カテゴリー「書籍・雑誌」の638件の記事

2022年5月11日 (水)

新型コロナはヘビ中毒で、レムデジビルはコブラの毒ですって? コロナパンデミックは宗教戦争ですって?(12日に追加あり、赤字)

カテゴリー「新型コロナ対策: イベルメクチン」記事一覧

家事の合間に紹介しようと思っている動画や論文など閲覧しているうちに夕方になってしまい、夕飯作りの合間に記事を書き始めても、そこでその日は終わることが多く、夜中に記事を纏めようとしても最近は年のせいか寝てしまうことが多いのは情けない話です。

それで、周回遅れの記事となりがちで、もういいか、今更わたしなんかが書かなくても……ということになってしまうことが多々あるのですが、わたしのようなあらゆる面での素人がその時々の出来事を記す意味というのもないわけではなく、カテゴリー検索で、ある特定の出来事の過去まで遡って知ることができる強みがあります。

雑多なことを書いているようでも、その雑多なことの中にあとで重大な気づきとなるものの混じっていることがこれまでにありました。

ところで、前記事の冒頭でコロナ軽症者にも使用されることになった――一説にはコブラ毒といわれる――レムデジビル(商品名:ベクルリー点滴静注用100mg)危険情報を紹介したいと書きました。

これを先に書くべきか、前記事の説明を先にするかで迷うところですが、レムデジビルが危険な薬であることは間違いないようなので、これを先に書きます。

あくまで素人が収集した内容にすぎませんので、ご判断は自己責任でお願いします。

naotsuka_maki@NaotsukaM·2分
新型コロナの治療薬、レムデシビルを申請から3日で特例承認
m3.com
https://www.m3.com/news/open/iryoishin/768008?pageFrom=tw

タマホイ@Tamama0306
米国で子供のコロナ治療への使用を許可された「レムデシビル」について

ギリアド・サイエンシズが行った1回の臨床試験に基づき許可された、対照群のないたった53人の小児で行った試験で…

70%に副作用
21%に重篤な有害事象
3人が死亡

午後4:30 · 2022年5月1日

和丸号 (大塚和之)@kazumarugou·5月3日
返信先: @Tamama0306さん
米国 唯一の承認コロナ治療薬
レムデシビルは殺人薬だと証明された
点滴投与された患者死亡率は26.9%に上る

日本 コロナ軽症者らにも厚労省投与承認

「レムデシビル」を新型コロナ軽症者らにも、厚労省が使用承認
讀賣新聞オンライン
2022/03/18 18:03
https://yomiuri.co.jp/science/20220318-OYT1T50206/

ゆうこりん@KEa92vx5BiIh6Ox·5月7日
返信先: @KEa92vx5BiIh6Oxさん
どんな薬が処方されるの⁉️

厚労省
モルヌピラビル、いわゆる赤い薬です。
R3.12.24に特例承認
レムデジベル
R2.5.7特例承認
有効性・安全性については、国民に処方後に情報収集します。

ヒカル イベルメクチン服用体験@hikaru1032·1月29日
ポール・マリク博士

『レムデシビルは死亡率を3%増加させる腎不全リスクを20%増加させる。レムデシビルは毒物だ。連邦政府は金を出して患者に毒を処方することを奨励している。WHOが2セント(約2円)で入手できるイベルメクチンは死亡率を50%低減させる』
投稿者: 連新社

ヒカル イベルメクチン服用体験@hikaru1032
これはインドのデータです。
イベルメクチンをやめて、強引にギリアド社のレムデシビルを入れた結果です。感染者、死者爆増、悲惨です。

厚労省さん何をみて仕事してますか?医系技官さん徹底的に個人名を調べますね。

FLCCC—Front Line COVID-19 Critical Care Alliance@Covid19Critical
https://twitter.com/Covid19Critical/status/1396172452221366272

午後6:22 · 2022年1月29日

naotsuka_maki@NaotsukaM·5月10日
コロナ情報 まとめサイト 
http://corowaku-memo.com/category/レムデシビル/

レムデジビルについて、よくまとめられている。

  • レムデジビルと志村けんと忽那医師
  • レムデジビルとギリアド社の問題点
  • レムデジビル投与後の死亡者数78名(国内)
  • イベルメクチンの投与後死亡6例、うち5例がレムデジビルも投与

コロナ情報 まとめサイト」によると、アメリカで緊急使用許可が出ただけだったギリアド社のレムデジビル(エボラ出血熱用に開発された薬)を2020年5月7日に日本だけがなぜか早々と特例承認しました。アメリカFDAが正式に承認したのは2020年11月です。

一体、特例承認とは何でしょうか?

naotsuka_maki@NaotsukaM
新型コロナ: 医薬品の特例承認とは 海外実績で審査短縮: 日本経済新聞

nikkei.com
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA109X60Q2A210C2000000/

午後6:08 · 2022年5月11日

日経電子版「新型コロナ: 医薬品の特例承認とは 海外実績で審査短縮」によると、国内の薬事承認制度では次のようになっています。

  • 「通常承認」の対象は全ての医薬品。
  • 「条件付き早期承認」の対象は希少疾病用医薬品など。特徴は治験のための十分な人数を集めることが困難な場合。
  • 「特例承認」の対象は海外で流通している医薬品。特徴は緊急時に海外実績で評価。
  • 「緊急承認」の対象は全ての医薬品。特徴は緊急時に治験を待たず承認。

特例承認とは、国内で未承認の医薬品について使用を許可するための制度の一つで、「緊急時に健康被害の拡大を防止する」ため、海外での使用実績などをもとに本来の手続きを短縮・省略して販売などを認めるものです。承認に要する期間を短縮して使用を開始でき、新型コロナウイルスの治療薬やワクチンは、ほとんどがこの過程で承認されているとあります。

レムデジビルは海外(アメリカ)での使用実績すらまだ出ていない段階で、特例承認されているのです。これに比べると、イベルメクチンやアビガンの苦闘は何だろうと思いますね。

ディープステート様から、日本でレムデジビルの人体実験やれというお達しでも下ったのでしょうか。

前出の「コロナ情報 まとめサイト」の記事「イベルメクチンの投与後死亡6例、うち5例がレムデジビルも投与を閲覧し、ああ重症者にイベルメクチンは効かないという情報の出処はこんなデータにあったのかなと思いました。

2020年5月~2021年12月までのものしかないレムデジビルの副反応疑い報告はレムデジビルは293例(うち死亡78名)、イベルメクチンでのコロナ感染者へ処方での報告は6件のみです(転帰は全て死亡)。しかも、6例のうち5例までもがレムデジビルも投与されていました。

残る1例では、レムデジビルは投与されていませんでしたが、イベルメクチンは多くの薬剤が投与されているうちの一つでしかありませんでした。イベルメクチンがどの程度、本領発揮できたか疑問です。

ここから本題に入ります。 レムデジビルはコブラの毒であり、新型コロナはヘビ中毒で、ヘビの毒から合成したペプチドやタンパク質を使用している――という説が話題となっています。

赤坂明菜@AkasakaAkina
⑩レムでシビルという薬はキングコブラの毒を凍結乾燥させ、ペプチド化したタンパク質です。これを投与された人はキングコブラに噛まれた時と同じ症状が出ます。アリゾナ大学が昨年、論文を発表しました。新型コロナ死亡者数百人分のサンプルを集めたら全員が投与されていた。
午後11:29 · 2022年4月26日

ミンミンゼミ@minminzemi2289·5月7日
厚労省が私達を殺しにきています。

病院でコロナ陽性にした人間に処方される薬が

「ベルクリー点滴静注液(一般名:レムデシビル)」
「モルヌピラビル(販売名:ラゲブリオ)」

です。

両方とも超危険です。

注意してください。

#ワクチン

↓レムデシビルについて
https://rumble.com/v11vpcz-watch-the-water-dr-bryan-ardis-20220411.html

ツイートで紹介されている動画は、次の動画です。

WATCH THE WATER Documentary Dr Bryan Ardis ブライアン・アーディス医師 日本語字幕 2022/04/11
マタタビの羅針盤 Published April 21, 2022
https://rumble.com/v11vpcz-watch-the-water-dr-bryan-ardis-20220411.html

信じがたいショッキングな内容ですが、映画すなわちフィクションとして視聴すれば、最高に面白いものだと思うので、ご視聴をお勧めします。内容は真実かもしれませんが、それはまだわからないことなので、今は映画と見做すくらいの距離感があったほうがいいとわたしは思いました。

何かしら異様な雰囲気の動画だったので、メモをとりながら視聴し、視聴し終えた後はしばし呆然となりました。素人なので、信用すべき内容なのかどうなのかがわかりませんでした。

アーディス医師は、新型コロナは呼吸器系ウイルスではなく、ヘビ中毒で、ヘビの毒から合成したペプチドやタンパク質を使用しているのだと主張しています。

コブラの毒で発見された19種類の毒素は、何と特定の臓器をターゲットにする配列になっているというのです。

キリスト教における悪の象徴は大蛇。全世界にヘビの毒を注入することよりも邪悪なことを考えることができるだろうかとアーディス医師。何年もかけて、ヘビの毒から分離したmRNAの技術が使われたとアーディス医師は推測しています。

