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2022年1月の10件の記事

2022年1月27日 (木)

イベルメクチンに関する端的な長尾先生の動画。初ヨドバシ・ドット・コム。『オズの魔法使い』のヴィジュアル注釈版に神智学の記述。

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通販は主にAmazonを利用してきました。

ひと月に1回の割合で、小岩井の「無添加野菜 32種の野菜と果実」と「無添加野菜 31種の野菜100%」を交互に注文してきて問題ありませんでしたが、昨年のいつ頃だったか――2回続けて潰れた缶が10本ぐらい入っていたことがありました。

そのようなことがあると書かれているレビューを時々見ていましたが、箱ごと落としてしまったようには見えない潰れ方で、潰れた缶が所々に挿入されているといった風でした。箱詰めの段階で、潰れた缶を意図的に挿入したとしか思えませんでした。

これまでに2回、ぬいぐるみ用に注文した折り畳み式収納ボックスの一つが汚れていたときと2個セットになった桃缶が1個しかはいっていなかったときに、問い合わせたことがありました。

潰れた缶ジュースも交換して貰おうかとも思いましたが、面倒臭いので、潰れた缶から飲むことにして、問い合わせはしませんでした。

このときからAmazonだけではもう駄目だなと思い(マスク騒ぎのときもそう思いました)、別の通販サイトを探し、ヨドバシ・ドット・コムに辿り着いてはいました。そのときはじっくり見なかったせいか、Amazonより高くつくと感じて、またAmazonに戻りました。

今回、野菜ジュースを頼もうとして「また潰れたのが来たら……」と思い、このことが精神的負担になっていることを自覚。もう、少しぐらい高くても構わないから、ヨドバシを利用してみようと決心しました。以下の記事含め、いろいろな記事を参考にしました。

大手通販サイト比較【Amazon・楽天・ヨドバシ.com】」『PC自由帳』
https://pcfreebook.com/article/453660062.html

1万円ぶんくらい購入したい生活必需品があったので、比較してみました。商品の品揃えという点ではAmazonが抜きん出ているという感想は変わりませんでしたが、ヨドバシにしか出ていないものもありました。

Amazonでは商品が雑に扱われている気がして仕方がありません。欠陥品や粗悪品の多い残念なところのある中国製品が溢れているのも、嬉しくありません。

値段はそう変わらないではありませんか。ヨドバシのほうが安かったりもしますし、ポイント還元率がこんなに高いとは気づきませんでした。その代わり、ヨドバシでは、ポイントでの支払い分はポイント還元対象外となるようです。

何より、今回初めて知って嬉しい驚きだったのは、送料が基本的に無料だということです。配達業者が選べ、注文前に見積書を出せるのも新鮮な印象です。コンビニ払いできるのも、嬉しい(前払いです)。で、我が家は初めてヨドバシを利用することにしたというわけです。

Amazonで注文していた野菜&果実のジュースはヨドバシにもありましたが、別のメーカーのものを注文してみました。Amazonには同じメーカーのものはありましたが、同じ商品は出ていませんでした。

配達業者は指定しませんでした。いくつか注文した商品のうち、前掲商品は日本郵便ゆうパックで届きました。昨日注文したばかりでした。商品が揃ってから配達して貰うこともできますが、いつ揃うかわからないので、出荷可能となった商品から配達して貰うことにしたのです。

冒頭の写真は、ヨドバシから購入した「突ぱり耐震ポール」です。先日の地震のとき、食器棚も本棚も何とか倒れてきませんでしたが、本棚の上の夫お手製の文庫棚が落ちてきました。

食器棚はストッパーが効いていたとしても、食器棚自体が倒れてきたら、お仕舞いです。文庫本はいっそ処分したくなりましたが、夫が同意しませんでした。文庫に関していえば、わたしの本のほうが多いのです。

しかし、本好きの我が家では、全ての本は家族の共有財産ということろがあります。

そういえば、最近娘の購入した上下巻の本はボーム『オズの魔法使い』のヴィジュアル注釈版で、その中にはボームが関わった神智学についての記述があるそうです。娘がいうには、誹謗中傷の雰囲気は全くないそうです。

萬子媛関係で立て込んでいますが、娘から借りて読むつもりです。そのときは記事にします。

ライアン・フランク・ボーム(マイケル・パトリック・ハーン編、川端有子日本語監修、龍和子訳)『オズの魔法使い(上下)』(原書房、2020)という本です。訳者が、娘と同じ北九州市立大学出身というところからも、興味が湧きます。

料理の記事など、この記事には続きがありますが、長くなりそうなので、別記事にしますね。

ああそうだ。長尾先生の以下の動画を、イベルメクチンについて正しいことを知りたいかた、コロナやワクチンが不安なかた、あるいはコロナ後遺症やワクチンの副作用に悩むかたは、前記事で紹介した動画と合わせて、ぜひ御視聴ください。

#628_イベルメクチンに関する質問にまとめてお答えします 長尾和宏コロナチャンネル - ニコニコ動画
投稿日時 2022/01/27 12:00
Tk さん
https://www.nicovideo.jp/watch/sm39945613

カテゴリー「新型コロナ対策: イベルメクチン」記事一覧

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2022年1月22日 (土)

腹痛が治ったと思ったら、地震! 「ワクチン後遺症にもイベルメクチンは効くの?」というタイトルの長尾先生の動画。

総合病院内科、循環器受診と続いたので、少しバテて、木曜日の夕食は勤務帰りの娘にお弁当を買ってきて貰いました。娘がデパ地下で買った中にあったアボカドとエビのサラダのエビに当たったのか(食べているときに、生々しい感じがしました。食べるまで冷蔵庫に入れていたのですが、保存の仕方が悪かったのかもしれません)、食後数時間して激しい腹痛に見舞われました。

胃腸薬はビオフェルミンと止瀉薬しかなかったので、ビオフェルミンと何にでもよく効くイベルメクチンを飲みました。20日から21日にかけての深夜は救急車呼ぼうかと迷うほどでしたが、朝になると、治りました。そういえば、クリスマスの頃にも腹痛と嘔吐がありましたっけ。

やれやれと思ったら、今度は地震です。家中、物が散乱しています。幸い、当パソコン含め電化製品は大丈夫。食器棚の食器類もストッパーが効いていました。

ただ、ミキサーが吹っ飛んでいたり(見かけ上は壊れていません)、まっすぐ並べていた背の低い書棚が「く」の字になり、ぎっしり本を詰めていた五つの書棚から本は飛び出ていませんでしたが、書棚の上に置いていた夫お手製の文庫棚はそっくり落下。文庫は散乱して、文庫棚は危ないところでテレビを破壊するところでした(逆に、テレビが吹っ飛ぶのを防いだ可能性もあります)。

