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2021年10月29日 (金)

(29日に加筆あり、赤字。夜になって再度の加筆、マゼンタ字)エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」に49、50―アストリッド・リンドグレーン(2)(3)―をアップしました

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」に 49「アストリッド・リンドグレーン (2)『はるかな国の兄弟』を考察する 2014.4.30」、50「アストリッド・リンドグレーン (3)愛蔵版アルバムで紹介された『はるかな国の兄弟』と関係のあるエピソード 2015.9.14」をアップしました。当ブログで公開中の記事をまとめたものですが、加筆訂正がありますので、転載しておきます。

28日に公開した記事でしたが、29日になって、エッセー「50」 にかなり加筆しましたので、一旦閉じ、再公開しました。加筆部分は赤字にしています。夜になって再度の加筆を行いました、マゼンタ色の文字です。

49 アストリッド・リンドグレーン (2)『はるかな国の兄弟』を考察する 2014.4.30

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vermilionchameleonによるPixabayからの画像

長編児童小説「はるかな国の兄弟」は悲惨な場面から始まる。

貧しい地区で火災が起こり、10歳になる病気の弟を背負って窓から飛び降りた13歳の少年が亡くなるのだ。物語の語り手は兄を失った弟クッキーである。

兄のヨナタンは弟にとって、お話の王子のように美しく、優しく、強くて、なんでもできた。弟思いの兄は、死期の迫った弟が死ぬことを恐がらないように、死んだらナンギヤラという「野営のたき火とお話の時代」に行くのだと語って聞かせていた。

先にそこへ行くはずの弟が残り、弟には「この町じゅうにも、ヨナタンのことを嘆かない人はひとりもなく、ぼくが代りに死んだほうがよかったのに、と思わない人はひとりもいません」というつらい自覚がある。

ヨナタンに先立たれた今、母親とクッキーにとってお互いはただ一人の家族なのだが、母親は存在感のない人物に描かれている。

裁縫師として家計を支えている母親が多忙であるにしても、あまりにも描写に乏しいのだ。兄弟にスポットライトを当てるため、作者は故意に読者から母親を遠ざけているようにも思える。

クッキーにとって、ヨナタンは理想的な兄というだけでなく、父母に代わる人間でもあって、唯一全き他者といってもよいくらいだ。別の見方をすれば、クッキーにとってヨナタンの影響は大きすぎる。クッキーはヨナタンに取り込まれてしまっているかに見える。

そんな危険な匂いが、冒頭から漂う。

ヨナタンはクッキーを自分のものとして可愛がりすぎるのである。我が子を溺愛する母親のように。クッキーという愛称もヨナタンが与えたものであって、母親はカッレと呼ぶのだ。

兄の死から2ヶ月して、兄の待つナンギヤラに弟も行く。死んで他界に行ったと考えてよいのだろうか? 

ナンギヤラで、星の明るい晩に、どの星が地球かをあててみようとしたクッキーにヨナタンが「地球ね。そう、あれはずっとずっと遠くの宇宙をうごいていて、ここからは見られないよ」というところからすると、彼らは別の星にテレポーションしたのかしらん。

だが、この作品に SF 的な要素はないので、何にせよナンギヤラは人間が死んだあとにいく他界なのだろう。だとすると、ナンギヤラは天国なのだろうか。

ナンギヤラは中世の村社会を想わせるが、理想郷のようなナンギヤラのサクラ谷で、兄弟は谷の人々と交わりながら楽しく暮らす。暴君テンギルや竜カトラとの戦いが始まるまでは――。

死後の世界であるにも拘わらず、この世と同じような暴力があり、流血があり、死があり、悲しみがあって、この世にはいない怪物までいるとなると、ナンギヤラは天国ではありえないが、地獄にしてはよいところなので、煉獄といってよい世界と思える。

クッキーには秘密にされていたが、暴君テンギルに抵抗する地下組織が既にあって、兄はその一員だった。クッキーも一員となる。第一線部隊の目立つ地位にいる兄に対して、クッキーはどちらかというと、彼らを後方で支える側につく。

クッキーは物語の初めから終わりまで、控えめな存在なのである。常に兄に追従し、兄を信心するよき信徒のようである。クッキーはいつまで経っても主人公にはなれない。兄依存症といってよいくらいだ。

クッキーも歯がゆいが、その原因に兄ヨナタンの過度な保護や出過ぎたリードがあるように思われ、わたしにはそのことが不気味にすら感じられる。

彼らがまだこの世にいたとき、弟をなぐさめるためだとしても、ヨナタンは死後の世界を弟に対して規定しすぎたのではあるまいか。クッキーが死んでも天国へ行けず、ヨナタンから借りた煉獄的世界で堂々巡りしなければならないのがヨナタンのせいとばかりはいえないにしても……。

わたしは神秘主義者だから、死後の世界に関する情報と独自の考えをいささか頑固に持っているが、それをブログや電子書籍で語ることはあれ、他人に強要しようとは思わない。わたしは共鳴して神智学協会の会員になったが、家族を含めて、わたしの周囲に神智学協会の会員は一人もいない。

人間には死後の世界を自分で想像し、創造する権利があると考えている(こんな考えかたは特殊だろうか)。その自由を、ヨナタンは弟から奪っているように思えるのである(こんな考えもまた、一つの思想であろうが)。

そういう疑問はわくにしても、この冒険活劇には心に沁みる、美しい場面が沢山あり、ビアンカという伝書バトの出てくる場面などは忘れられない。

ソフィアのハトたちがほんとに人間の言葉がわかるのかどうか、ぼくは知りませんが、ビアンカはわかっていたように思います。なぜってビアンカは、安心しなさいというように、ヨナタンの頬にくちばしをあて、それから飛び立ったのです。夕方の薄明りの中に、ビアンカは白くきらめきました。ほんとに危険なほど白く。*1

戦いは暴君の敗北で終わり、竜カトラも死ぬのだが、この物語はそこでめでたし、めでたしとはならない。犠牲が多く出て、兄弟の馬たちも死に、兄は竜の火に触れたために体が麻痺してしまう。

そして、この勝利と敗北が残酷に混ざったクライマックスで、奇妙なことに、作者リンドグレーンは物語のはじまりで起きた悲惨な状況を――兄弟の役割を入れ替わらせて――再現してみせるのである。

