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2019年10月15日 (火)

軌道修正したらしいノーベル文学賞。2018年オルガ・トカルテュク(ポーランド)、2019年ペーター・ハントケ(オーストリア)。

2016年、ノーベル文学賞はシンガーソングライターのボブ・ディラン(アメリカ合衆国)が受賞した。翌2017年もノーベル文学賞は迷走を続けて、純粋な芸術性を目的として創作される純文学の作家ではなく、一般大衆を対象とした娯楽的要素の強い大衆文学の作家として人気の高いカズオ・イシグロ(イギリス)が受賞した。

何しろ、従来とは異なるジャンルへの授与が2年続いたのだから、個々の作品に対する評価は別として、これまでのノーベル文学賞とはいえなかった。

そして、昨年2018年はノーベル文学賞の選考機関スウェーデン・アカデミーに問題が起き、選考・発表が見送られた。もうノーベル文学賞は終わった……とわたしは思い、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で以下のエッセーを公開した。

64 2016年に実質的終焉を告げたノーベル文学賞
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/10/16/191359

75 ノーベル文学賞の変節、及び古代アレクサンドリアにおけるミューズ
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/10/08/150033

だから、今年のノーベル文学賞の発表のことはすっかり忘れていて、ツイッターでそのニュースが流れてきたとき、もうその時期なのかとびっくりした。

2018年 オルガ・トカルテュク(ポーランド)
2019年 ペーター・ハントケ(オーストリア)

以上のような結果だった。

ペーター・ハントケという名には記憶があった。

ペーター・ハントケ(Peter Handke, 1942年12月6日 - )はオーストリア出身の現代作家。小説、戯曲、詩から放送劇、フランス文学の翻訳まで幅広く活動。現在フランスのシャヴィーユ在住。(……)
孤児が言葉を知ることによって社会にとらわれていく様を幾つもの断章を用いて描いた戯曲『カスパー』(1967年)や、殺人者が次第に言葉や社会とのつながりを失っていく小説『ペナルティキックを受けるゴールキーパーの不安』(1970年)など、当初は社会に溶け込めない個人を主題とした実験的なものが多かったが、70年代から80年代から次第に肯定的、総合的な作風へ移行して行き、前年の母親の自殺を扱った『幸せではないが、もういい』(1972年)や、『ゆるやかな帰郷』(1979年)、母方の祖父の故郷スロヴェニアを旅する『反復』(1986年)といった自伝的な作品も手がけるようになった。またヴィム・ヴェンダースと組んでの映画製作が知られており、自作が原作の『ゴールキーパーの不安』(映画は1971年)『まわり道』(同1974年)や『ベルリン・天使の詩』で脚本を書いている。
「ペーター・ハントケ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年10月10日 14:53 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

映画『ベルリン・天使の詩』で脚本を手がけた人物だという。わたしは観ていないが、映画雑誌「スクリーン」だったか、「ロードショー」だったかで採り上げられていたのを覚えている。

オルガ・トカルチュク(ポーランド語: Olga Nawoja Tokarczuk[ɔlga tɔˈkart͡ʂuk] , 1962年1月29日 - )はポーランドの小説家、エッセイスト。スレフフ出身。
ワルシャワ大学で心理学を専攻。1993年にデビュー。文学専門の出版社「ruta」を設立し、2003年以降は執筆に専念する。2008年にポーランド文学最高峰のニケ賞を受賞し、現代ポーランドを代表する作家として注目されるようになった。『逃亡派』で2018年ブッカー国際賞受賞。
「オルガ・トカルチュク」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年10月10日 14:48 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

オルガ・トカルチュクの作品も未読だった。行きつけの図書館にあったのは、オルガ・トカルチュクは次の2冊。

昼の家、夜の家 (エクス・リブリス)
オルガ トカルチュク (著), 小椋 彩 (翻訳)
出版社: 白水社 (2010/10/19)

逃亡派 (EXLIBRIS)
オルガ トカルチュク (著), 小椋 彩 (翻訳)
出版社: 白水社 (2014/2/25)

ペーター・ハントケは次の4冊。

左ききの女 (新しいドイツの文学シリーズ)
ペーター ハントケ (著), 池田 香代子 (翻訳)
出版社: 同学社 (1989/11/1)

反復
ペーター・ハントケ (著), 阿部 卓也 (翻訳)
出版社: 同学社 (1995/1/1)

空爆下のユーゴスラビアで―涙の下から問いかける (『新しいドイツの文学』シリーズ)
ペーター ハントケ (著), Peter Handke (原著), 元吉 瑞枝 (翻訳)
出版社: 同学社 (2001/07)

ドン・フアン(本人が語る)
ペーター ハントケ (著), 阿部 卓也 (翻訳), 宗宮 朋子 (翻訳)
出版社: 三修社 (2011/10/21)

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オルガ・トカルチュクの『昼の家、夜の家』について、訳者あとがきには「本書を構成する111の挿話は、主人公の日常生活、日記、伝説、聖人伝、料理のレシピ、隣人のうわさ話など、それぞれが独立したものでありながら、互いがゆるやかに連関している」(小椋彩、P.378)と解説されている。

独立したものを、なぜバラバラの断章にしてパラレルな形式にするのかわからない。連載物を掲載した雑誌を発行された順に綴じたような、不親切な体裁なのだ。

例えば、パトハリス修道士の物語はまとまって読むほうがわかりやすいだろうに、キノコのレシピや日記などの間に挟まれている。

わたしには必然性が感じられず、全体としてまとまりのない、統一されない内容のものを、統一感のある、意味のある集積に見せかけるためのまやかしの手法に思えた。

出典も、わざとわからなくしているのだとしか思えない。これも、作者がコレクションした文章の寄せ集めをオリジナル性の高いものに見せかけるための誤魔化しではないだろうか。

引用箇所や参考文献がどことわかるように明記してあれば、作者の改変や潤色がどの程度加わっているのか、いないのか、その引用や参考の仕方が適切なのかどうかを調べることができるのだが、それができず、わが国で流行っているパクリと見分けのつかない、フランス語で誤魔化した「オマージュ」という怪しい手法を連想して、わたしは苛立ってしまう。

というのも、「家」をモチーフとしたカリール・ジブラーンの詩の一部は、トカルチュクの小説の扉に置かれているときとジブラーンの詩の中に置かれているときとでは、別物としか思えないからだ。異なる観点から「家」というモチーフが使われ、「家」は異なる意味合いを持っているということである。

また、例えば、『逃亡派』に出てくる「ショパンの心臓」の話は実話だが、作者の解剖学趣味とショパンの心臓の話は全く意味合いの異なるもので、この作品の中に目玉商品のように置かれるのは、わたしの感覚からすれば、ショパンに対する冒涜でしかない。

作品から見る限り、トカルチュクは自然科学的というよりは即物的で、決して宗教的でも、神秘主義的でもない。ご都合主義な、ごたまぜのスピリチュアル風俗に生きる人なのだ。

わたしがトカルチュクの作品に神経質になってしまうのは、ジェイムズ・ジョイスの恣意的な手法を連想してしまうからで、その手法に対する不審感を拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で書いた。

96 ジェイムズ・ジョイス (1)『ユリシーズ』に描かれた、ブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/02/004130

97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点 
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/18/200850

オルガ・トカルチュクの作品を読み込んでいる時間的ゆとりがないので、ジョイスの手法に似て見えるという点だけ、指摘しておきたい。

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ぺーター・ハントケの作品は、池田香代子訳で、『左ききの女』(同学社、1989)を読んだところだ。読み始めると先が気になって、一気読みした。

絶対音感という音楽用語があるけれど、これは絶対情感の世界とでもいうべきか、よくも悪くも夾雑物が一切ないクリアな世界である。邦訳文はそれを的確に感じとらせてくれ、読みやすい。

孤独がテーマなのだろう。

※以下、ネタバレあり。これからハントケの小説をお読みになるかたは、ここまでになさってくださいますように。

女主人公マリアンネには子供が一人いて、彼女は夫ブルーノに別居したい旨を告げる。

小説だが、映像的で、ほぼ会話と描写から成立しており、ハントケが脚本家でもあるという肩書きはなるほどと思わせられる。

女主人公の孤独だけでなく、登場人物全員の孤独が捉えられている。客観的視点を持ちながら、作者は自身を登場人物全員に重ねている。

別居した夫が、腹立ちまぎれにマリアンネにいう。

君はどんどん年をとっていく。たいしたことじゃないわ、とかなんとかいいながら。そしてある日首を吊るんだ。墓に入っても、君の生きざまにお似合いの下品な臭いをぷんぷんさせる。その日まで、君はどうやって過ごすんだ? おおかた、ぼけっと坐りこんで爪でも噛んでるのが落ちだ。そうだろ?(ハントケ,池田訳,1989,pp.82-83)

ハントケの母親は1971年に自殺しており、このことを扱ったという『幸せではないが、もういい』が出たのは、翌1972年のことだった。『左ききの女』が出たのは1976年である。

女性の孤独を濃密に扱ったこの作品にも、母親のことが投影されているのではないだろうか。図書館にペーター・ハントケ(元吉瑞枝訳)『幸せではないが、もういい』(同学社、2002)がなくて残念だ。

作者の視点は小説に登場する子供の視点と重なりながらマリアンネを観察し分析し、彼女の輪郭を顕微鏡にかけるかのように外側から克明に描写する。

マリアンネがおかしくなりそうなクライマックスで、彼女の父親が登場し、よい味を出す。父親は往年の流行作家で、今は雑文書きとなっている。この父親に娘のマリアンネは似ており、彼は娘の指標となりうる人物なのだ。

