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2020年9月の5件の記事

2020年9月15日 (火)

「原子の無限の分割性」とブラヴァツキー夫人は言う

当記事は個人的な考えから執筆するものであることをお断りしておきます。

以下の一連の記事の続きです。

2020年8月 5日 (水)
大田俊寛『『現代オカルトの根源』、レイチェル・ストーム『 ニューエイジの歴史と現在 』を読書中。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/08/post-f6fae9.html

2020年8月 7日 (金)
国際的な医学雑誌「ランセット」からの引用が、1889年出版のブラヴァツキー著『神智学の鍵』に登場していた!
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/08/post-232b98.html

2020年8月 8日 (土)
レイチェル・ストーム『ニューエイジの歴史と現在』で紹介された、ブラヴァツキー夫人に対する非難の無邪気すぎる内容
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/08/post-4d7bf9.html

2020年8月20日 (木)
大田俊寛氏はオウム真理教の御用作家なのか?
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/08/post-9fcec2.html

2020年8月28日 (金)
大田俊寛『オウム真理教の精神史』から抜け落ちている日本人の宗教観
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/08/post-54f9d7.html

2020年9月 5日 (土)
ブラヴァツキー夫人の伝記にある引用に関する昨日の続き。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/09/post-fb5a34.html

2020年9月 4日 (金)
ブラヴァツキー夫人の伝記にあった引用文を探して。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/09/post-c442c9.html

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

素粒子物理学によると、物質を構成する最小の単位(基本粒子)は素粒子と呼ばれ、クォークは素粒子のグループの一つである。

わたしは科学音痴であるにも拘わらず、23歳のとき、以下の本を書店で見つけ、購入した。クォークが物質の最小単位と騒がれていたころだった。以下はAmazonの書籍情報から。

クォーク―素粒子物理の最前線 (ブルーバックス (B‐480)) 新書
南部 陽一郎 (著)
出版社 : 講談社 (1981/11/1)

われわれは物質の究極にたどりついたか?
陽子や中間子はもはや素粒子ではない。その代りに登場したのが「クォーク」だ。しかし、クォークを求め、これを支配する法則を探り、揺るぎない物質の根源を究めようとした努力の果てに、何とすべての物質が崩壊するという驚くべき可能性がほの見えてきたのである。本書は、素粒子物理学が過去50年間にどう発展し、現在何がわかっているかを、物理学者がどんな考え方をたどっていまの位置に到達したのか説明しながら、具体的かつ系統的に解説する。

本を見つけて興奮したが、それは読んだばかりのハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981)の中で、素粒子物理学の瑞々しい発見に横槍を入れるようなことが書かれていたからだった。

 1891年に「電子」という言葉がはじめて使われました。偉大なロシア人、バトラーロフのような数少ない科学者達は何か固い、目に見えないものという、昔からの原子の概念を疑いはじめていました。しかし、彼等はこれは物質の存在そのものを疑うのと同じであると自認していました。
 科学が原子は分割できるということを確認した時より3年前に、ブラヴァツキー夫人はシークレット・ドクトリンに次のように書きました。「原子は弾力があり、分割することが出来るものなので、分子即ち亜原子で構成されていなければならぬ……オカルティズムの全科学は物質の幻影的性質と原子の無限の分割性との理論の上に築かれている。この理論は、実質について無限の視界を開く。実質はあらゆる微妙さの状態にあり、その魂の神聖な息によって生気を吹き込まれるものである」
 しかし、一般に、人々はこのようなオカルトの真理と世界の形勢と運命とを変える科学的傾向には殆ど関心がありませんでした。(マーフェット,田中訳,1981,p.405)

9月5日の記事でも書いたように、マーフェットはこの文章で、『シークレット・ドクトリン』の「Vol. 1, Page 519」から「Vol. 1, Page 520」にかけて引用を行っている。

H. P. Blavatsky. “The Secret Doctrine: A Synthesis of Science, Religion, and Philosophy.”,Vol.1,pp.519-520. The Theosophical Society International Headquarters – Pasadena, California. https://www.theosociety.org/pasadena/sd/sd1-3-06.htm, (accessed 2020-09-05).

