エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」に 49「アストリッド・リンドグレーン (2)『はるかな国の兄弟』を考察する 2014.4.30」、50「アストリッド・リンドグレーン (3)愛蔵版アルバムで紹介された『はるかな国の兄弟』と関係のあるエピソード 2015.9.14」をアップしました。当ブログで公開中の記事をまとめたものですが、加筆訂正がありますので、転載しておきます。
28日に公開した記事でしたが、29日になって、エッセー「50」 にかなり加筆しましたので、一旦閉じ、再公開しました。加筆部分は赤字にしています。夜になって再度の加筆を行いました、マゼンタ色の文字です。
49 アストリッド・リンドグレーン (2)『はるかな国の兄弟』を考察する 2014.4.30
vermilionchameleonによるPixabayからの画像
長編児童小説「はるかな国の兄弟」は悲惨な場面から始まる。
貧しい地区で火災が起こり、10歳になる病気の弟を背負って窓から飛び降りた13歳の少年が亡くなるのだ。物語の語り手は兄を失った弟クッキーである。
兄のヨナタンは弟にとって、お話の王子のように美しく、優しく、強くて、なんでもできた。弟思いの兄は、死期の迫った弟が死ぬことを恐がらないように、死んだらナンギヤラという「野営のたき火とお話の時代」に行くのだと語って聞かせていた。
先にそこへ行くはずの弟が残り、弟には「この町じゅうにも、ヨナタンのことを嘆かない人はひとりもなく、ぼくが代りに死んだほうがよかったのに、と思わない人はひとりもいません」というつらい自覚がある。
ヨナタンに先立たれた今、母親とクッキーにとってお互いはただ一人の家族なのだが、母親は存在感のない人物に描かれている。
裁縫師として家計を支えている母親が多忙であるにしても、あまりにも描写に乏しいのだ。兄弟にスポットライトを当てるため、作者は故意に読者から母親を遠ざけているようにも思える。
クッキーにとって、ヨナタンは理想的な兄というだけでなく、父母に代わる人間でもあって、唯一全き他者といってもよいくらいだ。別の見方をすれば、クッキーにとってヨナタンの影響は大きすぎる。クッキーはヨナタンに取り込まれてしまっているかに見える。
そんな危険な匂いが、冒頭から漂う。
ヨナタンはクッキーを自分のものとして可愛がりすぎるのである。我が子を溺愛する母親のように。クッキーという愛称もヨナタンが与えたものであって、母親はカッレと呼ぶのだ。
兄の死から2ヶ月して、兄の待つナンギヤラに弟も行く。死んで他界に行ったと考えてよいのだろうか?
ナンギヤラで、星の明るい晩に、どの星が地球かをあててみようとしたクッキーにヨナタンが「地球ね。そう、あれはずっとずっと遠くの宇宙をうごいていて、ここからは見られないよ」というところからすると、彼らは別の星にテレポーションしたのかしらん。
だが、この作品に SF 的な要素はないので、何にせよナンギヤラは人間が死んだあとにいく他界なのだろう。だとすると、ナンギヤラは天国なのだろうか。
ナンギヤラは中世の村社会を想わせるが、理想郷のようなナンギヤラのサクラ谷で、兄弟は谷の人々と交わりながら楽しく暮らす。暴君テンギルや竜カトラとの戦いが始まるまでは――。
死後の世界であるにも拘わらず、この世と同じような暴力があり、流血があり、死があり、悲しみがあって、この世にはいない怪物までいるとなると、ナンギヤラは天国ではありえないが、地獄にしてはよいところなので、煉獄といってよい世界と思える。
クッキーには秘密にされていたが、暴君テンギルに抵抗する地下組織が既にあって、兄はその一員だった。クッキーも一員となる。第一線部隊の目立つ地位にいる兄に対して、クッキーはどちらかというと、彼らを後方で支える側につく。
クッキーは物語の初めから終わりまで、控えめな存在なのである。常に兄に追従し、兄を信心するよき信徒のようである。クッキーはいつまで経っても主人公にはなれない。兄依存症といってよいくらいだ。
クッキーも歯がゆいが、その原因に兄ヨナタンの過度な保護や出過ぎたリードがあるように思われ、わたしにはそのことが不気味にすら感じられる。
彼らがまだこの世にいたとき、弟をなぐさめるためだとしても、ヨナタンは死後の世界を弟に対して規定しすぎたのではあるまいか。クッキーが死んでも天国へ行けず、ヨナタンから借りた煉獄的世界で堂々巡りしなければならないのがヨナタンのせいとばかりはいえないにしても……。