ガラス戸のついた中に置いた食器類は大丈夫だった――と思ったら、中で激しく移動したらしく、欠けた食器も若干あるようです。

麦茶を作って麦茶ポットに入れ、食卓テーブルに置いて冷ましていたのがまずく、麦茶ポットは無残に割れ、周辺を水浸しにしていました。

棚に置いていたマリモのビンは床に転がり、その水で濡れたものがありましたが、肝心のマリモが見当たりませんでした。花瓶に立てていたコットンのドライフラワー(ドライフラワーなので、水は無しです)が、床に落ちて枝と葉が粉々になり、この中を探すと、4個のマリモが全て見つかりました。

定年後からホテルで夜間フロント&警備をしている夫が、安否確認の電話をかけてきました。ホテルはバイキングルームに被害が出たようでした。夫の部屋は物が沢山あるので、結構悲惨です。

このあと、もう大きなものが起きなければいいのですが……熊本地震のときに余震が長く続いたことを思うと、ぞっとします。

あのときは何日か、すぐに逃げられるように娘と玄関前の廊下に寝ました。今回もそうしました。ただ冬なので、座椅子を持ってきて靴を履き、毛布を2枚ずつかけて寝ました(毛布はクリーニングに出さなければなりませんね)。

こんなこと書くより、本当は、通院した総合病院、クリニックでの異変について書きたかったのです。

異変というとオーバーかもしれませんが、総合病院でいつもはがらんとしている、向こう側に見える皮膚科が繁盛していました。

内科の待合室も混んでいて、看護師さんが「最近、混んでいるんですよ~!」といっていました。わたしの後ろに座る男性の患者さんは別の看護師さんと入院中の思い出話(?)をしていましたが、「奥さん、お元気ですか」と訊かれた男性は「いない。死んだよ。あんた、代わりに来る?」といいました。

奥様は急死されたのでしょうね。過去記事で書きましたが、娘も、勤務先の病院で起きた同じような出来事を話していましたっけ。その患者さんの奥様も急死で、近所の人達はワクチン死と噂していたとか。

ここまで書いて、出勤する娘がエレベーターを使えるか、階段を使うべきか心配なので、一緒に行くと、お隣さんが玄関の前に六つの紙袋を出していました。中に入っていたのは、割れた食器でした。うちもまた大きなものが来たら、どうなるかわかりません。

話題を病院での異変に戻すと、循環器クリニックでは、若い人がちらほら(普段は年寄りばかり!)。

お年寄りの患者さんについても、いつもとは異なる会話が耳に入りました。わたしは診察が済むと、会計を待つためにカウンターの近くの長椅子に座るので、聴くつもりではなくてもよく聴こえるのです。

携帯用のホルター心電図を借りている老婦人、「体に巻き付けた何だっけ? これ早くとって!」と24時間心電図を早く外したい老人。循環器クリニックといっても、常連がほとんどであるためか、受付では処方箋の薬の確認が多く、このような会話はめったに聞かれないのです。また、「頭の中が吹き出物だらけになった」と訴えていた老人。

若い女性が「寝ているとき、胸が苦しくなりました。腕に青痣が出たので前回見ていただいたのですが、今はそれは消えていて、今度は右足に出ました。これって、異常じゃないですか? 胸も、仕事中なんか、もう本当に、ぐうっと苦しくなったんですよ」としきりに訴えていました。前回は、彼女に満足のいく診断が出なかったのでしょうか。

クリニックではたまに若い人も見ますが、これまでよく見かけたのは不整脈を訴えての受診で、何でもなかったのか、大抵はそれ以来見ません。

娘の勤務先は、地震の影響はどうでしょうか。昨夜娘は、男性医師の一人が急に亡くなったといいました。60代で癌だったそうですが、急に亡くなるようには見えなかったのに、と娘はいいました。

そういえば、夫の親友からの年賀状に「若い男が階段で倒れていました」と新年の挨拶らしからぬことが書かれていました。彼はワクチンにもイベルメクチンにも興味のない人です。夫が電話すると、倒れていた人は入院中だとか。彼が救急車を呼んだのでしょうね。

偶然の出来事が重なったのでしょうか。この中にはワクチン後遺症が潜んでいる気がしてしまいます。若い女性の訴えは特に、ワクチン後遺症に苦しむ人々がツイッターでよく訴えておられる内容と似ています。

ワクチン接種後、体調の異変を感じる人は、D-ダイマー測定(血液検査)を受けるといいとツイッターで忠告している専門家がおられました。以下のような論文が昨年10月に出ています。

日本脳卒中学会・日本血栓止血学会
COVID-19 ワクチン接種後の
血小板減少症を伴う血栓症の診断と治療の手引き・第 3 版
https://www.jsts.gr.jp/news/pdf/20211117_tts.pdf

外資系勤務の息子も、仕事柄打たざるを得ないようです。イベルメクチンを否定はしていないようですが、肯定しているわけでもないようで、興和での治験結果を待っているのかもしれません。

妹は今のところ3度目のワクチンを打つ予定はないといったので、ホッとしました。妹はイベルメクチンをお守り代わりに持っています。

イベルメクチンは3月まで治験。そして結果が出て、一般人が使えるようになるのはいつなのでしょうか。

ワクチンにしても、ファイザーとメルクの飲み薬にしても、あっという間に特例承認されるのに、なぜかアビガンやイベルメクチンにはやたらとハードルが高いように見えます。本当に使えるようになるのでしょうか? それを許すまじとワクチン利権派やディープステートが動いてはいないでしょうか。

わたしはイベルメクチンを個人輸入し、自己責任で予防服用始め、10ヶ月目に入りました。副作用が出るどころか、血液検査の結果はむしろ改善されて、その点では総合病院、クリニックの両先生を満足させています(イベルメクチンを服用していることはいっていません)。

ただ副甲状腺関係は相変わらずです。あれこれ薬で調整して貰っていますが、骨粗鬆症の治療をすればカルシウムが高くなりすぎ、カルシウムを減らす方へ持って行けば骨粗鬆症が進むといった、こちらを立てればあちらが立たずになりがちなのが残念なところです。循環器クリニックの先生はカルシウムが高くなると、厳しい顔をなさいます。

副甲状腺機能亢進症以外にも、わたしは冠攣縮性狭心症、心臓弁膜症、喘息といった持病持ちなので、厚労省の副反応疑い報告を熱心に見ていました。そして、ワクチンは打ちたくないと思いました。薬で何とか保っている心臓に悪影響のある気がしますし、ベル麻痺、ギアンバレー症候群、怖い。

予防効果のある、副作用の少ない別のものがないだろうかと思っていたところ、イベルメクチンを知りました。前に薬剤性肝炎になったことがあるので、無頓着にお試ししたわけではありません。

