カテゴリー「息子の就活」の36件の記事

2012年2月22日 (水)

息子からバースデーの電話

 昨夜、息子からバースデーの電話があった。午後11時頃。

「ところで、いくつになったのかね?」と訊かれ、「54よ」と答えた。

 何だか、祖父に報告したみたいな気分になった。娘も、よくそんなことをいう。

 童顔で、子供っぽさと老人臭さが同居している不思議なムードを放つ息子。

 電車駅からで、電車の待ち時間にかけているらしかった。会社帰りだとか。

 ずいぶん遅いと驚くが、早い時間の帰宅途中とか帰宅後とかに電話があることもあるので、仕事が立て込んでいるのかと訊くと、そうだという。

「ところで、会社に辞表を出したんだがね」と息子。「ああそうなの。大学に戻るわけね」とわたし。

 息子は現在、社会人ドクターで、会社と大学院の博士課程に籍を置いている。休暇や有休を利用し、新幹線で大学の研究室に通っている。

 研究に専念したいので、近々会社を辞めて大学に戻る――ようなことをいっていた。しかし、教授が貧乏になることを心配して、会社を辞めることに反対だとも聞いていた。

「いや、それでね。会社をやめるのをやめることになりそうだ」と息子。「へえ、複雑な話なのね」とわたし。

 物事がスムーズに行かないのはいつものことなので、驚かない。息子は紆余曲折の大家といってもよいくらいなのだ。それにしては陽気な声。

 上司から引き留められたのだそうだ。それも、大学に戻りたいという息子の気持ちをかなり酌んでくれたものだとか。

 数ヶ月とか1年とかの長期休職をとって、研究室に詰めるかもしれないそうだ。

 息子が現時点での退職を迷う理由が他にもあり、卒業後おそらくはポスドクの口を探すことになるだろうが、その口にありつくのは厳しい状況が見え、先輩が勤めていた研究所なども人員削減に踏み切ったのだという。

 今は、大学院の博士課程卒業後、助手→助教授→教授とストレートに進めた時代とはわけが違う。

 ポスドク生活の厳しさは、ググれば、「博士が100人いる村」以外にも、いくらでも出て来る。教授が貧乏になるのを心配してくださるのは、そのためなのだ。

 それに、会社で、息子の専門領域の研究開発が復活の兆しだという。その部署に入ることを前提に入社したのに、入社初日にそこが潰され、失意に打ちのめされた息子だった。

 希望を出せばそちらに行くこともできるようだが、現在やっていることも面白くなってしまい、異動させられればそちらへ行くが、自分から希望するつもりはないそうで。

 息子の紆余曲折は大抵悪い結果にはならず、その途中では失意に打ちのめされたとしても、グレードアップされた状況を運んでくることが多い。

 息子は自分のスタイルにこだわりがあり、頑固でルール遵守、それでいて柔軟、また大変な努力家でもあるので、なるほどという感じだ。

 息子が辞表を出すかもしれないといったとき、占星術的に見て、それはもっと先になるのではないかと思っていた。

 火星の年齢域に入ったとき、学部生・修士時代と似た星の配置となるのだ。

 また、ずっと先の話になるだろうし、そうなるまでにはかなりの苦労があるに違いないが、ホロスコープ的に見ると、いずれ息子は、大学の先生になるのではないかと思う。教師と研究者を兼ねる職業というと、それしか思いつかない。

「もうこのままずっと、会社にいるかもしれないな」と息子はいったが、違う気がしているのはそのためだ。ずっと会社にいてくれたほうが、わたしは気楽でいいのだけれど。

 日本の数年後がどうなるのか、明確な将来像の描ける人がいるのだろうか。日本も大学も企業も、変化にさらされずには済まないだろう。

 それにしても、長年勤めた会社から継続雇用を匂わすだけ匂わされた挙げ句に冷たく放り出された夫と、数年間の勤務で上司の信頼を得て引き留められた息子。

 運命のコントラストが目を射る。

 夫は息子とは違い、初めよくて結果近くまで最悪、しかし結果はそれなりに悪くない状況に落ち着く運勢を持っているので、夫について、わたしはそれほど心配しているわけではない。