場所は、夜のとばりが降りかけた山中。カトラの火――火災の火を連想させる――に触れて体が麻痺したヨナタンにクッキーが「また、死ななきゃならないの、ヨナタン?」と叫ぶと、ヨナタンは「ちがう! だけど、ぼくは、そうしたいんだ。なぜって、ぼくは、もうけっして体を動かせなくなるんだから。」という。

このヨナタンの言葉には戦慄を覚える。自殺願望のように聴こえるからである。ヨナタンは弟に「ぼくたち、もう一ぺん、とんでもいいかもしれないと、ぼくはおもうんだ。あの崖の下へ。あの草原へね。」という。

なぜリンドグレーンはこの場面を、火災の場面に似た設定に近づけようとしたのだろうか。実際には全然違う状況にあるのに、である。

火災の場面では、弟を助けるために兄の犠牲があった。ヨナタンが弟を背負って飛び降りたのは古い木造家屋の三階からだった。

が、ここでヨナタンが飛んでもいいというのは、クッキーが「ぼくは崖のへりまで出ていって、下をのぞきました。もう、あたりは暗すぎました。あの草原は、もうほとんど見えません。でも、それは目がくらむような深みでした。ぼくたちがここにとびこめば、すくなくとも、ふたりそろってナンギリマに行くことはたしかです。」と描写するような高所からなのである。

兄ヨナタンの言葉は、どう考えても心中をそそのかす言葉なのだ。

山を下りるつもりだった弟は、自分たちが別の世界ナンギリマに行ってしまったら、ソフィアとオルヴァルは兄さんなしでサクラ谷と野バラ谷の世話をしなけりゃならないよ、と懸念を口にする。

それに対してヨナタンは、もうぼくは要らない、というだけだ。「クッキー、きみがいるじゃないか。きみがソフィアとオルヴァルを手伝えばいい」とはいわない。

兄弟が山中で遭難する危険性がどの程度のものだったのかはわからない。クッキーが山を下りて助けを呼び、体の麻痺した兄を連れ帰って、介護しながらサクラ谷で生きていくこともできたのではなかったか。

ふたりはもう充分に、サクラ谷や野バラ谷の人々の助けを当てにできるくらいの人間関係が築けていたはずである。

しかし、あたかも心中でもするかのように兄弟は新たな他界ナンギリマを信じて崖から飛び降り、弟クッキーが「ああ、ナンギリマだ!……(後略)……」と声をあげて物語は幕を閉じる。

ふたりが飛び込んだナンギリマがどんな世界かというと、ヨナタンの話では「そこでは、まだまだ、たき火とお話の時代」であるという。ナンギヤラが「野営のたき火とお話の時代」だったのだから、その続編的世界ということだろうか。まるでエンドレステープのようである。

リンドグレーンの死生観については、伝記など読んでもよくわからず、作品から探るしかないが、環境をいえば、リンドグレーンの国スウェーデンはルター派を国教としている。人口の8割がルター派の教会に所属しているという。一方では、エマーヌエル・スヴェーデンボーリのような神秘家を生んだ国としても知られている。

作品に出てきたカルマ滝のカルマという言葉が気になった。竜カトラは、もう一匹の怪物である大蛇カルムと滅ぼし合ってカルマ滝へ消えていく。

カルマをKarmaと綴るのだとすればだが、英語にカルマ、 因縁、 宿縁、 因果、 縁、 天命といった意味があるように、スウェーデン語にも宿縁という意味があるようだ。リンドグレーンの死生観にはもしかしたら、東洋的な死生観がいくらかは混入しているのかもしれない。

Karmaは本来サンスクリット語で、因果応報の原則をいう。

ところで、当エッセーを書いている途中でわたしはたまたま、室温の変化が刺激となったのか、持病である冠攣縮性狭心症の発作を起こした。

死の危険を感じていたさなか、ヨナタンとクッキーが死んでから行ったナンギヤラのことが頭に浮かんだりして怖くなり、あんなところへ行くのは御免だと思った。

その一方では、物語の世界のしっとりと潤いのある空気が心地よく体に染み込んでくるようで、あの世界がリンドグレーンも共に息づく世界であることを確信した。

病人に寄り添うナイチンゲールのような空気だと感じられたのである。

そして、思った。あの世界は死後の世界として描かれてはいるが、この世界のことではあるまいか。

語り手であり、主人公でもあるクッキーはまだ生きていて、夢を見ているだけなのかもしれない。

とすると、生きているクッキーの現状は苦しみが長引くだけであって、希望がなさすぎるけれど、希望のない現実というものもあるということを、リンドグレーンは多く描いている。もう死にしか希望が見い出せないような過酷な状況を。

ナンギリヤラがいわゆる天国ではないのは、現実にはクッキーがまだ生きている証拠なのではあるまいか。

ここままで書いてきたが、結論は出ない。疑問は解消しないながらも、この作品がわたしにとって、豊かな、魅力に溢れる物語であることは、どうにも否定しようがない。

 

*1:リンドグレーン,大塚訳,2001,pp.164-165

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50 アストリッド・リンドグレーン (3)愛蔵版アルバムで紹介された『はるかな国の兄弟』と関係のあるエピソード 2015.9.14

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Astrid Lindgren omkring 1960
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

ヤコブ・フォシェッル監修(石井 登志子訳)『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(岩波書店、2007)を、誕生日プレゼントとして娘に買って貰った。

この大型本に見るリンドグレーンの境遇についてはエッセー 46「シネマ『バベットの晩餐会』を観て」の追記で述べたことと重複するが、アルバムでは作品解釈に役立つようなエピソードが沢山紹介されているので、合わせて『はるかな国の兄弟』に関係のあるエピソードを引用しておきたいと思う。

 目次

  1. アルバムに見るリンドグレーンの境遇
  2. アルバムで紹介された「はるかな国の兄弟」と関係のあるエピソード


1.  アルバムに見るリンドグレーンの境遇

石井登志子訳『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(ヤコブ・フォシェッル監修、岩波書店、2007年)を読んで初めて、それまで断片的にしか知らなかったリンドグレーンの人生を鳥瞰できた。

アストリッド-アンナ-エミリア・エリクソンは 1907 年 11 月 14 日、スウェーデンの南部スモーランド地方、カルマル県にある都市ヴィンメルビー郊外のネースで誕生した。2002 年、94 歳の誕生日を迎え、クリスマスを家族で祝った数日後インフルエンザにかかり、1 月 28 日亡くなった。

