※新ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にも収録しました。漱石にかんするエッセーは①のみの収録にとどまっています。なかなか時間がとれないため、続きの収録には時間がかかりそうです。
33 新訳『北風のうしろの国』、ジョージ・マクドナルドとC・S・ルイス
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ジョージ・マクドナルドの“At the Back of the North Wind ”(1871)を初めて読んだのは、子供のころに買って貰った児童文学全集の次の本でだった。
世界の名作図書館〈9〉北風のうしろの国へ・まほうのベット
マクドナルド (著), ノートン (著), 山室 静 (翻訳), 田谷 多枝子 (翻訳), 白木 茂 (翻訳)
出版社: 講談社 (1968/1/1)
好きな児童文学作品は数多くあるけれど、一番好きな作品を選ぶとしたら、ジョージ・マクドナルドのこの作品になる。
作品全体から薫る神秘性、内面描写の繊細さ、著者の偉大さを感じさせる「北風」の謎めいた、深みのある魅力に惹きつけられた。
子供のころ姉妹共に馴染んだ本を結婚するときに持って出るのは妹に悪い気がしたので置いて出て、今は結婚して孫もある妹が所有している。
妹の孫――わたしからすれば姪孫――がもう少し大きくなったら読むだろうか?
妹の子供2人――わたしの甥と姪――には児童文学全集を好んだような形跡がない。それなら、わたしが貰えばよかったと思い、「魔法つかいのリーキーさん」が収録された4巻を送って貰ったのだった。
泣くと眉が赤くなる、赤ちゃんなのに落ち着いた風なところのある姪孫が本好きになったら、リーキーさんを貸してやろう。「北風のうしろの国へ」を読んでどう思ったか、訊こう。
好きな児童文学の話ができる小さな友達がいれば、楽しいに違いない。でも、あの子も児童文学とはあまり縁のない子になるのかもしれない。
1981年、ハヤカワ文庫で出ているのを知り、購入した。ハヤカワ名作セレクションとして2005年に再び出たようで、これは今も購入できるようなので、表紙画像からAmazonに行けるようにリンクしておく。
北風のうしろの国 (ハヤカワ文庫 FT ハヤカワ名作セレクション)
ジョージ・マクドナルド (著), アーサー・ヒューズ (イラスト), 中村 妙子 (翻訳)
出版社: 早川書房 (2005/9/22)
以下はAmazonからの引用。
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「北風と一緒なら誰だって寒くなんかないのよ」―美しい女の姿をした北風の精は、ダイアモンド少年を幻想的な世界へと誘った。夜のロンドンの空へ、嵐の海上へ、そして北風のうしろの国へ…。その不思議な国から戻った少年は、想像力の翼を広げ、産業革命期の生活に疲れた人々に、優しさを取り戻させてゆく。C.S.ルイスやJ.R.R.トールキンらによって開花した英国ファンタジイの、偉大なる先駆者による古典的名作。
その後、太平出版社から「マクドナルド童話全集 全12巻」が出た。図書館から借りて読んだ。
以下に全巻のタイトル、訳者などを紹介しておく(1978~1979年版を参照)。
- 王女とゴブリン(村上光彦訳、淵上昭広絵、1978)
- 王女とカーディー少年(白柳美彦訳、竹川功三郎絵、1978)
- きえてしまった王女(田谷多枝子訳、岩淵慶造絵、1978)
- ふんわり王女(萩美枝訳、ラスロップ,D.P.・本庄久子絵、1978)
- 巨人の心臓(田谷多枝子訳、竹川功三郎絵、1978)
- 妖精のすきなお酒(田谷多枝子訳、真島節子絵、1978)
- ふしぎふしぎ妖精の国(田谷多枝子訳、本庄久子絵、1978)
- 昼の少年と夜の少女(田谷多枝子訳 岩淵慶造絵、1978)
- 金の鍵(田谷多枝子訳、岩淵慶造絵、1978)
- 北風のうしろの国(田谷多枝子訳、真島節子絵、1978)
- かげの国(田谷多枝子訳、竹川功三郎絵、1978)
- おとぎの国へ(村上光彦訳、岩淵慶造絵、1979)
「北風のうしろの国」は田谷多枝子訳で第10巻に収録されている。
そして、新訳で出た北風である。
これまでに出た「北風」の訳でどの翻訳家のものがベストかはわたしにはわからないが、新訳版ではアーサー・ヒューズの挿絵を存分に楽しむことができる。「訳者あとがき」で紹介されていたマクドナルドに関するエピソードや「北風」の創作秘話なども新鮮だった。
北風のうしろの国(上) (岩波少年文庫 227)
