カテゴリー「バルザック」の32件の記事

2020年1月 5日 (日)

エッセーブログに「44 バルザックの風貌、悲鳴、ホロスコープ」をアップしました

拙ブログ「The Essays of Maki Naotsuka オンラインエッセー集」を更新しました。

当ブログの過去記事三本をまとめ、加筆訂正したものですが、当ブログにもアップしておきます。

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ルイ=オーギュスト・ビソン(Louis-Auguste Bisson,1814–1876)が1842年にダゲレオタイプ(銀板写真術)で撮影したオノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac,1799-1850)、パリ美術館(Paris Musées)。

目次

  1. 風貌
  2. 悲鳴
  3. ホロスコープ


風貌

 バルザックと動物園に来ている。

 シロアヒルを見たいのだが、「シロアヒルは呼び出し中です」という園内放送が流れる。

 再びシロアヒルの場所に来るが、まだ呼び出し中らしい。ここで弁当を食べるつもりだったが、バルザックが「ここではよそう」という。確かにここは埃っぽいし、糞もある。

 最初はブラウスのようなシャツとズボン姿だったバルザックだが、いつ着替えたのか、諷刺画にあるような王子様風の派手な姿になっている。膨らんだ短いズボンに飾りのある袖、襟、あの有名なステッキを手にしている。

 シロアヒルの場所の横に、マガモかアオクビアヒルかはわからないが、水鳥が鞠のように丸くなって点在し、眠っている。……

 たとえ夢の中の出来事とはいえ、バルザックと一緒にいられただけで嬉しいので、解釈はやめておこう。今年に入ってから、バルザックが夢に出てくるのは二度目だ。一度目に出てきたときは、子供時代の可愛いらしい溌剌としたバルザックだった。

 わたしの夢に出てくるバルザックは、本で紹介された写真や肖像画や諷刺画がもととなっているようだ。

 アンリ・トロワイヤ(尾河直哉訳)『バルザック伝』(白水社、1999)のカヴァーに使われている白いシャツ姿のバルザックの写真は、前掲のルイ=オーギュスト・ビソンが1842年にダゲレオタイプ(銀板写真術)で撮影したバルザックの写真がもとになったものだろう。

 様々なバルザックの肖像画が存在するが、この写真のバルザックが実在したバルザックの風貌を最もリアルに捉えたものであるに違いない。

 わたしはこれまでに見たどのバルザックよりも、このバルザックに魅力を覚える。

 まなざしが透視的といっていいくらいに鋭くて、それでいて冷たさはなく、尋常でない彼の資質を感じさせる。

 何ともすばらしい眼ではないか。わたしはこのバルザックとベルニー夫人の肖像画を撮って、一時期、携帯電話の待ち受け画面にしていた。わたしの創作魂のパパとママは、バルザック、及び彼の愛人であり文学上の育ての親でもあったベルニー夫人だと思えたからだった。

 前掲書『バルザック伝』から、バルザックの風貌を同時代人たちがどう捉えたかを抜粋してみたい。

太った小柄な方でした。服の仕立てが悪いので、よけい不格好に見えました。手はほんとに素敵。ひどくぶざまな帽子をお召しになっていましたけど、帽子をお取りになると、そんなこともうどうでもよくなります。わたくし、あの方のお顔にただただ見とれておりましたから。(略)おわかりにならないでしょうねえ、あの額とあの眼差し。ほんと、実際ご覧になっていない方にはねえ。大きな額でございましてね、まるでランプの光が照り映えたように輝いておりました。褐色の目は一面に散った金砂子が光っていて、口ほどにものを言う目とはあのことでございましょう。鼻は大きくごつごつしていて、口も大きゅうございました。歯はぼろぼろでしたけど、いつもお笑いになっていらっしゃって、濃い口髭をおたくわえになって、長い髪は後ろに掻き上げておいででした。*1

ポムルール男爵夫人の回想である。お次は、若き日の詩人フォンタネーの日記から。

ついにその男を目にする。輝き始めた栄光の新星を。太った若者だ。生き生きとした目、白いベスト、薬草売りのような風采、肉屋のような服、金泥師のような雰囲気。それらが合わさるのだからものすごい。この男は典型的な文学商人[あきんど]なのだ。*2

 ラマルティーヌによる観察。

彼は太って、がっしりと胸板も厚く、ミラボーのようにたっぷりとしていた。顔からは、知性にもまさって、気さくな人のよさがうかがえた。[……]この男が善良でなかろうはずがない。*3

 最後に、『クロニック・ド・パリ』という雑誌を一時期経営していたバルザックに執筆者として招かれた若き日のテオフィル・ゴーティエによる描写。

「修道服の襟元を大きくはだけて、円柱の柱身のように丸い首を見せていたが、筋張ったところのない、白い繻子のようなその首は、より赤みを帯びた顔と対照をなしている」さらに、「厚く、うねるような唇はよく笑い」、鼻は、「先が四角くすわって、二つに分かれて」おり、額は「美しく気高く秀で、顔の他の部分よりも際立って白」く、その眼ときたら吸い込まれるように黒くて金色にきらきらと輝き、「鷲でも負けて瞳を伏せてしまうほどの、壁の向こう側でも胸の内側でも見透かすような、君主の、見者の、猛獣使いの眼だ」*4

 

悲鳴

 バルザックの仕事ぶりが窺われる悲痛な手紙の文面を、クルティウス(大矢タカヤス監修、小竹澄栄訳)『バルザック論』(みすず書房、1990)から抜粋しておきたい。

 バルザックの作品の発行者ヴェルデによると、彼はよく何ヶ月もの間、閉じこもって毎日 18 時間仕事し続けていたという。

《私には生活する暇がありません。》*5

《彼は日夜働いているのだと、ご自分にいい聞かせてください。そうしたら、ひとつのことにだけ驚かれるでしょう。私の死亡通知がまだ届かないこと。》*6

《私はペンとインクに繋がれた、ガレー船の奴隷なのです。》*7

《私は、人間と事物と私との間に繰り広げられるこの果てしない闘いに疲れきってしまいました。》*8

《私はペンとインクに対する恐怖症です。それが昂じて肉体的苦痛を感ずるまでになりました。》*9

坐ったきりの生活のおかげで、彼は太った。すると、新聞がこれをからかった。《これがフランスです。美しいフランスです。そこでは仕事が原因で振りかかった不幸が嘲笑されるのです。私の腹が笑い物になっています! 勝手にするがいい、彼らにはそれしか能がないのですから。》*10

《私は知性の戦闘のさなかに斃れるでしょう。》*11

《私はまるで鉛球に鎖で縛りつけられた囚人のようです。》*12

《私の望みは柩に入れられてゆっくり休息することだけです。でも仕事は美しい経帷子です。》*13

《私の生活は、ただ単調な仕事一色に塗り潰されています……時折私は立ち上がり、私の窓を士官学校から……エトワール広場まで埋め尽くしている家々の海原を眺めます。そうして一息つくと、また仕事にかかるのです。》*14

《仕事がきっと私の生命を奪ってしまうだろうと、私は確信しています。》*15

《今や私は、全く実りなき仕事に十年間をつぶしてしまったのです。もっとも確実な収穫は、中傷、侮辱、訴訟等々。》*16

《絶え間なく、そして次第に烈しさを増す我が伴侶、窮乏夫人の抱擁。》*17

《神よ、私のための人生はいつ始まるのでしょう! 私は今日まで誰よりも苦しんできたのです。》*18

《私は自分に暗澹たる運命を予見しています。私は私の望みの一切が実現する日の前日に、死ぬことになるでしょう。》*19

《そうです、自分の体全体を頭に引きずり込んでおいて、罰を受けずにいる者はいません。私はただただそう痛感するばかりです。》*20

《私はもう自分の状態を、疲労とはいえません。私は文章作成機になってしまいました。私は自分が鋼鉄製のような気がします。》*21

《私はもう一行も頭から引き出せません。私には勇気も力も意欲もありません。》*22

 いつも陽気だったといわれるバルザックが人知れず上げ続けた悲鳴。

 悲鳴を上げてやめるのではなく、悲鳴を上げながら書き続けたところがあっぱれだ。彼が天才であったことは間違いのないところだが、手紙の悲鳴からは、あの超人的な仕事が凄まじい自己犠牲によって成し遂げられたものであったのだとわかる。