「原子の無限の分割性」とブラヴァツキー夫人はいう。つまり、クォークは物質の最小単位ではないとブラヴァツキー夫人は述べているのだ。

そのほのめかしは現代の素粒子物理学からも感じとれるが、科学を物質の領域に限定すれば、2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部博士の「クォークを求め、これを支配する法則を探り、揺るぎない物質の根源を究めようとした努力の果てに、何とすべての物質が崩壊するという驚くべき可能性がほの見えてきた」というような心配も起きるのだろう。尤も崩壊するのは物質ではなく、近代科学が築いた壁なのだろうが……。

ブラヴァツキー夫人の亡くなったのが和暦でいえば明治24年(1891)、生まれたのは江戸時代であったことを思い出しておこう。ブラヴァツキー夫人の時代に使われていた科学用語や哲学用語を使って、当時の科学者どころか現代の科学者さえ未だ探究していない物理化学現象を説明しようとするとき、夫人は神話の言葉や錬金術用語まで使わざるをえなかった。そうしたものには、神聖なオカルト科学のエッセンスが存在したからである。

1981年に上梓された前掲書『クォーク』の中で南部博士が「素粒子物理学の50年の歴史」とお書きになっているから、ブラヴァツキー夫人の時代には素粒子物理学という分野は存在しなかったのだろう(その程度のこともわからない人間が当記事を書いているのだとお含みおきいただきたい。息子が読んだら失笑ものだと思う。喧嘩さえしていなければ、優しくて面倒見のよい、生き字引のような息子にちょっと読んで貰えるのだけれど)。

素粒子(elememtary particle)という用語も、『シークレット・ドクトリン』のインデックスでは見つけられなかった。elememt、elememtal、elememtary というという言葉は頻出するのだが。

ブラヴァツキー夫人は、前掲の引用の続きに当たるようなことを、『シークレット・ドクトリン』の議事録で述べている。

本当の原子は物質界には存在しません。定義によると、点は位置はあるが、オカルティズムではこれは普通の意味の場所と受けとってはいけません。本当の原子は空間と時間を超えます。……(略)……原子は物体あるいはむしろ分子の第七本質にたとえることができ、オカルティストにとっては、実際に、その第七本質です。物理学または化学的分子は無数のより精妙な分子から成っており、これらは数えきれない、更に精妙な分子から成っています。例えば、鉄の一分子を分子でなくなるように分解してみなさい。すると分子は間もなく、その七本質の一つとなり、即ちそのアストラル体となります。七本質の第七番目のものは原子です。分解前の鉄の分子と分解後のそれとの関係は、死ぬ前の肉体と死後の肉体との関係と同じようなものです。体はなくなりましたが、諸本質は残ります。もちろん、これはオカルト的なアルケミーであって、近代化学ではありません。
(H・P・ブラヴァツキー、田中恵美子&ジェフ・クラーク訳『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、議事録pp.694-696)

このことは、「人間を含めて宇宙のあらゆる生命、また宇宙そのものも『七本質』という七つの要素からなっている」(H・P・ブラヴァツキー、田中恵美子&ジェフ・クラーク訳『実践的オカルティズム』神智学協会ニッポン・ロッジ、1995、用語解説p.23)という神智学の教えを理解しなければ、意味不明なものとなるしかない。

ところで、南部博士の『クォーク―素粒子物理の最前線』は第2版が1998年に上梓されている。 以下はAmazonの書籍情報から。

クォーク 第2版 (ブルーバックス)
南部陽一郎 (著)
出版社 : 講談社 (1998/2/20)

すべての物質は何か共通の基本的な材料からできているのではないか?この考え方から出発して、物質の究極的構造を求め、それを支配する基本法則を探る素粒子物理学。それがどのように発展し、どこまで来たかをトップ・クォークの発見を踏まえて見渡し、解説する。