わたしは神秘主義者だから、死後の世界に関する情報と独自の考えをいささか頑固に持っているが、それをブログや電子書籍で語ることはあれ、他人に強要しようとは思わない。わたしは共鳴して神智学協会の会員になったが、家族を含めて、わたしの周囲に神智学協会の会員は一人もいない。
人間には死後の世界を自分で想像し、創造する権利があると考えている(こんな考えかたは特殊だろうか)。その自由を、ヨナタンは弟から奪っているように思えるのである(こんな考えもまた、一つの思想であろうが)。
そういう疑問はわくにしても、この冒険活劇には心に沁みる、美しい場面が沢山あり、ビアンカという伝書バトの出てくる場面などは忘れられない。
ソフィアのハトたちがほんとに人間の言葉がわかるのかどうか、ぼくは知りませんが、ビアンカはわかっていたように思います。なぜってビアンカは、安心しなさいというように、ヨナタンの頬にくちばしをあて、それから飛び立ったのです。夕方の薄明りの中に、ビアンカは白くきらめきました。ほんとに危険なほど白く。*1
戦いは暴君の敗北で終わり、竜カトラも死ぬのだが、この物語はそこでめでたし、めでたしとはならない。犠牲が多く出て、兄弟の馬たちも死に、兄は竜の火に触れたために体が麻痺してしまう。
そして、この勝利と敗北が残酷に混ざったクライマックスで、奇妙なことに、作者リンドグレーンは物語のはじまりで起きた悲惨な状況を――兄弟の役割を入れ替わらせて――再現してみせるのである。
場所は、夜のとばりが降りかけた山中。カトラの火――火災の火を連想させる――に触れて体が麻痺したヨナタンにクッキーが「また、死ななきゃならないの、ヨナタン?」と叫ぶと、ヨナタンは「ちがう! だけど、ぼくは、そうしたいんだ。なぜって、ぼくは、もうけっして体を動かせなくなるんだから。」という。
このヨナタンの言葉には戦慄を覚える。自殺願望のように聴こえるからである。ヨナタンは弟に「ぼくたち、もう一ぺん、とんでもいいかもしれないと、ぼくはおもうんだ。あの崖の下へ。あの草原へね。」という。
なぜリンドグレーンはこの場面を、火災の場面に似た設定に近づけようとしたのだろうか。実際には全然違う状況にあるのに、である。
火災の場面では、弟を助けるために兄の犠牲があった。ヨナタンが弟を背負って飛び降りたのは古い木造家屋の三階からだった。
が、ここでヨナタンが飛んでもいいというのは、クッキーが「ぼくは崖のへりまで出ていって、下をのぞきました。もう、あたりは暗すぎました。あの草原は、もうほとんど見えません。でも、それは目がくらむような深みでした。ぼくたちがここにとびこめば、すくなくとも、ふたりそろってナンギリマに行くことはたしかです。」と描写するような高所からなのである。
兄ヨナタンの言葉は、どう考えても心中をそそのかす言葉なのだ。
山を下りるつもりだった弟は、自分たちが別の世界ナンギリマに行ってしまったら、ソフィアとオルヴァルは兄さんなしでサクラ谷と野バラ谷の世話をしなけりゃならないよ、と懸念を口にする。
それに対してヨナタンは、もうぼくは要らない、というだけだ。「クッキー、きみがいるじゃないか。きみがソフィアとオルヴァルを手伝えばいい」とはいわない。
兄弟が山中で遭難する危険性がどの程度のものだったのかはわからない。クッキーが山を下りて助けを呼び、体の麻痺した兄を連れ帰って、介護しながらサクラ谷で生きていくこともできたのではなかったか。
ふたりはもう充分に、サクラ谷や野バラ谷の人々の助けを当てにできるくらいの人間関係が築けていたはずである。
しかし、あたかも心中でもするかのように兄弟は新たな他界ナンギリマを信じて崖から飛び降り、弟クッキーが「ああ、ナンギリマだ!……(後略)……」と声をあげて物語は幕を閉じる。
ふたりが飛び込んだナンギリマがどんな世界かというと、ヨナタンの話では「そこでは、まだまだ、たき火とお話の時代」であるという。ナンギヤラが「野営のたき火とお話の時代」だったのだから、その続編的世界ということだろうか。まるでエンドレステープのようである。
リンドグレーンの死生観については、伝記など読んでもよくわからず、作品から探るしかないが、環境をいえば、リンドグレーンの国スウェーデンはルター派を国教としている。人口の8割がルター派の教会に所属しているという。一方では、エマーヌエル・スヴェーデンボーリのような神秘家を生んだ国としても知られている。
作品に出てきたカルマ滝のカルマという言葉が気になった。竜カトラは、もう一匹の怪物である大蛇カルムと滅ぼし合ってカルマ滝へ消えていく。