 

ホロスコープ

 バルザックのホロスコープを作成してみた。

 バルザックは牡牛座だが、あの底知れない創作力の源、及び神秘主義的傾向は、多彩な角度を持つ冥王星の働きだった。

 バルザックのサビアンシンボルを、松村潔「決定版!! サビアン占星術」(学習研究社、2004)で見ると、基本的なパーソナリティを意味する太陽が『古代の芝生をパレードする孔雀』である。

 その意味するところは、伝統的な価値を「総花的にまとめていくことになり、それはしばしば芸術的な表現力としての優れた力なども表しています。最後の華という言い方をしてもよいところがあり、伝統文化のおいしいところをすべて取ったような豪華さがあります」「伝統的な価値を総決算セールのようにまとめて表現できる力があるので、表現者としては有能ですが、やりすぎはグロテスクになります」*23ということになるらしい。

 バルザックの今生での使命を意味する土星のサビアンシンボルは、『文学会の集まり』である。

 批評能力を持ち、教養面が発達、言葉を巧みに扱え、日々の細かい諸事に埋もれない貴重な主張ができて、「文化や文明を批評をする活発な知性活動が展開されてゆきます」*24

 太陽と土星のサビアンシンボルが、文豪バルザックの文学的性格をいい得て妙だ!

 究極的な目的を意味する冥王星のサビアンシンボルは、『狭い半島での交通混雑』。
「真に価値があると思うものを多くの人に広く浸透させようとするので、流通に関係した働きをするとよい人です」*25

 バルザックが若い頃に印刷所の経営に手を出して失敗し、大借金を背負ったことは有名な話だが、モリエール、ラ・フォンテーヌのコンパクトな全集を考案したことには先見の明があったといわれている。ことごとく事業に失敗したのは、むしろ時代を先取りしていたからだともいわれているのだ。

 早すぎたのだろう。よい協力者に恵まれていたら、実業家としても大成功していたのかもしれない。

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拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」における関連記事

16 フランス文学界の最高のオカルティスト、とブラヴァツキーにいわせたバルザック
20 バルザックと神秘主義と現代

 

*1:トロワイヤ,尾河訳,p.117

*2:トロワイヤ,尾河訳,pp.131-132

*3:トロワイヤ,尾河訳,p.187

*4:トロワイヤ,尾河訳,p.268

*5:クルティウス,小竹訳,p.288

*6:クルティウス,小竹訳,p.289

*7:クルティウス,小竹訳,p.289

*8:クルティウス,小竹訳,p.289

*9:クルティウス,小竹訳,p.289

*10:クルティウス,小竹訳,p.289

*11:クルティウス,小竹訳,p.289

*12:クルティウス,小竹訳,p.290

*13:クルティウス,小竹訳,p.290

*14:クルティウス,小竹訳,p.290

*15:クルティウス,小竹訳,p.290

*16:クルティウス,小竹訳,p.290

*17:クルティウス,小竹訳,p.290

*18:クルティウス,小竹訳,p.290

*19:クルティウス,小竹訳,p.290

*20:クルティウス,小竹訳,p.290

*21:クルティウス,小竹訳,p.290

*22:クルティウス,小竹訳,p.290

*23:松村,2004,p.255

*24:松村,2004,p.323

*25:松村,2004,p.604

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2018年2月24日 (土)

21日に還暦の贈り物。バルザック『リュジェリーの秘密』(春風社)と、久々のインスピレーション。

亀記事ですし(数学の問題集とバルザックの小説に熱中して、アッという間に時間が経ってしまいました)、自分のための覚書になりますが、2月21日に60歳の誕生日を迎え、家族と妹から還暦のお祝いに心のこもった贈り物を貰いました。

息子が贈ってくれたポールスミスのハンドバッグは、わたしがここ数年「こんなハンドバックがほしいなあ」と想い描いていたようなもので、驚きました。使いやすそうで、カッコよくて。娘とデパートの店員さんのアドバイスがあったと知り、ああそれで……と納得しました。

小さなカードの文面に「今後も文芸、学究を深めますよう」とあり、ありがたくて感涙。

住居問題がようやく片付きそうですが、これも息子のお陰なのです。息子は仕事柄出張が多く、夜はベルギーとの間で行われるWeb会議などあって、多忙そうです。

子供たちのためにも、気を引き締めてよい老後にしなくてはと思っています。

娘は色々なものを贈ってくれ、その一つは花束で、マゼンダ、紫、薄ピンク、白の花々を使って、華やかながら落ち着きのある女性をイメージさせるようなものに仕上げられています。そのような女性になりたいものです!

また、贈り物の中には本もあり、その本ではバルザックのカトリーヌ・メディシスを題材にした作品がメインとなっています。

バルザック王国の裏庭から――『リュジェリーの秘密』と他の作品集
宇多直久 (著, 翻訳)
出版社: 春風社 (2017/4/14)

この宇多直久による新訳『リュジェリーの秘密』は、東京創元社・昭和50年初版の『バルザック全集 23  カトリーヌ・ド・メディシス』に収録されている四編の作品のうちの一編と同じものです。

バルザック全集 23
バルザック (著),‎ 渡辺 一夫 (翻訳)
出版社: 東京創元社 (1975/01)

『バルザック全集 23  カトリーヌ・ド・メディシス』は序章、第一部 カルヴァン派の殉教者、第二部 リュグジエリ兄弟の告白、第三部 二つの夢――と四つの部分から構成されており、これらは別個の作品が原題『カトリーヌ・ド・メディシスに関する哲学的研究 Etudes philosophiques sur Catherine de Medicis 』に収められたものだということです。

『カトリーヌ・ド・メディシスに関する哲学的研究』は『ルイ・ランベール』や『絶対の探求』と共にバルザックの大構想からなる La Comédie humaine に属する「哲学的研究」の一部を占めています。

解説に「『序章』は、現在の日本の一般読者にとって、非常に難解ではないかと思っている」とあるように、わたしにも難解で、積読になってしまっていました。

ところが、娘が贈ってくれた本では『リュジェリーの秘密』(前掲書『バルザック全集 23』では「第二部 リュグジエリ兄弟の告白」に当ります)を核として、関連するバルザックの小品、手紙類、エッセーなどが収められており、『リュジェリーの秘密』が嫌でも目に入る構成となっています。この作品は読みやすいです。

前掲書『バルザック全集 23』の解説に戻ると、『カトリーヌ・ド・メディシスに関する哲学的研究』について、次のように書かれています。

バルザックの『カトリーヌ・ド・メディシス』は、同じ種類の歴史小説や歴史劇のなかに伍しても些も見劣りがしないし、更に、他の作品が作者の叙情を核としている場合が多いのに対して、作者バルザックの「史観」或いは「歴史哲学」とでもいうべきものを軸としている点で、異色があり、バルザックがこの作品に『哲学研究』という名を冠しているのも、故なしとしない。(バルザック全集 23 、9~10頁)

ここを再読したとき、久しぶりにわたしに、稲妻がひらめくようにインスピレーションが訪れました。

そうだ、わたしが書きたいのはいわゆる大衆受けするお茶の間劇場的な歴史小説(実は現代的視点で書かれているという点で、歴史に舞台を借りただけの現代小説)ではなく、バルザックが書いたような歴史の核を形成する宗教・哲学的な部分を照射した歴史哲学小説なのだと思いました。