ブラヴァツキー夫人の『シークレット・ドクトリン』には、「すべての物質は何か共通の基本的な材料からできているのではないか? 」という問いへの回答もある。

無限で不老不死の唯一の宇宙元素だけが存在し、その他のものすべて、即ち大宇宙的結果から小宇宙的結果に至るまで、又超人から人間や人間より下の存在に至るまで、簡単に言えば、客観的存在のすべてはその唯一のものが多種多様に分化した諸面であり、今は相関関係(correlation)といわれている変形であることをもし学徒が覚えているならば、最初の主な難点はなくなり、オカルト宇宙論に熟達することができるだろう。
(H・P・ブラヴァツキー、田中恵美子&ジェフ・クラーク訳『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、p.293)

宇宙中の各原子には自己意識が可能性として潜在しており各原子はライプニッツの単子[モナド]のように、それ自体の宇宙であり、また自らのための宇宙でもある。それは原子であり、天使である(同書,p.335)

星から鉱物原子に至るまで、最高のディヤーニ・チョーハンから最小の滴虫類に至るまで、完全な意味で、大自然の複合物の各構成物の究極的エッセンスが根本的に統一していることはオカルト科学の唯一の基本である。それが霊的世界または知的界、物質界のいずれに当てはめても違いはない。“ 神は果てしない無限の広がりである”とオカルト諺は言う。(同書,p.352)

ブラヴァツキー夫人は、シークレット・ドクトリンは古代の智惠を集めたものだという。

これは人類の揺籃期を見守って来た高位の存在の教えが一つの初期の人種から別の人種に口頭で語り伝えられた伝統をテストし、真実であることを実証させられた幾千代もの賢者達のそれぞれの経験を網羅している途切れることのない記録である。第五根本人種即ち最後の大洪水と大陸の変動から救われた人種の“ 賢者達”はそれを教えることなく、長いこと学びながらその生涯を過ごして来た。どのようにして彼等は学んで来たのだろうか? 自然のあらゆる分野の中で昔の伝統を偉大なアデプト達の独自のヴィジョンによって照合し、試し、確証することを通してである。偉大なアデプト達は肉体的、知的、サイキック的、霊的な諸器官を最高度に発達させ、完成させた方々である。一人のアデプトのヴィジョンは独自の得られたヴィジョンと何世紀もの経験によって照合され、確証されるまで受け入れられることはなかった。
(H・P・ブラヴァツキー、田中恵美子&ジェフ・クラーク訳『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、pp.545-546)

この文章は、ブラヴァツキー夫人の宇宙発生論(Cosmogenesis)及び人類発生論(Anthropogenesis)、即ち『シークレット・ドクトリン』全体を読んだときに(読めたときに初めて)、深い感動と共に読者を包み込むに違いない。

ちなみに、前掲書『クォーク―素粒子物理の最前線』によると、「クォークという『おかしな名前』」(p.21)は、クォーク仮説の提唱者の一人であるゲルマンがつけたものだそうだ。

ジェイムズ・ジョイスの小説フィネガンズ・ウェイク(Finegans Wake)の中の一句から取ったと、ゲルマンは断っている。いずれにしても、これらの名前は著者のウィットを示すもので、意味をせんさくする必要はない。クォークという名が一般に通用しているのは、言葉の神秘的な響きと命名者の権威によるものであろう。(南部,1981,p.124)

昔、この本を読んだときはジョイスの小説は未読だったので、何とも思わなかったに違いない。今はそうでもない。正直にいえば、はらわたが煮えくり返るような気持ちである。勿論、クォーク仮説の提唱者の一人であるゲルマンに対してではなく、ジェイムズ・ジョイスに対してである。なぜそういう気持ちになったのかは、拙「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下のエッセーをお読みいただければ、わかっていただけるのではないかと思う。

96 ジェイムズ・ジョイス (1)『ユリシーズ』に描かれた、ブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名

97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点

ブラヴァツキー夫人はジョイスの悪ふざけの対象となり、また、日本の数名の学者達によってオウム真理教事件と執拗に関係づけられてきた。

その学者の一人である大田俊寛氏は、過去記事で書いたように、ブラヴァツキー夫人の代表的著作『シークレット・ドクトリン』を、『現代オカルトの根源――霊性進化論』(筑摩書房、2013)や『オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義・原理主義』(春秋社、2011)で採り上げ、内容とはかけ離れた紹介の仕方をしている。

