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2021年2月 8日 (月)

高校の統合で校歌が70年前のものに戻っていたので、作詞者と作曲者について調べてみました(夕方、数箇所の訂正あり)

望郷の念に駆られたワタクシ的記事です。同じ思いを共有できるかたが閲覧してくださるかもしれないので。

まだ構想段階といってよい、萬子媛をシテのモデルとした新作能のことを考えながら、祐徳稲荷神社の新しいドローン動画がアップされていないだろうかと思ってYouTubeを見ていると、次の動画が出てきてびっくりしました。

佐賀県立鹿島高校と同鹿島実業高校が統合され、新「鹿島高校」の新校歌は格調高く、それもその筈、作詞はあの下村湖人です。
2018/07/26
榊次郎チャンネル
https://youtu.be/3mVpzi00kn8

※動画の一番の歌詞に誤字があるようです。「光るよ心理光るよ光るよ 久遠の心理」は「光るよ真理光るよ光るよ 久遠の真理」。(『校歌・校章』「佐賀県立鹿島高等学校」https://www.education.saga.jp/hp/kashimakoukou-n/?content=%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%81%ae%e7%8f%be%e7%8a%b6)

統合ですって? 全く知りませんでした。同窓会会報をちゃんと見ていなかったのでしょうね。

ウィキペディア「佐賀県立鹿島高等学校」

概要
歴史
1896年(明治29年)設立の佐賀県尋常中学校鹿島分校(旧制、後の第二中学校、鹿島中学校)を前身とし、2006年(平成18年)に創立110周年を迎えた。2018年(平成30年)に佐賀県立鹿島実業高等学校と統合し、新たに開校した。

校地
旧鹿島鍋島藩の鹿島城跡で、その城門(赤門)は現在も校門として使用されている。旭ヶ丘公園に隣接する。統合後は上記の校舎を赤門学舎、隣接する鹿島実業校舎を大手門学舎の2校舎制とする。

校歌
1955年(昭和30年)に鹿島実業が分離する前に使われた校歌が使われている。作詞が下村湖人、作曲は名倉晰。

ウィキペディアの執筆者. “佐賀県立鹿島高等学校”. ウィキペディア日本語版. 2020-12-26. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BD%90%E8%B3%80%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1&oldid=81031137, (参照 2021-02-07).

城跡が高校として使用されていますが、鹿島城は移転してきたものであったため、萬子媛がここにあった城にお住まいになったことはありません。

下村湖人は『次郎物語』で知られる小説家です。わたしは以前は詩、詩の才能がないことを自覚してからは主に小説の創作を続けてきたので、歌詞にもその方面からの興味が湧きます。下村湖人についてもウィキを見てみましょう。

ウィキペディア「下村湖人」

下村 湖人(しもむら こじん、1884年(明治17年)10月3日 - 1955年(昭和30年)4月20日)は、日本の小説家・社会教育家。本名は下村 虎六郎(しもむら ころくろう)、旧姓は内田(うちだ)。

佐賀県神埼郡千歳村大字崎村(現神埼市千代田町崎村)出身。東京帝国大学英文科卒。大学卒業後に母校佐賀中学校教師や鹿島中学校校長等を歴任。教職辞任後は、同郷で高校・大学同窓の田澤義鋪に従い、講演や文筆活動で社会教育に尽力。青少年に影響を与えた『次郎物語』の著者として知られる。

ウィキペディアの執筆者. “下村湖人”. ウィキペディア日本語版. 2020-10-18. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%8B%E6%9D%91%E6%B9%96%E4%BA%BA&oldid=80035114, (参照 2021-02-07).

湖人は神埼出身ではありませんか。父の実家が神埼なので、あの辺り……とぴんと来ます。また、「鹿島中学高校長等を歴任」とあります。学校教育法が施行された1947年、湖人は63歳ですから、鹿島中学校というのは旧姓中学校、すなわち新制施行後の鹿島高校でしょう。下村湖人がわたしの母校の校長先生をしていたなんて、知りませんでした。

湖人が作詞した「鹿島高校」の校歌は、最近作られたといわれても不思議ではないほど、現代にもマッチする、瑞々しさのある作品ですね。作曲は名倉晰。以下の曲を作った人です。何て格調高いクラシック作品!