ジョージ・マクドナルド (著), 脇 明子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2015/10/17)
以下はAmazonからの引用。
商品の説明
内容紹介
御者の息子ダイヤモンドは、美しい女性の姿をした北風に抱かれ、夜のロンドンの空や、嵐の海をかけめぐる。そして北風のうしろにある不思議な世界へ。もどってきた幼い少年は、そこで聞いた楽しい川の歌を口ずさみながら、貧しい暮らしにあえぐ家族や友人を助け励まし続けるのだった。イギリスファンタジーの名作を新訳で。
北風のうしろの国(下) (岩波少年文庫 228)
ジョージ・マクドナルド (著), 脇 明子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2015/10/17)
「北風のうしろの国」の著者ジョージ・マクドナルドについて、ウィキペディアより引用する。
ジョージ・マクドナルド: ウィキペディア
ジョージ・マクドナルド(George MacDonald, 1824年12月10日 - 1905年9月18日)は、スコットランドの小説家、詩人、聖職者。
日本では、『リリス』などの幻想文学や、『お姫さまとゴブリンの物語』などの児童向けファンタジーの作者として知られる。
今日ではさほどの知名度は無いが、彼の作品(特に童話とファンタジー小説)はW・H・オーデン、J・R・R・トールキン、C・S・ルイス、マデレイン・レングルらといった作家たちに賞賛されている。例えば、C・S・ルイスはマクドナルドを自分の「師匠」と呼び、その作品を読んだ経験を次のように語っている。「ある日、駅の売店で『ファンタステス』を手に取り、読み始めた。二三時間後、私は自分が大いなるフロンティアを横断し終わったことに気付いた」。G・K・チェスタートンは『お姫さまとゴブリンの物語』を「私という存在を変えた」本だと述べている。マーク・トウェインも、当初こそマクドナルドを嫌っていたものの、彼と友誼を結んだ。
「今日ではさほどの知名度は無い」とあるが、本当だろうか? ファンタジーの父といわれているマクドナルドであるが?
C・S・ルイスがマクドナルドを「師匠」と呼び、“Phantastes: A Fairie Romance for Men and Women” 1858(蜂谷昭雄訳『ファンタスティス(ちくま文庫)』筑摩書房、1999年を参照)で序文を書いているが、この序文は問題だと思う。
C・S・ルイスについて分析してみたいと思いながら中断した過去があった。
前掲の過去記事で次のように書いている。
当世風何でもありのファンタジーはルイスが元祖ではないだろうか。ルイスの功罪をざっとながらでもまとめておきたい気がする。
『ナルニア国ものがたり』を読むと、イデオロギー的構成に驚かされると共に、ギリシア神話、創世記、神秘主義などから借りてきたキャラクターや概念などの甚だしい乱用が目にあまる。それらを借りてきたことが問題なのではなく、意味の書き換えを行い、イデオロギーに利用したことが問題なのだ。
ジャンルは違うが、権威あるいろいろな書物から言葉や文章を借りてきてアクセサリー的に私用する村上春樹の作品に似たところがある(元の意味合いが完全に失われるだけでは済まない。別の意味づけがなされてしまう)。
ルイスはジョージ・マクドナルドの影響を受けたそうだが、とてもそうは思えない。アリストテレスがプラトンの哲学を無意味なものにしてしまったのと同じようなことが、ルイスとマクドナルドにもいえ、ルイスはマクドナルドのファンタジー――その敬虔な神秘性――をすっかり無意味なものにしてしまったとわたしには思える。
C・S・ルイスについては改めて批評を書きたいが、今は検証している時間がない。ただルイスがマクドナルドを天才と持ち上げる一方ではどんなことを書いたかを示すための引用をしておきたい。
もし文学を言葉をば媒体とする芸術と定義するならば、確かにマクドナルドは一流には――多分二流にすら――位[くらい]しない。 (略) 総じて彼の書きものの木目[きめ]は平凡で、時には不器用である。悪しき説教壇的伝統がそこにはまつわりついている。時には非国教主義的冗漫さがあり、時には華麗な装飾に対する古きスコットランド的偏愛がある。 (略) 時にはノヴァーリスからつまんできた過度の甘さがある。 (略) マグドナルドが最も得意とするのは幻想〔ファンタジー〕――寓意的と神話創成的との中間に漂う幻想――である。 (略) われわれに立ちはだかる問題は、この芸術――神話創成の芸術――が文芸の一種か否かということである。 (MacDonald、蜂谷訳、1999、序pp.13-14)