わたしは素人なので、わからないところは飛ばし読みですが、北里研究所のホームページで公開されているイベルメクチンに関する沢山の論文、FLCCCのホームページ、北里大学の花木先生のツイート、ニコニコ動画にアップされる鹿先生(JPSikaDoctor)や長尾先生の動画などを参考にしました。

ワクチン推進派の記事も色々読みましたが、どれも同じような短絡的一面的な内容に思えることが多く、納得できませんでした。何かあったとき、彼らが責任をとってくれるとも思えません。

ツイッターでの訴えによると、ワクチン後遺症に苦しむ人々はワクチンを打ったことを後悔し、孤独を感じておられます。

長尾クリニックの先生が、ワクチン後遺症にイベルメクチンが効くと動画で語っておられます。メディアでは「ワクチン後遺症」という言葉を使ってはいけないことになっているそうですよ。

#616_ワクチン後遺症にもイベルメクチンは効くの? 長尾和宏コロナチャンネル
投稿日時 2022/01/15 12:00
Tk さん
https://nico.ms/sm39890728

地震の話がワクチン後遺症の話になりました。もう大きな地震が起きませんように。これから何か食べて片付けに入りますが、余震があるかもしれないと思うと、ゆっくり片付けてもいいかなと思います。

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2022年1月19日 (水)

愛川様がお送りくださった祐徳院関係の貴重な資料が届きました。お礼のメールはまだこれからです。(1月24日に加筆訂正、赤字)

愛川様がお送りくださった祐徳院関係の貴重な資料が届きました。お礼のメールはまだこれからです。

昨年12月に愛川様から衝撃的な内容のメールを頂戴したことは、以下の記事に書いています。

2021年12月24日 (金)
祐徳院の第二代庵主を勤められた尼僧様の御子孫からメールを頂戴し、電話で貴重なお話を伺いました
https://elder.tea-nifty.com/blog/2021/12/post-2e4d5d.html

頂戴したメールから引用させていただきます。

実は、私の祖先が佐賀、祐徳院の2代庵主として、
岩本社に祀られていると聞いており、
萬子媛降嫁の折、京都から付き添ってきた
従事者だったと聞いております。

ブログを拝見させて頂き、
非常に興味深く読まさせて頂きました。
付きましては、叶うなら一度お目にかかり、
お話をさせて頂きたく存じ上げます。

衝撃的な内容でした。

届いたばかりの書類に関しては、まだお礼のメールも出していないので、ざっとご報告しておきます。

引用させていただきたい箇所を特定してから、今日中にはお礼のメールをしようと考えています。

永久保存と書かれた文書中、無著庵慧泉宲源禅尼について記された箇所を読めば、どのような経緯で無著庵慧泉宲源禅尼が祐徳院の二代庵主だったことが判明したのか、また岩本社が建立された理由についてもわかります。

調査記録者は、無著庵慧泉宲源禅尼の御子孫に当たる愛川太朗氏。

この文書には太朗氏の署名捺印がなされ、祐徳稲荷神社宮司 鍋島朝倫氏に送られて拝受の言葉と共に署名捺印がなされています。この文書は祐徳稲荷神社と普明寺に現存するはずです。

このような貴重な文書から断片的な引用が許されるのかどうかわかりませんが、お尋ねしてみたいと思います。

「鹿島藤津郡医会師よりコピー(原文ママ)」と手書きメモのある資料には、「愛川伯斉」の紹介に「三代藩主直朝に仕えた愛川伯順以来の藩医の家である」とあります。※1月22日に拝受したメール、24日にいただいたお電話でも確認しましたが、「鹿島藤津医会史」とご訂正ください、とのことでした。

愛川様のメモによると、愛川の名は『鹿島藩日記』『鹿島役所日記』『鹿島市史、中巻』『医業免礼制度』に出てくるそうです。

『鹿島藩日記』には、二巻、四巻、五巻に出てくるとあり、何頁に出てくるかもメモして下さっているので、わたしが持っている二巻をさっそく見たところ、興味深い日記の内容でした(わたしが購入したのは一巻と二巻です)。

愛川様の御先祖、愛川伯準(『鹿島藤津医会史』では伯順となっています)というお名前が出て来るのは、『鹿島藩日記 第二巻』所収「日々萬控帳 宝永二年乙酉ノ六月五日ヨリ 同三年戌九月四日迄」中、宝永二年七月十五日の日記(p.527)です。

切腹しかけた人があり、そこに派遣されたお医者様のうちのお一人が愛川伯準でした。「薬こう薬等」で治療されたようです。この箇所はノートにまとめるときに引用します。

確か、日本で初めて殉死禁止令を出したのは、佐賀藩主の鍋島光茂公ではなかったかと思います。

2014年5月13日 (火)
初の歴史小説 (27)佐賀藩の第2代藩主、鍋島光茂と萬子媛との人間関係。光茂に仕えた『葉隠』の山本常朝。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2014/05/272-bfac.html

田中耕作『初期の鍋島佐賀藩 藩祖直茂、初代勝茂、二代光茂のことども』(佐賀新聞社、2000)によると、この頃、殉死は珍しいことではなかったようで、光茂の父忠直が23歳の若さで亡くなったときも、お供が殉死している。光茂は明暦3年(1657年)藩主に就任したが、寛文2年(1662年)、幕府に先んじて殉死を禁止したという。

何にせよ、このとき愛川伯準が手当てをなさった与兵衛という人は、法を犯して殉死しようとしたのですね。いや、殉死のために切腹を意図したとは限りません。何のために切腹しようとしたのでしょうか?

その経緯についても詳しく書かれているようですが、素人のわたしの読解力では内容を理解するのに時間がかかります。

鹿島藤津医会史』に「元禄十三年(1700)四月十三日の鹿島請役日記より」と書かれた引用箇所及び解説を見ると、萬子媛と同じ頃に亡くなられた鍋島直條公のご病気が何であったのかがわかります。腹部に腫瘍のある疾患だったようです。

直條公は5年後に江戸で亡くなっていますから、5年以上、腹部の悪性腫瘍に悩まされていたことになります。病身に鞭打って鹿島鍋島藩主としての仕事を続けていられたのでしょう。

この鹿島請役日記は『鹿島藩日記 第一巻』で見た記憶があったので、開いて見ると、やはり収録されていました(『鹿島藤津医会史』の引用に該当するのはpp.502-503)。

ここではお名前が「白順」とあり(水川)とありますが、これは愛川伯順(あるいは伯準)でしょう。

昔の文書には当て字が多く、素人は面食らうことがしばしばです。

鍋島藩最後の殿様――鍋島直大公と一緒に医療改革を行われた愛川春碩というかたに関する資料も大変貴重です。その御子孫の愛川様にぜひ作品としてまとめていただきたいです。

