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2006年5月26日 (金)

久しぶりの博多、マリア・テレジアの遺品

 昨日、九州のある小都市からある中都市へ出かけた。率直にいってしまえば、大分市街から博多へ出かけた。天気のいい日にはあまい青色を湛えている別府湾は、この日は曇り空を映して大きな水溜まりのように見えた。白いソニックが傾いで、湾に沿って走る。

 小倉を過ぎ、白いソニックはすぐに寒気がしてくる土地にさしかかる。その土地には、わたしが怯え、腹の底から憎しみを覚えた人々が住んでいる。その憎しみの大きさたるや、わたし一人ではおさめきれないほどだ。わたしが死ねば、その憎しみが独自の生存権を得るかもしれないと不安になるほどに。

 そういえば、かかりつけの循環器クリニックの医師はこの辺りの出身で、どこへ行くにも出生地を避けて通るといっていた。小児喘息を病んだ土地だからだという。親はそこにはいないのだろうか。いずれにしても医師とわたしには、同じ土地がトラウマになっているという共通項がある。

 白いソニック、走れ! 速く、もっと速く、飛ぶように速く走れ! 憎い彼らの面影を切れ切れにしてほしい……。

 息を殺して体を硬くしているうちに電車はその土地を抜け出し、やがて博多駅に滑り込む。わたしは隣の席に子供のような顔をしてうたたねをしている娘を見る。そうだった、娘と一緒だったんだと思い出す。

 博多行きは、娘が遅ればせながら「母の日」のお祝いに贈ってくれたものだった。トキハデパートで服を買うか博多に行くかどちらにする、といわれ、博多行きを選んだ。

 福岡市は大学生活を送った街だし、新婚時代住んでいた町は博多駅から近かった。だからといって博多が好きなわけではない。博多は小倉よりは好きという程度なのだが、たまに変化具合を確かめに行きたくなるのだ。

 岩田屋デパートも大丸デパートも三越デパートも、中が皆同じに見えるのはどうしたわけだろう? 以前もこうだっただろうか、思い出せない。ラルフローレンもカルバンクラインもアナスイもニューヨーカーも同じに見えるなんて。

 まるで市場のようにテナントが並ぶ。別室風に設けられているブランドショップを例外として。あれはあれで大金持って来いといわれているようで、庶民には入りづらい。

 格差社会・二極化のあらわれなのか、今の流行なのか、行き着くところまでいった商業主義のスタイルなのかが判然としないまま娘もわたしも買いたいものを見出せず、「お金を使わずに済ませられてよかったね」と慰め合いつつ、新天町へと向かう。

 娘と天神に行くときはいつも寄るビクトリアという釜飯の店に入る。母もわたしと博多へ出かけ、天神に行くときはいつもそうした。ビクトリアに入ると、ほっとする。エビ釜飯も美味しい。だが往復4時間もかけてやってきて、おなかをふくらませたというだけでは寂しい。がめついわたしの心が納得しない。

 ふと「マリア・テレジアとシェーンブルン宮殿」という福岡市博物館であっている催し物のポスターが目に入る。娘と見つめ合う。ここへ行くために今日は出かけてきた、そんな気になり、地下鉄に乗るために階段を下りる。

 地下鉄を降りて博物館に行く途中、高い木立に囲まれた県立高校の横を過ぎた先で、西南学院大学が無理をして建てたらしいレンガ造りのレストランが目についた。自分が出た大学はどれくらい無理をして生徒を集めようとしているのか、確かめに行きたい気持ちに駆られたが、思いとどまる。

 福岡市は真夏のような暑さだった。小綺麗な博物館の前の庭で、社会科見学にきたらしい小学生たちが記念撮影のために並んでいた。

 マリア・テレジア。1717年に生まれ、1780年に死去。ハプスブルク家初の女性宗主、中央ヨーロッパ全域を総括する広大な領土を相続し、その相続で揉めて起きたオーストリア継承戦争を乗り切り、改革によってハプスブルク帝国を近代的な国家へと生まれ変わらせた。芸術の都ウィーンの基礎を築いた。

 20歳から39歳にかけて16人の子供をもうけた。そのうち成人したのは息子4人、娘6人。断頭台の露と消えたマリー・アントワネットは末娘である。これ以上あまりにも有名なマリア・テレジアについて解説するのは、野暮というものだろうが、イエスマンばかりを周囲に集めたがるどこかの国の首相とは違って、マリア・テレジアには人を見抜く目があり、登用の術に長けていたらしい。