このような序文は「序文」に「位しない」とわたしは思う。読者に、マクドナルドは序文の執筆者――つまりC・S・ルイス――より下位の作家という先入観をもたらすからである。
このルイスの偏向した、偉そうなマクドナルド観に影響されている日本人は多いのではないかと思われる。なぜなら、マクドナルドに関してルイスに似たようなことを書いている記事をインターネット検索で多く閲覧したからである。
マクドナルドを「師匠」といいながら、児童文学作家としてマクドナルドを自分より下に位置づけようとした嫌らしさを感じる。持ち上げ方、貶し方が尋常ではない。
「師匠」の作品に影響されたわりにはルイスの作品には技巧的な工夫に長けたところはあっても、「師匠」の作品を奥深く、輝かしいものにしている神秘性や高潔な人間性とは無縁の二流品にすぎない。
ルイスは、自分のほうが文学的にマクドナルドより優れているといいたいようだが、彼は自分とは異なるタイプの文体、技法を容認できなかったというだけの話であると思えるし(ルイスは一体何様なのだろう?)、また前掲の拙記事「C.S.ルイスの功罪を問うてみたい気がしている」に書いたような理由で、文学的でないのはルイスのほうこそ、そうである可能性が高いとわたしは考えている(ルイスの言葉を借りていえば、ルイスの作品はまあ「文芸の一種」ではあるのだろうが)。
そして、イデオロギー色の濃いC・S・ルイスには、マクドナルドという人間に備わり、作品にも宿った神秘性に惹かれながらも、その本質が理解できなかったのではないかと思われる。
このC・S・ルイスは、神秘主義をまともに批評できずに誹謗中傷するに終わった――わりには馬鹿に知名度の高い――プラグマティズムのウィリアム・ジェームズやゲノンを連想させる。共通点がある。以下に関連記事を挙げておく。
神秘主義者の仕事には、それを叩く人間がどこからか必ず配置されることになっているのかと想像したくなってくる。
マクドナルドを讃えながら、一方ではどこかしら特権的な口吻でマクドナルドの「非国教主義的冗漫さ」を批判するルイスであるが、ルイスがそのように書くとき、彼が「国教主義的簡潔さ」を上位に置き、そこから大上段に構えて発言していることがわかる。
このような態度が文学的といえるだろうか。
C・S・ルイスの思想について、ウィキペディアから引用してみよう。
C・S・ルイス: ウイキペディア
信仰と著作
幼少の頃はアイルランド国教会に基づくキリスト教を信仰していた。14歳の時に無神論に転じ、神話やオカルトに興味を持ち始める。その後様々な書物や大学時代の友人の影響を受け、31歳で同じ聖公会系のイングランド国教会の下で再びキリスト教信仰を始めた。『奇跡』(Miracles, 1947)『悪魔の手紙』『キリスト教の精髄』『喜びのおとずれ』などの神学書や自叙伝、ラジオ講演などを通じて、信徒伝道者としてキリスト教信仰を伝えている。
著作には詩集、神学論文集などがあるが、特に有名なものは『ナルニア国ものがたり』全7巻である。神学者としても著名で、『ナルニア国ものがたり』にもその片鱗が現れているような新プラトン主義的な見解をラジオの連続講義でも披露。スイスの弁証法神学者カール・バルトから、激しい反撥を受けた。1957年には『さいごの戦い』でカーネギー賞を受賞している。
米国聖公会では聖人に叙せられており、命日である11月22日が祝聖日とされている。
イングランド国教会についても、ウイキペディアで確認しておこう。
イングランド国教会: ウィキペディア
イングランド国教会(イングランドこっきょうかい、英: Church of England)は、16世紀のイングランド王国で成立したキリスト教会の名称、かつ世界に広がる聖公会(アングリカン・コミュニオン)のうち最初に成立し、その母体となった教会。 (略)
もともとはカトリック教会の一部であったが、16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離れ、独立した教会となった。プロテスタントに分類されることもあるが、他プロテスタント諸派とは異なり、教義上の問題でなく、政治的問題(ヘンリー8世の離婚問題)が原因となってローマ・カトリックから分裂したため、典礼的にはカトリックとの共通点が多い。イングランド(イギリス)の統治者が教会の首長(Defender of the Faith、直訳は『信仰の擁護者』)であるということが最大の特徴である。