父親の登場で、マリアンネは救われたといっていいだろう。

作者ハントケは無力な子供シュテファンとしてマリアンネを見つめる一方では、滋味に溢れた物書きの父親となって、マリアンネを見つめる。

息詰まるようなストーリー展開であるにも拘わらず、途中で読むのが嫌にならないのは、作者の真摯さ、誠実さ、人間的な温かさが読者にも伝わってくるからだろう。

マリアンネが父親に再会して再生のきっかけを掴むように、読者も作者から言葉にできない何か確かなものを受けとる。

それは孤独を課題として引き受けて身じろぎもしない、作者の誠実な創作姿勢及び不撓不屈の精神性であるかもしれない。

父親と別れたマリアンネは、息子と山登りをする。風景描写が美しい。

下の方では煤に点々と汚れていた積雪もこのあたりでは純白だった。犬の足跡に代わって鹿の足跡があった。
 二人は下生えをかきわけて登って行った。いたるところ鳥の声に満ちていた。雪解け水が小さな流れを作って音たてていた。樫の幹からか細い枝が生え、干涸らびた葉が数枚そよいでいた。白樺の幹には白い樹皮が縞模様をなして垂れ下がり、震えていた。
 二人は木立が疎らになったところを行き過ぎた。空き地の縁には鹿が群れていた。それほど深くもない雪からは枯れ草の先がのぞき、草になびいていた。(ハントケ,池田訳,1989,pp.119-120)  

頂上で、焼いたじゃがいもを食べ、魔法瓶の熱いコーヒーを飲みながら母子は思い出を語り、ふとマリアンネはイエス・キリストの十字架への道行きのいろんな留[りゅう]のシーンを描いた絵の話をする。その話が印象的だ。

『イエス、十字架より下ろさる』はほとんど真っ黒で、その次の最後の留、イエスがお墓に葬られるシーンはまた真っ白なの。そこからがおかしな話なんだけど、お母さんはゆっくりと絵の前を歩いていたのね。その最後の真っ白の絵の前に立ったとき、突然、白い絵と重なってほとんど真っ黒のさっきの絵が、数秒間残像になって見えた。それから真っ白な絵が見えた。(ハントケ,池田訳,1989,pp.123)

このような、宗教に属するモチーフは、作品の中でふいに顔を出す。

宗教がマリアンネにとってかけがえのないものであり、彼女の意識が純粋に向かう対象であって、日々の営みの通奏低音となっていることがわかる。読者にその感覚の共有を強いるようなものではない。ハントケは読者を信頼して、彼の大切なものを女主人公に分かち与えたのだ。

その後、父親を除く大人の登場人物がマリアンネに誘われて集合し、ホームパーティーとなる。夫ブルーノ、マリアンネの友達で教師をしているフランツィスカ、マリアンネがブルーノのセーターを買ったブティックの女性店員、マリアンネを翻訳者として雇っている社長とその運転手、マリアンネに言い寄る俳優――といった人々である。

各人が自分の孤独を身の内に宿したまま大団円を迎え、パーティーは御開きとなる。

これは未だ初期の作品で、後半部は幾分緊張感が緩み、結末を急ぎすぎた感もあるが、純文学作品らしい手応えのある作品である。

ひとまず、ノーベル文学賞が軌道修正したことに万歳といいたい。おめでとうございます、ペーター・ハントケ。疑問点はあるけれど、おめでとうございます、オルガ・トカルチュク。

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2019年10月 8日 (火)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その15。10月8日午後再開。河村市長の座り込み抗議、赤に白一点のフォーラム。田中保善『泣き虫軍医物語』。

物議を醸し続けている「あいちトリエンナーレ 2019」の企画展「表現の不自由展・その後」ですが、本日――10月8日午後、再開の予定だそうです。

これに異を唱えてきた名古屋市の河村たかし市長が、その再開に合わせて、抗議の座り込みをなさるそうです。また、河村市長は7日、18日が支払い期限の市が負担する開催費用の一部約3380万円について、支払い留保の考えを記者団に明らかにしました。

入場者には教育プログラムを受けさせるのだそうです。このやりかたは石平氏がおっしゃる通り、共産党の洗脳を連想させます。

 

「ひろしまトリエンナーレ2020」のプレイベントにあたる企画展が10月5日、広島県尾道市の離島、百島で始まったそうで、これも大同小異のひどいものであるようです。わたしも、西村氏のご意見に同感です。

あいちトリエンナーレのあり方検討委員会とあいちトリエンナーレ実行委員会が主催する国際フォーラム「『情の時代』における表現の自由と芸術」の第1日「表現の自由と芸術、社会」が2019年10月5日(土)13時から17時まで、愛知芸術文化センターで開かれました。

それを記録した動画の中で、「国家や一部の人々を傷つけたり驚かせたり混乱させるものも表現の自由として保証される」などという、司会者のとんでもない発言がありました。日本国憲法第12条に真っ向から挑戦する発言であり、これはもはや芸術とは無関係なテロリストの発想です。 

第一二条[自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任]この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

フォーラムの最後で良識的な発言がありました。それを司会者が潰した格好でフォーラムは終了し、芸術監督・津田大介氏がオマケの大あくびをしました。

日本人が大東亜戦争と呼び、終戦後、GHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、太平洋戦争などと呼ばれるようになった先の戦争を、左翼がプロパガンダに絶賛活用中です。

彼らの脳内では、その戦争において、大日本帝国軍人は天皇陛下の命により、植民地戦争を繰り広げて残虐行為を行ったということになっています。そして、これら軍人の性の相手を朝鮮人の従軍慰安婦がさせられ、ひどい扱いを受けたということにもなっています。

「表現の不自由展・その後」の展示作品も、この二点に依拠したものです。この二点が覆ってもなお芸術作品として何か優れたものが残る作品が一点でもあるのでしょうか。

そもそも、どなたの御写真であろうが、それを焼いたり踏みつけたりする行為、また死者を冒涜する行為は、日本人の感性には到底馴染まないものです。日本人は古来、礼節を尊ぶ国民性です。

祐徳稲荷神社の創健社、花山院萬子媛に祈って何度となく命を救われたとお書きになっている田中保善氏の御著書『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、昭和55年)が届きました。

戦争末期の昭和19年7月、町の開業医だった著者が軍医として応召、戦地ボルネオを中心とした体験記録です。

愛媛の古書店からの発送で、310円。経年劣化で中身は黄ばんでいるものの、美品といってよい商品でした。中表紙に付された青年軍医のきりっとした童顔の御写真を見たとき、思い出しました。

小学校だったか中学校だったかは忘れましたが、集団予防接種のとき、見かけたお顔です。上品な、優しそうなお顔。昔のことで、記憶は確かではありませんが……

プロフィールから引用します。

明治42年鹿島市に生まれる。鹿島中学旧制佐賀高を経て昭和10年九州帝大医学部卒、同12年鹿島市で開業。同19年7月応招。同21年4月復員…

まだ読んでいる途中なので、記事を改めてレビューを書きたいと思っています。

ちょっとだけ書いておくと、従軍慰安婦は出てきませんが、慰安婦(公娼)は結構出てきます。日本の娘だけでなく、「朝鮮や台湾の娘もおり、時にはジャワ島から来たジャワ娘もいた」(73頁)とあります。連れてこられたではなく、「来た」とありますよ。

信憑性の薄い河野談話が発表されたのは平成5年(1993)、田中氏の御著書が上梓されたのはそれを遡ること13年、昭和55年(1980)です。率直でユーモラスな筆致が特徴的なこの体験記には、様々なことが赤裸々に書かれています。

慰安婦達との恋愛遊戯のようなこともよくあったようで、田中氏は千代龍という美女に一目惚れ。こんなことを書いて、奥様に叱られなかったでしょうか。千代龍というのは源氏名でしょう。

日本軍がクダット地区を撤退するとき、酋長は部下幹部と共に涙を流して悲しみ、次のように言ったと書かれています。

クダットを撤退するのは思いとどまって下さい。他の新鋭部隊でなく今のあなた達でよい。日本軍がいなくなって、またもし白人が来たら、我々はまた人間扱いはされない。日本軍は私達を同等に扱ってくれた。我々と同じ物を食べ、一緒に同席してくれた。また赤十字をつけた兵隊さんからは我々の仲間が病気を治療してもらって沢山助けられている。どうか日本軍の皆さん、クダットに残っては下さらないでしょうか。日本軍の代わりに白人が来たら、我々はまた奴隷にされてしまいます。(131~132頁)

田中氏のこの御著書だけでも、左翼がしがみついている前掲二点を覆すことができます。「勝てば官軍、負ければ賊軍」といいますけれど、勝った側って、本当に嘘つきですね。

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2019年10月 3日 (木)

萬媛の三番目物ノート ①大まかなあらすじ

わたしは田中保善氏のご著書『鹿島市史 真実の記録』(1990)の中の萬子媛に関する伝記的記述を読み、子供のころから何となく心惹かれていた萬子媛に一層興味を持つようになりました。

わたしなりの萬子媛のイメージ像をシテ(主人公)として新作能を書いてみたいという大それた望みは先月の25日に生まれたばかりです。アマチュア物書きのわたしがそれを書いたところで何になる、などとは不思議にも全く思いません。書けるかどうかは別として、書いてみたいという強い思いが湧き起こっています。