大それた望みだとは思いますが、わたしが本当に書きたいのはこれに尽きます。

萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿が進まなかったのは、取材の成果が間を置いて、少しずつ表れたということもありますが、何をどう書くかについて、葛藤があったからでした。もう5年もこの小説のことで悶々としてきたのでした。

それでも投げ出したいとは決して思いません。

バルザックの小説が見事なのは一般読者――一般読者といっても、バルザックの小説を当時愛読したのは貴族、ブルジョア、知識人層でしょうが――受けする要素も抜かりなく織り込まれているという点です。

『リュジェリーの秘密』については、また改めて書くことになるだろうと思います。

そういえば、久々にアマゾンのリポートを見たところ、このところ日本とアメリカで本が4冊売れ、誕生日に拙児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』をダウンロードして読んでくださった方があったようで、嬉しいです。ありがとうございます。

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2018年2月18日 (日)

やっぱりチャート式かな。2月14日に代謝内科受診。

大人向きに編集された中学数学の問題集をやってきましたが、相変わらず間違いが見つかったり、単元が進むと説明不足でわかりにくいところが目につき出したりで、娘が高校時代に使ったチャート式を開いて中学時代のまとめに目を通すことが多くなりました。

チャート式はさすがに、わかりやすい。

が、中学数学はとても大事なので、以下のチャート式を買うことにしました。娘に頼み、税込み712円でした。近くにK教室スタッフの求人が出なくても、この勉強はウォーミングアップとしても、他の面でも役に立つと思います。

チャート式基礎からの中学数学総仕上げ (チャート式・シリーズ)
数研出版編集部 (編さん)
出版社: 数研出版 (2012/10/1)

とにかく、間違い探しをしながら忘れてしまった中学数学の問題集をすることに疲れてしまいました。

でも、思わぬ発見ですが、数学を本当に楽しく感じます。数学の厳密さが、やはりわたしには神智学を連想させ、同じときめきを覚えるようになった次第です。

中学数学すらほとんど忘れてしまっていて、新しく覚えているような状況ですけれど、今何にアプローチしているのか、どんなことに応用できるかを考えられるのは大人になった今だからこそ、できているような気がします。

それにしても、数学で使う日本語(数学用語)って、かなり難解ですね。ほとんど丸暗記していたのではないかと思います。日本語としての意味を連想しすぎるから、文系にとって数学は難しく感じるのかもしれません。

高校数学の第一章「数と式」で、「単項式の次数とは,掛け合わされた文字の個数のことである。また,特定の文字に着目するときには,着目する文字以外の文字は,すべて数と考える」(山口清・小西岳著『改訂版 チャート式 基礎と演習 数学Ⅰ+A』数研出版、)とあり、文字を数と考えるなど、文系の頭には斬新な発想に思えます。

神智学では、数を文字(意味を持った言葉)と考えるピタビラス派の思想が出てきます。数は生きており、意味を持っているという考え方はバラ十字の会員だったバルザックの小説にも出てきます。

数学用語を日本語としての意味を持った言葉としてではなく、アイテム名、ツール名と考えればいいような気もします。数学に関する興味深いエピソードを紹介しているサイトも見つかりました。

住居問題は土日で休眠中(?)。この時期は仕事が多いのか、法人関係を主に扱っている不動産屋さんだからか、後回しになっているのかもしれません。

14日に日赤・代謝内科を受診しましたが、いつもと同じような検査結果でした。忘れなければ、別の記事にします。このところ、心臓の調子はとてもいいです。

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2017年8月 8日 (火)

ようやくアバターの着替え、ゲット! バルザック『現代史の裏面』。

マダムN

着替えはほしかったのですが、スロットをするのが億劫で、アバターには同じ格好で我慢して貰っていました。

「スカイダイビングスーツ」に入っているスーツかパラグライターが欲しかったのですが、当てる自信がなかったので、「フューチャーなドレスシルバー」を引きました。

帽子か頭飾りでもいいなと思っていました。うちのアバターがドレスをほしがったのでしょうね。何となく嬉しそう。あとで気が向いたら、髪型変えようかな。


さて、萬子媛のエッセーも書いたことだし(→ここ)、読みかけていたバルザックの最後の作品『現代史の裏面』をご褒美にしています。

バルザックを読んでいると、心が躍ります。どんなに暗い一面が描かれていたとしても、バルザックの思想が太陽のようにその一面を照らしているので、暗くても明るいのです。

『従兄ポンス』がバルザックの最後の作品だと思っていましたが、本の形にすることができたのがポンス、それより後に書かれ、校正まで済んでいたのが裏面ということであるようです。

共産主義者はバルザックの写実力をのみ取り出して評価しましたが、バルザックの写実性は浅い観察欲からではなく、神秘主義思想から出てきたものです。

彼はバラ十字のメンバーだったようです。『ルイ・ランベール』のような作品は神秘主義の知識なくしては書けない作品です。

また、近代神智学運動の母ブラヴァツキーは大著『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成元年)の中で、バルザックのことを「フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかったが)」(281頁)といっています。

興味のあるかたは、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に公開中の以下のエッセーをご参照ください。

20 バルザックと神秘主義と現代

『現代史の裏面』では、マルクスが登場する以前の共産主義が早くも描かれていて、それに対するバルザックの懸念が窺えます。

まだ読んでいる途中なのですが、病に苦しんだ晩年の作品とは思えない卓越した構想力と入念に彫琢された文章には驚かされるばかりです。

あまり時間がかかるようなら後回しにせざるをえませんが、できれば簡単にでもこの作品の感想を書いて後、萬子媛の小説の第二稿に入れればと考えています。

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2016年10月 6日 (木)

トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界

フリーメーソンに関する本は翻訳物を含めていろいろと読んできたが、植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)ほどフリーメーソンの歴史に詳しい本は少ないと思う。ベストといってよい本かもしれない。長年の疑問がこの本を読んで、ほぼ解けた気がするほどである。

ロシアを動かした秘密結社: フリーメーソンと革命家の系譜
植田 樹(著)

出版社: 彩流社(2014/5/22)


「フリーメーソン」という単語の用い方にばらつきがあって、この単語の意味するところがわたしには曖昧であり、フリーメーソンと呼ばれるものに対する基本的な理解すらできていないという苛立ちのようなものがあったのだが、本には次のように書かれている。

「フリーメーソン」とは熟練した石工職人の組合=「自由な石工の組合」と「その組合員」という英語の単語(freemason)が原義となっている。これがその後に様々な秘密結社の組織や団体、制度を表す普通名詞(freemasonry)という単語として使われることになった。本書では「フリーメーソン」という単語を便宜的に集団的名称や制度、個々の団員のいずれにも用いることにする。(植田,2014,p.13)

本によると、フリーは自由な(free)、メーソンは石工(mason)で、「自由身分の石工」、すなわち「特定の領主や寺院に縛られず各地の建設現場を渡り歩き、契約によって仕事をする職人」を指した。962年にイングランドのヨークで石材を扱う職人たちの集会が開かれた、という最古の記録が残されているという。

巨大な石造建築には物理学や幾何学など、時代の最先端の科学知識と合理精神が必要であり、建設現場の責任者は最高レベルの知識人だった。伝授する知識や技術を仲間内の秘密にしておく必要から、排他的な職能ギルドが結成されることになる。

自立した石工の職能ギルドは、親方、職人、徒弟からなる階級制の組織と掟を持つ集団となり、16世紀には石工組合の社会的地位と名声に惹きつけられて、こうした業種とは無縁な人々が加わるようになった。

