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2022年11月の7件の記事

2022年11月30日 (水)

福島雅典先生、ご遺族のかた、宮沢孝幸准先生、池澤孝夫先生の義憤が拡散中です。イベルメクチンの服用で、健康診断の免疫年齢がどんどん若返ったASKAさん。

令和4年11月25日、超党派議員連盟による「新型コロナワクチン接種と死亡事例の因果関係を考える」勉強会で、福島雅典先生と遺族会のかたの怒りが炸裂しました。厚生労働省も出席していました。

福島雅典先生は、京都大学名誉教授です。

福島先生の怒り。

福島先生の怒りは、英語、フランス語、中国語、スペイン語に翻訳されて世界中に拡散中です。

FLCCCのピエール・コリー先生もリツイートして、次のように述べておられます。

DeepL訳「ようやく、真の医師がテーブルにつき、真実を声高に語るようになりました。私たちは、脳卒中や癌、超過死亡率、流産の大幅な増加についてなど、もっと声を上げる必要があります。産科医、心臓専門医、神経科医、腫瘍専門医がほぼ完全に沈黙していることを決して忘れてはなりません

ご遺族の怒り。

鵜川和久@sousyou13·11月27日
先日の厚労省とのやりとりの場での彼らの思いをぶつけました。
やるしか無い。
震える身体を抑えながら必死で話してるんや。
厚労省よ。
しっかり答えろ。

以下は全編です。

令和4年11月25日「新型コロナワクチン接種と死亡事例の因果関係を考える」勉強会
November 25th, 2022
字幕大王
@jimakudaio
https://odysee.com/@jimakudaio:9/2022-11-25-study-session-on-causal-relationship-between-covid19-vaccination-and-deaths:f

京都大学「レジリエンス・フェスティバル2022」で、宮沢孝幸准教授の怒りも炸裂したようです。

守り神@p1aM3zdH2UdnIyi
宮沢先生、相当ヤバいこと話してた
youtubeだとBAN確実なんで保存しといた

「ワクチンの安全性の研究とか、内容物の研究ってできないんですよ、秘密契約によって」

11/26(土)京都大学レジリエンス・フェスティバル2022より
午後6:56 · 2022年11月26日

紹介したい動画が急増しました。以下の動画もその1本です。早い時期から新型コロナワクチンの危険性を警告してこられた鹿先生が、宮沢先生との会話を動画にしてアップしておられました。

勉強会での宮沢先生
2022/11/23 15:45
JPSikaDoctor さん
https://nico.ms/sm41411086

ところで、私事ですが、先日、内分泌科を受診したところ、副甲状腺機能亢進症関係の数値が一気に基準値内に戻っていたので、驚きました。

FLCCCのプロコトルを参考に、イベルメクチンを予防服用して1年8ヶ月になります。長期服用の安全性がまだよくわかっていない中での決断は、新型コロナワクチン接種とのメリット・デメリットを比較した上でのことでした。

その時も、今も、これはまずいかもと思えば、すぐに服用をやめるつもりです。

2ヶ月に1度、内分泌科で受けている血液検査の結果に関していえば、循環器、肝臓、腎臓などの数値はむしろ改善したほどでしたが、副甲状腺関係では少しよかったり少し悪かったりで、変化が見られませんでした。

それが、先日の血液検査(副甲状腺ホルモン値を除けば)は、20分くらいで出るのですが、診察室で先生が興味深げに示されたグラフを見ると、複数の検査結果が急下降して、基準値内に戻っているではありませんか!

血液検査の項目すべてが基準値内というわけではありませんが、こんなことは副甲状腺の治療を受けるようになってからは初めてでした。このところオーバーしていたカルシウム値も基準値内です。

この変化で思い当たることといえば、市販のナポリンSとイベルメクチンを10日ほど連用していたということでした。

なぜそうしたかというと、長時間、パソコン画面を凝視していた数日があり、酷使しすぎたのか、その後、下の左瞼が時折ぴくぴく痙攣するのがなかなか治らなかったからでした。

まだこのぴくぴくは思い出したように起きます。薬局から購入したナポリンSが切れても治らなければ、眼科を受診しようと考えています。

娘と内分泌科での血液検査の結果について話しました。ナポリンSの影響というより、イベルメクチンを10日間連用したことが影響しているのではないかという結論になりましたが、所詮は素人の憶測にすぎません。

ナポリンSが切れた後、イベルメクチンを次回の検査日まで毎日服用すれば、どちらの影響なのか、わかるかもしれませんが、さすがに毎日の服用を続ける気にはなれません。

逆に、次回の血液検査の内分泌関係の結果がまた戻ってしまっていれば、イベルメクチンをもっと短い間隔で服用したくなるかもしれません。

サプリ感覚、あるいは目的があってそうされているかたもおられるようですが、あくまで自己責任になりますから。

そういえば、ASKAさんが興味深いデータを公開されています。

ASKA@ASKA_Pop_ASKA
面白いデータを公開した。

2022年11月22日「『驚きましたです』(2)~加筆」『Fellows ASKA Official Web Site』
https://www.fellows.tokyo/blog/?id=3621

午後2:17 · 2022年11月22日

それによると、「イベルメクチン」を飲み始めてから、健康診断の「免疫年齢」がどんどん若返ったというのです。イベルメクチンを飲み始めたのは2021年6月13日からだそうです。

  2020年3月23日……95歳
  2021年4月19日……100歳
  2021年9月13日……88歳
  2022年10月17日……40歳

「FLCCC」のプロトコールを知らなかった頃は1ヶ月に1錠(12mg)。2回飲んだだけで、免疫年齢が12歳若返ったそうです。

……(ブログからの引用ここから)……
その後、1ヶ月に2回1錠を。
そして、今年、プロトコールがアップデートされましたので、1週間に1回2錠(24mg)を続けていました。
人混みに入った時には、加えて1錠飲んでます。

副作用は感じません。
むしろ体調が良い。

これは、昨日のブログの「驚きましたです」に嘘がないよう、お見せしたものです。
あくまで自己責任の判断材料になればという気持ちです。

「コロナワクチン後遺症」への効果が、やっと全国で語られ始めました。
これだけ免疫を上げてる(今のところ)可能性があるのですから、海外で癌予防、治療薬に使っている国があるのもの納得です。