両親は農場が軌道に乗るまで苦労したかもしれないが、あのころのスウェーデンの時代背景を考えると、彼女は何しろ農場主の娘で、父親は酪農業組合、雄牛協会、種馬協会を結成した活動的な事業家でもあり、娘のアストリッドが苦労した様子はアルバムからは窺えない。

ラッセを産んだ件では苦労しただろうが、一生を共にしたくない男の子供を妊娠し、その男と一生を共にしない選択の自由がともかくもあり、女性の権利拡張運動の闘士(職業は弁護士)エヴァ・アンデンの援助も受けられて……と、確かに一時的な苦労はあったようだが、自由奔放な女性がしたいようにしたという印象を強く受ける。

「ヴィンメルビー新聞」の編集長ブロムベリイの子どもを妊娠したとき、アストリッドは 18 歳だった。ラッセは、実父から 3 万クローナの遺産を受けとっている。

ちなみに、ラッセが大学受験資格に合格したときの写真を見ると、どちらかというと、いかつい男性的な容貌のアストリッドとは対照的な、女性的といってよいようなハンサムボーイだ。

アストリッドの再婚相手は、秘書として就職した先で知り合った、王立自動車クラブ支配人ステューレ・リンドグレーンだった。21 歳のアストリッドも出席した王立自動車クラブの毎年恒例の晩餐会の写真は凄い。豪華絢爛な晩餐会の様子に圧倒される。

第二次世界大戦前の写真だが、福祉大国スウェーデンが今も――以前の特権を維持していないとはいえ――貴族が存在する社会であることを思い出させた。

それまでに読んだアストリッド・リンドグレーンの作品解説や伝記的なものからは地味な境遇が想像されていたが、いや、とんでもなかった!

想像とは違っていたが――違っていたからこそ、というべきか――、図書館から借りて見たアストリッドや周囲に写っているものがとても素敵だったので、昨年、娘に誕生祝いに何がほしいかと訊かれたとき、迷わずこの本を挙げたのだった。

だから勿論、わたしは、アストリッドが有名だったり、お金持ちだったり、また自由奔放だったりしたからどうのとケチをつけたいわけではない。

無名で貧乏だと取材もままならないから、有名でお金持ちのほうがいいに決まっているし、自由でなくては書きたいように書けないから、環境的に自由なムードがあり、気質的にも自由奔放なくらいがいいと思う。

ただ、「小さいきょうだい」、「ボダイジュがかなでるとき」からも、極貧状態の描写と物語の展開にどことなく貼り付いたような不自然さを覚えていたので、つい、どんな環境で書かれたかを探りたくもなったのだった。

『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』には作品解釈の手がかりになるようなことが多く書かれている。「はるかな国の兄弟」の謎はそれで大部分が解けた。

わたしが深読みしたより、単純に――シンプルにというべきか――書かれていた。それでも、まだ謎の部分が残る。


2.  アルバムで紹介された「はるかな国の兄弟」と関係のあるエピソード

「はるかな国の兄弟」について触れられているのはアルバムの中の「写真で綴る、アストリッドの人生」で 2 箇所、マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」で 3 箇所である。

アストリッドの娘には 4 人の子どもがあって、それぞれ文学関係の道に進んだそうだ。アストリッドは一人ひとりの孫から創作の着想を得ることはなかったというが、ちょっとした言葉づかいや心の動きは借りることがあったとか。

「はるかな国の兄弟」の創作時には二男ニルスと三男ウッレが貢献しているらしい。

4 歳だった二男ニルスの、死についての不安な気持ちは『はるかな国の兄弟』の創作に貢献した。三男のウッレは 1 歳の時に、しきりに「ナン-ギ、ナン-ギ。」と口にしていたのが、やはり『はるかな国の兄弟』の中の主人公、クッキーやヨンタンの住む世界“ナンギヤラ”の名前に使われている。*1

マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」には、アストリッドの作品によく出てくる、印象的な台所について触れられた箇所がある。

 何か特別な雰囲気のある、部屋や場所があるものだ。
「わたしが台所のことを書く時は、わたしたちの家の台所ではないの。ほとんどいつもクリスティンの台所なの。」アストリッドは言っていた。
 クリスティンは牛の世話係と結婚していて、ふたりの娘がエディットである。……(略)……
 わたしが、クッキー・レヨンイェッタ(『はるかな国の兄弟』)が横になっていた台所はどんなだったかを尋ねると、アストリッドは自分でも驚いていた。
「そりゃクリスティンの古い台所でしょ! でも、考えていなかった。そこは 3 階だったのに、クリスティンの台所にしていたわ。」*2 

また、アストリッドの死のイメージがどこから来ていたのかにも言及している。

 アストリッドのベッドで休んだ夜は、初夏の明るさに包まれていた。外には、リンゴと桜の花が咲いていた。室内には、明るいところと半分影のようなほのぐらいところがあり、白夜の夏の夜明かし、アストリッド自身の夜明けへ向かう光があった。彼女の死のイメージは、光のイメージだ。「ぼくには光が見える!」とクッキーは、ナンギヤラやナンギリマやあらゆる未知の世界へ向かって叫ぶ。他の作家が暗く恐ろしげな色合いで表現してきた世界へ向かってそう叫ぶのだ。*3 

神秘主義者であるわたしにとっても死は光のイメージだが、その光のイメージは自然光ではなく、圧倒的だが精妙なオーラの光のイメージである。ストレムステッドのいう「アストリッド自身の夜明けへ向かう光」というのが内的な光のことだとすれば、オーラの光は内的な光といってよい性質のものだから、同種のイメージといってよいのかもしれない。

弟クッキーと兄ヨナタン・レインイェッタの物語『はるかな国の兄弟』は、1970年あたりに、ふたりの兄弟と死を主題とすることで構想が徐々にまとまったという。

 1971 年の元旦の朝、フリーケン湖に沿って汽車に乗っている時、湖上のバラ色に輝く朝日を見て、アストリッドははっとした。「これは人類の夜明けの光だ。そして何かに火がついたと感じた。」兄弟の物語は、この世で展開されるものではないと気づいたのだ。
 善と悪、生と死、そして互いに滅ぼし合うことになるふたつの怪物の登場、これをアストリッドは、第 2 次世界大戦のナチズムとボルシェビキと見なしていたようだが、物語は緊張感あふれる作品になった。物語を書き始めた時、どんな終わり方をするのか、アストリッドには分からなかった。クッキーが確かな死に向かって飛び降りる結末は、子どもにはよくないと、多くの大人が不快感を示したが、子どもたちは明るい結末ととらえていた。*4

マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」でも大人たちの反応に触れられている。

『はるかな国の兄弟』は、「“死”というタブーの境界に添って展開していくため、多くの大人に不安を与え脅えさせた」という。しかし、子どもたちは大人とは違う方法で読んでいるとストレムステッドは書いている。

『はるかな国の兄弟』が出版された直後、アストリッドが若い心理学者に会い、そのときのことをストレムステッドに語ったという。

アストリッド・リンドグレーンは語った。「彼は、子どもに対しては『はるかな国の兄弟』の最後のあたりを読むことができないと言ったの。兄弟が二度も死ななくてはならないと考えるのはおぞましいから、と。その後、家に帰ったら、エーミル映画でイーダの役をしていた女の子から電話があって、こう話してくれたの。“たった今、『はるかな国の兄弟』を読み終わったんだけれど、幸せな終りにしてくれてありがとう”って、子どもはそのように経験できるのよ。」*5

大人の読後感はいろいろだろうし、子どもたちの反応も一律ではないと思うが、あの終わらせかたにはやはり議論を呼ぶところがあるとは思う。

そして、物語に登場する悪役――二匹の怪物――が第2次世界大戦のナチズムとボルシェビキを喩えるものだったとは、安直な技法と思えて驚いた。しかも、「物語を書き始めた時、どんな終わり方をするのか、アストリッドには分からなかった」というからには、この物語は綿密に構成されたものですらなかったということになる。

しかしながら、二匹の怪物が互いに滅ぼしあい、カルマ滝の中で死ぬまで戦いあって深みへと沈んでいくのを見届けた作者アストリッド・リンドグレーンは、そのことによって物語全体を覆う煉獄的ムードを払いはしなかった。

このことは、彼女が哲学的な人物ではなかったとしても、勧善懲悪的世界観に与するような単純な思考の持ち主ではなかったことを示している。

主婦として一旦は家庭に入ったアストリッドだったが、すぐに速記記者として弁護士事務所や国会議事堂で臨時に働き、第二次大戦中の 1940 年からの 5 年間を手紙検閲機関で秘密裏に働いている。戦争に、体制側の一員として深く関わっていた。

こうして見ていくと、「はるかな国の兄弟」は、第二次世界大戦についてのアストリッド的総括、犠牲者に捧げられた鎮魂歌ともいえるのかもしれない。

 

*1:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.106

*2:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.257

*3:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.257

*4:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.175

*5:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.255

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2021年1月 4日 (月)

Kindle版電子書籍『枕許からのレポート』、『結婚という不可逆的な現象』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

2020年12月25日に『枕許からのレポート』、26日に『結婚という不可逆的な現象』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『枕許からのレポート』をお買い上げいただいたのは今回が3冊目、『結婚という不可逆的な現象』は2冊目でした。

以下は、Amazon Kindleストアの拙著者ページです。

直塚万季のページ

Kindle本にした作品のうち、KDPセレクトに登録した本の作品は、他で発表することができません。当然、動画にもできないわけですが、登録していない本の作品は他で発表することができます。また、登録中の本の作品であっても、登録を外せば、他で発表することが可能となります。

そこで、登録していない本のうち、99円の児童書シリーズから動画にしてみることにしました。

現在、動画にしたのは「マドレーヌとわたし」、「ぬけ出した木馬」、「卵の正体」です。

また、児童向けというより大人向きの作品ではありますが、娘が子供のころに児童小説として読んでからずっと好きな作品だといった「雪だるま」(原題「雪の福音」)を、KDPセレクトに登録していない『雪の二小編』から選んで動画にしてみました。

他に、動画にした児童小説「風の女王」は、当ブログで公開中の作品です。

Kindle版電子書籍として売れにくい「マドレーヌとわたし」を最初に動画化し、2020年6月2日にYouTubeで公開しました。今確認したところでは視聴回数 347 ですので、動画にしてよかったと思います。

https://youtu.be/21bq186PwcE

「マドレーヌとわたし」は絵本にしてみたい作品で、Kindle本にしてみたものの、児童向けの絵のない電子絵本というのは弱いなあという印象でした。Kindle本としては、対象年齢の上がる「卵の正体」のほうが売れています。

でも、機械朗読で動画にすると、のぞみちゃんの優しい声、お借りした音楽と画像の効果もあって、よい動画に仕上がったと思っています。一方、5日遅れで公開した「卵の正体(前編)」の視聴回数は伸びず、142 です(これが後編になると更に減り、128)。朗読には不向きなのかもしれません。

99円児童書シリーズのうちまだ動画にしていない「ぼくが病院で見た夢」、「花の女王」も動画化の予定です。はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中の「前世療法は、ブラヴァツキー夫人が危険性を警告した降霊術にすぎない」も加筆訂正が済み次第、動画化したいと思っています。

以下は、YouTubeの拙チャンネルです。

MAKI NAOTSUKA(聴く文学エッセイはいかが?)
https://www.youtube.com/channel/UC7VXIYkq-6qymgFyavm3HbQ

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2020年6月30日 (火)

8 本目のYouTube動画「風の女王」をアップしました。ビデオ・エディターの不具合で AviUtl へ。

あと、児童小説『ぼくが病院で見た夢』を前後編でアップしたら、動画作成はお休みにして、萬子媛をモデルにした童話、その後に新作能の執筆に入る予定でした。

ところが、ここへ来て、動画作成に利用しているMicrosoftフォトの機能ビデオ・エディターに不具合が発生するようになりました。

初めてビデオ・エディターで動画を作成したとき、完成後の動画に音のノイズが入っていました。あれこれやってみて駄目だったのでリセットしたらノイズが入らなくなり、その後はずっと正常に動画作成できました。

それが、昨日またノイズが入り、リセットしても駄目……。

3 度リセットしたあと、ノイズが消えたと思ってYouTubeにアップしたら、聴き逃しがあって、動画後半にノイズが 1 箇所入っていました。

何度も作成し直して頭がボーッとなってしまい、気づかなかったようです。

機械朗読動画なので、複雑なことはできなくてもよく、不具合さえ起きなければ使い続けたでしょう。でも、ノイズは気になります。

もうビデオ・エディターはワタクシ的には限界だと思い、夫が入れている無料の動画作成ソフト「AviUtl」を入れてみました。有名なフリーソフトなので、解説している人も多いです。

