何度も罹ったことがあったインフルエンザでしたが、こんなタイプのものは初めてでした(書きかけです)
昨年の11月に娘が職場から貰ってきたミニシクラメン。水はやってあるようよ。と娘。うーん、でも、茎もわずかな花も萎れかけていたので、このままじゃ枯れてしまうんじゃないとわたしはいいました。
娘が職場から花を貰うのは初めてではありませんでしたが、これまでは夫にポイ投げ。綺麗に咲いたことはなかったので、今回はわたしが育ててみようと思いました。
ところが、次の日、職場帰りの娘が新しい鉢、お洒落なじょうろ、鉢底石、肥料など、必要な物を買って帰宅しました。 そしてせっせと育て始めたではありませんか。どうした風の吹き回しでしょう? 花が生き生きとした表情を見せ始めました。
1月にインフルエンザになり、高熱が引いても後遺症(?)に悩まされていたわたしの慰めになりました。
ところで、以下の記事の続きも書かないまま、またブログを放置状態にしていました。
2025年3月 5日 (水)
1月22日から今日までほぼ、眠りばあさんでしたおひさしぶりです。
風邪あるいはコロナ、インフルエンザに夫が罹ったのではないかと心配して、そのあと、自身の記憶がなくなりました。インフルエンザA、肺炎に罹った記憶もほぼありません。
初めてスマホで書いていますが、またあとで。今はだいたい元気です。
6月になった今、体調がようやく戻ったところです。
これまでに何度かインフルエンザに罹ったことがありましたが、今回、クリニックでインフルエンザの検査しか受けていないわたしには、腑に落ちないところが多々あります。例えば、コロナにも罹っていたのではないかと思ってしまいます。また、新型コロナワクチン(遺伝子ワクチン)を打っていない未接種者にもシェディング(伝播)という現象によってワクチン後遺症と同じ症状が出ることもあるということがわかっています。
インフルエンザとそうした症状が同時に起きることもあるようですから、わたしはA型インフルエンザにかかり、またシェディングによるワクチン後遺症も出ていた――否、まだ完全に治ったとはいえないので出ているというべきか――と思わざるをえません。
なぜなら、わたしに起きた異常を全てインフルエンザのせいにしてしまうには明らかに違和感があるからです。味覚異常は初めてでした。食べ物、特に牛乳や肉からは血の味がして、他の食べ物も全く食べ物としての味わいが楽しめるものではなくなっていました。味見できないので、最近まで料理が下手になっていました。
このブログを書く気になれたのは、ようやく以前の味覚がほぼ完全に戻ってきて、美味しく食べ、満足できる料理ができるようになり、すっかり元気になった気分を味わえたからでした。娘への恩返しとして、以前は作っていなかった弁当を楽しく作っています。
最初の1~2週間の間に6㎏痩せたそうで、娘は先生からもっと食べさせるようにいわれたそうです。インフルエンザにかかって2週間くらいが症状が重かったとのことですが、その間の記憶は夢と現実が一緒になっていました。そして、頻尿に困らされたのですが、トイレへ行くにも往生しました。
インフルエンザの高熱の中で立ち上がった時に、自分の両足が蛸(タコ)の足になったようにくねくねしたときは意識がはっきり戻って「うわーっ!」と胸の内で叫びました。物事を論理的に考える能力は低下していたのですが、「わたしはインフルエンザになったはずなのに、プリオン病になってしまったのだろうか?」と戦慄しました。
立ち上がれない人の補助の仕方を勤務先で覚えたといって、娘がトイレまで連れて行ってくれました。娘がいないときは何度もトイレまで這っていっていました。間に合わなかったことが一度だけありましたよ。娘はオムツの使用を検討したそうですが、そうすると二度と以前のわたしが戻ってこない気がしてそうしなかったといいました。娘は、夫がわたしを施設に入れることを検討し始めたのが嫌だったともいいました。
恐怖の中でよろめく牛の映像が浮かびました。でも、シェディングで新型コロナワクチン後遺症にも罹っていたとしたら、ありえます。娘がイベルメクチンをせっせと飲ませてくれなかったら……頭もおかしくなっていましたから、どうなっていたか。イベルメクチンはプリオン病にも効く可能性があります。
2021年10月 2日 (土)
非科学的で前近代的なワクチンパスポート、超過死亡、プリオン病。女友達からイベルメクチンについての情報を求められました(馬用イベルメクチンの話はフェイクです)。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2021/10/post-f5a3c3.html