日本では(まだ)認められていません。

……(ブログからの引用ここまで)……

貴重なご報告ですね。

新型コロナワクチンのデメリットは色々とわかってきていますが、まだ何か得体の知れない怖さがあり、わたしはイベルメクチンを試してよかったと感じています。

ただ、コロナワクチン接種者から未接種者へのシェディング(伝播、あるいは暴露)という現象が確認されていますから、わたしたちは運命共同体なのです。

池澤孝夫@gomaki19531·11時間
教授になるために
ワクチンでなくなったと因果関係が証明されたことはない
と言い切ってしまった
現在、続々とワクチンと死亡との因果関係を示す論文が出ている
もし
当時の知見ではそうだったと言い逃れしようとしても
国民は許さない

T. Miyazawa DVM PhD宮沢孝幸🎹
@takavet1
どうして、ないという前提で話をしたのか?
午前8:19 · 2022年11月30日

なぜなら
その時点で
スパイクタンパクそのものが毒であること
mRNAワクチンのコンセプトそのものが間違っていることは周知の事実だったからだ
従って
自ら何も調べようとせず政府の言うことを鵜呑みにして
ワクチン接種を「安全かつ有効」と推奨した他の医師達も言い逃れはできない

多くの医療従事者を始めワクチン接種に関わった者たちは
国民から非難の目で見られるのは避けられない
特に今もなお
二価ワクチンを推奨し接種している医師
現在小児や子供たちにワクチンを勧め、接種している小児科医は
その「大罪」がゆえに
神の裁きから逃れることはできないだろう
午前8:51 · 2022年11月30日

naotsuka_maki@NaotsukaM·9時間
返信先: @gomaki19531さん
①心臓を診て貰っている先生は地域で有名な心臓血管外科医ですが、昨年の9月ごろ、ワクチンを接種したか訊かれ、いいえと答えると、反ワクチンから手紙が届いたとおっしゃいました。「あれを書いたのは女だと思うね」と普段は気さくな先生に言われると、女の私は無関係でも居心地が悪かったです。→②
② この辺一帯の病院に同じ手紙が届いたとのお話でした。「ワクチンがよくないことを示す資料か、何か、同封されていたのですか?」とお尋ねすると、「そんなものじゃないよ! 低レベルなもので、支離滅裂、あれは気違い、そう気違いだ!」とおっしゃいました。→③
③先生のお怒りはわかりましたが、その頃既にモデルナで若い人に心筋炎が出ることが問題となっていましたから、心臓専門医としてお上のお達しに従うだけでよいのだろうかと疑問に思いました。ワクチンの副反応についてのご意見を伺いたかったのですが、そのような雰囲気ではなかったので、→④
④接種を控えている理由を伝えることもできませんでした。イベルメクチンについてお話しできればどんなにいいだろう、と思いました。
先日の受診時、先生は「いやあ学会に行った時にコロナにかかってね~」と無邪気におっしゃいました。私は、そうですかとしか言えませんでした。→⑤
⑤娘が脳神経外科に事務で勤務しており、医療従事者間で陽性者、発熱者、クラスターなど発生するので、橋本病の娘も私も1年月8ヶ月FLCCCを参考にイベルメクチンで予防してきました。今のところ、娘の血液検査の結果はよく、抗原検査陰性。私は副甲状腺機能亢進症関係の数値までよくなりました。

池澤先生は産婦人科のお医者様です。医療現場からの貴重なツイートを発信してくださっています。

池澤孝夫@gomaki19531·5時間
返信先: @gomaki19531さん
超過死亡数の激増は日本だけでなくワクチン接種国共通の出来事だが、それを知りながら一度も取り上げないのはなぜか

ワクチンが長期に体内にとどまり、Sタンパクの発現により自己攻撃され多くの後遺症患者が、時間差をおいて発生しているが、取材する気はあるか

受信料で成り立っているのだから、民放で出来ないことをNHKが率先してすべき
誠意ある対応が無ければ
国民より政府に目を向けているNHKを糾弾する

このように電話で担当部局に伝えるよう抗議しておきました
これもワクチン接種をストップさせるための
小さな戦いです

48時間以内に
NHKから私に連絡を頂けるかどうかが
「踏み絵」になっています
連絡がなければ
「誠意なし」とみなし
SNSで拡散するとも伝えてあります
無視される可能性が高いとは思いますが
担当者の良心に賭けてみます

NHKニュ-スのツイッタ-にも投稿しておきました
誰かが見るでしょう

NHK おはよう日本 公式@nhk_ohayou

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2022年11月20日 (日)

わたしたちはディープステートを崩壊させ、そして、国民による政府を取り戻します(トランプ前大統領の再出馬表明)

17日ごろにはアップするつもりでしたが、遅くなりました。次のツイートを送信したとき、まだ米中間選挙2022速報では下院を共和党が奪還できるかどうか微妙な状況にありました。

そうしたとき、トランプ前大統領の2024年次期大統領選への出馬表明があり、その表明演説の中で、まさかのディープステートへの言及。トランプさん、よく言った!

けーぽん@経世済民@KeiKeisuke141·22時間
返信先: @LB05gさん

Fhrvwuvvqaafnab_448327

字幕「私たちはディープステートを解体し、人々によって政府を回復します」

naotsuka_maki@NaotsukaM
返信先: @KeiKeisuke141さん, @LB05gさん
そう、これこれ! NHKの自動翻訳はひどいものでしたが、この字幕(翻訳)には驚き、心が躍りました!
記念に取っておきたいです。下院、大丈夫でしょうか?
下院はとらないと、さすがに難しいかと。
DSには右派と左派がいて、トランプさんは右派という話もありますが、トランプさんの言葉を信じたい。
午前0:14 · 2022年11月17日

同時通訳による、トランプ前大統領の出馬表明動画を紹介しておきますので、ぜひ全部を視聴していただきたいと願います。

わが国の唯一の同盟国アメリカの前大統領、異例の再出馬表明なのですから、地上波で全部流すべき重大ニュースです。

しかし、ディープステートのプロバガンダ組織としてつくられたメディアでは、トランプさんのことを自己中心的で粗暴なおっさん扱いです。本当にそうであるかどうか、ぜひ全部ご視聴のうえご判断いただければと思います。

ディープステート問題は、新型コロナ問題とも無関係ではありません。ディープステートに蝕まれたアメリカ――日本も当然そうです――の問題点が鮮明にわかるような演説内容ではないでしょうか。