ワキ(シテの相手役)は、前掲の田中氏がモデルです。

『鹿島市史 真実の記録』には、先の大戦中、軍医として出征した出来事が綴られています。田中氏は出征前、祐徳稲荷神社に参詣したそうです。

倉稲魂大神(田中氏の研究ではインドの夜叉・荼枳尼天だそうです)にお願いすると同時に、「荼枳尼天と同等に神通力を有しておられる萬子姫の霊たる祐徳院殿瑞顔大師に御助け下さいと御願いした。母親に甘えるだだっ子のように罪深き卑怯者の私をどうか御助け下さい。私には母も妻も子供もおります。今度の戦争は敗戦[まけいくさ]で戦死するのが当たり前ですが、何卒御助け下さいと御願いした」(157頁)そうです。

危機一髪で奇跡的に助かったエピソードが五つ紹介されていますが、そのようなことがまだ何回もあったそうです。インディージョーンズより凄い! 例えば次のエピソード。

敵地巡回診察中、敵戦斗機三機に狙われ機銃掃射を受け終に私の腰部に命中したが、私の軍刀の鞘にあたり、鞘はえぐり取られたけれど私の腰は無事で助かった。(158頁)

戦争を知らないわたしが戦争を書くことになるとは想像もしませんでした。

ですが、一応平和とされている現代においても、また田中氏が体験された戦争においても、おそらくは萬子媛はお亡くなりになった江戸時代からずっと今日まで、日本に生きる人間たちを毎日欠かさず見守ってこられたのだと思うと胸が熱くなり、田中氏の劇的な体験を参考にさせていただいて萬子媛を描いてみたいと思うに至りました。

田中氏の他のご著書『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980)は未読でした。幸いアマゾンに中古で出ていたので、注文したところです。このご著書も参考にさせていただくことになるだろうと思います。

新作能の曲名は未定です。2007年10月に上梓された絵本『萬媛[まんひめ]』(文:梶田聡実、絵:寺田亜衣・杉本国子・中島健一・古賀沙織、監修:荒木博申、企画:吉岡満雄・佐藤三郎、編集・印刷:サガプリンティング)とかぶるとよくないでしょうから、かぶることにはならないようにしたいと考えています。

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おおまかなあらすじ

開戦の詔勅から時間が経過し、日本軍の敗色が濃くなったころ、○○(ワキ ※ワキの名は未定)に招集礼状が来る。○○は軍医として出征するに際して、神社に参詣し、稲荷大神と萬媛(註1)に加護を祈念する。

○○はかねてより神社の研究をしており、信心は篤かった。○○には守るべき母、妻、子があった。

マニラ丸でボルネオへ向かう途中、船は敵の砲弾を受ける。海中に放り出された○○の目に、天より舞ひ降りて来し白銀の一団(シテ、シテツレ、トモ)が映った。中心のひときわ輝かしい姿が目に入る。

従者のように見える天人の一人(シテツレ)がいう。

自分達は仏果を得た者であるが、(神社に伝えられる)天明8年に京都御所が火災となり、その火が花山院邸に燃え移ったとき、鎮火に現れた白衣の一団とは実は自分達であったのだ――と。

中心の輝かしい御姿(シテ)が、萬媛は自分だと告げる。

後陽成天皇の曾孫女で、左大臣花山院定好公の娘として生まれた萬媛のこの世に在りし日々が語られる。

※在りし日々で採り上げるエピソードに関しては未定

萬媛の入寂と昇天の舞が重なる中、神々しい萬媛の舞に見とれているうちに○○は意識を回復する。そこは、ボルネオのコタブルト(註2)のアバラ屋に日本軍が設けた医務室だった。その後もいくつかの危機を奇跡的に脱し、終戦の詔勅からほどなく復員を果たした○○は、神社に参詣する。

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註1 鹿島市民図書館学芸員T氏によると、剃髪前の萬子媛は「萬媛」と呼ばれていた可能性が高い。

歴史短編1のために #47 落胆と取材の成果 (2)早逝した長男の病名、萬子媛の結婚後の呼び名
https://elder.tea-nifty.com/blog/2018/10/post-55cb.html
日本では、身分の高い人の実名を生存中は呼ぶことをはばかる風習があり、複名(一人物が本姓名以外に複数の呼称を併せもつこと)が多い。滝沢馬琴は没後の法名まで含めると、35の名を持った。ただし、本人は滝沢馬琴という筆名は用いていず、これは明治以降に流布した表記だという。
萬子媛の名が史料に出てきにくいのも、このような日本特有の事情によるものだということが、学芸員のお話を拝聴する中でわかった。結論からいえば、萬子という名はおそらく明治以降に流布した呼び名で、子のつかない「萬」が結婚するときにつけた名であっただろうとのことだった。
萬子媛に関する興味から江戸時代を調べるようになってからというもの、わたしは、男性の複名の多さに閉口させられてきたのだったが、学芸員のお話によると、女性のほうがむしろ名が変わったという。
生まれたとき、髪を上げるとき(成人するとき)、結婚するとき、破談となったとき、病気したときなども、縁起のよい名に変えたそうである。また、女性の名に「子」とつくのは、明治以降のことらしい。
そこから、萬子媛は結婚するときに「萬」と名を変え、結婚後は「御萬」あるいは「萬媛」と呼ばれていたのではないか――というお話だった。

註2 コタブルトはコタッ・ブルッのこと。コタ・ブルッ(Kota Belud)は東マレーシア・ボルネオ島北端のサバ州にある町。「コタ・ブルッ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年10月16日 11:04 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

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参考資料メモ1

  • 開戦の詔勅、終戦の詔勅
  • 田中保善『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980)、『鹿島市史 真実の記録』(1990)
  • 郷土史家・迎昭典氏から送っていただいた貴重な史料のコピー及び迎氏のご考察
  • 祐徳博物館の職員のかた、鹿島市民図書館学芸員T氏、黄檗宗の大本山である萬福寺宝物館の和尚様から伺ったお話
  • 三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社 宮司・鍋島朝純、1979)
  • 新古今和歌集
  • 大和物語
  • 拙はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」(カテゴリー「祐徳稲荷神社参詣記」)

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拙はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」より

72 祐徳稲荷神社参詣記 (3)2017年6月8日 (収穫ある複数の取材)

神社という聖域には、実際に萬子媛のような高級霊が地上界を見守っていらっしゃるケースがあるということを、わたしは神秘主義的見地から確認してきた。

萬子媛のようなタイプの修行者をもたなければ、このようなタイプの守護者を日本は持つことがなかったわけである。

わたしはたまたま児童小説『不思議な接着剤』を書くためにマグダラのマリアについて調べていた。すると、時も場所も異なるが、萬子媛と同じように後半生を修行に明け暮れて亡くなり、守護聖人として祀られているマグダラのマリア伝説があるのを知った。

宗教的装いは違っても、古今東西、人間はどこでも似たようなことをやっているわけである。生前に徳のあった人物を慕い、加護を祈念する。そして、驚いたことに、現にそれに応えている萬子媛のようなかたが存在することをわたしは知ったのだった。

この純正ボランティア精神が生じた背景を知りたい。このかたはどんな人生を送られたのか。その環境はどんなものであったのか。思想的影響は? 萬子媛を繙くことは、これまでわたしが知らなかった日本について知ることでもあるのだ……

萬子媛は佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社の創建者として知られているが、祐徳稲荷神社の寺としての前身は祐徳院である。明治政府によって明治元年(1868)に神仏分離令が出されるまで、神社と寺院は共存共栄していたのだった。祐徳院は日本の三禅宗の一つである黄檗宗の禅寺で、義理の息子・断橋に譲られて萬子媛が主宰した尼十数輩を率いる尼寺であった。

ざっと、萬子媛について復習しておこう。

萬子媛は、公卿で前左大臣・花山院定好を父、公卿で前関白・鷹司信尚の娘を母とし、1625年誕生。2歳のとき、母方の祖母である後陽成天皇第三皇女・清子内親王の養女となる。

1662年、37歳で佐賀藩の支藩である肥前鹿島藩の第三代藩主・鍋島直朝と結婚。直朝は再婚で41歳、最初の妻・彦千代は1660年に没している。父の花山院定好は別れに臨み、衣食住の守護神として伏見稲荷大社から勧請した邸内安置の稲荷大神の神霊を銅鏡に奉遷し、萬子媛に授けた。

1664年に文丸(あるいは文麿)を、1667年に藤五郎(式部朝清)を出産した。

1673年、文丸(文麿)、10歳で没。1687年、式部朝清、21歳で没。

朝清の突然の死に慟哭した萬子媛は翌年の1988年、剃髪し尼となって祐徳院に入った。このとき、63歳。1705年閏4月10日、80歳で没。

萬子媛の兄弟姉妹は、花山院家を継いだ定誠以外は、円利は禅寺へ、堯円は浄土真宗へ入って大僧正に。姉は英彦山座主に嫁ぎ、妹は臨済宗単立の比丘尼御所(尼門跡寺院)で、「薄雲御所」とも呼ばれる総持院(現在、慈受院)へ入った。定誠、武家に嫁いだ萬子媛も結局は出家している……

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78 祐徳稲荷神社参詣記 (5)扇面和歌から明らかになる宗教観

神社外苑にある祐徳博物館には、萬子媛遺愛の品々を展示したコーナーがある。初めてそこを訪れたとき、わたしにとって最も印象深かったものは、萬子媛の遺墨、扇面和歌だった。