 それに、土星のこの年齢域、夫の場合はそう悪くないはずだ。いつまでも続く辛抱ではないと思う。ポリテクが終了するまでに再就職できるかどうかは、疑問であるにしても。

 ほとんどの人々が決まらないまま卒業していく。そうなると、警備員しかない(警備員の求人だけはある)という厳しい現実があるけれど。

 夫とは完全に運命共同体なので、心配になって当然だが、本当に心配すべきは、芽の出ない自分のことだろう(自分で摘み取っている気配すらある)。

 失意に打ちのめされっぱなしのわたしはよく、松村潔著『最新占星術入門』(学習研究社、1996年)の中の以下の一文を読む。その配置に自分のホロスコープが当てはまるのではないかと思うからだ。

[引用 ここから]……
 原則的には、集合魂との深い関係の中で活動し、時代を代表するような、多くの人に影響を持つ人は、太陽、月、アセンダント、MCに対して、冥王星・海王星・天王星の3天体が、非常に接近しているか、あるいは対向にあるという特徴を持っています。
 この場合、その人の天職や本当にしたいことが実現するまでに、多くの年月が必要です。時代を先取りしているため、社会がその人に適した場を用意してくれるまで、不適応症状に悩まされるでしょう。
……[引用 ここまで]

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2010年3月 6日 (土)

入学の季節

 独身寮に戻っていた息子から電話で、博士課程の合格通知が来ていたとのこと。

 その確認や手続きのために、帰っていたみたいだ。

 社会人ドクターは、仕事との兼ね合いが難しいだろうけれど、本人は研究が何より好きだから、大変でも真の悦びはそちらから来るのだろう。

 息子の場合は、そのままストレートに博士課程に進むには金銭的に無理があったので、社会人ドクターという選択肢しかなかった。

 息子が研究者タイプだということは早い時期にわかっていた。娘は研究者タイプではないと思ったが、学校の先生から純粋培養したみたいだといわれるようなところがあり、身を守るためにも、娘にも学問が必要だと感じた。

 それでわたしは、子供たちの学費のことを考え、狂おしいまでに作家になりたくて賞狙いに走った30代、40代だった。

 病気にならなければ、パートに出ていたかもしれないが、夫は家事に協力ができない不器用なタイプであるばかりか、羽目を外すところがあるから、外に働きに出るのは怖いということが第一にあった。自分より7歳も上の男性をしつけ直すのは至難の技だ。結婚するまでは、そうしたタイプの男性ほど、よきアッシーくんである。

 で、内職に手をつけてみたが、被害は少なかったとはいえ、どちらかというと、騙されて終わった。そうこうするうちに病気から来る症状も無視できないものとなって、働きに出るのはますます難しくなり、プロになるしか、選択肢がないところまで心理的に追い詰められた。

 賞の落選がわかるたびに、地団太踏み、髪を掻き毟って泣いた。自分より明らかに書けない連中が、どんどんデビューしていく。そんな傾向は、現在に至るまで変わっていない。

 落選すると、高いところから地面に叩きつけられる気がした。それでも、賞狙いしかないと思い、何度も、何度も、チャレンジを繰り返した。すぐ目の前にぶら下がった人参が、手を伸ばしたとたんに、ふっと目の前から消え、他人の口に入っているのだ。地獄みたいな日々だった。

 子供たちを、不甲斐ない自分の惨めな人生の道連れにしてしまうと思い込んだ。

 文学界の裏事情を知った今、その頃に作家になっていなくてよかったと思う。おそらく飼い殺しのその他大勢になっていたことだろう。そして、心配した息子は自分の力で研究の道に入った。

 息子の場合も、就活で困難を極め、もし狙っていたような企業に入っていたら、それはそれでよかったのかもしれないが、社会人ドクターになる環境を調えることは難しかったかもしれない。今の会社に入ってからも、所属するはずだった部署が入社したとたんに潰れるなどのアクシデントがトリックスターとなって、社会人ドクターになることを可能にした面もあった。

 今、息子はわたしを励ましてくれている。わたしも今は打算からではなく、社会の現状と自身の潜在能力を考えた判断から、世に出たいと考えているので、時間はかかっても、息子の気持ちに応えたいと思っている。

 息子にはもういったけれど、ブログにも刻んでおきたい。

 息子よ、合格おめでとう!

