カテゴリー「エッセー「映画『ヒトラー最期の12日間』を観て」」の9件の記事

2006年6月12日 (月)

映画「ヒトラー最期の12日間」を観て―2005.10―(Ⅸ)

 ナチス支配下における普通の人々の日常を明らかにした、デートレフ・ポイカート著「ナチス・ドイツ――ある近代の社会史」は次のようにいう。

「ナチ運動を支持したり、少なくともやむをえずこの運動をうけいれた多数のドイツ人が信じたのは、彼らを近代化に伴う混乱や、経済不況による窮迫などという異常な事態から救い出してくれるという『総統』の約束であった。

 彼らが夢みたのは、ナチ指導部がユートピアとして漠然と考えていたような、人々をたえず闘争にかりたてる民族共同体ではまったくなかった。

 多くのドイツ人が夢みたのは、正常な事態にもどること、安定した職に復帰すること、安心して生活設計ができ、社会のなかで自分がしめる位置に確信がもてるような状況をとりもどすことであった」

 ドイツ系ユダヤ人アンネ・フランクは、ナチスの迫害の手を逃れて移り住んだオランダのアムステルダム市の隠れ家で1944年8月4日、密告によりゲシュタポに連行され、アウシュヴィッツ次いでベルゲン・ベルゼンの収容所に送られた。

 そこでは女性収容所が未完成だった。冬になって環境が悪化していたが、アンネは姉マルゴットと共にそこに入れられていた。彼女たちは1945年3月に、相次いでチフスで死亡した。アンネの最後の言葉は、「ドアをしめて、ドアをしめて」だったという。15歳だった。

 アンネは1942年6月12日の誕生日に、贈り物の包みを開ける。最初に出てきた贈り物が日記帳で、そこに書かれた「アンネの日記」はユダヤ人迫害を立証するものとして、また生命の尊さを物語る光として、世界的に有名になった。〔了〕

 引用・参考文献

 ヨアヒム・フェスト「ヒトラー」鈴木直訳、岩波書店、2005年。

 トラウデル・ユンゲ「私はヒトラーの秘書だった」高島市子・足立ラーベ加代訳、草思社、2004年。

 デートレフ・ポイカート「(改装版)ナチス・ドイツ――ある近代の社会史」木村靖二・山本秀行訳、三元社、2005年。

 ウィリー・リントヴェル「アンネ・フランク 最後の七カ月」酒井府・酒井明子訳、徳間書店、1991年。

 アンネ・フランク「アンネの日記 完全版」深町眞理子訳、文藝春秋、1994年。

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2006年6月11日 (日)

映画「ヒトラー最期の12日間」を観て―2005.10―(Ⅷ)

 パーキンソン病に冒されていたヒトラーは、足を引きずるようにして将校たちのところへ行き、「諸君、何もかもおしまいです。私はこのベルリンに残り、ときが来ればピストルで自殺します。行きたい人は行ってよろしい。全員自由です」という。

 最良の死ぬ方法について話し合う女性たちにヒトラーは、「お別れにもっとよい贈り物ができなくて残念です」といいながら、青酸カリ入りのアンプルを一つずつ手ずから渡した――とユンゲは手記に書いている。

 ヒトラーとエーファ・ブラウンが心中したあとで、ゲッベルス一家はヒトラーに殉死する。

 映画のゲッベルス夫人は、薬で眠らせた6人の子供たち一人一人に青酸カリ入りのアンプルを噛ませて殺害する(アンプルが子供たちの歯に当ってカチッと音を立てる。それが6回)。ドアの外で、彼女を慰めるために抱こうとする夫ゲッベルスを突き放す。

 自殺に赴く前に、驚くほど巧みな手捌きでトランプを手繰り、無感情な表情で占いをする。このトランプの場面はメリメの小説「カルメン」の中でカルメンが激しい雰囲気を醸して占いをする描写を連想させるが、カルメンにはない重厚さがゲッベルス夫人にはあった。

 複雑な母性を、人間存在の絶対的な孤独を、ゲッベルス夫人を演じた女優は恐ろしいまでに映画を観る者に印象づける。感情を極力排除しながらも情感を描ききる、ドイツ映画の神髄に触れた思いがする。このゲッベルス夫人は、彼女一人で一篇の作品を形成していた。

