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2020年8月20日 (木)

大田俊寛氏はオウム真理教の御用作家なのか?(8月21日に加筆あり、赤字)

※当記事は個人的な考えから執筆した記事であることをお断りしておきます。

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大田俊寛『現代オカルトの根源――霊性進化論』(筑摩書房、2013)は、13日の記事に書いたように、タイトルからしてわたしには意味不明である。霊性進化論なんて、意味がわからない。霊性が進化する?

大田氏は言葉の定義もせずに、話を進めていく。ブラヴァツキー夫人の細心の注意が払われた膨大な数の言葉の定義を見よ。これができて初めて、あれほどの引用、照らし合わせができるのだ。でなければ、ブラヴァツキー夫人の代表作『The Secret Doctrine: The Synthesis of Science, Religion and Philosophy』は単なる断片集になってしまったことだろう。

ブラヴァツキー夫人について書かれた章の内容の貧弱さからすれば、おそらく大田氏の頭の中には曖昧模糊とした霊肉二元論が存在しているだけである。極めて短絡的な思考回路が、大田氏は麻原氏と似ているように思える。

その短絡的な思考回路から出てきた大田氏的「霊」「霊性」という単語であり、「霊性進化論」という造語であるのだが、彼はそこから勝手に妄想を膨らませて、ブラヴァツキー夫人が「進化論と心霊主義の構想を巧みに融合させた」などと、嘘八百書いている。

そもそもブラヴァツキー夫人が「霊」をどのような意味で使ったのか、大田氏は全くわかっていない。

『現代オカルトの根源――霊性進化論』の主要参考資料一覧に挙げられているブラヴァツキー夫人の著作は、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)と、『シークレット・ドクトリン』原書の第2巻 Anthropogenesis(人類発生論) の2冊だけである。

わたしが持っているジルコフ編『シークレット・ドクトリン 第 1 巻』本文の最初に「霊」という言葉が出てくる文章を探してみた。

Spirit is the first differentiation from THAT,the causeless cause of both Spirit and Matter.

Helena Petrovna Blavatsky. The Secret Doctrine: Collected Writings 1888 : Cosmogenesis. Boris De Zirkoff , ed. Quest Books, 1993, p.35

この文章を含む、壮麗な本文最初の段落を、田中恵美子氏、ジェフ・クラーク氏の名訳で紹介したい。それで、興味が湧いたかたはブラヴァツキー夫人と大田氏の著作を読み比べていただきたい。そうすれば、ブラヴァツキー夫人の著作が別格であることがわかるだろう。

    スタンザ 1

      宇 宙 の 夜

1. 永遠の親(空間)は常に目に見えぬ彼女の衣に包まれ、七つの永遠の間、再び深い眠りにおちていた。

“親空間”は永遠で常に存在し、あらゆるものの原因である。つまり、理解できない神性であり、その“目に見えない衣”はあらゆる物質の根であり宇宙の神秘的な根でもある。空間とは私達には最も容易に想像できる永遠なものであって、それは抽象的なものとして不動であり、客観的宇宙が空間の中にあってもなくても、左右されることのないものである。空間はあらゆる意味で次元がなく、自存するものである。霊は、霊と物質両方の原因なき原因であるそれから最初に分化したものである。秘教問答に教えられているように、空間とは無限の空虚でもないし、条件づきの充満でもなく、その両方である。空間は存在して来たし、これからもいつもあるであろう。

H・P・ブラヴァツキー. シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上). 田中恵美子, ジェフ・クラーク訳. 神智学協会ニッポン・ロッジ, 1989, p.239.

第3巻 Index で、英語で「霊」に当たる Spirit を見ると、様々な使いかたがされているようでありながら厳然とした意味があるようで、神智学のイロハもわかっていなかったころのわたしは Soul との区別もつかず、混乱した。

しかし、ありがたいことに、神智学の入門書といってよいH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995)の用語解説に日本ロッジの挿入文があり、ブラヴァツキーの著作では Spirit がどのような意味で使われるかの解説がある。異なる六つの意味が挙げられていて、各々わかりやすい解説が施されている。

東大の博士課程を終了して埼玉大学非常勤講師を勤める人物のものとは思えない雑な内容の大田氏の著作は、インビュー記事も同じことなので、彼の短絡思考がわかりやすいインタビュー記事を引用する。

ブラヴァツキーは、人類の中には「神人」に進化しうる種子が含まれている一方、霊性の次元から目を背けて「動物化」する人間もいる、という二元論を立てたのですね。私はこうした考え方を「霊性進化論」と呼んでいます。

本多カツヒロ(フリーライター). “なぜ人間はオカルトにハマってしまうのか?: 『現代オカルトの根源』の著者、大田俊寛氏に聞く”. 東洋経済オンライン. 2013-08-23. https://toyokeizai.net/articles/-/18156, (参照 2020-08-19).

大田氏自身が「私はこうした考え方を『霊性進化論』と呼んでいます」と述べていることからもわかるが、前述したように「霊性進化論」というのは大田氏の造語である。この進化街道を驀進する霊性の「霊」とは、どのような意味の「霊」なのか。その「霊」の性質ばかりがひたすら進化するということなのか?

「霊」の定義すらせずに、漠然とした意味の「霊」を、単純な唯物論者ダーウィンの進化論にくっつけている。「こうした考え方」もブラヴァツキー夫人のものではなく、大田氏の自説であるにすぎない。

ブラヴァツキー夫人は、『神智学の鍵』(田中恵美子訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、1995)で次のように述べている。

神智学の教えは霊と物質の同一性を主張し、霊は潜在的な物質であり、物質は結晶した霊にすぎないと言います。例えば、氷は固体化した水蒸気であるようにです。しかし、万物の大本で永遠の状態は霊ではなく、いわば超霊(目に見える形体のある物質はその周期的な現れにしかすぎない)なので、私達は霊という言葉は「まことの個性」に適用することができるだけだと主張します。(ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.42)

ブラヴァツキー夫人のこの説は一元論だろうか、二元論だろうか。論点によって、それは変わってくる。一元論か二元論かといった、哲学におけるこのような解釈手段自体がもはや古いといえる。

前掲引用に出てくる神智学用語としての「個性(Individuality)」の意味を知るには、まず「人間を含めて宇宙のあらゆる生命、また宇宙そのものも『七本質』という七つの要素からなっている」(H・P・ブラヴァツキー. 実践的オカルティズム. 田中恵美子, ジェフ・クラーク訳. 神智学協会ニッポン・ロッジ , 1995, 用語解説「本質(Principle)」p.23.)ことを理解しなければならない。

ブラヴァツキー夫人の説が如何に複雑であるかは、引用した文章からも、その一端が窺えよう。しかしながら、哲学はこのように複雑であるのが普通だから、大田氏が披露する二元論は幼稚すぎて衝撃的であった。

神獣二元論ともいうべき珍説と共に考え出され、名付けられた「霊性進化論」は、大田氏によって考え出された――おそらく、麻原氏の思想に合わせて考え出されたのだろうが――説であることを押さえておきたい。

大田氏へのインタビュー記事から引用を続ける。

麻原の世界観では、人類全体が2つの種類に大別されていました。ひとつは、自らの霊性のレベルを高め、超人類や神仙民族と呼ばれる存在に進化する「神的人間」であり、もうひとつが、物質的欲望におぼれ動物化していく「動物的人間」です。麻原の見解によれば、現在の世界は「動物的人間」がマジョリティを占めており、他方、「神的人間」はマイノリティとして虐げられている。この構図を転覆しようというのが、「種の入れ替え」という言葉が意味していたものです。

オウムは、数々の修行やイニシエーションによって、「神的人間」を創出・育成しようとした。その一方で、人類の霊性進化の妨げとなる「動物的人間」を粛清しようと、70トンという膨大な量のサリン生産計画に着手したわけです。現在の日本をサリンで壊滅させた後、「シャンバラ」や「真理国」と呼ばれるユートピア国家を樹立しようというのが、オウムの最終目的でした。このように、オウムの世界観においても、「神への進化」と「動物への退化」という霊性進化論的な二元論が、極めて根幹的な役割を果たしていたのです。

本多カツヒロ(フリーライター). “なぜ人間はオカルトにハマってしまうのか?: 『現代オカルトの根源』の著者、大田俊寛氏に聞く”. 東洋経済オンライン. 2013-08-23. https://toyokeizai.net/articles/-/18156, (参照2020-08-19).

『現代オカルトの根源――霊性進化論』で、ブラヴァツキー夫人の著作内容の複雑で重厚な内容を、似ても似つかない間違いだらけの短い要約で済ませてしまって平気な大田氏とは、一体何者なのか?

大田氏の国語力に問題があることは間違いないが、果たしてそれだけの問題なのか?

前にも同じことを書いたような気がして探すと、果たして、そのとき、わたしは大田氏の著作はあまり読んでいなかったはずだが、「オウム真理教事件の犯人は『思想』だった」という記事を、ウィキペディア記述のソースを探して読んだらしい。
※この記事は正しくは、「オウム真理教事件の真の犯人は『思想』だった」というタイトルのエッセー。
 大田俊寛. “オウム真理教事件の真の犯人は「思想」だった”. シノドス. 2014-05-15. http://synodos.jp/society/8575, (参照 2020-08-20).

わたしははてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の中のエッセー 26「ブラヴァツキー夫人の神智学を誹謗中傷する人々 ①ブラヴァツキー夫人とオウムをくっつける人」で次のように書いている。

孫引きで構成されたいい加減な記事しか書けない癖に、なぜかある程度の知名度があって、自身の主張を広く世間に発信する力を持っている――このような人物こそが思想的な混乱を招く大きな一因となっているとわたしは思うのだが、そんなことは夢にも思わないのだろうか。
わたしは、オウム真理教事件の真の犯人は「国語力の不足」だったと考えている。だから、閲覧者が少ないにも拘わらず、拙ブログ『マダムNの覚書』で文学について、読書について書いてきた。(略)
オウム真理教が反日テロ組織であったことは明白で、中共のような思想弾圧している一党独裁国家ではない、憲法第20条で信教の自由を規定した日本国において彼らは反日テロを起こすという重大な思想的問題を孕んでいたわけだが、そのことを問題視しないのはどういうわけだろうか。

大田氏がわたしの目にオウム真理教(及びその分派団体)の御用作家と映るのは、彼が麻原氏の思想を自説で補填しているからである。

その補填のための自説を以ても庇いきれない異常性が麻原氏の思想には存在するためか、ブラヴァツキー夫人の名を借りて神智学に麻原氏の一切の罪を負わせようとした。何て卑劣な行為であることか。

わたしは過去記事で、文部科学省の教科書調査官として歴史教科書の検定に関与していた北朝鮮のスパイXがオウム事件にも関与し、日本転覆を図ったことがあるというニュース記事を紹介した。

2020年7月30日 (木)
オウム真理教事件にも絡んでいた北朝鮮のスパイ
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/07/post-58a264.html

このようなニュース記事を読むと、大田俊寛氏が純粋に学者としてオウム真理教に関する研究を行ってきたのか、疑わしくなってくる。

大田氏は吉永進一氏同様、オウム真理教の反日性には目もくれず、ブラヴァツキー夫人を煙幕のように悪用して「霊性進化論」という自説に拘泥し、オウム真理教に寄り添う。

北朝鮮のスパイがオウム事件に関与し、国家転覆を図ったことがあるというのであれば、オウム真理教には強い反日性があり、それこそがオウム真理教に内在する第一義的な「思想」であったはずである。つまりオウム真理教事件の真の犯人は反日思想だったということである。

オウム真理教の継続団体「ひかりの輪」ホームページ、広報部のお知らせに「宗教学者2名(鎌田東二氏・大田俊寛氏)の方がひかりの輪の健全性を認める報告:長年の広範な調査研究の結果(2018年04月18日)」という記事がある。

両氏の略歴と論文が紹介されている記事で、大田氏については次のように紹介されている。

新進気鋭の宗教学者であり、近年出色のオウム真理教研究とされる「オウム真理教の精神史」の著者。ひかりの輪に関しても、その教材・資料のほとんどを精査するなど、その広範な調査・研究は他の追随を許さない。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程を修了。グノーシス主義の研究でも著名。

大田博士は、2014年、ひかりの輪の外部監査委員会(当時の委員長は河野義行氏・元長野公安委員・松本サリン事件被害者遺族)の要請を受けて、それまでの深く広範な調査・研究に基づいて、団体の思想・活動に観察処分に値するような危険性があるか否かに関して、意見を同委員会に提出されました。(略)

結論として、ひかりの輪は、オウム真理教の教義・活動の中で事件の原因となった危険な要素に対して十分な対処しており、その意味で危険な団体ではないとして、公安調査庁の見解を否定しました。また、2017年にも再び、同じ趣旨の意見を発表されています。

広報部のお知らせ. “宗教学者2名(鎌田東二氏・大田俊寛氏)の方がひかりの輪の健全性を認める報告:長年の広範な調査研究の結果”. ひかりの輪. 2018-04-18. http://www.joyu.jp/hikarinowa/news/00news/1348_1.html, (参照 2020-08-19).

続いて、ひかりの輪に関する意見書(2014年11月)、ひかりの輪に関する意見書追加版(2017年11月)、雑誌「宗教問題」の座談会(2017年10月)での発言メモ(2018年3月20日発表)へのリンクがある。

雑誌「宗教問題」の座談会(2017年10月)での発言メモには、前掲インタビュー記事「なぜ人間はオカルトにハマってしまうのか?」へのリンクもある。

大田氏は次の記述からもわかるように、彼自身はおそらくマルクス的唯物論者で、神秘主義に対しては上から目線である。

私自身は、「ひかりの輪」が主張するように、すべての人間のなかに「神聖な意識」が存在するとは思わないし(少なくとも私のなかには、そのような意識は存在しない)、また、現実においても理念においても、「万人・万物が繋がって一体である」とも考えない。

大田俊寛. “「ひかりの輪」の宗教的活動に関する私見”. ひかりの輪. 2014-11-17. https://goo.gl/yyhFU2, (参照 2020-08-21).

それでいながら、オウム真理教とその後継団体に大田氏は寄り添う。ブラヴァツキー夫人の思想を麻原氏の思想に合わせて捏造するほどの献身ぶりなのである。

マルクス的唯物論者がなぜグノーシス主義を研究しようと思ったのか、わたしには不可解である。マルクス的唯物論者には最も縁遠い研究分野といってよいからだ(マルクス的唯物論者のこの手の論文は読めたものではない)。オウム真理教研究者としての箔を付けるためだとしか思えない。

大田氏は同文書において、次のようなことも記述している。

日本社会では現在、オウム真理教は実は、ロシアや北朝鮮の傀儡として作られた教団であり、地下鉄サリン事件は、これらの国家が目論んだ「間接的侵略」であった、とする陰謀論がまことしやかに流布されている。しかしながら、オウム真理教の思想や世界観を鑑みれば、同教団がロシアや北朝鮮の傀儡として行動するということはまったく考えられず、また、こうした憶測の裏づけとなる証拠は何一つ存在していない。

大田俊寛. “「ひかりの輪」の宗教的活動に関する私見”. ひかりの輪. 2014-11-17. https://goo.gl/yyhFU2, (参照 2020-08-21).

オウム真理教事件がロシアや北朝鮮の傀儡とは無関係だと強弁する姿勢は、およそ客観的とはいえない。彼の専門外の事柄だからである。そして、北朝鮮のスパイがオウム真理教事件に関わっていたことが発覚した今、この強弁には疑わしさが漂う。

2020年3月12日付「日本経済新聞」電子版のニュース記事は、観察処分の取り消しを求めた「ひかりの輪」の敗訴が最高裁で確定したと報じている。

オウム真理教の後継団体「アレフ」から分派した「ひかりの輪」が、団体規制法に基づく観察処分の取り消しを求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(林景一裁判長)は12日までに、ひかりの輪の上告を退ける決定をした。10日付。観察処分を取り消した一審判決を取り消し、請求を棄却した二審・東京高裁判決が確定した。(略)二審判決は「ひかりの輪はオウム真理教の修行体系の最も基礎的、本質的な部分を継承している」などと指摘。15年の処分更新の時点でも、松本智津夫元死刑囚(麻原彰晃、執行時63)がひかりの輪の活動に影響力を有していたとし、更新は適法だったと結論づけた。

“観察処分巡り「ひかりの輪」の敗訴確定 最高裁”. 「日本経済新聞」電子版. 2020-03-12. https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56694320S0A310C2CE0000/, (参照 2020-08-19).