コブラの毒とクレイト(アマガサヘビ)の毒が入ったニコチン受容体はその人の呼吸をコントロールすることができ、酸素濃度を低下させるので、パルスオキシメーターで調べると肺炎を起こしているように見えるとか。

しかし、実際にはヘビ毒によって麻痺させられて呼吸することができず、脈拍数もニコチン受容体によって下げられている状態だというのです。

喫煙者はニコチンがニコチン受容体に結合していて、コブラの毒やクレイトの毒は結合できず、横隔膜を麻痺させることができない。喫煙者のコロナ死亡者は多いと宣伝されていましたが、実際には少なかったそうです。

呼吸に必要な横隔膜をコントロールしているニコチン受容体がスパイクタンパク質のターゲットだとアーディス医師はいいます。

レムデジビルはコブラの毒で、それは脳のニコチン受容体に結合し、呼吸ができなくなると同時にサイトカインストームと呼ばれるもので肺の内部を破壊する……

ウイルスという言葉のラテン語の定義は、歴史的に、ヘビの毒だそうです。コロナは………ローマ教皇のヘビ毒パンデミックと読みとることができ、また一方、コロナには王冠という意味もあり……キングコブラの毒パンデミックと読むことができると彼はいいます。

――これはむしろ宗教戦争だと思います、全世界での。神の最大の創造物はあなた。あなたはあなたに特有のDNAの遺伝子の鎖でできています。カトリック教会なのか誰なのか、全ての宗教で悪を象徴する動物のシンボルを使うなんて――つまりヘビか龍、龍は足の付いたヘビです。
そのヘビや大蛇を使い、そのヘビから遺伝子を分離する方法を見つけ出し、そのヘビの遺伝子を神から与えられ創造されたあなたのDNAに挿入するのです。彼らはキングコブラの毒をあなたの中に入れて、あなたを悪魔との混血にしたいのだと思います。もはや神には属さない、神の創造物ではなくなるのです――とアーディス医師。

昨年2021年7月6日のモデルナの共同設立者の記事には、モデルナの共同設立者がmRNAテクノロジーを使って毒ヘビによる咬傷を治療すること、さらにオフィレクスという会社の設立を手伝い共同設立する旨が書かれているとか。

オフィレクスはサンフランシスコにある新しい会社で、ヘビに噛まれたときの抗毒素薬の製造に特化しているそうですが、この会社に何と国防総省、ウェルカム・トラスト、国連といった面々が出資しているそうですよ。

カナダのホフ博士がmRNAワクチンを接種した患者を特定したところ、彼らは皆、Dダイマーが上昇していたとのことです。Medscape.comには、医師がDダイマーの上昇を見つけたときにはヘビ毒による中毒を確認するようにとあるそうです。

レムデジビルによる腎不全はキングコブラの毒が第一に標的とする臓器だそうです。

人々の体は今、ヘビ毒の遺伝子配列を、ヘビ毒のペプチドを入れられていて、それは次から次へと噛まれるたびに続き、この病気の過程がさらに拡大されていく。だから彼らはブースターワクチンプログラムを続けたいのです、とアーディス医師。

まるで映画のように綿密に計算された動画の構成です。

ただアーディス医師は医学的には秀逸でも、教養という点ではもう一つなのか、全ての宗教でヘビ、あるいは龍が悪を象徴するシンボルといっています。これは間違いですね。世界的に見れば、むしろヘビあるいは龍を悪のシンボルとする宗教のほうが少ないはずです。

キリスト教では悪のシンボルなのでしょうし、コロナパンデミックが作られたもので、それが本当に宗教戦争だとすれば、中世帰りしたその馬鹿げた戦争に欧米以外の地域まで不当に巻き込まれてしまったということになるのでしょう。

イエス御本人は、ヘビを善い象徴にも悪い象徴にも使っていらっしゃいますよ。

ヘビ毒を入れられるとは肉体にとって大変な事態ですが、ヘビが象徴ではなく、悪そのもので、ヘビ毒によって悪魔との混血になるなど、お笑い種です。幼稚な、愚かな勘違い。

ブラヴァツキー夫人によって著された神智学の本を読めば、こんな脅しは屁でもありません。ただ、新型コロナと新型コロナワクチンの正体ははっきりしていませんし、レムデジビルが危険な薬剤であることは間違いないようです。

以下は、動画に出てくるアリゾナ大学の論文へのリンクです。

University of Arizona News
https://news.arizona.edu/story/venom-coursing-through-body-researchers-identify-mechanism-driving-covid-19-mortality

Like Venom Coursing Through the Body: Researchers Identify Mechanism Driving COVID-19 Mortality
Researchers have identified what may be the key molecular mechanism responsible for COVID-19 mortality – an enzyme related to neurotoxins found in rattlesnake venom.
By Rosemary Brandt, College of Agriculture and Life Sciences

Aug. 24, 2021

(DeepL訳)
毒のように体内を巡る。COVID-19の死亡率を高めるメカニズムを特定
ガラガラヘビの毒に含まれる神経毒に関連する酵素が、COVID-19の死滅を引き起こす重要な分子メカニズムである可能性があることが、研究者らによって明らかにされました。
農学生命科学部 ローズマリー・ブラント 記
2021年8月24日

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2022年3月31日 (木)

萬子媛の言葉

昨日、「祐徳稲荷神社参詣記(16)」をはてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップしたのですが、何か足りない気がして、改めて「祐徳開山瑞顔大師行業記」を読んでいました。

『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』(編集:井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一、佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2016)には21の著作が収められています。「祐徳開山瑞顔大師行業記」はそのうちの一編です。

萬子媛を知る人間によって書かれた唯一の萬子媛の小伝といってよい「祐徳開山瑞顔大師行業記」は、文人大名として知られた義理の息子、鍋島直條(1655 - 1705)によって、まだ萬子媛が存命中――逝去の1年前――の元禄17年(1704年)に著述されたといわれています。

郷土史家でいらっしゃる迎昭典氏が「萬子媛についての最も古くて上質の資料」とおっしゃる萬子媛に関する第一級の資料です。

原文は『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』の1頁分しかありません。現代人にもわかるように編集された文章を読んでいると(これは2頁あります)、かぎ括弧が使われた3箇所のうちの2箇所が萬子媛の言葉となっており、その貴重さが胸に迫ってきました。

萬子媛の二人のお子さんが早逝してしまわれたため、萬子媛は深く悲しみ悼んで、日夜泣き叫ばれました。そして喪が明けました。次の文章が続きます。

一旦慨念、愛為苦本、愛若断時、苦自何而生。况生平承誨和尚。失之今日者、不亦自愧乎。

一旦(あるひ)、慨[なげ]きて(ため息をついて)念[おも]う、「愛は苦の本為[た]り。愛若[も]し断つ時は、苦は何[いず]こ自[よ]り生ぜん。況[いわ]んや(ましてや)生平(日ごろ)誨[おしえ]を和尚に承[う]く。これを今日に失うは、亦[ま]た自ら愧[は]じざらんや」

この文章は萬子媛の心のうちが文学的に描き出されたものかもしれませんが、筆者の直條、あるいは出家している兄の格峯(断橋、鍋島直孝)に対して萬子媛が真情を吐露された言葉なのかもしれません。

ある日、大師(※萬子媛のこと――引用者)はため息をついて、思われました。「愛は苦しみの原因ですものね。愛をもし断つ時は、苦しみはどこから生じるのでしょう。ましてや日ごろ和尚様から教えを受けておりましたのに。これを今日に失うのは、全く自分を恥ずかしいと思わないかといえば、いいえ、思いますとも」

もう1箇所を引用します。ここでは明確に、萬子媛の格峯に対する言葉として書かれています。

大師一日、語吾兄格峰禅師云、念對境起、塵中决不可處也。願栖遅巗壑、以儘餘喘。

大師、一日、吾[わ]が兄(珠龍海の兄弟子)格峯禅師に語りて、云[い]う、「念、境(対象)に対して塵中[じんちゅう](俗世界)に起これば、決して処するべからず。願わくは、巌壑[がんがく]に棲遅[せいち](隠居)し、以[もっ]て余喘[よぜん(のこりの命)を尽さん」

大師がある日、わたしの兄の格峯におっしゃいました。「対象に対する思いが俗世界で起きたなら、決して、それに応じた行動をとってはなりませんね。願いが叶うのであれば、わたくしは岩屋に隠棲して余命を全うするつもりです」

ですが、このときの出家したいという萬子媛の思いは、親戚に反対されて叶いませんでした。見かねた格峯が義理の母の願いを叶えようと、自分の住まいであった祐徳院をお譲りになったのでした。

義理の息子たちに助けられて萬子媛の出家の願いは叶い、萬子媛の小伝も残されたのでした。おなかを痛めた二人のお子さんは亡くされたけれど、それを補って余りある素晴らしい関係を萬子媛は義理の息子たちとの間に築いておられたのです。

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2022年3月15日 (火)

姑から貰った謡本(この記事は書きかけです)

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姑からごっそり貰った謡本。わたしが貰わなければ捨てるということでした。

姑が母親から貰ったらしい、昭和25年ごろの古い謡本も数冊混じっており、姑は長いこと仕舞を稽古していたのに全部捨てるとは……と困惑しましたけれど、要するにマイブームが去ったということらしく、現在のマイブームはアートフラワーと水彩画だそうです。