カルマをKarmaと綴るのだとすればだが、英語にカルマ、 因縁、 宿縁、 因果、 縁、 天命といった意味があるように、スウェーデン語にも宿縁という意味があるようだ。リンドグレーンの死生観にはもしかしたら、東洋的な死生観がいくらかは混入しているのかもしれない。
Karmaは本来サンスクリット語で、因果応報の原則をいう。
ところで、当エッセーを書いている途中でわたしはたまたま、室温の変化が刺激となったのか、持病である冠攣縮性狭心症の発作を起こした。
死の危険を感じていたさなか、ヨナタンとクッキーが死んでから行ったナンギヤラのことが頭に浮かんだりして怖くなり、あんなところへ行くのは御免だと思った。
その一方では、物語の世界のしっとりと潤いのある空気が心地よく体に染み込んでくるようで、あの世界がリンドグレーンも共に息づく世界であることを確信した。
病人に寄り添うナイチンゲールのような空気だと感じられたのである。
そして、思った。あの世界は死後の世界として描かれてはいるが、この世界のことではあるまいか。
語り手であり、主人公でもあるクッキーはまだ生きていて、夢を見ているだけなのかもしれない。
とすると、生きているクッキーの現状は苦しみが長引くだけであって、希望がなさすぎるけれど、希望のない現実というものもあるということを、リンドグレーンは多く描いている。もう死にしか希望が見い出せないような過酷な状況を。
ナンギリヤラがいわゆる天国ではないのは、現実にはクッキーがまだ生きている証拠なのではあるまいか。
ここままで書いてきたが、結論は出ない。疑問は解消しないながらも、この作品がわたしにとって、豊かな、魅力に溢れる物語であることは、どうにも否定しようがない。
*1:リンドグレーン,大塚訳,2001,pp.164-165
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50 アストリッド・リンドグレーン (3)愛蔵版アルバムで紹介された『はるかな国の兄弟』と関係のあるエピソード 2015.9.14
Astrid Lindgren omkring 1960
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
ヤコブ・フォシェッル監修(石井 登志子訳)『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(岩波書店、2007)を、誕生日プレゼントとして娘に買って貰った。
この大型本に見るリンドグレーンの境遇についてはエッセー 46「シネマ『バベットの晩餐会』を観て」の追記で述べたことと重複するが、アルバムでは作品解釈に役立つようなエピソードが沢山紹介されているので、合わせて『はるかな国の兄弟』に関係のあるエピソードを引用しておきたいと思う。
目次
- アルバムに見るリンドグレーンの境遇
- アルバムで紹介された「はるかな国の兄弟」と関係のあるエピソード
1. アルバムに見るリンドグレーンの境遇
石井登志子訳『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(ヤコブ・フォシェッル監修、岩波書店、2007年)を読んで初めて、それまで断片的にしか知らなかったリンドグレーンの人生を鳥瞰できた。
アストリッド-アンナ-エミリア・エリクソンは 1907 年 11 月 14 日、スウェーデンの南部スモーランド地方、カルマル県にある都市ヴィンメルビー郊外のネースで誕生した。2002 年、94 歳の誕生日を迎え、クリスマスを家族で祝った数日後インフルエンザにかかり、1 月 28 日亡くなった。
両親は農場が軌道に乗るまで苦労したかもしれないが、あのころのスウェーデンの時代背景を考えると、彼女は何しろ農場主の娘で、父親は酪農業組合、雄牛協会、種馬協会を結成した活動的な事業家でもあり、娘のアストリッドが苦労した様子はアルバムからは窺えない。
ラッセを産んだ件では苦労しただろうが、一生を共にしたくない男の子供を妊娠し、その男と一生を共にしない選択の自由がともかくもあり、女性の権利拡張運動の闘士(職業は弁護士)エヴァ・アンデンの援助も受けられて……と、確かに一時的な苦労はあったようだが、自由奔放な女性がしたいようにしたという印象を強く受ける。
「ヴィンメルビー新聞」の編集長ブロムベリイの子どもを妊娠したとき、アストリッドは 18 歳だった。ラッセは、実父から 3 万クローナの遺産を受けとっている。
