火曜日の午前中、循環器クリニックを受診しました。
胸部レントゲンと心電図を今回に回して貰っていたので、その二つを済ませて診察の順番がくるのを待ちました。
名前を呼ばれて診察室に入ると、胸部レントゲン写真の前に仁王立ちになった先生がこちらを振り返り、「Nさん、具合が悪くない?」とおっしゃいました。「いいえ、特には……」とわたし。何か問題があるのだろうか、まさかコロナでは?
「ほら、この横切った線! こんな影、半年前にはなかった!」とオーバーアクションに見える先生。「Nクリニック、行ったこと、あるよね?」と訊かれました。やっぱりコロナ肺炎なのだろうか、その自覚はないけれど、確かにいくらか前に2回ほど、かなり変なことがあったなと思いました。
「Nクリニックには行ったことがありません」とお答えすると、「行ったことがあるだろう?」と先生。「ありませんよ」「Nクリニックだよ?」「初めて聞いたクリニック名です」と変な押し問答。傍の看護師さんは押し黙ったまま。先生がパニック状態であることはわかりました。
これに近いことがあったとき、うまく受け流してきましたが、今回はわたしも先生に釣られてパニック状態。わたしコロナってこと? PCR検査、抗原検査なの? 隔離なの? コブラ毒を打たれるの? もはや、わたしもこれまでなの? という考えが頭の中で渦巻いていました。
「NクリニックはCTが上手だ。紹介状を書くから、行ってきて! それから、採血させてくれる?」と先生。採血は、副甲状腺機能亢進症を診ていただいている総合病院でやって貰い、そのコピーをクリニックに持参するという形になっていました。「どうぞ!」とわたし。
PCR検査はしなくていいのね?
コロナかもしれないとしたら、こんな無防備な状態でここにいて、そして患者さんが大勢いるかもしれないNクリニックに出かけていいのだろうか、と疑問に思いました。熱は36℃で平熱、咳も――喘息持ちなので、それから来ると思える刺激で起きる咳は出ることがありますが――ないといってよい状態ではありました。
コロナには神経質なはずのクリニックなのに、不思議なことには、まだ先生からはコロナのコの字も発せられてはいませんでした。わたしは意味がよくわからないまま、「ありがとうございました」とぼやーといって椅子から立ち上がると、先生は我に返ったように静かに頷かれました。
Nクリニックに行ってきてって、いつ行くのだろうと思い、受付でお尋ねすると、「ご心配でしょうから、早いほうが。Nクリニックは午後も開いていますから」とのことで、まずは電話をし、午後にでも行ったほうがよいということがわかりました。
循環器クリニックも、Nクリニックも歩いても行ける距離でしたが、丁度休みだった夫に迎えに来て貰い、ケンタのドライブスルーに行きました。クリニックの帰りに夫とのケンタランチが楽しみだったのです。
「なぜドライブスルー?」と夫。「もしかしたらコロナかもしれないからよ。レントゲンで影あるっていわれた。コロナだといけないから、店内には入らないほうがいいよね。職場に迷惑かけることになったら、申し訳ない」「ええーっ?」と夫。
そういえば、娘の勤務する病院の病棟で少し前にクラスターが発生し、病院は一時新患受付を休止したりしていました。病棟のスタッフは全員、PCRか抗原か忘れましたが、検査があったとの話でした。
あのコロナに感染したのかな? イベルったら、どうしたの? 優秀なイベルメクチンで予防してきたとはいえ、予防はあくまで予防であって、完全阻止は難しいということなの?