ネットで調べたところでは、貰った謡本は、二十四世 観世左近『大成版観世流謡本 93冊』(檜書店、1972)だと思います。

「羽衣」「熊野」なども入っているはずですが、見当たりません。紛失したのでしょうか、残念です。

写真の向かって右上に置いた「杜若」は、わたしが初めて観能に出かけたときの印象的な演目でした。チケットは姑が行けなくなったということで貰ったのでした。

かなり練習したのか、書き込みが相当あります。「杜若」は当然、姑も観たかったようで、当時、わたしがとてもよかったとの感想を述べると、「わたしも観たかった……」と残念そうでした。

昨日から、謡本がもたらしてくれる世界に浸っていました。作者、資材、構想、曲趣、節譜解説、舞台鑑賞、辞解とわかりやすくまとめられています。イラストも入っています。

観世流の謡本ですから、観世流の世界観が表現されているものだといえます。

わたしが貰わなければ捨てられた謡本……縁があって、わたしのところへ来てくれました。幾人もの高貴なお客様を迎え入れたような緊張感があります。

萬子媛から「それでもっと勉強してください」と叱咤激励されたような気がしました。

そういえば、過去記事で、羽衣について書きかけていたことがありました。今は時間がないので、あとでまた。

※この記事は書きかけです。

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2021年12月25日 (土)

クリスマスには、やはり新約聖書

何だか慌ただしくて、クリスマス・イヴという雰囲気には遠い昨夜でしたが、クリスマスには新約聖書を紐解かないと、忘れ物をしたような気持ちになります。

クリスチャンではありませんが、新約聖書の放つ白い柔らかな光に惹かれて、昔から愛読してきました。大学卒業間際に母が倒れ重態に陥った夜、枕許で紐解いたのも新約聖書でしたっけ。

2007年9月30日 (日)
手記『枕許からのレポート』
https://elder.tea-nifty.com/blog/2007/09/post_e32f.html

読むたびに、何らかの発見があります。

今日、目に留まったのは、イエスがローマ総督ピラトと問答する場面を描いたヨハネの記述でした。ピラトについて、ウィキペディアにはいろいろなことが書かれています。脚注の出典を見ると、比較的バランスよく引用されている気がします。

ピラト(ウィキペディア)

ポンテオ・ピラト(古典ラテン語:Pontius Pilatus (ポンティウス・ピーラートゥス)、生没年不詳)は、ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督(タキトゥスによれば皇帝属領長官、在任:26年 - 36年)。新約聖書で、イエスの処刑に関与した総督として登場することで有名。新約聖書の福音書の登場のほか、少し後の時代のユダヤ人の歴史家であるフィロンやフラウィウス・ヨセフスなどの歴史書においては、アグリッパ1世以前のユダヤ総督で唯一詳しい説明が存在する[1]。……(以下略)……

フランシスコ会聖書研究所訳『新約聖書』(中央出版社、改訂初版1984)の「ヨハネによる福音書」から引用します。

 そこで、ピラトは再び官邸に入った。そして、イエズスを呼び寄せ、「お前がユダヤ人たちの王なのか」と尋ねると、イエズスはお答えになった。「あなたはご自分の考えでそう言うのですか。それとも、ほかの人がわたしについて、あなたにそう言ったのですか」。ピラトは言い返した。「このわたしがユダヤ人であるとでも言うのか。お前の国の人、また、祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。お前はいったい何をしたのか」。イエズスはお答えになった。

「わたしの国は、この世に属していない
わたしの国がこの世に属していたなら、
わたしがユダヤ人の手に
引き渡されないように、
部下が戦ったことであろう。
しかし、実際、わたしの国は、
この世に属していない」。

 そこでピラトが、「では、お前はやはり、王なのか」と言うと、イエズスはお答えになった。

「わたしが王であるとは、
あなたの言っていることである。わたしは、
真理について証しをするために生まれ、
また、そのためにこの世に来た。
真理に属している人は皆、
わたしの声に耳を傾ける」。

ピラトは、「真理とは何か」と尋ねた。

(フランシスコ会聖書研究所訳,1984,pp.384-385)

イエスに対してピラトがユダヤ人の王か、と問いかけ、イエスがそれはあなたの言っていることだと返す場面は、どの聖書記者も書いていますが、それ以外のここでの長い問答はヨハネしか書いていません。

そして、ピラトの「真理とは何か」という問に対するイエスの返答はなかったのか、後に削除されたのか、書かれていません。

イエスの言葉は、低次元であるこの世を包んで存在する、高次元の観点から語られた言葉であるように思われます。

そう考えると、ピラトの「真理とは何か」という言葉は愚問ですね。イエスは既に、真理とは何かについて、語っているからです。ピラトには、イエスの言葉を理解するだけのものが備わっていないことは明らかです。イエスは黙するしかなかったとも考えられます。

神秘主義的観点から新約聖書を考察した「マダムNの神秘主義エッセー」におけるオススメは、以下の記事です。

49 絵画に見る様々なマグダラのマリア
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/05/05/025512

目次

  1. 絵画によるマグダラのマリアの競演
  2. 東方教会が伝える、誇り高く行動的なマグダラのマリア(主の復活の第一証人、方々へ伝道、ローマ第二代皇帝にイエスの冤罪を直訴)
  3. イエスが結婚していたとする説
  4. イエスの愛しておられた者とは誰か?(横になって食事するローマ式だった最後の晩餐)
  5. イエス一家の棺の発見
  6. 「フィリポ言行録」について

105 トルストイ『戦争と平和』…⑥テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2020/10/11/220929

目次

  1. なぜイルミナティズムとマルクシズムは酷似しているのか?
  2. 唯物史観は日本には当てはまらない
  3. 『共産党宣言』に出てくる「新エルサレム」は理想郷の喩えなのか?
  4. マルクスはサタニスト(悪魔崇拝者)だったのだろうか?
  5. 転向したイルミナティの元メンバーの告発動画
  6. シオン長老の議定書と新約聖書に出てくるパリサイ派
  7. 中国共産党に改竄された教科書のヨハネ福音書
  8. 2021年2月4日における追記

また、児童小説『不思議な接着剤』に、グノーシス主義の福音書文書の一つ 『マリアによる福音書』に登場するマグダラのマリアをモデルとした人物を登場させたいと思い、研究してきたノートを以下のブログで公開中です。2016年5月から収録できていませんが、No.100まであります。

創作ノート - 不思議な接着剤
https://etude-madeleine.blog.jp/

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2021年12月14日 (火)

大分トリニータ、天皇杯決勝戦進出。札付き巨大製薬会社ファイザー、アストラゼネカの10年前の行状。「ワイス博士の前世療法の問題点について、神秘主義的観点から考察する」を再公開。

コロナ禍の影響など、色々あって、J2降格が決まっている大分トリニータですが、12日に行われたサッカー天皇杯の準決勝で守りに徹して延長戦に持ち込み、延長戦では互角の戦いとなってPK戦へともつれ込んだ末、何と川崎フロンターレを下して初の決勝進出を決めました。

片野坂監督、素敵です。還暦過ぎのわたしはすっかり高校生くらいの気持ちになって、片野坂監督の姿を追い求めながらテレビ観戦しました。片野坂監督、大分トリニータ監督を辞めないで!

これ、亀記事もいいところですね。この記事は大分トリニータの決勝進出の直後にアップするつもりだったのですが、ネット接続が不安定で、原因究明に追わていました。

でも、まだ解決していません。今はたまたま調子がいいだけでしょうね。

原因は、レンタルしているモデム(ONU)の経年劣化だと思うので、交換してほしいのですが、すんなり交換して貰えるのかどうか。

とりあえずフレッツ光西日本の故障時サポート(録音受付)に夫が昨日の午前中に電話し、午後3時になっても電話がかかってこなかったので、再度、用件を録音したにもかかわらず、今に至るまで応答なし。以前も何かの問い合わせで、なかなかつながらず、困ったことがありましたっけ。

BUFFALOのWi-Fiルーターも買い替え時だとは思っていますが、あれこれやってみたところではやはり、モデム。7~10年程度で寿命らしく、それからすると、うちのは寿命を越えた長寿モデムとなっております。

話題は執筆関係に移りますが、現在、図書館から借りたユング関係の著作を数冊借りて精読しています。その中でもリチャード・ノル(老松克博訳)『ユングという名の〈神〉―秘められた生と教義』(新曜社、1999)は封印されてきたユングの一面を生々しく伝える貴重な著作内容で、この本が邦訳されたことの意義は大きいと思われます。

そう思うだけに、前に借りたときのようにざっと読んだだけではいけない、精読しなければと思い、読んでいるのですが、以下の冒頭部分からしてわたしは脱力し、読書が進みません。

チューリヒ湖の上流側の岸辺、ボーリンゲンの閑静な地にユングの「塔」として知られる石造りの建物があり、今でも巡礼のように訪れる人が絶えない。1923年、ユングはそこにささやかで素朴な隠れ家を建てはじめた。ひとりきりで過ごす円い器としてである。後年それは増築されて塔になり、聖域となった。彼はそこで、みずからの経験したヴィジョンを壁に描いたり、石に刻んで保存したりすることができた。それはまた、性の空間、異教的な背徳の祭壇にもなっていた。ユングはキュスナハトの妻や家族、あるいはチューリヒの弟子たちから離れ、深い仲であったトニー・ヴォルフと思う存分享楽の時を過ごした。(ノル,老松訳、1999,p.3)

