カテゴリー「家庭での出来事」の450件の記事

2021年3月 2日 (火)

Kindleストアで販売中の短編純文学小説『昼下がりのカタルシス』の表紙を替えました

拙電子書籍のお知らせが続きます。このお知らせと一緒に、新型コロナワクチンに関する動画を紹介するつもりでしたが、次の記事にします。

新型コロナワクチンには賛否両論あるようです。「賛」のほうはメディアが流しているので、懸念を表明しているほうの動画を紹介したいと思っています。

批判的または警告的な情報がYouTubeやツイッターで削除対象になることが珍しくない状況に、言論弾圧みたいで異常な世相だと感じますが(2020米大統領選のときからこの傾向が顕著ですね)、既存メディアに依拠した生活をなさっているかたにはこの異常性が伝わらないかもしれません。

ただ、わたし自身は科学音痴であるため、多くの情報を集めたいと思っている段階でして、「賛」「否」いずれに属する情報にもなるべく目を通すようにしています。

小倉に住む友人から電話がかかってきて、この件でも大いに話が盛り上がりました。

以下はAmazonの商品説明より

 一キリスト者と一神秘主義者の死をも超えた静かな対決。
 地下に潜らざるをえなかった神秘主義思想の歴史、「わたし」の境遇と片恋といってよい情感とが作品の通奏低音となっている。
 新約聖書のパウロの言葉とマグダラのマリア伝説が妖しく絡み合う。
 本格的神秘主義小説。

 青雨は華やいで見えた。太り気味だが品のよい、中年の――わたしと同年代ではないだろうか――女性にしきりに話しかけながら、時折、軽い驚きを籠めた眼で、もう一人の若い女性を見ていた。
 その女性は、御伽の国から抜け出したように綺麗だった。袖なしの黒のレースドレスを着ていて、まるい、すべすべした肩をむき出しにしている。腰にはアンティーク調の茶色いベルトをゆるやかに巻いていた。お菓子のようなミニハットを被っている。編み込んだ髪の毛。柔らかな頬の線はまだ少女のものだった。(本文より)

 

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。拙電子著書一覧を御覧いただけます。

Amazon.co.jp: 直塚万季: 作品一覧、著書略歴
https://amzn.to/2XlMha2

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2021年2月23日 (火)

21日、誕生日でした。落ち着きのある美しい花束と神秘的なバースデーカード。

この街では珍しい時折の吹雪のような天候の日があったと思うと、一転して21日は5月のような陽気でした。

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娘の贈ってくれた花束です。落ち着きのある美しい花束です。

紅薔薇、ピンクの赤い実はヒペリカム、薄いオレンジがかったピンクの花はストックではないかと思います。

花瓶の水にハイター数滴、栄養に砂糖を少量入れると、花が長持ちしますね。花を見ていると、浄化されるような気持ちになります。

浄化といえば、これは神秘主義的な話題になりますが、誕生日の朝、顔を洗ったあとで化粧水をつけようとして、左手を器の形にしたとき、その掌に落ちてくるかのように、サファイアの星のような光が煌めきました。

お亡くなりになった神智学の先生からの光のバースデーカードだと直感しました。先生は会員たちとの文通がお好きでしたが、今もお続けになっているとわたしは感じています。会員たちの何人が光のメッセージを受け止めることができているかは知りませんが。

以下の過去記事にもう少し詳しく書いていますので、引用しておきます。

2011年7月16日 (土)
午前中いっぱい、書き殴り。病人にとっての節電のメリット・デメリット。久しぶりの神秘的な便り。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2011/07/post-f065.html

そういえば、水曜日、久しぶりにお亡くなりになった神智学を教えていただいた先生から、便りがありました。生きていらしたときは葉書や便箋に書かれ、お亡くなりになって数年はテレパシーといってよい直截的な言葉で、そのあとからは空間に星のように煌めく金色や青色や紫色の光で。

紫色の光でした。ある絶望感から先生に「わたしのことなんか、お忘れなのでしょう?」と心の中で呼びかけたところ数時間して、さりげなく紫色の星のような煌めきが空間に(テーブルの高さくらいのところに)見えました。雄弁でありながら慎ましやかな、美麗な光でした。

死んで7日内の彼の世に行く前、わが家を訪ねた人は神智学を教えてくださった先生を含めて今のところ4人ですが(幽霊が見えたわけではなく、2人はオーラがはっきりと見え、残る2人は感覚的に察知できました。そのうちの男性の訪問者が今回取り組んでいる小説に出てくる人物のモデル)、このような文通(?)が互いの生死とは無関係に可能なのは16年前にお亡くなりになった神智学の先生とだけです。

エレナ・レーリッヒが「紫、青、銀色、そして金色の点は、いつもよい死者たちであり、あるいは師匠のご放射が近いことを示すものであると書いていますが、この解説もわたしには実感としてわかります。

