バルザックと神秘主義と現代 そのⅡ
幼い頃から神秘主義的な傾向を持ちながら、そのことを隠し、まだ恥じなければならないとの強迫観念を抱かずにはいられない者にとって、バルザックの名は母乳のようにほの甘く、また力そのものと感じられるのだ。小説を執筆しようとする時、強い神秘主義的な傾向と、これを抑えんとする常識とがわたしの中でせめぎあう。こうしたわたしの葛藤には、当然ながら時代の空気が強く作用していよう。
バルザックが死んだのは1850年のことであるが、彼が『あら皮』(この作品もまた神秘主義的な傾向の強い作品である)を書いた年、1831年にロシアの貴族の家に生まれたH・P・ブラヴァツキーは、《秘められた叡智》を求めて世界を経巡った。インド人のアデプト(《達成した者》を意味するラテン語)が終生変わらぬ彼女の守護者であり、また指導者であった。
インドの受難は深く、西洋では科学と心霊現象とが同格で人々の関心を煽り、無神論がひろがっていた。ブラヴァツキーは神秘主義復活運動を画する。アメリカ、インド、イギリスが運動の拠点となった。
なぜ、ロシア出身の女性の中に神秘主義がかくも鮮烈に結実したのかは、わかるような気がする。ロシアの土壌にはギリシア正教と呼ばれるキリスト教が浸透している(ロシア革命が起きるまでロシアの国教であった)が、ギリシア正教には、ギリシア哲学とオリエント神秘主義の融合したヘレニズム時代の残り香があることを想えば、東西の神秘主義体系の融合をはかるにふさわしい媒介者がロシアから出たのも当然のことに思える。
大きな碧眼が印象的な獅子にも似た風貌、ピアノの名手であったという綺麗な手、論理的で、素晴しい頭脳と火のような集中力と豊潤な感受性に恵まれたブラヴァツキーはうってつけの媒介者であった。
ちなみに彼女には哲学的な論文のシリーズの他に、ゴシック小説の影響を感じさせる『夢魔物語』と題されたオカルト小説集がある。変わったものでは、日本が舞台で、山伏の登場する一編がある。
彼女の小説を読みながらわたしは何度も、映像的な描写に長けたゴーゴリの筆遣いを思い出した。また内容の深刻さにおいてギリシア正教作家であったドストエフスキーを、思考の清潔さにおいてトルストイを連想させる彼女の小説には、ロシア文学の強い香がある。
ブラヴァツキーは大著『シークレット・ドクトリン』の中で、バルザックのことを〈フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかったが)〉(田中恵美子・ジェフ・クラーク訳)と言っている。
そして、ブラヴァツキーより少し前に生まれ、少し前に死んだ重要な思想家にマルクス(1818―83)がいる。一世を風靡したマルクス主義の影響がどれほど大きいものであったか、そして今なおどれほど大きいものであるかを知るには、世界文学史を一瞥すれば事足りる。
史的唯物論を基本的原理とするマルクスが世に出たあとで、文学の概念は明らかに変わった。
従来バルザックは最もすぐれた近代社会の解説者とのみ認められ、「哲学小説」は無視せられがちであり、特にいわゆる神秘主義が無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている現代においてその傾向が強かろうと想われるが、バルザックのリアリズムは彼の神秘世界観と密接な関係を有するものであり、この意味においても彼の「哲学小説」は無視すべからざるものであることをここで注意しておきたい。
昭和36年に東京創元社から出された、「バルザック全集」弟3巻における安土正夫氏の解説からの引用である。解説にあるような昭和36年当時の《現代》を用意したのは、誰よりもマルキストたちであった。
エンゲルスは、バルザックが自分の愛する貴族たちを没落の運命にあるように描いたというので彼を〈リアリズムの最も偉大な勝利の一つ〉と賞賛した。バルザックが自らの《階級的同情》と《政治的偏見》を殺して写実に努めたこと、また、そうした先見の明を備えたリアリスティックな精神を誉めたのである。
