カテゴリー「神秘主義」の306件の記事

2020年5月 4日 (月)

第36回織田作之助青春賞 受賞作(丸井常春)『檻の中の城』を読んで。コロナ禍で人気の名作2編『ペスト』。

亀感想だが、自分のための覚え書きとして、簡単に感想をメモしておきたいと思う。

先に、第26回三田文学賞新人賞 受賞作(小森隆司)『手に手の者に幸あらん』を読んだ。

『手に手の者に幸あらん』は、純文学界でずっと流行が続いている作風で、南の国で行方不明になった熱帯植物研究会の副会長を務めている妻を探しに冒険の旅に出かけた男性を主人公とする冒険ファンタジー小説。

完全な空想小説でも、冒険小説でもない、曖昧な……ああ、またこの手の小説か、と思いたくなる作風だ。織田作之助青春賞とは異なり、応募者の年齢に幅のある三田文学新人賞。受賞者は応募時60歳とあり、年齢にふさわしい手練れの文章家である。

しかし、この作風ではその文章力がもったいない。純文学の書き手なら挑戦すべき内的探究をお預けにしたまま、ファンタジーに逃げているのが感じられるからだ。

純文学界に居座った集団マンネリズム。集団エゴイズムというべきかもしれない。それに忠実な作風で選考委員を安心させる者が仲間に加えられることが繰り返されてきた、純文学界の荒廃。仲間内で利益を分かち合うための巧妙な仕組み。

いつまでこれが続くのだろうか、許されるのだろうか? それに対する抵抗感よりも最近ではこの成り行きを見定めたい思いのほうが強くなった。

読者を内省の深みへと誘う小説と暇つぶしにしかならない小説とでは、月と鼈、生死を一つにする瞑想的読書と生死を分離させる単なる娯楽的読書との違いがある。

神秘主義者としていわせて貰えるなら、前者は後者に比べて、死後に味わえる世界が桁違いに違ってくるのだ、といいたい。なぜなら死後の世界とは、ある意味で、内的世界そのものだからである。

冒険小説といえば、イギリスの作家ダニエル・デュフォー(Daniel Defoe,1660 - 1731)の『ロビンソン・クールソー』には、子供のころ、夢中になった。

何回読み返したか、わからないほど。手に汗握るスリリングな場面は勿論好きだったが、子供のわたしに印象的だったのは、主人公が海亀の卵を料理して食べる場面だった。とてつもなく美味しそうで、食いしん坊のわたしはその場面を涎を垂らさんばかりにして読んだ。

横道に逸れるが、そのダニエル・デュフォーに『ペスト』という作品があるとは知らなかった。

清教徒革命を経て王政復古後のロンドンで1665年に流行し(en:Great Plague of London)、およそ7万人が亡くなった。1666年に大火(ロンドン大火)が起こり全市が焦土と化したことでノミやネズミがいなくなり流行は終息した。(後にダニエル・デフォーは『疫病の年』(A Journal of the Plague Year、1722年刊)という小説で当時の状況を克明に描いた)。
「ペスト」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年4月30日 10:51 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

ペストがロンドンで流行った年、デュフォーは5歳だから、丹念な取材と調査を基に書かれたのだろう。この小説がコロナ禍のわが国で人気だそうで、大層面白いらしい。

ペスト (中公文庫)
ダニエル デフォー (著), Daniel Defoe (原著), 平井 正穂 (翻訳)
出版社: 中央公論新社; 改版 (2009/7/25)

Kindle版の無料サンプルをダウンロードして読むと、畳みかけるような事実の報告と感じさせられる筆致に迫力があり、確かに面白そうだ。文庫本でも出ており、読みたい。

同じタイトルの小説に、フランスのノーベル文学賞作家アルベール・カミュ(Albert Camus,1913 - 1960)の『ペスト』がある。これを大学時代に読んだわたしがコロナ禍で思い出したのは、こちらの『ペスト』である。ペストのためにロックダウンされたオランの町が描かれている。

ペスト (新潮文庫)
カミュ (著), 宮崎 嶺雄 (翻訳)
出版社: 新潮社; 改版 (1969/10/30)

今回のコロナ禍でわたしが何よりも驚いたのは、日本人がかくも外向的な国民になってしまっているということだった。この国の人々は、以前はもっと内省的なところがあったのではなかったか。楽しみも喜びも、外部に求めることしか知らない、外部依存症ともいうべき状態に陥っているのではないか。

引きこもりはその裏返しともいえよう。

前述したように、読書習慣があったとしても、娯楽的読書に慣らされた人々にとっての読書体験は内的自己と深く関わることのないま終わってしまうため、外部依存症が強まるにすぎないのだ。

詰まるところ、この国の多くの人々が、自己の内面を見つめる習慣を終ぞ持たないまま死んでいくのだろう。

もしそうだとしたら、それは文学の責任といえる。衰えた宗教哲学のせいともいえよう。神秘主義者であり、世に知られることのない物書きの一人として、痴呆的になったこの国の前途をわたしは今、深く憂慮する。

カミュの『ペスト』は象徴性を宿したリアリズム小説といわれるが、デュフォーの『ペスト』と比較すると観念的といえる。だが、カミュの人間社会を見つめる目は鋭く、そこにカミュのリアリストとしての側面が感じられる。

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アルベール・カミュ(1957),出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

戦後、欧米の影響を強く受けた日本国民の姿は、カミュの描いたオラン市の人々に似ている。小説は次のように始まる。

ある町を知るのに手頃な一つの方法は、人々がそこでいかに働き、いかに愛し、いかに死ぬかを調べることである。われわれのこの小さな町では、風土の作用か、それがすべていっしょくたに、みんな同一の熱狂的でしかもうつろな調子で行われる。という意味は、人々はたいくつしており、そして習慣を身につけることにこれ努めているのである。(略)たしかに、人々が朝から晩まで働き、さてそれから、生きるために残された時間を、みずから選んでカルタに、カフェに、またおしゃべりに空費する光景ほど、こんにち、自然なものはない。しかし、人々がときおりはまた別なものの存在をそれとなく感じてもいるような、町や国もある。一般には、それが彼らの生活を変えはしない。ただ、それにしても感じることは感じたのであり、つねにそれだけの収穫にはなっている。オランはこれに反して、明らかにそんな感知など存在しない町、換言すればまったく近代的な町である。したがって、この町で人々が愛し合う、その愛し方を明確に描くことはかならずしも必要でない。男たちと女たちは、愛欲の営みと称せられるもののなかで急速に食い尽くし合うか、さもなければ二人同士のながい習慣のなかにはまりこむかである。(カミュ,宮崎訳,1969,pp.6-7)

長い脱線になった。

第36回織田作之助青春賞 受賞作(丸井常春)『檻の中の城』では、熊本地震がモチーフとなっている。

熊本地震(くまもとじしん)は、2016年(平成28年)4月14日(木)21時26分以降に熊本県と大分県で相次いで発生した地震。
気象庁震度階級では最も大きい震度7を観測する地震が4月14日夜(前記時刻)および4月16日未明に発生したほか、最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生している。日本国内の震度7の観測事例としては、4例目(九州地方では初)および5例目に当たり、一連の地震活動において、現在の気象庁震度階級が制定されてから初めて震度7が2回観測された。また、熊本県益城町で観測された揺れの大きさは計測震度6.7で、東北地方太平洋沖地震の時に宮城県栗原市で観測された揺れ(計測震度6.6)を上回り、国内観測史上最大となった。また、一連の地震回数(M3.5以上)は内陸型地震では1995年以降で最多となっている。

「熊本地震 (2016年)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年4月16日 11:35 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

このとき、隣県に暮らすわたしのところも長期間揺れた。娘とわたしは寝室に寝るのが怖くて、すぐに逃げ出せるように玄関前の廊下に寝具を持ち込み、そこで2週間ほどだったか、寝ていた。

その後、熊本市に住む友達と会ったとき、マンションに入った亀裂の話を聞き、熊本城の写真を見せて貰った。熊本城の被災に対する彼女のショックは伝わってきたが、痛ましいお城の写真を目にしても、どこか他人事としてしか受け止められないことがもどかしかった。

『檻の中の城』にも被災した熊本城が登場する。

かつて緻密に並んでいたはずの石は崩れ落ち、意味を持たない塊[かたまり]となって散乱している。構造物という概念は失われ、まるで柄のないジグソーパズルのようだった。月明かりが瓦に鈍く反射して露呈した土塊[つちくれ]が輝く。そんな光景を包みこむように、春夜[しゅんや]の風が吹き抜ける。(三田文學2020年冬季号 №140,第36回織田作之助青春賞,196頁)

友人の見せてくれた写真よりも、この描写のほうが崩れた熊本城の雰囲気を伝えてくれる。冷たい石や土塊に触れ、それらの匂いを嗅いだような錯覚を覚えた。

作者はこのようなしっかりした文章が書けるのに、しばしば、稚拙な文章になる。冒頭でもそうで、読むのを止めようかと思ったほどだった。

ばあちゃんが、マンションの駐車場に集まる鳩に、パンくずをやっていた。その姿を見てホッとした。とても久しぶりの光景だったから。(三田文學2020年冬季号 №140,第36回織田作之助青春賞,193頁)

語り手の「タカ君」は小学生かと思っていたら、男子高校生なのである。そして、タカの祖母は「直角に曲がった腰」をし、「歯のない口」をしている。

老婆はこんなものだろうという既成の見方で設定された登場人物にしか思えないのは、熊本城に対するような独自の見方が欠落しているからだろう。

話もわかりづらく、短い小説ではそれは致命的である。

離婚している両親。タカは商社マンの父と暮らしていたが、小学二年生のときに父がアフリカのどこかに転勤になった。父は熊本の実家に息子を預け、ホームヘルパーを送り込んできた。

タカはヘルパーに対して、「祖父母に育てられた僕にとっては、キヨさんがお母さんみたいなもの」との思いを抱いているらしく、ガタイのよいキヨさんに違和感を抱くこともなかった。

