はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。当ブログで綴った文章を改稿したものです。以下に紹介します。
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2024-09-21
120 舅の死(ある因縁話)。百貨店でオーラの話。
初出: b 覚書,2024
目次
1 舅の死(ある因縁話)
2 百貨店でオーラの話
1 舅の死(ある因縁話)
3 月に義父(夫の父親)が亡くなった。97 歳の舅には血液疾患があったが、こんなに早く亡くなるとは思わなかった。
亡くなる 5 日くらい前から、これまでには体験したことのなかった心霊現象めいた心象風景ともいうべき光景を見た。ふわふわとしたグレーっぽい雲のようなものが白い天井を覆うように包み込んでいるのが見えたのだった。
わたしは神秘主義者なので、空間に赤、黄、青、紫、黒、銀色、金色などの光の点や黒い浮遊物を霊的な視力で見ることは珍しくない。エレナ・レーリッヒの文章に、わたしの見るものにそっくりな描写があるので、エッセー 18「第44回総選挙のときに見た不吉な兆し」で書いたように何度か引用してきた。
英語で書かれたブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』をロシア語に訳したヘレナ・レーリッヒ(1879 - 1955)は、透視力の持ち主に見える――わたしもしばしば見るが――空間に出現する光について、いろいろと解説している。日本アグニ・ヨガ協会訳で、ここにその断片を引用する。
大抵黒い点は暗黒、又は混沌的なエネルギーの接近を意味する。その場合、万事に注意したほうが良い。だから私は小さな黒い点を見ると、それらが度々、困難の来ることを示したり、又は健康について警告していることを知るのである。点が大きければ大きい程、多ければ多い程、もっと注意を払うべきである。時々、空間の中を泳いでいる大きなビロードのような黒い点を見ることができる。紫、青、銀色、そして金色の点は、いつもよい使者たちであり、あるいは師匠のご放射が近いことを示すものである。黄色の点は、危険の警告である。赤い点は、大気の中の大変な緊張を示し、その時、地震や嵐や革命さえも予期できる。
わたしの場合、空間によく届く青い点は、1995年にお亡くなりになった神智学の先生からの光のお手紙であることが多いように感じている。
とても高貴にきらめく紫、銀色、金色の点はどなたからのものなのかわからないが、高揚感がもたらされ、すばらしい贈り物のように感じられる。
たまに見る黄、赤は警告を感じさせられるものだ。黒い点及び浮遊物は幸いめったに見ることがない。昔何回か続けてありありと見た黒い浮遊物は、何か低級な世界と関係がある不吉なことを暗示する表示のように感じられた。
しかしながら今回の、白い天井をふわふわと包むように現れたグレーがかった淡い雲のようなものが何であるのか、さっぱりわからなかった。見間違いかと思い、何度も目をこすった。5 日くらいは見えていた。
そして 8 日の午前 3 時頃のこと、わたしはまだ起きていた。何と、窓が開いていないのに、室内を風が吹き抜けるのはどうしたことか。次いで、動物は飼っていないのに仔犬か何かが家具にぶつかったような音がしたのだった。
舅の亡くなったのがその頃だと知り、あのグレーがかった雲や風や物音は舅と関係があったのかもしれないと思う。
もっとはっきりとした挨拶にお見えになるかたも珍しくない。自身の死を自覚し、今後のことも予想がついているかのような主体的な雰囲気が感じられた方々は今のところ 3 名おられ、神智学の先生、カトリック教徒であったフランス文学者、熱心な浄土真宗の門徒であった中学校の校長を務めたかただった。
その他の方々にはそのような主体的な雰囲気は感じられず、半ば無自覚的に我が家へ引き寄せられたのだろうと思われた。
葬式に行った夫に就いてきた、亡くなったばかりの叔父さん。「Nちゃん」と昔と同じ声で呼びかけてきたわたしの幼なじみ。
自分の贈った人形を見に来た大学時代からの友人……「わたしが死んだら髪の毛が伸びるわよ」と彼女はいったけれど、伸びたりはしなかった。
そういえばフランス文学者もわたしの蔵書を見に来られたので、「昼下がりのカタルシス」という短編小説にした(その場面を除けば、内容は完全なフィクションである)。
別れの挨拶に見える死者は全員、肉体を喪失していられるので、透明だ。透明なのに、わたしにはどなたかわかることがほとんどだ。その方々の思いも行動も、わたしの意識の範囲内で起きることであれば、わかる。
