娘がNHKカルチャーのイタリア語講座(初級)を受けるかどうかで迷っていて、とりあえず見学に出かけるけれど、一緒に行かない?と誘ってきました。
わたしは、お気楽に後ろのほうで見学していればいいのだと想像しました。
バルザックに熱中していたころ、フランス語を独学で少しだけ囓ってみたことがありましたが、すぐに創作暮らしにまぎれ、今ではほとんど何も記憶に残っていません。
あのころ、NHKの「フランス語会話」では『スタンダード40』という番組が制作されていて、大木充先生とか可愛らしいファビエンヌとか、ユニークなパトリスといった人々が登場して、楽しい講座になっていました。
その頃「イタリア語会話」には山口もえちゃん、ジローラモ・パンツェッタ、ダリオ・ポニッスィ、コンスエロ・モスケッラ(ナオミ役)といった人々が出ていました。
娘はその頃からフランス語よりイタリア語に興味を持っていましたが、特にここ数年独学でイタリア語に熱中し、ローマとフィレンツェにペンフレンドが2人。わたしは受講に賛成でした。
4月からの1年講座ですが、3ヶ月ごとに区切られているようで、途中から受講することもできるようです。
わたしはいつも創作に時間をとられて、他にしたいことがあっても諦めざるをえませんが、気晴らしに――なんていうと、失礼ですが――見学に行くのもいいかもしれないと思いました。
NHKカルチャーといえば、「日田文學」で知り合ったFさんが確か講座を持っていらしたはずと思い、ホームページを閲覧してみると、ありました。「エッセイ・小説の作法」。Fさんの講座とか俳句の講座とかを見学してみたい気もしました。
そして、どうせ使うこともないだろうけれど、と思いながら、ノートとボールペンをバッグに入れました。
翌日、受付を済ませるときに、「もう先生はお見えになっていますよ」といわれ、ちょっとドキッとしました。講座は1時間20分です。
教室に行くと、既に受講生は着席し、先生が迎えてくださいました。欠席者が2人で、少人数です。ドアは前のほうにあって、大学の小教室みたいでした。中年から老年の男女が目に入りました。その日の受講生で一番若いと思われた男性も40代でしょうか。
先生は、夫婦デュオ「ヒデとロザンナ」で有名だったロザンナ・ザンボンの今の感じを何となく連想させられる、知的かつイタリアのマンマという印象の中年女性です。
わたしたち母子は促されて着席しました。先生が、受講を見学する目的をお尋ねになりました。
娘は、独学でイタリア語を勉強してきたこと、フィレンツェとローマにペンフレンドがいることを話しました。次はわたしの番でした。
娘にくっついて来ただけです、ほんの気晴らしに……とはいえなくなり、イタリア語の知識はゼロだけれど、イタリアの作家タブッキに興味があるといいました。
皆でちょとした雑談になり、とても和やかな雰囲気だったので、わたしは先生のご出身をお尋ねしました。ナポリだそうです。でも日本に来て長いそうで、教えてくださった年数から考えて、この街も長いようでした。
いよいよ授業が始まりました。
とてもすてきな雰囲気でしたが、思っていた雰囲気と違うぞと思いました。なぜか、わたしたちも参加するような雰囲気があるではありませんか。いや、娘はともかく、わたしはただ見学に来ただけで……と心の中で訴えつつ、隣に座る娘を盗み見しました。
澄ました受講生顔になっている娘に、話が違うじゃないのと思いながら(でも娘も見学のみと思っていたそうで、緊張していたとか)、仕方なく娘を真似てわたしもノートとボールペンを出しました。
- Buongiorno(ボンジョルノ) こんにちは
- Piacere(ピアチェーレ) はじめまして
と皆さん、おっしゃっています。ボンジョルノは聴いたことがありましたが、ピアチェーレは初めて聴く気がしました。
そうこうするうち、受講生から順に自己紹介が始まり、あれれ、娘が当たって、う、最後にわたしの番?
先生は「心配いらない。大丈夫、大丈夫よ」とおっしゃっています。結局、必死でついていく羽目になりました。
一つの授業で、どうしても覚えなければならない構文は二つだけで、単語は沢山出てくるけれど、とても一度に覚えきれるものではないので、それは徐々に覚えていけばいいとおっしゃいました。
ざっと、以下のようなことを習いました。先生がお書きになる黒板の字は全て大文字でしたが、わたしは書き慣れた書きかたでノートしました(間違っているかも)。
- Mi chiamo Maki Naotsuka.(ミ キアーモ マキナオツカ) 私の名前は直塚万季です。
- Sono di Saga.(ソノ ディ サガ) 私の出身は佐賀です。
- Sono casalinga.(ソノ カザリンガ) 私は主婦です。
- Sono giapponese. (ソノ ジャッポネーゼ) 私は日本人です。
- Mi piace la siesta. (ミ ピアーチェ ラ シエスタ) 私は昼寝が好きです。
- 雨の日の外出は好きではない。
Non mi piace uscire con la pioggia.私は雨の中を行くのは好きではない。
Non mi piace uscire quando piove. 私は雨が降ったときに外出するのが好きではない。
- Ti piace la carne? 肉が好きですか。
- Si, mi piace. はい、好きです。
- Anche a me piace. 私も好きです。
- No, non mi piace. いいえ、好きではありません。
- (複数形)
Ti piacciono gli asparagi? アスパラガスが好きですか?