Nクリニックに電話をし、事情を説明すると、CTで撮ることになる部位を訊かれました。胸部だと思います、というと、それではこれからどうぞ、ということでした。
ペッパーマヨツイスターセットをもそもそ食べ終えると、誰も使わなくなった洗面台のイソジンでうがいをしました。PCR検査の直前にイソジンでうがいをすればいいと、どなたかツイートしておられたからです。
Nクリニックは、想像したより大きな病院でした。診療科目は消化器科、内科、外科、肛門科です。医療設備はX線撮影装置、ヘリカルCT、胃・大腸電子内視鏡、心電図、超音波診断装置(腹部・乳腺)、血液・尿検査とあります。
正面玄関から入ると、向き合って受付があり、片側に小ロビー、もう片側が待合室で、ずらっと並んだ長椅子に大勢の患者さんが寡黙に診察の順番が来るのを待っていました。もう午後も遅い時間帯なのに、こんなに沢山の患者さんが……と驚きました。
受付で紹介状とレントゲン写真の入った大きな袋を差し出すと、問診票と体温計を渡されました。
大きなテレビ画面に、お知らせや情報が流れていました。風邪にはウイルスと細菌によるものがあり、ウイルス性では白血球が減り、細菌性では増える。ウイルス性の治療薬はなく、対症療法になる。細菌性は抗生物質で治療。新型コロナのコの字も画面に出てきませんでした。
特例承認された色々な薬剤についても一切なし。内容が更新されていないのだろうか、と思ったほどでしたが、何か意識の高さが感じられたので、意図的なのかもしれないと思いました。診察室に入って、そのことを確信しました。他の人を飛ばして、すぐに順番が回ってきました。
真剣な表情の先生。わたしは同年輩――60代前半――くらいに見えましたが、あるいは、わたしより五つ上の循環器クリニックの先生と同じくらいかもしれません。
病歴や検査に関する手短な確認がありました。その短いやりとりの間にも、先生の冴え渡った意識が感じられ、行き届いた雰囲気があって、このクリニックいいなと思いました。
循環器クリニックは明日は休みだから、明後日の午後には検査結果を届くように送ります。金曜日の午前中に循環器クリニックを受診してほしい――と先生はおっしゃいました。
後は検査の順番が来るのを待てばいいようでした。わたしは椅子から立ち上がった後、思わず口走りました。「あの、何か注意すべきことがありますか?」
すると、先生は厳しい表情をこちらに向けられましたが、無言のまま、わたしを見つめられました。わたしは脳天気に笑って(真剣になると陽気になる馬鹿です、はい)「例えば、コロ……いえ、いいです」といいかけてやめると、先生は食い入るようにわたしを見つめられ、「風邪症状がある人をコロナというのであってね……」と先生。
このとき、ようやく、わたしは悟りました。風邪症状のないわたしがコロナではなく、癌を疑われていることを。それも、どちらかといえば、進行癌とか進んだステージの癌とかを疑われているのだと。
コロナ禍でも冷静沈着によい医療を提供しているクリニックに出合えた喜びと、癌という重い言葉が混じり合い、帰宅後は万一癌だった場合の情報収集に明け暮れました。アフラックをやめなくてよかったと思いました。どこかへ検査入院ということになれば、限度額適用認定証を申請しておかなければなりません。
もし癌だったとしたら、標準的な治療を受けることにしました。それで駄目だったら寿命。ただし、癌にも効くというイベルメクチンは自己責任で飲み続けたいと思いました。研究が進んで、各癌向きの容量と服用法が確立すればいいのにと願わずにはいられません。
ただ、もしイベルメクチンを飲みながら癌になったのだとしたら、どこまで頼れるのでしょうか? 最近、たまたま丸山ワクチンについて、調べたことを思い出しました。
今のわたしのこの立場では、未だ治験中の丸山ワクチンは敷居が高いように感じられました。関係者や希望者が丸山ワクチンの一刻も早い認可をと思われるのも当然だと感じられました。
あの世はよいところだと知っているので、死ぬまでの肉体的苦痛はあるかもしれないけれど、わたしにとって死はむしろ喜ばしい出来事ともいえます。幸い息子も娘も自立しています。これが娘が書店や日赤の契約社員だったときだったら、心配であの世に行けないかもしれませんが。
娘はまだ結婚はしていませんが、今は婚活サイトというものがあって、真面目な、相手を気遣った複数の人々とのやりとりを見せてくれるときがあり(このようなやりかたが一般的なようです)、今後相手が見つかることもあるだろうと思いました。
義母から、自分達が死んだ後は――義父母は健在です――こちらにあるお寺の納骨堂に入りたいとの希望を聞いていますが、そこへ真っ先に自分が入ることになるのだろうか、父のこともあるのに……何て親不孝なんだろうと思いました。
あの世に行くまでには、萬子媛に関する研究エッセーと新作能を仕上げなくては。毎朝、祐徳稲荷神社のお札に向かって、国家安泰と家内安全を祈願しています。家にいても背後から萬子媛の太陽の光のようなオーラを感じるときがありますが、この夜も感じました。あの世から竜王会と神智学協会の会員たちを見守ってくださっている田中先生からは、空間にきらめく宝石のような光のお手紙。