18世紀初めには、上流階級の知識人たちが集うサロンめいたものとなり、1714年にロンドンで「ロンドン大本部(London Grand lodge)」が結成され、これが近代フリーメーソンのおこりとなった。

初期のフリーメーソンは14世紀に書かれた石工組合の内部規則、集会の際に歌われる歌、祈禱、伝説などをまとめた「古い訓戒(Old Charges)」の写本を手引きとしていたらしいが、1723年に牧師ジェームズ・アンダーソンらが新たに「憲章」を編纂した。

このアンダーソン憲章は結社の起源を聖書時代に遡らせていたが、それは信仰上の権威づけを行うためだった。憲章では神への信仰(「至高の存在の信仰」と表現され、キリスト教以外の一神教の異教――ユダヤ教やイスラム教――も容認)、霊魂不滅の信念を基本とした。

独自の徳性を磨く目標として、兄弟愛(友愛)、善行、真理の追求が掲げられていた。信仰、希望、慈愛を三つの理想として説くこともあった。会員同士は「兄弟」と呼び合った。

こうしたフリーメーソンの兄弟愛、友愛とは本来は仲間内だけの友情や相互扶助を意味したもので、無限定の対象に向けられる博愛とは違うらしい。

また、アンダーソン憲章は、会員たちが宗教や政治、国家間の問題を結社内で論じることを禁じ、これがイギリス型正統派フリーメーソンの伝統を形成したという。しかし、後にはこれとは正反対の非正統派集団が生まれた。

以上は『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』からノートしたものだが、フリーメーソン独特の秘密めいたところや友愛の限定的な性質、またアンダーソン憲章が神への信仰を基本としながらキリスト教に限定せずにユダヤ教やイスラム教も容認しているあたりは、なるほど、如何にも石工組合から出たものだとの印象を与えられる。

復習しておくが、フリーメーソンの活動には、保守的で政治には関わらないイギリス型自由主義的で政治に積極的に関わるフランス型とがあるという。世界全体では700万~1000万人の会員がいるといわれているそうで、そのうちの9割がイギリス型正規派であるそうだ。フランスでは、リベラルな政治傾向の結社である非正規派が主流であるという。

フランス革命の推進者の多くがフリーメーソンだった。国王ルイ16世の従兄弟オルレアン公フィリップ、ラファイエット、ミラボー、モンテスキューなど。また、ナポレオン・ボナパルトは会員ではなかったが、彼の4人の兄弟は全員フリーメーソンだったというから驚かされる(ジョセフとルイは王位についた)。フランスの社会派作家エミール・ゾラもフリーメーソンであったと本には書かれていた。

プロイセン王フリードリヒ大王。イギリスのジョージ4世・6世、エドワード7世・8世、宰相ウィンストン・チャーチル。

アメリカでは1733年にボストンに最初の結社が作られた。独立運動の指導者たち、初代大統領ジョージ・ワシントン、フランクリン・ルーズヴェルト、ハリー・トルーマン、セオドル・ルーズヴェルト、リンドン・ジョンソンなどはフリーメーソンで、アメリカがよくフリーメーソン国家だといわれるのも頷ける。

ニューヨークの「自由の女神像」はフランスのフリーメーソンからニューヨークのフリーメーソンへの贈り物だったとされるそうで、アメリカ合衆国の国璽(印章)、1ドル紙幣にはフリーメーソンのシンボリックな画像「万物を見通す眼」が描かれている。

1904年のトルコ革命、1917年に発生したロシアの二月革命にもフリーメーソンは深く関与したらしい。

また、石工組合起源ではない、騎士団起源のフリーメーソンも広く存在したという。「騎士団の多くは政治に関わらず、真理や倫理の探求を強調することでフリーメーソン組織とは一線を画する立場をとっている」(植田,2014,p.26)

「聖ヨハネ・マルタ騎士団」、「神殿[テンプル]騎士団」、ドイツの「バラ十字騎士団」「東方聖堂騎士団」。

1910年ごろ組織された「ゲルマン騎士団」はグノーシス派の秘教と秘儀を継承したとするオカルティックな結社で、フリーメーソンをユダヤ人の邪悪な陰謀と見なして敵視、アーリア人至上主義の人種差別思想を唱え、剣と鉤十字を組み合わせたシンボルを用いた。

この騎士団は「トゥーレ協会」を通じてヒトラーのナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の思想的骨格となったそうだ。

ウィキペディアによると、トゥーレ協会はゲルマン騎士団の非公式バイエルン支部として設立された(ウィキペディアの執筆者. “トゥーレ協会”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-26. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AC%E5%8D%94%E4%BC%9A&oldid=58757184, (参照 2016-10-05).

錬金術とバラ十字系にはドイツの「黄金バラ十字団」、パウカリウスを師としたフランスの神秘思想家ルイ・クロド・サン・マルタンが組織した「マルチネス派」があった。サン・マルタンは、バルザックの小説『谷間の百合』に登場する。

1776年にパヴァリア(現ドイツ・バイエルン州)でアダム・ヴァイスハウプトが組織した「イルミナティ」は、「私有財産や既成の国家と宗教の廃絶、世界統一政府、〈原初の〉黄金時代の復活を説いた」。(植田,2014,pp.35-36)

過去記事で書いたように、植田氏の本にもイルミナティが本来、フリーメーソンの結社ではなかったと書かれている。

イルミナティ抜きで、この結社の誕生後に展開し始めた様々なテロ活動を考えることはできない。結社としてのイルミナティはパヴァリア選挙公カルル・テオドルによって1785年に解散させられたが、イルミナティの思想は広く拡散したのだ。

本には次のように書かれている。

彼らの規律は20世紀の様々なテロの秘密結社の内部規律に取り込まれ、革命運動の組織に多大の影響を及ぼすことになる。カール・マルクスはこれを「共産主義思想を実現するための最初の革命的組織」と評した。(植田,2014,p.37)

イルミナティについて知ったとき、思想の類似性からマルキシズムを連想せずにいられなかった。やはり、マルクスはイルミナティの影響を受けていた。

ロシアにおいて、フリーメーソンは興隆し、幾世紀にも渡って影響を与えたという。

フリーメーソンを浸蝕したイルミナティは啓明結社とも邦訳され、工藤精一郎訳『戦争と平和』でもそのように訳されていた。

しかし、イルミナティを結成したアダム・ヴァイスハウプトの著作に表れた思想は人類に光をもたらすような思想ではない。

アダム・ヴァイスハウプト(副島隆彦解説、芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ、2013)を読んだ限りでは、彼の著作はテロを目的とした堅牢、それゆえに非人間的な組織作りの指南書であるにすぎず、ヴァイスハウプトは哲学教授でありながら哲学に極めて貧弱な理解力しか持っていなかった。

ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」は、言葉だけのまやかしのものだとしか思えない。

『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』の中の次のような文章が印象的である。

 1930年代後半に吹き荒れたスターリンの政治粛正の嵐によって、アナーキストの神殿騎士団も様々なオカルト集団もソビエト社会から根こそぎ抹殺された。
 そしてロシアの大地に地下の秘密組織も反抗する者も存在しない全体主義の政治体制と平等主義の社会――均質で眠るように穏やかで静寂な精神世界が確立された。
(植田,2014,p.284)

それはまるで墓地のような精神世界であるが、要するにそれがアダム・ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」なのである。

フリーメーソンが用いたロッジという言葉は神智学協会でも用いられるが、「ロッジ(lodge)」は本来は建設現場での仮小屋を意味したという。これが転じてフリーメーソンの集会所、さらには結社そのものを指すようになったそうだ。