しかし、キヨさんは実は男性であり、よくありがちなジェンダーの悩みを抱えてもいる。熊本城に過度に執着する祖母は、認知症の初期が疑われる状態にある。

熊本地震(熊本城)、ジェンダー問題、認知症といった今日的な材料を使って、作者がよくできた短編小説を書こうと頑張っているのが見てとれるわ、文章はしばしば稚拙になるわ、となると、うんざりしてしまう。

それでも読むのを止めなかったのは、4頁目に出てくる熊本城の描写に惹かれたからだろう。

そして、我慢して読んでいると、なぜタカが祖母ではなく男性であるキヨさんを母のように慕うのか、説得力があると思える場面に出くわした。

キヨさんは、濃やかな心配りをする人物として描かれている。それは気分的なものではなく、多分にプロフェッショナルな意識から来ている。タカの心情を汲み取る術に長けるキヨさんは、祖母のことでも優れた処理能力を発揮して彼の心配を和らげてみせる。

ヘルパーの中で一番優秀な人物を寄越させたのは、父だった。つまり、タカにとって冷淡に見えていた父がそうではないことがわかるようなストーリー展開となっている。

祖母は認知症の初期という要素があったとしても、あまりに地味で生彩を欠いている。それが祖母を差し置いて、キヨさんを母代わりとして立てるための作者の工夫なのか、単に描写力がないだけなのか、わたしにはわからない。

失恋したキヨさん、認知症の疑われる祖母、祖母の病気が気が気でないタカ。

それぞれに傷ついている三人は、熊本城が修復される様子をベランダから眺める。熊本城はこれまでに何度も壊れてきたのだが、その度に長い年月をかけて直してきたのだと祖母は二人に話して聞かせる。読者に希望を印象づける終わり方となっている。

モチーフにもテーマにも目新しいものは何もないのだが、作者が純文学界の集団マンネリズムに感染していないことが感じられた。それだけでも貴重であり、文体やストーリーの不安定さ、危うさが、逆に成長への期待を抱かせもする。

コロナ禍にあって、ほのかな希望の灯をともしてくれた作者に、文学愛好者の一人として感謝したい。

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2020年4月21日 (火)

「神智学は、1本足りないのだよ」「何ですって?」 その2

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「神智学は、1本足りないのだよ」「何ですって?」 その1

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2020年4月12日 (日)

ツイッターで、一神智学徒の案内をツイートしました(12日夜に追記あり)

ツイッターでブラヴァツキー夫人と神智学のことを宣伝したいと思い、ツイートしました。

当ブログではツイートが大きくなったり小さくなったりしていますが、貼り付け具合の関係でそうなってしまいます。

コロナ禍に見舞われたこのとき、神智学徒であってよかったとしみじみ思いました。第二次大戦後にはずいぶん歪められて流布するに至った神智学ですが、真の神智学を多くの方々に知っていただきたいと思います。

無力な一神智学徒としては、ブログやツイッターで発信することくらいしか思いつきません。ツイッターは字数が限られており、効果的な発信のコツもわたしにはまだ掴めていません。

神智学の話題に限定したツイッターを別に作るべきかとも思いましたが、神智学の話題は世間ではどちらかというとマイナーな部類に入るので、誰も見てくれないかもしれませんし、別のツイートを閲覧した人がついでに見て興味を持ってくださるかもしれないというほのかな期待をもって、他の話題とごちゃまぜなツイッターのままにしています。

昨夜一旦、この一連の案内をツイートしましたが、訂正のためにツイートし直しました。せっかくお一人「いいね」してくださったのに、申し訳ありませんでした。

案内の①を書くに当たっては、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、1995)の文章を参考にさせていただきました。

『実践的オカルティズム』は現在、Kindle版で出ています。本は中古が出ています。『実践的オカルティズム』には秘教部門の教えが入っていて、格別に高潔な雰囲気の漂う、とても魅力的な一冊です。

実践的オカルティズム
H・P・ブラヴァツキー (著), 田中 恵美子 (翻訳), ジェフ・クラーク (翻訳)
形式: Kindle版
出版社: UTYU PUBLISHING (2019/7/23)
ASIN: B07VL7WQTW

追記:

拙ツイッターにツイート「※」を追加しました。ツイート①~⑤及び「※」は、紐付けてプロフィールに固定しています。

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2020年1月27日 (月)

今度はぎっくり腰? それでも観能(萬子媛…)。(28日早朝に加筆あり)

新型コロナウイルス関係の新情報にも触れたいとこだが、昨日、娘と観能に出かけたので、そのことをちょっとだけ書いておきたい。ぎっくり腰のことも。

その前日、あるちょっとした動作をした拍子に腰がギクッとして、たぶん、ぎっくり腰。どうもわたしにはこの種の身体トラブルが多い。副甲状腺ホルモンの過剰な分泌で、骨、関節が弱っているのかもしれない。椎間板ヘルニアや圧迫骨折なら困ると思ったが、ぎっくり腰と思われた。

過日、足底筋膜炎ではないかと思った左土踏まずの痛みは、例のハートの光を数回放射したのが効いたのかどうか、回復。

2020年1月19日 (日)
1月18日に、循環器クリニック受診。やりすぎのかかと落としにオーラビーム? 代わりに脳トレ。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/01/post-6561b3.html

強烈な痛みと疲労感で横になろうとしたけれど、痛くて無理。座るのも痛い。まだ立っている方がよかったが、腰が不安定でまだギクッとやりそうで、やはり痛く、横になりたい。痛いので何度も寝返りを打ちながら(その寝返りするのも痛い)、必死でオーラビームを試みるも、痛みのためか、新型コロナウイルスについて調べすぎた疲れのためか集中できず、なかなか痛みが消えなかった。

翌日、整形外科を予約外受診することと観能とどちらにするか迷った。整形外科はいつでも行けるが(?)、観能の機会は少ない。萬子媛をモデルに、わたしが想像する人物像をシテとした新作能にチャレンジするためには、今年中にできれば2回は観たいと思っていた。

当市に能楽堂があるのは本当に恵まれたことだ。だが、一流の能楽師が一堂に会する能楽の祭典はこの能楽堂最高のイベントであるはずで、年に1回ではなかったか。見逃せば後悔するだろう。

椅子に座れば痛みが増すのではないかと不安になりつつも、出かけた。娘がドーナツクッションを持って行こうといったが、むしろ腰が不安定になってギクッとなりそうなので、断った。痛くて我慢ができそうになければ、狂言と能の上演の間の休憩に帰るつもりだった。

痛みはあったが、幸い椅子は柔らかい割には腰が沈み込むほどではなく、ぎっくり腰にも快適な座り心地で腰が安定した。自宅に持って帰りたいほどにぎっくり腰向きの椅子(?)だった。

演目は『玄象』。観世流以外では『弦上』と書かれるという。

シテとは主人公のことだが、前ジテは尉(老翁)、後ジテは村上天皇。演ずるは、観世流シテ方能楽師・馬野正基。

ツレとはシテに従属する役で、ツレは藤原師長[ふじわらのもろなが]である。

後半部で、萬子媛が背後にいらっしゃるような気配を感じたのは、気のせいだったろうか。神社で感じたように、背中から太陽の光を浴びたように温かくなり、えもいわれぬ清浄な気を感じた。能楽堂が交錯するオーラの光で満ちていた。

それまでは、加齢臭がちょっと堪え難い気がしていた。老人がぎっしりで……自分ももう老人の域であることを棚に上げてすみません。

『玄象』について、ウィキペディアから引用しておこう。

『絃上』(げんじょう / けんじょう)は、能の演目。観世流では『玄象』と書かれる。藤原師長が音楽を志して南宋に旅立つ途中、摂津国須磨の浦で村上天皇の霊に押し止められたという逸話が題材となっている。
八大龍王を助演者に村上天皇が舞う早舞が見所。颯爽とした余韻を残す演目である。
題名の絃上は村上天皇愛用の琵琶の名称であり、曲中でも度々琵琶を演奏している場面があるが、舞台の上では演奏は抽象化されており、特殊な演出を除いて実際に弾くことはない。

「絃上 (能)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年4月8日 12:45 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

藤原師長は平安時代末期の公卿で、藤原北家御堂流、左大臣藤原頼長の長男である。源博雅と並ぶ、平安時代を代表する音楽家だという。箏や琵琶の名手として知られた。

花山院萬子媛は花山院定好の娘で、花山院家は藤原北家師実流の嫡流に当たるから、萬子媛と縁のある能ともいえる。音楽を好まれたことでも縁がある。

祐徳博物館で見た、萬子媛遺愛の楽器「雁[かり]が音の琴」を思い出す。「万媛遺愛の名琴で、黄金を以て雁一双、家紋並に唐詩和歌を象眼[ぞうがん]した鹿島鍋島家の家宝で累[るい]代公夫人に伝わり(略)」と説明があった。

それに、萬子媛は後陽成天皇の曾孫女だから村上天皇とも縁があるわけである。

村上天皇の霊が昇天の前に舞う場面の素晴らしさ。

村上天皇について、ウィキペディアから引用する。

村上天皇(むらかみてんのう、926年7月14日〈延長4年6月2日〉- 967年7月5日〈康保4年5月25日〉)は、日本の第62代天皇(在位: 946年5月23日 〈天慶9年4月20日〉- 967年7月5日〈康保4年5月25日〉)。諱は成明(なりあきら)。
第60代醍醐天皇の第十四皇子。母は藤原基経女中宮穏子。第61代朱雀天皇の同母弟。
(略)
平将門と藤原純友の起こした承平天慶の乱(935–940年)の後、朝廷の財政が逼迫していたので倹約に努めた。文治面では、天暦5年(951年)に『後撰和歌集』の編纂を下命したり、天徳4年(960年)3月に内裏歌合を催行し、歌人としても歌壇の庇護者としても後世に評価される。また『清涼記』の著者と伝えられ、琴や琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた天皇といえる。天皇の治績は「天暦の治」として後世景仰された。

「村上天皇」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年7月14日 04:03 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