 彼女こそ、映画「ヒトラー最期の12日間」の白眉だと私は思う。

 ロマン主義的帝国の夢に溺れて破れ錯乱しているとはいえ、内輪の人間には最期まで温かな情感を見せるヒトラーは一面あまりにも人間的だったが、そのただの人間を信仰してしまった人間の苦悩を彼女は際立たせたのだ。〔

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2006年6月10日 (土)

映画「ヒトラー最期の12日間」を観て―2005.10―(Ⅶ)

 地下要塞でヒトラーは、「われわれは戦争をするよう運命づけられていたのだ」と論じた。

 われわれが手にしていた可能性を考えてもみよ――と彼はいった。もし自分が破滅を運命づけられているとすれば、その原因は自分のラディカリズムにあるのではなく、中途半端な態度、最後まで自分を貫き通す能力の欠如にあった――と彼はいった。

 不安定で影響を受けやすく、飛躍を好み、まれにみる無神経さで一方の極端から一方の極端へと転んできたドイツ人民のような国民を統率していかなければならないことを個人的な不幸と感じるようになった――と彼はいった。

 自分でもよくやったと思えることはただ一つ、ユダヤ人を正々堂々と撲滅し、ドイツの生活空間からユダヤ人の毒を排除したことだけである――と彼はいった。

 地下要塞で、人々はやけっぱちのらんちきパーティーを繰り広げる。この段になるともう身分の差もなく、あるのは共通の運命だけだった――とユンゲは手記に書いている。ゲッベルス夫人は私たちの中で最も苦悩が大きかった――とも。

 ゲッベルス夫人にはもう子供たちと平静に向き合う気力がなく、エーファ・ブラウンやユンゲが子供たちに童話を読んでやったり罰遊びをしたりして、恐怖から遠ざけておいてやろうと心を砕いていた。〔

 ※引用・参考文献は、連載の終わりに付するようにしています。

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2006年6月 9日 (金)

映画「ヒトラー最期の12日間」を観て―2005.10―(Ⅵ)

 1933年のドイツで、国際連盟脱退の是非を問う国民投票が行われた。このとき、4500万人の有権者の95パーセントが脱退に賛成した。

 国民は自由投票によって隷属の政治を捨て、果敢な挑戦の政治を選ぶ決断をした――が、その挑戦が今や挫折したのだと、地下要塞の執務質でゲッベルスはいった。さらに彼は、次のことをつけ加える。

「確かにこのことは少なからぬ人々にとって驚きだろう。しかし思い違いをしないでもらいたい。われわれはドイツ国民に無理強いしてきたわけではない。同じように私はいかなる人間に対しても、自分の部下になるよう無理強いした覚えはない。国民が自分のほうからわれわれに委任したのだ。つまりは自業自得ということだ」

 映画「ヒトラー最期の12日間」を観た日本人の中で、このゲッベルスの言葉に、国民の選択を繰り返し強調する小泉首相の言葉が重ならなかった人がいるだろうか? 彼があれほど、国民の選択を強調しなければならないのは、やましさ、自信のなさがあるからではないだろうか。

 首都ベルリンが陥落する間際、組織が混乱し、何もかも不足する中で、ヒトラーは16歳の少年――ヒトラー・ユーゲントの隊員――にまで、もはや存在しない武器をとるように命じた。至るところに抑鬱感が蔓延し、どうしたら一番確実に死ねるかという会話がまるで伝染病のように拡がっている――と国防軍の状況報告は伝えていた。

 繰り返し襲いかかる生活の危機に疲れ果てていたベルリン庶民だったが、生来の冗談好き、辛辣さを忘れずにいて、「それで世界が終わるじゃなし」という歌を、口笛で互いに吹きあった。〔

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2006年6月 8日 (木)

映画「ヒトラー最期の12日間」を観て―2005.10―(Ⅴ)

 過日、総務統計局から夫宛に、家計調査に協力してほしい旨の依頼状が届いた。昭和21年から行われている伝統的調査らしい。ところが国会で野党がこの統計を掲げて国民の家計が落ち込んでいることを示したとき、竹中大臣は、それは物の見方の一つにすぎないといった。