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2009年7月29日 (水)

煮詰まった旅行計画

 児童文学作品『不思議な接着剤』のための取材と家族の親睦? を目的とした旅行計画はだいたい煮詰まり、日程と宿泊先が決まりました。

 といっても、予約をとってくれるという息子がJTBに出かけてみないと、希望する宿に空きがあるかどうかはわからないのですが、ネットではまだあるようなので、大丈夫かなとは思っています。

 秋に、湯田温泉の旅館、秋吉台のホテル、萩の旅館に泊まる3泊4日を考えています。

 息子が宿泊代を出してくれるというで、ありがたい話ですが、息子にも社会人ドクターの計画があったりするので、言葉に甘えていいのかしらと考えました。

 でも、結局甘えることになりそうです。

 会社の独身寮暮らしなので、学生時代に比べたら、住居費と食費の心配が少なく、また社会人ドクターの計画にしても、大学とマスター時代の金銭的な大変さが主にそうした生活費の捻出面から来ていたため、2ヶ月に1度の割合で研究室に通うことになるにしても、学費と交通費にはさほど不安はない様子。

 大学は国立だったので、理系であっても学費の心配はそれほど要りませんでしたが、距離的に通学はできなかったため、アパートを借りるなど、何しろ生活費がかかりました。

 返還義務のない奨学金もあったとのことですが、同時に返還義務のある奨学金の希望も出すことはできなかったため、もし返済返還のない奨学金に通らなければ、大変なことになります。それが不安で息子は、返還義務のある奨学金にしか希望が出せなかったといいます。生活の基盤がある今は、むしろそうした返還義務のない奨学金に希望を出すこともできるでしょう。

 息子に旅行のことでメールを送ったときに、前後して研究室の教授から研究に関することでメールが届いたそうで、まだ教授には社会人ドクターの計画については話していないようですが、マスターを卒業したといっても、こうした交流の話をちょくちょく聴くせいか、息子がまだあの研究室にいるような錯覚を起こしてしまいます。

 教授から連絡があると、息子は職場では得られない類の緊張感と昂揚を覚える様子。職場では指導役の上司がつき、まだ研修の続きのような感じなのでしょうが、職場での作業は遊びのようなちょろいものに感じられるようです。

 大変になってくるのはこれからなのかもしれませんが、ある程度はわたしもそうなるだろうなと想像していました。わたしには窺い知れぬ世界のことなので、本当に想像するにすぎませんでしたが、その分野の世界的権威といわれる教授のもとで、研究室の人数は少なく、息子の様子から、求められるレベルには高いものがあるように感じられたのです。

 バイトが欠かせないひとり暮らしの大変さのあるなかで、何とかあの質の高さに対応していっているのだから、就職してからのほうが楽に感じるに違いないとわたしは思っていました。

 就活も異様に大変でした。就職難が一時的に緩和された恵まれた年の就活であったにも拘らず、研究室でしてきたことが、企業の求めを超えたところにあったからです。ドクター卒よりもマスター卒のほうが就職には有利と踏んでいた息子でしたが、企業向きではない研究内容は就活に困難さをもたらしたのでした。

 が、長い目で見れば息子が触れた研究は、現在身を置いている企業にも役立つと、息子は見ているようです。

 息子がマスターコースに進もうとする頃、息子は夫に絶縁状を叩きつけました。ある男性の書き仲間の一人から、男の子はむしろそうであったほうがよい、アットホームの中で育ち、父親から自立できなかった息子ほど悲劇的なものはないと諭されました。

 過激な考えだなあ、でも、もしかしたらそんなものかしらと思ったのは、夫と息子が一つ家にいたときの夫に、雄が他の雄をテリトリー内から追い出しでもするかのような気配をわたしは確かに感じていたからです。そんな風な夫を、わたしは好きにはなれませんけれど。