2年間も待たずに、色々な変化が出てきそうなアメリカです。今回の中間選挙で、共和党が下院多数派を形成できたことはそれほど大きいことなのです。

ABEMAニュース【公式】
https://youtu.be/am9sEvhWNXw

56:25ごろ 「わたしたちはディープステートを崩壊させ、そして、国民による政府を取り戻します

矢野義昭(Yoshiaki Yano)@LB05g
トランプ元大統領の出馬演説で最も盛り上がったのはワシントンDCの改革を訴えた時でした。それほど米国民衆の党派を問わないワシントンDCエリートへの反感は強く正にピープルの反乱です。国際金融資本、メディア、司法省、FBIそれらを操るDSも民衆の怒りの対象で抜本的改革か解体を迫られます。
午前1:11 · 2022年11月20日

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2022年11月10日 (木)

本日夜8時〜9時30分、Twitterスペース「今こそ語ろう! イベルメクチンの真実」が開催されます

もうすぐ始まってしまいますが、イベルメクチンをテーマとしたTwitterスペースが開催されます。貴重な座談会だと思います。ぜひ、アクセスしてみてください。

kkkkkkk@kkkkkkk777
❣️今夜のスペース❣️

今こそ語ろう!
#イベルメクチンの真実

2022年11月10日 夜8時〜9時30分

基調講演

花木秀明教授

最前線臨床報告

長尾和宏医師
佐々木みのり医師
池澤孝夫医師

MC
浅村正樹(http://SATORISM.TV)

企画
Trilliana華

こちら👇をタップ/クリック
https://twitter.com/i/spaces/1YpJkgaOOmwJj

午後4:22 · 2022年11月10日

kkkkkkk@kkkkkkk777·2時間
返信先: @kkkkkkk777さん
❣️イベルメクチンの真実❣️

こんなにも誤解されながら

こんなにも愛された薬があっただろうか。

この薬を誰よりも知る専門家達が

真実を語る90分

2022年11月10日 夜8時〜9時30分

基調講演

花木秀明教授

最前線臨床報告

長尾和宏医師
佐々木みのり医師
池澤孝夫医師

https://twitter.com/i/spaces/1YpJkgaOOmwJj

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米中間選挙の開票速報が気になって、それで日が暮れました。また接戦洲でのドミニオンの相次ぐ故障やバイデンジャンプらしきものも見られたようですが、どうなることでしょう。日本の唯一の同盟国アメリカの中間選挙の結果がどうしても気になります。

ニュースサイトによって数字が違ったりするので、あちこち見ていました。

アメリカ中間選挙2022 - NHK特設サイト
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/us-election/

「アメリカ中間選挙2022開票速報」『日本経済新聞 電子版
https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00002700Y2A021C2000000/

USA TODAY
https://www.usatoday.com/

The New York Times
https://www.nytimes.com/

ABC News
https://abcnews.go.com/

CBS News
https://www.cbsnews.com/

NBC
https://www.nbcnews.com/

Fox News
https://www.foxnews.com/

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2022年11月 8日 (火)

皆既月食の最中です

荒木健太郎@arakencloud
今宵は皆既月食です!
月が天王星を隠す「天王星食」も同時に起こります。これは442年ぶりで次は322年後。一生に一度ものです。

部分食開始 18:09
皆既食開始 19:16
皆既食最大 19:59
皆既食終了 20:42
部分食終了 21:49

天王星食は東京では20:41-21:22に起こります。
十分防寒して楽しみましょう🌕
午後5:31 · 2022年11月8日

惑星食を伴う皆既月食。玄関前の通路からよく見えるので、出たり入ったり。お隣さんも眺めていました。謎めいた色合いの赤銅色の月を見てきたところです。

これが前回起きたのは、442年前の1980年だとか。2年後に本能寺の変が起きました。

KAGAYA@KAGAYA_11949·11月7日
明日(11/8)皆既月食が起こり、全国で見られます。
何時にどのように見えるかを図にしました。
普段の月の満ち欠けと違い、満月が一時間余りかけて欠けていきます。
一番の見どころは約85分間続く皆既月食の状態。淡く光る赤い月が見られます。
丸い月に戻るまで全部で4時間ほどの現象です。

KAGAYA@KAGAYA_11949
本日宵に皆既月食があり、肉眼で楽しめます。(双眼鏡があるとよりはっきり見えます)
全経過を見るのが長すぎるという方に、
一番の見どころは、20:30〜20:45の15分間。
皆既月食の赤い月が左側から光を取り戻していきます。
午後0:33 · 2022年11月8日

一番の見どころは20:30〜20:45の15分間だとか。そのころ、また通路に出よう。

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2022年11月 7日 (月)

Mさん、お誕生日おめでとうございます

Mさん、お誕生日おめでとうございます


まずは達者でいてくださること。第二に、これまでとお変わりない歩調で、よい書き手を育ててくださることが望みです。

Truth is stranger than fiction. 英国の詩人バイロンのこの言葉「事実は小説よりも奇なり」をこのごろ頻りに思い出します。

日本は今後どうなるのだろう、果たして世界は……と考えるとき、ややもすれば暗澹とした気持ちになりますが、文学の灯火を守り続けていられるMさんに想いを馳せますと、安心立命が得られます。

日本では一般的に高齢者というと「65歳以上」とされることが多いそうです(法律によって高齢者の定義は異なるとか)。

だとすれば、Mさんは立派な高齢者であり、わたしはかろうじて高齢者ではありません。そして、わたしは世の中のことが漸くわかってくる高齢の域からこそが創作の本番だと思っています。

しかし、若い才能の発掘は大事ですね。Mさんの一年間の成果、あなたに見出された才能……未読だった作品をこれから読みます。

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2022年11月 4日 (金)

神秘主義エッセーブログより、改稿済み「71 祐徳稲荷神社参詣記 (2)2016年6月15日」を紹介

「71 祐徳稲荷神社参詣記 (2)2016年6月15日」『マダムNの神秘主義的エッセー』。URL: https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/06/30/172355

 

2018年8月に、『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社、昭和54)を祐徳博物館から購入した。それを読むと、萬子媛は病死なさったのではないか――との推測が成り立つ。一方では、萬子媛には断食入定の伝承があり、その可能性も否定し去ることはできないと思われるので、当エッセーの記述は訂正せず、そのままにしておくことをお断わりしておく。(2018年10月14日、筆者)

