本家の歴史の終焉 その壱
6日ほども前の話になりますが、台風10号は大したことなかったとはいえ、当市に引っ越してきて15年、養生テープを買っておけばよかったと思ったのは初めてでした。
推定瞬間最大風速70mというニュースに驚かされながらも、マンションだし、大丈夫だろうと高を括っていました。ところが、実際には瞬間最大風速40mくらいだったにも拘わらず、ビルの頭が揺れて(地震のときみたいに)ドアがガタガタ音を立てるではありませんか。
鋭い風の唸り声に、恐怖の台風体験を思い出しました。物干し竿、布団干し、ゴミ容器、動かせる観葉植物は室内に取り込んでいたので、窓ガラスが割れないか、それだけが心配でした。養生テープがあればと思いました。
翌日、夫にホームセンターに行って貰ったところ、売り切れでした。まだ購入していませんが、備えておかなくてはと思っています。
その後、ブラヴァツキー夫人を批判した大田氏の論文に関する記事の続きを書くつもりで、南部陽一郎『クォーク』(講談社)の1981年初版と1998年第2版を図書館から借りました。39年前、何をわかったつもりであんなに興奮したのだろうと思いましたが、借りてよかったと思いました。続きは別記事で。
ブログの更新に時間がかかったのは、父方の本家の義理の伯母が亡くなったからでした。といっても、病院勤務の娘がコロナ対策のための越県自粛中で、家族であるわたしも自粛しないわけにはいかないと考え、葬儀には出席しませんでした。
実は5月下旬に伯父が亡くなったばかりでした。このときも、わたしは同じ理由で出席しませんでした。
コロナは風邪みたいなものだから自粛不要、という考え方も最近では出てきていますね。でも、娘の勤務する病院にコロナ疑いの人が毎日のように、ときには複数名やってきて検査を受け、入院したりもしている現実を知ると、クラスターの原因にはなりたくないなあと思ってしまいます。
こちらから持って行く可能性も、なきにしもあらずですし。
祖父母のときには出席したのに、長年本家の家長で、親戚中から慕われた伯父の葬儀にも、その妻である伯母の葬儀にも出席できなかった心苦しさがあります。
戦後も父方に残っていた家制度の名残が、これで尽きてしまったと感じました。大きな喪失感です。
弔電を打とうと、NTT西日本のホームページを見ると――伯父のときは電話帳を見て申し込んだので気づきませんでしたが――、電報台紙にお線香を添えたものの中に「白檀、白梅、ラベンダーの香り」という3種のお線香というのがあって、アロマテラピーみたい……と思いました。
跡継ぎの従兄はわたしより五つ年齢が上で、彼の父親に勝るとも劣らない人格者です。伯父も伯母も安心して彼の世へ旅立ったことと思いますが(神秘主義者としての経験からいえば、伯母に関してはまだ亡くなって3日目なので、透明な身体で別れの挨拶にあちこち回っている頃かもしれません)、3人いる子供達は皆家を離れており、跡継ぎになる子はいないとか。
3世帯同居であんなに大勢いて、盆正月に伺うと、親戚一同揃い、ずらっと並んだお膳が印象的でした。
伯母夫婦には苦労も多かったでしょう。
今日電話をくれた従兄が「この家に家内と2人になってしまったよ」と言ったとき、涙を抑えきれませんでした。
といっても、市役所を退職した従兄はなかなか忙しそうです。地区の仕事を複数引き受け、田圃の世話もあり(60頭飼っていた牛は今はいないそうで、田圃も縮小しているのかもしれません)、6人いる孫達の相手にもよく出かけるので、多忙な毎日だそうです。
「書いてるの?」と従兄。親戚にも友人知人にも、そう訊いてくれる人は少ないのです。
「賞狙いはやめましたよ。わたしも真っ当な人生を送るべきだったかなあ」といいましたが、文学と神智学に没頭したことで後悔したことは一度もありません。
「昔、Nちゃんちに遊びに行ったときに、お昼によく出して貰ったちゃんぽんの味が忘れられなくてさ」と従兄。「三宝軒のちゃんぽんね。わたしも食べたい。ずっと食べてないもの」とわたし。
「あのころ学生だったのに、いつの間にか立派なおじいちゃんになってしまって」というと、従兄はシーンとなりました。
亡くなった伯父夫婦は琴瑟相和の仲でした。伯父は謹厳実直でありながら柔和、伯母は面白くて情熱的な感じの人でした。
伯母は伯父の四十九日の翌日に脳梗塞で倒れ、百か日の日に亡くなりました。叔母さん、天晴れな最期でしたね。天国でお幸せに……伯父さんによろしく。
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