なかにはオーラが見えたかたもあった。肉体の重みから解放された軽やかさを陽気に楽しんでいられるかたがあり、普通に歩いていられる様子のかたもあり。
だが、今回のような体験は初めてだった。舅は霊媒気質だったのかもしれないとわたしの勝手な想像なのだが、思った。
夫の実家でわたしにひどい嫁いびりをした舅姑とよく滞在していた義妹家族には、案外霊媒気質が揃っていて、質の悪いカーマ・ルーパ(死者が脱ぎ捨てていった物質に関する精神的、肉体と欲望によって作られた主観的な形体)*1の悪影響を受けていたのかもしれない。生きている人々は今なおそうではあるまいか……。
わたしはその悪意の感じられる澱んだ雰囲気に耐えられなくなり、心臓を傷めて、子供たちが中学生のころにはわたしは夫の実家には行かなくなっていた。次いで子供たちも行かなくなり、次第に夫もほとんど行かなくなっていたけれど、姑に呼ばれて帰省することはあった。嬉しそうに出かけ、不機嫌な顔で帰宅するのが常だった。何か嫌な目に遭わされたに違いない。わたしがいなければ、夫が標的になるのだ。
わたしより 5 歳上の義妹とその夫。舅姑。あの独特の雰囲気を持つ集団は一体何だったのだろう。
一人一人と接すると優しかったりしたから、余計にわからなかったが、この年齢に達してわかったことは、意地悪な人々とはそのように掌を返すような振る舞いをする人々であるということだ。
距離を置いて正解だったと今は思っている。
源平、元寇時代に遡る因縁があるようにも思われる。
義妹のご主人は平家の子孫を根絶やしにするために遣わされた源氏系の人々が住んだと伝えられる集落辺りの出身である。そして、夫の祖父は自分は平家の子孫だといっていたそうだ。夫は半信半疑。「ただの海賊か、平家よりは源氏の側ではなかったの?」などといいう。
源氏と平家は出自がわからなくなるくらい入り乱れていたりするが、夫の先祖が平家と関係がなかったとはいいきれない。夫の亡くなった親友は間違いなく平家の子孫で、まだ続いている一門の集まりに呼ばれるといっていた。
しかも、わたしの先祖は少弐氏の部下として(わたしの母方の先祖は江上氏*2と関係が深いようだ)、夫の先祖は松浦軍の一派として、共に元寇を戦い抜いたことがだいたいわかっている。
何にせよ、まだ彼ら――特に義妹夫婦――とのおつきあいは残っていて、義父の死後、さっそく彼らが法的常識をはみ出すようなことをいってきた。もはや旧帝大を出たエリート商社マンだったとは思えない義妹のご主人。幸いわたしと娘は法学部出身であるから、夫と一緒に法律を参照して、常識的な判断に従うだけだと思っている。
話が逸れた。
いずれにせよ、初七日ごろ、わたしを訪れたかたがたはどこかへ行ってしまわれる。つまり、どなたも無事に成仏なさったのではないだろうか。
2 百貨店でオーラの話
神秘主義的な話題になったついでに、百貨店へ娘と出かけたときのことを話そう。
物産展のティー売り場で色々と試飲させていただき、その中から3種類買い求め、そこを離れた。娘は別の階へ行く用事があり、あとでまた物産展で待ち合わせようということになった。
人が少なくなっていた。娘はまだだろうかと思いながら歩いていると、ティー売り場の年輩の売り子さんに呼び止められた。
そのかたの目が星のように輝いているではないか。
「あなた、先ほどいらしたかたよね? でも何だか違った人に見えるわ。普通、ほとんどの人には見えないと思うけれど、もうあなたは圧倒的なんですよ。それが他の誰にもわからないのが不思議なくらい。こちらに歩いてこられたとき、スポットライトの中を燦然と輝きながら歩いてくる女優さんみたいに見えました。何て綺麗なオーラなんでしょう……」とそのかたが囁くようにおっしゃったので、びっくりした。
竜王会の大会で、一緒に参加した複数の人々からオーラが綺麗だと褒められたことがあった。それはずっと昔のことだったし、今ではわたしはおばあさん。心底驚いた。
「実はわたしにもオーラが時々見えるのですよ」とそのかたに打ち明けて、お別れした。
マダムNの覚書、 2024年3月18日 (月) 20:45
*1:H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版の用語解説「カーマ・ルーパ」を参照されたい
*2:「江上氏」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。 2024年2月9日 (金) 12:09 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org