金箔を張った扇面の馥郁と紅梅が描かれた扇面に、新古今和歌集からとった皇太后宮大夫俊成女(藤原俊成女)の歌が揮毫されている。

萬子媛は花山院家の出で、花山院家の家業は四箇の大事(節会・官奏・叙位・除目)・笙・筆道だから、萬子媛が達筆なのも当然といえば当然というべきか。

元禄9年(1696)――出家後の71歳のころ――に揮毫されたものだ。揮毫されたのは、藤原俊成女の次の歌である。

梅の花あかぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜の月

藤原俊成女は鎌倉時代前期の歌人で、皇太后宮太夫俊成女、俊成卿女の名で歌壇で活躍した。藤原俊成女は藤原定家の姪だった。

田渕句美子『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今和歌集(角川選書536)』(KADOKAWA、2014)によると、平安末期から鴨倉初期に歌壇を先導した歌人が藤原俊成(1114 - 1204)で、定家はその子、藤原俊成女は孫娘に当たる。

藤原俊成女は父の政治的不運により、祖父母に引きとられ、俊成夫妻の膝下[しっか]で定家らと共に育てられたという。しかし、定家と藤原俊成女の間には確執が生じたようだ。

平安末期から鎌倉初期にかけて在位(1183 - 1198)した第82代後鳥羽天皇(1180生 - 1239崩御)は、院政時代に後鳥羽院歌壇を形成した。
その後鳥羽院の招きに応じ、活躍した女性歌人が、式子内親王[しきしないしんのう]、宮内卿[くないきょう]、藤原俊成女だった。

それぞれに際立った個性があり、わたしは三人共好きだ。(略)

幽玄美を提唱して『新古今和歌集』の歌人を育てた藤原俊成、『新古今和歌集』の撰者の一人であった定家、藤原俊成女らは藤原北家の人々で、花山院家は藤原北家だから、萬子媛にとっては『新古今和歌集』という存在そのものが望郷の念を誘うものだったのかもしれない。

そういえば、『源氏物語』を著した紫式部も藤原北家の人だった。藤原北家は右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系で藤原四家の一つである。

萬子媛の扇面和歌が出家後に揮毫されたものであることから考えると、僧侶としての生活の一端も見えてくる気がする。

修行生活は、芸術(文芸)などを通して培われる類の情緒的豊かさを犠牲にする性質のものではなかったということだ。

一方では、『祐徳開山瑞顔大師行業記』の中の記述からすると、萬子媛の修行には男性を凌駕するほどの厳しい一面があったと考えられる。
その二つがどのように共存していたのだろうか。いえることは、だからこそ、わたしの神秘主義的感性が捉える萬子媛は今なお魅力的なかただということである。

萬子媛遺愛の品々の中には、二十一代巻頭和歌の色紙もあった。萬子媛が愛読愛蔵されたものだと解説されていた。

二十一代集(勅撰和歌集)とは、平安時代に勅撰和歌集として最初に編纂された古今和歌集(905)から室町時代に編纂された新続古今和歌集(1439)までの534年間に編纂された21の勅撰和歌集のことで、合わせて23万44首といわれる。

二十一代集は、平安時代から室町時代までの文化史が歌という形式で表現されたものということもできる。そこからは日本人の精神構造が読みとれるばすで、宗教観の変遷などもわかるはずである。

二十一代集の巻頭和歌を愛読された萬子媛は、和歌そのものを愛されたといってよいのではないかと思う。

昔の日本人の宗教観は凛としている。洗練された美しさがあり、知的である。

平安時代末期に後白河法皇によって編まれた歌謡集『梁塵秘抄』を読んだときに思ったことだが、森羅万象に宿る神性、神仏一如、輪廻観、一切皆成仏といった宗教観が貴族から庶民層にまで浸透しているかのようだ(エッセー 74 を参照されたい)。

こうした宗教観は鎌倉時代初期の勅撰和歌集『新古今和歌集』にも通底しており、森羅万象に宿る神性、神仏一如、輪廻観、一切皆成仏といった宗教観が読みとれる。

こうした複合的、統一感のある宗教観こそが歌謡集から勅撰和歌集まで、そこに集められた歌に凛とした気品と陰翳と知的洗練をもたらしたのだと考えられる。

江戸初期から中期にかかるころに生きた萬子媛が二十一代巻頭和歌を愛読されていたということは、二十一代集に通底する宗教観を萬子媛も共有していたということではないかと思う。

ちょっと注目したいのは、次の歌である。作者は前述した皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)。

   皇太后宮大夫俊成『新古今和歌集』巻第十九神祇歌
春日野のおどろの道の埋[うも]れ水すゑだに神のしるしあらはせ
(この春日野の、公卿の家筋を暗示するおどろの路の、埋もれ水のごとく世に沈んでいる自分である。今はとにかく、せめて子孫なりとも、わが祈りの験[しるし]をもって、世に現わし栄達させ給え。「春日野」は春日神社を示し、自身も藤原氏でその神の末であることとを余情とした詞。「おどろ」は、草むらの甚だしいもので、「路」の状態とするとともに、公卿の位地を示す語。)*10

子孫の出世を願う、切実ながらいささか世俗臭のする歌だと考えられるが、俊成は藤原北家の人で、萬子媛も藤原北家の花山院家の出であるから、神のしるしどころか、文字通り祐徳稲荷神社の神々の中の一柱となられた萬子媛は、子孫の栄達を祈った俊成の願いを最高に叶えた子孫といえるのではあるまいか。

*10:窪田訳,1990,p.443

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2019年8月19日 (月)

原田マハ『楽園のカンヴァス』を読んで気になった、嘘。神秘家だったアンリ・ルソー。

「あいちトリエンナーレ」問題に続いて、古市憲寿「百の夜は跳ねて」のパクリ疑惑など出てきて、夏休みの宿題(?)ができなかった。

家族でショッピングモールへ、恒例となっているコーヒー豆の買い出しに出かけた。夫は映画、わたしと娘はショッピング。帰りに書店に寄った。

美術館勤務の経験があるという、原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮文庫: 新潮社、2014)が目に留まった。アンリ・ルソーの名画「夢」をめぐる美術ミステリーという。ベストセラーらしい。

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アンリ・ルソー(1844 – 1910)「夢」ニューヨーク近代美術館、1910

本物はなかなか観る機会がないけれど、アンリ・ルソーは学生の頃から好きで、40年以上のファンだ。「あいちトリエンナーレ」問題では美術界に疑問が湧いたが、その疑問をいくらか払拭できるかもしれないという期待感も高まった。

この種の売れていそうな本は図書館から借りると大抵汚されていることを思えば、買ってしまおうと思い、買った。手の出ない、ほしい本はいくらでもあるというのに、魔が差したというべきか。

美術畑、また音楽畑の人の文芸作品もそうだが、エッセイなど読むと、文章が洗練されていて、論旨も明快、さすがは芸術家の文章と感心させられることが多いものだ。

ところが、帰宅後、本を開いて、冒頭の一行目を目にしたとたん、早くも読む気が削がれてしまった。わたしとしたことが、冒頭も確認せず、購入してしまったとは。

ここに、しらじらと青い空気をまとった一枚の絵がある。(原田,2014,p.7)

「しらじら」というのは、「しらじらと夜が明ける」というように、夜が次第に明けていくさまを意味することが多いと思うが、如何にも白く見えるさまもいう。興ざめなさまもいう。

しかし、次に「青」とある。一体、白なのか、青なのか。二つを混ぜて水色というわけではあるまい。それとも、何か興ざめな感じがあるのだろうか。そして、その青と形容されたものは空気であって、その空気(雰囲気の意か)を一枚の絵が纏っているのだという。

ここに一枚の絵があることはわかるのだが、その絵がどう見えるのかがもう一つはっきりしない。

先を読めば、「それぞれの身体[からだ]はパウダーをはたいたように白く透明だ」とか「それほどまでに青く、白く、まぶしい画面だ」とあるので、どんな色調の絵であるのかが次第にわかってはくる。

アンリ・ルソーの絵の話なのかと思って読み進めると、そうではなく、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌが1866年に描いた絵なのだそうだ。シャヴァンヌがアンリ・ルソーにこの後、関わってくるのだろうと思ったが、これきりだった。

作者は、大原美術館を小説に出したかったのだろう。ストーリーからすれば、必ずしも必要のない設定に思える。いずれにせよ、冒頭に出てくる絵は、大原美術館所蔵のピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ作「幻想(Fantasy)」である。

なるほど、その絵は、青色と白色が優劣つけ難いあざやかさで、観る者を圧倒する。

実際に観れば、ペガサス、女性、子供のそれぞれの身体はパウダーをはたいたように見えるのだろう。だが、パウダーをはたけば、その部分は他の部分の色合いに比べて白さが際立つか、元の色が殺されて朧気に見えるだろうが、透明には見えない気がする。

作者は、絵の各部分から受けた異なる印象を一気に描写しようとする。それで、自家中毒を起こしたように意味不明な表現となっているのだ。子供が見たものを一気に伝えようとして、息せき切っておしゃべりするときのようだ。

美術畑で働いたことのある人にしては、全体に稚拙な文章である。読みながら、美内すずえの少女漫画を連想した。漫画の原作を想わせる小説なのだ。恩田陸の小説に似ている。

漫画の原作であれば、漫画家が人物に表情をつけて内面まで見せてくれるだろうが、単独で書くからには、作者が内面描写まで行わなければならない。その描写があまりに平板であるため、どの人物にも魅力がない。

あちこち引っかかりながら読み進めると、次の箇所がどうにも気になった。

 画家を知るには、その作品を見ること。何十時間も何百時間もかけて、その作品と向き合うこと。
 そういう意味では、コレクターほど絵に向き合い続ける人間はいないと思うよ。
 キュレーター、研究者、評論家。誰もコレクターの足もとにも及びないだろう。
 ああ、でも、ーー待てよ。コレクター以上に、もっと名画に向き合い続ける人もいるな。
 誰かって? ――美術館の監視員[セキュリティスタッフ]だよ。(原田,2014,pp.10-11)