昨年の12月下旬、愛川様にお電話する前の検索で、愛川様が古代史研究家で邪馬台国に関する研究をなさっていることがわかりました。講師もなさっているようです。お電話したときにそのお話もしたので、邪馬台国に関する作品のコピーも送って下さいました。

沢山の贈り物に驚くばかりですが、とりあえず、お尋ねしたいことをまとめて、早くお礼のメールをしなくては……

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2022年1月17日 (月)

萬子媛関連で、新たにわかったこと2件(18日に加筆、19日に加筆緑字、20日に加筆訂正赤字)

らくがきメモ9に加えておきたいことが2件出てきました。

前記事同様にノートのためのノートというまどろこしさですが、いきなりノートとして書くには引用したり参照したり整理したりといったことに時間がかかるので、こうなってしまいます。主婦は物書きとしては恵まれた立場ですが、ただ休日というものがなく、まとまった時間のとれないのが難点です。

2017年に佐賀大学地域学歴史文化研究センターから購入した井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一編『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』(佐賀大学地域歴史文化研究センター、2016)を改めて見ていると、21番目の資料として、「普明寺禅寺過去帖」がこの資料集の最後を飾っていることに気づきました。

郷土史家の迎昭典先生から貴重な資料を沢山送っていただいており、購入した時点では、ある程度の整理はついていました。

佐賀県鹿島市大字古枝字久保山にある普明寺は黄檗宗の寺院で、鍋島直朝公の長男・断橋(鍋島直孝)の開基により、桂厳性幢が開山となって創建されました。以後、鹿島鍋島家の菩提寺となります。祐徳院は普明寺の子院でした。

普明寺を見学したときのことは、以下のエッセーに書いています。

72 祐徳稲荷神社参詣記 (3)2017年6月8日 (収穫ある複数の取材)
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/08/06/205710

断橋は義理の母である萬子媛に祐徳院を譲って、ご自分は普明寺に移られたのでした。普明寺は祐徳稲荷神社にほど近い場所にあります。

といっても、整備された今の道路を車で行くから近く感じられるのであって、当時の道路事情はどうだったのでしょう?

100 祐徳稲荷神社参詣記 (13)祐徳院における尼僧達:『鹿島藩日記 第二巻』
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/12/08/233845

前掲エッセーで、三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社 宮司・鍋島朝純、1979)の中の宝永二年閏四月廿日(1705年6月11日)の日記を引用しているのですが、その記述の中で蘭契という人物が祐徳院は山中にあると述べておられます。

当時は、奥深い山の中を歩いて行き来するという感じだったのでしょうか?

蘭契という尼僧が萬子媛の後継となって祐徳院の庵主となった人物ではないか――と憶測していたところ、御先祖様が第二代庵主を勤められたという愛川様からメールを頂戴し、電話してお話を伺ったのでした。

2021年12月24日 (金)
祐徳院の第二代庵主を勤められた尼僧様の御子孫からメールを頂戴し、電話で貴重なお話を伺いました
https://elder.tea-nifty.com/blog/2021/12/post-2e4d5d.html

第二代庵主の出家前の姓は愛川、出家後は「無著庵慧泉宲源」だそうです(※泉の次の漢字は、うかんむりに呆です。フォントによってこの漢字は表示されたり文字化けしたりします)。尼寺としての祐徳院が二代までは確かに続いたことが、愛川様のお話ではっきりしました。

そのかたが『鹿島藩日記 第二巻』に登場する蘭契というかたかどうかはわかりませんが、そのかたである可能性は高いように思われました。当時、名前が複数あることは不思議ではありませんでしたから。

鹿島市民図書館の学芸員は、祐徳院のその後について、以下のエッセーで採り上げた電話取材で、次のようにおっしゃいました。

88 祐徳稲荷神社参詣記 (9)核心的な取材 其の壱(註あり)
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/11/07/205602

尼寺としての在り方はたぶん、祐徳院さんが死んで10年20年くらいしか持たなかった……比較的早い段階で男性の方が入るということに。

祐徳院さんが京都から連れてきたような人たちや祐徳院に女中として仕えたような人たち――祐徳院に入って一緒に修行したような人たち――が、やはり祐徳院と直接の接点を持っている人たちが死に絶えていくと、新しい尼さんを供給するということができなかった。

あくまで祐徳院さんとの関わりで入った方ということになってくるので。鹿島のどこからか女の人を連れてきて、黄檗僧として入れるというものでもないと思うので。

黄檗宗の修行が相当厳しいものにはなってくるので、そこらへんに耐えうる女性というところはなかなか、祐徳院さんの信仰心に直接接点を持っていた方以外にはそこまでやり遂げる力というのはなかったのかなというところだとは思うんですよ。

祐徳院さんがお子さんたちを亡くして悲嘆に暮れている様子に直接接した記憶がある人たちは、祐徳院さんの気持ちに最後まで添い遂げようとはされるとは思うんですけれども。そこが直接接点を持たない人たちになると、ちょっと意味合いが変わってしまうのかなというところだと思うんですけれどもね。

この電話取材以前に、わたしは『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』所収の「普明禅寺過去帖」にざっと目を通していたはずでしたが、そのときは学芸員がこの過去帖を根拠として、祐徳院というお寺の歴史を推測なさっていることに気づきませんでした。学芸員は『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』の著者のお一人なのですから、著作の内容にお詳しくて当然なのです。

今回『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』所収「普明禅寺過去帖」を再読して、注目した箇所を引用します。

  寶永 宝永八年改元正徳 (※引用者註 最初の宝永のホウは旧字体)

……(略)……

祐徳院殿瑞顔實麟大師
  二年四月十日 直朝公後室開山和尚剃度為尼改正六月一日 前左大臣定好卿娘塔於祐徳院万子(p.179)

……(略)……

祐徳院前住入祠堂(後補)(※引用者註 玄の次の漢字は、うかんむりに呆)
絶玄宲仙禅師 五年十二月十七日
  天明七年五月二日(後補)祐徳院男僧住持従此人始(p.181)
……(略)……

  寛政 十三年改元享和

 宝石二代 桃洲源和尚 七年七月四日
            初住大興後迁化祐徳院塔当山
(p.193 ※引用者註 「宝石二代」は小さな字で宝石と二代が二行に分けて書かれています。初住大興後の次の漢字は「千」にしんにょう)

……(略)……

祐徳九代
 前監西洲玄璨和尚 十一年七月廿二日
(p.193 ※引用者註 玄の次の漢字はおうへんに粲[サン])