「何やっとるんだね、チミは?」といいたくなります。

ユングの行為が単にプライベートなものだとするなら、どうでもいい話ですけれど(趣味の塔づくりをしようが何しようが)、ユングの解釈による異教的意味づけをした上での行為であれは、それは神秘主義とは真逆の何かです。その真逆の何かと心霊主義を一緒にして、ユングは心理学に持ち込んだわけです。

聖域にカーマ(欲望)を持ち込むなど、神秘主義ではありえないことですけれど、ユングの「聖域」にはヴィジョンを通して出逢ったユングの導師フィレモン(ヘレニズム時代からやって来た超個人的実体で、長く白い髭と翡翠の翼を持つ老人)が描かれているとか。

老人の奇怪な姿は、カーマ・ローカの幽霊がユングの好みに合わせた扮装でしょうか。どことなく子供じみた「超個人的実体」ですね。

「マダムNの神秘主義的エッセー」で一旦公開し、その後非公開設定したエッセーは、とりあえず、そのまま再公開しました。

2021-11-23
113 ワイス博士の前世療法の問題点について、神秘主義的観点から考察する
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2021/11/23/030326

目次

  1. 神秘主義=心霊主義ではない
  2. 前世療法やオーラ診断が連想させる、眠れる予言者エドガー・ケーシー
  3. ヨガ行者パラマンサ・ヨガナンダと前世療法における「前世の記憶」の様態の決定的違い
  4. 降霊術のとりこだったユングの影響
  5. 2021年11月25日における追記: 心理クラブの影響を受けたヘッセ、神智学及び人智学の影響を受けたカロッサ
  6. 2021年11月30日における追記: ヘッセの代表作『デミアン』に登場するアプラクサスとイルミナティの神、そしてユングの神々

今後ユングについて書きたいことが出てきたときは、別のエッセーにします。

ところで、積ん読の山を何気なく眺めていたら、内海聡『精神科は今日も、やりたい放題 ―医者が教える、過激ながらも大切な話―』(PHP文庫 - ‎ PHP研究所、2018) が目に留まりました。

ワクチン懸念派のツイートで、そのお名前をたびたび見たことがあったからです。

娘は書店員時代に内海氏の著作を数冊、内容確認のためにざっと読んだことがあったといいました。悪い読後感ではなかったようでした。

昨日読んだわたしには、全編通して共鳴できる内容でした。それについては、当記事では触れません。プロフィール欄に、この作品は「2012年4月」に刊行されたものを再編集したものとありました。10年近く前の作品なのですね。

この本に、新型コロナウイルスワクチンで馴染み深い製薬会社となったファイザー社、アストラゼネカ社が出てきます。

アストラゼネカ社は、「今やドル箱となった抗精神薬の違法な市場拡大に対する連邦の捜査で、金銭の支払いを行った巨大製薬企業は、過去3年間でアストラゼネカ社が4社目となる。ロンドンに拠点を置く同社は、『セロクエル』に都合のよい研究データだけを誇張し、リスクを適切に開示せず、医師や患者を欺いたとして告訴もされている。現在もアストラゼネカ社は、薬剤のリスクを開示しなかったとして2万5000件に上る患者側からの民事訴訟を抱えている」(内海,2018,p.66-67)

ファイザー社については、デッチアゲ研究が紹介されています。「捜査機関が発表したところによると、ファイザー社が販売する「ガバペンチン」(てんかん薬)のマーケットの拡大に不都合な研究結果の揉み消しや改竄を同社が行っていたことを示す社内文書が見つかり、製薬会社でどのように科学研究の操作が行われているかを知る機会を提供する結果となった」(内海,2018,p.92-93)

札付きの巨大製薬会社のワクチンを高い値段で膨大な量、買わされた日本政府。「日本は世界における抗精神薬の在庫処分場と化しており、たとえば、ベンソジアゼピン系(安定剤、睡眠薬として用いられる種類)でみれば、どの国と比べても世界一の精神薬消費国となっている」(内海,2018,p.68)と書かれています。日本がワクチンの在庫処分場となっているというツイートを目にしたことを思い出しました。さもありなん、です。

 

カテゴリー「新型コロナ対策: イベルメクチン」記事一覧

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2021年11月30日 (火)

リチャード・ノル『ユングという名の〈神〉』を読んでいるところ

リチャード・ノル(老松克博訳)『ユングという名の「神」―秘められた生と教義』 (新曜社、1999)を読んでいるところだ。

ユングは降霊術を信奉し、カーマ・ローカの夥しいアストラル幻影に振り回されていたようにわたしには思えるが、本人が真面目だったのか、遊び(興味)半分だったのか、わたしには判断しかねる。

神秘主義の象徴的な用語が、バーゲンセールに出たように散りばめられたユングの著作。そのユングを描いたノルの著作も、肝心のところがぼかされたまま、次の話題に慌ただしく移ってしまうので、前に図書館から借りてざっと目を通しただけだったときのように、今回も大事な箇所をうっかり読み飛ばしてしまいそうだ。

この本には、フリーメーソンもイルミナティもアブラクサスも出てくるが、ユングがそれらに興味を持ったということしかわからず、フリーメーソンだったのか、イルミナティだったのかも不明である(読み落としたのだろうか?)。

ゲーテに関しては、はっきりとしたことが書かれている。ゲーテは――イルミナティにのっとられてしまっていたと思われる――フリーメーソン・アマリア集会所の会員になりマスターになった。そして、イルミナティの高位の内部集団に入るところまで登りつめている。

しかしゲーテはフリーメーソン(イルミナティ)に幻滅したらしい。「その集団には、実はもっと卑しい金銭的な動機が働いていたのだ」(ノル,老松訳,1999,p.25)

フリーメーソンは各集会所によって、やっていることに違いがあり、またイルミナティがフリーメーソンという巨大な――ある意味ではまとまりを欠いた――組織全体に浸透していたとは思えないのだが、集会所がフリーメーソン的にはもぬけの殻となってしまっていて、代わりにそこに居座ったイルミナティにはお金が大好きなロスチャイルド家の息がかかっていたのだから、ゲーテの幻滅も当然のことだっただろう。

アブラクサスはただの短い説明に終わっていて、イルミナティの神なのかどうか、ここからは全く読みとれない。

そして、この本を今読んでいても、わたしがエッセー 91「C・G・ユングの恣意的な方法論と伝統的な神秘主義」で述べたような印象は変わらない。ユングは神秘主義に強い興味があったとしても、あくまで傍観的、趣味的、剽窃的、誇大妄想的であり、降霊術に対する熱心な姿勢から、心霊主義者だったとしか思えない。

神秘主義=心霊主義ではないのである。両者は両立しない。この基本的なことさえ、ユングにはわかっていなかったとしか思えない。霊媒は、神秘主義の前庭までしか行けない。ユングの凄まじい幻覚や勝手な意味づけ自体が、彼が神秘主義者ではなかったことを示している。

広場恐怖症だったロックフェラー家の女性エディスが夫ハロルド共々ユングの分析にはまったのだが(広場恐怖症は治らず、のちにハロルドとは離婚した)、それに対するジョン・D・ロックフェラーの懸念が如何にもまともに思える。

ロックフェラーはそこで懸念を表明していたのだ。分析は「布教」の一形態であって、ハロルドとエディスはいい加減な宗教的カルトに捕まったのではないか、と。そういうロックフェラー自身は浸礼派のキリスト教徒であり、今ではハロルド、エディス両者が非キリスト教的な熱狂を見せているように思われて落ち着かなかった。(ノル,老松訳,1999,p.362)

宗教と呼ぶには何やら騒々しく、中身が空疎すぎるので、「いい加減な宗教的カルト」という表現は秀逸である。

6回もの心臓移植を受けて101歳で亡くなったジョン・D・ロックフェラーの孫のデイヴィッド・ロックフェラーも敬虔なクリスチャンだったということだが、デイヴィッドがそうだったとは到底信じられない。

小木曽由佳『ユングとジェイムズ ――個と普遍をめぐる探求――』(創元社、2014)、他2冊、ユング関係の本を借りた。

エッセー「ワイス博士の前世療法の問題点について、神秘主義的観点から考察する」の再公開にはもう少し時間がかかりそうだ。

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2021年11月17日 (水)

瀬戸内寂聴の死――日本文学の凋落を招いた坊主コスプレ女性は死後、何処へ?