先生の命日は平成7年(1995)4月11日ですから、お亡くなりになってから今年の4月11日で26年です。先生、今後も、竜王会と神智学協会ニッポン・ロッジをお見守りください。

当記事はあくまで個人的な考えから執筆したものであることをお断りしておきます。

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2021年2月 8日 (月)

高校の統合で校歌が70年前のものに戻っていたので、作詞者と作曲者について調べてみました(夕方、数箇所の訂正あり)

望郷の念に駆られたワタクシ的記事です。同じ思いを共有できるかたが閲覧してくださるかもしれないので。

まだ構想段階といってよい、萬子媛をシテのモデルとした新作能のことを考えながら、祐徳稲荷神社の新しいドローン動画がアップされていないだろうかと思ってYouTubeを見ていると、次の動画が出てきてびっくりしました。

佐賀県立鹿島高校と同鹿島実業高校が統合され、新「鹿島高校」の新校歌は格調高く、それもその筈、作詞はあの下村湖人です。
2018/07/26
榊次郎チャンネル
https://youtu.be/3mVpzi00kn8

※動画の一番の歌詞に誤字があるようです。「光るよ心理光るよ光るよ 久遠の心理」は「光るよ真理光るよ光るよ 久遠の真理」。(『校歌・校章』「佐賀県立鹿島高等学校」https://www.education.saga.jp/hp/kashimakoukou-n/?content=%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%81%ae%e7%8f%be%e7%8a%b6)

統合ですって? 全く知りませんでした。同窓会会報をちゃんと見ていなかったのでしょうね。

ウィキペディア「佐賀県立鹿島高等学校」

概要
歴史
1896年(明治29年)設立の佐賀県尋常中学校鹿島分校(旧制、後の第二中学校、鹿島中学校)を前身とし、2006年(平成18年)に創立110周年を迎えた。2018年(平成30年)に佐賀県立鹿島実業高等学校と統合し、新たに開校した。

校地
旧鹿島鍋島藩の鹿島城跡で、その城門(赤門)は現在も校門として使用されている。旭ヶ丘公園に隣接する。統合後は上記の校舎を赤門学舎、隣接する鹿島実業校舎を大手門学舎の2校舎制とする。

校歌
1955年(昭和30年)に鹿島実業が分離する前に使われた校歌が使われている。作詞が下村湖人、作曲は名倉晰。

ウィキペディアの執筆者. “佐賀県立鹿島高等学校”. ウィキペディア日本語版. 2020-12-26. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BD%90%E8%B3%80%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1&oldid=81031137, (参照 2021-02-07).

城跡が高校として使用されていますが、鹿島城は移転してきたものであったため、萬子媛がここにあった城にお住まいになったことはありません。

下村湖人は『次郎物語』で知られる小説家です。わたしは以前は詩、詩の才能がないことを自覚してからは主に小説の創作を続けてきたので、歌詞にもその方面からの興味が湧きます。下村湖人についてもウィキを見てみましょう。

ウィキペディア「下村湖人」

下村 湖人(しもむら こじん、1884年(明治17年)10月3日 - 1955年(昭和30年)4月20日)は、日本の小説家・社会教育家。本名は下村 虎六郎(しもむら ころくろう)、旧姓は内田(うちだ)。

佐賀県神埼郡千歳村大字崎村(現神埼市千代田町崎村)出身。東京帝国大学英文科卒。大学卒業後に母校佐賀中学校教師や鹿島中学校校長等を歴任。教職辞任後は、同郷で高校・大学同窓の田澤義鋪に従い、講演や文筆活動で社会教育に尽力。青少年に影響を与えた『次郎物語』の著者として知られる。

ウィキペディアの執筆者. “下村湖人”. ウィキペディア日本語版. 2020-10-18. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%8B%E6%9D%91%E6%B9%96%E4%BA%BA&oldid=80035114, (参照 2021-02-07).

湖人は神埼出身ではありませんか。父の実家が神埼なので、あの辺り……とぴんと来ます。また、「鹿島中学高校長等を歴任」とあります。学校教育法が施行された1947年、湖人は63歳ですから、鹿島中学校というのは旧姓中学校、すなわち新制施行後の鹿島高校でしょう。下村湖人がわたしの母校の校長先生をしていたなんて、知りませんでした。

湖人が作詞した「鹿島高校」の校歌は、最近作られたといわれても不思議ではないほど、現代にもマッチする、瑞々しさのある作品ですね。作曲は名倉晰。以下の曲を作った人です。何て格調高いクラシック作品!