このように普明寺の過去帖に、子院である祐徳院に関する記述があるのです。素人のわたしにはうまく解読できませんが、学芸員がおっしゃったように祐徳院は推移したのではないかと思います。

「天明七年五月二日(後補)祐徳院男僧住持従此人始」とあります。「後補」は「後世の補修」という意味で使われるようですから、天明七年五月二日にその加筆が行われたということでしょうか。

萬子媛が亡くなったのは宝永二年閏四月十日(1705年6月1日)です。絶玄宲仙禅師が亡くなったのは宝永五年十二月十七日(1709年1月27日)。「祐徳院男僧住持従此人始」に該当するのが絶玄宲仙禅師でしょうか。

「絶玄」という僧侶の名は、前掲エッセー100祐徳稲荷神社参詣記 (13)祐徳院における尼僧達:『鹿島藩日記 第二巻』」に引用した布施の記録に出てきます。「蘭契」からが尼僧ではないかというわたしの推測が正しければ、「絶玄」は「蘭契」より前に出てくるので、男性僧侶だったということになります。

布施の記録に出てくる僧侶のうち、桂巌は普明寺の開山、月岑は普明寺第二代(貞享四年、1687年)、慧達は第三代(元禄十三年、1700年。元禄十六年に月岑、普明寺再住)、石柱は前出の慧達と共に、五月十五日(1705年7月5日)の日記に出てきます。

五月十五日は萬子媛の三十五日に当たり、格峯(鍋島直孝、断橋)が前日の晩景(夕刻)から古江田御庵(古枝にある祐徳院)を訪れました。格峯はこのとき、恵達(慧達)、石柱を同行させています。そして、御庵中比丘尼・男女下々まで、精進料理が供されました。

蘭契より前に名の出てくる僧侶達は皆、普明寺関係の男性僧侶と考えられます。

「絶玄」すなわち五年十二月十七日に亡くなった「絶玄宲仙禅師」は普明寺から派遣された僧侶で、このかたから尼寺だった祐徳院が男性僧侶の所属する寺となった――のではないでしょうか。

いずれにしても、萬子媛亡き後の尼寺としての祐徳院は非常に短命だったように思われます。二代目が亡くなった後は尼寺としての在り方は終焉を迎え、残る尼僧たちは解散ということになったのでしょうか。

祐徳院自体は、九代までは続いたのでしょう。その人物――前監西洲玄璨和尚は、寛政十一年七月廿二日(1799年8月22日)に亡くなっています。

鍋島直朝公の後継として藩主となった文学肌の直條公が『祐徳開山瑞顔大師行業記』(『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』所収)を書き遺してくれていなければ、後世の人間が萬子媛の出家の動機について知ることはできなかったでしょう。

『祐徳開山瑞顔大師行業記』は萬子媛が亡くなる1年前に著述されたものだといわれています。その直條公も萬子媛と同じ頃(宝永二年四月三十日(5月22日))亡くなったわけですが、少なくとも『祐徳開山瑞顔大師行業記』著述時までは、「尼十数輩」が祐徳院で修行なさっていたのです。

二代庵主の庵主としての期間は短かったかもしれませんが、萬子媛とおそらく一緒に出家されて、それから20数年、技芸の神様として祀られるような勤めを果たされて亡くなったのでしょう。

萬子媛が62歳で出家し、80歳で亡くなったことから考えると、萬子媛の降嫁の際に京都から付き添ってきた従事者がそう何人も残っておられたとは考えにくく、尼寺だったときの祐徳院には地元の女性も尼僧として在籍し、修行しておられたのかもしれないとわたしは考えています。

そして、二代目が亡くなった後、三代目になれるような女性は残念ながらおられなかったのではないでしょうか。

萬子媛が亡くなってから九代が亡くなるまでに、94年経過しています。

とんでもない間違ったことを書いているかもしれません。素人芸ですので、参考にはなさらないでください。

普明寺の過去帖は昭和まで記述があります。

愛川様は祐徳院に関する資料をまとめてくださっているようです。大変な作業でしょうね。それによって、何かわかることがあるかもしれません。

もう一つわかったことがあります。萬子媛が鹿島鍋島家に降嫁された背景に藤原氏という共通するカラーがあったのではないかということです。

萬子媛は、鍋島直朝公の継室として京都から嫁がれました。正室は1660年に32歳で亡くなった彦千代(寿性院)というかたでした。彦千代の母は龍造寺政家の娘だったそうです。

ふと、龍造寺氏の出自はどのようなものだったのだろうと思い、ウィキを見ると、諸説あるようですが、藤原北家と関係があるようです。

萬子媛は花山院定好の娘で、花山院家は藤原北家師実流の嫡流に当たる公家です。

鍋島氏の出自にも諸説あり、藤原秀郷流少弐氏の子孫とも伝えられるとウィキにあります。

龍造寺氏は少弐氏を破り、鍋島氏に敗れたわけですが、少弐氏は藤原北家秀郷流と称した武藤氏の一族だということですから、何だか藤原色が濃い中での争いだったのですね。

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2022年1月14日 (金)

間が空きました

用事が重なり、ご無沙汰しました。

6日に前記事を公開したあと、キンドルストアで販売中の児童小説『田中さんちへやってきたペガサス』を今年中にはアマゾンのオンデマンド出版サービスを使って出したいと思っているので、その計画を検討しました。表紙含めて自分で手がけるか、表紙だけ有料サービスを利用するか、あるいはPDF化全部をプロに頼むか、迷うところです。

田中さんちにやってきたペガサス
(Kindle版,ASIN: ‎B00BEMD5ZK)

いずれにしても、表紙はプロのデザインを購入することになるかなあ。

そこまでするのであれば、改稿したい気もしてきます。続編を書きたくなったりもします。

いやいや、いけない。今年はそれより新作能の創作を第一にしなくては。そこで、謡曲集を読み、以下の文章を下書きしたところで、用事の津波に呑まれました。

大雑把な構成しかできていないので、そろそろしっかりしたものを考えないと……と思い、参考のために、小山弘志・佐藤喜久雄・佐藤健一郎 校註・訳『謡曲集一 日本古典文学全集 33』(小学館、1973)を開いた。『謡曲集二』は持っていないので、図書館から借りた。

夫が行ってくれた。外出すると、好きな場所であってもどうしても疲れて家事に障るので、夫が快く行ってくれて助かっている。特に創作を応援してくれているということはないが、こういう形で応援して貰っているとはいえる。大学で同じ文芸部だったからこそ、こんなことが頼めもする。