祐徳博物館を見学すると、萬子媛が如何に歌を愛されたかがわかるのだが、村上天皇は歌と音楽に造詣の深い人物であった。

実はわたしは創作の参考のために鬘物(女性をシテとする曲)を観たいと思っていたため、思いが叶わなかったと思い、あまり期待していなかった。

ところが、以前、金春信高演ずる 『高砂』の映像に惹かれて、何度も観、その度に生で観たかったと思っていたその映像を連想させる、村上天皇の霊が舞う場面ではないか。魅了された。

白色の袖は、秘密を開示するかのように、抱擁するかのように、何度も大きく広げられた。その袖が光を受けて、白銀に輝いて見えるのが崇高な感じを与える。

威厳と品のあるシテを演じたのがお年寄りではなく、1965年のお生まれで、わたしより7つも若いとは想像しなかった。

世阿弥は、野上豊一郎・西尾実 校訂『風姿花伝』(岩波文庫、1958)で、老人を演ずるときの注意として、その振りや動作を少し遅れがちにするようにと説いている。そして、その他のことは世の常に、如何にも如何にも華やかにすべし、という。これを「老人の、花はありて年寄りと見ゆるる口傳」という。

わたしは若い頃世阿弥の『風姿花伝』と『花鏡』を興奮のうちに読み終え、どちらもとにかくすばらしかったが、最も印象に残ったのがこの「老人の、花はありて年寄りと見ゆるる口傳」だった。

能に観る老人は、世阿弥の美学の一結晶であり、気品に満ちてすばらしいのである。作者不詳の『玄象』を観ながら、この曲にも染み渡っている世阿弥の美学の鋭さ、哲学的奥深さを改めて感じた。

萬子媛の気配を感じた――気のせいだったろうか――のは10分間くらいだっただろうか。観能の間に腰の痛みがほとんどよくなったので、中心街に出、また娘と夜まで歩き回ってしまった(夫には外食してくれるよう頼んで出かけていた)。

帰宅後、明らかに悪化。何回かオーラビームやったが(三浦先生のやりかたも再読した)、まだしつこく痛みが残っている。ちょっと咳したりクシャミするにも勇気がいる。それでも、かなりよくなったと思う。

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2020年1月19日 (日)

1月18日に、循環器クリニック受診。やりすぎのかかと落としにオーラビーム? 代わりに脳トレ。

18日の受診時に、別の病院で処方された2種類の薬についてのご報告をしなければならないという重要な課題(?)がありました。

なぜ、そんなことが課題化するかというと、縄張り意識の強い当市では、別系列の病院に行くと嫌われ、冷遇されたりするからなのです。

かといって、そこが総合病院でもない限り、他の科にかかる必要が出てきて別の病院に行きたくなる場合がどうしても出てきます。

五十肩が悪化したときは、当市のしきたりに疎かったということもあり、自宅から徒歩でも行ける総合病院に行きました。その後、副甲状腺機能亢進症疑いが出てきて、同じ病院の内科に検査入院。

そのとき、同室の人達から以下のようなことを教わりました。

2008年8月19日 (火)
入院8日目 ②郷に入っては郷に従え
https://elder.tea-nifty.com/blog/2008/08/post_a72e.html
この県の医師はプライドが高く、セカンドオピニオンなんてまともにやったら、煙たがられ待遇が悪くなることは間違いないとか。
わたしも、それは感じてきました。
黙ったまま納得のいく医療を求めて、4軒くらい回るのがこの土地における賢いやりかただそうです。
正攻法が通じないのは残念なことですが、郷に入っては郷に従えですね。

このときはセカンドオピニオンの必要性を覚えていたわけですが、前述したように、セカンドオピニオンではなくとも他の科に行く必要性は出てくるわけです。

しきたり(凄く非科学的な村社会の話……)を学んでからは、他の科に行く必要を覚えたときは一々循環器クリニックの先生にご報告するようになったのですが、「ああそれは専門の病院を受診して」と軽くおっしゃることもあり、そんなときは紹介状を書いていただくわけでもないので、どうしても距離的に近い範囲内でよさそうな病院を選ぶことになります。

そこと縁が切れないと、まずいことになってくるのです。副甲状腺機能亢進症の症状の一つに腎臓結石(その結石が下に降りてくるにつれ、尿尿管結石、膀胱結石、尿道結石と名称が変わる)があり、泌尿器科とも縁ができやすいのですが、結石予防の薬は循環器科クリニックで出していただいています。

が、かかっている別の病院の内科から同じ病院内の泌尿器科に回されることもあります。

わたしは心臓外科の名医と誉れ高い――総合病院に心臓血管外科医として勤務されていたころは心臓を止めずに手術ができる医師として有名だったとか――循環器クリニックの先生との縁だけは切れないと感じているため、他の病院を受診すると、クリニックの先生に必要なご報告は行ってきました。

でも、そんなことをしてもあまり意味はなく、副甲状腺を診ていただいている内科と循環器科にはかぶる領域があるだけに、先生の不快感を誘ってしまいがち。うーん、面倒臭い。薬剤性肝炎でクリニックの先生が大学病院に紹介状を書いてくださったときの待遇のよさを思えば、受診科が分かれる岐路にたった五十肩のときに先生が属しておられる系列の病院に行けばよかったと悔やまれます。

そこへ行っていたら、この副甲状腺の件は発見して貰えたのかどうか。

で、昨日、受診前に検査室で看護師さんに別病院・別科で血液検査の結果から処方された2種類の薬についてご報告しました。その2種類とは以下の薬。

  • アルファロールカプセル0.5μg 朝食後2カプセル 63日分
  • パルモディア錠0.1㎎ 朝・夕食後1錠ずつ 63日分

アルファロールは骨粗鬆症の薬で、パルモディアは脂質異常症の薬です。

「血液検査の項目でかぶるものがあれば、それを除いて検査することも可能ですよ。そうしますか?」と看護師さんに訊かれ、そうすると、検査料がいくらかは安くなるだろうなとは思いましたが、受診時にそのような流れに持って行けるかどうかは疑問でした。

カルテに看護師さんが書き込んだ文章で全てを察知なさった先生にいつもの陽気さはなく、静かに「激おこ」のご様子。

静かな激おこのうちにも、淡々と診察は行われました。さすがは名医。すべきことはちゃんとしてくださいます(いや、当たり前のことでした)。

「中性脂肪は、2~3日前の食事で左右されることもあるんだよね。Nさんは怖ろしく高いこともあれば、基準値内のこともあるからね。次回、うちでも診ようと思っていたんだけれどね……」と先生。

わたしは即座に「お願いします!」といいました。

副甲状腺と心臓では血液検査の項目に違いがあります。中性脂肪はかぶっているので、看護師さんが除くこともできるとおっしゃったわけですが、安くなるといっても大した違いはないだろうし、それより「もう全部あっちで診て貰って」という風に切られることのほうが怖いと思ったのです。

すると先生はほのかにご機嫌を直されたご様子で、「うん、うちでも中性脂肪については次回診ることができるわけだね」と微笑まれました。

「薬はいつもの通り出しておこう」と先生。

診察室を出たあとで、心臓の話は何も出なかったことに気づきました。期間中に軽い冠攣縮性と思われる胸痛と圧迫感の発作はありましたが、ニトロ2錠でよくなり、予備のニトロペンも充分なだけあったので、「まあいいや」と思いました。

別病院の内科の先生は内分泌・糖尿病内科部長です。循環器クリニックの先生は心臓血管外科部長でした。

どちらも異なる方面から中性脂肪についてはお詳しいと思われ、「疑わしきは処方」の処置をとられた内科の先生と「疑わしきは様子を診る」処置をとられていた循環器クリニックの先生。どちらの判断がより優れているのか、わたしにはわかりません。

次回の血液検査で循環器クリニックの先生がどうおっしゃるのか、興味が湧きます。

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ところで、バレリーナのようにきりりと踵を上げて、30回のかかと落としを過度にやりすぎ、左足の土踏まずが痛んで普通に歩くのが大変になってきていました。数日休むとある程度よくなるので、続行してさらに悪化。ここを閲覧させていただくと、明らかにやりかたが間違っていたのだとわかります。

他方、NHKでスロトレをやっていて、その中には高校時代バレー部で柔軟体操をしていたときにやっていたものが複数含まれていました。それでかかと落としを、痛い場合は数日休んで行うようにし、そのぶんスロトレをしたりしていました。

それでもずっと左土踏まずが痛いので、クリニック受診には徒歩で行ける距離を休日の夫に送り迎えして貰いました。が、受診後に、痛い左土踏まずを誤魔化して休日だった娘と中心街を午後8時まで歩き回った結果、びっこ引きながらでないと歩けないほどに。

夜ごはんは家族と外食。現在病院勤めですっかり医療オタクと化した娘が「土踏まずが痛いのはおかしいよ」とスマホで調べてくれ、「足底筋膜炎かもしれないよ。整形外科を受診したほうがいいかもしれない」との忠告。

帰宅して自分でも調べてみると、確かに足底筋膜炎そっくりの症状でした。また整形外科の先生を呆れさせることになりそうでした。閲覧した中には、治るのに1年かかったと書かれている記事もあり、「ひ!」と思い、怒濤(?)のオーラビームを実行。翌日、嘘のように痛みと腫れが引いていました。

自分でも信じられません。かかと落としを休んでもずっと土踏まずの痛みが完全にはとれなかったのです。このような症状には患部に想像の白い光をハートからの思いを込めて放射してみる価値はあります。オーラの見えない人には単なる想像と思えるかもしれませんが、実際にハートから白い光が放たれるのです。

同様のことを過去記事でも何回か書いています。証明できることではないので、私的覚書として書くだけです。

2017年12月18日 (月)
腰痛のその後、最強のオーラビーム?(19日に追記あり)
https://elder.tea-nifty.com/blog/2017/12/post-1.html

わたしには、ある種の外科的な症状には、かなりの効果があるとしか思えません。わたしの場合は心臓にはあまり効かない気がしますが、夏秋よりずっといいのは季節のせいなのかこれの効果なのか。