目次

  1. 萬子媛について復習
  2. 2016年6月15日、祐徳稲荷神社に参拝し、祐徳博物館を見学する
  3. 萬子媛の身長
  4. わたしが萬子媛を高級霊と疑わない理由
  5. 断食入定の伝承
  6. 何気なくつぶやいた「波羅蜜多」という言葉
  7. カーマ・ルーパという、物質に関するあらゆる欲望によって作られた主観的な形体
  8. どのような地位にある教師なのかは知りようがない


萬子媛について復習

もしかしたら、自分ではその自覚がなくとも、誰にでもあるはずの霊媒性質が強まったがために低級霊と縁ができてしまったのかもしれないという可能性を排除せず、緊張の中で参拝してきた。

しかし、これまでの経験から、強まったのは霊媒性質ではなく、健全な神秘主義的感受性だと確信し、今回わたしは警戒心よりも、神様と呼ばれる、生前から徳と神通力で知られた方に再会できる期待感で胸を膨らませながら出かけた。

深窓の麗人を訪問するような気持になる一方では、これまでのこと全てが夢だったのではないか、もし夢でなかったとしても萬子媛はわたしのことを覚えていてくださるだろうか……という甘美な期待感と恐ろしさに似た気持ちとが交錯した。

ところで、昔の日本の系図には女性の名前は書かれていないことが多く、実は萬子媛の名前もわからない。郷土史家の迎昭典氏が、こうした基本的なことから御教示くださった。

史料から判明しているのは、剃髪して尼となり、瑞顔実麟大師と号したこと。また、謚が祐徳院殿瑞顔実麒大師というくらいである。

萬子媛は佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社の創建者として知られているが、祐徳稲荷神社の寺としての前身は祐徳院である。

明治政府によって明治元年(1868)に神仏分離令が出されるまで、神社と寺院は共存共栄していたのだった。祐徳院は日本の三禅宗の一つである黄檗宗の禅寺で、義理の息子・断橋に譲られて萬子媛が主宰した尼十数輩を領する尼寺であった。

ここでざっと萬子媛について復習しておこう。

萬子媛は、公卿で前左大臣・花山院定好を父、公卿で前関白・鷹司信尚*1の娘を母とし、1625年誕生。2歳のとき、母方の祖母である後陽成天皇第三皇女・清子内親王の養女となる。

1662年、37歳で佐賀藩の支藩である肥前鹿島藩の第三代藩主・鍋島直朝と結婚。直朝は再婚で41歳、最初の妻・彦千代は1660年に没している。

父の花山院定好は別れに臨み、衣食住の守護神として伏見稲荷大社から勧請した邸内安置の稲荷大神の神霊を銅鏡に奉遷し、萬子媛に授けた。

1664年に文丸(あるいは文麿)を、1667年に藤五郎(式部朝清)を出産した。1673年、文丸(文麿)、10歳で没。1687年、式部朝清、21歳で没。

朝清の突然の死に慟哭した萬子媛は翌年の1988年、剃髪し尼となって祐徳院に入り、瑞顔実麟大師と号した。このとき、63歳。

1705年閏4月10日、80歳で没。諡、祐徳院殿瑞顔実麟大師。遺命に依りて院中の山上石壁に葬られた。


2016年6月15日、祐徳稲荷神社に参拝し、祐徳博物館を見学する

2016年6月15日、祐徳稲荷神社に参拝し、祐徳博物館を見学した。

地上と本殿をつなぐエレベーターができていた。階段での移動が大変な人や移動するエレベーターの中から景色を眺めたい人には便利だ。

萬子媛はあの世の方だから、お元気でないことはないと思うが、それでも変わりなくボランティアを続けていらっしゃることを確認できることは嬉しいことだし、高級霊としての品格を本当にさりげなく伝えていただき、出かけるたびに萬子媛が好きになる。

高級霊と書いたが、地上から離れられずにいる低級霊とは到底考えられない高貴さを感じるから高級霊と書いた。

参拝者を母親のように見守り、太陽の光のようなオーラで抱擁してくださる萬子媛のような方を長い時間をかけて日本人自身が育んできたことを思えば、祐徳稲荷神社のような文化財は本当に日本の宝物だと思う。

今回、萬子媛の御遺物が収められた祐徳博物館に長居した。メモをとるためにあまりに長い時間いたので、夫と娘はソファで寝てしまっていた。

博物館を出るときに長居の失礼をお詫びするつもりだったけれど、男女の職員のお二人が事務所の中から優しい快い表情を浮かべてこちらを見てくださったので、感謝のお辞儀をして出た。

前に博物館を見学したのがいつだったか、正確には思い出せない。そのときの見学で記憶に残っていたのは扇面和歌、大和物語を書写したもの、御掻巻といった僅かな品だった。今回はじっくり見ることができたので、小説に手を加える際の参考になる。

遺愛の名琴と説明のある楽器を見、感激した。小説の第一稿を書いているときに、気品の高い女性が筝を弾いている姿が目に浮かび、その場面を取り入れた。萬子媛は本当に箏を弾かれていたようだ。琴と普段呼ばれている楽器は音楽専門サイトによると筝であるようだが(琴には柱がない)、小説にはどちらの表現を使うかで迷う。

前の訪問時には見落としていたのか、僧侶姿の萬子媛の肖像画をじっくり見ることができた。郷土史家からいただいた資料の中にこの萬子媛の肖像画の写真のコピーがあり、嬉しくてよく眺めていた。

現物はずっと大きく、色合いもこまやかなため、わたしの中で萬子媛の容貌が修正された。厳めしい印象だったのが、もっと軽やかな、優しい、明るい表情に見えた。わたしが思い描くイメージにぴったりだ。貼りついたように肖像画の前を動くことができなかった。

やはり、若いころは相当な美人だったのではないだろうか。老境に入ってさえ、色白で卵形のお顔に鼻筋が通り、如何にも聡明そうな目は高齢のせいで形がはっきりしないが、奥二重か二重だろう。ほどよく小さめの口、薄めの唇、凜とした口元。

家内安全の御祈願をお願いした。たっぷり30分、神楽殿で御祈願していただいた。巫女さんの御神楽もあった。

御祈願していただいている間中ずっと、わたしは背後に、萬子媛を中心にして、生きているときは女性であったと思える方々が端然と立っていられるのをほのかに感じていた。すぐ後ろにいらっしゃるのが萬子媛だとなぜかわかった。