タランテルラ舞曲 名倉晰 Tarantella Akira Nagura
2020/08/05
Piano Times
https://youtu.be/8ePitrf3Ab4

一方のわたしが馴染んだ鹿島高校の校歌も、すばらしい作品です。これが歌われなくなると思うと、残念な気がします。文学賞に落ちるたび、この校歌を歌って、気持ちを奮い立たせたものです。「プロになれようとなれまいと、文学的な妥協は一切しないぞ。変人と思われようと何といわれようと、真理を探究し続けるぞ」という気持ちにさせてくれる歌なのです。

清廉な気の漂う作品で、求道性、物語性を感じさせます。自然の神秘に思いを馳せさせてくれます。端正で古風な感じのするところが伝統を感じさせて、またいい。

佐賀県鹿島市にある佐賀県立鹿島高等学校 校歌(歌詞付)
2013/10/30
nanaura7days
https://youtu.be/OazmQPrtZCQ

作詞: 川上清吉  作曲: 滝本泰三

旭ヶ丘に立つ門の
丹塗ゆかしき学び舎よ
映ゆる桜は年ごとに
歴史の土に帰すれども
我は希望の眉あげて
久遠の愛に生きゆかむ

山姿いつけき多良ヶ嶺に
秘めし大地の情熱よ
誠はうすれ意気は涸れ
濁世は嵐すさぶとも
我が足どりに乱れなく
不滅の道を歩みなむ

不知火走る有明の
海のつつめる奇しさよ
大き自然を前にして
知恵の燈しはともしくも
学徒我等の若さもて
無限の真理さぐりなむ

作詞は川上清吉。ウィキには出ていません。島根県浜田市公式Webサイト「浜田の人物誌」に次のように紹介されています。(https://www.city.hamada.shimane.jp/www/contents/1001000002496/index.html)

川上清吉(かわかみせいきち)

  • 出身地……新町
  • 生没年……明治29年~昭和34年(1896~1959)
  • 功績……独学で高等教員の資格を取得し、浜田高校の校長などを経て、島根大学教授となる。教壇を去った後、親鸞を研究。浜田市民歌作詞。

   参考書籍 

  • 浜田市,『浜田市誌 下巻』,昭和48年12月25日,p.149.
  • 浜田市教育委員会,『浜田の人物ものがたり 第一集』,平成7年4月1日,pp.48-55.

さらにググると、「―念仏者 川上清吉―」という文章が出てきました。

島根県に川上清吉(1896~1959)という念仏者がいました。佐賀師範学校教授、浜田第一高校校長、島根大学教授を務めた方です。

西原祐治. “―念仏者 川上清吉―”. 西方寺・西原祐治のホームページ. http://www.jade.dti.ne.jp/~otera/siekitigennkou.htm, (参照 2021-02-08).

次のような文章も出てきました。「第461回 念仏の人 川上清吉さん」

島根県出身で、戦前戦後、混乱の時代に佐賀の鹿島中学や
佐賀師範学校で教鞭を執られていた、念仏者の川上清吉と
言う方がおられました。

学校の中だけではなく、お寺の法座でもお話をいただき、
このご縁でお念仏に導かれた方が多かったようです。

妙念寺住職 藤本誠. “第461回 念仏の人 川上清吉さん”. 妙念寺PCホーム. http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub9461nennbutunohito.htm, (参照 2021-02-08).

鹿島に縁がおありで、そして、やはり普通の人の歌詞ではなかった……求道者がお書きになった歌詞だったんだと思い、胸が熱くなりました。

作曲は滝本泰三。現役でご活躍でした!

滝本泰三先生 95歳で慰問コンサート!
2020/07/07
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https://youtu.be/a0ziZRc-PN0

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2021年1月 1日 (金)

あけましておめでとうございます。初御空に一句。

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JackieLou DLによるPixabayからの画像

あけましておめでとうございます

すばらしい一年になりますよう
お祈り申し上げます
本年もどうぞよろしくお願い致します

 令和三年 元旦

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

天気予報では初日の出のころは曇りとなっていたので、今年は初日の出を拝むことはできないだろうと思っていました。

息子は帰省せず(寂しい)、定年退職後はホテルの夜間フロント兼警備員をしている夫は、大晦日は出勤でした。

娘と呑気に大晦日……とはいかず、というのも、娘もわたしも年内に年賀状を書き終えていなかったので、共に徹夜の予定だったのです。娘は途中で寝てしまいました。わたしは書き続けて早朝、夫の帰宅に合わせて駐車場へ下り、中央郵便局へ車で送って貰うことにしました。

朝出かけるころになると、娘が起きたので、書き終えたぶんを預かり、買い物をいいつかりました。

夫は大晦日から出勤したときは、初日の出に合わせたように帰宅します。たまたまなのですが……。今年も、道路から初日の出が拝める時間帯に帰宅したので、車に乗る前に道路のほうへ回ってみました。

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初日の出を邪魔するかのように、雲が覆っていました。全体が曇っていたわけではなかったので、太陽が昇ってくるのを待っていましたが、見えそうにもないと諦めました。