家族は半信半疑ながら、いつものように何となく納得。家族にも、よくなって見えることは間違いないからでしょう。

しかしながら、まだ安静が必要だと思うので、かかと落としはしばらくお休みした後、無理ない範囲で行うことにしました。だいたい、わたしは物事をやりすぎるのですね。

その別の例として、ブラヴァツキー夫人の英語の論文を読むのに、マイクロソフトの翻訳機能を使いすぎて、機能が馬鹿になりました。エッジをリセットしたらまた使えるようになりました。Googleの翻訳機能のほうが体力(?)があるようです。

で、かかと落としの代わりに(なぜか代わりのものをやりたくなります)、脳トレをすることに。

脳トレ
https://notore.weclo.net/

唯一の国語の問題「難読漢字」だけは1時間以内に、得点1000/誤答数0/評価Sになりました。

時間内であれば書き直しが利きますし、同じ問題が繰り返し出てくるので学習でき、だんだん知恵がついてくる(?)のです。それでも必ず1問はわからない漢字が出てきて難儀しました。

数学はほぼ、馬鹿丸出しです。クリックの仕方から研究する必要があるのかも。

いやね、公文教室の助手をしていたときも、生徒に採点を見張られて(?)冷や汗ものでした。比較的簡単な分数計算までは暗算で採点するように先生からいわれていたので、こちらも生徒以上に必死。ただでさえ苦手な算数・数学。

生徒は多い子は分厚い宿題を持ってきて、向こうに行っていればいいのに、見ているのです。そして、「あ、先生、そこ違う。僕が間違っていた。まるじゃないよ」といいます。生徒にはこの確認作業もよい勉強になっていたでしょうね。

先生のお宅は算数・数学好きのご一家で、新年会に呼ばれて行くと、ご馳走のあとのレクレーションは暗算ゲーム。地獄のアルバイトでしたが、一昨年だったか、公文教室のアルバイトの求人を期待して、中学生のチャート式を始めたりもしていましたっけ。

条件に合う求人はなく、チャート式も方眼紙を買い足すのが面倒になり、途中でやめてしまった記憶が。脳トレになるからまたやろうかな。休んだら、また数学馬鹿になってしまったわ。前掲の脳トレも攻略したい。「曜日暗算」も算数ですが、最初見たとき、面倒で発狂しそうになりました。

つくづく文系ですが、ただ漢字も、適当に読む癖を子供のころにつけてしまって、変な読み方をしていたことに気づいて時々ぎょっとすることがあります。

脳トレ、ボケ防止におすすめです。

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2020年1月 5日 (日)

エッセーブログに「44 バルザックの風貌、悲鳴、ホロスコープ」をアップしました

拙ブログ「The Essays of Maki Naotsuka オンラインエッセー集」を更新しました。

当ブログの過去記事三本をまとめ、加筆訂正したものですが、当ブログにもアップしておきます。

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Honor_de_balzac_1842-407457

ルイ=オーギュスト・ビソン(Louis-Auguste Bisson,1814–1876)が1842年にダゲレオタイプ(銀板写真術)で撮影したオノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac,1799-1850)、パリ美術館(Paris Musées)。

目次

  1. 風貌
  2. 悲鳴
  3. ホロスコープ


風貌

 バルザックと動物園に来ている。

 シロアヒルを見たいのだが、「シロアヒルは呼び出し中です」という園内放送が流れる。

 再びシロアヒルの場所に来るが、まだ呼び出し中らしい。ここで弁当を食べるつもりだったが、バルザックが「ここではよそう」という。確かにここは埃っぽいし、糞もある。

 最初はブラウスのようなシャツとズボン姿だったバルザックだが、いつ着替えたのか、諷刺画にあるような王子様風の派手な姿になっている。膨らんだ短いズボンに飾りのある袖、襟、あの有名なステッキを手にしている。

 シロアヒルの場所の横に、マガモかアオクビアヒルかはわからないが、水鳥が鞠のように丸くなって点在し、眠っている。……

 たとえ夢の中の出来事とはいえ、バルザックと一緒にいられただけで嬉しいので、解釈はやめておこう。今年に入ってから、バルザックが夢に出てくるのは二度目だ。一度目に出てきたときは、子供時代の可愛いらしい溌剌としたバルザックだった。

 わたしの夢に出てくるバルザックは、本で紹介された写真や肖像画や諷刺画がもととなっているようだ。

 アンリ・トロワイヤ(尾河直哉訳)『バルザック伝』(白水社、1999)のカヴァーに使われている白いシャツ姿のバルザックの写真は、前掲のルイ=オーギュスト・ビソンが1842年にダゲレオタイプ(銀板写真術)で撮影したバルザックの写真がもとになったものだろう。

 様々なバルザックの肖像画が存在するが、この写真のバルザックが実在したバルザックの風貌を最もリアルに捉えたものであるに違いない。

 わたしはこれまでに見たどのバルザックよりも、このバルザックに魅力を覚える。

 まなざしが透視的といっていいくらいに鋭くて、それでいて冷たさはなく、尋常でない彼の資質を感じさせる。

 何ともすばらしい眼ではないか。わたしはこのバルザックとベルニー夫人の肖像画を撮って、一時期、携帯電話の待ち受け画面にしていた。わたしの創作魂のパパとママは、バルザック、及び彼の愛人であり文学上の育ての親でもあったベルニー夫人だと思えたからだった。

 前掲書『バルザック伝』から、バルザックの風貌を同時代人たちがどう捉えたかを抜粋してみたい。

太った小柄な方でした。服の仕立てが悪いので、よけい不格好に見えました。手はほんとに素敵。ひどくぶざまな帽子をお召しになっていましたけど、帽子をお取りになると、そんなこともうどうでもよくなります。わたくし、あの方のお顔にただただ見とれておりましたから。(略)おわかりにならないでしょうねえ、あの額とあの眼差し。ほんと、実際ご覧になっていない方にはねえ。大きな額でございましてね、まるでランプの光が照り映えたように輝いておりました。褐色の目は一面に散った金砂子が光っていて、口ほどにものを言う目とはあのことでございましょう。鼻は大きくごつごつしていて、口も大きゅうございました。歯はぼろぼろでしたけど、いつもお笑いになっていらっしゃって、濃い口髭をおたくわえになって、長い髪は後ろに掻き上げておいででした。*1

ポムルール男爵夫人の回想である。お次は、若き日の詩人フォンタネーの日記から。

ついにその男を目にする。輝き始めた栄光の新星を。太った若者だ。生き生きとした目、白いベスト、薬草売りのような風采、肉屋のような服、金泥師のような雰囲気。それらが合わさるのだからものすごい。この男は典型的な文学商人[あきんど]なのだ。*2

 ラマルティーヌによる観察。

彼は太って、がっしりと胸板も厚く、ミラボーのようにたっぷりとしていた。顔からは、知性にもまさって、気さくな人のよさがうかがえた。[……]この男が善良でなかろうはずがない。*3

 最後に、『クロニック・ド・パリ』という雑誌を一時期経営していたバルザックに執筆者として招かれた若き日のテオフィル・ゴーティエによる描写。

「修道服の襟元を大きくはだけて、円柱の柱身のように丸い首を見せていたが、筋張ったところのない、白い繻子のようなその首は、より赤みを帯びた顔と対照をなしている」さらに、「厚く、うねるような唇はよく笑い」、鼻は、「先が四角くすわって、二つに分かれて」おり、額は「美しく気高く秀で、顔の他の部分よりも際立って白」く、その眼ときたら吸い込まれるように黒くて金色にきらきらと輝き、「鷲でも負けて瞳を伏せてしまうほどの、壁の向こう側でも胸の内側でも見透かすような、君主の、見者の、猛獣使いの眼だ」*4

 

悲鳴

 バルザックの仕事ぶりが窺われる悲痛な手紙の文面を、クルティウス(大矢タカヤス監修、小竹澄栄訳)『バルザック論』(みすず書房、1990)から抜粋しておきたい。

 バルザックの作品の発行者ヴェルデによると、彼はよく何ヶ月もの間、閉じこもって毎日 18 時間仕事し続けていたという。

《私には生活する暇がありません。》*5

《彼は日夜働いているのだと、ご自分にいい聞かせてください。そうしたら、ひとつのことにだけ驚かれるでしょう。私の死亡通知がまだ届かないこと。》*6

《私はペンとインクに繋がれた、ガレー船の奴隷なのです。》*7

《私は、人間と事物と私との間に繰り広げられるこの果てしない闘いに疲れきってしまいました。》*8

《私はペンとインクに対する恐怖症です。それが昂じて肉体的苦痛を感ずるまでになりました。》*9

坐ったきりの生活のおかげで、彼は太った。すると、新聞がこれをからかった。《これがフランスです。美しいフランスです。そこでは仕事が原因で振りかかった不幸が嘲笑されるのです。私の腹が笑い物になっています! 勝手にするがいい、彼らにはそれしか能がないのですから。》*10

《私は知性の戦闘のさなかに斃れるでしょう。》*11

《私はまるで鉛球に鎖で縛りつけられた囚人のようです。》*12

《私の望みは柩に入れられてゆっくり休息することだけです。でも仕事は美しい経帷子です。》*13

《私の生活は、ただ単調な仕事一色に塗り潰されています……時折私は立ち上がり、私の窓を士官学校から……エトワール広場まで埋め尽くしている家々の海原を眺めます。そうして一息つくと、また仕事にかかるのです。》*14