ルイスは「神学者としても著名で、『ナルニア国ものがたり』にもその片鱗が現れているような新プラトン主義的な見解をラジオの連続講義でも披露」とあるが、確かにルイスは「ナルニア国ものがたり」第7巻、瀬田貞二訳『さいごのたたかい(岩波少年文庫 040)』(岩波書店、1986年初版、2008年新版)で、「かかわりのあるよいナルニアのいっさい、親しい生きもののすべては、あの戸をふみこえて、まことのナルニアにひっこしてきたんだ」(Lewis、瀬戸訳、2008、pp.283-284)、「これはすべて、プラトンのいうところだ。あのギリシアのすぐれた哲学者プラトンの本に、すっかり出ているよ。やれやれ、いまの学校では、いったい何を教えているのかな?」(Lewis、瀬戸訳、2008、p.284)と書いて、まことのナルニアがプラトンのいうイデア界であることを示唆している。
だが、ルイスのイデア界はあくまでキリスト教に取り込まれ、即物的な劣化を起こした、およそプラトンのイデア界とは異なる幼稚な唯物論的世界観にすぎない。
だからルイスが如何に言葉を尽くして「まことのナルニア」が「はるかにいみの深いおもむきがありました」(Lewis、瀬戸訳、2008、p.285)と説明しようが、両者の違いを読者に伝えることはできなかった。C・S・ルイスの児童文学作品はアトラクション的なのである。
ここにマクドナルドとの本質的な違いがある。
マクドナルドは『北風のうしろの国』の主人公であるダイヤモンド少年に、別の世界の空気を伝えさせることに成功している。ルイスの指摘する「冗漫さ」はわたしには別の世界の空気を伝えるための技法と思われる。
というのも、“The Light Princess”1867(『軽いお姫さま(妖精文庫)』富山太佳夫・富山芳子編、1999年を参照)などには、「北風のうしろの国」にあるような冗漫さがないからである。
しかし、「北風のうしろの国」では、「軽いお姫さま」を連想させる「ヒノヒカリ姫」*という小話が挿入され、子どもっぽい長い歌詞が挿入されていたり、まだ翼のつぼみでしかない飛ぶのには使えない小さな翼を肩のあたりではばたかせている天使たちが星をほる話が出てきたりする。
*ジョージ・マクドナルド、脇明子訳『北風のうしろの国 下(岩波少年文庫228)』(岩波文庫、2015年、第28章ヒノヒカリ姫pp.125-165)
こうした悠長、閑雅な世界と、御者の仕事をしているダイヤモンド少年の過酷な現実とがコントラストをなしている。冗漫にも感じられる描写が挿入されているからこそ、コントラストが際立つのである。
では、ルイスに「非国教主義的」といわせるマクドナルドの思想は如何なるものであったのだろうか。
George MacDonald,1860s.
From Wikimedia Commons, the free media repository
それはひとことでいえば、万人救済主義(Universal Reconciliation)的なものであったようである。
ジョージ・マクドナルドはカルヴァン主義の会衆派教会に属する家で生まれ育ち、牧師になったが、カルヴァン主義に馴染めなかった。
カルヴァン主義がどんな思想であるかというと、1618年のドルトレヒト会議で決められたドルト信仰基準はカルヴァン主義の特徴を5つの特質として明確にしたものだといわれている。ウィキペディアから引用すると、それは次のようなものである。
ドルト信仰基準: ウィキペディア
- 全的堕落(Total depravity) - 堕落後の人間はすべて全的に腐敗しており、自らの意志で神に仕えることを選び取れない。
- 無条件的選び(Unconditional election) - 神は無条件に特定の人間を救いに、特定の人間を破滅に選んでいる(予定説)。
- 制限的・限定的贖罪(Limited atonement) - キリストの贖いは、救いに選ばれた者だけのためにある。
- 不可抵抗的恩恵(Irresistible grace) - 予定された人間は、神の恵みを拒否することができない。
- 聖徒の堅忍(Perseverance of the saints) - いったん予定された人間は、最後まで堅く立って耐え忍び、必ず救われる。
マクドナルドがどんな牧師ぶりを示したかを、英語版ウィキペディアから引用してみる。
George MacDonald: Wikipedia
In 1850 he was appointed pastor of Trinity Congregational Church, Arundel, but his sermons (preaching God's universal love and the possibility that none would, ultimately, fail to unite with God) met with little favour and his salary was cut in half.