夫の話によると、ホテルでは初日の出を拝みたいお客さんのために、海が見える特設会場が設けられていたものの、今年は曇っていて拝めなかったみたいだよ、といいました。

夫の車で郵便局へ。時間外窓口で年賀状を手渡し、次にコンビニへ。

すると、コンビニへ行く途中、昇りつつある太陽の姿が見えたのです。

夫は「コンビニの駐車場から写真が撮れるんじゃない? ゆっくり撮ってくるといいよ」といってくれました。

コンビニの駐車場からは無理でした。コンビニを出て道を少し戻ると、幸いそこから初日の出を拝むことができました。

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何て神々しいのでしょう!  わたしの写真ではうまく伝わりません。

あまりの美しさに太陽に釘付けになっていると、まるで初日の出を寿ぐかのように鴉が飛んできました。普段、鴉は好きではないのですが、このときは八咫烏を連想しました。

八咫烏は神話に登場する三本脚の鴉で、導きの神とされています。太陽の化身とも。

思いがけなく初日の出を拝めた感動に胸がいっぱいでした。コンビニでハーゲンダッツを3個買い、お菓子や飲み物なども買い込みました。

帰宅の途中、車の中からまともにお日様を拝みました。

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うまく撮影できませんでしたが、円い太陽の形がわかりました。強い、暖かな光でした。車の中から丘に続く家々をみると、光を受けて金色に輝いています。

初御空に一句。

初御空雲と光と鴉かな

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2020年10月23日 (金)

YouTubeに動画「『原子の無限の分割性』とブラヴァツキー夫人は言う」をアップしました。娘の転職。

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中のエッセー 106「『原子の無限の分割性』とブラヴァツキー夫人は言う」を機械朗読で動画にしました。

文章を読む場合とは違って、動画だと前後関係がパッと目に入らないので、説明を加えなくてはわかりづらいなあと思う箇所が多々ありました。今回も簡単なWindows10 の標準アプリ「フォト」に統合されている動画編集機能 ビデオエディターで作成。

動画の作り方をもう少し勉強しないとまずいのですが、ちょっと今はその余裕がありません。

萬子媛をモデルとした新作能の執筆に入りました。頭は完全にそちらのモードです。レイチェル・ストームの著作、大田氏の論文の感想はまとめる必要があると思っているので、間で時間を作ってそうしたいと考えています。

話題は変わりますが、娘が初の正社員になり、かなりホッとしています。今もそうですが、病院勤務になります。

今勤務している病院は、それまでの流通業勤務(書店員)に比べると、待遇はよかったのですが、書店員のときと同じ契約社員で日給、土日祝日が休みで休日が多いだけに、祝日の多い月だと寂しすぎる給料だったようです。まだ契約期間は残っているのですが、常にハロワ情報のチェックはしていました。

法学部卒の学歴を活かしたい、と法律事務所を探していた時期もありました。でも、中国で研修を受けた弁護士とか、コリアン系弁護士などもちらほらおられ、友好国の弁護士ならともかく、日弁連の問題点などもいわれている日本特有の事情がここ数年で一般にも明らかになってくるにつれ、その方面で見つけるのは及び腰に。

娘は医療関係には全く関心が向かなかったのですが、書店時代に仲良くなった――わたしまで一緒に仲良くなった――年下の女友達が「こんなのはどう?」と勧めてくれたとか。彼女は現在、大阪で手話通訳の仕事を頑張っています。遠距離恋愛の彼氏とは別れたとか。

2019年4月13日 (土)
新生活に向けて出発した娘の女友達
https://elder.tea-nifty.com/blog/2019/04/post-0e97d4.html

今いる病院ではレセプトの経験はなかったので、決まらなくても仕方がないと思っていました。決まっただけでなく、本来はレセプト経験者に出る手当を、年齢を考慮して出していただけるそうで、ありがたいねと話しました。年齢が高くなれば、むしろお給料を減らされそうなご時世下で……。

今いる処と同じような総合病院を、娘は探していました。でも大抵、大病院には派遣が入っていて、あとはパート。契約の求人ですら、まれです。娘は少人数の家庭的な職場よりも、風通しのよい職場が好みで、先生が一人といったクリニックは気が進まず……

結果的に専門性の高い、それに関連した科がいくつかある病院を受け、受かりました。県内ではここにしかない装置があり、夜間よく救急車がそちらへ向かっています。でも、まさかそこに勤務することになるとは……。

娘の周囲でも、親がそこでよい治療を受けた、という人が数名いて、やり甲斐がありそうですが、求められる仕事は通信講座で学んだだけのレセプト。面接のときに大学時代の部活を訊かれ、古文書研究会と娘が答えると、「古文書より簡単ですよ」といわれたそうですが、どうでしょう。