《仕事がきっと私の生命を奪ってしまうだろうと、私は確信しています。》*15

《今や私は、全く実りなき仕事に十年間をつぶしてしまったのです。もっとも確実な収穫は、中傷、侮辱、訴訟等々。》*16

《絶え間なく、そして次第に烈しさを増す我が伴侶、窮乏夫人の抱擁。》*17

《神よ、私のための人生はいつ始まるのでしょう! 私は今日まで誰よりも苦しんできたのです。》*18

《私は自分に暗澹たる運命を予見しています。私は私の望みの一切が実現する日の前日に、死ぬことになるでしょう。》*19

《そうです、自分の体全体を頭に引きずり込んでおいて、罰を受けずにいる者はいません。私はただただそう痛感するばかりです。》*20

《私はもう自分の状態を、疲労とはいえません。私は文章作成機になってしまいました。私は自分が鋼鉄製のような気がします。》*21

《私はもう一行も頭から引き出せません。私には勇気も力も意欲もありません。》*22

 いつも陽気だったといわれるバルザックが人知れず上げ続けた悲鳴。

 悲鳴を上げてやめるのではなく、悲鳴を上げながら書き続けたところがあっぱれだ。彼が天才であったことは間違いのないところだが、手紙の悲鳴からは、あの超人的な仕事が凄まじい自己犠牲によって成し遂げられたものであったのだとわかる。

 

ホロスコープ

 バルザックのホロスコープを作成してみた。

 バルザックは牡牛座だが、あの底知れない創作力の源、及び神秘主義的傾向は、多彩な角度を持つ冥王星の働きだった。

 バルザックのサビアンシンボルを、松村潔「決定版!! サビアン占星術」(学習研究社、2004)で見ると、基本的なパーソナリティを意味する太陽が『古代の芝生をパレードする孔雀』である。

 その意味するところは、伝統的な価値を「総花的にまとめていくことになり、それはしばしば芸術的な表現力としての優れた力なども表しています。最後の華という言い方をしてもよいところがあり、伝統文化のおいしいところをすべて取ったような豪華さがあります」「伝統的な価値を総決算セールのようにまとめて表現できる力があるので、表現者としては有能ですが、やりすぎはグロテスクになります」*23ということになるらしい。

 バルザックの今生での使命を意味する土星のサビアンシンボルは、『文学会の集まり』である。

 批評能力を持ち、教養面が発達、言葉を巧みに扱え、日々の細かい諸事に埋もれない貴重な主張ができて、「文化や文明を批評をする活発な知性活動が展開されてゆきます」*24

 太陽と土星のサビアンシンボルが、文豪バルザックの文学的性格をいい得て妙だ!

 究極的な目的を意味する冥王星のサビアンシンボルは、『狭い半島での交通混雑』。
「真に価値があると思うものを多くの人に広く浸透させようとするので、流通に関係した働きをするとよい人です」*25

 バルザックが若い頃に印刷所の経営に手を出して失敗し、大借金を背負ったことは有名な話だが、モリエール、ラ・フォンテーヌのコンパクトな全集を考案したことには先見の明があったといわれている。ことごとく事業に失敗したのは、むしろ時代を先取りしていたからだともいわれているのだ。

 早すぎたのだろう。よい協力者に恵まれていたら、実業家としても大成功していたのかもしれない。

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拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」における関連記事

16 フランス文学界の最高のオカルティスト、とブラヴァツキーにいわせたバルザック
20 バルザックと神秘主義と現代

 

*1:トロワイヤ,尾河訳,p.117

*2:トロワイヤ,尾河訳,pp.131-132

*3:トロワイヤ,尾河訳,p.187

*4:トロワイヤ,尾河訳,p.268

*5:クルティウス,小竹訳,p.288

*6:クルティウス,小竹訳,p.289

*7:クルティウス,小竹訳,p.289

*8:クルティウス,小竹訳,p.289

*9:クルティウス,小竹訳,p.289

*10:クルティウス,小竹訳,p.289

*11:クルティウス,小竹訳,p.289

*12:クルティウス,小竹訳,p.290

*13:クルティウス,小竹訳,p.290

*14:クルティウス,小竹訳,p.290

*15:クルティウス,小竹訳,p.290

*16:クルティウス,小竹訳,p.290

*17:クルティウス,小竹訳,p.290

*18:クルティウス,小竹訳,p.290

*19:クルティウス,小竹訳,p.290

*20:クルティウス,小竹訳,p.290

*21:クルティウス,小竹訳,p.290

*22:クルティウス,小竹訳,p.290

*23:松村,2004,p.255

*24:松村,2004,p.323

*25:松村,2004,p.604

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2019年12月26日 (木)

「101 香港問題と中共の闇の深さ、そしてブラヴァツキー夫人の…」を神秘主義エッセーブログにアップしました(追記あり、赤字)

101 香港問題と中共の闇の深さ、そしてブラヴァツキー夫人の心臓に関する注目すべき美しい文章
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/12/23/183230

マダムNの神秘主義的エッセー」の「101」は当ブログの過去記事に加筆訂正したものです。加筆訂正が大きいので、全文以下に紹介しておきます。

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        目次

  1. メディカル・ジェノサイド
  2. メディカル・ジェノサイドを阻止しようとする世界的な動き
  3. わが国の臓器移植
  4. ブラヴァツキー夫人の心臓に関する文章

 

メディカル・ジェノサイド

香港問題には、香港市民 vs 中国共産党ではなく、習近平 vs 江沢民派という構図が潜んでいるといわれる。

江沢民派といえば、江沢民派による法輪功弾圧の実態、及びその弾圧が臓器ビジネスへとつながっていること――総合してメディカル・ジェノサイドというようだ――を知ったときの驚きを思い出す。

法輪功学習者の他に、チベット人、ウイグル人、地下教会信者などが本人の意思に反して「ドナー」とされた人々だと考えられている。*1

儲けるために、また臓器ビジネスを支える病院、スタッフなどにかかる経費のためにも、臓器移植をどんどんしなければならないそうで、それには臓器がいくらあっても足りないらしい。

日本人がお得意さまだという記事を何本も閲覧した。臓器移植のためのとても立派な病院が中国には何軒もあるようだ。3年前のテービッド・マタス氏の報告は具体的である。*2

そして、大規模なウィグル人の拘束とハイテクを駆使した管理、ウィグル自治区のカシュガル空港に出現した臓器専用のグリーン通路(「特殊旅客、人体器官運輸通道」と簡体字、アラビア文字で記されている)……もうこれはすっかり有名である。

「ドナー」は臓器の鮮度を保つために、生きながら臓器を抜き取られているという話もある。

こうした情報は以前は作り話とされていた時期すらあったが、現在ではそうではない。多くの情報が発信されている。

 

メディカル・ジェノサイドを阻止しようとする世界的な動き

一方では、メディカル・ジェノサイドを阻止しようとする世界的な動きも加速しており、アメリカがようやく関与し始めた。*3日本でも、具体的な動きが出始めた。

山田宏・参議院議員(自民党)は2019年11月7日、国会で初めて(参議院「外交防衛委員会」)、中国臓器強制摘出問題について質疑を行った。*4

https://youtu.be/EhOCYOr-Of4

また、2019年12月23日には、安倍首相が習近平国家主席との会談で、「香港について「自由で開かれた」場所であり続けるべき」との見解を示し、「新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)における人権問題にも言及し、中国政府が透明性をもった説明をすることを望む」と述べた。*5

臓器移植は唯物主義の観点から進められてきたものだ。

渾身のルポ、城山英巳『中国臓器市場』(新潮社、2008)は日本人ブローカーとの出会いの話から始まる。2005年12月の話である。

脳死移植はキリスト教社会で発達したもので、儒教的考えの残る中国では日本と同じように両親から授かった自分の体を完全な状態で火葬したいという伝統的価値観が浸透しているため、臓器提供に積極的でないとある。

それなのになぜ、中国はアメリカに次ぐ移植大国となったのか。2020年には中国が世界一の臓器移植大国になるそうである。2017年における中国人体臓器提供・移植委員会の黄潔夫委員長のコメントを聴こう。

中国には現在、1900人あまりの臓器提供・移植コーディネーターがおり、近く5千人にまで増やす計画だ。現在、臓器移植手術を実施している病院は173軒あるが、年内に200軒、2020年までに300軒まで増やすことを目指している。*6

中共の臓器移植がどのような目的で始まったかといえば、中国高官が憧れた「延命」や「若返り」のためだったという。本当にこの世しか眼中にない人々なのだと戦慄させられる。

不老長生・現世利益は中国の伝統的な価値観のようだが、それが唯物論と結びつくと、ここまでグロテスクになるということなのか……。人食い人種、吸血鬼を連想してしまう。彼らは生きているうちから既に、カーマルーパのようだ。死後の人間がデヴァチャン(天国)に入るときに脱ぎ捨てていく魂殻を、カーマ・ルーパという。

 

わが国の臓器移植

日本では、臓器移植法の改正後は家族の承諾だけで臓器提供が可能になり、15歳未満の者からの脳死下での臓器提供が可能になっている。

2009年の法改正により、2010年1月17日からは、臓器を提供する意思表示に併せて、親族に対し臓器を優先的に提供する意思を書面により表示できることになった。また2010年7月17日からは、本人の臓器提供の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば臓器提供が可能となった。これにより15歳未満の者からの脳死下での臓器提供も可能になった。*7

2009年改正の経緯を見ると、衆議院での審議において、ABCD案のうちA案が可決されたのだが、意外なことに共産党が審議不十分として全員棄権し、自民党議員を中心にA案賛成者が多く、賛成263人・反対167人でA案が可決され、衆議院を通過している。

戦後、日本人が如何に唯物主義的になってしまっているかがわかる。

尤も、衆議院での審議については「2009年5月に世界保健機関(WHO)総会において、臓器不正売買を目的に、移植ツーリズムの原則禁止や、生体移植、組織移植をめぐるガイドラインを決議する見込みになったことから、2009年になって、改正の機運が出てきている」とあるから、自民党議員には臓器移植希望者が移植ツーリズムへ流れることを防ぐために、国内での臓器移植の機会を高めたいという思惑があったのかもしれない。

いずれにしても、現行法では脳死判定が行われて死が確定する。しかし、そもそも脳死判定で本当に人の死を確定できるのだろうか。

小松美彦・市野川容孝、田中智彦編『いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植(岩波ブックレット782)』(岩波書店、2010)を読むと、脳死移植に疑問が湧く。