わたしなどにはわかりにくい賞賛の内容だが、それ以降バルザックは、マルキストたちの文学理論――リアリズム論――にひっぱりだことなる。次に挙げるゴーリキー宛のレーニンの手紙なども、わたしには不可解な内容である。
だが、宗教を民衆のアヘンと見るマルクスのイデオロギーに由来するこの神のイメージは――階級闘争うんぬんを除けば――今では、日本人の平均的な神の概念といってよい。
神は社会的感情をめざめさせ、組織する諸観念の複合体だというのはまちがいです。これは観念の物質的起源をぼかしているボグダーノフ的観念論です。神は(歴史的・俗世間的に)第一に、人間の愚鈍なおさえつけられた状態、外的自然と階級的抑圧とによって生みだされた観念、このおさえつけられた状態を固定させ、階級闘争を眠り込ませる観念の複合体です。(山村房次『マルクス主義の文学理論』弟2部)
神という言葉には人類の歴史が吹き込んだおびただしいニュアンスが息づいているにも拘らず、この問題をこうも単純化してしまえるのだから、レーニンはその方面の教養には乏しかったと思わざるを得ない。
神秘主義は、宗教自身の自覚のあるなしは別として、諸宗教の核心であり、共通項である。従って、マルキストによって宗教に浴びせられた否定の言葉は何よりも神秘主義に向けられたものであったのだ。
マルキストたちが招いた文学的状況は、今もあまり変わってはいない。
日本には今、心霊的、あるいは黒魔術的とでも言いたくなるような異様なムードが漂っている。娯楽の分野でも、事件の分野(サリン事件、酒鬼薔薇事件)でも、純文学の分野ですら、こうしたムードを遊戯的に好むのである。
言葉の中身りも、まず声、息のつぎ方、しぐさ、コトバの選び方、顔色、表情、まばたきの回数……などを観察する。するとその人の形がだんだん浮かんでくる。オーラの色が見えてくる。/彼のオーラは目のさめるような青だった。/風変わりな色だったが、私は彼が好きだった。/「また、おまえ、変なモノ背負っているぞ」/「重いんです。なんでしょう」/「また、おまえ、男だぞ」/「また男……って、重いです」/私は泣きそうになった。/(略)/「前のは偶然くっついただけだから簡単に祓えたけど、今度のは生霊だからな。手強いぞ」/笑いだしたいほど、おもしろい。ドキドキする。/「おまえ、笑いごとかよ。強い思いは意を遂げるって、前に教えたろう?」/わたしは彼がしゃべったことは一字一句違えず記憶していた。しぐさや表情や感情を伴って、すべての記憶がよみがえるのだ。/殺したいぐらい怒ると、わずかな傷でも死んでしまうことがあるって、言った」/「同じことだよバカ」/彼が心配しているのがわかってうれしくなった。若い女はどこまでも脳天気である。わたしの悩みは、彼が愛してくれるかどうかだけだった。/彼はその日の夕方、ホテルで私を抱いてくれた。/冷たい体を背負っているよりは、あたたかい下腹をこすり合わせながら彼のものを握りしめているほうがずっと楽しい。私の穴に濡らした小指を入れたり、口の中に互いの下を押し込んだり。(大原まり子『サイキック』、文藝春秋「文学界3月号」、1998年)
このような文章は、神秘主義が涙ぐましいまでに純潔な肉体と心の清らかさを大切なものとして強調し、清らかとなった心の力で見たオーラをどれほど敬虔に描写しようとするものであるかを知る者には、甚だ低級でいんちきなシロモノとしか映らないだろう。
現代のこうした風潮は、マルクス主義が産んだ鬼子といってよい。神秘主義が〈無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている〉ことからきた社会的弊害なのだ。
つまり、そのような性質を持つものを神秘主義と見なすようになったことからくる混乱があるのである。時を得て世界にひろがったマルクス主義のその貴重な側面は、絶対に否定しさることはできない。だからこそこの問題は、今こそ充分に検討されるべきではないだろうか。〔了〕 1998年執筆
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関連作品:マザコンのバルザック?
卑弥呼をめぐる私的考察
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