Kさんのこと
入院中にずっと同室だったKさんのことをお話しすると過去記事に書いておきながら、忘れていました。たまたま、彼女から電話があったので、思い出しました。
実は、もう思い出してやらない……なんて、思っていたのですね。
過日、レッドクロス近くの調剤薬局でKさんに会ったときに、元気いっぱいという感じのKさんを見て驚き、嬉しさと疑問でいっぱいになり、「年賀状を出したのに~。応答がなかったから、また入院でもなさったのかと心配していましたよ」といいました。
するとKさんは「え、くれた、年賀? 本当?」なんて、しらばくれるではありませんか。だって、Kさんの目、泳いでいましたからね。自分のほうから住所を教えてくれた癖に、と思いながら、「出しましたよ、出しました。確かに出しました!」とわたしは、Kさんの目を覗き込んで、いい張りました。
「そうー? くれたー? もしかしたら、来ちょったかもわからんな。病院での住所交換は、あれは社交辞令やからな。わたしは出さんかったわ」と、Kさん。わたしはいささかムッと来ましたが、そのあっけらかんとした物言いには、さすがに人を憎みやすいわたしでも憎めません。
いいわ、たとえKさんにとってわたしはゴミみたいな存在でも、この人と話していられる間は話していたい……と考え、Kさんも話し出したら長いので、ついつい話し込んで、そのうち互いにハッとしたように席を立ち、一緒に薬局を出ました。Kさんは、山のような薬を持って。
別れるときに、「電話するからな」とKさん。「社交辞令のお言葉、ありがとうございます」と、わたし。「違うで。電話、するで」と、繰り返してKさん。
「あら、じゃ、わたしの名前、フルネームでいってみて」と、テストしました。「○○○○さんやろ」とKさんは笑いながらいい、驚くべきことに、わたしの住所をマンションの名までスラスラとおっしゃるではありませんか。
わたしはKさんの住所、いえません。病衣を着ていたKさんは、今はしっかりお化粧をし、サングラスっぽい眼鏡をかけて、毛皮のついた半コートを着、如何にもマダームという感じでした。わたしは、ほどよく華やかな人が好きです。
この記事を書きながらふと思い出しましたが、同室になった人々から一様に韓国旅行を勧められました。本物のブランドもの、ではない、何というべきでしょうか、デパートなどに普通においてある、いわゆる大衆向きのブランドもの(わたしがときどきこのブログで記事にしている類のものです)が、あちらでは大変安く買えるそうです。Kさんからも、韓国旅行を勧められましたっけ。
わたしはKさんがわたしの名前と住所を覚えていてくれたことに気をよくして、ちょっと毛皮に触れ、別れました。
そして、今日の電話では開口一番に、「あんたのとこの郵便番号は何?」とKさん。そんなもの、覚えていやしません。「年賀くれたというあんたの言葉が気になって調べてみたら、年賀状の一枚だけがな、差出人の住所も名前もなくて、郵便番号だけ書かれていたんや。あんた、小さい牛を2頭、描いたやろ?」
「牛は描きません。わたしのは、全部パソコンで印刷した年賀で、絵は鞠です」と、わたし(絵と文面は一人一人違います。Kさんには、歌舞伎役者の絵と迷いました)。調べてみましたが、名なしの年賀状とは郵便番号も違いました。どうも、わたしが出したはずの年賀状は、本当に、Kさんに届かなかったようです。
「デパートへは、よく行く?」とKさん。「いいえ、あんまり。せいぜい1週間に1度くらいかな」とわたし。「それは激しいな」とKさん。「だって、デパートまで歩いてすぐですから。食品街の5時の市なんか利用したら、スーパーよりよほど、経済的ですよ」とわたし。「魚なんか、すごく安くなるな」とKさん。「魚だけじゃありませんよ。その安くなったのを漁るんですよ。品物が綺麗だから、デパ地下に行き出すと、止まりませんね。弁当をときどき娘に買って来て貰いますが、あれも半額になっていたりしますから、大助かり!」とわたし。
それから、話題は、Kさんのカラオケ教室に飛び、カラオケ教室の先生夫婦に関する込み入った話を聴かされ、次に韓流ドラマの話、紅白歌合戦の話から芸能界の噂をし、わたしは病院で会った再入院中のおばあちゃまの話もしました。そうそう、Kさんは電話する前に国会中継を観ていたそうで、その話もしました。
Kさんはこれから、節分の恵方巻を買いに行くそうです。料理好きのKさんですが、1人暮らしで糖尿病であるため、自分で巻き寿司を作っても残るだけだそうで、恵方巻は買うことにしているのだとか。
電話の向こう側で、玄関のチャイムの音がしました。「じゃまたな」と、Kさん。「はい、また」と、わたし。楽しいKさん、本当に、またお話ししましょ。
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