わたしが主に参考にしているのは、以下のサイト様。

AviUtlの易しい使い方
https://aviutl.info/

今日は AviUtl 本体と必要なプラグインを入れ、少しお勉強したところです。でも、使いこなすには時間がかかりそう。

ここで一旦動画作成をお休みして創作に入るか、予定の動画を作成し終えるかで、迷っています。萬子媛の童話が仕上がったら、これも機械朗読動画にするつもりなので、どちらにせよ、動画作成ソフトの使い方はある程度マスターする必要があります。

前述したように、1 箇所音のノイズが入っており、聴き苦しいと思いますが、当ブログにもアップしておきます。よろしければ、ご視聴ください。

 

風の女王
https://youtu.be/9Bvfl3O-VaY

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2020年6月20日 (土)

6本目のYouTube動画『ぬけ出した木馬(後編)』をアップ。さわやかな美味しさ、モロゾフの「瀬戸内レモンのプリン」。(追記、青文字)

モロゾフの「瀬戸内レモンのプリン」、さわやかな美味しさでした。

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6本目のYouTube動画『ぬけ出した木馬(後編)』をアップしました。字幕は自動生成に任せたままで、編集(書き直し)していません。明日はちょっと無理かもしれませんが、なるべく早くやります(追記: 6月20日15時に字幕校正済み)。今回朗読してくれたのは、前編に続いて、標準語話者 のぞみ です。

『ぬけ出した木馬(後編)』https://youtu.be/1lvIIDVL4eI 

 ※前編はこちら → https://youtu.be/RcPTg6hHRPk

なんか、最近こればっかりやっていて、これだけで消耗してしまっている感じですが、今後の予定は前記事でお知らせした通りです。

梅雨に入って、湿っぽいですね。新型コロナ予防に加えて、梅雨に対応した体調管理も必要ですね。あなた様も、どうか、ご自愛ください。洗濯物が乾きにくいですが、我が家では小型のサーキュレーターがフルに活躍してくれています。

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2020年6月11日 (木)

4本目の文学動画『卵の正体(後編)』を作成、アップしました。動画作成のあれこれ。

電子書籍化した作品(KDPセレクトに登録していないもの。セレクト登録作品はアマゾンでしか公開できません)と公開済みのブログ記事を動画作成のもとにしているので、校正の手間はないのですが、それに匹敵する作業はあり、それはナレーションソフトの標準語話者のアクセント調整と、自動字幕内容の訂正です。

ナレーションソフト『かんたん!AITalk®3 5話者パック(標準語)』(株式会社エーアイ)の使い方はシンプルで、難しくはありません。AHS ストアで購入しました。税込価格 19,800 円。「お買い上げ5000円以上送料無料」、「代引手数料は弊社にて負担させていただきます」とのことで、19,800 円の出費で済みました。

個人の範囲であれば、「YouTubeなどのウエブへの映像作品のナレーションに使用」、「動画への広告掲載(アフィリエイト行為)」、「ホームページ、ブログなどで 私的に利用」することが可能という、一部改訂になったこの利用許諾内容には感謝してもしきれません。

6年前に変な(?)動画を初作成したときから、ちゃんとした文学動画を作成したいという夢がありました。それにはナレーションソフトが必要だと思い、フリーソフトも試しましたが、触発されるものがなく、半ば諦めていました。

標準語話者のぞみ、かほ、ななこ、せいじ、あんず。せいじは男性、あんずは子供の音声。音声効果には音量、話速、高さ、抑揚があり、調整次第では、相当な効果が出せるのではないでしょうか。

〈のぞみ〉の音声は、『マドレーヌとわたし』のような童話にぴったりだと思いました。なぜか、スーパーが「シューパー」、馬が「ば」になる箇所があり、どうしても直りませんでした。「馬」が行の頭にくるからだろうと思い、平仮名や片仮名にしてみても「ば」と読みます。

科学的な用語が出てくるファンタジー『卵の正体』には、むしろ棒読みっぽい〈ななこ〉のほうがクールな感じが出て合うように思いました。〈せいじ〉の音声はアナウンサーのように聴こえます。

優秀な標準語話者達ですが、人間の声が持つ、情感から来る陰影などはさすがに望めないため、朗読動画を作るにはバックミュージックが必要だと思いました。ありがたいことに、音楽素材を無料配布してくださっているサイトがあります。写真素材を無料配布してくださっているサイトもあります。

字幕をきちんとつけておけば、それをもとに視聴者がGoogle翻訳で外国語にすることも可能なので、頑張ってつけてみました。自動翻訳を利用してつけました。自動翻訳そのままでは、例えばマドレーヌが所々「窓霊夢」「窓 m」、ペガーズが「ぺ guards」になっていたりして、そのままでは使えません。書き直しが必要です。

萬子媛をモデルとした新作能にチャレンジするつもりで準備中なのですが、同じような内容で、まず短い童話にしてみたいと考えています。

https://youtu.be/LLk4o9qakgc

日本語字幕を付けています。画面の右下に表示されている字幕アイコンをクリックしてみてください。全画面にすれば、文字も大きくなるので、わたしの老眼にもつらくありません。 

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2020年6月 7日 (日)

児童小説『卵の正体』(前編)の動画をYouTubeにアップしました

15分以内に収めるつもりで作成していましたが、無理で、前後編になります。まずは前編。Microsoft10に標準でインストールされているフォト(のビデオエディター)を使って動画作成しています。

あまり複雑なことはできそうにありませんが、今のわたしにはぴったりです。今回、フォトで初めて動画作成したとき、完成作を視聴すると、音声に3カ所も目立つノイズが入っていました。

わあ困ったと思い、リセットして駄目ならしばらく動画編集を諦めるつもりでやってみたら、治りました。フォトではブログにアップする写真を修正するくらいにしか使っていなかったからよかったものの、リセットすれば、当然ながらフォトに保存していたものは消えてしまいます。

Kindle書籍にしている作品の中で、KDPセレクトに登録していない作品は動画にしてしまいたいと思っています。途中で力尽きなければ。案外、時間がかかるのです。

セレクトに登録している作品は、アマゾンでしか発表できません。尤も、キャンペーン中でなければ、セレクト登録を解除することはできます。

ただセレクトに登録している作品は、比較的長いものが多いので、動画にはむかない気がします。99円の児童小説シリーズは、長さが動画にぴったりだと思いましたが、これでも少し長いです。最初に作成したマドレーヌが一番短いかな。

https://youtu.be/nrrTZbxKI0g

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2020年6月 5日 (金)