 不思議と肉親関係に恵まれない人間には、それの代わりとなるような存在が出てくるように思います。研究室の教授はある意味で、父親以上に父親ではないでしょうか。

 息子が里帰りできなければ、こちらから会いに行くまでとわたしは思い、娘も弟には会いたがるので、わたしたち母娘には旅行の機会が増えました。息子とわたしは、知識や情報の交換などで、友人的なつながりの割合が高まってきたように思います。夫は不思議と、わたしたちの旅行に口出しをしません。息子もたまに父親のことを、それとなく案じている風に尋ねたりもします。

 だからこれでよかったという風にはわたしは割り切れませんけれど、こんな家族もありと思うことにしています。 

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2009年3月19日 (木)

世界恐慌の波

世界恐慌の波

昨夜、息子から電話があり、引っ越しのことなど話しました。

そのとき、同じ科の友人が、内定取り消しとまではいかないけれど、会社が工場の閉鎖に追い込まれ、給料は出すから1年間、社会人ドクターになってくれといわれたという話をしました。

彼はドクターへの進学を迷っていたそうで、社会人ドクターとなること自体に不満はないそうですが、困惑しているとか。

他にも、思わしくない話をちらほら聴いたとか。

テレビのニュースを観ていると、息子が受けて落とされた企業名をよく目にし、金融危機に端を発した世界恐慌の波がそれらを次々に呑み込んでいくかのようで、戦慄を覚えます。

息子が受験したときはあれほど堅固に、威風堂々として見えた企業があんなに次々と……と信じられない思いです。

軒並み落ちたあと、息子はそれまで受験してきた会社とは毛色の違う、が自分が研究室でしていることとは密着したことを顧客(企業)からの注文を受けて専門に手がけている部署のある会社を受験し、合格したわけですが、息子が配属される部署に世界恐慌がどう影響してくるのだろうかと気にかかります。
尤も、今の日本でこうした不安と無縁でいられる社会人はよほど特殊な環境にある人か、脳天気な人かのどちらかでしょう。

社会人ドクターといえば、いくらか前に息子に、ドクターコースに未練はないのかと訊くと、学生のままでドクターコースに行く気は全然ないけれど、社会人ドクターは考えないでもないといいました。今の段階では、あくまで頭の片隅に置いてあるだけだそうですが。

就活では息子より、見守っていただけのわたしのほうが先に音を上げ、「就職は諦めてドクターに行ったら」といっても、息子は淡々として就活を続けました。
高校時代から息子は、マスターまでは絶対に行きたい、ドクターまで行くと就職しにくくなるので、それは考えていないといっていました。息子なりの考えが早い時期からあったと思います。

自分なりの考えでしぶとくやっているところは、母子似ているのかも。

わたしのことで、心配をおかけしているかたへ。
職業作家はほぼ諦めましたが、それは本来の作家志望を貫くための選択です。今の状況下では、この二つは合流点が見い出せないまま、分かれて存在しています。
でも勿論、今後、本筋を保てる上でのよい話があれば乗ります。ご報告します。

東大志望の夫の同僚の息子さんはセンターに失敗して九大を受け、合格したけれど、浪人するとか。東大にある宇宙開発関係の科に行きたいそうです。

眩しい話ですが、家庭状況はうちと酷似していて、苦しい選択でしょう。安全策をとり、東北大の近い科を受け、院で東大へという手もあるのでは。2浪も私立もだめとなると、下手をすれば高卒です。

息子は大学受験のときにわが家の経済事情から仕方なく安全策を取りましたが、今の大学で自分に合う研究分野を知り、その方面での世界的権威に出会いました。

折衷主義は神秘主義の基本姿勢ですが、そう悪くない感触です。

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2009年3月 9日 (月)

息子に電話

 昨夜、息子に電話をしました。

 学会のことや引っ越しについて聞きたかったからでした。

 学会は、可もなく不可もなし、といったところだったようです。アメリカの雑誌に息子の論文が掲載されたら、記念にコピーを送ってほしいといいました。息子の名前で掲載されるそうです。