- Si, mi piacciono molto. はい、とても好きです。
- No, non mi piacciono. いいえ、好きではありません。
- No, non mi piacciono molto. いいえ、あまり好きではありません。※「大嫌い」ではなく、「あまり好きではない」の意味になる。
- (人間関係。直接いう場合)
Mi piaci. あなたが好きです。
Ti piaccio? あなたは私を好きですか?
Ti amo. あなたを愛しています。※永遠の愛を誓うような意味もあるので、日常会話ではほとんど使うことはない。
その中で、覚えるべき二つは、
- Mi piace~=わたしは~が好きです
- Non mi piace ~=わたしは~が好きではありません
であるようでしたが、いきなりのイタリア語に頭が上せてしまっていたので、違っていたかもしれません。
4月から始まっているにしても、皆さん、全くの初心者ではないという感じでした。娘を含めてです。フランス語で遊んでみただけだったわたしとは違い、娘がイタリア語を真摯に独学していたことがわかりました。講座にすっかり溶け込み、皆さんに比べても遜色ないレベルでした。
わたしは最後に当てられると、頭のほうだけイタリア語でいい、あとは日本語をくっつけて、翻訳は皆さんにお任せしました。だって見学だけのつもり……
発音はほぼローマ字読みでいいようでしたが、全部がそうだというわけではないので、ノートに必死でカタカナで読みかたをメモし、当てられるとそれを読みました。
好きなことはお昼寝というと、先生がわたしもよ、とおっしゃいました。昼寝のシエスタという言葉はスペイン語だと思っていましたが、イタリア語でもシエスタというそうです。
先生の発音はテレビで聴いたみたいな、綺麗な、イタリア語特有の切れのよい発音で、感激しました。その発音にうっとり聴き入ったりもしていたので、よけいに授業についていけませんでしたが……
あちらの授業では、覚えたことを文章に組み立てて理解することに重点が置かれているようです。国語のテストは作文だけだとか。歴史のテストにしても、まとまったことを述べる口述試験だそうです。
何が嫌いかをイタリア語でいわなければならなかったとき、何が嫌いかがとっさに出てきませんでした。受講生たちは、あえて少し捻った文章を考え出して自分でイタリア語に翻訳していました。それを先生が訂正したり、 助けたりしていました。そこで、質問が出たりもしました。先生が他の文例をいくつか付け加えたりもなさいます。
文章が調うと、全員で黒板を見ながら読むのです。
わたしは雷が嫌いといおうと思いましたが、もう少し捻ろうと思い、「Non mi piace 雨の中の外出」と日本語まじりでいいました。
すると、今度も先生はわたしを見て、「わたしもそう。よく似ているわね、わたしたち……」とおっしゃるではありませんか。そうした何でもないことに喜びを覚えたりして、緊張と既視感と幸福感とを伴う授業が終わりました。
イタリア人特有のものなのか、先生個人の特徴なのかはわかりませんが、考え深そうな表情のあとに来る鮮明な表情(反応)が、雲間から射す太陽の光みたいで、印象的でした。
本当によいムードでした。皆さん、さりげなくチャオといって、それぞれに帰っていきました。
わたしはゼミを選択しなかったので、マスプロ大学での大教室におけるマスプロ授業が記憶にある授業でした。
大学時代に作家としての足場を築くつもりだったので、ゼミに時間を取られたくないと思ったのでした。あとで後悔しましたけれど。こんな年齢になっても未だに足場が築けない無残な人生になるなどとは、楽天的だった当時は想像もしませんでした。
大学での授業が物足りなかったとの思いがあったため、35年ぶりくらいに受けた少人数での授業が、思いがけないくらい、楽しかったのですね。
娘と受講したいと思いましたが、冷静に考えると、書かねばならない初の歴史小説がありますし、受講するにしても、来年の4月からのほうがいいでしょう。今のままでは皆について行けず、迷惑がかかる気がします。
娘も夫も、わたしがイタリア語講座に魅せられたことは喜んでくれましたが、やはり小説との両立は難しいのではないかという意見でした。
「ママはやろうと決めたら真面目に頑張るタイプだから、授業には追いつくと思うけれど、歴史小説はいいの?」と娘。夫も同調。家族は、わたしが郷土史家のお世話になっていることを思い出したようでもありました。
そうです、まずは小説ですよね、ハイわかっています。いつも孤独に黙々と小説を書くだけ。ろくに売れもしないのに。
受講する娘の土産話を楽しみに、小説頑張ります。
追記:
娘がイタリア語の参考書を沢山持っているので、時間があるときにそれを借りて勉強したり、受講ノートを見せて貰ったりしながら、もし行けたら来年あるいは再来年、イタリア語を受講できたらと考えています(あくまで希望、いや夢かな)。
見聞を広めることは創作には不可欠なことで、外国語を学ぶことが創作の役に立たないはずはないのですが、創作は毎日が自身に課したノルマをこなすことから成り立っており、それ自体の中に調べものや学習が含まれているため、それだけでも容量オーバーとなりがちなのですね。でも、3ヶ月だけでもいいから、受講してみたいという気持ちがむくむくと……。
そういえば、Kindle本にした「昼下がりのカタルシス」では女性主人公がフランス語講座に通う場面が出てきます。講座について調べたものの、実際にはどんなものかがわからないまま、想像で書いたのですが、これが何と想像通りでした!
昼下がりのカタルシス [Kindle版]
直塚万季 (著)
出版社: ノワ出版; 2版 (2013/12/2)
ASIN: B00EJ7A5LY