まともに両書を読み比べてみると、大田氏の著作に書かれたブラヴァツキー夫人に関する部分が如何に噴飯物であるかがわかるだろう。

この記事は書きかけです。

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2020年9月13日 (日)

本家の歴史の終焉  その弐

前記事に書いた義理の伯母(伯父の奥さん)の話の続きになりますが、QRコードをスマートフォンで読み込んで追悼動画を閲覧できます――と会葬礼状にありました。

伯父のときには会葬礼状にそのようなことは書かれていなかったので、妹と「最新のオプションかな、凄いね」と感心しました。

実は、伯母のお通夜は、台風のため、ドライアイスで持たせて遅らせたそうです。

会葬礼状には「母が倒れたのは父の四十九日り法要の翌日でした。そして百箇日の日に父のもとに旅立ちました」とあり、「向かう先でも仲睦まじく過ごすのだと思えば心が少しは軽くなります」ともありました。

わたしはガラケーを使っているので、娘のスマホで閲覧しました。スマホで見るにはパソコンに慣れたわたしには、画面が小さい。

追悼動画をパソコンで閲覧できないだろうかと思い、ガラケーで読み込んだURLをパソコンにメールで送り、アクセスしたら閲覧できました。動画を閲覧できるのは1ヶ月間とありますが、右クリックで「画像の保存」が出てきます。パソコンにダウンロードすることも可能でした。

追悼動画を閲覧して伯母の人生を鳥瞰させて貰った気がしました。

伯母が9人きょうだいの長女だったとは知りませんでした。

都会的で綺麗な姿の女の人達4人と伯母とで写ってる写真がありました。姉妹の集合写真でしょう。

本家は、戦前は地主だったのではないかと思っています。確認したことはありませんが、母方の祖母の実家が大庄屋だったことはわかっており、その祖母の幼馴染みがよく父方の本家に出入りしていて、彼女がわたしの両親の婚姻を――泣き落としで――半ば強引に成立させたことから、似た家柄だったのではないかと……。

母方の祖母の実家と父方の本家は似たような家柄で、父方の本家に嫁いできた伯母の実家も似たような家柄だったのではないでしょうか。お嬢さん育ちだったのではないかと思えます。

地味ななりをし、額に汗して働いている伯母の姿ばかりが記憶にありますが、子供のころからわたしは伯母に心惹かれるものを感じていました。失礼な表現かもしれませんが、わたしの目には襤を纏ったシンデレラのように見えたのでした。

農家の人達は上品な人達……というイメージがわたしにはありました。本家の人達がそうだったからです。言葉は方言ですし、立ち振る舞いが見事だというわけでもないのに、なぜそのように感じたのでしょう?

清い品性が感じられたから……としか言いようがありません。

そのうち、農家の人だから上品な人とはいえない、わたしと同じように普通なのが一般的なのだ(?)と次第にわかったことから、父方の本家の戦前は、戦後とは暮らしぶりが違ったんじゃないかなと思うようになったのでした。

占領軍による農地改革などで、暮らしぶりは違ってしまっても、精神的な支柱は守り続けたのが本家の人々だったのではないかと推測しています。

別に、戦前の格差社会を礼賛するつもりで、このようなことを書いているわけではありません。事実と感じられることをそのまま書いているだけです。

戦前の格差社会においても色々な人がいたでしょう。ただ、格差社会といっても、求められる精神のありかたが違っていたことは確かです。持てる者には徳が求められた――そのような社会だったのではないでしょうか。

姉妹の集合写真では、伯母もめかし込んでいますが、苦労の色が濃く出ています。それは化粧では隠せません。妹達とは年齢差もありそうです。

農家の本家に嫁に来て、どんなに苦労したことでしょう。でも、表情が一番陰翳に富み、画家の欲望をそそりそうな素晴らしい顔です。伯母の笑顔の美しさといったらありません。

