『ジャングル・ブック』も観たい気がします。原作はラドヤード・キップリングの同名小説。人間は実写、ジャングルの動物たちはCGで再現されるのだとか。

『ジャングル・ブック』には、子供のころに読んで虜になりました。キップリングはノーベル文学賞を受賞しています。ウィキペディアから引用します。

ラドヤード・キップリング

ジョゼフ・ラドヤード・キップリング (Joseph Rudyard Kipling, 1865年12月30日 - 1936年1月18日) は、イギリスの小説家、詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ (ムンバイ) 生まれ。19世紀末から20世紀初頭のイギリスで最も人気のある作家の一人で、代表作に小説『ジャングル・ブック』『少年キム』、詩『マンダレー』など。「短編小説技巧の革新者」とみなされ、児童向け作品は古典として愛され続けており、作品は「多彩で光り輝く物語の贈り物」と言われる。1907年にノーベル文学賞を、41歳の史上最年少で、イギリス人としては最初に受賞。他にイギリス桂冠詩人、爵位などを打診されたが辞退している。

ウィキペディアの執筆者. “ラドヤード・キップリング”. ウィキペディア日本語版. 2016-05-22. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0&oldid=59813075, (参照 2016-05-24).

ジャングル・ブック (岩波少年文庫) 
ラドヤード・キプリング (著), 五十嵐 大介 (イラスト), 三辺 律子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2015/5/16)

ジュディ・フォスター監督作品『マネーモンスター』(全国公開は2016年6月10日)もちょっと気になります。

全米高視聴率の財テクTV番組がジャックされる――という内容だとか。ジュディ・フォスターの監督としての成長が如何ほどか確認したい気がしますが、観に行く余裕がありません。

ところで、無料で楽しませていただいているリヴリーアイランドで「サンドイッチ島」をゲットしました。家出人のピグミー、ネオピグミーが滞在中。

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遊び疲れて全員寝ているところが、何ともいえないかわゆさ!

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