コレクター、キュレーター、研究者、評論家、監視員では、役割――専門――の違いから、絵を見る姿勢が異なるはずである。それに、時間さえかければいいというものでもあるまい。

作者は、優劣つける必要のないものに、優劣つけようとする。それは、作品のテーマに関わる部分でもそうで、ピカソとルソーを比べ、競わせようとする。

そして、作者は明らかにピカソをルソーの上に位置付けている。美術市場ではそうだからだろう。ルソーをことさら、不遇で評価の定まらない画家であると強調するのは、作者自身が市場――世俗といい換えてもよい――の価値観――を、市場が作り出すヒエラルキーを、高く評価し、信じているからに他ならない。

参考文献の筆頭に、岡谷公二『アンリ・ルソー 楽園の謎』(平凡社ライブラリー、2006)が挙げられている。わたしは中公文庫(中央公論社)から1993年に出た版で当時読み、大変な感銘を受けた。

だから、原田マハ(2014,p.288)が「史実通りに物語が進めば、ルソーはほとんど誰にも顧みられぬまま、この世を去る」と書いた箇所を読むと、岡谷氏の評伝を読んでいながら、なぜこんな嘘をつくのだろうと思う。

その理由として、わたしは前述したように、ピカソをルソーの上に位置付けるためだと考えたのだった。

岡谷氏によると、ルソーは晩年、真の成功に近づいていたという。「夢」の批評は『ニューヨーク・ヘラルド』をはじめとする21紙に載り、その大半は好意的だった。1910年は、亡くなる前月の8月までに、3,590フランを絵の代金として得た。しかし金は、消えた。最後の恋人レオニーに貢いだためだった。

讃美者も増えていた。

ウーデ、ドローネ、ブリュメルに次いで、この年さらに三人の若い讃美者がルソーに近づく。未来派の画家で、著作家でもあったイタリア人のアンデンゴ・ソフィッチ、セルジュ・フェラの名で知られた、ロシア生まれの画家ヤストルブゾフ、その従妹で、のちにロック・グレーの名でルソーの画集を出版するエッチンゲン男爵夫人である。(岡谷,1993,p.276)

小説はフィクションだからいい加減に書いていい、というわけではない。フィクションであればなおさら、事実を踏まえるべきところはそうすべきである。この場合は、作者は参考文献を毀損している。

作品を彩るはずのニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンと日本人研究者・早川織絵のロマンスは安手な印象で、退屈だった。

ミステリーの部分は作りすぎで、説得力を欠く。

『楽園のカンヴァス』が子供の推薦図書だったとのレビューを読んだ。最近ではライト・ノベルを推薦図書に選ぶのだろうか。昔の大衆小説家のように文章がしっかりしていればいいのだが、この作品における原田マハの文章はチープで粗い。

ここで、『楽園のカンヴァス』を離れようと思う。

今回、岡谷公二『アンリ・ルソー 楽園の謎』(中公文庫: 中央公論社、1993)を再読し、神秘家としてのルソーが印象的だった。ルソーはインタビューの中で、次のようにいう。

私はいつも描く前から、絵をはっきり見るんです。とても複雑な絵の場合だってそうです。ただ描いている間に、自分でもびっくりするようなことが出てきて、それはとても楽しいですね。(岡谷,1993,p.275)

岡谷氏(1993,p.193)によれば、ルソーはフリーメーソンに加入していた。薔薇十字団員、降霊術術者たちとの交わりもあった。

近代神智学運動の母ブラヴァツキー夫人は1831年に生まれ、1891年に亡くなっている。ルソーは1844年の生まれで、1910年に亡くなった。世代的には案外近い。当時は降霊術が流行っていたのだ。ブラヴァツキー夫人はその降霊術を批判して、心霊主義者たちの攻撃の的となった。

ルソーのお化け話は有名だったそうで、『アンリ・ルソー 楽園の謎』にはわたしを不安にさせる記述がある。幸い、ルソーの芸術の力が勝ったのだろう。死は、ルソーを平和裡に訪れたようである。

ルソーは、臨終まぎわの譫言[うわごと]の中で、父なる神や天使たちの姿を見、「ヴィオラとハープとリュートから成る天上のオーケストラ」のしらべを聞いたと浮かされたようにして語り、また、これから星や青空を描くのだと言ったと伝えられている。(岡谷,1993,p.286)

YouTubeで公開されていた動画 Henri Rousseau "El Aduanero"

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2019年8月11日 (日)

このような文豪が、昭和のころはまだ日本にも存在していた

フォローさせていただいている「古典bot」から、谷崎潤一郎の名随筆『陰影礼賛』が流れてきました。その前に見たときには、ドストエフスキー「罪と罰」が流れてきました。

「古典bot」はよくまとめてあります。感動した作品が目についたときは自分も何か書きたいと思い、本棚から探して頁をめくりましたが、ラスコリーニコフ、ソーニャはじめ、主たる登場人物のことがそれは濃やかに描かれているではありませんか。

昔読んだときはドストエフスキーが饒舌すぎる気もしていました。ですが、ここまで描かなければ、生きている人としての厚みは出てこないということが改めてわかり、感嘆しました。安易な感想は書けなくなってしまいました。

登場人物が、本当に生きている人みたいなのです。優れた作家のものは、押しなべてこんな風ですね。

谷崎潤一郎の小説は、技巧に走りすぎる気がしていました。その感想は今も変わらないのですが、昭和の頃はまだ――谷崎は昭和40年に79歳で亡くなりました――このような文豪が日本にも存在していたのだと思うと、泣けてきました。

左派にのっとられてしまって、けがれ痩せてしまい、支離滅裂となった日本文学の今日のありさまを過去の日本の文豪たちはあの世でどう見ていられるのでしょう?

『陰影礼賛』は名随筆なので、おすすめです。世阿弥『風姿花伝』『花鏡』を合わせて読めば、えもいわれぬ日本美の極意を授かることができますよ、きっと。

ところで、今年は「高校生の読書感想文におすすめの本」を書く余裕がありませんでした。以下のカテゴリーへのリンクをクリックしていただければ、過去の高校生の読書感想文におすすめの本をご覧いただけます。

カテゴリー「◇高校生の読書感想文におすすめの本」の10件の記事

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2019年8月 7日 (水)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その5。津田氏のゲンロン仲間、東浩紀氏は「文學界」(文藝春秋)新人賞の選考委員。

カテゴリー「あいちトリエンナーレ」

これはツイッターにも書いたことですが、「あいちトリエンナーレ」津田大介氏(芸術監督)のゲンロン仲間である東浩紀氏は、何と「文學界新人賞」(文藝春秋)の選考委員です。ずっと購読していなかったので、これまで気づきませんでした。

言論をゲンロンとカタカナ書きにしたのは、揶揄しているわけではありません。

ウィキペディア「ゲンロン」によると、2010年東浩紀氏は、インテリアデザイナーで建築家の浅子佳英、空間デザイナーの李明喜らと共に東京都新宿区四谷に合同会社コンテクチュアズ(Contectures, LLC.)として設立しており、2011年に代表に就任、2012年に株式会社ゲンロンに社名変更、社外取締役として津田大介・福嶋麻衣子を迎えています。

「文學界新人賞」を受賞した作品の多くが芥川賞候補になります。文藝春秋社内の日本文学振興会によって選考が行われるからです。

一昔前、「文學界」には、およそ文学的でない左翼知識人である柄谷行人の論文がよく載っていて辟易させられました。東浩紀氏はその柄谷氏の出来の悪い弟子らしいですね。その頃「文學界」では、すさんだ作風の在日文学も大流行りで、これにも辟易させられ、わたしは定期購読をやめました。

細井秀雄氏が編集長だったころは、文芸評論家であり保守論客であった江藤淳氏の作品がよく掲載されていました。江藤淳『占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間』(文春文庫 - 文藝春秋、1994)は日本人必読の書です。

その細井氏から、「九州芸術祭文学賞」で地区優秀作をとったわたしの作品について、懇親会の席でですが、「ああいったことは書かんがいい」と忠告されました。大したことは書いていなかったんですけれどね。その後、「織田作之助賞」で最終候補になったときの懇親会だったか、その席で「今後は児童文学作品を書こうと思っています」というと、心底ホッとした表情をなさいました。

そのころは、文學界の舞台裏をろくに知りませんでした。文学仲間を通して情報を集めた今では、下手に賞なんかとらなくてよかったと思っています。尤も、才能に乏しいので、その心配はいらなかったのでしょうが。

現在、純文学界に在日外国人でも帰化人でもない日本人作家は何割くらいいるのでしょうか、疑問です。

最近では特に、日本文化を貶めているとしか思えない、文学作品の体すら成していない作品が芥川賞をとる傾向にあります。日本人であろうと、外国人であろうと、日本文化を愛する人間にはとても作りえないようなストーリー、無神経な表現が頻出しています。

前出の細井氏は現在、平山周吉という筆名で、作家活動をなさっているようです。アマゾンに読んでみたいと思う作品がありました。幸い図書館にあるようなので、借りて読んでみたいと思います、購入するには、専業主婦のわたしには高価ですから。3,996円。

江藤淳は甦える
平山 周吉 (著)
出版社: 新潮社 (2019/4/25)
ISBN-10: 4103524715
ISBN-13: 978-4103524717