わたしの中でフリーメーソンという組織がどんなものなのかが曖昧だったためにこれまではわからなかったが、神智学協会とフリーメーソンの違いがはっきりした気がする。

最初にあったのが中身(イニシエート方によって示された秘教の源泉と、ブラヴァツキーを通じて人類に託された具体的な知識)だった神智学協会と、石工組合という名の器だったフリーメーソンとの違いである。フリーメーソンという器には各ロッジによって、また時代によって様々なものが盛られたようである。

イルミナティ思想の影響を受けたリベラルが第二次大戦後、世界中に蔓延したために、伝統的な宗教・哲学、またその中心に存在してきた神秘主義が何より彼らの攻撃の的となってきたことが今やわたしには明らかとなった。

イルミナティ思想の影響を受けていることすら知らないリベラルもいるだろう。ヴァイスハウプトの著作について、ここでは内容に則した考察を行わないが、時間のあるときに改めて見ていきたいと考えている。

ブラヴァツキーの縁続きで、彼女の諸著作の深い研究家でもあったボリス・ド・ジルコフの言葉を過去記事でも紹介したが、ジルコフは「『シークレット・ドクトリン』の沿革」の中で、神智学協会について次のように述べている。

 過去に、あるいは新たに出版された著作から、又同様のことはHPBによる他の著作に関しても言えることであるが、『シークレット・ドクトリン』の主要な源泉は、集合的にはその伝達者がHPB自身であったアデプト同胞団であり、個人的にはこの同胞団に属する複数のイニシエート達であったことは明白である。そして、その方々は、伝統的に秘密とされていた知識の一部を今、我々のこの時代に明かす道を選ばれたのである。
 乗り物、あるいは器、人間が作り、故に不完全な器ではあるが、この様な真実を広く浸み渡らせるための機関が、アデプト集団の直接指導のもとに1875年創立された神智学協会である。多くの失敗や欠点をものともせず、無知や混乱に満ちたこの世界において、時代を超えるグプタ・ヴィディヤーの教えの最も優れた唱道者として、神智学運動は今もなお存続している。
(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,『シークレット・ドクトリン』の沿革p.131)

アデプトとは「イニシエーションの段階に達し、秘教哲学という科学に精通された方を指す」(H・P・ブラヴァツキー著、田中恵美子訳『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、用語解説p.14)。グプタ・ヴィディヤーとは、霊的で神聖な知識をいう。

ブラヴァツキーと神智学協会は様々な誹謗中傷を受けてきたが、ブラヴァツキーの論文を正面切って論破した学術的な論文にわたしはまだ出合ったことがなく、そのような論文が存在するという情報に接したこともない。

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2016年4月17日 (日)

バルザックの夢と亡くなった近藤くんのことなど

仮眠中にバルザックが出てくる夢を見た。ごく普通の夢で、わたしは第三者的立場で夢を傍観していた。

全体がノスタルジックなベージュの感じ。

夜の広いカフェのように見えるそこはバルザックの仕事場兼学習塾(?)。

幅のある楕円形のカウンターがあって、カウンターにはチーズや飲み物が置かれているようでもある(はっきりしない)。ワンルームのようになったこちらやあちらの暗がりは別の部屋のようになっている。

写真で見るような風貌のバルザックはカウンターの向こう側にいて、気さくな優しい態度で数人の子どもたちの学習を見てやっている。

宿題は創作で、子どもたちは日記帳のような学習帳に短い小説を書いていっている。

夢の中でひとりの子どもがクローズアップされた。

小学3年生くらいの子どもで、白っぽい金髪をしている。学習帳に目を近づけて一生懸命に何か書きつけているその子の小説に興味を持ったバルザックが、どんな小説なのか見ている。

その子の素養や生活環境をバルザックは熟知しているようで、学習帳を見るのも初めてではなさそうだ。

挿絵なのか、悪戯書きなのか、学習帳には子どもっぽいイラストがある。

その子の最近の小説には見どころがあるようで、バルザックは新鮮さを覚えたように読んでいる。バルザックが感興をそそられたのは一つ前に書きつけられた小説であるようだ。

バルザックはその子の恵まれない境遇に涙する。優しい、温かな、その子を思った涙だ。

Honor_de_balzac_1842_512px_2

Honoré de Balzac (1799-1850)
1842
Louis-Auguste Bisson (1814–1876)
From Wikimedia Commons, the free media repository

夢にどんな意味があるのかわからない――何の意味もないのかもしれない――が、夢の中であったとしてもバルザックの拝顔の栄に浴することができて幸せだった!

ブラヴァツキーをして「フランス文学界最高のオカルティスト」といわしめたバルザック。

フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかった が)、バルザックはどこかで、数とマインドの関係は数と物質の関係と同じであると言っている。即ちマインドと物質の両方にとって数は“不可解な動因”であ る(おそらく世俗の者には不可解だが、イニシエートの心には決してそうではない)。その偉大な作家が考えたように、数は一つの実在であり、同時に、彼が神 と呼び、私達が一切と呼ぶものから発する息である。その息だけが物質コスモスを組織することができた。“そのコスモスでは、数の結果である神を通してだけ、すべてのものは形体を得る”。この問題についてバルザックの言葉を引用するのは有益である。

  ――最も小さな創造物と同じように、最も大きな創造物も、すべてによって生まれたものであり、その量、特性、寸法、力、属性によって互いに区別されているのではないか?……(H・P・ブラヴァツキー著、田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、p.279)

ブラヴァツキーの引 用は長いので全部は無理だが、これはバルザックの神秘主義的哲学小説『ルイ・ランベール』、あるいは『セラフィタ』からの引用だろうか? まだ確認していない。拙エッセーブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」収録作品で、『ルイ・ランベール』の美しい断片を紹介したことはあった。

  • 20 バルザックと神秘主義と現代
    http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/09/02/225128

過去記事で、近藤くんの訃報を閲覧して早すぎる死に衝撃を受けたと書いた。

近藤くんとは同人雑誌『日田文學』の仲間だったが、彼と懇親会で顔を合わせたことはなく、「九州芸術祭文学賞」の授賞式でお目にかかったことがあっただけだった(わたしが2001年に地区優秀作になったときで、そのとき彼は地区次席だった)。

その後当ブログがきっかけで、メールを頂戴し、彼が一つ下の学年(同年生まれだが、わたしは早生まれ)だったことから「くん」をつけて呼ぶようになった(失礼なことだが、嫌そうではなかったので)。

そう呼んだ理由には他にも、彼が神秘主義的な作風の作品を書いたことから覚えた親しみがあったと思う。その後、それは真の神秘主義的な情感や動機か ら書かれたものではなく、創作上の戦略から神秘主義的色付けがなされただけではないかと思うようになった。真相がどうであったかはわからない。

その後、近藤くんは2008年に「黒い顔」で「九州芸術祭文学賞」の最優秀作になり、文藝春秋「文学界」デビュー。

いずれにせよ、近藤くんはわが国の左傾化した文学界とも折り合いが悪くないように思われたので、辛抱強く書いていけば、芥川賞を受賞することもできるのではないかと思っていた。

だが、もし彼が隠れ神秘主義者だったとしたら、世に出ることをほぼ諦めてぬけぬけと神秘主義物書きとして生きているわたしより遥かに無理をしていたのではないかと思う。

「仕事で責任のある立場となり、大変」とメールにあったことからすると、仕事と執筆の調整で苦労していたのかもしれない。

いずれにしても、彼はこの国で小説家として亡くなった。以下は毎日新聞の記事より。

訃報
近藤勲公さん57歳=小説家「はがき随筆」選者

毎日新聞2016年3月17日 19時41分(最終更新 3月17日 21時29分)