この方々は、今後のわたしがどうなるのか、おおよそのことはご存じでしょう。
今回は、何も起こらないかもしれないと思いました。
というのも、家の中がかなり滅茶苦茶になった地震があった日の朝、いつものように祈願すると、心の鏡に、萬子媛を中心に整然と並んだ方々が、一斉に、気遣わしげにこちらを凝視なさっている様子が映りました。それはほんの一瞬のことでした。
砂糖壺がうまい具合にIHクッキングヒーターと壁の間の隙間に挟まって、中身がこぼれずに済んだこと。大事にしていたキューピッドの二つの置物が落下しながら――くっつけることが可能な翼のとれかたをしただけで――無事だったこと。一枚の皿が食器棚の中を落下しながら、割れたのはその一枚だけだったこと。落下した文庫本棚が、うまい具合にテレビが吹き飛ぶのを抑えていたこと。
被害が思わぬところで小さくなっていたことに驚いたのですが、この状態を作り出してくださったのが江戸期に尼僧だった方々というよりも、まるで妖精さんのようで……感心しました。生前が女性だった方々ならではの心遣いと工夫を発揮して祈願者の安全安心に応えてくださっていることが、このとき改めてわかった次第でした。
田中軍医が戦地に向かう大海原で溺れそうだったとき、故郷の名を記した醤油樽が流れてきたときのことを連想させられました。
それにしてもお忙しいでしょうに、分身の術でもお使いになっているのでしょうか。神秘主義者のわたしには、わからないことだらけです。
いずれにせよ、今回はそのような、一斉にこちらを凝視なさっているような感じを受けたことはありませんでした。それに、何か大きなことが起きるときは大抵、そのことを暗示するような夢を前もって見るのが常ですが、このところの夢は全く覚えていませんでした。
その一方では、ここ数ヶ月の間に2回ほど、体調に異変があったため、もしかしたら癌になったための異変だったのかもしれないと思いました。
1回目は2ヶ月ほど前に遡ります。顎から頭にかけて割れるように痛くなり、イベルメクチンを予防のためではなく、症状の改善を期待して12ミリグラムを1錠服用。症状は間欠的に起きたので、イベルメクチンを3日続けて服用し、ようやく治まりました。熱はありませんでしたが、喘息が悪化したような咳が出ました。喘息だったのでしょうか。
あの凄まじい、顎から頭にかけての痛みが何だったのか、わかりません。
2回目はつい最近で、背中や腰が痛くてたまらず(ぎっくり腰とは違う痛みでした)、体がばらけそうで、胸が焼けるようで息苦しく、このときはイベルメクチンを5錠使いました。1日に2錠服用した以外は1日に1錠です。
倦怠感があったので、それが突発的に起きた異変から来たものなのか、イベルメクチンを連用したことによる薬剤性肝炎なのかわからず、そのことが一番気になりました。
これも何だったのか、さっぱりわかりません。
咳が出れば、どうしても喘息か心臓からのものを疑いますし、背中が痛いと昔やった膵炎を連想します。
どちらも今までに経験のない、変な症状でしたが、全く家事ができないということはありませんでした。ただ、暇さえあればゴロゴロしていました。
ずいぶん横道に逸れましたが、結論からいえば、大したことはありませんでした!
読影のコピーを希望すればよかったのですが、癌でなかったことに舞い上がっていたので、忘れていました。
右肺の肺野部に線状の陰影があり、引き攣れたような箇所もあったそうです。いずれも腫瘍などではないとのことで、経過観察となりました。
「先生、脅かさないでください。ああ、よかった!」というと、「ちゃんと診ていかないといけないからね」と先生。「そうでした、ありがとうございました」と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
「ところで、影は何なのですか? 過去の肺炎の跡か何かですか?」とお尋ねすると、「過去……?」といって、先生は沈黙なさいました。
帰宅後ググったところでは、2mm未満の細いものを線状陰影、2mm以上の太いものを索状陰影というようで、わたしの場合は索状陰影でしょうか。引き攣れたような箇所というのは、何のことだかわかりません。先生にお尋ねすべきでした。
索状陰影は、ほとんどの場合が風邪をこじらせた跡とか、軽い肺炎などにかかって治癒した跡だということです。胸膜肥厚や気管支拡張などで現れることもあるそうです。
嬉しそうなわたしに釘を刺すように先生がおっしゃいました。「それとね、腎臓は守っていかなきゃならない。腎臓が石でいっぱいだそうだよ。水をよく飲むように」
CTで撮ったのは胸部だけかと思っていたら、腎臓も入っていたのですね。腎結石は副甲状腺機能亢進症から来ています。副甲状腺機能亢進症は案外厄介な病気です。腎結石の他に骨粗鬆症などの骨病変、高カルシウム血症などの症状が出ます。
わたしは死ぬのなら心臓で死にたいな。心臓発作には慣れているから。
イベルメクチン、不思議な薬です。肝機能は理想的な数値でした。Nクリニックの動画で、風邪にはウイルスと細菌によるものがあり、ウイルス性では白血球が減り、細菌性では増えるといっていましたが、白血球数も極めて正常でした。
なるほど、これではコロナだの風邪だのといえないわけです。現に、体調はすっかり戻っています。