カテゴリー「エッセー「精神安定剤」の思い出」」の1件の記事

2006年6月19日 (月)

精神安定剤の思い出

 鬱病・パニック障害・境界型人格障害をセットとした診断名を持つ患者のブログが多いことに驚く。眠剤を常用している人のブログが多いことにも驚く。 

 わたしが少女の頃だから、もう32年も昔の話になるが、その頃は神経症・精神病を扱う病院やクリニックは数が少なく、受診することにもかなりの抵抗がある時代だった。

 あれは確か高校1年のときだったと思うが、わたしは中学1年時から悩んできたトイレが近い症状に我慢ができなくなり、鈍行列車で片道1時間半もかけて小都市のクリニックを受診した。

 授業中ずっと今にも漏れそうな切迫感が続き、勉強に集中するどころではなかった。膀胱炎ではないから痛みも何もないのだが、精神的には地獄だった。何とか合格した高校は進学校だったから、このままでは落第すると思ったのだ。

 わたしの住む町には、古色然とした陰鬱な外観の精神病院しかなかった。電話帳で調べたのだったかどうかは記憶にないが、ようやく見つけたそこは現在多いオフィス型のクリニックで、そのような気軽に行けそうなモダンなクリニックといえば小都市の街中ではそこくらいだった。

 こっそり行くつもりだったのがばれ、いやだといったのに、初回だけだったが、母がついてきた。

 強迫神経症(観念が強く迫ってくるこの病気には多彩な症状が属するが、わたしの場合は主として神経性膀胱)と診断を受け、膀胱の絵など見せて貰い、「膀胱にはこんなに沢山尿が貯められるんだよ。だから、トイレに行きたくなったからといってめったに漏れはしないから、安心していいよ」と励まされ、精神安定剤をもらった。

 発病に性的なことが絡んでいないか医師は疑い、カウンセリングを受けた。実際にわたしは小学生のときに性的悪戯を受けたことがあって、医師の疑いからそれが原因だとずっと思い続けていたが、果たしてそうなのか、現在のわたしはそのことにいささか懐疑的だ(このことについては以前、文藝春秋の雑誌「諸君」の読者欄に投稿して掲載された短文があるので、いずれこのブログで紹介したい)。

 自己暗示をかける催眠療法というのがあるがどうするか、尤もそれを受けて一旦治ったようでもぶり返すことが多いが――と、医師は訊いてきた。黙り込んだのだったか何か答えたのだったかは忘れたが、催眠療法は受けなかった。結局そのクリニックには何回通っただろう、数えるほどだったと思う。

 その頃の医師は精神安定剤をあまり処方したがらなかったが、理由をいえば薬局は売ってくれた。飲めば体に作用するが、肝心の患部というか弱みには全く効果が感じられない――従って飲んでも無意味に近いその薬を、わたしは母に内緒で買い漁るようになった。

 「試験のとき、極端にあがってしまうので」といえば、薬局のほうではしぶしぶ売ってくれた。同じ手はなかなか使えない。それにどういうわけか、町中にある薬局のうちの数軒に母の同級生やら友人やらがいて、母にばれたら困るという思いがあった。とうとう町中の薬局には行き尽くし、精神科のクリニックのある繁華街でまで買い漁るようになった。まるで麻薬中毒患者のようだ、とわれながら思った。

 ある日一大決心をして、悪癖を断つことにした。遠くまで行って精神安定剤を買い漁るには旅費が必要で、小遣いからはその費用が捻出できなくなったというのが、直接的な理由だった。もっと深いところで、このままではいずれ廃人のようになってしまうのではないかという恐怖が働いていた。

 かといって症状は強まるばかりだった。全校集会のときなどは、冷や汗が出、体が燃えるように熱くなったり顔が青くなったりしながら堪え、緊張が極まるとふいに自分がどこにいるのか何をしているのかもわからなくなる瞬間があるほどだった。

 朝夕のジョギング、バレー部への入部、読書へののめり込み……と症状を軽減させたい思いで必死だった。当然成績はひどく、高校1年次には赤点を頻繁にとり、職員会議によるお情けで落第するところを救って貰った。そんな劣等性が何人かいて、保護者共々校長室で説教された。母は曇った顔をしていた。

 わたしは号泣したが、成績のことで泣いたわけではなく、自分の危うい将来を案じて泣いたのだった。症状は変らぬまま、3年次までいったけれど、2年次にはコツを覚え、ほとんど赤点をとらなくなった。試験のときは最初の10分間で死に物狂いで、超スピードで問題を解いた。それで何とか赤点は免れたのだ。無事に卒業もできた。

  ブログを読んでいると、薬物に頼りすぎている人が多すぎるように思え、心配になる。勿論必要な場合もあるだろうが、基本的に神経症に関する限り、薬はあまりいらないのではないだろうか。素人判断にすぎないかもしれないけれど。