脳死者から臓器を切り出すときには、麻酔や筋肉弛緩剤が投与されるそうだ。「脳死者に深くメスを入れただけで、脈拍や血圧が急上昇するばかりか、暴れ出して摘出手術どころではなくなってしまうからです」*8とある。

ずいぶん活発な死体ではないか。科学に不案内な人間は、驚かされることばかりだ。次のようなニュース記事も見つけた。

人は心臓が止まった後、3〜5分は脳が活動しており、血流が再び流れれば蘇生できる可能性がある、ということが、最新の調査で明らかになった。(略)英紙エクスプレスによるとドライヤー博士は、この脳波が通常の脳波計では記録されないと述べているという。また、アナルズ・オブ・ニューロロジーの論文によると、現在は臓器移植のために臓器が取り出されるのは心肺機能が停止して死亡が宣告されから2〜10分後だ。しかし今回の調査結果から判断すると、この時点では脳に血流が戻ればその人は蘇生できる可能性が残っているということになる。*9

現在、日本では全ての臓器移植に保険が適用されるようになった。また、やむを得ないものと判断された海外での渡航移植について、海外療養費の支給が認められるようになった。*10

日本はこのまま臓器移植の道を突っ走ってもいいのだろうか。

 

ブラヴァツキー夫人の心臓に関する文章

こうした分野においては、だまされたと思って、神秘主義者の言い分も聴いていただきたい。極めて限定的な唯物主義的観点では、重大な見落としのある可能性がある。

近代神智学運動の母ブラヴァツキー夫人は、心臓に最後に死ぬ一点があると書いており、ヨギが土中に埋められ肉体のすべての部分が死んでしまっても、この点が生きている限り、復活することができるという。

心肺の停止が先か、脳の活動の停止が先か……いずれにしても、最後に死ぬ一点が生きている限りは、ブラヴァツキー夫人の説に従えば、死んだように見えていたとしても、それは死ではないということになる。

ブラヴァツキー夫人のような日本でいえば江戸末期に生まれ明治時代に亡くなった人の説を持ってくるまでもなく、現代科学においてもあまりに不確かな「死」。臓器の必要に駆られて死んだかどうかわからないものを死と決めつけなければならないとしたら、これほど非科学的な話もないだろう。

前述した心臓に関するブラヴァツキー夫人の論文を、わたしは1995年3月1日発行の竜王会の機関誌「至上我の光」(490号)の10頁に掲載された田中恵美子訳「七本質と内臓諸器官との対応(3)心臓(つゞき)」で読んだ。

ブラヴァツキー著作集12巻(H. P. Blavatsky Collected Writings Vol.12(1889-1890))所収の論文で、1888年に秘教部門を設立したブラヴァツキー夫人がその秘教部門で教えたものだった。現在は Blavatsky Study Center で一般にオンライン公開されている。

田中先生亡き後、竜王会、神智学協会ニッポン・ロッジには幸いなことに、優秀な翻訳家が沢山いらっしゃる。日本語の神智学用語は田中先生とジェフ・クラークさんによって確立されたといってよく、クラークさんの他にも忠源さん、老松克博さん、星野未来さん・・・・・・といった方々が頑張ってくださっている。

ブラヴァツキー文集第12巻はすばらしい内容なので、どなたか訳してくださらないか待っている。そのうち邦訳版が出ることを期待しつつ、心臓に関する文章のうちの一部分を英語が苦手な拙訳で紹介しておく。まだしもGoogle先生の訳のほうがましかもしれない。原文に当たっていただきたい。

メディカル・ジェノサイドとの関連から心臓に関する記述の一部分を紹介するにとどめるが、教えの神秘性と奥深さは全内臓諸器官にわたっている。

人間の尊厳が今日ほど愚弄され軽んじられたことはなかった。中共は「ドナー」を飼っている。金儲けと若返りのために。少数の勇敢な人々と利用者を除けば、かれこれ10年以上も世界は鈍感な振りをしてきたか、本当に鈍感かのどちらかだった。

もし、中共のメディカル・ジェノサイドが拡大し続ければ、人類が被る被害は取り返しのつかないレベルのものとなり、次に引用するような秘教科学の教えを伝えることも難しくなっていくだろう。

そのような暗愚と無知と野蛮に人類が埋没してしまうことは、絶対にあってはならないことである。

THE HEAT(心臓) 


(前略)心臓は肉体の王であり、その最も重要な器官である。たとえ頭が胴体から切断されたとしても、心臓は30分間脈動し続ける。脱脂綿にくるんで暖かな場所に置けば、脈動は数時間続く。

心臓には最後に死ぬ点(spot)、小さな菫色の光で示される点がある。それは生命の座、全ての中心であり、ブラフマー(Brahmâ)である。胎児に生まれる最初の点、そして最後に死ぬ点である。トランス状態のヨギが埋められるとき、肉体の残りの部分が死んだとしても、この点は生きていて、これが生きている限り、ヨギは復活することができる。この点は潜在的にマインド、生命、エネルギー、そして意志を含んでいる。生きている間中、この点は虹色を放射し、燃え立つようで、オパールのような乳白色を放っている。

脳は知的意識の中心であるが、心臓は霊的意識(Spiritual Consciousness)の中心である。 しかし、この霊的意識は、人がブッディ・マナス(Buddhi-Manas)*11と完全に一体化するまでは、その人に左右されることはありえず、そのエネルギーが管理されることもありえない。それまでは、可能な限り、霊的意識がその人を導く。すなわち、霊的意識がその人に届こうとし、低級意識に印象づけようとして骨を折る。それで、こうした骨折りは、その人が清浄となることによって助けられる。それゆえに、誤った行いに対する後悔の苦しみ、良心の呵責、悪に対する非難、善への衝動、といったものは頭からではなく、心臓から来る。心臓には唯一の顕現した神が御座[おわ]します。他の二柱は隠れている。つまり、アートマー・ブッディ・マナスの三位一体を表すのは、この顕現した神である。(後略)*12

*1:佐渡道世.21分で知る 恐るべき中国医療の真実「メディカル・ジェノサイド」.大紀元.2017-05-30,大紀元時報日本,https://www.epochtimes.jp/p/2017/05/27533-2.html,(参照 2019-12-22).

*2:デービッド・マタス.”中国での移植手術の濫用と日本との関わり 参議院議員会館での報告のための所見(改訂版)”(2016年12月14日版 日本語訳).ETAC.中国での移植手術の濫用と日本との関わり 2016年12月1日 – International Coalition to End Organ Pillaging in China,(参照 2019-12-22).

*3:佐渡道世.中国の臓器収奪問題、米政府が公式調査を=米政策提言組織.大紀元.2019-08-20,大紀元時報日本,https://www.epochtimes.jp/p/2019/08/46087.html,(参照 2019-12-22).

*4:佐渡道世.参議院委で中国人権問題を取り上げ 臓器収奪も.大紀元.2017-11-07,大紀元時報日本,https://www.epochtimes.jp/p/2019/11/48857.html,(参照 2019-12-22).

*5:安倍首相が訪中、習氏と会談 香港やウイグル問題に言及.AFP通信.2019-12-24,AFPBB News,https://www.afpbb.com/articles/-/3260897,(参照 2019-12-26).

*6:中国、2020年に世界一の臓器移植大国に―中国メディア.Record China.2017-08-09,人民網日本語版,https://www.recordchina.co.jp/b186821-s10-c30-d0035.html,(参照 2019-12-22).

*7:ウィキペディアの執筆者. “臓器の移植に関する法律”. ウィキペディア日本語版. 2019-07-10. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%87%93%E5%99%A8%E3%81%AE%E7%A7%BB%E6%A4%8D%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B&oldid=73411888, (参照 2019-12-22).

*8:小松・市野,2010,p.15

*9:松丸さとみ.心肺停止後、5分は意識がある!? 最新の脳神経学で分かった「死」.Newsweek.2018-03-06,ニューズウィーク日本版,https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/03/5-40_2.php,(参照 2019-12-22).

*10:厚生労働省. “臓器移植に係る海外療養費の取扱いについて〔健康保険法〕平成29年12月22日”.厚生労働省ホームページ(https://www.mhlw.go.jp/).https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc3091&dataType=1&pageNo=1, (参照 2019-12-23).

*11:ブッディ・マナスは高級自我、霊的魂、人間の輪廻する本質。H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)の「用語解説」61頁参照。

*12:Helena Petrovna Blavatsky.H. P. Blavatsky Collected Writings Vol.12(1889-1890)Online.Blavatsky Study Center,2019,Instruction No.V,p.694-695.EI : Instruction No. V- Blavatsky Collected Writings Vol. 12, (参照 2019-12-21).