伯母は1928年生まれで、和暦だと昭和3年の生まれになります。終戦は1945年(昭和20年)ですから、そのとき伯母は17歳。長男の出産は25歳です。

結婚がいつだったかは知りませんが、長男出産の前年が結婚した年だと仮定すると、24歳での結婚。当時としては遅いほうではないでしょうか。

終戦後のゴタゴタで、結婚どころではなかったのかもしれません。そして、戦前からの縁で嫁いだ家は、すっかり貧乏な農家になっていた……

妹達とは年齢差がありそうですから、日本社会がもう少し落ち着いて、都会も活気を取り戻したころから苦労せずに済みそうな家と縁談が次々に調い、都会へ嫁いでいった……といったところではなかったでしょうか。わたしの憶測にすぎませんけれど。

お嬢さん育ちの嫁であっても、陰湿な嫁いびりを受け続ければ、意地悪になるか、病気になるか、離婚に至るかでしょう。

伯母は清い品性を保ち続けて、「多忙な中にも時間を作り、大正琴やお花を嗜んで心豊かに過ごしていた」と会葬礼状にもあります。

それからすると、陰湿な嫁いびりはなかったと思われます。3世代同居でしたから、様々な揉め事がなかったはずはありませんが。

わたしは婚家に同居していたわけでもないのに、嫁いびりで心臓がやられました。肉体の心臓を盾として、その奥に在す大切なものを防御したともいえます。

祖母は、曽祖父(祖母にとっては舅)がいたから嫁いできた、宗教上の師と思い嫁いできた、と話してくれたことがありました。

曽祖父が宗教家だったという話は聞いたことがありません。祖母は、舅の宗教的造詣の深さや、その教えを日々の暮らしで実践している人としてのよほどの尊敬があったのでしょう。

亡くなったわたしの母も、曽祖父を「素晴らしい人だった……」と褒めていました。どう素晴らしかったのか、具体的に聞いておけばよかったと後悔しています。

いずれにせよ、曽祖父の高潔な宗教観が家全体を包み込んでいて、陰湿ないじめなどは許さない雰囲気があったのでしょう。

伯母は貧乏な農家に嫁いできて苦労したでしょうが、何かしら精神的な恩恵には浴したのかもしれません。

重態に陥った母が回復したあとで(手記「枕許からのレポート」参照)、わたしが本家の仏壇に手を合わたとき、まるでそれに応えるかのように、えもいわれぬ高貴な菫色の光が見えました。

彼の世から本家を見守る曽祖父が贈ってくれた光だったのかもしれません。

「農閑期には日雇いの仕事出て家族のためにと頑張った働き者、40を過ぎてはじめた肉用牛の肥育にも力を注ぎました」と会葬礼状にあります。

手塩にかけた牛を出荷するとき、伯母は泣いていました。

政府の減反政策が影響して牛を飼うようになったように記憶しています。清廉な本家には肉用牛の肥育は家風に合っていませんでした。

しかし、今度は日米牛肉・オレンジ自由化問題が発生します。1971年です。その後の幾度かの輸入枠拡大を経て1988年6月、牛肉・オレンジ自由化交渉は合意に達しました。

そして、現在の問題の一つとして、日本の国土のあちこちが中共に買い漁られています。国は放置状態。先人が心血注いで守ってきた土地ですよ。政府の無策ぶりに怒りが湧きます。

すっかり老いた伯母が畑に出ている写真は、感動的です。草取りの最中なのでしょう、地面に這いつくばったまま、カメラに顔を上げています。

田畑が生き甲斐になっていた様子が窺え、まるで大地と一体化した人みたいに見えます。

この写真に、感極まりました(/_;)

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2020年9月11日 (金)

本家の歴史の終焉  その壱

6日ほども前の話になりますが、台風10号は大したことなかったとはいえ、当市に引っ越してきて15年、養生テープを買っておけばよかったと思ったのは初めてでした。

推定瞬間最大風速70mというニュースに驚かされながらも、マンションだし、大丈夫だろうと高を括っていました。ところが、実際には瞬間最大風速40mくらいだったにも拘わらず、ビルの頭が揺れて(地震のときみたいに)ドアがガタガタ音を立てるではありませんか。