 外交官として優れていたカウニッツは宰相に任命され、オーストリアの発展に大きく貢献したとされているが、彼の肖像画を見て、びっくり。何とピアニストの内田光子にそっくりではないか。

 マリア・テレジアはオシドリ夫婦であったとされるが、婚約時代の手紙があった。真面目な美しい文面の手紙で、筆跡は意外なくらいに華奢な印象を与える。細くて縦長の、几帳面な文字だ。

 少女時代のマリア・テレジアは如何にも賢そうで、落ち着いた雰囲気を湛えている。くっきりしすぎるくらいの二重瞼。灰色を帯びた鋭い、が決して冷たくはない早くも並々ならぬ才智と包容力を感じさせるまなざし。

 夫シュテファンの少年時代の肖像画の方がむしろ女性的な優美な印象を与える。黒目がちの夢見るような瞳。面長の柔和な頬の線。娘のマリー・アントワネットはこの人似だと思わせる。彼は狩猟好き、芸術家肌だったらしい。ビデオ解説に、マリア・テレジアは彼を好きにさせていたとあったから、おそらく遊び人でもあったのだろう。アントワネットはこの人のそんなところを受け継ぎすぎた。

 帝国主義者として偉大な統治を行ったマリア・テレジアも、見方を変えればその枠内に留まった旧弊な人間であり、啓蒙思想の影響を強く受けた長男との確執はそのあたりから生まれたようだ。

 わたしはキリスト教文化について書かれたものを読んでいて、感覚的についていけないと感じることがよくあるが、カタログの中のマリア・テレジア時代の宮廷モードについて書かれた次のような文章もそうである。

「残念ながら、ウィーンの美術館の服飾コレクションの中には、18世紀に宮廷で用いられていた婦人用ドレスはわずかしか残されていない。その理由の一つは、マリア・テレジアが、娘たちの上等の服や礼服、そして高位貴族の夫人たちの衣装を身分の高い聖職者に提供し、僧たちの大外衣や式服の生地として使わせたことによる。」

 婦人たちが着たドレスを、形を変えるとはいえ僧侶が着る……? この感覚が、わたしにはわからないのだ。その残されたわずかなドレスのうち2点が展示されていたが、いずれもドレスはカーテン生地のような、重たげに見える布で作られている。色が褪せていたために、よけいにカーテンのように見えたのかもしれない。

 マリア・テレジアの遺品には、彼女の朝食用の伊万里焼のカップをはじめ、伊万里を用いたものが色々とあった。東インド会社によって輸入されたそれを、彼女は「インドもの」と呼んでいたらしいが……。当時、伊万里焼がヨーロッパで人気を集めていたことが窺える。

 オランダ東インド会社は1602年に設立され、1799年に解散された。マリア・テレジアの一生は、東インド会社が活動していた後半期にすっぽりおさまる。

 中国の明王朝に替わった清王朝が施行した鎖国政策で、中国磁器が入ってこなくなることを懼れた東インド会社が、1659年、まだ技術的に未熟だった伊万里焼へ大量の発注をした。

 そして、伊万里焼の陶工たちは頑張ったのである。1685年からまた中国磁器が力を揮いはじめたが、そのときすでに伊万里焼は独自の発展を遂げ、ヨーロッパでの名声を獲得していたのであった。

 マリア・テレジアは、脂の乗った伊万里焼に魅了された一人だったのだろう。芸術の都ウィーンの基礎を創った彼女の美意識にアジアの、それも日本の美が深く影響を及ぼしていたことを想うと、何か不思議な気がする。

 邪馬台国を舞台とした小説を完成させたいという思いがわたしにはあるが、実はもう一つ、あたためている思いがある。それは、国内向けの献上品、贈答品だけを焼くことを宿命づけられた――鍋島藩秘窯の里、大川内山を舞台とした――陶工たちの物語である。

 有田地方で製作され伊万里港から積み出された磁器も、伊万里地方大川内山の鍋島藩御用窯の技術を受け継いだものも、伊万里焼と呼ばれるが、前者は特に古伊万里、御用窯製作の磁器は鍋島と呼ばれる。

 そして、今では一般に、鍋島の技術を受け継いだものを伊万里焼、それ以外のものを有田焼と呼ぶようだ。

 小さな頃から有田焼や伊万里焼に触れながら、わたしがそのよさに気づいたのは、ようやく中年になってからだった。

 参考文献

●南大路豊「やきもの 全国有名窯場めぐり」西東社、1998年。

●矢部良明「世界をときめかした伊万里焼」角川書店、2000年。

●永積昭「オランダ東インド会社」講談社学術文庫、2000年。

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