瀬戸内寂聴が99歳で亡くなった。

中学時代から63歳になる今日まで、50年間文学界を傍観してきたわたしは、瀬戸内晴美・寂聴(1922年5月15日 - 2021年11月9日)なる女性が、大物作家の死去するごとに存在感を強めていく姿を見てきた。いつのまにか、寂聴は大御所的存在となっていた。

彼女こそ、日本文学が左傾化、低俗化、在日化する原因をつくった人物であり(別に日本の純文学界は日本人で固めなければならないなどといっているのではない。日本人が日本で純文学作家になりにくい状況をつくったことに疑問があるだけだ)、そうした爆弾を次々に投下されて日本文学は焼け野原になってしまった。

呆然として、その焼け野原にたたずむばかりである。そして、日本文学の凋落を招いた坊主コスプレ女性は死後、何処へ? と思う次第。

元々、小説家としての瀬戸内寂聴に興味があったわけではない。岡本かの子(1889年3月1日 - 1939年2月18日)に興味があった。

かの子は男性との関係において破天荒なところがあったが(夫の一平にも変わったところがあった)、彼女の作品は性愛を描きながらも知的で、清流のような自然の神秘性が香り、気品のある筆致である。人物造形も巧みだ。

かの子は仏教に傾倒し、仏教研究家でもあった。芸術家の岡本太郎は息子である。

それで、寂聴による岡本かの子に関する評伝『かの子撩乱』を読んだのだった。資料に基づいて書かれた部分は労作と感じさせられ、面白かったが、寂聴の「かの子」像は妙に生臭く幼稚で、閉口した。

作家としての寂聴の力量に疑問が湧いた。

あれこれ読んでみると、寂聴の人物像はどの作品でも金太郎飴のようで、漏れなく寂聴色に染められている。人物像が単調である。人間観察ができていないように思われた。

瀬戸内寂聴に関しては、既に分析済みで「今東光が訳した神智学書籍と日教組批判活動」というエッセーを書いている。その後も寂聴関係のニュースには目を通してきたが、わたしの寂聴観に今のところ変化はない。

ただし今は、日本の文学界を操った寂聴をさらに背後で操った存在について、憶測している。

「68 今東光が訳した神智学書籍と日教組批判活動( 2017-06-03)」『マダムNの神秘主義的エッセー』。URL: https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/06/03/201119

目次

  1. 今東光を師僧として得度した瀬戸内寂聴
  2. 文学界における寂聴の影響
    ・平野啓一郎のデビューと寂聴
    ・僧侶のコスプレをした、巧妙な仲介業者
  3. テロリストの新左翼活動家と寂聴
  4. 代行者による寂聴の得度式
  5. 神智学との関係が深かった今東光の父親
  6. 赤旗のはためきの中、日教組を叱咤し、教育の正常化を訴えた今東光
  7. 追記:神智学の影響が感じられる今東光の著作

わたしはどうしても批判的な目で見てしまうが、ファンの中には寂聴グッズがほしいというかたもいるのだろう。以下の通販サイトで購入できるようだ。

ほほえみ倶楽部
https://www.onsei.co.jp/hohoemi/index.html

「縁起が良い人気色 長財布」って、風水みたいだ。「寂聴さん限定カラー 長財布ぱーぷる」もある。過去の商品には寂聴Tシャツがあった。ファンクラブそのものだなあ。「寂聴さんの静電気除去ストール」はアイディア商品の部類か? 中高年の女性ファンをターゲットにしたものだろうが、多彩な商品の品揃えに驚かされる、立派な雑貨通販サイトである。

Yahoo!ニュースで閲覧した京都新聞の訃報は次のようなものだった。

「瀬戸内寂聴さん死去 作家・僧侶、99歳 文化勲章受章者」『京都新聞』。
11/11(木) 12:51、URL: https://news.yahoo.co.jp/articles/b02f1d51ed2096bdef0924ae96cfa0f367d491f7

「夏の終(おわ)り」「美は乱調にあり」など、情熱的な愛と生をつづった小説や、法話などの活動で知られる作家で僧侶の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが9日午前6時3分、心不全のため京都市内の病院で死去したことが11日分かった。99歳。……(略)……
徳島市の神仏具商の次女に生まれ、東京女子大在学中に結婚。卒業後、夫の赴任先の北京に渡るが、夫の教え子と恋に落ち、3歳の娘を残して家を出た。離婚後、少女小説や童話で生計を立てる。
 1957年「女子大生・曲愛玲(チュイアイリン)」で新潮社同人雑誌賞を受賞。
……(略)……執筆活動と並行して、信仰に生きた。51歳で出家し、京都・嵯峨野に寂庵を結ぶ。後に岩手県二戸市の天台寺住職も兼ね、京都と往来しながら、荒廃した寺の復興に尽力した。寂庵や天台寺では定期的に法話を開き、孤独や病、家族不和などに悩む人への思いに耳を傾け、励ました。
 社会的な活動や平和への行動にも力を注いだ。湾岸戦争の救援活動や米中枢同時テロへの報復停止を祈る断食を敢行した。東日本大震災時は原発再稼働に抗議し、89歳の時には東京の経済産業省前でハンガーストライキに参加。東北にも足を運んで、被災者を支援した。

優れた文化人であるかのように持ち上げられた寂聴の表の顔に世間は騙されているのかと思っていたが、厳しいコメントの数々を閲覧して、世間は案外鋭く見ていたのだ――と驚いた。勿論、敬愛し、哀惜する声も多数ある。

表に出るのは後者の見方ばかりなので、ここでは批判的なコメントの一部を「続き」に紹介しておきたい。

続きを読む "瀬戸内寂聴の死――日本文学の凋落を招いた坊主コスプレ女性は死後、何処へ?"

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2021年11月 7日 (日)

『祐徳院』らくがきメモ 6)能の五番立

「蔵出し名舞台 名人の芸で観る能の五番立」『にっぽんの芸能』(NHK)――初回放送日: 2021年8月27日――を視聴した。

『にっぽんの芸能』の能を採り上げた回は勉強になるので、よく視聴しているのだが、この回は録画したまま未視聴だった。もっと早く視聴しておけばよかったと思った次第。能の五番立の解説がとてもわかりやすかった。ノートしておこう。

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能の五番立

  • 神(しん)
    天下泰平、国土安穏[あんのん]を祈り祝う神の姿を描く。「高砂」「鶴亀(月宮殿)」等。
  • 男(なん)
    主に武将が死後、修羅道という地獄で苦しむ様子を描く。「清経」「実盛」等。
  • 女(にょ)
    多くは女性を主人公とした、美しく幻想的な能。「羽衣」「熊野(湯谷)」等。
  • 狂(きょう)
    心乱れた人々や怨霊、異国のものを描く。「隅田川(角田川)」「葵の上」等。
  • 鬼(き)
    鬼や獅子、天狗などが登場する華やかなフィナーレ。「石橋[しゃっきょう]」「大江山」等。

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江戸時代、能は武家の式楽(公式芸能)と定められていた。萬子媛の夫であった鍋島直朝公が能を嗜まれた背景として、こうした幕府の方針があり、加えて萬子媛の影響もあっただろう。

先月、『多田富雄新作全集』が3,000円台で2点出ていた。新品もあるが、9,240円もする。図書館から度々借りていたので、できれば入手したいと思っていた。中古品だと、汚れていないか心配になる。それも安い値段だと。くずくずしているうちに安いほうは売り切れてしまった。

3,300円の本が残っていた。汚れている箇所が写真に撮られ、表示されていた。箱入りの本で、汚れているのは箱のようだった。中身は無事なのだろうか? 多田氏の作品の内容にはやや疑問があるのだが、とても勉強になる本であることは間違いない。今後、ここまで安い中古品が出るとは限らない。注文した。以下はAmazonの商品ページより。

多田富雄新作能全集
多田富雄 (著), 笠井賢一 (編集)
出版社 ‏ : ‎ 藤原書店 (2012/4/23)
発売日 ‏ : ‎ 2012/4/23

多田富雄三回忌記念出版 現代的課題に斬り込んだ全作品を集大成!
免疫学の世界的権威として活躍しつつ、能の実作者としても、脳死、強制連行、核兵器、戦争など、現代的課題に次々と斬り込んでいった多田富雄。1989年の第一作「無明の井」から、最晩年の「花供養」まで、現世と異界とを自在に往還する「能」という芸術でなければ描けない問題を追究した全8作品に加え、未上演の2作と小謡を収録。巻末には6作品の英訳も附した決定版。

確かに、箱の一箇所が汚れていたが、それほど気になる汚れかたではなかった。中身は新品同然だった。注文カードが挟まれたままで、栞紐が使われたことのないまま二つ折りになって挟まっていた。藤原書店の小冊子「機」も挟まっていた。

嬉しかった。本が汚くなっていると、せっかく購入しても放置状態になってしまうことがあるのだ。図書館から借りる本はありがたいことに、新品同然のものばかり。たまに大衆受けするタイプの本を借りると、あまりの汚さに愕然となる。

多田氏の能作品を再読したが、内容にはやはり疑問がある。しかし、11編の能作品には創作ノート、構成、あらすじなど付いていて、とても勉強になる。海外公演のための英訳詞章集も付いているではないか。

そういえば、イェーツが能の影響を受けた書いた一幕物詩劇「鷹の井戸」が青空文庫で読めたので、印刷して読んだ。独特の雰囲気は出ているが、内容的には痩せている。

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2021年10月29日 (金)

(29日に加筆あり、赤字。夜になって再度の加筆、マゼンタ字)エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」に49、50―アストリッド・リンドグレーン(2)(3)―をアップしました