  近藤勲公さん57歳(こんどう・のりひろ=小説家)16日死去。葬儀は18日午後1時、大分県津久見市港町4142の25の風之荘つくみ。喪主は妻直美(なおみ)さん。

 2008年度の九州芸術祭文学賞で「黒い顔」が最優秀作に選ばれ、その後も「銀杏神社」「夏の底」などの作品を雑誌「文学界」で発表した。14年5月からは毎日新聞大分版「はがき随筆」の選者も務めた。

早すぎる死ではあったけれど、もし彼が神秘主義者でなかったとしたら葛藤なく念願のこの国の小説家として生きることができたはずだし、もし彼が神秘主義者だったとしたらこの世の価値観から解放されてあの世で楽しんでいることと思う。

わたしはこの国で小説家として死ぬことはできないだろう。バルザックのような小説家がわが国の文学界の大御所として君臨してくれていたら……という思いがこのような夢を見せたのだろうか。

といってもこのところ、近藤くんのことは考えたが、地震のことで頭がいっぱいで、それ以外のことはほとんど何も考えていなかった。

いずれにせよ、バルザックのような人物がトップにいる文学界と反日左派にのっとられたこの国の文学界とでは全く異なる世界である。

この国で報われない神秘主義小説を書き続けているわたしをバルザックは憐れんでくれたのだと思いたい。

白っぽい金髪の子がわたしだとすると、バルザックの小説を基準としてわたしの小説は小学3年生くらいのレベルのようだ。そういえば、ブラヴァツキーが出てきた夢でもわたしは小学生だった(あれはまぎれもなく、わたしとして出てきた)。

  • 43 H・P・ブラヴァツキーが出てきた最近の単なる夢三つ
    http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/02/04/143331

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2015年11月 9日 (月)

オノレ・ド・バルザック『偽りの愛人』(水声社)と最近考えたこと。

娘が過日、バルザックの『偽りの愛人』を購入した。以下はAmazonより。

偽りの愛人 (バルザック愛の葛藤・夢魔小説選集)
オノレ・ド バルザック (著),    私市 保彦 (翻訳),    加藤 尚宏 (翻訳),    澤田 肇 (翻訳),    博多 かおる (翻訳)
出版社: 水声社 (2015/10/30)

商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
表題作を始め、愛と結婚によって狂わされていく女の悲劇を描いた「二重の家庭」「ソーの舞踏会」「捨てられた女」の四篇。

偽りの愛人 (バルザック愛の葛藤・夢魔小説選集)

娘はまだあまり読んでいないし、わたしもパラパラ見せて貰った程度だが、登場人物にいわせた以下の文章などはまさにバルザック節。カトリックの「禁書目録」に入れられていたのも不思議ではない。

同時に人間の男の妻でありイエス=キリストの妻であることなんてできないことだ。それは重婚というものだろう。 (「二重の家庭」Balzac、澤田訳、2015、p.182)

書店員をしているので、当然ながら娘は本の情報をキャッチするのが速い。

わたしが日本の政治に危機感を覚えてその関係の記事をよく書いていたころ、動画など視聴して、出演者が右派か左派かわからないことがよくあったので、娘に訊くと、今思えばかなり正確に分析していた。隠れ左派がかなりいるようだ。

娘は丹念に読むわけではないだろうが、本をどこに出すかで、内容から判断する場合が多く、ざっとでも確認するのだという。普段はむしろ子供っぽく、脳天気っぽく見えるが、ときに蠍座的洞察の鋭さを感じさせられ、ハッとすることがある。ノーブルなものから大衆的なものまで幅広くよさを受容できる精緻な感性を備えている。

わたしがタブッキのよさを全然知らなかったときに、娘は「タブッキが死んでしまった。死んだらもうノーベル文学賞、獲れないよね」としきりに残念がっていた。タブッキが亡くなったのは2012年3月25日のことだった。わたしの記事にタブッキが登場するのは2013年10月からである。

タブッキの『インド夜想曲』はわたしも知っていて、それが映画化され、インドにある神智学協会の建物が出てくるくらいの情報は得ていたが、全く興味が湧かなかった。

それが今では喜びの源泉の一つとなっている。娘に感謝だ。最近では、アンネ・エルボーの絵本を教えてくれた。一緒に百貨店のイタリア展に出かけ、同じときに絵本コーナーにいたのに、娘がしきりにいいといったエルボーには最初わたしは興味が湧かなかった。

すばらしさを知ったのは、娘がエルボーの絵本を買ったあとで、家でそれほどの関心もなく、見ていたときだった。ページをめくるごとによさが心に染み透ってきた。めくり終えたとき、涙が浮かんでいた。

娘は本探しをするとき、真剣さと驚きと疑いの混じった独特の目つきをして、じわ~という感じで見ていく。そして気に入ったときはハッとした顔つきで一端本を閉じ、別の本に当たったりして、戻る。それで間違いない選択だと思ったとき、娘は買う。

娘は編集者志望だったが、落ちて書店の契約社員になった。そうした道を選んだのは本好きのわたしが影響を及ぼしすぎたせいだろうかと秘かに罪悪感に駆られることがあったが、今ではそうは思っていない。娘が選んだ道だった。編集者になっていたら、よい編集をしただろうと思うが、書店員として、よい仕事をしているようだ(ただ契約社員で待遇が悪いため、転職も考えているが、なかなかないようだ)。

結婚に関しても、わたしたちの夫婦仲が影響を及ぼしすぎたせいだろうかと心配だったが、今では娘が自分の判断で結婚しないだけだろうと思うようになった。ずっとしないとは限らない。成人した子供について、気になるある状況を断片的に採り上げ、自分のせいだと思うのは、考えてみれば、失礼な話である。

第一、社会生活のスタイルが変わって、これまでの典型的な幸福像が壊れてしまった。社会全体の状況が国際的にもよくならないと、一見幸せそうに見える像も危ういものに見え、あまり羨ましくない。親として、昔の価値観を押しつけるのにも迷いがあった。

バルザックは多くの作品で、社会が作り上げた価値観に殉じることの危険性を描いている。日本の状況は、戦後の日本社会がつくり上げた価値観を批評できる――評価すべきところは根拠を示して評価し、批判すべきところはその芳しくない将来像を描いて原因を指摘する――優れた知識人をあまり持てないまま、社会基盤に様々な亀裂が生じたことから、なし崩し的に価値観が崩壊していっている感がある。

今後、根本から再構築していかねばならないと思われるが、まだそれは先の話になりそうな気がする。

そういえば、バルザックのよさを娘に教えたのはわたしだったが、バルザックのよさがわかったのは四十代に入ってからではないだろうか。成熟度の高い文学なので、若いときは退屈に感じられることも多いのではないかと思う。

『偽りの愛人』に収録された「ソーの舞踏会」「二重の家庭」「偽りの愛人」「捨てられた女」のうち、「ソーの舞踏会」はちくま文庫版、東京創元社版『バルザック全集〈24巻〉』にも収録されている。

ソーの舞踏会: バルザックコレクション (ちくま文庫) 
オノレ・ド バルザック (著), Honor´e de Balzac (原著), 柏木 隆雄 (翻訳)
出版社: 筑摩書房 (2014/4/9)

バルザック全集〈24巻〉
モデスト・ミニョン ソーの舞踏会 ド・カディニャン公妃の秘密
オノレ・ド・バルザック
寺田透/中村真一郎/朝倉季雄 訳

「捨てられた女」は東京創元社版『バルザック全集〈15巻〉』にも収録されている。

バルザック全集〈15巻〉
ベアトリックス 捨てられた女
オノレ・ド・バルザック
市原豊太 訳

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2015年8月31日 (月)

Google先生に、仏版ウィキペディアのバルザックのページを翻訳させてみたら……

「バルザックと神秘主義と現代」は1998年に執筆し、当ブログで公開後、『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(Kindle版)に収録したエッセーですが、作品の神秘主義的な傾向から新ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」でも公開することにしました。