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2020年8月17日 (月)

コットンの花とマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』

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盆過ぎとは思えない暑さですね。洗濯物がまるでトーストしたみたいに、パリッと乾くのは気持ちがいいですけれど……。

写真は、夫が大事に育てているコットンの花です。以前にもコットンの花の記事を書いた気がして探すと、ありました。2006年の記事です。

2006年8月18日 (金)
昨日の夕飯はカフェで&コットンと『風と共に去りぬ』
https://elder.tea-nifty.com/blog/2006/08/post_5.html

コットンといえば、映画『風と共に去りぬ』の中で、南北戦争後の荒廃したタラの大地を耕して作った綿花畑の中で、きつい監督者のまなざしをしたスカーレットが妹たちを叱咤しながら、手籠に綿を次々に摘み取っていく場面が思い出されます。

今年もコットンの花を見ながら、わたしは同じ場面を思い出しました。前掲記事のコットンの花の写真は小さすぎて、よく見えないのが残念です。記事には『風と共に去りぬ』について他にも色々と書いていますが、このところずっと、当ブログ内での人気記事ランキング 1 位に輝いているのは、『風と共に去りぬ』に関する別の記事です。

2017年9月 2日 (土)
『風と共に去りぬ』のアメリカにおける上映禁止について
https://elder.tea-nifty.com/blog/2017/09/post-f24f.html

以下のニュース記事は、今年の6月11日配信です。このニュースとの関連で、拙前掲記事を閲覧なさるかたがいらっしゃるということでしょうね。

事後法(遡及法)というものがあります。事件時は違法ではなかった行為を、後から違法として処罰することを定める法令をいいます。わが国は憲法でこの事後法を禁止しています。

事後法の禁止は近代刑法の原則とされているので、東京裁判は事後法で裁いた罪刑法定主義に反する野蛮な行為だった、戦勝国による敗戦国へのリンチだった――という意見はここから出てくるわけです。

韓国は平気で事後法を施行してくる、関わってはいけない危ない国です。

左翼なども平気で、事後法的に自分達の気に入らないことを裁きたがりますね。『風と共に去りぬ』の上演禁止は、わたしにはその一例に映ります。

当記事より先に、大田俊寛『現代オカルトの根源――霊性進化論』(筑摩書房、2013)の感想をアップするはずでしたが、もう少し時間がかかります。

能によく引用されている『和漢朗詠集』が角川から文庫で出ていたので、買いました。

和漢朗詠集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
三木 雅博 (翻訳)
出版社: 角川学芸出版 (2013/9/25)

この本は、裏表紙にある説明によると、「平安時代中期の才人、藤原公任によって編纂された漢詩句と和歌を融合させたユニークな詞華集」だそうです。

平安貴族の必読書であったばかりか、江戸時代の幕末に至るまで広く愛され続けた本だとか。この本については記事を改めて書くことになると思います。

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2020年8月 7日 (金)

国際的な医学雑誌「ランセット」からの引用が、1889年出版のブラヴァツキー著『神智学の鍵』に登場していた!

国際的な医学雑誌「ランセット」からの引用が、1889年出版のH・P・ブラヴァツキー著『神智学の鍵』に出てくる。

ブラヴァツキー夫人は1831年8月12日に生まれ、1891年5月8日に亡くなった。

わたしは「ランセット」について、以下の過去記事で触れている。

2020年2月 3日 (月)
朗報、新型肺炎はエイズ・インフル薬で治癒するらしい
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/02/post-50aa75.html

大紀元によると、中国当局の「武漢の海鮮市場が発生源」「死亡した2019-nCoV罹患者はすべて高齢者、疾患を患う人」という発表とは矛盾する内容が「ランセット」掲載の論文には書かれている。

レイチェル・ストーム(高橋巌&小杉英了訳)『ニューエイジの歴史と現在――地上の楽園を求めて』(角川書店、1993)がブラヴァツキー夫人をニューエイジの母と大々的にプロパガンダしておきながら、著者が夫人の代表作さえ読んでいないことは内容と参考文献(原著による文献リスト)から明らかだった。

ストームの著作に『シークレット・ドクトリン』と『ヴェールを脱いだイシス』は「その主要の部分は『高位の導師』、特にチベットに本拠を置く霊的存在であり、叡智の導師であるクート・フーミー大師とモリヤ大師から口述されたものだという」(ストーム,高橋&小杉訳,1993,p.21)と出鱈目が書かれていたので、大師方が「霊的存在」でなかったことを確認しようとして、わたしは『神智学の鍵』を開いたのだった。

すると、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)の「第14章 神智学のマハートマ達  マハートマ達は『光の霊達』か、または『悪魔達』か?」に、「ランセット」という雑誌名が出てきた(※太字N)。

マハートマ方は私達が生まれるように生まれ、また他のすべての人間のように死ぬ運命にある、生きている方々です。……(略)……私達が人の噂を否定すればするほど、人々を正そうとすればするほど、ばかばかしい話が考え出されるようになります。『創世記』のメトセラは969歳まで生きたと私は聞きましたが、それを信じず笑いましたので、私はすぐに多くの人達に不敬な異端者といわれました。……(略)……約190歳のメキシコ人のことを『ランセット』という医学誌で読んだことを覚えています。しかし、凡人であれアデプトであれ、メトセラの年齢の半分も生きた人間のことは聞いたことがありません。あるアデプトは私達の言う普通の年齢よりずっと長生きされますが、それには奇跡的なことは何もありません。長生きをしようと思うアデプトはほとんどおられません。(ブラヴァツキー,田中訳,1995,pp.276-277)

ブラヴァツキー夫人の代表作の一つ『神智学の鍵』を度々読み返していても、「ランセット」が何であるか知らなかったので、当時イギリスで読まれた医学雑誌なのだろうと漠然と思っていた。

改めて、『神智学の鍵』で「ランセット」が出てくる箇所を読んだわたしは、「ランセットといえば、新型コロナウィルス関連で目にした医学雑誌ではないか」と驚き、いや、そんな昔から「ランセット」があったのだろうかと疑問に思ってウィキペディア「ランセット」を見た。

『ランセット』(英語: The Lancet)は、週刊で刊行される査読制の医学雑誌である。同誌は世界で最もよく知られ、最も評価の高い世界五大医学雑誌の一つであり[1]、編集室をロンドンとニューヨーク市に持つ。……(略)……

歴史
『ランセット』は、1823年にイギリスの外科医トーマス・ウェイクリー(英語版)[注釈 1]によって創刊された。誌名をつけたのは彼で、手術用メスの一種であるランセット[注釈 2]、および、光を取り入れるを含意するランセット窓(英語版)にちなんだものである。

「ランセット」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年4月13日 13:06 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

The_lancet_first_issue

Cover of the first issue of The Lancet.
説明 ランセットの 創刊の表紙。
日付 1823
ソース 会社概要-ランセットグローバルヘルスネットワーク
著者 ランセット
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

何と、医学雑誌「ランセット」はブラヴァツキー夫人が生まれる前からあったのだ。

ブラヴァツキー夫人の引用には、それがどこからの引用なのか、きちんと書かれている。編集者や協力者たちの骨折りもあっただろう。現代日本で流行っているような「オマージュ」という名で剽窃を誤魔化すやり口などは、ブラヴァツキー夫人には縁遠いのである。

ブラヴァツキー夫人の代表作も読まずに、夫人のことを霊媒と呼びたがる人は多い。それがまるで知能が足りない人の代名詞であるかのように。ペテン師と呼ぶのも好きだ。誹謗中傷する人々は、ブラヴァツキー夫人の爪の垢を煎じて飲んでいただきたい。

夫人がどれほど厳密で、また努力家であったかが彼女の著作の端々に表れているというのに、そのことを知ろうともせずに夫人を貶めながら飯の種にする恥知らずな人々は夫人の存命中からいた。そんな人々がいなければ、夫人はもっと長生きして、未完の著作も完成できたかもしれない。

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2020年6月17日 (水)

YouTube動画『ぬけ出した木馬(前編)』公開。リルケのフランス語詩編『薔薇』のレビュー。

ぬけ出した木馬(前編)
https://youtu.be/RcPTg6hHRPk 

YouTube動画、5本目のアップです。今回朗読してくれたのは、標準語話者 のぞみ です。

この動画をアップした時点で、選べるサムネイル3枚が中途半端な印象の2枚の画面と、最終画面でした。

どうもしっくりこなかったので、自分でサムネイル画像をアップしようと思いました。カスタムサムネイルを設定するには、YouTubeアカウントの確認が必要です。

電話番号を入力して、確認コードを自動音声メッセージかSNSで受け取ります。わたしはまだガラケーを使っていますが、コードはちゃんと届きました。

アカウントの確認後は、次のことができるようになります。

  • 15 分を超える動画のアップロード
  • カスタム サムネイルの追加
  • ライブ配信
  • Content ID の申し立てに対する再審査請求

わたしはまだ、10分ぐらいの動画作成で精一杯。前後編にせずに、時間をかけて1本にまとめればいいのでしょうが、一旦区切ってアップしないと、今はまだ無理。というのも、Windowsフォトのビデオエディターで動画作成していると、カスタムオーディオの追加をするときに混乱状態になることがあるからです。

あとで楽曲や時間配分をいくつも変更したりすると、もう大変。まだ初心者で、動画作成法がよくわかっていないからかもしれませんが。

夫が前にダウンロードして動画作成した――確かその動画は、前に当ブログで紹介しました――という無料の「AviuTl」を、わたしもそのうちダウンロードしてみようかなと考えています。無料のダウンロードというと、警戒心が働きますが、これは大層、有名であるようです。

紹介サイトからではなく、直接、公式サイト「AviuTlのお部屋」にアクセスして、そこからダウンロードしようと思っています。

あれもこれも覚えることだらけで、消化しきれません。久しぶりにGimpを使ったら、これの使い方もほぼ忘れています。

フォントにはライセンスの問題が発生するものも多いので、いくつかフリーフォントを追加したところ、IPAフォント以外受け付けない……。Gimpの使いかたは勉強し直す必要があるので、操作が簡単な、一太郎に付属していた「花子フォトレタッチ3」を使って、急ぎのサムネイル画像を作成。