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2019年12月 9日 (月)

「100 祐徳稲荷神社参詣記 (12)祐徳院における尼僧達」を神秘主義エッセーブログにアップしました

「マダムNの神秘主義的エッセー」の「100」は当ブログの過去記事に加筆訂正したものです。

目次の 4 は全文加筆であるうえに、「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップしたあと、訂正しています。

 4 では、萬子媛の研究に自身の神秘主義的な考察を加える理由について書いています。

神秘主義的な考察を加えることで、この研究全体がトンデモ扱いされる可能性が高くなるだろうことは研究に入った段階から考慮済みでした。真実の追究ということに関しては、世間の扱いなどに構っていられないのです。

時代の趨勢に応じて、神秘主義に対する世間の反応は如何様にでも変化します。以下の引用をご覧ください。

58 神智学をさりげなく受容した知識人たち――カロッサ、ハッチ判事 ①ハンス・カロッサ(追記)
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/06/27/064748

空疎な唯物論は、さいわいにして、ようやく没落し、今では神智学という立派な信頼すべき学問が存在している」(カロッサ、国松孝二訳『指導と信徒』岩波文庫 - 岩波書店、2012、pp.39-40)

ドイツの良心的な作家として知られるカロッサのこの言葉、また以下のエッセーで引用したH・P・ブラヴァツキー「ベールをとったイシス」に対する当時の報道機関の反応を読むと、現代とは神智学に対する扱いが相当異なっていることに気づかされます。

77 前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/11/16/195219

『ベールをとったイシス』は、ブラヴァツキーの著作の中で最も有名な『シークレット・ドクトリン』の前に書かれた、これも代表作の一つである。ジルコフ「前書きにかえて」には、当時の報道機関の反応が複数引用されている。その中のトップに来ている、当時の最も有能な文芸評論家の一人シェルトン・マッケンジー博士は『フィラデルフィア・プレス』に次のように書いたという。

それは,考えの独創性,研究の徹底性,哲学的説明の深さ,学識の多彩さと広がりといった点で,遠い過去まで遡っても最高に非凡な著作の一つである」(H・P・ブラヴァツキー、ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』竜王文庫、2010、前書きにかえてp.2)

科学の進歩によって神秘主義理論の古いことが証明された――というわけではありません。戦後なぜか世界を席巻したマルクス系唯物主義の言論人が神秘主義の論文をろくに読みもせず、そういっているだけの話です。神秘主義が保管してきた膨大な知識は古びる性質のものではありません。

また、科学と神秘主義は対立するものではなく、このことはブラヴァツキーの次の言葉からも明らかです。神秘主義者が古代から続けてきたのは、科学的な探究です。

神智学の教えは霊と物質の同一性を主張し、霊は潜在的な物質であり、物質は結晶化した霊にすぎないと言います。
H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、p.42)

スピリチュアル・ブームを惹き起こしたのは、マルクス系唯物主義者だとわたしは考えています。彼らは自分達に都合のよいところだけを神秘主義から盗って商業的に利用したり、神秘主義を貶めることで自分の株を上げようと学術を装って低レベルの論文を発表したりしています。

日本で大流行しているオーラ診断、前世療法などはその最たるもので、この二つは明らかにエドガー・ケーシーを真似ており、わたしの見る限りでは、そうしたものはインチキか危険かのどちらかです。

エドガー・ケーシーは善良であったとしても霊媒だったと考えられるので、それを真似るというのはちょっと考えただけでも危険なことですし、その危険を冒すメリットがあるとはわたしには全く思えません。

前置きが長くなりましたが、目次 4 とつながりのある 目次 3 から当ブログにアップしておきます。

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100 祐徳稲荷神社参詣記 (12)祐徳院における尼僧達:『鹿島藩日記 第二巻』
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/12/08/233845

目次

  1. 布施の記録
  2. 三十五日に供された精進料理
  3. 蘭契という名の僧侶
  4. 神秘主義者としての私見

 

3. 蘭契という名の僧侶

「蘭契」という名が女性的だな、とわたしは思った。果たして、この蘭契が他でも出てくる。「蘭契」という名が出てくるのは、宝永二年閏四月廿日(1705年6月11日)の日記*15である。

素人解読なので間違っているかもしれないが、大体次のようなことが書かれているのではないかと思う。

……佐賀の御親類方より勝屋伊右衛門まで、祐徳院様の御中陰は何日より何日まで御執行でしょうかとの問い合わせがあり、こちらに言ってよこされた。それについて、外記より蘭契まで伺ったところ、御中陰というのはなく、御葬礼が行われたことで、儀式は済みました。(略)尼達と相談して申し上げますが、殊に山中ということもありますので、御名代などを送って寄越すには及びません、伊右衛門よりそのようにお口添え下さるのがよいでしょう、とのこと。……

わたしの憶測でしかないが、蘭契という尼僧が萬子媛亡き後、代表者的、長的な役割を果たしたのではないだろうか。その代表者に、外記が問い合わせたと考えるのが自然だと思う。

その蘭契という人物が、祐徳博物館で伺った、萬子媛に仕えて岩本社に祀られたという尼僧かどうかはわからない。72 「祐徳稲荷神社参詣記 ③2017年6月8日 (収穫ある複数の取材)」を参照されたい。

前述したように萬子媛の葬礼は簡素だったようだ。五月十五日(1705年7月5日)の日記に記された三十五日についても、格峯(鍋島直孝、断橋)が恵達(慧達)、石柱を帯同して祐徳院に一泊し、御霊供膳と皆に振る舞う料理を用意させているが、目立った儀式はなかった模様だ。

もし、萬子媛の葬礼のときの布施の記録に名のあった僧侶達の中で、蘭契からが祐徳院に属した尼僧達だとすれば、17 名(蘭契、満堂、蔵山、亮澤、大拙、瑞山、眠山、石林、観渓、英仲、梅点、旭山、仙倫、全貞、禅国、智覚、𫀈要)。萬子媛がいらっしゃったときは総勢 18 名だったことになる。

萬子媛の小伝といってよい『祐徳開山瑞顔大師行業記』は、義理の息子・鍋島直條(鹿島藩第4代藩主)がまだ萬子媛が存命中の元禄17年(1704)――萬子媛が亡くなる一年前――に著述したものとされている。

郷土史家・迎昭典氏はわたし宛の私信で、「萬子媛についての最も古くて上質の資料は『祐徳開山瑞顔大師行業記』だろうと思います」とお書きになっている。

その『祐徳開山瑞顔大師行業記』*16には、萬子媛が尼十数輩を率いたとあるので、人数的には合う。

求道者らしいストイックな暮らしをなさっていたと想像できる祐徳院所属の尼僧達。五月十五日に料理を振る舞うことで、格峯は尼僧達をねぎらったのだろうか。

彼女達がその後どうなられたかが気になるところだ。

 

4. 神秘主義者としての私見

ところが、わたしは神秘主義者として知っている。

祐徳院のその後の歴史とは次元の異なる話になるが、江戸時代に亡くなった彼女達は、彼の世で萬子媛を長とするボランティア集団を形成し、中心的役割を果たしておられるのだ。カルマに障らないような、高度なボランティアを手がけておられることが窺える。

萬子媛は太陽さながら、豊麗なオーラを放射されるのだが、その光が如何にすばらしいものであったとしても、そのやりかたはわたしが神秘主義者として竜王会、神智学協会ニッポン・ロッジで理論的に学び、また前世での男性僧侶としての修行や今生での独習から会得した技法と同じだと思う。

それは、この世でも彼の世でも通じるやりかたなのだとわかった。誰もができるやりかたのはずだ。この世の出来事に囚われ、その技法を磨くことを怠ってきたけれど、このことが確信できただけでも、わたしにとっては大きな進歩であった。

今、技法を磨くことを怠ってきたと書いたけれど、これは今生で三浦関造先生のような師に出会わなかったことから、意図的にそうしてきたことでもあった。

スピリチュアル・ブームの中で瞑想を含めた身体的技法、また前世療法などの神秘主義的観点からは黒魔術に属する催眠療法(ピプノセラピー)が商業的に拡散している。このような傾向はひじょうに危険なことであるので、避けるべきであるからだ。独習と書いたのも、前世で修行したきたことが自然に表れたことを、このように書いたまでである。

萬子媛に関する記述に神秘主義的な私見の混じることにご不快の向きもあろうかと思うが、如何に現代社会が唯物論的価値観で動いていようと、萬子媛の晩年が宗教の核たる神秘主義的体験を通して深められていったことは間違いない。

萬子媛の晩年の生きかたに迫るには、神秘主義者でなければ不可能だと考え、幸いにしてその感性と知識に恵まれたわたしであるから、あえて神秘主義的観点を支柱として考察してきたことをお断りしておきたい。

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2019年11月26日 (火)

田中保善『泣き虫軍医物語』に見る第二次大戦の諸相 ①映画「タイタニック」ばりの脱出劇と醤油樽(加筆あり、赤字)

慰安婦問題、植民地支配、日本軍の残虐性――といったジャパンバッシングの根拠とされてきた歴史的事象が、少なくとも、飾らぬ心情が吐露された、底抜けに明るく、お人好し、その一方では思慮深く果敢な一人の大日本帝国軍人の人間像が立ち現れてくる一冊の本『泣き虫軍医物語』を読む限りにおいては、真っ赤な嘘、捏造にすぎず、第二次大戦は日本人にとってはまさに大東亜戦争であったことが明白にわかる内容となっている。

そうした意味において、このコンパクトな本は期せずして、第二次大戦における大日本帝国軍人の行動様式、思考傾向を如実に示した、一歴史資料と見なすに足る性格を備えているといえよう。

本書、田中保善『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980)は、第二次大戦末期の昭和19年7月、町の開業医だった著者が軍医として応召、戦地ボルネオを中心とした体験記録である。

信憑性の薄い河野談話が発表されたのは平成5年(1993)、田中氏の『泣き虫軍医物語』が上梓されたのは、それを13年遡る昭和55年(1980)のことであった。

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田中保善氏は、別の本『鹿島市史 真実の記録』(1990)で、戦時中は祐徳稲荷大神及び萬子媛に祈って何度となく命を救われたとお書きになっていた。萬子媛を研究中のわたしは、当然ながらそうした内容を期待して『泣き虫軍医物語』を注文したのだった。

愛媛の古書店からの発送で、310円。経年劣化で中身は黄ばんでいるものの、美品といってよい商品だった。中表紙に付された青年軍医のきりっとした童顔の御写真を見たとき、思い出した。

小学校だったか中学校だったかは忘れたが、集団予防接種のとき、見かけたお顔だった。上品な、優しそうなお顔。昔のことで、記憶は確かではない……

プロフィールから引用する。

明治42年鹿島市に生まれる。鹿島中学旧制佐賀高を経て昭和10年九州帝大医学部卒、同12年鹿島市で開業。同19年7月応召。同21年4月復員。(後略)

期待に反して、『泣き虫軍医物語』には命拾いした事実が事実のままに活写されているだけで、それを祐徳稲荷大神及び萬子媛に結び付けるという宗教的評価はなされておらず、それが窺えるような心情的反応も記述されていない。

あからさまな神秘体験の記述は全くないのだ。命拾いした出来事と稲荷大神及び萬子媛とが結び付けられたのは、どの時点であったのか。それは不明である。

しかし、次のような故郷の芳香漂う出来事を、故郷を見守っておられる神々の神慮によってもたらされた奇跡的体験といわずして、何といおう? 田中氏は後年の著書で、そのように解釈されているのである。