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」に 49「アストリッド・リンドグレーン (2)『はるかな国の兄弟』を考察する 2014.4.30」、50「アストリッド・リンドグレーン (3)愛蔵版アルバムで紹介された『はるかな国の兄弟』と関係のあるエピソード 2015.9.14」をアップしました。当ブログで公開中の記事をまとめたものですが、加筆訂正がありますので、転載しておきます。

28日に公開した記事でしたが、29日になって、エッセー「50」 にかなり加筆しましたので、一旦閉じ、再公開しました。加筆部分は赤字にしています。夜になって再度の加筆を行いました、マゼンタ色の文字です。

49 アストリッド・リンドグレーン (2)『はるかな国の兄弟』を考察する 2014.4.30

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vermilionchameleonによるPixabayからの画像

長編児童小説「はるかな国の兄弟」は悲惨な場面から始まる。

貧しい地区で火災が起こり、10歳になる病気の弟を背負って窓から飛び降りた13歳の少年が亡くなるのだ。物語の語り手は兄を失った弟クッキーである。

兄のヨナタンは弟にとって、お話の王子のように美しく、優しく、強くて、なんでもできた。弟思いの兄は、死期の迫った弟が死ぬことを恐がらないように、死んだらナンギヤラという「野営のたき火とお話の時代」に行くのだと語って聞かせていた。

先にそこへ行くはずの弟が残り、弟には「この町じゅうにも、ヨナタンのことを嘆かない人はひとりもなく、ぼくが代りに死んだほうがよかったのに、と思わない人はひとりもいません」というつらい自覚がある。

ヨナタンに先立たれた今、母親とクッキーにとってお互いはただ一人の家族なのだが、母親は存在感のない人物に描かれている。

裁縫師として家計を支えている母親が多忙であるにしても、あまりにも描写に乏しいのだ。兄弟にスポットライトを当てるため、作者は故意に読者から母親を遠ざけているようにも思える。

クッキーにとって、ヨナタンは理想的な兄というだけでなく、父母に代わる人間でもあって、唯一全き他者といってもよいくらいだ。別の見方をすれば、クッキーにとってヨナタンの影響は大きすぎる。クッキーはヨナタンに取り込まれてしまっているかに見える。

そんな危険な匂いが、冒頭から漂う。

ヨナタンはクッキーを自分のものとして可愛がりすぎるのである。我が子を溺愛する母親のように。クッキーという愛称もヨナタンが与えたものであって、母親はカッレと呼ぶのだ。

兄の死から2ヶ月して、兄の待つナンギヤラに弟も行く。死んで他界に行ったと考えてよいのだろうか? 

ナンギヤラで、星の明るい晩に、どの星が地球かをあててみようとしたクッキーにヨナタンが「地球ね。そう、あれはずっとずっと遠くの宇宙をうごいていて、ここからは見られないよ」というところからすると、彼らは別の星にテレポーションしたのかしらん。

だが、この作品に SF 的な要素はないので、何にせよナンギヤラは人間が死んだあとにいく他界なのだろう。だとすると、ナンギヤラは天国なのだろうか。

ナンギヤラは中世の村社会を想わせるが、理想郷のようなナンギヤラのサクラ谷で、兄弟は谷の人々と交わりながら楽しく暮らす。暴君テンギルや竜カトラとの戦いが始まるまでは――。

死後の世界であるにも拘わらず、この世と同じような暴力があり、流血があり、死があり、悲しみがあって、この世にはいない怪物までいるとなると、ナンギヤラは天国ではありえないが、地獄にしてはよいところなので、煉獄といってよい世界と思える。

クッキーには秘密にされていたが、暴君テンギルに抵抗する地下組織が既にあって、兄はその一員だった。クッキーも一員となる。第一線部隊の目立つ地位にいる兄に対して、クッキーはどちらかというと、彼らを後方で支える側につく。

クッキーは物語の初めから終わりまで、控えめな存在なのである。常に兄に追従し、兄を信心するよき信徒のようである。クッキーはいつまで経っても主人公にはなれない。兄依存症といってよいくらいだ。

クッキーも歯がゆいが、その原因に兄ヨナタンの過度な保護や出過ぎたリードがあるように思われ、わたしにはそのことが不気味にすら感じられる。

彼らがまだこの世にいたとき、弟をなぐさめるためだとしても、ヨナタンは死後の世界を弟に対して規定しすぎたのではあるまいか。クッキーが死んでも天国へ行けず、ヨナタンから借りた煉獄的世界で堂々巡りしなければならないのがヨナタンのせいとばかりはいえないにしても……。

わたしは神秘主義者だから、死後の世界に関する情報と独自の考えをいささか頑固に持っているが、それをブログや電子書籍で語ることはあれ、他人に強要しようとは思わない。わたしは共鳴して神智学協会の会員になったが、家族を含めて、わたしの周囲に神智学協会の会員は一人もいない。

人間には死後の世界を自分で想像し、創造する権利があると考えている(こんな考えかたは特殊だろうか)。その自由を、ヨナタンは弟から奪っているように思えるのである(こんな考えもまた、一つの思想であろうが)。

そういう疑問はわくにしても、この冒険活劇には心に沁みる、美しい場面が沢山あり、ビアンカという伝書バトの出てくる場面などは忘れられない。

ソフィアのハトたちがほんとに人間の言葉がわかるのかどうか、ぼくは知りませんが、ビアンカはわかっていたように思います。なぜってビアンカは、安心しなさいというように、ヨナタンの頬にくちばしをあて、それから飛び立ったのです。夕方の薄明りの中に、ビアンカは白くきらめきました。ほんとに危険なほど白く。*1

戦いは暴君の敗北で終わり、竜カトラも死ぬのだが、この物語はそこでめでたし、めでたしとはならない。犠牲が多く出て、兄弟の馬たちも死に、兄は竜の火に触れたために体が麻痺してしまう。

そして、この勝利と敗北が残酷に混ざったクライマックスで、奇妙なことに、作者リンドグレーンは物語のはじまりで起きた悲惨な状況を――兄弟の役割を入れ替わらせて――再現してみせるのである。

場所は、夜のとばりが降りかけた山中。カトラの火――火災の火を連想させる――に触れて体が麻痺したヨナタンにクッキーが「また、死ななきゃならないの、ヨナタン?」と叫ぶと、ヨナタンは「ちがう! だけど、ぼくは、そうしたいんだ。なぜって、ぼくは、もうけっして体を動かせなくなるんだから。」という。

このヨナタンの言葉には戦慄を覚える。自殺願望のように聴こえるからである。ヨナタンは弟に「ぼくたち、もう一ぺん、とんでもいいかもしれないと、ぼくはおもうんだ。あの崖の下へ。あの草原へね。」という。

なぜリンドグレーンはこの場面を、火災の場面に似た設定に近づけようとしたのだろうか。実際には全然違う状況にあるのに、である。

火災の場面では、弟を助けるために兄の犠牲があった。ヨナタンが弟を背負って飛び降りたのは古い木造家屋の三階からだった。

が、ここでヨナタンが飛んでもいいというのは、クッキーが「ぼくは崖のへりまで出ていって、下をのぞきました。もう、あたりは暗すぎました。あの草原は、もうほとんど見えません。でも、それは目がくらむような深みでした。ぼくたちがここにとびこめば、すくなくとも、ふたりそろってナンギリマに行くことはたしかです。」と描写するような高所からなのである。

兄ヨナタンの言葉は、どう考えても心中をそそのかす言葉なのだ。

山を下りるつもりだった弟は、自分たちが別の世界ナンギリマに行ってしまったら、ソフィアとオルヴァルは兄さんなしでサクラ谷と野バラ谷の世話をしなけりゃならないよ、と懸念を口にする。

それに対してヨナタンは、もうぼくは要らない、というだけだ。「クッキー、きみがいるじゃないか。きみがソフィアとオルヴァルを手伝えばいい」とはいわない。

兄弟が山中で遭難する危険性がどの程度のものだったのかはわからない。クッキーが山を下りて助けを呼び、体の麻痺した兄を連れ帰って、介護しながらサクラ谷で生きていくこともできたのではなかったか。

ふたりはもう充分に、サクラ谷や野バラ谷の人々の助けを当てにできるくらいの人間関係が築けていたはずである。

しかし、あたかも心中でもするかのように兄弟は新たな他界ナンギリマを信じて崖から飛び降り、弟クッキーが「ああ、ナンギリマだ!……(後略)……」と声をあげて物語は幕を閉じる。

ふたりが飛び込んだナンギリマがどんな世界かというと、ヨナタンの話では「そこでは、まだまだ、たき火とお話の時代」であるという。ナンギヤラが「野営のたき火とお話の時代」だったのだから、その続編的世界ということだろうか。まるでエンドレステープのようである。

リンドグレーンの死生観については、伝記など読んでもよくわからず、作品から探るしかないが、環境をいえば、リンドグレーンの国スウェーデンはルター派を国教としている。人口の8割がルター派の教会に所属しているという。一方では、エマーヌエル・スヴェーデンボーリのような神秘家を生んだ国としても知られている。

作品に出てきたカルマ滝のカルマという言葉が気になった。竜カトラは、もう一匹の怪物である大蛇カルムと滅ぼし合ってカルマ滝へ消えていく。

カルマをKarmaと綴るのだとすればだが、英語にカルマ、 因縁、 宿縁、 因果、 縁、 天命といった意味があるように、スウェーデン語にも宿縁という意味があるようだ。リンドグレーンの死生観にはもしかしたら、東洋的な死生観がいくらかは混入しているのかもしれない。