何だか、Kindle書籍の作成しているみたいな錯覚を覚えます。

毎日動画アップしている人たちって、凄いですね。わたしには到底、無理。

わたしは、とにかく予定している児童小説の動画をアップしてしまいたい。これらの作品の登場人物から「早く、動画にして!」と、せかされている気がするのですよ。

そのあと、萬子媛をモデルとした童話を執筆する予定。『萬媛』という絵本が既に上梓されていますが、わたしの童話は舞台も作風も――たぶん異なるものになります。

サイト「萬媛(まんひめ)-絵本の紹介」に、その絵本が紹介されています。

そして、ノートの充実を図りつつ年末までには新作能の第一稿に着手したい。

本当は、まだ小説化も諦めてはいません。

話題は変わって、当ブログのサイドバーでリルケの選集を紹介しています。この中の「薔薇」という詩編がすばらしいからです。中古品しかないようですが、Amazonに数点出ていました。レビューを書きました。

5つ星のうち5.0
締め括りに収められた『薔薇』が絶品!
2020年6月14日に日本でレビュー済み

リルケが白血病で亡くなった翌年の 1927 年、フランス語詩集『薔薇』(Les Roses )が上梓されています。

この本を締めくくるかのように、そこから訳出された詩編が収められているのは、何とも粋な計らいです。

24 編から成る詩編なのですが、これが絶品なのです。読んでいくと、24 編の全てが、薔薇を構成する一枚一枚の花弁さながらに香ります。本当に香ってくるかのような、めくるめく気分にさせられる、言葉の巧みな綴れ織りなのです。

開業医、小説家、詩人であったハンス・カロッサの小説に、リルケを医者として診察したときの描写や交際の様子を記した箇所があり、彼はリルケに潜む東方的な影響――ヨガの精神――について書いています。

『薔薇』には、カロッサのそうした記述を連想させるような、瞑想的な深みがあり、高貴な雰囲気が醸し出されています。

山崎栄治氏の訳がまた素晴らしく、日本語の秘める優美さが最高度に発揮された、秀逸な訳詩となっています。

小説、エッセイ、評論、詩といったリルケの業績がバランスよく配された選集だと思います。中古品しかないのは残念ですが、リルケファンであれば、手元に置いておきたい 1 冊です。

以下は、関連記事です。

58 神智学をさりげなく受容した知識人たち――カロッサ、ハッチ判事 ①ハンス・カロッサ(追記)
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/06/27/064748

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2020年5月 4日 (月)

第36回織田作之助青春賞 受賞作(丸井常春)『檻の中の城』を読んで。コロナ禍で人気の名作2編『ペスト』。

亀感想だが、自分のための覚え書きとして、簡単に感想をメモしておきたいと思う。

先に、第26回三田文学賞新人賞 受賞作(小森隆司)『手に手の者に幸あらん』を読んだ。

『手に手の者に幸あらん』は、純文学界でずっと流行が続いている作風で、南の国で行方不明になった熱帯植物研究会の副会長を務めている妻を探しに冒険の旅に出かけた男性を主人公とする冒険ファンタジー小説。

完全な空想小説でも、冒険小説でもない、曖昧な……ああ、またこの手の小説か、と思いたくなる作風だ。織田作之助青春賞とは異なり、応募者の年齢に幅のある三田文学新人賞。受賞者は応募時60歳とあり、年齢にふさわしい手練れの文章家である。

しかし、この作風ではその文章力がもったいない。純文学の書き手なら挑戦すべき内的探究をお預けにしたまま、ファンタジーに逃げているのが感じられるからだ。

純文学界に居座った集団マンネリズム。集団エゴイズムというべきかもしれない。それに忠実な作風で選考委員を安心させる者が仲間に加えられることが繰り返されてきた、純文学界の荒廃。仲間内で利益を分かち合うための巧妙な仕組み。

いつまでこれが続くのだろうか、許されるのだろうか? それに対する抵抗感よりも最近ではこの成り行きを見定めたい思いのほうが強くなった。

読者を内省の深みへと誘う小説と暇つぶしにしかならない小説とでは、月と鼈、生死を一つにする瞑想的読書と生死を分離させる単なる娯楽的読書との違いがある。

神秘主義者としていわせて貰えるなら、前者は後者に比べて、死後に味わえる世界が桁違いに違ってくるのだ、といいたい。なぜなら死後の世界とは、ある意味で、内的世界そのものだからである。

冒険小説といえば、イギリスの作家ダニエル・デュフォー(Daniel Defoe,1660 - 1731)の『ロビンソン・クールソー』には、子供のころ、夢中になった。

何回読み返したか、わからないほど。手に汗握るスリリングな場面は勿論好きだったが、子供のわたしに印象的だったのは、主人公が海亀の卵を料理して食べる場面だった。とてつもなく美味しそうで、食いしん坊のわたしはその場面を涎を垂らさんばかりにして読んだ。

横道に逸れるが、そのダニエル・デュフォーに『ペスト』という作品があるとは知らなかった。

清教徒革命を経て王政復古後のロンドンで1665年に流行し(en:Great Plague of London)、およそ7万人が亡くなった。1666年に大火(ロンドン大火)が起こり全市が焦土と化したことでノミやネズミがいなくなり流行は終息した。(後にダニエル・デフォーは『疫病の年』(A Journal of the Plague Year、1722年刊)という小説で当時の状況を克明に描いた)。
「ペスト」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年4月30日 10:51 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

ペストがロンドンで流行った年、デュフォーは5歳だから、丹念な取材と調査を基に書かれたのだろう。この小説がコロナ禍のわが国で人気だそうで、大層面白いらしい。

ペスト (中公文庫)
ダニエル デフォー (著), Daniel Defoe (原著), 平井 正穂 (翻訳)
出版社: 中央公論新社; 改版 (2009/7/25)

Kindle版の無料サンプルをダウンロードして読むと、畳みかけるような事実の報告と感じさせられる筆致に迫力があり、確かに面白そうだ。文庫本でも出ており、読みたい。

同じタイトルの小説に、フランスのノーベル文学賞作家アルベール・カミュ(Albert Camus,1913 - 1960)の『ペスト』がある。これを大学時代に読んだわたしがコロナ禍で思い出したのは、こちらの『ペスト』である。ペストのためにロックダウンされたオランの町が描かれている。

ペスト (新潮文庫)
カミュ (著), 宮崎 嶺雄 (翻訳)
出版社: 新潮社; 改版 (1969/10/30)

今回のコロナ禍でわたしが何よりも驚いたのは、日本人がかくも外向的な国民になってしまっているということだった。この国の人々は、以前はもっと内省的なところがあったのではなかったか。楽しみも喜びも、外部に求めることしか知らない、外部依存症ともいうべき状態に陥っているのではないか。

引きこもりはその裏返しともいえよう。

前述したように、読書習慣があったとしても、娯楽的読書に慣らされた人々にとっての読書体験は内的自己と深く関わることのないま終わってしまうため、外部依存症が強まるにすぎないのだ。

詰まるところ、この国の多くの人々が、自己の内面を見つめる習慣を終ぞ持たないまま死んでいくのだろう。

もしそうだとしたら、それは文学の責任といえる。衰えた宗教哲学のせいともいえよう。神秘主義者であり、世に知られることのない物書きの一人として、痴呆的になったこの国の前途をわたしは今、深く憂慮する。

カミュの『ペスト』は象徴性を宿したリアリズム小説といわれるが、デュフォーの『ペスト』と比較すると観念的といえる。だが、カミュの人間社会を見つめる目は鋭く、そこにカミュのリアリストとしての側面が感じられる。

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アルベール・カミュ(1957),出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

戦後、欧米の影響を強く受けた日本国民の姿は、カミュの描いたオラン市の人々に似ている。小説は次のように始まる。

ある町を知るのに手頃な一つの方法は、人々がそこでいかに働き、いかに愛し、いかに死ぬかを調べることである。われわれのこの小さな町では、風土の作用か、それがすべていっしょくたに、みんな同一の熱狂的でしかもうつろな調子で行われる。という意味は、人々はたいくつしており、そして習慣を身につけることにこれ努めているのである。(略)たしかに、人々が朝から晩まで働き、さてそれから、生きるために残された時間を、みずから選んでカルタに、カフェに、またおしゃべりに空費する光景ほど、こんにち、自然なものはない。しかし、人々がときおりはまた別なものの存在をそれとなく感じてもいるような、町や国もある。一般には、それが彼らの生活を変えはしない。ただ、それにしても感じることは感じたのであり、つねにそれだけの収穫にはなっている。オランはこれに反して、明らかにそんな感知など存在しない町、換言すればまったく近代的な町である。したがって、この町で人々が愛し合う、その愛し方を明確に描くことはかならずしも必要でない。男たちと女たちは、愛欲の営みと称せられるもののなかで急速に食い尽くし合うか、さもなければ二人同士のながい習慣のなかにはまりこむかである。(カミュ,宮崎訳,1969,pp.6-7)