横田滋さんのご冥福をお祈り致します。久しぶりに動画を2本作成、YouTubeにアップしました。

ここ数日、動画作成に没頭していたので、アメリカで暴動が起きたことくらいしか、ニュースのチェックができていませんでしたが、この記事を書く前にざっとチェックしたところ、横田めぐみさんのお父様がお亡くなりになったと知り、何ともいえない気持ちになりました。

今年で戦後75年になるのに、自国を守るためのまともな軍隊すら持てない異常な国。とことん嘗められるだけですね。悔しい。拉致被害者は他にも沢山おられます。九条信者は直ちに、九条と共に北朝鮮へ行って、拉致被害者を救出してきてくださいよ。でなければ、もう、あなたがたの偽善的な戯言は、一切信じない。受け付けない。悔しくてたまらない。

動画作成について、長い記事を書くつもりでしたが、その気が失せました。動画、アップしておきます。気が向かれたら、ご視聴ください。

前の記事で、次のようなことを書きました。

「ITalkシリーズ(ナレーションソフト)の利用許諾内容が一部改訂になっており、個人の範囲であれば、「YouTubeなどのウエブへの映像作品のナレーションに使用」、「動画への広告掲載(アフィリエイト行為)」、「ホームページ、ブログなどで 私的に利用」することが可能になったと知ったからでした(この件について情報が必要なかたは、必ず、ご自身でお確かめください)。

注文していたソフトが届いたので、さっそく使ってみたのでした。わたしが購入したソフトには、標準語話者のぞみ、かほ、ななこ、せいじ、あんず――が存在しています。調整が大変ですが、不慣れな調整者に応えて、よく頑張ってくれたと思います。

こればかりやっているわけにはいかないので、今作成中の動画が仕上がれば、創作に戻ります。気づいたことが色々とあるので、それについては後日、記事にします。

https://youtu.be/21bq186PwcE

https://youtu.be/RcB_1zlmt_E

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2020年3月19日 (木)

Kindle版『不思議な接着剤1: 冒険前夜』をKENPCでお読みいただき、ありがとうございます!

シリーズ物となる予定の第1巻目『不思議な接着剤1: 冒険前夜』(ASIN:B00NLXAD5U)をKENPCでお読みいただきました。ありがとうございます!  KENPCでお読みいただいたのは3月18日、今回で3回目でした。これまでに1冊お買い上げいただいています。

Amazon「商品の説明」から引用します。

内容紹介
次巻で、中世ヨーロッパへ、時間旅行をすることになる3人の子どもたち。
本巻では、それを可能にしてくれる不思議な接着剤と子どもたちとの出あいをえがきます。
不思議な接着剤「クッツケール」は賢者の石100パーセントの超化学反応系接着剤、発売元はアルケミー化学工業株式会社。
「クッツケール」の背後には時空をこえて商売の手をひろげる企業連合の存在がありますが、この作品ではまだほんのり、すがたを感じさせるていどです。
不思議な接着剤に出あった子どもたちの心の動きを鮮やかにえがき出し、生きることの美しさ、せつなさを訴えかけます。

本文より
{ 瞳は、竹ぐしとパレットナイフを用いて、ケーキを型から取り出す作業を進めながら、しずかに話を聞いていました。
 ですが、翔太に起こったこと――いえ、弟に自分がしでかしたあやまちを紘平が話したとき、瞳は身をふるわせて作業をやめました。
「ねえ、紘平くん。それって、夢とか、ゲンカクとかじゃないの? わたし、しんじられない」
 瞳は、かしこそうな目をすずしげに見開いて、それ以上、紘平が話しつづけることを拒否するかのようでした。}

もくじ
1 おとうさんの部屋で
2 くっついたピアノ協奏曲
3 どうすればいいのか、わからない
4 青い目のネコ
5 明日は、しあさって
6 冒険へのいざない
あとがき

※本書は縦書き、小学4年以上で習う漢字にルビをふっています。

不思議な接着剤1: 冒険前夜  ¥250
https://amzn.to/2Ok2hp4

他の児童小説を紹介します。

田中さんちにやってきたぺガサス ¥500(中編児童小説)
https://amzn.to/2NUhJcd

すみれ色の帽子 ¥309(日記体児童小説。『不思議な接着剤』に登場する少女、瞳の日記です)
https://amzn.to/2CNZkYu

(以下は、99円の短い児童小説シリーズです)

卵の正体  ¥99
https://amzn.to/2QoMOql

ぼくが病院で見た夢  ¥99
https://amzn.to/2KvUWS7

ぬけ出した木馬  ¥99
https://amzn.to/2NSQvTr

花の女王 (児童書) ¥99
https://amzn.to/2CSOsbG

マドレーヌとわたし(漢字使用) ¥99
https://amzn.to/2XlDMfa

マドレーヌとわたし  ¥99
https://amzn.to/33XESjJ

※『花の女王』は四大(地水火風)シリーズのうちの1編で、地がモチーフです。風がモチーフの『風の女王』は、電子書籍にはしていません。当ブログにアップしていますが、当記事でもライン以下にアップしておきます。気が向かれましたら、どうぞ。
 まだ水と火が残っています。中編にするのもいいな……と考えています。

 

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。拙電子著書一覧を御覧いただけます。

Amazon.co.jp: 直塚万季: 作品一覧、著書略歴
https://www.amazon.co.jp/-/e/B00BERQ7P0

 

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2019年7月 7日 (日)

岩波少年文庫の総選挙。お小遣いで初めて買った小説、ベルテ・ブラット(石丸静雄訳)『アンネは美しく』(偕成社、1970)

ツイッターで岩波少年文庫の総選挙(?)があっていたので、わたしもツイートしました。

ただ、考えてみると、子供のころに岩波少年文庫の本を読んだ記憶がありません。創刊は1950年で、わたしが生まれたのは1958年の2月ですから、書店や学校の図書室あるいは市の図書館によく行っていたことから考えると、不思議でした。

リンドグレーンの作品は、『長くつ下のピッピ』を家で買って貰った講談社「世界の名作図書館」に収録されていたもので読み、続編や他のリンドグレーンの作品(やかまし村、やねの上のカールソン、名探偵カッレなど)は小学校の図書室で読んだように思いますが、全てハードカバーでした。