寒いくらいにクーラーが利いていたのだが、背中がずっと温かく、萬子媛から放射されるオーラの温もりだと感じた。太陽さながらの萬子媛だ。

しかし、神秘主義的な現象だったためか、今回も夫はずっと寒かったといった。娘も温かいとは思わなかったようだ。わたしは汗が出るくらいだった。暑い日だったから、もしクーラーが効いていなかったら、こんな確認もできなかったことだろう。


萬子媛の身長

萬子媛を背後に感じていたとき、江戸時代に生きた萬子媛はもしかしたら小柄だったのでは、と思った。わたしは夫と娘に挟まれて長椅子の真ん中に座っていた。萬子媛はわたしのすぐ後ろに立っていらっしゃる気配があったのだ。

このときまで、わたしは萬子媛を長身だと思い込んでいた。前に石壁社を参拝したときの圧倒的なイメージがあったためだろう。小説にも長身のイメージで書いたものの、萬子媛の身長についてはずっと気にかかっていた。

まるで、その疑問に答えるかのように、萬子媛がわたしのすぐ後ろに江戸時代の御姿で立っていらっしゃるのが心の鏡にほのかに映って見えたのが神秘的だった。

石壁社で初めて萬子媛に語りかけ、わたしの語りかけに驚かれた萬子媛が後ろから圧倒的なまでのオーラを放射されたとき、まるで女巨人のような気がした。

あの世ではどんな御姿でいらっしゃるのかわからないが、この世に通勤(?)なさるときは、地上のイメージに合わせて、江戸時代の御姿をとっていらっしゃるような気がする。

「江戸時代がわかるお役立ちサイト 江戸時代 Campus」*2に、江戸時代の人の平均身長は「調査した学者によって異なりますが、だいたい男性は155cm~157cm、女性は143cm~145cmほどであったと考えられています」とあって、それからすると萬子媛の身長は平均身長くらいだったのではないだろうか。小柄なわたしが小柄と感じたくらいだから、それくらいだと思えた。

こういう場所での30分という時間は半端ではなく、萬子媛の臨在を感じていながらふと緊張感の途切れる瞬間が何度もあり、あれこれ雑念が浮かんだ。

あまりに色々なことを心の中でつぶやいていたので、微笑まれる気配や微かに戦慄される気配の伝わってきた瞬間があった。

「日本は今、危険な状況にあると思います。どうか日本をお守りください」とつぶやいたとき、萬子媛が微かに戦慄なさるのが伝わってきた。萬子媛の最も近くに控えていた方が頷かれたような気配も、ほのかに伝わってきた。

萬子媛がボランティア集団を組織なさっているとわたしが想像するのは、萬子媛を囲むように一緒にいるあの世の方々を感じることがあるからだ。萬子媛が黄檗宗の禅院を主宰なさっていたときにそこに所属していた尼僧たちなのかどうかはわからない。

わたしの願い事に萬子媛がなぜ微かに戦慄なさったのかはわからなかった。日本が本当に危ないからなのか、萬子媛の守備範囲を超えた願事をしたからなのか、あるいは真剣に受けとめられた武者震いのようなものなのか……

もう一度、微かな戦慄が伝わってきたのは、「萬子媛の小説を書きました。手直しが必要だと思っていますが、もしこの小説に価値がないのであれば、決して世に出ることがありませんように。でも、価値があるのでしたら、世に出ることができますように。わたしは萬子媛のような方の存在を日本ばかりか世界にも知らしめたい……」とつぶやいたときだった。

加筆修正が必要な段階でどうかとは思いつつも、ご報告までと思い、プリントアウトした小説を持参し、御祈願の間ずっと背後にいらっしゃる萬子媛の方に向けて膝に置いていた。

微笑まれたのは、「祐徳稲荷神社に少しは寄付できるくらいのお金があったらな……」と、これは雑念だったが、思わず心の中でつぶやいてしまったときだった。

相手が生きてる人であろうとあの世の人であろうと、神秘主義者にとっては神智学でいわれるように、同じように「思いは生きている」ので、相手の反応が伝わってくることがある。


わたしが萬子媛を高級霊と疑わない理由

わたしが萬子媛を高級霊と疑わないのは、江戸時代の人でいらしたときの豊かな情緒、優れた知性をおそらくは基本として、あの世から人類のためにボランティアをしている方々に特有の、といいたくなるような、完璧といってよい自己管理能力を感じさせられるからだ。

萬子媛の気配を感じるのはわたしの感受性が優れているためであって(?)、萬子媛に隙があるわけではないと思う。

その全てのほのかな気配が何ともいえない優美さ、快い率直さで、392年前に地上に誕生して生きていらしたときの個性を感じさせられる。お亡くなりになったときは高齢だったけれど、わたしに伝わってくるのは妙齢のご婦人を連想させられる若々しい印象だ。

312年前に入寂された方を取材できるなんて、神秘主義者の特権だ。萬子媛が神様と呼ばれるにふさわしい高級霊だと確信できなければ、この世で働いているあの世的な存在を観察しようなんて思わなかっただろう。

これまでの経験から推測するに、萬子媛の御公務は御祈願の窓口が開いている間だと思われる。それ以外の時間はあの世にいらっしゃるのだろう。御祈願が終わるころ、側に控えていた方に促されるようにして去っていかれた気配を感じた。

前回参拝したときもそうだったのだが、童謡「夕焼け小焼け」が流れたあとに萬子媛が祀られた石壁社にお参りしても、何も感じられなかった。哀しいくらいに空っぽに感じられた。


断食入定の伝承

ところで、わたしの歴史小説の初稿を読み、「なぜ、萬子媛は餓死したの?」と尋ねた友人がいた。「えっ?」と、わたしは言葉をなくした。

わたしは歴史小説の中で、萬子媛の断食入定を――それは伝承によるものだが――クライマックスと位置づけ、詳しく書いたつもりだった。さらに丁寧に書くべきか?