長い脱線になった。

第36回織田作之助青春賞 受賞作(丸井常春)『檻の中の城』では、熊本地震がモチーフとなっている。

熊本地震(くまもとじしん)は、2016年(平成28年)4月14日(木)21時26分以降に熊本県と大分県で相次いで発生した地震。
気象庁震度階級では最も大きい震度7を観測する地震が4月14日夜(前記時刻)および4月16日未明に発生したほか、最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生している。日本国内の震度7の観測事例としては、4例目(九州地方では初)および5例目に当たり、一連の地震活動において、現在の気象庁震度階級が制定されてから初めて震度7が2回観測された。また、熊本県益城町で観測された揺れの大きさは計測震度6.7で、東北地方太平洋沖地震の時に宮城県栗原市で観測された揺れ(計測震度6.6)を上回り、国内観測史上最大となった。また、一連の地震回数(M3.5以上)は内陸型地震では1995年以降で最多となっている。

「熊本地震 (2016年)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年4月16日 11:35 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

このとき、隣県に暮らすわたしのところも長期間揺れた。娘とわたしは寝室に寝るのが怖くて、すぐに逃げ出せるように玄関前の廊下に寝具を持ち込み、そこで2週間ほどだったか、寝ていた。

その後、熊本市に住む友達と会ったとき、マンションに入った亀裂の話を聞き、熊本城の写真を見せて貰った。熊本城の被災に対する彼女のショックは伝わってきたが、痛ましいお城の写真を目にしても、どこか他人事としてしか受け止められないことがもどかしかった。

『檻の中の城』にも被災した熊本城が登場する。

かつて緻密に並んでいたはずの石は崩れ落ち、意味を持たない塊[かたまり]となって散乱している。構造物という概念は失われ、まるで柄のないジグソーパズルのようだった。月明かりが瓦に鈍く反射して露呈した土塊[つちくれ]が輝く。そんな光景を包みこむように、春夜[しゅんや]の風が吹き抜ける。(三田文學2020年冬季号 №140,第36回織田作之助青春賞,196頁)

友人の見せてくれた写真よりも、この描写のほうが崩れた熊本城の雰囲気を伝えてくれる。冷たい石や土塊に触れ、それらの匂いを嗅いだような錯覚を覚えた。

作者はこのようなしっかりした文章が書けるのに、しばしば、稚拙な文章になる。冒頭でもそうで、読むのを止めようかと思ったほどだった。

ばあちゃんが、マンションの駐車場に集まる鳩に、パンくずをやっていた。その姿を見てホッとした。とても久しぶりの光景だったから。(三田文學2020年冬季号 №140,第36回織田作之助青春賞,193頁)

語り手の「タカ君」は小学生かと思っていたら、男子高校生なのである。そして、タカの祖母は「直角に曲がった腰」をし、「歯のない口」をしている。

老婆はこんなものだろうという既成の見方で設定された登場人物にしか思えないのは、熊本城に対するような独自の見方が欠落しているからだろう。

話もわかりづらく、短い小説ではそれは致命的である。

離婚している両親。タカは商社マンの父と暮らしていたが、小学二年生のときに父がアフリカのどこかに転勤になった。父は熊本の実家に息子を預け、ホームヘルパーを送り込んできた。

タカはヘルパーに対して、「祖父母に育てられた僕にとっては、キヨさんがお母さんみたいなもの」との思いを抱いているらしく、ガタイのよいキヨさんに違和感を抱くこともなかった。

しかし、キヨさんは実は男性であり、よくありがちなジェンダーの悩みを抱えてもいる。熊本城に過度に執着する祖母は、認知症の初期が疑われる状態にある。

熊本地震(熊本城)、ジェンダー問題、認知症といった今日的な材料を使って、作者がよくできた短編小説を書こうと頑張っているのが見てとれるわ、文章はしばしば稚拙になるわ、となると、うんざりしてしまう。

それでも読むのを止めなかったのは、4頁目に出てくる熊本城の描写に惹かれたからだろう。

そして、我慢して読んでいると、なぜタカが祖母ではなく男性であるキヨさんを母のように慕うのか、説得力があると思える場面に出くわした。

キヨさんは、濃やかな心配りをする人物として描かれている。それは気分的なものではなく、多分にプロフェッショナルな意識から来ている。タカの心情を汲み取る術に長けるキヨさんは、祖母のことでも優れた処理能力を発揮して彼の心配を和らげてみせる。

ヘルパーの中で一番優秀な人物を寄越させたのは、父だった。つまり、タカにとって冷淡に見えていた父がそうではないことがわかるようなストーリー展開となっている。

祖母は認知症の初期という要素があったとしても、あまりに地味で生彩を欠いている。それが祖母を差し置いて、キヨさんを母代わりとして立てるための作者の工夫なのか、単に描写力がないだけなのか、わたしにはわからない。

失恋したキヨさん、認知症の疑われる祖母、祖母の病気が気が気でないタカ。

それぞれに傷ついている三人は、熊本城が修復される様子をベランダから眺める。熊本城はこれまでに何度も壊れてきたのだが、その度に長い年月をかけて直してきたのだと祖母は二人に話して聞かせる。読者に希望を印象づける終わり方となっている。

モチーフにもテーマにも目新しいものは何もないのだが、作者が純文学界の集団マンネリズムに感染していないことが感じられた。それだけでも貴重であり、文体やストーリーの不安定さ、危うさが、逆に成長への期待を抱かせもする。

コロナ禍にあって、ほのかな希望の灯をともしてくれた作者に、文学愛好者の一人として感謝したい。

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2020年4月12日 (日)

ツイッターで、一神智学徒の案内をツイートしました(12日夜に追記あり)

ツイッターでブラヴァツキー夫人と神智学のことを宣伝したいと思い、ツイートしました。

当ブログではツイートが大きくなったり小さくなったりしていますが、貼り付け具合の関係でそうなってしまいます。

コロナ禍に見舞われたこのとき、神智学徒であってよかったとしみじみ思いました。第二次大戦後にはずいぶん歪められて流布するに至った神智学ですが、真の神智学を多くの方々に知っていただきたいと思います。

無力な一神智学徒としては、ブログやツイッターで発信することくらいしか思いつきません。ツイッターは字数が限られており、効果的な発信のコツもわたしにはまだ掴めていません。

神智学の話題に限定したツイッターを別に作るべきかとも思いましたが、神智学の話題は世間ではどちらかというとマイナーな部類に入るので、誰も見てくれないかもしれませんし、別のツイートを閲覧した人がついでに見て興味を持ってくださるかもしれないというほのかな期待をもって、他の話題とごちゃまぜなツイッターのままにしています。

昨夜一旦、この一連の案内をツイートしましたが、訂正のためにツイートし直しました。せっかくお一人「いいね」してくださったのに、申し訳ありませんでした。

案内の①を書くに当たっては、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、1995)の文章を参考にさせていただきました。

『実践的オカルティズム』は現在、Kindle版で出ています。本は中古が出ています。『実践的オカルティズム』には秘教部門の教えが入っていて、格別に高潔な雰囲気の漂う、とても魅力的な一冊です。

実践的オカルティズム
H・P・ブラヴァツキー (著), 田中 恵美子 (翻訳), ジェフ・クラーク (翻訳)
形式: Kindle版
出版社: UTYU PUBLISHING (2019/7/23)
ASIN: B07VL7WQTW

追記:

拙ツイッターにツイート「※」を追加しました。ツイート①~⑤及び「※」は、紐付けてプロフィールに固定しています。

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2020年1月13日 (月)

ブラヴァツキー夫人の『実践的オカルティズム』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)がKindle版で出ています。ブラヴァツキー文集第12巻を購入。

過日、絶賛したブラヴァツキー文集の第12巻、『H. P. Blavatsky Collected Writings 1889-1890 Volume XII』(Quest Books、1980)が日本版Amazonストアに出ていたので、購入しました。

配達予定日を過ぎても本が到着しないので、問い合わせたいと思ったところ、問い合わせは出品者にとAmazonからのメールにありました。そのブックデポジトリーに連絡しようと調べたら、日本の業者ではなく、英国を本拠とするオンライン書籍販売業者でした。

記載された配達予定日から、てっきり国内だと思ったのです。

英国からであれば、かなり日数がかかるだろうと思っていたら、数日後には届きました。送料がかからないので船便かと思っていたのですが、航空便でした。

英語版ウィキペディアに、Book Depository は元アマゾンの従業員によって設立され、2011年にAmazonに買収されたとあります。60ヶ国以上の国へ送料無料で送っているとか。

『H. P. Blavatsky Collected Writings』に収められている沢山の論文は、ブラヴァツキー夫人の親戚であったボリス・デ・ジルコフ(ボリス・ミハイロヴィッチ・デ・ジルコフ Boris Mihailovich de Zirkoff,1902–1981)が収集したものだそうです。

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付箋を貼ったのは、以下の記事で引用した心臓について書かれた箇所。

101 香港問題と中共の闇の深さ、そしてブラヴァツキー夫人の心臓に関する注目すべき美しい文章
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/12/23/183230

この部分を読むと、わたしが時々見るものには立派な根拠があるのだとわかって嬉しくなり、また神聖な気持ちになります。

辞書だけを頼りに自力で完読するのはわたしには到底無理なので、前の記事で書いたGoogleとマイクロソフトの翻訳機能は助かります。だって、第12巻だけでこの厚さですよ。いやー、翻訳なさる方々は凄い!