タランテルラ舞曲 名倉晰 Tarantella Akira Nagura
2020/08/05
Piano Times
https://youtu.be/8ePitrf3Ab4

一方のわたしが馴染んだ鹿島高校の校歌も、すばらしい作品です。これが歌われなくなると思うと、残念な気がします。文学賞に落ちるたび、この校歌を歌って、気持ちを奮い立たせたものです。「プロになれようとなれまいと、文学的な妥協は一切しないぞ。変人と思われようと何といわれようと、真理を探究し続けるぞ」という気持ちにさせてくれる歌なのです。

清廉な気の漂う作品で、求道性、物語性を感じさせます。自然の神秘に思いを馳せさせてくれます。端正で古風な感じのするところが伝統を感じさせて、またいい。

佐賀県鹿島市にある佐賀県立鹿島高等学校 校歌(歌詞付)
2013/10/30
nanaura7days
https://youtu.be/OazmQPrtZCQ

作詞: 川上清吉  作曲: 滝本泰三

旭ヶ丘に立つ門の
丹塗ゆかしき学び舎よ
映ゆる桜は年ごとに
歴史の土に帰すれども
我は希望の眉あげて
久遠の愛に生きゆかむ

山姿いつけき多良ヶ嶺に
秘めし大地の情熱よ
誠はうすれ意気は涸れ
濁世は嵐すさぶとも
我が足どりに乱れなく
不滅の道を歩みなむ

不知火走る有明の
海のつつめる奇しさよ
大き自然を前にして
知恵の燈しはともしくも
学徒我等の若さもて
無限の真理さぐりなむ

作詞は川上清吉。ウィキには出ていません。島根県浜田市公式Webサイト「浜田の人物誌」に次のように紹介されています。(https://www.city.hamada.shimane.jp/www/contents/1001000002496/index.html)

川上清吉(かわかみせいきち)

  • 出身地……新町
  • 生没年……明治29年~昭和34年(1896~1959)
  • 功績……独学で高等教員の資格を取得し、浜田高校の校長などを経て、島根大学教授となる。教壇を去った後、親鸞を研究。浜田市民歌作詞。

   参考書籍 

  • 浜田市,『浜田市誌 下巻』,昭和48年12月25日,p.149.
  • 浜田市教育委員会,『浜田の人物ものがたり 第一集』,平成7年4月1日,pp.48-55.

さらにググると、「―念仏者 川上清吉―」という文章が出てきました。

島根県に川上清吉(1896~1959)という念仏者がいました。佐賀師範学校教授、浜田第一高校校長、島根大学教授を務めた方です。

西原祐治. “―念仏者 川上清吉―”. 西方寺・西原祐治のホームページ. http://www.jade.dti.ne.jp/~otera/siekitigennkou.htm, (参照 2021-02-08).

次のような文章も出てきました。「第461回 念仏の人 川上清吉さん」

島根県出身で、戦前戦後、混乱の時代に佐賀の鹿島中学や
佐賀師範学校で教鞭を執られていた、念仏者の川上清吉と
言う方がおられました。

学校の中だけではなく、お寺の法座でもお話をいただき、
このご縁でお念仏に導かれた方が多かったようです。

妙念寺住職 藤本誠. “第461回 念仏の人 川上清吉さん”. 妙念寺PCホーム. http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub9461nennbutunohito.htm, (参照 2021-02-08).

鹿島に縁がおありで、そして、やはり普通の人の歌詞ではなかった……求道者がお書きになった歌詞だったんだと思い、胸が熱くなりました。

作曲は滝本泰三。現役でご活躍でした!

滝本泰三先生 95歳で慰問コンサート!
2020/07/07
ukishimakan
https://youtu.be/a0ziZRc-PN0

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