 この言葉は、小泉政権のブレーンの中心人物である彼が、政治家というよりは経済学者であることを思い出させる。

 国会での答弁が、小泉政権になってから、あまりにも観念的になってきているのだ。不良債権処理、予算削減、人員削減、税負担といったもう馴染みになってしまった言葉が何かしら流行語のようにも化学用語のようにも聴こえてしまう。

 生殺与奪の権さえ握ることのあるその言葉の裏側では、沢山の人々の悲鳴が起きているはずなのだが――

 私人としてのヒトラーは、優しい人物だった。人間らしい情感を失ってはいない彼が大量の人間を殺害できたのは、彼にはそれが観念上の処理にすぎず、直接に手を下したのが組織の末端の人間だったからだろう。〔〕 

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2006年6月 7日 (水)

映画「ヒトラー最期の12日間」を観て―2005.10―(Ⅳ)

 ヒトラーは、当時の先端科学の偏った信仰者で、純血をのぞみ、古代建築にあこがれ、絵に描いた餅のような第三帝国の夢を見た。一方、小泉首相のビジョンはどのようなものなのだろうか?

 彼が新自由主義と呼ばれる経済思想の持ち主であることは間違いないとしても、その思想を突きつめた先に、どのような未来像が見えるというのか。私にはさっぱり見えない。小泉政権になってから、日本は何て変わってしまったことだろう。犯罪が百花繚乱のさまを呈し、今や夜警国家的にならざるをえなくなってしまった。

 市場原理を重視して、政府機能を縮小し、大幅な緩和規制を行おうとする新自由主義はまずイギリスの首相サッチャー、アメリカの大統領レーガンによって実施され、日本では中曽根政権のもとでその路線が敷かれた。

 だが、新自由主義の元祖イギリスにおいてさえも、この思想の欠陥が明らかとなって、福祉型への切り替えが行われたのではなかったか?

 10月1日衆院の予算委員会における志位委員長によれば、小泉内閣の4年間で決定した庶民への増税は、年間約3兆5千億円になるという。それに対して、大企業・大資産家への減税は2兆2億円になるそうだ。

 小泉首相は国際競争力を口にし、IT立国を目指しているというのだが、このままいけば日本はアメリカに似るというよりは、インドに似てくるだろう。インドはIT関係に優れていることで有名で、一握りの富者と大勢の貧者がいることでも知られている。〔

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2006年6月 6日 (火)

映画「ヒトラー最期の12日間」を観て―2005.10―(Ⅲ)

 また、私に映画がなまなましく感じられた理由の一つに、映画鑑賞から遡ること一月前の9月11日にわが国で行われた第44回総選挙のことがあった。

 小泉首相は、参院での郵政法案の否決を認めず、強引に衆院解散・総選挙にもっていった上、内容の極めて不安なその法案に反対した議員に、メディアが「刺客」と呼ぶ対立候補を立てて再選を阻もうとまでした。

 そして大衆は、民主主義から明らかに逸脱した奇怪としかいいようがないこの選挙劇「小泉劇場」を面白がり、喝采を送った。ワイドショーで小泉首相をセクシーといったコメンテーターがいたが、彼はヒトラーが女性たちにセクシーといわれていたことを知っていただろうか。この類似性は私をぞっとさせた。

 勿論セクシーだとかそうでないとかが問題なのではなく、政治家であるにも拘らず、理性に訴えかけるより生理に訴えかけ、あたかも芸能人であるかのように大衆の目に映るという異様さが問題なのだ。

 このことは、彼が大衆に人気を博していればいるほど、ある不安を感じさせる。

 だが今や小泉政権は独裁体制に近い。郵政民営化法案もあっさりと成立した。国会で、日本政府がこの法案をめぐってアメリカ政府筋と週に一度の会合を重ねていると野党が追及していたことがあったが、首相はこの件をうやむやにした。

 野党はそれまでにも、郵政法案へのアメリカ政府の過剰な関与を指摘していたのだった。日本の法案にアメリカが何の用があるのかと、質問した議員は怒りをあらわしていた。

 あるニュース番組では、民営化法案が成立した夜になって、郵政民営化の成功例として日本政府が挙げてきたドイツポストの実態を現地取材して報道した。郵便料金は値上がりし、リストラによる職員不足でサービスは低下、ネットワークに寸断の兆しが見えるという。