『謡曲集一』をあれこれ見ていった。『羽衣』は何度読み返しても美しい作品だと思う。

昔話の『羽衣』は、読んでつらくなるような俗っぽいお話で、天女が可哀想になる。

これも図書館から借りた鈴木啓吾『続・能のうた――能楽師が読み解く遊楽の物語―― 新典社選書 95』(新典社、2020)だが、間違って続を頼んでしまったのが却ってよく、『羽衣』成立の背景がわかりやすく解説されている。

伝説を織り込んだ昔話――風土記逸文――と謡曲『羽衣』を比較してみると、謡曲『羽衣』の際立った美しさがはっきりする。

謡曲『羽衣』の核となる一文。

ここまで書いて中断していました。「祐徳院」らくがきメモ9で、続きを書きます。といっても、また新しい用事ができたので、これもアップには少し時間がかかりそう。

コロナワクチンに関するニュースにも見逃せないものが2件あるので、先にその記事からのアップとなるかもしれません。

謡曲『羽衣』を読むと、神社でのお仕事を終えてお帰りになる萬子媛ご一行が、「萬子媛~!」というわたしの心の中での呼びかけに応えて、雲の中から光を投げて寄越された情景を思い出します。どこへお帰りになるのかはわかりませんでしたが、上のほう、雲の彼方のどこかです。よほどの上空に、肉眼では決して見えない高級世界が重なるように存在するのでしょうか。

前にこのときのことを書いたエッセーでは、ここまでは書きませんでした。

確か、ありふれた景色がえもいわれぬ美しい景色に感じられたのは、お帰りになる萬子媛のオーラが日の光に混じっていたからではないか――と書きました。

本当のことをいえば、『羽衣』さながらの情景がわたし――の心の鏡――にははっきりと見えていました。『羽衣』や『かぐや姫』を書いた人は、わたしのような神秘主義者だったのではないでしょうか?

そして、萬子媛ボランティアご一行が出勤するためにこの世に下りてこられるときは、この動画のような感じなのでしょうか?

空から見た秋の祐徳稲荷神社 ドローン映像
2013/12/17
dragonflyservice ドラゴンフライサービス
https://youtu.be/d38PbrpYAgU 

心の鏡でしか見たことのない萬子媛と太陽の光と区別のつかなかった圧倒的なオーラの記憶が映像に重なり、涙が出てきます。ああ、懐かしい。もうずいぶん、行っていないなあ。

謡曲『羽衣』には、核となる一文があります。文学作品は、その核となる一文がなければ失敗作となりますから、わたしの新作能作品にもその一文――オリジナルな一文――が必要です。見つからなければ、いつまで経っても仕上がらないでしょう。

萬子媛をモデルとした歴史小説もどきには、その一文がなかったので、作品としては下書きの域を出ませんでした。あの時点では、萬子媛が断食入定なさったのかどうかに確信が持てず、萬子媛観が相当に揺らいでいました(その事実があったかどうかを歴史的事実として検証したエッセー89「祐徳稲荷神社参詣記 (10)萬子媛の病臥から死に至るまで:『鹿島藩日記 第二巻』」をご参照ください)。

らくがきメモ9で、萬子媛にまつわる最近起きた、あわい神秘主義的体験についても記そうと思います。この体験は夫も共有しています。夫も、その霊妙な鈴の音とも鐘の音ともつかない音色を聴いたのでした。その音色は、祐徳稲荷神社に参詣しようとしていたときに聴いた音色と同じでした。

わたしが「高級霊ウォッチャー」よろしく探ろうとして近づくと、「緊急避難」もしくは「煙幕を張って」全力で一切の気配を消そうとなさるのに、わたしの真摯な問いかけにはそれとない形で応答してくださるのが感じられていました。

耳に聴こえる音として応答があったのは、二度目でした。前回は問いかけに対する応答としてではなく、「急いで」という注意としてでしたが……(らくがきメモ9では、そのことを書いたエッセーにリンクします)。今回はわたしの深い疑問に対する応答ではなかったかと考えています。で、何を疑問に思っていたかというと……

ここまで書いてしまいましたが、続きはやはりらくがきメモ9で。その記事とダブる部分は、あとで削除します。

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2022年1月 6日 (木)

Kindle版『直塚万季 幻想短篇集(1)』をKENPCでお読みいただき、ありがとうございます!

Kindle版純文学小説『直塚万季 幻想短篇集1』を1月4日、KENPC(Kindle Edition Normalized Pages)でお読みいただき、ありがとうございます! KENPCでお読みいただいたのは今回で3回目でした。2冊お買い上げいただいています。

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。拙電子著書一覧を御覧いただけます。

直塚万季のページ

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2022年1月 4日 (火)

元旦予定の食材を三日に使いました。NHKあさイチ「れんこんのバター蒸し」。ワールドヘルスサミットで衝撃的な発言「コロナワクチンはワクチンではなく細胞・遺伝子治療」。

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蓮根はバター蒸しにしました。フランス風なのだそうです。

フライパンに水、バター、蓮根を入れて蒸し煮にするのですが、「あさいち」では他にも色々蒸し煮にしていました。わたしはその中の白菜、ブロッコリー、たらときのこ――をバター蒸しにしています。すぐにできるし、バターが香って美味しいですよ。

息子が帰省しないとわかっていても、食材は4人分用意していました。

4人ですと、元旦はお節、二日の各人用手抜き盛り合わせは大皿に、そして、この各人用サラダも大皿に盛ったでしょう。イチゴ、トマト、ブロッコリー、貝割れ大根なんかも加えたかな。これでブランチだったでしょうね。

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大根おろしを添え、好みで醤油かポン酢でいただきました。

いつもの牛肉切り落としではなく、よいお肉でした。4人だったら、これは元旦か二日の夜のメニューになったでしょうね。すき焼きは夫が好きではないので、カルビやウインナー買い足しホットプレートで焼き肉にしたかも。

よいお肉は若くないわたしの胃にはちと重い………少量で満足です。

家族が揃わないと、ぴんと来ないお正月。尤も、息子はコロナ対策で帰省しないわけではありません。

話題がコロナになってしまいますが、政府の不可解なコロナ対応が心に重くのしかかっていて、年賀状には「おめでとう」と書きましたけれど、憂鬱な気分が晴れないのは、イベルメクチンというコロナに優れた効能を発揮する薬があるとわかっていながら特例承認されず、ワクチンが打たれ続け、犠牲者が増え続けているということが絶えず念頭をよぎるからです。

ワクチン後遺症と思われる患者さんが増え続けていることは確かだと、長尾先生はおっしゃっていました。自然療法士ルイさんの動画によると、ワールドヘルスサミットで衝撃的な発言があったそうです。前からいわれていたことではありましたけれど。