 6年間学生生活を送った街には、名残惜しいものがあるようで、一昨日は大阪の大学院に進んだ友人の一人に会いに行き(彼は半年繰り上げて既にドクターコースに進んでいるという話です)、今日は同じ大学院の友人と倉敷に遊びに行くとか。もう少しあとには、四国の金比羅さんへ研究室の皆で遠足に行くそうです。

 父親との確執のある息子にとって、父親代わりともいえた教授とのお別れには寂しいものがあるのではないかと思いますが、就職してからも、学会に行きたいといえば行かせて貰えるのではないかと思うので、その折にお目にかかれる機会があるかもしれないといっていました。

 一緒にお酒を飲んだりもしているようです。

 そういえば、同じ研究室の後輩に、教授の京大時代の知り合いからたまたま話がきて、わたしでも知っている某メーカーに男子学生の一人はすんなり決まったとか。その学生はドクターに行く予定だったそうですが、就職することにしたのだそうです。もう一人就活中の学生がいるのですけれど、そこへは興味がわかなかったということです。

 こんなものなのですね。

 息子は下旬に引っ越し。寮に入居するまでの数日間は、今の街か東京かでホテル暮らしになるようです。

 そして入社、研修と続き、秋頃に配属先が決まって、東京であればそのまま研修時と同じ寮、大阪であれば引っ越しです。どちらに決まるにせよ、それぞれの土地に友人たちがいます。

 親の目から見れば、まだ子供っぽいところがある気がして、いろいろと気にかかりますが、本人も新生活に向けて、いろいろと考えるところがあるようです。

 息子が東京で入る寮のある街にはわたしの友人が住んでいるので、どんな街か訊いてみたいと思っています。同じ区といっても、広いでしょうけれど。 

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2009年1月21日 (水)

息子とおしゃべり

 昨夜、息子に電話をかけた。

 息子の夢を見たので。小学生くらいの息子が自分で作ったカレーを食べ、それを口から溢れされせている(戻している?)という場面が気にかかった。

 参考にさせていただいている眠り男さんの夢占いの本では〔眠り男さんのサイトへは、左サイドバーからも行けます〕、カレーには倹約、不健康、生活の見直しという意味があり、戻すということにはそれを未然に防ぐという意味があるようだ。

 極端な倹約でもして体を壊していないか気にかかり、電話してみたという次第。

 息子は、正月のバイトで稼いだため、いくらかは経済的に潤ったといった。それでも、5,000円以上する本は暮れ以降は買っていないそうだ。

 そう、息子は倹約型だが、一つだけ、わたしに似て本の購入癖がある。息子のほしがる本は高価なものが多いから、学生の乏しい経済状態では、それが圧迫を招くこともあるだろう。

 本だけはなるべく我慢をして、ただし普通の生活はあまり切り詰めないようにとアドバイスした。夫も珍しく、入社までの息子の生活(生活費や新生活に伴う服の購入のことなど)を心配しているため、それも告げた。

 会社から指定された健康診断が1万円かかったそうだが、あとで払って貰えるという。給料が振り込まれる銀行口座も、会社に指示されて作ったとか。

 引っ越しに伴う費用と、会社の寮に入った後に必要となってくる生活必需品の購入にかかる費用くらいは、息子の予算で大丈夫ではないかと思ったが、寮に関する詳細は来月にならないとわからないので、それによって変わってくる。

 服を購入する金銭的なゆとりはないだろう。息子の入る会社は、聴くところでは、いくらかユニークで自由な雰囲気があるようで、服装などもそのようだ。就活のときから、そのようにいわれて息子はどんな格好で行くべきか、途惑っていた。

 そのときは結局、普通のリクルートスタイルで行ったようだが、自由だからといって、学生時代そのままにヨレヨレの格好でいいというわけではなく、むしろ適度に洒落ていることが求められているのかもしれない。

 まあ、うちにも金銭的なゆとりは全くといってよいほどあるわけではないが、息子のための通帳は別にして、最小限の援助はできるように一応の体制は整えている(娘のための通帳も別にあり、それに貯めてやるつもりが、逆に借りたりするのは情けない)ので、様子を見ながら、サポートが必要なときはそうするようにしたい。