職場の上司にやめることを報告すると、「俺たち、棄てられるん?」と寂しがってみせてくださり、どこに行くか訊かれて答えると、「あそこはいいよ~。正社員に決まってよかった、おめでとう!」と祝福して貰えたそうです。

娘はさっそく同じ科の人達との食事会に行っていました。

ただ、娘が本当に好きなのは本の仕事だとか。天職を表す土星のサビアンが「互いの知識の範囲に橋をかける方法を模索する人類」だからでしょうか。本当は編集者になりたかった娘です。

書店員のときは「人文」を受け持っていました。その関係のどの本のことを訊いてもちゃんと目を通して知っているので、契約ではもったいないと親の買いかぶりかもしれませんが、思っていました。本の評価にも、眼識があったと思います。

しかし、サビアンシンボルでは、「歯科の仕事」「X線」といった病院関係のシンボルがあるので、病院とのほうが縁ができやすいのかもしれません。

決まった病院の創立年月日を調べてサビアンを出すと、そこは歯科ではないのに、なぜか「歯科の仕事」が二つも入っていましたし、他にも娘と重なるサビアンがいくつかあり、「X線」とも関係の深い専門病院なので、これは決まるかもしれないと思っていました。

ちなみに娘のホロスコープでは、月のサビアンが「歯科の仕事」です。月は、人物では母親、妻、大衆などを表します。わたしは娘にとって、歯医者さんみたいにガリガリやる母親かもしれません。娘が成人してからは小言をいうこともほぼなくなりましたが、子供の頃は娘の呑気なところが心配でイライラして、よく小言をいっていました。糠に釘のようなところがありましたけれど。

今ではわたしのほうが呑気になって、時々娘から小言をいわれます。

息子の月のサビアンは「机に座っている偉大なビジネスマン」。松村潔『決定版!!サビアン占星術』(学習研究社、2004)によると、「広い視野を持ち、大きな仕事に向いている人です。……(略)……ヴィジョンの大きさは秀逸ですが、実現には多くの人の犠牲を伴います」「壮大なヴィジョンを形にしたくなります。こういう時には、たとえば小説を書いたりすると、一人で全ての世界を構築する願望が満たされます」とあり、子供達が成人するまでわたしは小説ばかり書いていて、結果的にそのことで迷惑をかけた面があると今になって反省しています。

わたしのサビアンにはどちらもありません。子供たちの目に映る母親像がこれらだということでしょうね。

長話になりましたが、動画をアップしておきます。

https://youtu.be/c54EEOWPngo

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2020年10月13日 (火)

リブリーリプート、リブリーが戻ってくる! 今後の創作予定。

昼頃、職場にいる娘からメールがありました。「リブリーが復活するかもしれないよ」との思いがけない内容でした。

歓喜したことは、いうまでもありません。

リヴ、また会えるね! この一年、長かった……

2019年11月 2日 (土)
『Livly Island』、2019年12月26日(木)12:00をもって運営サービス終了とのことです。夢のように美しい、温かな世界への感謝をこめて。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2019/11/post-37dcae.html

2019年11月29日 (金)
リヴリーと遊べる貴重な日々
https://elder.tea-nifty.com/blog/2019/11/post-d5b9c4.html

2019年12月26日 (木)
エクリヴァン、クレール、青玉(うちのリヴリーたち)、今度は夢の世界で会おうね。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2019/12/post-e24e8f.html

話題が変わりますが、神秘主義エッセーブログにアップした2本の記事には加筆、訂正を加えたので、こちらにもアップしておきたいと思います。

他にも溜まっている下書きがあるのですが、追々。

今後の予定としては、前に予定していた記事をまとめて前掲ブログにアップし、それを終えたら動画を1本作成したいと考えています(早くも動画の作り方、忘れかけています)。

MAKI NAOTSUKA(聴く文学エッセイはいかが?)

これらを終えたら、萬子媛をシテのモデルとした新作能へ。その前にアップしておきたい記事が次々に出てきて、なかなか萬子媛の作品に戻れませんでしたが、水面下では途切れることなく、作品について考えていました。

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2020年10月 2日 (金)

名月に三句

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娘がスマホで撮った月。

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わたしがiPadで撮った月。

どうしても白っぽく写ってしまいますが、金色に近い濃い色の迫力のある月でした。

名月を拝めば、下手な俳句を作りたくなるのが困った癖です。

名月を探して階段[きざはし]下りにけり

仰ぎ見る月の面輪の尊さよ

金色[こんじき]の月のある夜[よ]の読書かな

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2020年9月21日 (月)

上沼恵美子のおしゃべりクッキング「豚肉とグリンピースのパスタ」、「きのこの中華丼」

娘が勤務先でお昼ごはんを食べながら、朝日放送テレビ『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』を観ていたそうです。