【自然療法士ルイ最新】ついにコロナワクチンはワクチンではなく細胞・遺伝子治療だと認める!
投稿日時 2021/11/21 09:46
Kirara さん

削除の危険性があるので、ニコニコにアップされていた動画を紹介しました。

ルイさんが別のサービスにアップされた動画の概要欄から、以下に引用させていただきます。

自然療法士のルイです(^^)/

講演者一覧
https://www.worldhealthsummit.org/summit/speakers.html

World Health Summit 2021
https://www.youtube.com/playlist?list=PLsrCyC4w5AZ8F0xsD3_rzLcfxHbOBRX4W

動画内で紹介している部分(1時間30分経過した時点)
https://www.youtube.com/watch?v=OJFKBritLlc&t=0s

 

カテゴリー「新型コロナ対策: イベルメクチン」記事一覧

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2022年1月 3日 (月)

天ぷらの衣にマヨ。マキネッタで淹れるコーヒーは面白い。手抜き盛り合わせ皿。

31日、年越し蕎麦に無頭バナメイエビの天ぷらをのせたいと思い、6尾用意しました。下処理は以下の記事を参考にしました。

年越し蕎麦にエビの天ぷらをのせたことはあまりありませんでした。息子がエビアレルギーだったということもあります。今では食べられるようになったといっていましたが……

いずれにしても、天ぷらはすぐに食べればサクッとして美味しいけれど、年越し蕎麦にのせるまでに時間がかかると、べちゃっとなるから嫌だなと思って以来、トッピングに天ぷらはやめました。

エビは、車エビ→ブラックタイガー→バナメイエビの順に美味しいと思いますが、バナメイも悪くはないし、何よりリーズナブルなので、バナメイで年越し蕎麦行ってみようかという気になりました。

というのも、最近、天ぷらの衣に入れる卵をマヨネーズに代えるのが流行っているみたいなので、実験したくなったのでした(わたしは隠れマヨラーかもしれません)。麺は、すっかり麺の扱いに慣れた夫が茹でてくれることになりました。

最近は、麺とコーヒーという夫の領分をほんの少し侵し、マキネッタ(エスプレッソメーカー)を拝借して夫の留守中などにコーヒーを淹れることがあります。娘がわたし専用のコーヒー豆を買ってきてくれます(夫の許しを得ていますが、なるべく領分を侵さない工夫です)。

わたしの淹れるコーヒーは豆の味がよくわかり、すっきりしていて飲みやすいと娘はいってくれますが、夫にはまだまだ敵わず、インパクトのある夫のコーヒーのコツを盗んだつもりで同じように淹れてみるのですが、同じような味にはなりません。

夫にいわせれば、同じように淹れたつもりでも、毎回違った味になるということです。確かにそう。

これが、コーヒーをマキネッタで淹れる場合の面白いところですね。

サイフォンのほうにはまだ手が出ません。以前はサイフォン贔屓だった夫も、今はほとんどマキネッタを使っています。サイフォンより手がかからないということがあります。マキネッタで淹れたコーヒーが好きになったということもあるようです。

コーヒーを淹れる段階で色々と気づいたことがあるので、これはそのうち別記事にします。

天ぷらの話に戻りますと、薄力粉、片栗粉、水、マヨネーズで衣を作りました。

粉の割合がもう一つだったのか、見かけがフリットに近い仕上がりでした。娘と1尾ずつ、塩をかけて試食してみると、サクッとしていて美味しい! もう1尾も、食べてしまいたくなりました。

蕎麦にのせるまでに少し時間がかかりましたが、べちゃっとなりませんでした。今度はフリットみたいにならないよう工夫してみたいと思います。

なぜマヨネーズが衣をカラッとさせるかは、キューピーのホームページに解説があります。今度はキューピーのレシピでエビと野菜の天ぷらを作ってみようかな。うちのマヨネーズは味の素ですけれど。

年越し蕎麦にはエビの天ぷら2尾(娘とわたしのは1尾胃袋に行ったため、1尾)と刻んだ小葱をたっぷりのせました。

Meat-loaf_20221a

ミートローフはいつも好評なので、また作りました。盛り付けは娘です。

元旦には、大晦日に届いた昨年と同じ京都のお節。なぜか今年はこれに満足できず(味は気に入っているのです)、次回は半分くらい手作りしてみようかなと思いました。昔は手作りしていたのでした。冷蔵庫を昨年買い替えたことで、庫内の収納スペースが増えて性能が高まったことが大きく関係しています。

コロナ予防のイベルメクチンで、不思議に元気になったことも大きいです(勿論、普通に元気とはいえませんが、一々寝込んでいた――カーペット敷いた床に転がっていただけですが――イベル以前とは大違い)。型にはまらない、多方面への効能を秘めたこの薬が、如何に小さな型にはめられていたかがわかります。

冷蔵庫の話題に戻りますが、買い替えたパナソニックの冷蔵庫、使いやすいです。キムコは要りますが、パナの性能とキムコで臭いはほぼ感じられません。静かですし、食材を新鮮に保つ能力に優れています。どの有名メーカーも同じようなものかもしれませんが、満足しています。配達までの食材をドライアイスで持たせた顛末を以下の記事に書いています。

2021年10月22日 (金)
【23日に加筆修正、追記あり】夢にまで見た紙書籍(ペーパーバック)出版がAmazonで可能に! 過去記事のシュールな神智学問答に関して。ドライアイスで生き延びた(?)一夜干し。ナイノーって?
https://elder.tea-nifty.com/blog/2021/10/post-c1ba3e.html

30日に娘が買ってきてくれたかつお菜を2日になってお雑煮に使うとき、瑞々しさに驚きました。かつお菜は翌日までに使わないと傷んでしまっていたのです。

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いつもの醤油仕立てのあっさりした雑煮。昆布と削り節でしっかり出汁をとり、濃い口醤油とみりんだけで味付けています。濃い色ですが、まろやかな味わいで、辛くはありません。

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各人用に適当に盛り合わせたこの皿も、大晦日でも元旦でもなく、二日のもの。防災用の保存食利用。

一日はお節でおなかがいっぱいになってしまい、そのお節は自分で作ったわけではなく、昨年と同じものなので、写真を撮るまでもありませんでした。

防災用の缶詰に、好みのものとか食べてみたいものを選ぶと、賞味期限を忘れませんし、こんなときに役立ちます。

オイルサーディンは、竹中缶詰「天の橋立 オイルサーディン」です。月桂樹の葉が臭みを抑えているのか、さっぱりした味わい。夫はきつい臭いのスモークオイルサーディンが好きですが、後が大変。天の橋立は缶にそれほど臭いがこびりついていないので、片付けも苦労しません。