ウィキペディア「岩波少年文庫」

岩波少年文庫(いわなみしょうねんぶんこ)は、日本の出版社・岩波書店が出版している児童文学の叢書である。小B6判・並製。

沿革
1950年12月25日創刊。初回の刊行はスティーブンスン『宝島』、ウェブスター『あしながおじさん』、ディケンズ『クリスマス・キャロル』、ハムズン『小さい牛追い』、ケストナー『ふたりのロッテ』の5冊であった。当初の装丁はソフトカバーであったが、1954年にハードカバー化された。ケースもしっかりした厚紙であった。
1961年12月16日までに第一期(全100点、121冊)・第二期(全72冊)合計193冊の刊行が完了。以後、児童書については単行本および、岩波少年少女文学全集全30巻(1960〜1963年)、個人全集の刊行に力が入れられ、岩波少年文庫の新刊は10年余り刊行されなかった。
1974年、第一次オイルショック による物価高騰の影響を受け、ソフトカバーの軽装版で新刊の刊行を再開。1983年までに全68冊が刊行された。
1985年には創刊35周年を迎え、4色刷のカバーの新装版が発行された。この時、背表紙の色が対象年齢別に、ピンク(小学生中級〜)、黄色(小学生上級〜)、水色(中学生〜)の3種に色分けされた。その後、1991年までに全51冊が刊行された。
1995年には創刊45周年を記念して新刊の刊行を再開。これ以降、新刊の刊行は継続している。2000年には創刊50周年を迎え、左右の幅を7mm広げた新しい判型が採用された。
2010年には創刊60周年を迎えており、総発行点数は約400、総発行部数は約3,100万部に達している。

「岩波少年文庫」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年6月12日 05:47 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

謎が解けました。

1961年に第一期・第二期の刊行が完了したとき、わたしは3歳です。その後ブランクがあり、再び刊行の再開されたのが1974年。わたしは16歳になっていました。

再開後の岩波少年文庫の本が書店や図書館に並ぶころにはもう高校生ですから、岩波少年文庫ではなく、岩波文庫や新潮文庫などの本を読むようになっていたはずです。それで、子供のころは岩波少年文庫の本とあまり接点がなかったのでしょう。

話は変わりますが、わたしが初めてお小遣いで買った小説は、ノルウェーの女性作家ベルテ・ブラット著、石丸静雄訳『アンネは美しく』(偕成社、1970)でした。中学一年生のときだったと思います。定価430円とあります。

Img_0318

宝物となって、今も書棚にあります。絵が物語るように、堅実で情感豊かな16歳の少女アンネが18歳になるまでを描いた、ジュニア小説です。

ノルウェー西部のフィヨルドの奥で育ったアンネは、牧師夫人の仲介で都会に出、住み込みの女中のアルバイトをしながら高校を卒業するまでの顛末が純愛をテーマとして描かれます。

最新設備を備えた都会の家で、アンネは田舎娘としての頓珍漢な行動で周囲を苛立たせますが、彼女にはバイオリンと編み物の特技がありました。

編み物をして生活費の不足を賄い、音楽一家と知り合ってからはバイオリンの腕が生きます。しかも、アンネは容貌が整っていて、特待生を目指すほど優秀でした。

わたしは当時、読みながら自分とアンネを比べて、あまりに大人びた、しっかりしたアンネに感心しながらも、話ができすぎているとも思いました。

編み物はわたしが中学校のころ、バレンタインデーに男子に贈るマフラーを編むのが流行っていました。マフラーくらいは編めたとしても、それで生活費を稼ぐなど想像できませんでしたし、楽器にしても、ピアノを習ってはいましたが、わたしは音大を目指している友人とは心構え自体が違うだけでなく、アンネは一日に何時間も練習している友人とも違って、さほど練習もせずに人前にバイオリニストとして立てるほどの腕前でした。

アンネには様々な苦労がありますが、音楽一家に育った青年イエスと恋に落ち、その恋は大小の起伏を交えながらゆっくりと育っていきます。小説は、二人の明るい前途を暗示して終わります。訳者の解説を読むと、続編もあるようです。

アンネはイエスと結婚して音楽の町ザルツブルクに住み、子供に恵まれ、パリで音楽の修行を続けようとするイエスのために奮闘するようです。

登場人物がヨーロッパのあちこちへ移動するのが不思議で、ヨーロッパ全体が一つの国のようだと思ったことを覚えています。

『アンネは美しく』は、『赤毛のアン』の系統に属する作品ではないかと思います。

こういうと顰蹙を買うかもしれませんが、わたしはアンはわざとらしく、騒々しく思えて、あまり好きになれませんでした。率直で、生真面目で、駆け引きなど思いつきもしない、静かなアンネのほうが好きでした。

自分の性格がアンかアンネのどちらかに似ていたために、アンが嫌いだったのかどうかはわかりませんが、自分の子供っぽさに自覚があったのは確かで、アンネの静穏な魅力に惹かれ、大人っぽい判断力と行動にあこがれたのでしょう。

訳者の石丸静雄氏の経歴をウィキペディアで見ると、石丸氏は佐賀県生まれで、『ニルスのふしぎな旅』を著したセルマ・ラーゲンレーフの神秘主義的な小説『幻の馬車』(角川文庫、初版1959、再版1990)の訳者でもあられるようです。原文がどのようであるかは知りませんが、邦訳の美しさは印象に残っています。

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2019年5月26日 (日)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (4) 

森恵子『P.L.トラヴァース』(KTC中央出版、2006)を参考にすると、トラヴァースはジョージ・ウィリアム・ラッセル(George William Russell,筆名AE,1867 – 1935)、アルフレッド・リチャード・オレイジ(Alfred Richard Orage,1873 - 1934)、ジョージ・イヴァノヴィチ・グルジェフ(George Ivanovich Gurdjieff,1866年 - 1949)の順に出会ったようだ。

森によると(2006,p.18)、トラヴァースとジョージ・ラッセル(AE)の出会いは1925年。ラッセルは57歳、トラヴァースは25歳だった。ラッセルはトラヴァースを「『娘、助手、徒弟あるいはその三つを合わせたもの』と考え目をかけてくれた」。また、「精神世界について、妖精物語や神話の意味、東洋の宗教などについて教えを受けた。AEが重要視していたのは、アイルランドの国家ではなく、そこに広がって存在する精神的な結び付き、霊的な一族であった」。

交友関係はラッセルが1934年に亡くなるまで、10年近くに及んだ。森によると(2006,p.29)、ラッセルはトラヴァースの「師でもあり恋人でもあった」。メアリー・ポピンズの初期の作品にロマンティックなムードが漂っているのも、頷ける。