Karmaは本来サンスクリット語で、因果応報の原則をいう。

ところで、当エッセーを書いている途中でわたしはたまたま、室温の変化が刺激となったのか、持病である冠攣縮性狭心症の発作を起こした。

死の危険を感じていたさなか、ヨナタンとクッキーが死んでから行ったナンギヤラのことが頭に浮かんだりして怖くなり、あんなところへ行くのは御免だと思った。

その一方では、物語の世界のしっとりと潤いのある空気が心地よく体に染み込んでくるようで、あの世界がリンドグレーンも共に息づく世界であることを確信した。

病人に寄り添うナイチンゲールのような空気だと感じられたのである。

そして、思った。あの世界は死後の世界として描かれてはいるが、この世界のことではあるまいか。

語り手であり、主人公でもあるクッキーはまだ生きていて、夢を見ているだけなのかもしれない。

とすると、生きているクッキーの現状は苦しみが長引くだけであって、希望がなさすぎるけれど、希望のない現実というものもあるということを、リンドグレーンは多く描いている。もう死にしか希望が見い出せないような過酷な状況を。

ナンギリヤラがいわゆる天国ではないのは、現実にはクッキーがまだ生きている証拠なのではあるまいか。

ここままで書いてきたが、結論は出ない。疑問は解消しないながらも、この作品がわたしにとって、豊かな、魅力に溢れる物語であることは、どうにも否定しようがない。

 

*1:リンドグレーン,大塚訳,2001,pp.164-165

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50 アストリッド・リンドグレーン (3)愛蔵版アルバムで紹介された『はるかな国の兄弟』と関係のあるエピソード 2015.9.14

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Astrid Lindgren omkring 1960
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

ヤコブ・フォシェッル監修(石井 登志子訳)『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(岩波書店、2007)を、誕生日プレゼントとして娘に買って貰った。

この大型本に見るリンドグレーンの境遇についてはエッセー 46「シネマ『バベットの晩餐会』を観て」の追記で述べたことと重複するが、アルバムでは作品解釈に役立つようなエピソードが沢山紹介されているので、合わせて『はるかな国の兄弟』に関係のあるエピソードを引用しておきたいと思う。

 目次

  1. アルバムに見るリンドグレーンの境遇
  2. アルバムで紹介された「はるかな国の兄弟」と関係のあるエピソード


1.  アルバムに見るリンドグレーンの境遇

石井登志子訳『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(ヤコブ・フォシェッル監修、岩波書店、2007年)を読んで初めて、それまで断片的にしか知らなかったリンドグレーンの人生を鳥瞰できた。

アストリッド-アンナ-エミリア・エリクソンは 1907 年 11 月 14 日、スウェーデンの南部スモーランド地方、カルマル県にある都市ヴィンメルビー郊外のネースで誕生した。2002 年、94 歳の誕生日を迎え、クリスマスを家族で祝った数日後インフルエンザにかかり、1 月 28 日亡くなった。

両親は農場が軌道に乗るまで苦労したかもしれないが、あのころのスウェーデンの時代背景を考えると、彼女は何しろ農場主の娘で、父親は酪農業組合、雄牛協会、種馬協会を結成した活動的な事業家でもあり、娘のアストリッドが苦労した様子はアルバムからは窺えない。

ラッセを産んだ件では苦労しただろうが、一生を共にしたくない男の子供を妊娠し、その男と一生を共にしない選択の自由がともかくもあり、女性の権利拡張運動の闘士(職業は弁護士)エヴァ・アンデンの援助も受けられて……と、確かに一時的な苦労はあったようだが、自由奔放な女性がしたいようにしたという印象を強く受ける。

「ヴィンメルビー新聞」の編集長ブロムベリイの子どもを妊娠したとき、アストリッドは 18 歳だった。ラッセは、実父から 3 万クローナの遺産を受けとっている。

ちなみに、ラッセが大学受験資格に合格したときの写真を見ると、どちらかというと、いかつい男性的な容貌のアストリッドとは対照的な、女性的といってよいようなハンサムボーイだ。

アストリッドの再婚相手は、秘書として就職した先で知り合った、王立自動車クラブ支配人ステューレ・リンドグレーンだった。21 歳のアストリッドも出席した王立自動車クラブの毎年恒例の晩餐会の写真は凄い。豪華絢爛な晩餐会の様子に圧倒される。

第二次世界大戦前の写真だが、福祉大国スウェーデンが今も――以前の特権を維持していないとはいえ――貴族が存在する社会であることを思い出させた。

それまでに読んだアストリッド・リンドグレーンの作品解説や伝記的なものからは地味な境遇が想像されていたが、いや、とんでもなかった!

想像とは違っていたが――違っていたからこそ、というべきか――、図書館から借りて見たアストリッドや周囲に写っているものがとても素敵だったので、昨年、娘に誕生祝いに何がほしいかと訊かれたとき、迷わずこの本を挙げたのだった。

だから勿論、わたしは、アストリッドが有名だったり、お金持ちだったり、また自由奔放だったりしたからどうのとケチをつけたいわけではない。

無名で貧乏だと取材もままならないから、有名でお金持ちのほうがいいに決まっているし、自由でなくては書きたいように書けないから、環境的に自由なムードがあり、気質的にも自由奔放なくらいがいいと思う。

ただ、「小さいきょうだい」、「ボダイジュがかなでるとき」からも、極貧状態の描写と物語の展開にどことなく貼り付いたような不自然さを覚えていたので、つい、どんな環境で書かれたかを探りたくもなったのだった。

『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』には作品解釈の手がかりになるようなことが多く書かれている。「はるかな国の兄弟」の謎はそれで大部分が解けた。

わたしが深読みしたより、単純に――シンプルにというべきか――書かれていた。それでも、まだ謎の部分が残る。


2.  アルバムで紹介された「はるかな国の兄弟」と関係のあるエピソード

「はるかな国の兄弟」について触れられているのはアルバムの中の「写真で綴る、アストリッドの人生」で 2 箇所、マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」で 3 箇所である。

アストリッドの娘には 4 人の子どもがあって、それぞれ文学関係の道に進んだそうだ。アストリッドは一人ひとりの孫から創作の着想を得ることはなかったというが、ちょっとした言葉づかいや心の動きは借りることがあったとか。

「はるかな国の兄弟」の創作時には二男ニルスと三男ウッレが貢献しているらしい。

4 歳だった二男ニルスの、死についての不安な気持ちは『はるかな国の兄弟』の創作に貢献した。三男のウッレは 1 歳の時に、しきりに「ナン-ギ、ナン-ギ。」と口にしていたのが、やはり『はるかな国の兄弟』の中の主人公、クッキーやヨンタンの住む世界“ナンギヤラ”の名前に使われている。*1

マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」には、アストリッドの作品によく出てくる、印象的な台所について触れられた箇所がある。

 何か特別な雰囲気のある、部屋や場所があるものだ。
「わたしが台所のことを書く時は、わたしたちの家の台所ではないの。ほとんどいつもクリスティンの台所なの。」アストリッドは言っていた。
 クリスティンは牛の世話係と結婚していて、ふたりの娘がエディットである。……(略)……
 わたしが、クッキー・レヨンイェッタ(『はるかな国の兄弟』)が横になっていた台所はどんなだったかを尋ねると、アストリッドは自分でも驚いていた。
「そりゃクリスティンの古い台所でしょ! でも、考えていなかった。そこは 3 階だったのに、クリスティンの台所にしていたわ。」*2 

また、アストリッドの死のイメージがどこから来ていたのかにも言及している。

 アストリッドのベッドで休んだ夜は、初夏の明るさに包まれていた。外には、リンゴと桜の花が咲いていた。室内には、明るいところと半分影のようなほのぐらいところがあり、白夜の夏の夜明かし、アストリッド自身の夜明けへ向かう光があった。彼女の死のイメージは、光のイメージだ。「ぼくには光が見える!」とクッキーは、ナンギヤラやナンギリマやあらゆる未知の世界へ向かって叫ぶ。他の作家が暗く恐ろしげな色合いで表現してきた世界へ向かってそう叫ぶのだ。*3 

神秘主義者であるわたしにとっても死は光のイメージだが、その光のイメージは自然光ではなく、圧倒的だが精妙なオーラの光のイメージである。ストレムステッドのいう「アストリッド自身の夜明けへ向かう光」というのが内的な光のことだとすれば、オーラの光は内的な光といってよい性質のものだから、同種のイメージといってよいのかもしれない。

弟クッキーと兄ヨナタン・レインイェッタの物語『はるかな国の兄弟』は、1970年あたりに、ふたりの兄弟と死を主題とすることで構想が徐々にまとまったという。

 1971 年の元旦の朝、フリーケン湖に沿って汽車に乗っている時、湖上のバラ色に輝く朝日を見て、アストリッドははっとした。「これは人類の夜明けの光だ。そして何かに火がついたと感じた。」兄弟の物語は、この世で展開されるものではないと気づいたのだ。
 善と悪、生と死、そして互いに滅ぼし合うことになるふたつの怪物の登場、これをアストリッドは、第 2 次世界大戦のナチズムとボルシェビキと見なしていたようだが、物語は緊張感あふれる作品になった。物語を書き始めた時、どんな終わり方をするのか、アストリッドには分からなかった。クッキーが確かな死に向かって飛び降りる結末は、子どもにはよくないと、多くの大人が不快感を示したが、子どもたちは明るい結末ととらえていた。*4

マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」でも大人たちの反応に触れられている。

『はるかな国の兄弟』は、「“死”というタブーの境界に添って展開していくため、多くの大人に不安を与え脅えさせた」という。しかし、子どもたちは大人とは違う方法で読んでいるとストレムステッドは書いている。

『はるかな国の兄弟』が出版された直後、アストリッドが若い心理学者に会い、そのときのことをストレムステッドに語ったという。

アストリッド・リンドグレーンは語った。「彼は、子どもに対しては『はるかな国の兄弟』の最後のあたりを読むことができないと言ったの。兄弟が二度も死ななくてはならないと考えるのはおぞましいから、と。その後、家に帰ったら、エーミル映画でイーダの役をしていた女の子から電話があって、こう話してくれたの。“たった今、『はるかな国の兄弟』を読み終わったんだけれど、幸せな終りにしてくれてありがとう”って、子どもはそのように経験できるのよ。」*5

大人の読後感はいろいろだろうし、子どもたちの反応も一律ではないと思うが、あの終わらせかたにはやはり議論を呼ぶところがあるとは思う。

そして、物語に登場する悪役――二匹の怪物――が第2次世界大戦のナチズムとボルシェビキを喩えるものだったとは、安直な技法と思えて驚いた。しかも、「物語を書き始めた時、どんな終わり方をするのか、アストリッドには分からなかった」というからには、この物語は綿密に構成されたものですらなかったということになる。

しかしながら、二匹の怪物が互いに滅ぼしあい、カルマ滝の中で死ぬまで戦いあって深みへと沈んでいくのを見届けた作者アストリッド・リンドグレーンは、そのことによって物語全体を覆う煉獄的ムードを払いはしなかった。

このことは、彼女が哲学的な人物ではなかったとしても、勧善懲悪的世界観に与するような単純な思考の持ち主ではなかったことを示している。

主婦として一旦は家庭に入ったアストリッドだったが、すぐに速記記者として弁護士事務所や国会議事堂で臨時に働き、第二次大戦中の 1940 年からの 5 年間を手紙検閲機関で秘密裏に働いている。戦争に、体制側の一員として深く関わっていた。

こうして見ていくと、「はるかな国の兄弟」は、第二次世界大戦についてのアストリッド的総括、犠牲者に捧げられた鎮魂歌ともいえるのかもしれない。

 

*1:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.106

*2:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.257

*3:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.257

*4:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.175

*5:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.255

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2021年6月 1日 (火)

純文学小説『台風』(Kindle版)をKENPCでお読みいただき、ありがとうございます! 河津武俊氏の御著書『耳納連山』について、再び。

純文学小説『台風』(Kindle版、ASIN: B00BI55HV8)を5月28日ごろ、KENPC(Kindle Edition Normalized Page Count)でお読みいただき、ありがとうございます!

当小説は、第22回織田作之助賞最終候補作品です。選考委員は川上弘美、杉山平一、辻村登の各氏。結果発表誌は『文學界」5月号(文藝春秋、平成18年)。

その後、同人誌『日田文学』53号(編集人・江川義人、発行人・河津武俊、平成18年7月)に掲載していただきました。

『文學界』2006年10月号「同人雑誌評」で、同じく『日田文学』53号に掲載された河津武俊「耳納連山」と共に言及していただきました。

河津武俊著『耳納連山』は、1996年に九州文学社から単行本で、2010年に鳥影社から(季刊文科コレクションとして)単行本で、2018年に弦書房 から文庫版で上梓されています。

わたしは鳥影社版のレビューをブクログに書いています。

『雲の影』『野の花』『耳納連山』が収録されている。『雲の影』『耳納連山』がすばらしい。

『雲の影』は、老齢となった恩師との交わりを丁寧に描いた作品で、美しいとしかいいようのない作品……。
恩師は、《私》が医学生だったときの外科学の先生で、その関係の域を出なかったが、《私》は先生を憧憬し、敬慕していた。
まるでそのときの思いが叶うかのように、恩師の退官後十年を経て、親しく交わる機会が訪れる。先生の人柄や趣味、家庭的な事情なども知るようになる。恩師との交際におけるエピソードが、次々と空を流れる雲のような筆致で書き連ねられていく。師弟を包む情景のため息の出るような美しさ。

『耳納連山』では、山の美しさに人間の心の機微が織り込まれて、リリカルな描かれかたをしている。何て陰影深い、ゆたかな筆遣いなのだろう……! 何枚もの山の絵画を観るようだ。まさに山に捧げる讃歌であり、山にこの作品を書かせて貰った作者は幸せであり、作者にこの作品を書いて貰った山は幸せだと思った。

河津さんの作品は「同人雑誌評」で、何度もベスト5に選ばれています。

河津さんにはアマゾンに出ている以外にも、多くの著作がおありですが、河津さんは日本文学の伝統を受け継いだ貴重な作家です。今の左翼在日コリアン中心の《なんちゃって日本文学界》からは出てこないタイプの正統派といいましょうか。以下の過去記事で、色々と書いています。

2013年7月 9日 (火)
そろそろ同人雑誌「日田文学」編集人に作品の打診をすべきかな
https://elder.tea-nifty.com/blog/2013/07/post-ba37.html

「日田文學」が休刊になってしまったのは、「文學界」(文藝春秋)の同人雑誌評がなくなってしまったからだった。河津さんはこのコーナーの常連で、大石さんなんかもそうだった。この同人雑誌評は縮小して「三田文學」に場所を移したのだが、河津さんが完全にやる気をなくしてしまった様子だった。

 そういえば、『abさんご』が芥川賞を受賞したあとで、河津さんからお電話があり、電子書籍の話になって、それについてお話ししたのだが、河津さんのKindle本はまだないようだ。

 とうの昔にプロになってよかったはずの人なのに、純文学に逆風が吹き、純文学を代表するような作品をお書きになる河津さんにはまことに悪い時代だった。

 河津さんの『耳納連山』は、シモーヌ・ヴェイユ(フランスの女性哲学者)の紹介者、翻訳者として著名だった故田辺保先生も、絶賛なさっていた。

記事で言及した田辺先生はシモーヌ・ヴェイユの翻訳、研究家として日本で第一人者でしたが、河津さんの作品をお送りしたことがあったことを思い出しました。

河津さんのアマゾン著者ページはこちらhttps://amzn.to/34xRf8b

わたしの作品では「侵入者」が『文學界』2008年07月号でベスト5に選ばれました。「侵入者」は「鶏の鳴くころ」と抱き合わせて『結婚という不可逆的な現象』というタイトルでKindle版にしています。

以下に、アマゾン掲載中の『台風』の商品説明から引用します。

大学生の息子と受験を控える娘を持つ専業主婦の央子は、夫に違和感を覚えるようになっていた。
古い借家が白蟻、そして台風に見舞われたとき、家族はそれにどう対処したのか。
リアリズムの手法で、社会状況を背景に人間の心理を丁寧に掘り下げ、台風を克明に描いた純文学小説。

「もの凄い風圧に家と共に耐えるだけで、母子が何も考えられなくなってほどなく、爆音――としか思えない音――が轟いた。家が回転するように大きく揺らいだ。
 午前11時48分。このとき日田で、大分地方気象台が観測史上最大となる最大瞬間風速50・2メートルを記録していた」

物語の舞台は大分県日田市。登場する長沢一家は四人と一匹で、世帯主の功(いさお)、妻の央子(ひさこ)、長男の亘(わたる)、長女の美亜(みあ)、ジャンガリアン・ハムスターのフレーズ。

〈目次〉
第一章 古びた大きな借家
第二章 白蟻事件
第三章 家庭問題
第四章 平成十六年、台風第十八号の上陸
第五章 風速五○・二メートルの恐怖
第六章 損壊した借家
第七章 人間模様
第八章 夫婦
第九章 損害賠償の請求と長男
第十章 引っ越し

以下に、アマゾン掲載中の『結婚という不可逆的な現象』の商品説明から引用します。

かけがえのない家庭で起きた予期せぬ出来事。世間ではありふれた出来事の一つにすぎなかったが、薫子にとっては全身全霊で対処する必要に迫られた大事件であった……精緻な心理描写と哲学的な考察で個人の背後に存在するこの国の流儀を浮かび上がらせ、人生のはかない美しさを描き出す。

「侵入者」は平成19年に執筆した短編小説で、同人誌「日田文学」56六号(編集人・江川義人、発行人・河津武俊、平成20年)に発表。「侵入者」は「文学界」7月号(文藝春秋、平成20年)・同人雑誌評蘭で今月のベスト5の一編に選ばれた。
「鶏の鳴くころ」は、「侵入者」の続編として平成27年に執筆した短編小説。

以下はアマゾン・キンドルストアの拙著者ページです。拙電子著書一覧を御覧いただけます。

Amazon.co.jp: 直塚万季: 作品一覧、著書略歴
https://amzn.to/2XlMha2

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