ウズラの卵の下は、明治屋の「プレミアムほぐしコンビーフ(粗挽き胡椒味)」です。ごはんにのせてもいけます。

チーズは一度食べて娘共々虜になったチェスコ「ジェラール・クリーミーウォッシュ」。とろけるようにクリーミーです。

ゴールデンキーウイはアルミホイルに包んで野菜室に入れておくと、熟成が進みますが、相当持ちます。グリーンキーウイは固いものだと熟成しないまま腐ってしまいます。店員さんもそうおっしゃっていたので、わたしの偏見や保存法の問題ではないようです。ちょっと値段は張っても、すぐに食べない場合は、ゴールデンにしたほうが無難かな。

この皿の中で料理とかろうじていえるのは、キュウリのなますだけです。市販のすし酢に薄口しょうゆを少し、それに漬ければ立派ななます(手抜きだけれど、美味しい)。

餅は各自、焼いて貰いました。海苔も醤油もきな粉も砂糖もありますから。餅がくっつかないクックパーにのせてオーブントースターで5分~。簡単。

あっ、何年ぶりかにぜんざいを作りました。ぜんざい好きの夫に意地悪していたわけではないけれど、砂糖の量を考えると、目眩がして。尤も、夫は甘さ控えめのぜんざいが好きなんですけれどね。ぜんざいの鍋を完全に独り占めしていました。

屠蘇には、砂糖ではなく、夫が義母から貰ってきたハチミツを入れてみました。このハチミツ、知り合いから貰ったものだそうで、採取し立てだとか。何だか異様な臭いがします。娘が「マヌカハニーがこんな匂いがするよ」というので、勇気を出してなめてみると、何とも新鮮な味わいがしました。

冷たい清酒にはハチミツは溶けにくいですが、しばらくかき回していると、完全に溶けました。ほんのりと甘い屠蘇になりました。

クリスマスに羽目をはずして、喉が渇いていたということもあり、ワイングラスに2杯――昨年買ってみて美味しかった――スパークリング清酒を一気にあおったら、何としばらくして気分が悪くなり、トイレに駆け込むと戻してしまいました。妊娠したのかと思っちゃいましたよ(冗談です)。

完全にお酒がだめになったようです。神秘主義観点からは、それで何の問題もないと思いますが……。調味料として料理に入れるお酒は大丈夫なのにね。屠蘇も、用心してごく少し注いで貰いました。

そういえば、スプーン1杯が1匹のハチが生涯に集める蜜の量だそうですね。娘は朝、温めた牛乳にハチ一生分のハチミツを溶かして飲んでいます。夫はハチ一生分か二生分をパンにつけるのが好きです。

亡き母は謡、義母は仕舞を習っていました。何の心得もないのに、新作能を書こうなんて大それたことを思いついたのは、二人の影響がどこかにあったのかもしれません。

いずれにせよ、この世のかたであってこの世のかたでない萬子媛を描くには、その形式しかないと感じています。失敗しても仕方がないと思って、作品を進めています。これを書いたからどうなるというものでもないし……。

この思いに関連したワタクシ的な出来事として――ほのかな神秘体験とでも申しましょうか――萬子媛について書きたいことが出てきたのですが、それはいずれ別記事で。

長い、とりとめのない記事になりました。では、では。

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『祐徳院』らくがきメモ 8)ワキが後ジテに出逢う場面での美の表現の難しさ。二日に一句。

創作の計画立てし二日かな

新作能の執筆は初めてということで、自分を甘やかしてきたが、できれば年内に仕上げたいと考えている。昨日、そのための計画をざっと立てた。

ノート7では、田中軍医をモデルとしたワキが、萬子媛をモデルとしたシテ(前ジテ)に出逢う場面を書いた。

2021年12月16日 (木)
『祐徳院』らくがきメモ 7)田中軍医をモデルとしたワキが、萬子媛をモデルとしたシテ(前ジテ)に出逢う場面
https://elder.tea-nifty.com/blog/2021/12/post-b59f41.html

年末に考えていたのは、故郷の名を記した醤油樽に縋り付いているワキ(田中軍医をモデルとした人物)に萬子媛が出現する場面だった。

これに先立つ出来事として、ワキが前ジテに船中で出逢う(ワキの乗る江尻丸という貨物船は魚雷にやられて爆発する運命にある)。そのときの萬子媛は生前の老尼僧の姿で、気高くは見えても普通の人としての姿である。

それに対して、後ジテとしてワキに出現する萬子媛は女神としての神々しく若々しい姿だ。かといって、それは人を脅かす異形の姿ではない。

ここをどう表現するかで迷っているうちに年末年始の慌ただしさにどっぷり漬かってしまい、中断してしまっていた。

生死の海に漂ひて、残り少しと身を思ふ際[きは]に、あら、きらきらしき女性[にょしゃう]一人[いちにん]さしぐみに現れ給ふは、如何なる御方にてましますぞ。

芹生公男『現代語から古語を引く辞典』(三省堂、2018)には、「美しい」を意味する古語には沢山あるのだが、これはどうだろうと古語辞典を引いてみると、わたしのイメージとはずれがあったり、現代語とのイメージ的乖離があったりで、選択に迷う。

「きらきらし」には、

  1. きらきらと輝いている。
  2. 端正である。(容姿が)整って美しい。
  3. 堂々として威厳がある。
  4. きわだっている。

といった意味がある(宮腰賢・石井正巳・小田勝『全訳古語辞典』旺文社、第五版小型版2018)。

後ジテの萬子媛は文字通り、きらきらと輝き、美しく、堂々として威厳があり、際立っておられるのだからこの古語でいい気もするが……まだ迷っている。

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2022年1月 1日 (土)

謹賀新年 令和4年元旦

謹賀新年

新しい年があなた様にとりまして
幸多き年となりますよう心よりお祈り申し上げます
本年もよろしくお願いいたします

 令和4年元旦

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Here and now, unfortunately, ends my journey on PixabayによるPixabayからの画像

 

いつもの特等席(非常階段の踊り場)で初日の出を待っていたら、下の階からご老人が上がってこられ、一緒に待ちました。

長年ここで初日の出を待ちますが、こんなことは初めてでした。

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当地の日の出時刻は7時17分になっていましたが、それより少し遅れた頃に初々しい太陽の姿が見えてきました。

思わず歓声を上げて、ご老人もわたしも御来光を拝みました。

見ていると、昨年同様、鴉が太陽を横切りました。八咫烏に見えてしまいます。

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太陽の上のほうにある黒い雲が邪魔に思えたので、下に行ってみましたが、うーん、これではお天気具合が心配。

Gantan202211_c

再び、特等席へ。どうやら、太陽の光は黒雲を制したようで、晴れそうです。

Gantan_202211_d

これは午前10頃。青空が広がり、よいお日和となりました。

モザイクのかけかた、ちょっとまずいかな。

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