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ブラヴァツキー文集は、サイト「Blavatsky Study Center」(URL: http://blavatskyarchives.com)でオンライン公開されているため、わたしのような英語音痴にも翻訳機能を使ってある程度は読むことができるのです。

「Blavatsky Study Center」には、ダニエル・コールドウェル(Daniel Caldwell)という人が長年に渡って収集した神智学の様々な資料が集められており、その全部ではありませんが、一般公開もされているのです。わたしにはここがまさに宝庫に見えます。

『H. P. Blavatsky Collected Writings』第1巻から第15巻までの著作権・複製権は、Theosophical Publishing House にあると前書きに書かれています。

ざっと見たところ、最も惹かれた第12巻を「Blavatsky Study Center」で読んでいたというわけですが、図版が鮮明でなかったり、全体の把握が難しかったりするので、購入することにしたのでした。ネットは便利ですが、やはり本を読む具合にはいきませんね。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995)には、『H. P. Blavatsky Collected Writings』の複数巻に含まれるものがあり、その中の「第三部 『秘教部門の教え』より」には第12巻に含まれるものもあるため、その部分に関しては『実践的オカルティズム』の優れた邦訳で読むことができます。

昨年の7月23日に、その『実践的オカルティズム』がKindle版で出ています。

実践的オカルティズム( Kindle版)
H・P・ブラヴァツキー (著), 田中 恵美子 (翻訳), ジェフ・クラーク (翻訳)
出版社: UTYU PUBLISHING (2019/7/23)
ASIN: B07VL7WQTW

深遠な内容なので、興味本位ではない、純粋に秘教科学に惹かれる人におすすめです。

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2020年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます

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Shutterbug75によるPixabayからの画像

あけましておめでとうございます

新しい年が素晴らしい年でありますよう
心からお祈り申し上げます

 令和二年 元旦

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

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本日、当市の日の出は7時17分となっていました。当マンションの例の特等席(非常階段の踊り場)で日の出を待っていると、夫が出てきて、一緒に待ちました。ここから日の出が見えたのは7時半ぐらい。

雲がありましたが、太陽の姿は完全に見えました。

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外へ出て、歩道の特等席から太陽の姿が見えたのは、それから10分くらい経過してからでした。

昼間は晴れ渡っていました。

現在、17時56分。空はまだほの明るく、下のほうからオレンジ色、コーヒー色、紫色が重なっています。

息子が帰省しなかったのが残念でしたが、そのぶん時間ができるかと思い、一昨日くらいから使い勝手のよい布巾の記事を書こうとしつつ、時間がつくれず、年内に書けませんでした。

変色してしまった陶器など、不要となった食器の断捨離をしました。これに結構時間をとられました。ついでにというわけではありませんが、屠蘇器セットを新調しました。

38年間、もう一つ好みでないなあと思いながら使い続けてきた屠蘇器でした。でも、気にいった屠蘇器で新年を迎えることは気分的にも大事だと思い、家族で見に行きました。

モダンな盃台に目を奪われました。有田焼の屠蘇器セットなども出ていて、昔とは違うなあと思いました。高いものではありませんが、皆が気に入ったシンプルなものを購入しました。

大晦日に何を作るか迷いながらネット検索していると、ミートローフが出てきました。ミートローフは作ったことがありませんでした。客用にいきなり作るにはわたしには冒険すぎました。かといって普段作るには肉量が多すぎるレシピばかり……というわけでスルーしていたのです。

ところが、栗原はるみさんのレシピに少人数用のレシピ(合い挽き肉300g)があったので、即座に作ることに決めました。ハンバーグとはどう違うのでしょう?

栗原はるみさんの「ジューシーミートローフ」のレシピへのリンクは、以下のツイートにあります。

レンジドミグラスソースの材料を見て、面倒臭そうだなと思いました。実際に作ってみると、むしろハンバーグより手間がかからない気がします。電子レンジにお任せすればいいので。

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約9×14cm、深さ約8cmの耐熱容器はうちになく、それより長細くて浅いフッ素加工のパウンド型しかありません。これで決行。よい仕上がりでしたよ。夫がポリテクに行ったときに作った鍋敷きにのせました。

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冷めてからまな板に移して綺麗に切り分けるのを待ちきれず、パウンド型の中で切って、端っこを味見。カリッとしていて、みじん切りにしたベーコンの旨みが出ていて、ハンバーグとはひと味違った美味しさ。この味見のときが一番美味しいんですよね。

冷めてからも美味しかったのですが、味見のときの美味しさは格別でした。肉汁を耐熱容器に移したあとの写真です。肉汁が相当に出ます。

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フランスパンは娘にお任せ。ネット検索して美味しいトーストの仕方を閲覧していました。

濡らしたペーパータオルで3㎝ぐらいに切ったフランスパンを包み、長めにトースターで焼くと中がふわっと焼けるとか。片方にバター、片方にオリーブオイルと塩。

わたしは時間が経ってから、もう冷えて固くなっているだろうなと思いながらいただいてみると、中はまだふわっとしていて感激しました。オリーブオイルを塗り、塩を振ったフランスパンはとても美味しかった!

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息子が帰省すれば、蕎麦アレルギーなので、うどんかにゅう麺にするつもりでした。三人だったので、お手軽に全部セットされたものを。結構美味しいセットものでした。面白くなくなっていくばかりの紅白歌合戦を見ながら、年越し蕎麦をいただきました。

何だかここ数年、毎年のように暮れに本を贈っていただきます。

新人物往来社の専属作家でいらした歴史作家の中津攸子さんから、大晦日に御著書が届いて感激しました。「万葉が語る」と帯にありますので、令和初の新年に読むのにぴったりですね。楽しみです。Amazonにも出ているので、リンクしておきます。読了後に感想を書きたいと思います。

万葉の語る天平の動乱と仲麻呂の恋
中津 攸子 (著)
出版社: コールサック社 (2019/12/27)
言語: 日本語
ISBN-10: 4864354197
ISBN-13: 978-4864354196

ところで、暮れに書きかけていたのは「白雪ふきん」のことです。これほど持ちのよい、漂白剤にも耐えて長く使える布巾は初めてでしたから、書いておきたくなりました。布巾にしてはいくらか高めですが、元がとれるだけでなく、お釣りが来ますね。

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わたしは台布巾として使っています。予備が2枚はないと不安なので、このように2枚あります。それがね、いつまでもこの2枚があるのですよ。

白雪 友禅ふきん 白雪姫 ポムブルー
垣谷繊維
柄:白雪姫/ポムブルー
サイズ(約):30×40cm
ASIN: B006PWTFU8

これは、今わたしが使っている白雪ふきんです。現時点で、「暮らし工房」の販売、発送で ¥418 + 無料配送 となっています。値段は変わることがあるので、ご注意。わたしがお店で購入した前掲の2枚は ¥380 + 税 と表示されています。

色落ち防止加工が施してあり、台所漂白剤使用可能(塩素系、酸素系共に使用可能)とあります。

1年ほど前に書いた、万能マイクロファイバークロスは「made in china」ですが、これも使えます。うちの布巾掛けには4本の手があります。そのうちの1本が白雪ふきん、1本がタオル、もう2本が万能マイクロファイバークロス用です。万能マイクロファイバークロスは大きな器・調理器具用です。

2018年12月 3日 (月)
掃除が楽しくなる、万能マイクロファイバークロス
https://elder.tea-nifty.com/blog/2018/12/post-246f.html

薄くて小さめなので、大きな器や調理器具だと1枚では足りません。食器乾燥機を使うので、2枚あると、足りるのです。使い捨てにするつもりで購入したものですが、めったに使い捨てないので、夫も熱帯魚関係の掃除に使っているのに、まだ半分近くあります。

最初のころは布巾掛けのもう1本には、その時々でいいと思って購入した大きな器・調理器具用の大きめの布巾がかかっていたのです。万能マイクロファイバークロスは補助用でした。ところがいつのまにか2枚とも万能マイクロファイバークロスになっていました。

「現在2,380円で出ていますが、タイムセールで購入して2,280円」とブログ記事に書いていますね。現時点では「¥2,680 通常配送無料 」。

うーん高くなっていますね。よく似た日本製の使い捨てクロスも出ているので、次回の購入時には迷いそう。

何にしても、わたしは清潔な布巾や雑巾が沢山あると、それだけで幸せな気分に浸れるお得な人間です、はい。

中断しながら夕方から記事を書き続けて、時計を見れば、もう午後8時過ぎ!