その日の献立がこのパスタで、ちょくちょく麺限定料理人になってくれる夫に娘がリクエスト。娘が作ってもいいんですけれどね。「わたし食べる人」に徹さないで。以前、わたしが25日間入院したときは「きっちり」ご馳走を作って写真をわたしに送ってくれました。

愛用していたのはグッチ祐三のレシピ。しっかり作ったのは、わたしの入院中に「パパが栄養失調になっては大変だ」と思ったからだそうで。作る人がいれば、あえて自分が作りたいとは思わないとのこと。うーん、どう返せばいいのか……。

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新しいレシピにはとりあえず抵抗してみせる夫は、「ハードルが高い!」と及び腰。パスタではペペロンチーノのベーコンバージョン、ナポリタンはとても美味しくて、難易度からすれば、ナポリタンと同じくらいではないでしょうか。

レシピを一緒に見て、どの辺が難しいと感じるのか訊くと、「ブイヨン…………使ったことない」とのこと。固形だと砕いたり、湯で溶かしたりとちょっと面倒かもしれません。冷凍グリンピースを使うことにも不安があるようでした。

ブイヨンは幸い粉末状がありました。冷凍グリンピースは袋を破ってそのまま入れるだけだと説明すると、納得の面持ち。

そして、極上の「豚肉とグリンピースのパスタ」の出来上がり! 本当に美味しかった! わたしが作ったら、これほど上手に作れるかどうか疑問です。レシピ自体は難易度の高いものではないので、おすすめです。

最初は渋々だった料理へのチャレンジも、最近は楽しそうに鼻歌を歌っていることがあります。「凄く美味しい!」というと、感極まった表情になることも。

定年退職後の男の料理はお勧めです。友人達のご主人も続々と定年になり、ギャンブル中毒気味、アルコール中毒気味になる人も珍しくないようです。夫婦の会話もなくなる人が多い。

以前テレビで、依存症には家事――特に料理がいいといっていましたよ。

わたしは夫に料理の喜びを知ってほしかったし、いざというときに夫も料理ができるようにとの思いで、お尻をひっぱたいて台所へと。

ただ、昔の男性にはプライドがあるので、わたしが普段作らないものを作りたいようでした。それで、麺の領域を夫に明け渡す(?)ことにしたわけでした。

麺をご飯に代えて丼物にすることもできる場合が多く、案外難しい麺の扱いに慣れば、もうレシピさえ見れば、色々なものが作れると思います。

翌日、わたしも『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』を視聴しました。

その日の献立も美味しそうだったので、夕飯に作りました。これも難易度は高くありませんでした。これから寒くなってくると、丼物がほしくなりますね。

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2020年9月13日 (日)

本家の歴史の終焉  その弐

前記事に書いた義理の伯母(伯父の奥さん)の話の続きになりますが、QRコードをスマートフォンで読み込んで追悼動画を閲覧できます――と会葬礼状にありました。

伯父のときには会葬礼状にそのようなことは書かれていなかったので、妹と「最新のオプションかな、凄いね」と感心しました。

実は、伯母のお通夜は、台風のため、ドライアイスで持たせて遅らせたそうです。

会葬礼状には「母が倒れたのは父の四十九日り法要の翌日でした。そして百箇日の日に父のもとに旅立ちました」とあり、「向かう先でも仲睦まじく過ごすのだと思えば心が少しは軽くなります」ともありました。

わたしはガラケーを使っているので、娘のスマホで閲覧しました。スマホで見るにはパソコンに慣れたわたしには、画面が小さい。

追悼動画をパソコンで閲覧できないだろうかと思い、ガラケーで読み込んだURLをパソコンにメールで送り、アクセスしたら閲覧できました。動画を閲覧できるのは1ヶ月間とありますが、右クリックで「画像の保存」が出てきます。パソコンにダウンロードすることも可能でした。

追悼動画を閲覧して伯母の人生を鳥瞰させて貰った気がしました。

伯母が9人きょうだいの長女だったとは知りませんでした。

都会的で綺麗な姿の女の人達4人と伯母とで写ってる写真がありました。姉妹の集合写真でしょう。

本家は、戦前は地主だったのではないかと思っています。確認したことはありませんが、母方の祖母の実家が大庄屋だったことはわかっており、その祖母の幼馴染みがよく父方の本家に出入りしていて、彼女がわたしの両親の婚姻を――泣き落としで――半ば強引に成立させたことから、似た家柄だったのではないかと……。

母方の祖母の実家と父方の本家は似たような家柄で、父方の本家に嫁いできた伯母の実家も似たような家柄だったのではないでしょうか。お嬢さん育ちだったのではないかと思えます。

地味ななりをし、額に汗して働いている伯母の姿ばかりが記憶にありますが、子供のころからわたしは伯母に心惹かれるものを感じていました。失礼な表現かもしれませんが、わたしの目には襤を纏ったシンデレラのように見えたのでした。

農家の人達は上品な人達……というイメージがわたしにはありました。本家の人達がそうだったからです。言葉は方言ですし、立ち振る舞いが見事だというわけでもないのに、なぜそのように感じたのでしょう?