上記記事に長尾和宏先生の動画を張っていますが、沢山公開されていた動画のどれかで、プリオン病に罹った患者さんにイベルメクチンが役立ったといっておられました。
夫が、わたしの両足の異常な動きを見ていました。2週間の間に体温が40度超えたのを見たと夫はいいました。わたしは自分の足の動きがいつ正常になったのかは覚えていません。
どのくらいの期間かはわかりませんが、わたしには娘が誰かわかりませんでした。看病していた期間を通して娘が一番悲しかったのは、そのことだったそうです。
この人は誰かな、わたしは親戚の家にいるのだろうか、従妹かしら? ここは民家ではなく北海道にある旅館のようにも見える(実際は九州在住、マンション暮らし。しかし夫の転勤に伴い何度も引っ越し、ここに来る前は日田市にある古い大きな民家を借りていました。そうした記憶もわたしの妄想には混じっていました)。わたしの横でごはんを食べているこの子は孤児で、旅館に引き取られたのかもしれない。なぜか娘と思ったことは一度もなくて、母(とうの昔に――娘が生まれた翌年に――亡くなっています)や妹と考えたりもしていました。
北海道だと思ったのは、娘がクリニックでわたしに処方して貰ったカロナールで、39度台の高熱が一気に35.6度台に下がったため、寒くてたまらなかったからです。娘はわたしが汗を流して震えるので、必死で毛布を巻き付けたといいました。
その後、肺炎にもなって、娘が家でわたしの面倒を見るのはずいぶん負担だったろうと思います。
インフルエンザに罹って休んでいた娘が出勤するようになってからもわたしはおかしかったわけで(もう平熱でした)、わたしを監視している夫が夫とはよくわからなくて怖かったのを覚えています。いつのまにか、夫用の新品のタオルケットを着て寝ていました。寒そうだったので、着せてくれたそうです。そのタオルケットはわたしのお気に入りになりました。シックな茶色の大判のタオルケットです。
わたしは娘の洗濯物を畳みながら「彼女は若いのに、もっと華やかな下着を買うべきよ」とお節介を焼き、娘の下着の中に少し派手すぎで一度も着たことのなかった自分の下着の数枚を混ぜたりしていました。
今思えば吹き出しそうなおかしなことをいろいろ考えたりしたものです。そして、娘を親戚か誰かと思い込んでいたので(自分は居候だと考えていました)、勤務から帰宅した娘に他人行儀な恥ずかしそうな微笑を向けたりしたことを覚えてします。当然ながら娘はそんなわたしに微笑を返さず、変な顔をしました。
2月17日にわたしの希望で(自分から希望しましたから、この頃はまともになってきていたのでしょう。でも簡単な計算ができませんでしたけれどね)、娘の勤務する脳神経外科病院で、脳の検査を受けました。CT、MRI(磁気共鳴画像診断)、認知機能テストであるMMSE(ミニメンタルステート検査)です。
診察してくださったのは感じのいい先生でしたが、わたしはごく簡単な計算のできないのが恥ずかしくてプライドが砕け、「公文算数教室で教えていたのに、なぜできないの?!」と先生に向かっていいました。
ただし、検査の結果は正常と出ました。夫は信じられない思いで綺麗な脳の画像を見つめていたそうです。娘はSPECT(脳の血流の検査)も受ければよかったかもしれないといいました。
これを書いている6月10日はほぼ元にもどっていますが、以前に比べるとちょっと単語が出にくいのです。老化現象なのか、後遺症なのか……命と頭の恩人に思えるイベルメクチンに訊いてみたいです。そういえば、娘は祐徳稲荷神社の萬媛にわたしが助かるように祈っていたとのことでした。
萬媛がわたしの夢や幻覚に出て来られたことはありませんでしたが、きっと守っていてくださったに違いありません。もし、インフルに罹って一緒に家にいたのが夫であれば、イベルメクチンを飲ませてくれなかったでしょうから、娘が同時期にインフルに罹りながらもわたしの看病が出来たことは幸運でした。そして、娘が脳神経外科に医療事務として勤務していて、脳に関する知識を蓄えていたことも幸いでした。
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若い頃の子育て中には「この高熱はインフルだな」と見当がつけば、自宅で何とか直していました。
膵炎疑い、心臓、喘息などで通院生活になってからは、当時は健在だった呼吸器科クリニックの先生に勧められてインフルエンザワクチンを打っていました。