それは映画「タイタニック」ばりの脱出劇の中で起きた。話が前後することになるが、そのハイライトシーンをまず紹介しておこう。

簡単にそのときの状況を説明しておくと、田中軍医は、久留米陸軍病院から南方派遣部隊に編入された。太平洋の島々は次々と連合軍に占領されて戦局は重大化。サイパン島は昭和19年7月7日に玉砕。この時期に南方に派遣されることは死を意味していた。

駆逐艦、水雷艇、駆潜艇、飛行機に護衛された船団12隻は9月10日、門司港を出港し、朝鮮海峡、東シナ海と南下するにつれて沢山の輸送船団の往来に出会う。台湾の基隆沖に差しかかった。

夜10時頃、ドスーンと腸に響く大音響。夜空に火花を上げながら、船尾を真っ逆さまにして沈んでゆく、後続の輸送船。いわゆる轟沈であった。

四千名以上の兵隊が何らなす術もなく海底に呑み込まれたに違いない。いかに戦争とはいえ悲惨極まりなく、初めて体験した死の恐怖に心臓も凍る思いであった。(田中,1980,p.28)

船団は2日後、高雄港へ。行手には潜水艦が待ち受ける、魔のバシー海峡。

船団は飛行機と艦艇に守られながら強行突破。船団が進む間に、友軍機と艦艇は合計4隻を撃沈。船団が比島(フィリピン諸島)に近づくにつれて沈んだ輸送船の残骸が多くなった。

魔のバシー海峡を無事に乗り切り、高雄港を発って3日目の30日、リエンガエン湾のサンフェルナンド港に到着。 

久留米部隊は港から8キロ離れた海岸へ向けて出発。その行軍が身体にこたえた田中軍医は不覚にも、自らが患者第一号となってしまう。幸い、軽症だった。

背嚢を当番兵に持ってもらって歩いていると、垣根に真っ赤なハイビスカスの花の咲き乱れる家々があり、予定の海岸に辿り着く。ヤシの林の中に点々と民家があり、その中の一軒を医務室にする。クリスチャン農家らしかった。

「家の中の物を荒らしてはいけない。何も盗んではいけない」と田中軍医は皆に注意する。医務室に配給の砂糖1俵と缶詰5箱が届いた。食事もすんだ頃に家の主人らしい比島人が来て英語で話しかけたが、田中軍医には解せない。

主人は、家の内外を見て回り、何も荒らされていないのを喜び、すっかり信頼して、両手いっぱいの卵を差し出した。

田中軍医は、何もいらないから壁の棚に置かれていた発火道具を譲ってくれ、と日本語で頼む。スコールでマッチが駄目になったときのために必要だった。主人は希望を了解して承知してくれた。

当地区の司令官から、サンフェルナンド地区は国道の沿線は安全だが、国道から4キロ離れた密林中には米軍大佐の率いる5千名のゲリラが国道筋をうかがっているとの通達があった。比島は全部平定されて、攻撃して来る米軍のみが敵だと思っていた田中軍医は、「安全なのは点と線だけなのか」(田中,1980,p.34)と思う。

翌日、異動命令があり、サンフェルナンドの街はずれに移った。軍医一行はエジプトの街のように石造りの家が並ぶ街を見物し、コーヒーを飲もうと思い、コーヒー店の前に行列を作って順番を待った。

焼けつくような暑さにコーヒーを諦めて、横の丘に登る。そこには、バシー海峡で救助された兵隊達やら群馬県出身の若い女性たちがいた。

女性たちは、南方のジャワ、スマトラ、昭南(現在シンガポール)等の商社や軍関係の偕行社の女子事務員として、赴任途中だったという。救助された兵隊達は満州国境から南方へ派遣された部隊であった。

魚雷を食って全員が退船した時、一名の兵の姿が見えなかった。中隊長は皆が危険だからと止めるのもきかず、その兵隊を求めて輸送船に引き返し、捜しているうちに船もろとも沈んでしまった。部下思いの中隊長を偲んで兵達は涙ぐんでいた。日露戦争の旅順港口封鎖作戦における広瀬中佐と杉野兵曹長の話とそっくりである。
 それに引き替え、部隊長と船長はボートに乗り移り、兵隊も乗ろうとすると、沢山乗ってはボートが沈むと、ボートに掴まった兵隊の手を払い除けて海に突き落として漕ぎ去った。泳ぎながらこれを見ていた兵隊達は、陸へ上がってからも部隊長と船長の態度を非難し続けた。私はこの話を聞いて、もし自分がそうなった時は、兵隊から非難されるようなことは絶対にしないと心に誓った。(田中,1980,p.36)

すぐ後に、田中軍医は同様の惨事に身を置くことになる。

10月10日午前11時、サンフェルナンド港を出航した12隻の輸送船団は比島西岸を海岸沿いに南下。今度は護衛艦が半減し、飛行機の援護もなかった。田中軍医の乗船「江尻丸」(貨物船、7千トン)は第四番船で、煙突に「4」の字が大きく書いてあった。縁起が悪いと兵隊たちは心配する。

12時頃、右側を護衛していた駆逐艦が急に面舵を取り、「右舷前方二時の方向に魚跡、魚跡!」とけたたましい叫び声が上がった。

このときは魚雷をうまくかわした江尻丸だったが、2時半ごろ、また突然「魚雷、魚雷!」の叫び声がした。田中軍医は便所で放尿中だった。江尻丸は今度はかわしきれなかった。

惨事、と一言でいえないほど、海と船と魚跡と船内の様子を活写する著者の描写は絵画的ですばらしいが、引用の制限もあって、全部は伝えきれない。

船が爆発して沈む前に退船しなければ死ぬ。部屋に降りて軍刀、図嚢、軍医携帯嚢を取り出したかった田中軍医は果たせず、かろうじて拾った救命胴衣を着用し、海に飛び込むために左舷へ急いだ。

船は惰力で進み、艦橋から全員退船の命令を伝える進軍ラッパが鳴り響いていた。敵の魚雷は、戦車を積んである船倉に命中していた。

その爆発で船倉の上にいた沢山の兵隊達は、粉々になった戦車の破片とともに肉体もバラバラになり、噴き上げられて船内各所に落ちてくる。私の胴衣にも灼熱した戦車の破片が飛来して、襦袢を通して右脇腹に食い込んだ。灼けつくようにチリチリと痛い。私は右脇腹の傷はそのままにして甲板を左舷へ急いだ。無電のアンテナを張ってある針金に兵隊の胸部だけが引っかかっている。首も両手も腹から下もない。剣道道具の胴が引っかかっているようであった。肉片が甲板に落ちて、それを兵隊があわてて踏みつけ、バナナの皮を踏みつけて滑って転ぶように甲板上に転がる。海へ飛び込もうと兵隊はひしめきあい、それにつまずき折り重なって倒れる。(田中,1980,p.38)

前後左右の兵隊にはさまれ、足が甲板につかないまま引きずられていき出した田中軍医は、いつしか兵隊たちの頭の上に転がされてしまう。左舷は遠ざかっていた。

弾薬をいっぱい積んだ船倉に燃え移ったら船もろとも爆発して死ぬことになるので、田中軍医は自分から兵隊の頭の上を転がっていき、やっと甲板の橋の鉄の鎖に掴まった。ここで著者は、「私の左右で次々と兵隊達は元気に飛び込んでいる」と書く。読みながら、まるで水泳の授業が描かれているような錯覚に陥った。

海面まではめまいがするほど高かったが、水泳に自信のある田中軍医は思い切って飛び込んだ。

グングンと一直線に海底に向かって沈んで行き、早く浮上したくとも、高所からの飛び込みであったため、沈下が止まらない。これ以上もたないくらいになってやっと沈下が止まった。浮上しようにも呼吸が苦しくなり、思うように力が出なかった。

船体から離れた45度くらいの角度で浮上したつもりが船尾に近く、船尾にはスクリューが回っていた。渾身の力でクロールで泳いで、船体から離れた。夢中で泳ぎ、泳ぎをやめてみると、救命胴衣の浮揚力が大したものではないことに田中軍医は気づいた。2、3時間もつかどうかだった。

立ち泳ぎをしていると、顔に水筒が当たってうるさい。時計は中が水浸しになりながらもまだ動いており、12時45分。海岸までは1キロくらい。引き潮で海水は沖へ向かって流れていて、思うように進めなかった。

爆発で海中に散らばったいろいろな物が流れてきた。そのとき、驚くべきものを田中軍医は発見するのである。

なかでも私がびっくりしたのは「佐賀県藤津郡吉田村」と墨で書かれた空の醤油樽であった。はるか故郷を離れた南海で、しかも海に投げ出されて藁をも掴む気持ちでいる時に、故郷鹿島町の隣の吉田村と書かれた醤油樽が流れてきたのである。急に故郷に残してきた母や妻子を思い出し、なんとかして助からねばと思い、その醤油樽を拾って麻縄で腰にくくり付けた。浮揚力は救命胴衣よりもずっと強い。(田中,1980,p.41)

ここがハイライトシーンである。

神秘主義者の目で見ると、これは偶然の出来事ではない。高級霊がカルマとのバランスを考えながらなさる、典型的な救助例の一つといってよい。それは、偶然を装って行われるのが常なのだ。

爆発したのは貨物船だったのだから、その中に醤油樽が混じっていたとしてもおかしくはないが、溺死しそうなこの窮地で故郷の名を記した醤油樽が流れてくるなど、いくつもの偶然が重なるのでなければ、起きることではない。

「萬子媛、大戦中もよいお仕事をなさっていますね。さすがです」とわたしは半ば呆れた。醤油樽は使命を帯びていた。そのとき、大海原に降り立っておられたに違いない、萬子媛のオーラの輝きがわたしには見えるような気がする。

この脱出劇には続きがある。前述のバシー海峡で起きたボートの一件に酷似した状況が、田中軍医をめぐって発生したのだった。

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