ちなみに、ラッセが大学受験資格に合格したときの写真を見ると、どちらかというと、いかつい男性的な容貌のアストリッドとは対照的な、女性的といってよいようなハンサムボーイだ。
アストリッドの再婚相手は、秘書として就職した先で知り合った、王立自動車クラブ支配人ステューレ・リンドグレーンだった。21 歳のアストリッドも出席した王立自動車クラブの毎年恒例の晩餐会の写真は凄い。豪華絢爛な晩餐会の様子に圧倒される。
第二次世界大戦前の写真だが、福祉大国スウェーデンが今も――以前の特権を維持していないとはいえ――貴族が存在する社会であることを思い出させた。
それまでに読んだアストリッド・リンドグレーンの作品解説や伝記的なものからは地味な境遇が想像されていたが、いや、とんでもなかった!
想像とは違っていたが――違っていたからこそ、というべきか――、図書館から借りて見たアストリッドや周囲に写っているものがとても素敵だったので、昨年、娘に誕生祝いに何がほしいかと訊かれたとき、迷わずこの本を挙げたのだった。
だから勿論、わたしは、アストリッドが有名だったり、お金持ちだったり、また自由奔放だったりしたからどうのとケチをつけたいわけではない。
無名で貧乏だと取材もままならないから、有名でお金持ちのほうがいいに決まっているし、自由でなくては書きたいように書けないから、環境的に自由なムードがあり、気質的にも自由奔放なくらいがいいと思う。
ただ、「小さいきょうだい」、「ボダイジュがかなでるとき」からも、極貧状態の描写と物語の展開にどことなく貼り付いたような不自然さを覚えていたので、つい、どんな環境で書かれたかを探りたくもなったのだった。
『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』には作品解釈の手がかりになるようなことが多く書かれている。「はるかな国の兄弟」の謎はそれで大部分が解けた。
わたしが深読みしたより、単純に――シンプルにというべきか――書かれていた。それでも、まだ謎の部分が残る。
2. アルバムで紹介された「はるかな国の兄弟」と関係のあるエピソード
「はるかな国の兄弟」について触れられているのはアルバムの中の「写真で綴る、アストリッドの人生」で 2 箇所、マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」で 3 箇所である。
アストリッドの娘には 4 人の子どもがあって、それぞれ文学関係の道に進んだそうだ。アストリッドは一人ひとりの孫から創作の着想を得ることはなかったというが、ちょっとした言葉づかいや心の動きは借りることがあったとか。
「はるかな国の兄弟」の創作時には二男ニルスと三男ウッレが貢献しているらしい。
4 歳だった二男ニルスの、死についての不安な気持ちは『はるかな国の兄弟』の創作に貢献した。三男のウッレは 1 歳の時に、しきりに「ナン-ギ、ナン-ギ。」と口にしていたのが、やはり『はるかな国の兄弟』の中の主人公、クッキーやヨンタンの住む世界“ナンギヤラ”の名前に使われている。*1
マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」には、アストリッドの作品によく出てくる、印象的な台所について触れられた箇所がある。
何か特別な雰囲気のある、部屋や場所があるものだ。
「わたしが台所のことを書く時は、わたしたちの家の台所ではないの。ほとんどいつもクリスティンの台所なの。」アストリッドは言っていた。
クリスティンは牛の世話係と結婚していて、ふたりの娘がエディットである。……(略)……
わたしが、クッキー・レヨンイェッタ(『はるかな国の兄弟』)が横になっていた台所はどんなだったかを尋ねると、アストリッドは自分でも驚いていた。
「そりゃクリスティンの古い台所でしょ! でも、考えていなかった。そこは 3 階だったのに、クリスティンの台所にしていたわ。」*2
また、アストリッドの死のイメージがどこから来ていたのかにも言及している。
アストリッドのベッドで休んだ夜は、初夏の明るさに包まれていた。外には、リンゴと桜の花が咲いていた。室内には、明るいところと半分影のようなほのぐらいところがあり、白夜の夏の夜明かし、アストリッド自身の夜明けへ向かう光があった。彼女の死のイメージは、光のイメージだ。「ぼくには光が見える!」とクッキーは、ナンギヤラやナンギリマやあらゆる未知の世界へ向かって叫ぶ。他の作家が暗く恐ろしげな色合いで表現してきた世界へ向かってそう叫ぶのだ。*3