何年前だったか、久しぶりにインフルエンザにかかり(このときワクチンを打っていたかどうか覚えていません)、前夜、喘息の発作で大変な目に遭いました。翌朝、循環器クリニックに駆け込み、先生にタミフルを処方されたときには、処方した時期がやや遅かったと先生がおっしゃったにも拘わらず、あっという間によくなりました。
「タミフルがなかったら死んでいたよ」とその話を聴いた呼吸器科クリニックの先生はおっしゃいました。その先生が亡くなられた後、喘息のほうも心臓疾患で診ていただいている先生の治療を受けています。
娘のメモからすると、おそらく1月22日のことだったと思いますが、夜間勤務に出かける夫が風邪気味に思え、熱を測らせてみたら(まるで子供みたいですが、夫は医療音痴で、自分の健康もわたしに任せっぱなしです)微熱がありました。これくらいなら出かけられると夫。
職場に到着したらすぐにイベルメクチンを飲んだほうがいいのではないかと思いました。ただの風邪かコロナかインフルエンザかわかりませんでしたが、どれかに罹ったのではないかと思ったのです。
わたしはなおも心配して、体調に異常を感じたら安全な場所に車を止め、職場に電話して相談するようにいいました。「勤務を交替して帰ってこられるようだったら、運転代行を呼んですぐに帰ってきたらどう? 体調によっては救急車ということになるわね。インフルだったらどちらにしても休むことになるんだし……」
一度だけですが、夫はイベルメクチンを飲んだあと目眩がしたといったことがあったので、車が安全な場所に着くまでは飲むのは危険でした。わたしも娘もイベルメクチンを飲んで目眩がしたことは一度もありませんでしたが。
不思議なことに、わたしが覚えていたのはそこまでで、全く記憶のなかったのが何日間のことなのか、記憶があったりなかったりしたのは何週間にわたったのか、今になってもさっぱりわかりません。娘がいうには、2週間は完全に頭がおかしかったと……。そんなにいかれていたのか(絶句)。
クリニックでインフルエンザの検査を受けたのが1月27日でした。初めて高熱を出した1月22日からすると時間が経ちすぎていましたから、抗ウイルス剤タミフルはわたしには処方されていません。コロナ予防に服用していたイベルメクチン(イベルメクトール)でしたが、家にいることの多いわたしはこの頃、服用していませんでした。
抗ウイルス剤は――イベルメクチンもそうですが――服用が早ければ早いほど、よく効くようです。日本で行われたイベルメクチンの実験はその時期にはそのことがよく知られていながら、なぜか一番大事なこのことが考慮されないおかしなものでした。
2023年7月27日 (木)
ようやくメディアが報じ始めたワクチン後遺症。7月に循環器クリニック、内分泌内科受診。『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』を観ました。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2023/07/post-229fae.htmlイベルメクチンには抗炎症作用、抗ウイルス作用、免疫調整作用があり、副作用の心配はほとんどないとされているので、下手な薬を飲むよりいいと思っています(自己責任で)。
イベルメクチンには、上記記事に書いているように抗ウイルス作用以外にも抗炎症作用、免疫調整作用があり、副作用の心配もほとんどないとされています。
わたしはインフルエンザに罹った娘と一緒に家で静養していたようです。夫はインフルエンザの検査を受けるまでもなく、職場でイベルメクチンを飲んだら、帰宅するころにはすっかり治っていたとか。
娘はその日(おそらく前述した1月22日)、いつもより仕事で遅くなるといっていたのですが、帰宅した時、わたしは高熱を出して寝ていたそうです。翌日、夫は車にわたしを運んで病院に連れて行こうとしたそうですが、動かせず、娘は救急車を呼ぶのに躊躇しました。意識のないまま病院に運ばれれば、イベルメクチンを飲ませられなくなると娘は思い、私が目覚めたらすぐにイベルメクチンを飲ませるつもりだったようです。
結局、二日間わたしは寝たままだったとか。
これは最近知ったことですが、イベルメクチンは水にもすぐに溶けます。錠剤で飲むのがつらい場合は水か牛乳(イベルメクチンは脂溶性なので)に溶かして飲む手もありますね。
娘の許可を得たので、娘がメモしたクリニック受診の内容を以下に写しておきましょう。
※記事の内容が重複するかもしれませんが、娘のメモや高熱の間の夢か幻覚か現実か分からなかったこと、娘がLINEで息子に相談した内容など記録しておきたいので、もう少し続けます。この記事は書きかけです。