「萬子媛の入定がわかりにくかったみたい。あれじゃ、わからなかった?」と夫に尋ねると、「わかるも何も、説明がなくったって、坊主が食を断って亡くなったと聞けば、即身成仏だと思うだろ、普通」

萬子媛を知る人間によって書かれた唯一の萬子媛の小伝といえるものが『祐徳開山瑞顔大師行業記』で、文人大名として有名だった義理の息子直條によって、萬子媛が存命中――逝去の1年前――の元禄17年(1704年)に著述された。

郷土史家が「萬子媛についての最も古くて上質の資料」とおっしゃる萬子媛に関する第一級の資料である。直條の記述を生かしたいと思い、『祐徳開山瑞顔大師行業記』から引用したりしたのが、難しかったのだろうか。

あるいは、断食入定を決意するまでの心情表現が不足していて、なぜ断食入定にまで至ったのかが理解できなかったということかもしれない。禅院での生活にもっと踏み込む必要がありそうだ。入定について、ウィキペディア「入定」の解説を引用しておこう。

入定(にゅうじょう)とは、真言密教の究極的な修行のひとつ。永遠の瞑想に入ることを言う。
原義としての「入定」(単に瞑想に入ること)と区別するため、生入定(いきにゅうじょう)という俗称もある。
密教の教義において、僧は死なず、生死の境を超え弥勒出世の時まで、衆生救済を目的として永遠の瞑想に入ると考えられている。僧が入定した後、その肉体は現身のまま即ち仏になるため、即身仏と呼ばれる。
……(中略)……
江戸時代には、疫病や飢饉に苦しむ衆生を救うべく、多くの高僧が土中に埋められて入定したが、明治期には法律で禁止された。

……(中略)……
生入定を作ることは、現在では自殺幇助罪または死体損壊罪・死体遺棄罪に触れるため、事実上不可能になっている。

 

修行方法

まず、木食修行を行う。
死後、腐敗しないよう肉体を整える。
米や麦などの穀類の食を断ち、水や木の実などで命を繋ぐ。
次に、土中入定を行う。
土中に石室を設け、そこに入る。
竹筒で空気穴を設け、完全に埋める。
僧は、石室の中で断食をしながら鐘を鳴らし読経するが、やがて音が聞こえなくなり、長い歳月の後(約56億7000万年後)に弥勒菩薩と共に姿を現すとされる。
*3

わたしの神秘主義的感性が捉えた萬子媛には深窓の麗人のような趣があり、無垢で高雅で率直な、高級霊の雰囲気が伝わってくる。

それに対して、萬子媛を囲むように一緒に整然と行動している女性的な方々の一歩引いたような、それでいて萬子媛を促がしたりもする雰囲気からすると、大勢の中で中心的役割を果たしている女性的な方々は生前、萬子媛と寝起きを共にした尼僧達ではないかとどうしても思えてくるのだ。

萬子媛の最も近くに控えている毅然とした感じの女性的な方は、もしかしたら京都から萬子媛が嫁いで来られたときに一緒に鹿島にやってきた侍女かもしれない。萬子媛が出家したときに一緒に出家したのでは……あくまで想像にすぎないが、小説であれば、想像を書いてもいいわけだ。

何にしても、萬子媛の一番近くにいる女性は身辺の護衛でも司っていそうな、シャープな雰囲気のある女性なのだ。わたしの内的鏡にほのかに映った気がする程度のものなのだが、萬子媛の圧倒的な雰囲気とはまた別種の矜持と気品とがまぎれもなく感じられて、興味深い。

こうした神秘主義的感性で取材したことを参考にすれば、禅院の生活やムードをもう少し踏み込んで描けるかもしれない。次に祐徳稲荷神社に行くときは、鹿島藩鍋島家の菩提寺「普明寺」にも行きたいと考えている。

普明寺は、鍋島直朝の長男・断橋の開基により、師僧・桂厳性幢に開山となって貰い、創建された寺である。断橋は鍋島直孝の僧名。

普明寺の見学動画が出て来ないか検索していたら、祐徳稲荷神社の動画が沢山出てきた。前に検索したときはもっと少なかった気がする。

そうした動画の一つに、読経(般若心経?)する白装束の人々が映し出されていた。2012年の12月に公開された「祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)」というタイトルの動画である。*4

4:28 ごろから萬子媛(御神名萬媛命)をお祀した石壁社が出てくる。読経する人々が登場するのは 5:13 ごろから。

神社で般若心経が唱えられることがあるとは知っていたが、実際にそうしている人々を見たのは初めてだったので、驚いた。これは明治政府によって禁止された神仏習合の名残りと考えていいのだろうか? 

前掲のウィキペディア「入定」によると、入定とは「僧が、生死の境を超え弥勒出世の時まで衆生救済を目的とする」行為である。

であるならば、入定を果たした萬子媛は、稲荷神社という大衆的な形式を衆生救済の場として最大限に活用していらっしゃるのだと思われる。

博物館で見学した萬子媛の御遺物の中で、僧侶時代のものと思われるものに、御袈裟(みけさ)と鉄鉢があった。御袈裟には「御年60才のころ、普明寺の末寺として祐徳院を草創、出家せられた」と説明があった。

御遺物の中でも最も印象的だったのが、畳まれてひっそりと置かれたこの御袈裟だった。褪せているが、色は鬱金色(うこんいろ)、蒸栗色(むしぐりいろ)といったもので、萬子媛の肖像画を連想させた。

素材は麻のように見えた。夏用なのだろうか。冬にこれでは寒いだろう。意外なくらいに慎ましく見える萬子媛の尼僧時代の衣服から、しばし目が離せなかった。

鉄鉢は「てっぱつ」と読むようだ。鉄鉢とは、「托鉢(タクハツ)僧が信者から米などを受ける。鉄製のはち」(『新明解国語辞典 第五版(特装版)』三省堂、1999)のことだそうだ。

また、金字で書写された「金剛般若波羅蜜経」があった。「臨済禅、黄檗禅 公式サイト」*5によると、臨済宗・黄檗宗でよく誦まれるお経には次のようなものがある(他にも、各派本山のご開山の遺誡や和讃なども含め、多くのお経が誦まれるという)。

開経偈
懺悔文
三帰戒
摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)
消災妙吉祥神呪(消災呪)
妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五(観音経)
大悲円満無礙神呪(大悲呪)
開甘露門(施餓鬼)
仏頂尊勝陀羅尼
金剛般若波羅蜜経(金剛経)
大仏頂万行首楞厳神呪(楞厳呪)
延命十句観音経
四弘誓願文
舎利礼文
白隠禅師坐禅和讃