今思えば、江藤淳氏が生きていらしたころは、文学界、日本の言論空間は、まだしもまともでした。

次のツイートで紹介されている動画内容は結構怖い、その次のツイートで出ている情報にはなるほどねと思わせられます。

こうした人々に好き放題されたら、日本は本当に日本ではなくなってしまいます。

芸術家でない大したキャリアもない津田氏がなぜ、こんな大役を任せられたのでしょうか? 反日ネットワークの存在を考えれば、別に不思議ではない気もしますが、武田邦彦氏の語る動画が出てきました。

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2019年7月26日 (金)

『キリストの棺 世界を震撼させた新発見の全貌』を読んでいるところです(加筆あり、緑文字。8月21日に追記、青文字)

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今夏も無事に収穫できたバジルでバジルソースを作り、コーヒーを淹れることと麺を茹でることに特化したわが家のシェフである夫がパスタを茹で、バジルパスタの出来上がり。

と、タイトルとは無関係の話題でした。

まだ二つの記事が書きかけで、それに関する本を再度、図書館から借りました(メアリー・ポピンズの1・2巻は何度も借りて悪いので、ついに購入しました。所有しておきたい本でした)。

その図書館から借りた10冊の中に、以下の本が混じっていました。何となく借りた、内容にはほとんど期待していなかった本でした。

キリストの棺 世界を震撼させた新発見の全貌
シンハ・ヤコボビッチ/チャールズ・ペルグリーノ (著), ジェームズ・キャメロン (編集), 沢田 博 (翻訳)
出版社: イースト・プレス; 1版 (2007/6/20)

ところが、わたしには面白いどころの本ではありませんでした。

1980年代にエルサレムで2000年前の墓が発見されていたそうです。そして、納骨洞にあった10個の骨棺は、イエス(ヨセフの息子イエス)、マグダラのマリア(師として知られたマリアムネ)、2人の子供であると思われる男の子ユダ(イエスの息子ユダ)、他に新約聖書に登場するイエスの家族のものだというのです。

1世紀ごろのユダヤ社会では、イエスもマリアもユダも他の家族の名もありふれたものでしたが、これだけの名が一つの家族に集まる可能性は600に一つにすぎないとか。

このドキュメンタリーから、ジェームズ・キャメロン監督によるテレビ用のドキュメンタリー番組が制作されました。

わたしは『ダ・ヴィンチ・コード』の元ネタとなった以下の本を読み、大変に面白く、また『マリアによる福音書』に登場するマグダラのマリアをモデルとした児童小説の参考にしたのですが、『キリストの棺』も、日本でも放送されたというドキュメンタリー番組も(ググったらフランスの動画サイトで出てきました)、全く知りませんでした。

レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説 (叢書ラウルス)
マイケル ベイジェント (著), ヘンリー リンカーン (著), リチャード リー (著), Michael Baigent (原著), Henry
出版社: 柏書房 (1997/7/1)

当時の新聞記事が出てきました。

「キリストに妻子」、ジェームズ・キャメロンのドキュメンタリーが波紋 - 米国
2007年2月27日 11:45 発信地:米国 [ 北米 米国 ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2187431

キリストの墓発見か、TVドキュメンタリーに反響 - イスラエル
2007年2月27日 15:51 発信地:イスラエル [ 中東・北アフリカ イスラエル ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2187570?pid=1376916

わたしが興奮したのは、わたしにとって辻褄が完全にあったからです。

グノーシス文書とされる新約聖書外典『マリアによる福音書』『トマスによる福音書』などから、マグダラのマリアがイエスの最高の愛弟子であり、妻でもあったことを新約聖書の記述とも合わせて確信し、最後の晩餐のときにイエスの胸に寄り添っていた弟子は彼女なのではないかと憶測していました。

2000年前の骨棺の中には、「師として知られたマリアムネ」と刻まれた骨棺がありました。マリアムネはミリアムのギリシア語形、つまりマリアのことだとか。

マグダラのマリアは、正教会でも、主の復活を伝える第一証人として伝道の旅をしたと伝えられていますから、師として知られていたとしても不思議ではありません。

ただ、最後の晩餐だからといって、妻がラビ(師)である夫の胸に寄り添うのは行き過ぎのような気がしていました。でも、それが成人男性であるとすれば、もっと異常な場面であると思われ、従ってマグダラのマリアと考えざるをえないと思っていたのでした。

また、ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』に出てくるマグダラのマリアに関する伝説の中で、舵のない船で海に流されたマリア一行が南フランスに漂着したという伝説と、その伝説に領主夫妻の子として出てくる、愛くるしい男の子が忘れられませんでした。

2010年4月 1日 (木)
Notes:不思議な接着剤 #50/マグダラのマリアに育てられた男の子
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/04/notes50-2ea0.html

2010年4月 5日 (月)
Notes:不思議な接着剤 #51 二つの嵐とマグダラのマリアの安否
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/04/notes51-7d04.html

わたしが最初、あまり『キリストの棺』を読む気がしなかったのは、マグダラのマリアは南フランスで亡くなったと思っていたからでした。

ところが、本によると、新約聖書外典『フィリポ言行録』には、ローマ帝国の迫害を逃れていったんフランスへ渡ったマグダラのマリアは、兄フィリポと共に小アジアへ伝道の旅に出、後にエルサレムへ戻ったという記述があるというのです。

確認しておきたいと思いました。もしそれが本当であれば、彼女の骨棺がエルサレムで発見されても不思議ではありません。

マグダラのマリアとされる古い骨のサンプルに核まれる核のDNAは損傷がひどくて使えなかったそうですが、もっと小さなミトコンドリアDNAの抽出には成功し、それによるとイエスとマグダラのマリアとされる骨からは、2人が母と子ではなく、兄弟でもないと判明したとか。

他人でありながら同じ墓から出てくるケースは夫婦以外に考えられないそうです。

またもし、イエスにユダという名の息子がいたという推定について、その根拠を新約聖書に求めるとするなら、『マルコ伝』に出てくる若者がそうではないかというのです。

イエスが捕らえられるときに、素肌に亜麻布だけを纏った若者が追いすがったのです。人々が逮捕しようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げたとマルコ伝ではあります。

異様な記述だと思っていましたが、大人が素肌に薄い亜麻布のシャツだけを身につけているなど考えられないけれど、子供ならありえたそうです。

最後の晩餐でイエスの胸に寄り添っていたのが幼い息子であったとすれば、何と納得がいくことでしょう! 自身の死とエルサレムの崩壊を予感していたイエスは、後継ぎである息子を抱き寄せて最後の食事をしたのではないでしょうか。

『キリストの棺』はまだ読んでいる途中です。いずれにせよ、拙『マダムNの神秘主義的エッセー』の以下の記事は改稿の必要がありそうです。

49 絵画に見る様々なマグダラのマリア
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/05/05/025512

追記:

イエス、聖母マリア、マグダラのマリアのものと考えられている骨棺について、『キリストの棺』を参考にもう少し詳しく書いておくと、イエスのものと考えられる骨棺は10個の骨棺のうち最も簡素だったそうです。

それには、「YESHUA BAR YOSEF(ヨセフの息子イエス)」というアラム文字の刻印がありました。しかも、先頭の Y の字の前には、文字より大きな「X」マークが刻まれていました。

それが何であるかは、『キリストの棺』では、旧約聖書のエゼキエル書(9・4)に根拠を求め、アラム語やヘブライ語のアルファベットで最後に来る文字「タウ」だとしています。

その「X」に似た文字は、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ(2007,pp.293-294)によれば、「それ自体で何かの終わりを、また同時に新しい何かの始まりを意味していた」と考えられるそうです。

聖母マリアのものだとされる骨棺には、ヘブライ文字らしきもので「マリア」と刻まれていました。ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ(2007,p.38)によると、「ただしヘブライ語の綴りではなく、ラテン語での発音をそのままなぞっていた」とあります。

マグダラのマリアのものだとされる棺には、「マラとして知られたマリアムネ」と刻まれていました。

Marat(マラ)はアラム語で「主」または「師」を意味し、男性形も女性形も同形。Mariamne(マリアムネ)は、ヘブライ語Miriam(ミリアム)のギリシア語バージョンだそうです。

マグダラのマリアはガリラヤ湖周辺の生まれで、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ(2007,p.168)によると、「イエスの教団を経済的に支える存在」であり、地域柄、彼女はバイリンガルでギリシア語ができ、ヘブライ語、アラム語、ギリシア語を使いこなしていたと考えられるようです。

だからこそ、マグダラのマリアはギリシア語圏であった小アジア(アナトリア)で、師と呼ばれるほどの活動ができたのでしょう。

ちなみに、旧約聖書はヘブライ語で記されています。イエス時代のパレスチナで使われていたのはアラム語です。新約聖書にもイエスの言葉としていくつかアラム語が出てきます、新約聖書はギリシア語で記されました。

「マラとして知られたマリアムネ」と刻まれた骨棺は、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ(2007,p.50)によると、「バラの花弁をあしらったロゼッタ文様で美しく飾られて」いました。

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2019年7月 7日 (日)

岩波少年文庫の総選挙。お小遣いで初めて買った小説、ベルテ・ブラット(石丸静雄訳)『アンネは美しく』(偕成社、1970)

ツイッターで岩波少年文庫の総選挙(?)があっていたので、わたしもツイートしました。

ただ、考えてみると、子供のころに岩波少年文庫の本を読んだ記憶がありません。創刊は1950年で、わたしが生まれたのは1958年の2月ですから、書店や学校の図書室あるいは市の図書館によく行っていたことから考えると、不思議でした。