神秘主義者であるわたしにとっても死は光のイメージだが、その光のイメージは自然光ではなく、圧倒的だが精妙なオーラの光のイメージである。ストレムステッドのいう「アストリッド自身の夜明けへ向かう光」というのが内的な光のことだとすれば、オーラの光は内的な光といってよい性質のものだから、同種のイメージといってよいのかもしれない。
弟クッキーと兄ヨナタン・レインイェッタの物語『はるかな国の兄弟』は、1970年あたりに、ふたりの兄弟と死を主題とすることで構想が徐々にまとまったという。
1971 年の元旦の朝、フリーケン湖に沿って汽車に乗っている時、湖上のバラ色に輝く朝日を見て、アストリッドははっとした。「これは人類の夜明けの光だ。そして何かに火がついたと感じた。」兄弟の物語は、この世で展開されるものではないと気づいたのだ。
善と悪、生と死、そして互いに滅ぼし合うことになるふたつの怪物の登場、これをアストリッドは、第 2 次世界大戦のナチズムとボルシェビキと見なしていたようだが、物語は緊張感あふれる作品になった。物語を書き始めた時、どんな終わり方をするのか、アストリッドには分からなかった。クッキーが確かな死に向かって飛び降りる結末は、子どもにはよくないと、多くの大人が不快感を示したが、子どもたちは明るい結末ととらえていた。*4
マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」でも大人たちの反応に触れられている。
『はるかな国の兄弟』は、「“死”というタブーの境界に添って展開していくため、多くの大人に不安を与え脅えさせた」という。しかし、子どもたちは大人とは違う方法で読んでいるとストレムステッドは書いている。
『はるかな国の兄弟』が出版された直後、アストリッドが若い心理学者に会い、そのときのことをストレムステッドに語ったという。
アストリッド・リンドグレーンは語った。「彼は、子どもに対しては『はるかな国の兄弟』の最後のあたりを読むことができないと言ったの。兄弟が二度も死ななくてはならないと考えるのはおぞましいから、と。その後、家に帰ったら、エーミル映画でイーダの役をしていた女の子から電話があって、こう話してくれたの。“たった今、『はるかな国の兄弟』を読み終わったんだけれど、幸せな終りにしてくれてありがとう”って、子どもはそのように経験できるのよ。」*5
大人の読後感はいろいろだろうし、子どもたちの反応も一律ではないと思うが、あの終わらせかたにはやはり議論を呼ぶところがあるとは思う。
そして、物語に登場する悪役――二匹の怪物――が第2次世界大戦のナチズムとボルシェビキを喩えるものだったとは、安直な技法と思えて驚いた。しかも、「物語を書き始めた時、どんな終わり方をするのか、アストリッドには分からなかった」というからには、この物語は綿密に構成されたものですらなかったということになる。
しかしながら、二匹の怪物が互いに滅ぼしあい、カルマ滝の中で死ぬまで戦いあって深みへと沈んでいくのを見届けた作者アストリッド・リンドグレーンは、そのことによって物語全体を覆う煉獄的ムードを払いはしなかった。
このことは、彼女が哲学的な人物ではなかったとしても、勧善懲悪的世界観に与するような単純な思考の持ち主ではなかったことを示している。
主婦として一旦は家庭に入ったアストリッドだったが、すぐに速記記者として弁護士事務所や国会議事堂で臨時に働き、第二次大戦中の 1940 年からの 5 年間を手紙検閲機関で秘密裏に働いている。戦争に、体制側の一員として深く関わっていた。
こうして見ていくと、「はるかな国の兄弟」は、第二次世界大戦についてのアストリッド的総括、犠牲者に捧げられた鎮魂歌ともいえるのかもしれない。
*1:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.106
*2:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.257
*3:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.257
*4:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.175
*5:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.255