 1学年下の同じ研究室の女子学生が就活中で、息子なりに情報を提供しているようだ。息子の多く受けた化学系の会社は振るわないところも多いだろう。が、その女子学生の就活は普通に行われている様子。

 息子の就活に伴う困難は、現在研究室でしていることに分野を絞っての研究開発以外の選択を排除したことから来たと本人は分析している。幸い、その女子学生には息子ほどのこだわりはないそうで、そのぶん選択の幅が拡がり、自分よりは就活もやりやすいだろうと息子は見ている。 

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2008年10月22日 (水)

息子と電話で話す

 息子の住む街では風邪が流行っているらしい。息子も風邪をひき、なかなか抜けないようだ。それ以上長引くようであれば、病院へ行って本当に風邪かどうか確かめて貰うようにいった。

 夜間はもう結構冷え込むというのに、窓を開けたまま寝たりしていたらしい。暑いときでも、窓は極力閉めて寝るようにいっているのに……。真冬でも半袖で通す(外出時はさすがに、ジャンパーかウインドブレーカー、よそ行きのときにはコートを羽織るようだが)癖がついているので、寒暖の差があっても衣類の調節などは思いつきもしないのだろう。

 汗をかくと湿疹が出るので、半袖や薄着が習慣づいてしまったようだ。でも、それも程度もので、風邪を予防するくらいの衣類は身につけてほしいと思う。

 来春の卒業、引っ越しのほうへ頭は向いているようだ。

 引っ越し先に持って行けようと行けまいと、家財道具(学生時代にいくらかアパート暮らしをした娘から引継がれたものもある)は、リサイクルショップに引きとりに来て貰うか粗大ゴミに出すかして処分したほうがいいのでは――と、アドバイスした。

 配属が決まる前に東京で研修があるし、配属後の引っ越し先が東京になるのか、大阪になるのかさえ、今の時点ではわからない。

 息子はどちらでもいいといいながらも、内心では東京を希望しているのだが、それは土地を選んでのことではなくて、部署に関する希望によるものらしい。

 というのも、息子が今大学院でやっているような分子シミュレーションは、東京でしかやっていないからなのだった。

 おそらく、計算科学という部門に行けることはほぼ間違いないだろうが、その中にも息子の希望する部署の他に構造解析はじめ複数の部署があり、分子シミュレーション以外は東京と大阪どちらでもやっているというのだ。

 だから、仮に引っ越し先が東京になるとしても、分子シミュレーションに行けたということにはならないようだが、引っ越し先が大阪だとすると、分子シミュレーション以外の部署に配属されたということだといえよう。

 息子は、他の部署に配属されるとなると、大学でいえば、同じ理学部であっても、理論化学から生物に行かされるような違和感を覚えるだろうという。

 それでも、それは贅沢な悩みといえば贅沢な悩みだ。

 大企業の場合、どの部門に行かされるのかでさえ、わからないところも多いようではないか。息子は就活中にそれを思い知った。研究室勤務になるのか、工場の監督に就くことになるのか、営業になるのかが全くわからないというのは大変なことだ。

 大変なことだけれど、わたしや娘のように4年生大学の文系を卒業した場合、そもそも教養的知識が霞を纏うように身についているだけで、実用的な技能は身についていないことが多いため、どこに就職を希望していいのかさえ、わからなかったりする。どこにも違和感を覚えたりする。

 尤も、わたしのような作家志望となると、特殊すぎる希望であるため、ほとんど馬鹿みたいであるといえよう。実際、天の星を松葉箒で掻き落とせると思い込んでいたものでね……。

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2008年10月 4日 (土)

息子の内定式

 一昨日の夜、息子から電話があり、内定式が終わったところだといった。

 受験地によって大阪と東京に分かれて行われたそうだ。大阪の内定式に出席した学生はグループ2社合わせて100人ぐらいだったという。そのうち息子の所属する会社は20人程度だったとか。息子が入る部署(計算科学)となると定員が5人で、前に、大阪で受験して入ったのは息子の他には1人か2人いたくらいといっていたから今回もそうだったろう。