リンドグレーンの作品は、『長くつ下のピッピ』を家で買って貰った講談社「世界の名作図書館」に収録されていたもので読み、続編や他のリンドグレーンの作品(やかまし村、やねの上のカールソン、名探偵カッレなど)は小学校の図書室で読んだように思いますが、全てハードカバーでした。

ウィキペディア「岩波少年文庫」

岩波少年文庫(いわなみしょうねんぶんこ)は、日本の出版社・岩波書店が出版している児童文学の叢書である。小B6判・並製。

沿革
1950年12月25日創刊。初回の刊行はスティーブンスン『宝島』、ウェブスター『あしながおじさん』、ディケンズ『クリスマス・キャロル』、ハムズン『小さい牛追い』、ケストナー『ふたりのロッテ』の5冊であった。当初の装丁はソフトカバーであったが、1954年にハードカバー化された。ケースもしっかりした厚紙であった。
1961年12月16日までに第一期(全100点、121冊)・第二期(全72冊)合計193冊の刊行が完了。以後、児童書については単行本および、岩波少年少女文学全集全30巻(1960〜1963年)、個人全集の刊行に力が入れられ、岩波少年文庫の新刊は10年余り刊行されなかった。
1974年、第一次オイルショック による物価高騰の影響を受け、ソフトカバーの軽装版で新刊の刊行を再開。1983年までに全68冊が刊行された。
1985年には創刊35周年を迎え、4色刷のカバーの新装版が発行された。この時、背表紙の色が対象年齢別に、ピンク(小学生中級〜)、黄色(小学生上級〜)、水色(中学生〜)の3種に色分けされた。その後、1991年までに全51冊が刊行された。
1995年には創刊45周年を記念して新刊の刊行を再開。これ以降、新刊の刊行は継続している。2000年には創刊50周年を迎え、左右の幅を7mm広げた新しい判型が採用された。
2010年には創刊60周年を迎えており、総発行点数は約400、総発行部数は約3,100万部に達している。

「岩波少年文庫」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年6月12日 05:47 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

謎が解けました。

1961年に第一期・第二期の刊行が完了したとき、わたしは3歳です。その後ブランクがあり、再び刊行の再開されたのが1974年。わたしは16歳になっていました。

再開後の岩波少年文庫の本が書店や図書館に並ぶころにはもう高校生ですから、岩波少年文庫ではなく、岩波文庫や新潮文庫などの本を読むようになっていたはずです。それで、子供のころは岩波少年文庫の本とあまり接点がなかったのでしょう。

話は変わりますが、わたしが初めてお小遣いで買った小説は、ノルウェーの女性作家ベルテ・ブラット著、石丸静雄訳『アンネは美しく』(偕成社、1970)でした。中学一年生のときだったと思います。定価430円とあります。

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宝物となって、今も書棚にあります。絵が物語るように、堅実で情感豊かな16歳の少女アンネが18歳になるまでを描いた、ジュニア小説です。

ノルウェー西部のフィヨルドの奥で育ったアンネは、牧師夫人の仲介で都会に出、住み込みの女中のアルバイトをしながら高校を卒業するまでの顛末が純愛をテーマとして描かれます。

最新設備を備えた都会の家で、アンネは田舎娘としての頓珍漢な行動で周囲を苛立たせますが、彼女にはバイオリンと編み物の特技がありました。

編み物をして生活費の不足を賄い、音楽一家と知り合ってからはバイオリンの腕が生きます。しかも、アンネは容貌が整っていて、特待生を目指すほど優秀でした。

わたしは当時、読みながら自分とアンネを比べて、あまりに大人びた、しっかりしたアンネに感心しながらも、話ができすぎているとも思いました。

編み物はわたしが中学校のころ、バレンタインデーに男子に贈るマフラーを編むのが流行っていました。マフラーくらいは編めたとしても、それで生活費を稼ぐなど想像できませんでしたし、楽器にしても、ピアノを習ってはいましたが、わたしは音大を目指している友人とは心構え自体が違うだけでなく、アンネは一日に何時間も練習している友人とも違って、さほど練習もせずに人前にバイオリニストとして立てるほどの腕前でした。

アンネには様々な苦労がありますが、音楽一家に育った青年イエスと恋に落ち、その恋は大小の起伏を交えながらゆっくりと育っていきます。小説は、二人の明るい前途を暗示して終わります。訳者の解説を読むと、続編もあるようです。

アンネはイエスと結婚して音楽の町ザルツブルクに住み、子供に恵まれ、パリで音楽の修行を続けようとするイエスのために奮闘するようです。

登場人物がヨーロッパのあちこちへ移動するのが不思議で、ヨーロッパ全体が一つの国のようだと思ったことを覚えています。

『アンネは美しく』は、『赤毛のアン』の系統に属する作品ではないかと思います。

こういうと顰蹙を買うかもしれませんが、わたしはアンはわざとらしく、騒々しく思えて、あまり好きになれませんでした。率直で、生真面目で、駆け引きなど思いつきもしない、静かなアンネのほうが好きでした。

自分の性格がアンかアンネのどちらかに似ていたために、アンが嫌いだったのかどうかはわかりませんが、自分の子供っぽさに自覚があったのは確かで、アンネの静穏な魅力に惹かれ、大人っぽい判断力と行動にあこがれたのでしょう。

訳者の石丸静雄氏の経歴をウィキペディアで見ると、石丸氏は佐賀県生まれで、『ニルスのふしぎな旅』を著したセルマ・ラーゲンレーフの神秘主義的な小説『幻の馬車』(角川文庫、初版1959、再版1990)の訳者でもあられるようです。原文がどのようであるかは知りませんが、邦訳の美しさは印象に残っています。

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2019年7月 4日 (木)

姪・妹宅へ、新築祝いにストウブを。捨てられた児童文学全集 ( ;∀;)

南九州は雨がひどいようです。

最近の梅雨は、梅雨の域を超えていますね。

夫の勤務時間が勤務先の都合によりここ数日変則的で、病院勤務の娘と夕飯の時間が合わず、夕飯を二度作るはめになったため、おさんどんで日が暮れて……という感じでした。

最近ようやく、ストウブでごはんが上手に炊けるようになりました。これまで失敗していた原因は二つ。

炊く前に米を浸水させていなかったことと、充分沸騰させないで弱火にしてしまっていたことでした。

みないきぬこさんの本に学んでからは失敗がありません。

はじめてのストウブ-素材別シンプルおいしいレシピ
みない きぬこ (著)
出版社: 池田書店 (2012/9/12)

一台目の「ピコ・ココットラウンド 22cm ブラック」で作っても、二台目の「ラ ・ココット de GOHAN M サックスブルー」で作っても美味しく炊き上がります。

炊き込みご飯などは、翌朝も食べたいので、ココットラウンド 22cm で作ることが多くなり、ご飯を炊くために購入したココット de GOHAN M は16㎝ と小ぶりなので使い勝手がよく、下ごしらえにはもっぱらこれ。味噌汁もこれ。煮物にもよく、二台あって正解。

前に、以下のレシピを参考に、枝豆がなかったのでグリンピースで作った炊き込みご飯。

【STAUB】たらこと枝豆の炊き込みご飯
【ストウブラココットdeGOHAN Sサイズ】で作る炊き込みごはんです。 ストウブで炊くとごはんがふっくら。 たらこの塩気がアクセントです。

数日前に22㎝で、レシピ通りに枝豆を使って作りました。グリンピースとの組み合わせも悪くありませんでしたが、明太子には枝豆のほうがより合うように思いました。

枝豆を蒸すのに、ココット de GOHAN を使いました。

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家族に好評です。炊飯器でも作れるはずです、おすすめです。調理器具を洗いながら娘に感想を聞いても返事がないので、聞こえなかったのかなと思っていると、しばらくして、「美味しすぎて、しゃべる余裕がなかった。上品な味わいで、釜飯屋さんのみたい」との答え。

米はレシピより多い、2合半。辛子明太子は太めのを一腹使いました。もう一腹あったのですが、2合半にはそれでちょうどでした。

ちなみに、ご飯にのせた大きめの二片は飾りのためで、下のほうの明太子はもう少し小さく砕いています。ストウブで炊くと、明太子がふっくら。粒が生きている! 生でいただくのとは別の美味しさがあります。

姪夫婦が新築したのですが、最初は姪一家だけで住むはずが、計画が変わって妹夫婦が一緒に住むことになり、造りをそれに合わせて変えたとか。

姪には女の子が二人いて、下の子はまだ赤ちゃん。新築祝いには何がいいか教えて、といって、しばらくしても返事がないので電話をすると、迷っているとのこと。ほしかった蘭の鉢植えは貰ったとか。

絵、観葉植物、児童文学全集……など、あれこれ候補を挙げているうちに「鍋は?」というと、妹は今持っている鍋を全て挙げて「実は、圧力鍋がほしいと思ったりしていたんだけど、上手に使える自信がなくて迷っていた」とのこと。

ちなみに料理は妹が担当しているようです。最近の女子は外で働く人が多いせいか、わたしたち世代と比べると、家事をしなくなっているようですね。勿論個人差があるようです。妹は料理が上手なほうです。

わたしは妹であればストウブが使いこなせるのではないか……大人4人、子供2人には24㎝のストウブなんかいいかもしれないと思い、とりあえずネットで見てほしいといいました。送るのであれば使ってほしいので、圧力鍋とどちらがいいかよく考えてほしいと思ったのでした。