清い品性が感じられたから……としか言いようがありません。

そのうち、農家の人だから上品な人とはいえない、わたしと同じように普通なのが一般的なのだ(?)と次第にわかったことから、父方の本家の戦前は、戦後とは暮らしぶりが違ったんじゃないかなと思うようになったのでした。

占領軍による農地改革などで、暮らしぶりは違ってしまっても、精神的な支柱は守り続けたのが本家の人々だったのではないかと推測しています。

別に、戦前の格差社会を礼賛するつもりで、このようなことを書いているわけではありません。事実と感じられることをそのまま書いているだけです。

戦前の格差社会においても色々な人がいたでしょう。ただ、格差社会といっても、求められる精神のありかたが違っていたことは確かです。持てる者には徳が求められた――そのような社会だったのではないでしょうか。

姉妹の集合写真では、伯母もめかし込んでいますが、苦労の色が濃く出ています。それは化粧では隠せません。妹達とは年齢差もありそうです。

農家の本家に嫁に来て、どんなに苦労したことでしょう。でも、表情が一番陰翳に富み、画家の欲望をそそりそうな素晴らしい顔です。伯母の笑顔の美しさといったらありません。

伯母は1928年生まれで、和暦だと昭和3年の生まれになります。終戦は1945年(昭和20年)ですから、そのとき伯母は17歳。長男の出産は25歳です。

結婚がいつだったかは知りませんが、長男出産の前年が結婚した年だと仮定すると、24歳での結婚。当時としては遅いほうではないでしょうか。

終戦後のゴタゴタで、結婚どころではなかったのかもしれません。そして、戦前からの縁で嫁いだ家は、すっかり貧乏な農家になっていた……

妹達とは年齢差がありそうですから、日本社会がもう少し落ち着いて、都会も活気を取り戻したころから苦労せずに済みそうな家と縁談が次々に調い、都会へ嫁いでいった……といったところではなかったでしょうか。わたしの憶測にすぎませんけれど。

お嬢さん育ちの嫁であっても、陰湿な嫁いびりを受け続ければ、意地悪になるか、病気になるか、離婚に至るかでしょう。

伯母は清い品性を保ち続けて、「多忙な中にも時間を作り、大正琴やお花を嗜んで心豊かに過ごしていた」と会葬礼状にもあります。

それからすると、陰湿な嫁いびりはなかったと思われます。3世代同居でしたから、様々な揉め事がなかったはずはありませんが。

わたしは婚家に同居していたわけでもないのに、嫁いびりで心臓がやられました。肉体の心臓を盾として、その奥に在す大切なものを防御したともいえます。

祖母は、曽祖父(祖母にとっては舅)がいたから嫁いできた、宗教上の師と思い嫁いできた、と話してくれたことがありました。

曽祖父が宗教家だったという話は聞いたことがありません。祖母は、舅の宗教的造詣の深さや、その教えを日々の暮らしで実践している人としてのよほどの尊敬があったのでしょう。

亡くなったわたしの母も、曽祖父を「素晴らしい人だった……」と褒めていました。どう素晴らしかったのか、具体的に聞いておけばよかったと後悔しています。

いずれにせよ、曽祖父の高潔な宗教観が家全体を包み込んでいて、陰湿ないじめなどは許さない雰囲気があったのでしょう。

伯母は貧乏な農家に嫁いできて苦労したでしょうが、何かしら精神的な恩恵には浴したのかもしれません。

重態に陥った母が回復したあとで(手記「枕許からのレポート」参照)、わたしが本家の仏壇に手を合わたとき、まるでそれに応えるかのように、えもいわれぬ高貴な菫色の光が見えました。

彼の世から本家を見守る曽祖父が贈ってくれた光だったのかもしれません。

「農閑期には日雇いの仕事出て家族のためにと頑張った働き者、40を過ぎてはじめた肉用牛の肥育にも力を注ぎました」と会葬礼状にあります。

手塩にかけた牛を出荷するとき、伯母は泣いていました。

政府の減反政策が影響して牛を飼うようになったように記憶しています。清廉な本家には肉用牛の肥育は家風に合っていませんでした。

しかし、今度は日米牛肉・オレンジ自由化問題が発生します。1971年です。その後の幾度かの輸入枠拡大を経て1988年6月、牛肉・オレンジ自由化交渉は合意に達しました。

そして、現在の問題の一つとして、日本の国土のあちこちが中共に買い漁られています。国は放置状態。先人が心血注いで守ってきた土地ですよ。政府の無策ぶりに怒りが湧きます。