KDPセレクトに登録していないと、こういうときは縛られずに済むのでいいですね。少しでも儲けたいとかキャンペーンやりたいといった場合は登録するほうがいいわけです。

公開済み、販売中の作品でも、改めてじっと作品を見ていると、不足なところがいろいろと見えてきてしまいます。でも、このエッセーの内容には触らず、校正のみ改めてやっていました。

そして、エッセーで言及したバルザックの作品のタイトルは邦訳版からの引用になりますが、原題も並記しておこうと思いました。わたし自身が、外国語がわからなくても原題に目をとめる習慣があるからです。

原題が記されていないと、ちょっとがっかりしてしまうことがあるのですね。それで、家にあるバルザックの本で原題を調べていたのですが、「あら皮」が記されていず、わかりませんでした。

日本語のサイトを当てにしてググっても、なかなか出てきませんでした。仕方なく、仏版ウィキペディアに行ってみたら、さすがに内容が充実しているようです。意味はさっぱりわかりませんでしたが。

ぼんやりしてしまったら、勝手にGoogle先生が翻訳してくれました。でも、これがあるとないでは、全然違います。

はじめの部分をGoogle先生で。

デ・オノレバルザック、生まれオノレBalssaでツアーに20 5月1799年 (1回目牧月年VIIの共和党のカレンダー)、およびで死亡したパリの 18 8月1850年
(51年)、ある作家フランス語。小説家、劇作家、文芸評論家、美術評論家、エッセイスト、ジャーナリストやプリンタ、彼が最も印象的な作品の一つ左小説四以上で、フランス文学のを公表された20〜10の小説や物語1829年に1855年、タイトルの下に集めた 人間喜劇。また、そこに百物語コミカル仮名二十五、起草作品の下で公開され、若者の小説。

彼はのマスターである小説、彼は哲学的小説で、いくつかのジャンルを取り上げ、フランス、不明マスターピース小説素晴らしいとラPeauのデ悔し又は新規の詩とのリリーバレー。彼は、特に静脈に優れリアリズム、を含む GoriotとユージェニーGrandet、彼は彼の創造的想像力を超えた先見の明のリアリズムです。

以下が原文。

Honoré de Balzac, né Honoré Balssa à Tours le 20 mai 1799 (1er prairial an VII du calendrier républicain), et mort à Paris le 18 août 1850 (à 51 ans), est un écrivain français. Romancier, dramaturge, critique littéraire, critique d'art, essayiste, journaliste et imprimeur, il a laissé l'une des plus imposantes œuvres romanesques de la littérature française, avec plus de quatre-vingt-dix romans et nouvelles parus de 1829 à 1855, réunis sous le titre La Comédie humaine. À cela s'ajoutent Les Cent Contes drolatiques, ainsi que des romans de jeunesse publiés sous des pseudonymes et quelque vingt-cinq œuvres ébauchées.

Il est un maître du roman français, dont il a abordé plusieurs genres, du roman philosophique avec Le Chef-d'œuvre inconnu au roman fantastique avec La Peau de chagrin ou encore au roman poétique avec Le Lys dans la vallée. Il a surtout excellé dans la veine du réalisme, avec notamment Le Père Goriot et Eugénie Grandet, mais il s'agit d'un réalisme visionnaire, que transcende la puissance de son imagination créatrice.

上段はGoogle先生の迷訳でだいたいわかりました。下段がちんぷんかんぷん。下段に「Lys dans la vallée」とあったので、これは「谷間の百合」だとわかり、他にもタイトルがありそうなので見つけてみました。

原題でググると、邦題が出てきました。

  • 知られざる傑作 Le Chef-d'œuvre inconnu
  • あら皮 La Peau de chagrin
  • 谷間の百合 Le Lys dans la vallée
  • ゴリオ爺さん Le Père Goriot
  • ウェジェニー・グランデ Eugénie Grandet

彼はフランスの文豪で、いくつかのジャンルに取り組んだ。「知られざる傑作」に見られる哲学小説、「あら皮」に見られる幻想小説、あるいはまた「谷間の百合」に見られる詩的な小説に。とりわけ「ゴリオ爺さん」と「ウジャニー・グランデ」がそそるリアリズムの感興にかけては他の追随を許さないが、それは創造的想像力を超えた予見的リアリズムである。

間違っているでしょうが、フランス語の勉強をするわけではないからいいか。

日本ではバルザックの神秘哲学的なところは無視されがちですが、さすがにフランスでは正当に評価されているのかなと思いました。

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2015年3月17日 (火)

#12 漱石が影響を受けた(?)プラグマティズム ①古き良きアメリカの薫り『プラグマティズム』、漱石のおらが村

Notes:夏目漱石・インデックス

漱石研究のために、プラグマティズムにかんする本を2冊借り、代表作『プラグマティズム』は岩波文庫で出ていたので購入した。

プラグマティズム古典集成――パース、ジェイムズ、デューイ
出版社: 作品社 (2014/9/30)

明治プラグマティズムとジョン=デューイ (史学叢書〈3〉)
山田英世 (著) 
出版社: 教育出版センター (1983/06)

プラグマティズム 
W. ジェイムズ (著), 桝田啓三郎 (翻訳)
出版社: 岩波書店; 改版 (1957/5/25)

哲学というものは、それを唱えた人の数だけあると思える。哲学は、哲学の本ををあまり読まない人によって一般に勘違いされているほど、理路整然としたものではなく、本来は単純に区別し、分類できるものではない。

哲学者とその哲学理論は、作曲家とその曲と同じで、ある哲学者の作品を読んだ別の人物がその影響を受けて、新しい作品を書いたりする。よく読めば違うが、似た感じのする哲学理論は同じグループの一員と見なされることがある。

ウイリアム・ジェームズは哲学者・心理学者であったが、代表作『プラグマティズム』を読む限り(まだ読んでいる途中のメモだが)、彼は哲学者というよりは、よりよき哲学書の読み方・影響の受け方を模索し、提唱した哲学評論家であったのではないだろうか。

プラグマティズムとは「ギリシア語のプラグマから来ていて、行動を意味し、英語の『実際(プラクティス)』および『実際的(プラクティカル)』という語と派生を同じくする」(p.52)という

プラグマティズムという語を哲学に導入したのはチャールズ・サンダース・パースで、その影響を受けたのがジェームズ、デューイといわれている。

ただ、パースはプラグマティズムを科学的論理学の一方法として提唱したのであって、「専門学者たちの主張するように、ジェイムズのプラグマティズムは彼がパースの哲学を誤解したところに成り立っており、それゆえに論理実証主義の方向に発展しているこんにちのプラグマティズムとはほとんど関係がないと認められるにしても、それにもかかわらず、プラグマティズムとして知られる哲学上の運動は、疑いもなくジェイムズのこの講演によって強力に押し出されたのであって、アメリカの哲学は、このジェイムズから、ヨーロッパの哲学とは独立な歩みをはじめたと言えるのである」(解説p.319)

ウィリアム・ジェームズはアメリカ哲学の創始者とされているという。恥ずかしながら、わたしはウィリアム・ジェームズがそうした位置づけにあるとは知らなかった。

なるほど、ウィリアム・ジェームズの講義録『プラグマティズム』には、古き良きアメリカのえもいわれぬ芳香がある。

哲学理論というには、最初のほうで出てくる哲学者を二タイプに分類し、一方を「軟らかい心の人――合理論的(「原理」に拠るもの)、主知主義的、観念論的、楽観的、宗教的、自由意志論的、一元論的、独断的」、他方を「硬い心の人――経験論的(「事実」に拠るもの、感覚論的、唯物論的、悲観論的、非宗教的、宿命論的、多元論的、懐疑的)という風に対照させた、そのやりかたからしていささか乱暴で、アメリカ的アバウトさを感じさせるし、また『プラグマティズム』を読むときに強い印象として湧き上がってくる真剣そのもの、純な感じもまたアメリカ的だ。

『プラグマティズム』が、1906年ボストンのロウエル学会、1907年ニューヨークのコロンビア大学で講述されたものであることに、ちょっと注目しておきたい。

弟のヘンリー・ジェームズは「ボストンの人々」(『世界の文学 26 ヘンリー・ジェイムズ』谷口睦男訳、中央公論社、昭和41年)で、ボストンの凋落を描いた。#10で、それについて触れた。

黄金時代のボストン市がどんなところだったかを、解説から引用してみよう。

十九世紀中葉には、エマソン等の文人や理想主義的社会運動家も加わって黄金時代を現出することになった。そして、ボストン市は「アメリカのアテネ」と呼ばれ、ボストンといえば、アメリカ的な知性、教養、上品さ、批判精神などをただちに連想させ、ほとんど他の地域の住人を畏怖させるほどだった。(解説p524.)