 なぜ選挙前に、このような報道が丁寧になされなかったのかと疑問がわく。郵政民営化に反対して罪人さながら自民党を追われ、国民新党を立ち上げた綿貫代表のホームページでは、民営化した海外の国々の現状とアメリカ側からの要求が詳細に報告されていたのだが――

 わが国の大衆は、正しい情報をもたらしてくれる人物に石を投げて厄介払いしようとし、嘲笑さえするのだ。〔

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2006年6月 5日 (月)

映画「ヒトラー最期の12日間」を観て―2005.10―(Ⅱ)

 衝撃的だったのは、当時のドイツ人と現代日本人があまりに似て見えたことだった。戦後日本人が如何に欧米化されたかが、よくわかる。生活習慣、食べ物、衣服、物の考え方。

 ナチズム狂いの筆頭に挙げられてもおかしくないゲッベルス夫人のような人物さえもが、現代日本人と変わらないか、もっと洗練された教養と日常感覚という基本があって、その上にナチズムというラディカルな思想がいささか分厚く載っている感じがあるのだ。

 ヒトラーは現代日本人のどの男性も未だ到達していないほどに紳士的で、フェミニストであって、身近な人々には最期のときまで濃やかな心遣いを示す。彼の中では、独裁と徹底した個人主義・民主主義・教養主義といったものが奇妙な混淆を見せている。

 ナチスの時代を歴史的に検証できる立場にいる現在のわれわれからすれば、ヒトラーという人物が思想的には当然、日常的にも相当に異常で低レベルであったとみなせるほうが都合がよい。特殊な例に分類でき、あまり自分のこととして考えずにすむからだ。

 しかしながら事実はおそらく、そうではなかったのだろう。

 なぜなら映画は、2冊の著書をもとにして製作されている。一冊は、映画と同名の歴史ドキュメンタリーだ。著者は1926年にベルリンに生まれた歴史家・ジャーナリストのヨアヒム・フェスト。もう一冊は、ヒトラーの個人秘書として地下要塞で過ごし、2002年まで生き延びたトラウデル・ユンゲが自らの体験を終戦直後に書きとめておいた手記だ。

 邦訳されている2冊を購入し、目を通したところでは、映画はこれらを忠実に再現しているように思えた。〔

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2006年6月 4日 (日)

映画「ヒトラー最期の12日間」を観て―2005.10―(Ⅰ)

 ヒトラーが君臨する第三帝国が崩壊するまでの日々をドイツ人の手で描いた映画「ヒトラー最期の12日間」を観た。原題はDer Untergangで、滅亡、破滅、陥落、没落といった意味があるという。

 155分という長い時間が、ものの30分くらいにしか感じられなかった。その間集中が全く途切れることがなく、それなのに少しの疲れも覚えなかった。不思議だった。製作者の高潔な霊気に抱擁されていたからだろうか?

 映画を観ている間、まるで自分が映画の舞台となった「狼の巣」と呼ばれる地下要塞にいるような心地がしていた。登場人物――主要人物から名もないベルリン市民に至るまで――が鋭く、また丁寧に描かれていて、ひとりひとりが人間らしい自然な厚みを感じさせた。

 第二次大戦後、ナチスをテーマにした映画はドイツ以外の国々でさまざま製作され、ナチズムを倒錯的愛欲的側面から描いたリリアーナ・カブァーニ監督「愛の嵐」のごとき映画まで製作されるに及んだ。

 表現は自由であるべきなのだろうし、ナチズムの実態がどうであったかは計りしれない部分があるにしても(カヴァーニ監督は映画製作に当たり、ナチスの被害者の女性たちを取材したという)、「ヒトラー最期の12日間」の脚本・製作を手がけたベルント・アイヒンガーが「私はドイツ語を使い、ドイツ人俳優とドイツ人監督でこの映画を撮影したかった」というこのような映画を観た後では、それまでの映画が何か不謹慎であったかのように感じられてしまう。〔〕 

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