1850年にマクドナルドはアランデルの三位一体会衆派教会の牧師に任命されたが、彼の説教(神の普遍的な愛と最終的には誰もが神と一つになることができるという教え)はほとんど支持を得られず、給料は半分に減らされてしまったのであった。
マクドナルドは予定説で知られるカルヴァン主義の世界観には納得できなかった。そして万人救済主義的思想に親近感を抱いたのだろう。以下はウィキペディアから。
万人救済主義: ウィキペディア
万人救済主義(ユニバーサリズム、英語:Universal Reconciliation、Christian Universalism)はキリスト教の非主流派思想のひとつ。これは、すべてが神のあわれみによって救済を受けるという教理、信仰である。すべての人が、結局は救済を経験するとし、イエス・キリストの苦しみと十字架が、すべての人を和解させ、罪の贖いを得させると断言する。 (略)
万人救済主義は地獄の問題と密接に関係がある。救済に至る方法や状態に関して様々な信仰と見解があるけれども、すべての万人救済主義者は、究極的にすべての人の和解と救済に終わると結論する。
万人救済の教理、信仰についての論争は歴史的に活発に行われてきた。初期において万人救済主義の教理はさかんであった。しかし、キリスト教の成長にともない、それは廃れていった。今日の多くのキリスト教教派は万人救済主義に否定的な立場を取っている。
歴史
古代にはオリゲネスの思想に見られ、近代のカール・バルトも万人救済を唱えたとされている。
万人救済主義とはキリスト教信仰の有る無しに関わらず、全人類がすでに救われているという思想である。これに対しキリスト教において正統とされてきた神学はアウグスティヌスらが唱え、19世紀までキリスト教会で主流であった排他主義(Exclusivism)である。これは信者のみが救われるという神学である。
初期の歴史
ダマスカスの周辺の初期のクリスチャン共同体が万人救済の教義を提唱したと信じられている。様々な神学者が初期キリスト教において万人救済主義の立場に立った。アレクサンドリアのクレメンス、オリゲネスらである。
万人救済主義はクレメンスやオリゲネスによって知られるようだ。
オリゲネスはキリスト教会の聖職者であったが、アンモニオス・サッカスの弟子であった。アンモニオス・サッカスは新プラトン主義の創立者である。神智学という名称はアンモニオス・サッカスとその弟子たちから始まった。クレメンスはプラトン派に所属したアンモニオス・サッカスの弟子である。神父であり、キリスト教哲学者であった。
このようなことを、わたしはブラヴァツキーの『神智学の鍵』の用語解説で初めて知った。オリゲネスもクレメンスも名前くらいは知っていたが。
マクドナルドが神秘主義的だとは思っていたけれど、その思想を遡るうちに神智学に辿り着いたのだから驚きである。
オリゲネス、クレメンスについて、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、昭和62年初版、平成7年改版)の「用語解説」より引用しておく。
オリゲネス(Origenea Adamantius,Origen)
2世紀末におそらくアフリカで生まれたキリスト教会の聖職者であるが、この人についてはほとんど知られていない。というのはオリゲネスの伝記的断片はエウセピオスの権威のもとに後世に託されたが、エウセピオスはどの時代にも見られなかったほどの紛れもない曲解者であったからである。エウセピオスはオリゲネスの手紙100通を収集したが、それらは現在、散逸してしまっているという。神智学徒にとってオリゲネスの著作の中でいちばん興味深いのは、『霊魂先在説』である。彼はアンモニオス・サッカスの弟子で、この偉大な哲学の師匠の講義に長く出席していた。 (Blavatsky、田中訳、平成7、用語解説p.23)
クレメンス・アレクサンドリノス(Clemens Alexandrinus)
新プラトン派に所属し、アンモニオス・サッカスの弟子。神父で、多くの本を書いた。西暦2~3世紀のアレクサンドリアの数少ないキリスト教哲学者の一人である。 (Blavatsky、田中訳、平成7、用語解説p.29)