 勤務地が東京になるのか大阪になるのかは来年1月にわかるといっていたが、それはもう1つの会社の話だったそうで、息子の入る会社の場合は今年の例でいうと東京で8月まで研修があり、勤務地が決まるのはその後だったそうだ。

 研修期間は、東京にある会社が借り上げたマンションで過ごすことになるという。寮は別のところだから、勤務地が東京になるにせよ、大阪になるにせよ、いずれにしても勤務にあたっての引っ越しは必要だそうだ。

 勤務地をどちらかに希望する人も多いらしいが、息子はどちらでもいいといったそうだから、どちらに行くことになるかはわからない。東京になる可能性が高いとはいわれたそうだが、決定までは落ち着かない気分で過ごすことになるのだろう。

 わたしは東京にも大阪にも住んだことがないので、息子にとって、どちらが暮しやすいのか、想像できない。どちらに住むことになっても、独身寮に入ることになるのだろうが……。

 勤務地が決まれば、息子が住むところや通う会社を見に行きたい。

 息子に目をかけてくださった公文教室の先生とはずっと連絡を取り合っていて、息子の内々定をお知らせしたとき、大層喜んでくださった。わたしの手紙がもう少し早ければ、東京に行ったので、会社を見にいったのに、と書いていらした。

 ところで、息子の入ることになる会社は、外部の他会社と資本・業務提携した。それについての話も、勿論あったそうだ。

 国内を見ても、海外に目を向けても、企業間の業務提携、合併、吸収などが相次いでいる。企業が生命体のように見えてきて、不気味なくらいだ。こうした傾向が落ち着いたとき、世界はどう変わっているのだろう?

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2008年5月27日 (火)

息子の就活24(合格後の最終面接)

 息子からの電話によると、本日、合格後の最終面接があったそうで、内定承諾書にサイン、捺印したらしい。

 勤務地は東京か大阪で、希望も出せるらしいが、息子はどちらでもいいといったという。どちらになるかがわかるのはまだかなり先になるようだが、ナノシミュレーションをやっている東京になる可能性が高いといわれたそうだ。

 いずれにしても、CAEという部署で、ソフトの開発に携わることになるのだろう。

 これで、どうやら、息子の就活も終わりを告げたことになる。

 なかなか決まらなかったために、本当に心配したが、理系の場合、大学での研究分野と企業が必要としている分野とがほぼ一致するのでなくては合格することは難しいようだ。

 逆のいいかたをすれば、学生のしていることが企業の求めるものに一致していれば、合格できる可能性が高いということだ。

 過日、大学時代からの友人と電話で話したところ、同志社大に通う彼女の娘さんはまだ決まっていないらしい。エントリーシートの段階で落ちてしまうという。長崎の活水女子大に通う娘さんを持つ友人も、同じことをいっていた。就職事情が最高に冷え込んだ年に就活を余儀なくされた娘や娘の友人たちの場合も、そうだった。

 彼女たちは皆文系で、文系の場合、筆記・面接に進むこと自体が大変なだけでなく、なぜエントリーシートの段階で落とされたのかの裏事情はさっぱりわからないことが多い。

 今年の就職事情が必ずしもいいとはいえないような感触を覚えさせられた、息子の就活だった。

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2008年5月23日 (金)

息子の就活後に生じた疑問

息子の長かった就活が終了するまでのその間、「もし就職できず、ドクターコースへ進まなければならなくなったとしたら、その先はどうなるのだろう?」という悪夢にも似た不安に苦しめられました。
実際、息子が内定の知らせをもたらしてくれたときには命拾いしたような気さえしました。

でも、考えてみれば変ではありませんか。

就職できなければドクターコースへというネガティブな選択肢が当たり前のように存在すること自体、おかしいし、また、かつては誉への道であったはずのドクターコースへの進学が親であるわたしの恐怖までそそるこの現実も、いくらなんでもおかしい……これには政府の失策が絡んでいるのではないかと思い、調べていました。

果たしてその通りで、このことには政府が平成7年から実施した「ポスドク一万人計画」が大きく関係しているらしいことがわかりました。

このことをテーマにした論文、ニュース記事、ブログの記事は、ネット上に沢山出ていました。
興味がおありのかたは、検索してみてください。

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