ウィキペディア英語版、日本語版の「ジョージ・ウィリアム・ラッセル」には、神智学協会やヘルメス協会は出てきても、グルジェフ関連の記述は見当たらない。ラッセルはグルジェフとは接触がなかったようである。

ウィキペディア日本語版には、ラッセルが神智学団体のまとめ役や相談役も担ったとあり、次のような記述もある。

1880年頃から神智学に興味を持ち始めた。1885年に学友ウィリアム・バトラー・イェイツがダブリンにヘルメス協会を設立した際にはすぐ加入しなかったが、この組織が神智学協会へと改組されると参加し、さらに1898年にはこの組織を抜けて自らヘルメス協会を復興させた。
「ジョージ・ウィリアム・ラッセル」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年7月24日 15:57 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org)

ウィキペディアのヘルメス協会というのは、The Hermetic Order of the Golden Dawn のことではないかと思う。

「黄金の夜明け団」と邦訳される、英国フリーメーソン系英国薔薇十字協会の3人のメンバーによって創設された神秘主義的結社である。

亡き母に捧げられた「風にのってきたメアリー・ポピンズ」は1934年に出版されたが、「メアリー・ポピンズ」シリーズの基となった詩や短編が1923年から見られるという。

1935年7月にラッセルが癌で亡くなった3か月後の10月に書き上げられ、同年出版された「帰ってきたメアリー・ポピンズ」には、最後までこの作品のことを心配していたラッセルの助言が生きているそうだ。

「メアリー・ポピンズ」シリーズ初期の1、2巻にラッセルの影響が色濃く、アイルランドの妖精物語や神話などに交じって神智学の影響が見られるのも、長かった2人の関係を考えれば、不思議ではない。

ちなみに、英語版ウィキペディア「George William Russell」によると、トラヴァースがラッセルを知ったとき、彼は既婚者だった。1898年にバイオレット・ノースと結婚しており、1932年の妻の死はラッセルに大きな打撃だったらしい。ラッセルの気前のよさともてなしは伝説的だった(Russell's generosity and hospitality were legendary.)。以下の記述からすると、特に若い作家に対してそうだったのだろう。トラヴァースもその恩恵に与った一人だったのだ。

He was noted for his exceptional kindness and generosity towards younger writers: Frank O'Connor termed him "the man who was the father to three generations of Irish writers", and Patrick Kavanagh called him "a great and holy man". P. L. Travers, famous as the creator of Mary Poppins, was yet another writer who gratefully recalled Russell's help and encouragement.
「George William Russell」『フリー百科事典 ウィキペディア英語版』。2019年5月25 22:45 UTC、https: //en.wikipedia.org

トラヴァースがラッセルを通じてオレイジと知り合ったのは1933年である。出会いの翌年、1934年にオレイジは亡くなっている。

英語版ウィキペディア「Alfred Richard Orage」を閲覧したところでは、オレイジと神智学協会の関係は1890年代後半から1907年までである。

In 1906 and 1907 Orage published three books: Consciousness: Animal, Human and Superhuman, based on his experience with theosophy; Friedrich Nietzsche: The Dionysian Spirit of the Age; and Nietzsche in Outline and Aphorism. Orage's rational critique of theosophy evoked an editorial rebuttal from The Theosophical Review and in 1907 he terminated his association with the Theosophical Society.
「Alfred Richard Orage」『フリー百科事典 ウィキペディア英語版』。2019年5月15日、04:22 UTC、https: //en.wikipedia.org

1906年と1907年にオレイジは3冊の本を出版した。その内容が The Theosophical Review からの反論を呼び起こし、それが原因で彼は1907年に神智学協会との関係を断ったようである。The Theosophical Review は、アニー・ベサントとG・R・S・ミードを編集者としてロンドンで刊行された月刊誌。

オレイジの著作のタイトルから見る限り、オレイジ独自の思想が神智学と関連付けて織り込まれているのではないだろうか。

1914年にはグルジェフと関係の深かったウスペンスキーと出会い、1922年にはグルジェフと出会っている。それから亡くなるまで、オレイジはグルジェフの助手として働いた。

このことから考えると、オレイジの最晩年にしか接触がなかったトラヴァースがオレイジからグルジェフへの関心をもたらされたことはあったとしても、神智学の影響を受けたとは考えにくい。

「メアリー・ポピンズ」の初期の2作品からはまぎれもなく神智学の雰囲気が感じとれるから、トラヴァースの神智学への関心はやはり、ラッセルとの交際によってもたらされたものではないだろうか。それも、彼女は直にブラヴァツキーの代表作を読んだのだとわたしには思える。

そして、ラッセル亡き後、トラヴァースはグルジェフに傾倒していったのだろう。

「帰ってきたメアリー・ポピンズ」に話を戻そう。

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以下は未整理のオレイジに関するノート。

英語版ウィキペディア「Alfred Richard Orage」によると、アルフレッド・リチャード・オレイジAlfred Richard Orage(1873 - 1934)は、小学校の教師時代に独立労働党(Independent Labour Party。かつてイギリスに存在した社会主義政党)に関わり、その後プラトンを7年間、ニーチェを7年間、マハーバーラタを7年間学んだ。

1890年代後半、従来の社会主義に幻滅したオレイジは神智学に転向。1907年に神智学協会との関係を断った。

オレイジは1907年に週刊誌「ニュー・エイジ(The New Age)」を買い取って、編集者としての辣腕を振るった。

「ニュー・エイジ」の寄稿者はフェビアン協会のメンバーが多かった。

ウィキペディア「フェビアン協会」(「フェビアン協会」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年2月20日 13:32 UTC、http://ja.wikipedia.org)によると、フェビアン協会(Fabian Society)は1884年にロンドンで設立された。漸進的な社会変革によって教条主義的マルクス主義に対抗し、暴力革命を抑止する思想や運動をフェビアン主義(フェビアニズム)と呼ぶ。労働党の基盤の団体として、現在も存在。 

ファビアン協会のメンバーにはジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw,1856 – 1950)、イーディス・ネズビット、ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells,1866 – 1946)など作家もいて、1907から1933年にかけて神智学協会の第2代会長
を務めたアニー・ベサント(Annie Besant,1847 – 1933)も初期のメンバーの一人だった。

オレイジはその雑誌の傾向を変化させていく。キャサリン・マンスフィールドも寄稿したようである。

オレイジはグルジェフとの関係には紆余曲折あったようだ。ウィキペディア英語版の記述からすると、オレイジはグルジェフに結構こき使われているようにわたしには映る。

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