すっかり老いた伯母が畑に出ている写真は、感動的です。草取りの最中なのでしょう、地面に這いつくばったまま、カメラに顔を上げています。

田畑が生き甲斐になっていた様子が窺え、まるで大地と一体化した人みたいに見えます。

この写真に、感極まりました(/_;)

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2020年9月11日 (金)

本家の歴史の終焉  その壱

6日ほども前の話になりますが、台風10号は大したことなかったとはいえ、当市に引っ越してきて15年、養生テープを買っておけばよかったと思ったのは初めてでした。

推定瞬間最大風速70mというニュースに驚かされながらも、マンションだし、大丈夫だろうと高を括っていました。ところが、実際には瞬間最大風速40mくらいだったにも拘わらず、ビルの頭が揺れて(地震のときみたいに)ドアがガタガタ音を立てるではありませんか。

鋭い風の唸り声に、恐怖の台風体験を思い出しました。物干し竿、布団干し、ゴミ容器、動かせる観葉植物は室内に取り込んでいたので、窓ガラスが割れないか、それだけが心配でした。養生テープがあればと思いました。

翌日、夫にホームセンターに行って貰ったところ、売り切れでした。まだ購入していませんが、備えておかなくてはと思っています。

その後、ブラヴァツキー夫人を批判した大田氏の論文に関する記事の続きを書くつもりで、南部陽一郎『クォーク』(講談社)の1981年初版と1998年第2版を図書館から借りました。39年前、何をわかったつもりであんなに興奮したのだろうと思いましたが、借りてよかったと思いました。続きは別記事で。

ブログの更新に時間がかかったのは、父方の本家の義理の伯母が亡くなったからでした。といっても、病院勤務の娘がコロナ対策のための越県自粛中で、家族であるわたしも自粛しないわけにはいかないと考え、葬儀には出席しませんでした。

実は5月下旬に伯父が亡くなったばかりでした。このときも、わたしは同じ理由で出席しませんでした。

コロナは風邪みたいなものだから自粛不要、という考え方も最近では出てきていますね。でも、娘の勤務する病院にコロナ疑いの人が毎日のように、ときには複数名やってきて検査を受け、入院したりもしている現実を知ると、クラスターの原因にはなりたくないなあと思ってしまいます。

こちらから持って行く可能性も、なきにしもあらずですし。

祖父母のときには出席したのに、長年本家の家長で、親戚中から慕われた伯父の葬儀にも、その妻である伯母の葬儀にも出席できなかった心苦しさがあります。

戦後も父方に残っていた家制度の名残が、これで尽きてしまったと感じました。大きな喪失感です。

弔電を打とうと、NTT西日本のホームページを見ると――伯父のときは電話帳を見て申し込んだので気づきませんでしたが――、電報台紙にお線香を添えたものの中に「白檀、白梅、ラベンダーの香り」という3種のお線香というのがあって、アロマテラピーみたい……と思いました。

跡継ぎの従兄はわたしより五つ年齢が上で、彼の父親に勝るとも劣らない人格者です。伯父も伯母も安心して彼の世へ旅立ったことと思いますが(神秘主義者としての経験からいえば、伯母に関してはまだ亡くなって3日目なので、透明な身体で別れの挨拶にあちこち回っている頃かもしれません)、3人いる子供達は皆家を離れており、跡継ぎになる子はいないとか。

3世帯同居であんなに大勢いて、盆正月に伺うと、親戚一同揃い、ずらっと並んだお膳が印象的でした。

伯母夫婦には苦労も多かったでしょう。

今日電話をくれた従兄が「この家に家内と2人になってしまったよ」と言ったとき、涙を抑えきれませんでした。

といっても、市役所を退職した従兄はなかなか忙しそうです。地区の仕事を複数引き受け、田圃の世話もあり(60頭飼っていた牛は今はいないそうで、田圃も縮小しているのかもしれません)、6人いる孫達の相手にもよく出かけるので、多忙な毎日だそうです。

「書いてるの?」と従兄。親戚にも友人知人にも、そう訊いてくれる人は少ないのです。

「賞狙いはやめましたよ。わたしも真っ当な人生を送るべきだったかなあ」といいましたが、文学と神智学に没頭したことで後悔したことは一度もありません。

「昔、Nちゃんちに遊びに行ったときに、お昼によく出して貰ったちゃんぽんの味が忘れられなくてさ」と従兄。「三宝軒のちゃんぽんね。わたしも食べたい。ずっと食べてないもの」とわたし。

「あのころ学生だったのに、いつの間にか立派なおじいちゃんになってしまって」というと、従兄はシーンとなりました。

亡くなった伯父夫婦は琴瑟相和の仲でした。伯父は謹厳実直でありながら柔和、伯母は面白くて情熱的な感じの人でした。

伯母は伯父の四十九日の翌日に脳梗塞で倒れ、百か日の日に亡くなりました。叔母さん、天晴れな最期でしたね。天国でお幸せに……伯父さんによろしく。

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