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2019年10月15日 (火)

軌道修正したらしいノーベル文学賞。2018年オルガ・トカルテュク(ポーランド)、2019年ペーター・ハントケ(オーストリア)。

2016年、ノーベル文学賞はシンガーソングライターのボブ・ディラン(アメリカ合衆国)が受賞した。翌2017年もノーベル文学賞は迷走を続けて、純粋な芸術性を目的として創作される純文学の作家ではなく、一般大衆を対象とした娯楽的要素の強い大衆文学の作家として人気の高いカズオ・イシグロ(イギリス)が受賞した。

何しろ、従来とは異なるジャンルへの授与が2年続いたのだから、個々の作品に対する評価は別として、これまでのノーベル文学賞とはいえなかった。

そして、昨年2018年はノーベル文学賞の選考機関スウェーデン・アカデミーに問題が起き、選考・発表が見送られた。もうノーベル文学賞は終わった……とわたしは思い、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で以下のエッセーを公開した。

64 2016年に実質的終焉を告げたノーベル文学賞
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/10/16/191359

75 ノーベル文学賞の変節、及び古代アレクサンドリアにおけるミューズ
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/10/08/150033

だから、今年のノーベル文学賞の発表のことはすっかり忘れていて、ツイッターでそのニュースが流れてきたとき、もうその時期なのかとびっくりした。

2018年 オルガ・トカルテュク(ポーランド)
2019年 ペーター・ハントケ(オーストリア)

以上のような結果だった。

ペーター・ハントケという名には記憶があった。

ペーター・ハントケ(Peter Handke, 1942年12月6日 - )はオーストリア出身の現代作家。小説、戯曲、詩から放送劇、フランス文学の翻訳まで幅広く活動。現在フランスのシャヴィーユ在住。(……)
孤児が言葉を知ることによって社会にとらわれていく様を幾つもの断章を用いて描いた戯曲『カスパー』(1967年)や、殺人者が次第に言葉や社会とのつながりを失っていく小説『ペナルティキックを受けるゴールキーパーの不安』(1970年)など、当初は社会に溶け込めない個人を主題とした実験的なものが多かったが、70年代から80年代から次第に肯定的、総合的な作風へ移行して行き、前年の母親の自殺を扱った『幸せではないが、もういい』(1972年)や、『ゆるやかな帰郷』(1979年)、母方の祖父の故郷スロヴェニアを旅する『反復』(1986年)といった自伝的な作品も手がけるようになった。またヴィム・ヴェンダースと組んでの映画製作が知られており、自作が原作の『ゴールキーパーの不安』(映画は1971年)『まわり道』(同1974年)や『ベルリン・天使の詩』で脚本を書いている。
「ペーター・ハントケ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年10月10日 14:53 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

映画『ベルリン・天使の詩』で脚本を手がけた人物だという。わたしは観ていないが、映画雑誌「スクリーン」だったか、「ロードショー」だったかで採り上げられていたのを覚えている。

オルガ・トカルチュク(ポーランド語: Olga Nawoja Tokarczuk[ɔlga tɔˈkart͡ʂuk] , 1962年1月29日 - )はポーランドの小説家、エッセイスト。スレフフ出身。
ワルシャワ大学で心理学を専攻。1993年にデビュー。文学専門の出版社「ruta」を設立し、2003年以降は執筆に専念する。2008年にポーランド文学最高峰のニケ賞を受賞し、現代ポーランドを代表する作家として注目されるようになった。『逃亡派』で2018年ブッカー国際賞受賞。
「オルガ・トカルチュク」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年10月10日 14:48 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

オルガ・トカルチュクの作品も未読だった。行きつけの図書館にあったのは、オルガ・トカルチュクは次の2冊。

昼の家、夜の家 (エクス・リブリス)
オルガ トカルチュク (著), 小椋 彩 (翻訳)
出版社: 白水社 (2010/10/19)

逃亡派 (EXLIBRIS)
オルガ トカルチュク (著), 小椋 彩 (翻訳)
出版社: 白水社 (2014/2/25)

ペーター・ハントケは次の4冊。

左ききの女 (新しいドイツの文学シリーズ)
ペーター ハントケ (著), 池田 香代子 (翻訳)
出版社: 同学社 (1989/11/1)

反復
ペーター・ハントケ (著), 阿部 卓也 (翻訳)
出版社: 同学社 (1995/1/1)

空爆下のユーゴスラビアで―涙の下から問いかける (『新しいドイツの文学』シリーズ)
ペーター ハントケ (著), Peter Handke (原著), 元吉 瑞枝 (翻訳)
出版社: 同学社 (2001/07)

ドン・フアン(本人が語る)
ペーター ハントケ (著), 阿部 卓也 (翻訳), 宗宮 朋子 (翻訳)
出版社: 三修社 (2011/10/21)

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オルガ・トカルチュクの『昼の家、夜の家』について、訳者あとがきには「本書を構成する111の挿話は、主人公の日常生活、日記、伝説、聖人伝、料理のレシピ、隣人のうわさ話など、それぞれが独立したものでありながら、互いがゆるやかに連関している」(小椋彩、P.378)と解説されている。

独立したものを、なぜバラバラの断章にしてパラレルな形式にするのかわからない。連載物を掲載した雑誌を発行された順に綴じたような、不親切な体裁なのだ。

例えば、パトハリス修道士の物語はまとまって読むほうがわかりやすいだろうに、キノコのレシピや日記などの間に挟まれている。

わたしには必然性が感じられず、全体としてまとまりのない、統一されない内容のものを、統一感のある、意味のある集積に見せかけるためのまやかしの手法に思えた。

出典も、わざとわからなくしているのだとしか思えない。これも、作者がコレクションした文章の寄せ集めをオリジナル性の高いものに見せかけるための誤魔化しではないだろうか。

引用箇所や参考文献がどことわかるように明記してあれば、作者の改変や潤色がどの程度加わっているのか、いないのか、その引用や参考の仕方が適切なのかどうかを調べることができるのだが、それができず、わが国で流行っているパクリと見分けのつかない、フランス語で誤魔化した「オマージュ」という怪しい手法を連想して、わたしは苛立ってしまう。

というのも、「家」をモチーフとしたカリール・ジブラーンの詩の一部は、トカルチュクの小説の扉に置かれているときとジブラーンの詩の中に置かれているときとでは、別物としか思えないからだ。異なる観点から「家」というモチーフが使われ、「家」は異なる意味合いを持っているということである。

また、例えば、『逃亡派』に出てくる「ショパンの心臓」の話は実話だが、作者の解剖学趣味とショパンの心臓の話は全く意味合いの異なるもので、この作品の中に目玉商品のように置かれるのは、わたしの感覚からすれば、ショパンに対する冒涜でしかない。

作品から見る限り、トカルチュクは自然科学的というよりは即物的で、決して宗教的でも、神秘主義的でもない。ご都合主義な、ごたまぜのスピリチュアル風俗に生きる人なのだ。

わたしがトカルチュクの作品に神経質になってしまうのは、ジェイムズ・ジョイスの恣意的な手法を連想してしまうからで、その手法に対する不審感を拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で書いた。

96 ジェイムズ・ジョイス (1)『ユリシーズ』に描かれた、ブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/02/004130

97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点 
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/18/200850

オルガ・トカルチュクの作品を読み込んでいる時間的ゆとりがないので、ジョイスの手法に似て見えるという点だけ、指摘しておきたい。

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ぺーター・ハントケの作品は、池田香代子訳で、『左ききの女』(同学社、1989)を読んだところだ。読み始めると先が気になって、一気読みした。

絶対音感という音楽用語があるけれど、これは絶対情感の世界とでもいうべきか、よくも悪くも夾雑物が一切ないクリアな世界である。邦訳文はそれを的確に感じとらせてくれ、読みやすい。

孤独がテーマなのだろう。

※以下、ネタバレあり。これからハントケの小説をお読みになるかたは、ここまでになさってくださいますように。

女主人公マリアンネには子供が一人いて、彼女は夫ブルーノに別居したい旨を告げる。

小説だが、映像的で、ほぼ会話と描写から成立しており、ハントケが脚本家でもあるという肩書きはなるほどと思わせられる。

女主人公の孤独だけでなく、登場人物全員の孤独が捉えられている。客観的視点を持ちながら、作者は自身を登場人物全員に重ねている。

別居した夫が、腹立ちまぎれにマリアンネにいう。

君はどんどん年をとっていく。たいしたことじゃないわ、とかなんとかいいながら。そしてある日首を吊るんだ。墓に入っても、君の生きざまにお似合いの下品な臭いをぷんぷんさせる。その日まで、君はどうやって過ごすんだ? おおかた、ぼけっと坐りこんで爪でも噛んでるのが落ちだ。そうだろ?(ハントケ,池田訳,1989,pp.82-83)

ハントケの母親は1971年に自殺しており、このことを扱ったという『幸せではないが、もういい』が出たのは、翌1972年のことだった。『左ききの女』が出たのは1976年である。

女性の孤独を濃密に扱ったこの作品にも、母親のことが投影されているのではないだろうか。図書館にペーター・ハントケ(元吉瑞枝訳)『幸せではないが、もういい』(同学社、2002)がなくて残念だ。