このうち、経名を含めてわずか276文字の『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経) (まかはんにゃはらみたしんぎょう)』は宗派を問わず広く誦まれるお経で、仏さまの教えのエッセンスともいえ、この題目は「偉大なる真理を自覚する肝心な教え」(山田無文『般若心経』)とも訳されるという。

『金剛般若波羅蜜経(金剛経) (こんごうはんにゃはらみきょう)』は般若経典の一つで、『般若心経』についで広く流布しているもの。禅宗では特に重んじられる経典で、午課で一日半分ずつ誦むのだそうだ。

博物館で見学したときに見た、この般若経典のことが記憶に残ったためか、見学後に神楽殿で30分間家内安全の御祈願をしていただいていたときのことだった。

前述したように、わたしたち家族は長椅子に座っていたのだが、その背後に萬子媛を中心に見えない世界の大勢の方々――ボランティア集団と呼びたくなる統一感のある方々――のいらっしゃるのがわかった(お仕事の一環のような感じであった)。

映像的には内的鏡にはほんのり映ったような気がするだけなのだが、なぜかそうした方々の挙動や心の動き、そして萬子媛のオーラは――色彩より熱として――鮮明に感じられた。


何気なくつぶやいた「波羅蜜多」という言葉

前述したように、わたしが心の中でつぶやいたことは筒抜けで、それに対する萬子媛やその近くにいる方々の反応が伝わってきた瞬間が何度かあった(願い事も雑念も筒抜けであるから、参拝するときは願い事の整理ときよらかな心持ちが肝要)。

博物館で見た般若経典のことが頭をよぎり、わたしはふと「波羅蜜多」と2回心の中でつぶやいた。わたしが見たのは『金剛般若波羅蜜経』だったのだが、つぶやきの対象は『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)』の方だった。

つぶやいたとき、萬子媛から、すぐさま動揺の気配が伝わってきて、精妙な情感が音楽のように流れてきた。郷愁の交じった、きよらかな心の動きが感じられた。こうした心の動きという点では、生きている人間もあの世の方々も変わらない。

これも前述したことで、高級霊は自己管理能力に優れていることを感じさせる――幼い頃からわたしを見守っていてくださっている方々もそうである――が、情感という点ではわたしが知っているこの世の誰よりもはるかに豊かで、香り高い。

心の動きのえもいわれぬ香しさが伝わってくるために、蜜蜂が花に惹かれるようにわたしは萬子媛に惹かれるのだ。

萬子媛はもっと聴こうとするかのように、こちらへ一心に注意を傾けておられるのがわかった。

『金剛般若波羅蜜経』は御遺物にあったのだから愛誦なさっていたのは当然のこととして、『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)』という言葉に強く反応されたのは、それだけ生前、般若心経を愛誦なさっていたからだろう。

神様として祀られるようになった萬子媛は、生死の境を超えて衆生救済を目的とする入定を果たした方らしく、稲荷神社という大衆的な形式を衆生救済の場として最大限に活用していらっしゃるように思われる。

しかしながら、萬子媛の生前は大名の奥方でありながら出家し、晩年の20年を禅院を主宰して入定まで行った僧侶だったのだ。わたしが何気なくつぶやいた「波羅蜜多」という言葉に、それが甘露か何かであるかのように反応なさった萬子媛、否、瑞顔実麟大師がどれほど僧侶に徹した方だったのかということが自ずと想像された。

わたしは萬子媛が愛誦し指針とされたに違いない『般若心経』を暗記することにした。

ちなみに、このあとで「オウム、アモギャーヴァイロウ、キャーナーマハムドラ、マニペードム、デュヴァラー、プラヴァルスターヤー、ウーン」という竜王会で教わったマントラムを意図的につぶやいてみたのだが、こちらのほうは反応が感じられなかった。

萬子媛を囲むように控えている大勢の方々に幾分白けたような気配さえ漂ったところからすると、マントラムは意味不明な言葉と受け取られたのだと思われる。

現代人と変わりないように感じられるのに、やはり江戸時代に生きた方々ということなのだろうか。現代人であれば、マントラムの内容はわからなくとも、こうした言葉がインド由来の真言であることぐらいの察しはつくだろうから。

エッセー 59 「神智学をさりげなく受容した知識人たち――カロッサ、ハッチ判事 ②ハッチ判事」で紹介したエルザ・バーカー(宮内もとこ訳)『死者Xから来た手紙―友よ、死を恐れるな』(同朋社、1996)には、次のようなことが書かれている。

物質界と霊界が交流するとき、物質界にいるきみたちは、霊界にいるわれわれがなんでも知っていると思いがちだ。きみたちは、われわれが占い師のように未来を予言し、地球の裏側でおきていることを教えてくれると思っている。まれにできることもあるが、ふつうわれわれにはそういうことはできない。*6

あの方々の端然とした統一感のとれているところが、地上界のためにボランティア活動を行っているあの世の方々の特徴なのか、かつて江戸時代に生きた方々ならではの特徴なのか、わたしにはわからない。

いずれにしても、萬子媛の清麗な雰囲気こそは、高級霊のしるしだとわたしは考えている。

御祈願が終わるころ、萬子媛は近くに控えている方々に促されるようにして、どこかへ去って行かれた。全員がさーっと……一斉に気配が消えた。『竹取物語』の中の昇天するかぐや姫を連想してしまった。上方へ消えて行かれた気がしたのだ。


カーマ・ルーパという、物質に関するあらゆる欲望によって作られた主観的な形体

そういえば、石壁社で萬子媛に語りかける以前に参拝したとき、高いところから夫を見てハッと警戒した方々がいたのを感じたことがあった。

上空を漂いながら警備している天上的な女性的な方々――といった映像を、わたしは内的鏡で見たように思った。そのときはその場面が何を意味するのかがわからなかった。あのころはまだ亡き義祖父のカーマ・ルーパが夫に憑依していたから、そのことが関係していたのではないだろうか。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)の用語解説「カーマ・ルーパ」によれば、カーマ・ルーパとは次のようなものである。