ジェームズ兄弟は、こうしたアメリカ的知性、教養、上品さ、批判精神を感じさせる。

神智学協会を創設したH・P・ブラヴァツキー(1831 - 1891)を支え、神智学運動の拡大に貢献した人々の中に、こうしたアメリカのアテネ的知性を湛えた人々が多数存在したことは間違いない。

ブラヴァツキーの相棒で、第一代神智学協会会長になったH・S・オルコット(1832 - 1901)は弁護士、新聞記者をしていた1873年、ブラヴァツキーと出会った。ブラヴァツキーがニューヨーク新聞のオルコットの記事を読んだことが、出会いのきっかけとなった。

『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成8年3版)の巻末に付録されていた『議事録』がKindle版で出ている。

シークレット・ドクトリンの議事録 [Kindle版] 
H・P・ブラヴァツキー(著)
出版社: 宇宙パブリッシング; 1版 (2013/9/29)

シークレット・ドクトリンの議事録

ロンドンのブラヴァツキー・ロッジで、ブラヴァツキーを中心として、『シークレット・ドクトリン』一巻の『ジヤーンの書』のスタンザと註釈について、毎週、質疑応答がなされた。その議事録だが、これを読むと、当時の西洋の知識人のレベルの高さには呆れるばかりだ。

漱石はウィリアム・ジェームズの影響を受けたといわれるが、二者は雰囲気が違いすぎるし、漱石はジェームズの方法論の影響を受けるには哲学、宗教にかんする知識や体験があまりに乏しいように思われる。まだ『プラグマティズム』を読んでいる段階なので、何ともいえないが。

弟ヘンリー・ジェイムズの以下の本も図書館から借りた。

ヘンリー・ジェイムズ自伝―ある少年の思い出
ヘンリー・ジェイムズ (著),舟阪洋子(翻訳),市川美香子(翻訳),水野尚之(翻訳)
出版社: 臨川書店 (1994/07)

ヘンリー・ジェイムズ作品集〈8〉評論・随筆
出版社: 国書刊行会 (1984/01)

分厚い『ヘンリー・ジェイムズ作品集〈8〉評論・随筆』の中の「バルザックの教訓」をまず読んだところだ。わたしがバルザックについて日ごろ思っていることが高尚に、的確に書かれていて、感激のひとこと。

ジョルジュ・サンド、ジェーン・オースティン、ブロンテ姉妹、シェイクスピア、スコット、サッカレー、ディケンズ、ジョージ・メレディス、エミール・ゾラなどにも、対照するために軽く触れられており、結構辛口だったりもするが、人を馬鹿にしたような漱石の口吻とは似たところがない。

漱石の悪口からは、悪口をいわれた作家がどんな作品をどのように書いたのか、さっぱりわからないが、ヘンリー・ジェームズの文章からは作家や作品の特徴がよく伝わってくる。漱石が貶したギ・ド・モーパッサン、エミール・ゾラについては独立した評論が収録されているので、読むのが楽しみだ。

無頼派をはじめとする大正から昭和にかけて活躍した主立った作家たちが、漱石を師とするより、バルザックを師としたのは正解であった。漱石は日本をおらが村に変えてしまう。

以下は、「バルザックの教訓」から。

とにかくわたしは皆さまの文学への関心が充分に強いものと考えて、一時間ばかりわたしたち全員の巨匠バルザックの足下にわたしと共に集まるようお願いした次第です。わたしたちの多くの者は道に迷うかも知れませんが、彼は不動です。その重量感によって安定しているからです。そう聞いて、したり顔などなさらないで下さい。わたしから聞かなくとも、彼が重いことは知っていたのだから、わたしの話の中味がそういうことのみなら、今日の講演は聞く必要がなかったなどとおっしゃらないで下さい。確かに彼は動かすには重すぎる存在です。わたしたちの中の多数の者は先程言いましたように、さまよい散らばります――何しろ軽量なのですから、バルザックのようにぐるぐる廻れないというようなことはないのです。しかし、ぐるぐる廻っても移動しないという場合も、妙な話ですけれど、あるのでして、わたしどもも移動しているのかどうか不確かです。とにかくわたしどもはどう動いても彼から離れられません。彼が前方にいないという困った場合でも、背後にはいるのです。わたしたちが田舎のどこかのよく知らぬ道を進んで行くとした場合、道に迷わぬようにするのには木立や林を通して彼の姿を見失わぬようにするのが一番よい方法だと思います。わたしたちが動いているとすれば、それは彼を中心として移動するのです。すべての道は結局彼のもとに戻って来ます。わたしたちの動きとは無関係な地点で彼はどっしりと腰を下ろしていて、道しるべとなってくれます。ですから彼を「重い」と言えるとしても、それは財産の重みが加わっているからなのです。 (p.384)

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2014年6月25日 (水)

バルザックの**水の夢

 お食事どきに失礼致しますが、ダイナミックといってよいのかどうかわからないが、夢の中ではひどく爽快で満足しきっていた夢を見たので、記録しておこう。

 博多の天神辺りのイメージ。焦げ茶色と白を配した洒落たビルの前にいる。ビルは公共施設のようにも、オフィスビルのように見える。

 その前の道路にいるのだが、遠くのほうから大規模に掘り起こされて、水道管だか下水管だかを通す工事中。

 わたしはその掘り起こされた穴の前にいて、巨大なホースのようにも管のようにも見えるものを両手で握っている。

 そこからは「バルザック糞尿水」がそろそろ噴き出してくるはずで、それを待っているのだった。それが一般家庭に普及すれば、どんなにすばらしいだろうと思っている。成功するだろうか?

 側に知らないが、感じのよい女性や他にも工事関係者がいて、待機している。待ちに待ったバルザック糞尿水が噴き出してきた。それは想像以上の威力があって、管から迸り、うまく持っていられなくて、管が上向きになると、空高く噴き上がる。

 糞尿水なので、黄色いが、とても綺麗な澄んだ黄色で、それが噴水の飛沫のように体にかかるが、わたしは困りながらも感激している。飛沫が口に入ってしまう。

 という珍妙な夢。糞尿というとちょっとアレだが、夢占いでは状況にもよるけれど、富を象徴したりもする。水も、才能や幸運を表すことがある。

 その組み合わせたものが全家庭に行き渡るというのだ。バルザックはわたしにとっては文学の象徴だから、文学の豊かさがすさんだ日本の家庭を隅々まで潤してくれたらどんなにすばらしいだろう……という願望だろうか。

 それにしても、糞尿は糞尿という自覚(?)が夢の中のわたしにもあるらしく、バルザック糞尿水の通る管が水道管だか下水管だかわからないという戸惑いのある夢の設定に、笑ってしまった。

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