作者の視点は小説に登場する子供の視点と重なりながらマリアンネを観察し分析し、彼女の輪郭を顕微鏡にかけるかのように外側から克明に描写する。

マリアンネがおかしくなりそうなクライマックスで、彼女の父親が登場し、よい味を出す。父親は往年の流行作家で、今は雑文書きとなっている。この父親に娘のマリアンネは似ており、彼は娘の指標となりうる人物なのだ。

父親の登場で、マリアンネは救われたといっていいだろう。

作者ハントケは無力な子供シュテファンとしてマリアンネを見つめる一方では、滋味に溢れた物書きの父親となって、マリアンネを見つめる。

息詰まるようなストーリー展開であるにも拘わらず、途中で読むのが嫌にならないのは、作者の真摯さ、誠実さ、人間的な温かさが読者にも伝わってくるからだろう。

マリアンネが父親に再会して再生のきっかけを掴むように、読者も作者から言葉にできない何か確かなものを受けとる。

それは孤独を課題として引き受けて身じろぎもしない、作者の誠実な創作姿勢及び不撓不屈の精神性であるかもしれない。

父親と別れたマリアンネは、息子と山登りをする。風景描写が美しい。

下の方では煤に点々と汚れていた積雪もこのあたりでは純白だった。犬の足跡に代わって鹿の足跡があった。
 二人は下生えをかきわけて登って行った。いたるところ鳥の声に満ちていた。雪解け水が小さな流れを作って音たてていた。樫の幹からか細い枝が生え、干涸らびた葉が数枚そよいでいた。白樺の幹には白い樹皮が縞模様をなして垂れ下がり、震えていた。
 二人は木立が疎らになったところを行き過ぎた。空き地の縁には鹿が群れていた。それほど深くもない雪からは枯れ草の先がのぞき、草になびいていた。(ハントケ,池田訳,1989,pp.119-120)  

頂上で、焼いたじゃがいもを食べ、魔法瓶の熱いコーヒーを飲みながら母子は思い出を語り、ふとマリアンネはイエス・キリストの十字架への道行きのいろんな留[りゅう]のシーンを描いた絵の話をする。その話が印象的だ。

『イエス、十字架より下ろさる』はほとんど真っ黒で、その次の最後の留、イエスがお墓に葬られるシーンはまた真っ白なの。そこからがおかしな話なんだけど、お母さんはゆっくりと絵の前を歩いていたのね。その最後の真っ白の絵の前に立ったとき、突然、白い絵と重なってほとんど真っ黒のさっきの絵が、数秒間残像になって見えた。それから真っ白な絵が見えた。(ハントケ,池田訳,1989,pp.123)

このような、宗教に属するモチーフは、作品の中でふいに顔を出す。

宗教がマリアンネにとってかけがえのないものであり、彼女の意識が純粋に向かう対象であって、日々の営みの通奏低音となっていることがわかる。読者にその感覚の共有を強いるようなものではない。ハントケは読者を信頼して、彼の大切なものを女主人公に分かち与えたのだ。

その後、父親を除く大人の登場人物がマリアンネに誘われて集合し、ホームパーティーとなる。夫ブルーノ、マリアンネの友達で教師をしているフランツィスカ、マリアンネがブルーノのセーターを買ったブティックの女性店員、マリアンネを翻訳者として雇っている社長とその運転手、マリアンネに言い寄る俳優――といった人々である。

各人が自分の孤独を身の内に宿したまま大団円を迎え、パーティーは御開きとなる。

これは未だ初期の作品で、後半部は幾分緊張感が緩み、結末を急ぎすぎた感もあるが、純文学作品らしい手応えのある作品である。

ひとまず、ノーベル文学賞が軌道修正したことに万歳といいたい。おめでとうございます、ペーター・ハントケ。疑問点はあるけれど、おめでとうございます、オルガ・トカルチュク。

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2019年10月 8日 (火)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その15。10月8日午後再開。河村市長の座り込み抗議、赤に白一点のフォーラム。田中保善『泣き虫軍医物語』。

物議を醸し続けている「あいちトリエンナーレ 2019」の企画展「表現の不自由展・その後」ですが、本日――10月8日午後、再開の予定だそうです。

これに異を唱えてきた名古屋市の河村たかし市長が、その再開に合わせて、抗議の座り込みをなさるそうです。また、河村市長は7日、18日が支払い期限の市が負担する開催費用の一部約3380万円について、支払い留保の考えを記者団に明らかにしました。

入場者には教育プログラムを受けさせるのだそうです。このやりかたは石平氏がおっしゃる通り、共産党の洗脳を連想させます。

 

「ひろしまトリエンナーレ2020」のプレイベントにあたる企画展が10月5日、広島県尾道市の離島、百島で始まったそうで、これも大同小異のひどいものであるようです。わたしも、西村氏のご意見に同感です。

あいちトリエンナーレのあり方検討委員会とあいちトリエンナーレ実行委員会が主催する国際フォーラム「『情の時代』における表現の自由と芸術」の第1日「表現の自由と芸術、社会」が2019年10月5日(土)13時から17時まで、愛知芸術文化センターで開かれました。

それを記録した動画の中で、「国家や一部の人々を傷つけたり驚かせたり混乱させるものも表現の自由として保証される」などという、司会者のとんでもない発言がありました。日本国憲法第12条に真っ向から挑戦する発言であり、これはもはや芸術とは無関係なテロリストの発想です。 

第一二条[自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任]この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

フォーラムの最後で良識的な発言がありました。それを司会者が潰した格好でフォーラムは終了し、芸術監督・津田大介氏がオマケの大あくびをしました。

日本人が大東亜戦争と呼び、終戦後、GHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、太平洋戦争などと呼ばれるようになった先の戦争を、左翼がプロパガンダに絶賛活用中です。

彼らの脳内では、その戦争において、大日本帝国軍人は天皇陛下の命により、植民地戦争を繰り広げて残虐行為を行ったということになっています。そして、これら軍人の性の相手を朝鮮人の従軍慰安婦がさせられ、ひどい扱いを受けたということにもなっています。

「表現の不自由展・その後」の展示作品も、この二点に依拠したものです。この二点が覆ってもなお芸術作品として何か優れたものが残る作品が一点でもあるのでしょうか。

そもそも、どなたの御写真であろうが、それを焼いたり踏みつけたりする行為、また死者を冒涜する行為は、日本人の感性には到底馴染まないものです。日本人は古来、礼節を尊ぶ国民性です。

祐徳稲荷神社の創健社、花山院萬子媛に祈って何度となく命を救われたとお書きになっている田中保善氏の御著書『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、昭和55年)が届きました。

戦争末期の昭和19年7月、町の開業医だった著者が軍医として応召、戦地ボルネオを中心とした体験記録です。

愛媛の古書店からの発送で、310円。経年劣化で中身は黄ばんでいるものの、美品といってよい商品でした。中表紙に付された青年軍医のきりっとした童顔の御写真を見たとき、思い出しました。

小学校だったか中学校だったかは忘れましたが、集団予防接種のとき、見かけたお顔です。上品な、優しそうなお顔。昔のことで、記憶は確かではありませんが……

プロフィールから引用します。

明治42年鹿島市に生まれる。鹿島中学旧制佐賀高を経て昭和10年九州帝大医学部卒、同12年鹿島市で開業。同19年7月応招。同21年4月復員…

まだ読んでいる途中なので、記事を改めてレビューを書きたいと思っています。

ちょっとだけ書いておくと、従軍慰安婦は出てきませんが、慰安婦(公娼)は結構出てきます。日本の娘だけでなく、「朝鮮や台湾の娘もおり、時にはジャワ島から来たジャワ娘もいた」(73頁)とあります。連れてこられたではなく、「来た」とありますよ。

信憑性の薄い河野談話が発表されたのは平成5年(1993)、田中氏の御著書が上梓されたのはそれを遡ること13年、昭和55年(1980)です。率直でユーモラスな筆致が特徴的なこの体験記には、様々なことが赤裸々に書かれています。

慰安婦達との恋愛遊戯のようなこともよくあったようで、田中氏は千代龍という美女に一目惚れ。こんなことを書いて、奥様に叱られなかったでしょうか。千代龍というのは源氏名でしょう。

日本軍がクダット地区を撤退するとき、酋長は部下幹部と共に涙を流して悲しみ、次のように言ったと書かれています。

クダットを撤退するのは思いとどまって下さい。他の新鋭部隊でなく今のあなた達でよい。日本軍がいなくなって、またもし白人が来たら、我々はまた人間扱いはされない。日本軍は私達を同等に扱ってくれた。我々と同じ物を食べ、一緒に同席してくれた。また赤十字をつけた兵隊さんからは我々の仲間が病気を治療してもらって沢山助けられている。どうか日本軍の皆さん、クダットに残っては下さらないでしょうか。日本軍の代わりに白人が来たら、我々はまた奴隷にされてしまいます。(131~132頁)

田中氏のこの御著書だけでも、左翼がしがみついている前掲二点を覆すことができます。「勝てば官軍、負ければ賊軍」といいますけれど、勝った側って、本当に嘘つきですね。

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