形而上的に言えば、また我々の哲学的観点からすると、物質に関するあらゆる精神的、肉体的欲望と思いによって作られた主観的な形体をいう。この形体は肉体の死後生き残る。……(中略)……高級自我は新たな化身の時が来るまでデヴァチャンの状態にいる。以前の人格の影は、その新しい住み処であるカーマ・ローカに取り残される。かつて人間であった時のかすかな写しであるこの影は、しばらくの間生き延びるが、その期間は影に残る物質性の要素によって異なり、それは故人の生き方が決定するのである。……(後略)……*7

デヴァチャンとは極楽。カーマ・ローカとは黄泉、冥界、ハデスのことである。

遠い昔――わたしより七つ上の夫が中学生のころ――亡くなり、従ってわたしが会ったこともなかった義祖父が死後、地上に残していったカーマ・ルーパとの戦いで、わたしの新婚生活はスタートした。

影のように夫に寄り添う、目には見えない何者かの存在をしばしば感じずにはいられなかった。映像的には、内的鏡にはほんのり映ったような気がすることもあった。いずれにせよ、その存在の悪影響は目に余るものだった。

カーマ・ルーパには高級な知性も霊性もないので、説得は無意味である。結局のところは、それに取り憑かれている人間が変わるしかない。

アルコール中毒になるほどの酒飲みではなくとも、習慣的な飲酒が霊媒体質の強化に関係しがちなことは間違いない。

この現象が稀なことだとは思われない。何かの依存症になっている人は、自らが霊媒体質を作り出してカーマ・ルーパを招いているのではないかと疑ったほうがよい。

以前であれば、神社に行くのが嫌そうな夫だった。ところが、義祖父がめでたくあの世で目覚めた後の参拝だった今回は何のこだわりもなく一緒に出かけて、それが自然な行動と映った。萬子媛を描いた短編小説を気に入ってくれた夫はむしろ今回の参拝を楽しみにしていたほどだった。

義祖父がめでたくあの世で目覚めたと書いたが、俗にこれを成仏というのだろう。それまではどうもあの世では昏睡状態だったようである。夫から離れたカーマ・ルーパがその後どうなったかは知らない。

変われば変わるものだ。改善されたいくつかの傾向を夫に認めるとき、義祖父の死後残していったカーマ・ルーパとの長い戦いがわたしの妄想ではなかったことを確信させるのである(義祖父の成仏については エッセー 47及び60で公開したが、一旦閉じて改稿中)。

話が脱線したが、萬子媛を囲むように控えていた方々の中には、あのとき上空からの警備を担当していた方々もおられたに違いない(もしかしたらこのときも警備中で、神楽殿にはおられなかったのかもしれないけれど)。


どのような地位にある教師なのかは知りようがない

あの方々の行動から推測すれば、地上界での一日の仕事が終われば全員があの世へ帰宅なさるのだろう。まさか、あの世の方々が地上界の人間と同じようなスケジュールで行動なさっているなど想像もしなかった。

前掲書には次のようなことも書かれている。

 大師を信じることを恐れてはいけない。大師は最高の力を手にした人だ。彼らは、肉体をもっていてもいなくても、こちらの世界と地上を意志の力で自由に行き来できるのだ。
 だがわたしは、彼らが二つの世界を行き来する方法を世間に教えるつもりはない。大師以外の者がその方法を試そうとすれば、行ったきり戻れなくなる恐れがあるからだ。知は力なり。それは事実だが、ある種の力は、それに見合うだけの英知をもたない者が行使すると、危険な事態を招く場合がある。……(中略)……
 こちらの世界でわたしを指導している師は大師である。
 地上の世界に教授より地位の低い教師がいるのと同じで、こちらの世界には大師でない教師もいる。……(中略)……
 わたしは、死と呼ばれる変化のあとで迎える生の実態を人々に伝えようとしているわけだが、師はその試みを認めてくれていると言ってよいと思う。もし師が反対するなら、わたしはその卓越した英知に従うしかない。*8

萬子媛や三浦関造先生がどのような地位にある教師なのか、わたしには知りようがない。

ただ、萬子媛にしても三浦先生にしても、生前からその徳を慕われ、また神通力をお持ちだった。現在はどちらも肉体を持っておられない。そして、お二方が二つの世界を自由に行き来なさっていることは間違いのないところだ。

わたしは前世から三浦先生とはつながりがあったと感じている。だからこそ、先生のヴィジョンを見たのだと思っている。萬子媛にはそのような縁を感じたことはない。

だが、萬子媛を知り、作品に描くことは、この世に降りてくるときの計画にあったのではないかと考えたりしている。駄作のままではだめだとの衝動を覚えるのだ。

 


マダムNの覚書、2016年6月17日 (金) 18:33,2016年8月18日 (木) 12:58,2016年8月21日 (日) 07:24,2016年10月13日 (木) 19:15,2017年6月 6日 (火) 20:08

*1:鷹司家は五摂家の一つ。

*2:<http://www.edojidai.info/sinntyou.html>(2017/06/29アクセス)

*3:「入定」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年10月7日 18:49 (UTC)、URL: http://ja.wikipedia.org

*4:<https://youtu.be/jV4qeCYEu8g>(2017/06/06アクセス)

*5:<http://www.rinnou.net/>(2016/8/20アクセス)

*6:バーカー,宮内訳,1996,p.25

*7:ブラヴァツキー, 田中訳,1995,用語解説 p.24

*8:バーカー,宮内訳,1996,pp..203-204

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2022年11月 1日 (火)

神秘主義的エッセーブログの「71」「95」を改稿しました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下のエッセーを改稿しました。「95」は動画を差し替えただけです。

95 H・P・ブラヴァツキーの病気と貧乏、また瞑想についての貴重な警告
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/05/09/202238

71 祐徳稲荷神社参詣記 (2)2016年6月15日
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/06/30/172355

「71」は「祐徳稲荷参詣記」に含まれるいささか古いエッセーですが、カーマ・ルーパに関する観察記録を挿入しましたので、次の記事で、当ブログにも転載しておきます。これをテーマとした2本のエッセーを別に公開していましたが、現在は閉じています。改稿して、そのうち再公開したいと思っています。

カーマ・ルーパとは神智学で学んだ概念ですが、珍しいものではありません。高級な知性も霊性もない、死者の影です。脱ぎ捨てた衣服のようなものです。しかし、高級な知性も霊性もないゆえに、これが味をしめると厄介です。悪影響があります。追い払うには、憑依された人が変わるしかないのです。まあ萬子媛のような清浄な霊とは無関係の話ですが……

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