 ただわたしと症状は違うが、同じ神経症という当初の診断から、精神安定剤や眠剤を服用するようになり、服用の度合いが強まると共に症状も変化したのだろうか、鬱病・パニック障害・境界型人格障害がセットの診断を受けた友人がいる。同じ診断名の人のブログが多いことに驚いたこともあって、少し疑問を覚えたのだった。

 近代神智学の創始者ブラヴァツキーは、まだニューヨークにあまり高い建物がなかった時代の人だが、眠りの重要性を神秘主義の立場から解説している。確かどこかで、飲酒や薬物による眠りからは本物の眠りが得られないとして警告している。

|

その他のカテゴリー

Livly | Notes:アストリッド・リンドグレーン | Notes:アントニオ・タブッキ | Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派 | Notes:不思議な接着剤 | Notes:卑弥呼 | Notes:国会中継 | Notes:夏目漱石 | Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ) | Notes:江戸初期五景2(天海・崇伝) | Notes:源氏物語 | Notes:百年文庫(ポプラ社) | Theosophy(神智学) | top page | ◆マダムNの電子書籍一覧 | ◇高校生の読書感想文におすすめの本 | ★シネマ・インデックス | ★マダムNの文芸作品一覧 | ★当サイトで紹介した作家、思想家一覧 | ☆☆紹介記事 | ☆マダムNのサイト総合案内 | ☆メールフォーム | おすすめKindle本 | おすすめYouTube | おすすめサイト | お出かけ | お知らせ | ぬいぐるみ・人形 | やきもの | よみさんの3D作品 | アクセス解析 | アニメ・コミック | アバター | イベント・行事 | イングリット・フジコ・ヘミング | ウェブログ・ココログ関連 | ウォーキング | エッセー「バルザックと神秘主義と現代」 | エッセー「卑弥呼をめぐる私的考察」 | エッセー「宇佐神宮にて」 | エッセー「文学賞落選、夢の中のプードル」 | エッセー「映画『ヒトラー最期の12日間』を観て」 | エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」 | エッセー「百年前の子供たち」 | エッセー「精神安定剤」の思い出」 | エッセー「自己流の危険な断食の思い出」 | オペラ・バレエ・コンサート | オルハン・パムク | カリール・ジブラン(カーリル・ギブラン) | ガブリエラ・ミストラル | クッキング | グルメ | コラム「新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について」 | シネマ | シモーヌ・ヴェイユ | ショッピング | テレビ | ニュース | ハウツー「読書のコツを少しだけ伝授します」 | バルザック | パソコン・インターネット | マダムNのYouTube | マダムNの他サイト情報 | マリア・テレジア | メモ帳Ⅰ | メモ帳Ⅱ | ライナー・マリア・リルケ | 俳句 | 健康 №1(治療中の疾患と服用中の薬) | 健康 №2(体調)  | 健康 №3(受診) | 健康 №4(入院) | 健康 №5(お役立ち情報etc) | 健康 №6(ダイエット) | 健康 №7(ジェネリック問題) | 健康 №8(日記から拾った過去の健康に関する記録) | 健康№8(携帯型心電計) | 児童文学 | 児童文学作品「すみれ色の帽子」 | 写真集「秋芳洞」 | 創作関連(賞応募、同人誌etc) | 占星術・タロット | 友人の詩/行織沢子小詩集 | 地域 | | 夫の定年 | 季節 | 家庭での出来事 | 山岸凉子 | 思想 | 恩田陸の怪しい手法オマージュ | 息子の就活 | 息子関連 | 手記「枕許からのレポート」 | 文化・芸術 | 文学 №1(総合・研究)  | 文学 №2(自作関連) | 日記・コラム・つぶやき | 時事・世相 | 書籍・雑誌 | 未来予知・予測(未来人2062氏、JJ氏…) | 村上春樹 | 村上春樹現象の深層 | 東京旅行2012年 | 植物あるいは動物 | 検索ワードに反応してみました | 歴史 | 瀕死の児童文学界 | 父の問題 | 珈琲 | 神戸旅行2015 | 神秘主義 | 福島第一原発関連 | 科学 | 経済・政治・国際 | 美術 | 能楽 | 自作小説「あけぼの―邪馬台国物語―」 | 自作短編童話「風の女王」 | 自作童話「不思議な接着剤」 | 芥川賞・三田文學新人賞・織田作之助青春賞 | 萬子媛 - 祐徳稲荷神社 | 薔薇に寄せて☆リルケの詩篇『薔薇』のご紹介 | 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』 | 評論・文学論 | | 連載小説「地味な人」 | 電子書籍 | 音楽