後日電話し、「どう、圧力鍋にする?」と訊くと、「ストウブかな」と興奮気味。ストウブに決定。ストウブ熱を感染させたみたいです。

公式サイトから送りたいと思い閲覧すると、ラッピングは選べるようで、それも素敵なラッピングですが、新築祝いなので熨斗を付けたいと思いましたし、代引きは使えないだろうからクレジットになると思えば、わたしはクレジットのネット登録はしたくなく(するとすれば、それ専用のものを作りたいので、そう考えると面倒)、百貨店の通販サイトを探すことにしました。

いつも利用しているアマゾンのレビューを見ると、シリアルナンバーがついていなかったとか、不良品が届いたなどの書き込みが気になったので、公式か百貨店からと思ったのでした。

三越の通販サイトにストウブがあり、熨斗が選べます。ふと、よく行く百貨店にはないだろうかと思い、電話で訊くと、24㎝は赤系と緑があるとのこと。

姪の好みなら赤です。が、赤は火災を連想させるので新築祝いには避けたほうがいいと聞くので、バジルグリーンにしようと思い、とっておいて貰うことにしました。

その日のうちに百貨店へ行きました。店員さんと対面して商品を確認できるのは、やはり安心です。熨斗を選び、シリアルナンバーと説明書が添付されていることを確認しました。バジルグリーンはなかなか綺麗で、食卓に合いそうです。

妹は「わたしたちは一部屋貰って住ませて貰うだけで、娘たちの家よ」といっていたので、宛名を姪のご主人にしました。熨斗の名は夫のフルネームで。

妹に報告して、「綺麗なお家で、美味しい料理を沢山作ってちょうだい」というと、ワクワク感が伝わってきました。手入れが必要なことや重いことなどは前もって話してあるのですが、「ネットでストウブについて学習しておいて」と念を押しました。

妹は、教科書的なわたしと比べると、勘で料理をするほうなのです。ストウブは、勘だけでは難物なところがあると思います。注意深く、要領のよい人であれば、説明書だけでも充分かもしれませんが。

新しい家はまだ臭いがあったり、乾燥したりで(加湿器を置いても全員喉を傷めたとか)、快適とはいえないそうです。断捨離も大変だったとか。婚礼ダンスも捨てたといっていました。

気になって、「もしかしたら児童文学全集も?」と訊くと、「ごめーん、相談するつもりだったんだけど、押し入れに仕舞っておいたら黴てしまって……」と妹。

馬鹿。涙が出ました。

昔だったら、たぶん姉妹喧嘩しています。あんな全集はもう二度と出ない可能性が高いのです。

独身の頃はわたしほどではなくても本好きだったのに、今では読まなくなった妹。その価値がわからなくなったのかもしれません。全員歌が好きで、よくカラオケにも行くといっていたから、趣味の違い、生き方の違いということで、それはそれでいいでしょう。

でも、児童文学全集は黴が生えていてもいいから、好きな巻だけでも引き取りたかった……宝のひょうたん……無人島の小ロビンソンたち……パール街の少年たち……

前に返すつもりで何冊か送って貰ったけれど、もう返さない。全部わたしのものにしておけばよかった、と未練がましいわたしです。ジュニア版世界の文学全集も必要ない気がして妹に送らなかったのだけれど、これももうわたしのものです。本は読まれなければ、ただのゴミなのです。わたしには、愛する本は自分以上の存在です。

そういえば、命をかけてナチスから図書館の本を守った人々の話が明林堂の書棚に並んでいて、読んでみたいと思いました。図書館にないか、探してみよう。現在、記事を書く資料とするために、読むのもつらい『中国臓器市場』を読んでいます。つらすぎて、進みません。2008年に出された、渾身のルポです。

2010年8月14日 (土)
「世界の名作図書館」全52巻(講談社、1966-70) - 収録作品一覧
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/08/521966-70-fe50.html

2016年3月10日 (木)
『ジュニア版 世界の文学(全35巻)』(岩崎書店,1967–1969)
https://elder.tea-nifty.com/blog/2016/03/351967196920061.html

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2019年6月28日 (金)

購入して助かっているもの(吸引式パソコンクーラー、ザルとボールセット、みないきぬこ『はじめてのストウブ』)

トラブル続きだったパソコンはお陰様で順調に使えています。

が、内蔵ファンの異音はバッテリーの交換でしずまったものの、室温が高くなってきたころから、一旦内蔵ファンが回転し出すと、以前より音が高い気がしていました。

見て貰うべきかどうか迷いながら、PCクーラーで凌げないかとアマゾンへ。仮に見て貰って問題なくなったとしても、熱に弱いパソコン。夏場は対策が必要……それなら対策は早いほうが……と思いました。

パソコンの下から冷やすタイプのクーラー、冷却パッドが一般的なのか、沢山出てきました。四つ、五つのファンがついています。決めかねていると、別のタイプのクーラーが出てきました。

「吸引式で、排気口に装着させ、直接内部からの熱を吸い出す」という小型冷却ファンでした。

どちらがいいか、相当迷いました。値段は同じ3,000円くらい。決め手になったのは、「日本製モーター」という商品説明でしょうか。最近、日本製であることを謳った商品が増えてきたように思います。

豊富だった欧米の商品がやや品薄? 比較的安く買える割に高級感のある欧米製か、安かろう悪かろうの中韓製のどちらかを選ぶことになることが多かったのですが、以前はその間で全く元気がなかった日本製がこのところ巻き返しているように見えます。百貨店などでも同じ傾向を感じるので、わたしの気のせいではないかもしれません。

評価の高かった冷却パッドは商品説明の日本文に中国語が混じっていました。購入することに決めた吸引式のものは、モーター以外は日本製ではないのかもしれませんし、値段が同じくらいなので、どこ製であろうと変わりないのかもしれません。でも、PCクーラーはせめてモーターだけでも国内でがんばって作ってほしいので、購入してみることにしたのでした。

レビューに、背面に排気口があると装着させるのが難しいというものがあったので心配でしたが、何とかなるだろうと思いました。

OPOLAR LC06吸引式ノートPC冷却ファン 任天堂 Nintendo Switch冷却ノートクーラー pcクーラーファン コンパクト 静音 温度が表示され ファンスピード調整ができ ノートPCの冷却台 ニンテンドースイッチの冷却
OPOLAR

で、今のところ、とても助かっています。ただ、両方試してみないと、敷くタイプと吸引式のどちらのタイプがいいかわかりませんが、これは試してみる価値ありですよ。

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背面につけると、やや沈みますが、ぴったりになるように何か下に敷けば、問題ありません。

PC放熱口の温度を自動的に測定し、温度が上がると、自動的に冷却してくれる優れもの。吸引式ファンの音が高くなったと思って温度を見ると、38度くらいになっています。この子を装着する前は、内蔵ファンが騒音立てて回っていました。今はこれくらいだと、内蔵ファンは静かなままです。

しばらくすると、温度が29度~33度くらいに安定して、吸引式ファンの音が小さくなり、止まります。パソコンをスリープにすると、温度表示が消えます。

この子を常駐させてからは、パソコンを使うときのストレスからかなり解放されました。高速回転するときの音は結構しますが、内蔵ファンに負担がかからないと思うと、気になりません。

リス ザルとボールセット リベラリスタ ボールコランダーセット S ホワイト
リス

1月に購入してから、これを使わない日はないといっていいくらい。

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材質:PP
原産国:日本
耐熱温度:約140度
容量:約1.2L(ボール) Sサイズ

※Lサイズもあります。容量:約2.6L(ボール) Lサイズ

「洗う・水を切る・電子レンジで加熱するが1つで行える便利なボールとコランダーのセット」と商品説明にあります。

わたしはサラダを作るとき、たっぷりのキャベツの千切りや千切ったレタスを耐熱ガラスの保存容器に入れ、食卓に出す直前まで冷やしていました。耐熱ガラスは清潔感があって好きなのですが、割ってしまったことがあり、それに代わるものがないか探していました。これがありました。

冷蔵庫で冷やしている間に、不十分だった水切りまでしてくれます。蓋付きというのも嬉しい。電子レンジで加熱することもできるのですから、本当に便利で、料理する日はまず使っています。

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最近、「ココット・デ・ゴハン」で作って美味しかった炊き込みごはん。みないきぬこさんのレシピ「ホタテとレタスのエスニックごはん」を参考にしました。尤も、レタスがなかったので、ピーマン(レシピでは赤ピーマン)を多めに入れました。写真では香菜(パクチー)がたっぷりのっていますが、家族全員苦手なので、のせませんでした。

別物になることがわかっていながら、ホタテ水煮缶とナンプラーを使った味つけが美味しそうで、作ってみたのでした。予想に違わず、美味でした!

みないきぬこさんの解説で、白いごはんも上手に炊けるようになりました。

一台目のストウブ「ノワール2世」(わたしが勝手につけた愛称)を購入後、しばらくしてこの本を買いましたが、同時購入でもよかったかなと思っています(二台目は「マドモアゼル」あるいは「青い子」と呼んでいます)。

ストウブ料理には時間、水加減、蓋の開け閉めにコツが入り、自分だけでそれを会得するには時間がかかります。『はじめてのストウブ』は、レシピ数は多くはありませんが、わかりやすく説明されており、味付けもわたしには満足のいくものでした。ストウブ初心者にはぴったりの一冊、おすすめです。

はじめてのストウブ-素材別シンプルおいしいレシピ
みない きぬこ (著)
出版社: 池田書店 (2012/9/12)

プランターで育っているバジルの出来がもう一つで、なかなかバジルソースが作れません。

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とりあえず、ガパオライスを作り、次にモッツァレラチーズを使ったカプレーゼを作りました。

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