鋭い風の唸り声に、恐怖の台風体験を思い出しました。物干し竿、布団干し、ゴミ容器、動かせる観葉植物は室内に取り込んでいたので、窓ガラスが割れないか、それだけが心配でした。養生テープがあればと思いました。

翌日、夫にホームセンターに行って貰ったところ、売り切れでした。まだ購入していませんが、備えておかなくてはと思っています。

その後、ブラヴァツキー夫人を批判した大田氏の論文に関する記事の続きを書くつもりで、南部陽一郎『クォーク』(講談社)の1981年初版と1998年第2版を図書館から借りました。39年前、何をわかったつもりであんなに興奮したのだろうと思いましたが、借りてよかったと思いました。続きは別記事で。

ブログの更新に時間がかかったのは、父方の本家の義理の伯母が亡くなったからでした。といっても、病院勤務の娘がコロナ対策のための越県自粛中で、家族であるわたしも自粛しないわけにはいかないと考え、葬儀には出席しませんでした。

実は5月下旬に伯父が亡くなったばかりでした。このときも、わたしは同じ理由で出席しませんでした。

コロナは風邪みたいなものだから自粛不要、という考え方も最近では出てきていますね。でも、娘の勤務する病院にコロナ疑いの人が毎日のように、ときには複数名やってきて検査を受け、入院したりもしている現実を知ると、クラスターの原因にはなりたくないなあと思ってしまいます。

こちらから持って行く可能性も、なきにしもあらずですし。

祖父母のときには出席したのに、長年本家の家長で、親戚中から慕われた伯父の葬儀にも、その妻である伯母の葬儀にも出席できなかった心苦しさがあります。

戦後も父方に残っていた家制度の名残が、これで尽きてしまったと感じました。大きな喪失感です。

弔電を打とうと、NTT西日本のホームページを見ると――伯父のときは電話帳を見て申し込んだので気づきませんでしたが――、電報台紙にお線香を添えたものの中に「白檀、白梅、ラベンダーの香り」という3種のお線香というのがあって、アロマテラピーみたい……と思いました。

跡継ぎの従兄はわたしより五つ年齢が上で、彼の父親に勝るとも劣らない人格者です。伯父も伯母も安心して彼の世へ旅立ったことと思いますが(神秘主義者としての経験からいえば、伯母に関してはまだ亡くなって3日目なので、透明な身体で別れの挨拶にあちこち回っている頃かもしれません)、3人いる子供達は皆家を離れており、跡継ぎになる子はいないとか。

3世帯同居であんなに大勢いて、盆正月に伺うと、親戚一同揃い、ずらっと並んだお膳が印象的でした。

伯母夫婦には苦労も多かったでしょう。

今日電話をくれた従兄が「この家に家内と2人になってしまったよ」と言ったとき、涙を抑えきれませんでした。

といっても、市役所を退職した従兄はなかなか忙しそうです。地区の仕事を複数引き受け、田圃の世話もあり(60頭飼っていた牛は今はいないそうで、田圃も縮小しているのかもしれません)、6人いる孫達の相手にもよく出かけるので、多忙な毎日だそうです。

「書いてるの?」と従兄。親戚にも友人知人にも、そう訊いてくれる人は少ないのです。

「賞狙いはやめましたよ。わたしも真っ当な人生を送るべきだったかなあ」といいましたが、文学と神智学に没頭したことで後悔したことは一度もありません。

「昔、Nちゃんちに遊びに行ったときに、お昼によく出して貰ったちゃんぽんの味が忘れられなくてさ」と従兄。「三宝軒のちゃんぽんね。わたしも食べたい。ずっと食べてないもの」とわたし。

「あのころ学生だったのに、いつの間にか立派なおじいちゃんになってしまって」というと、従兄はシーンとなりました。

亡くなった伯父夫婦は琴瑟相和の仲でした。伯父は謹厳実直でありながら柔和、伯母は面白くて情熱的な感じの人でした。

伯母は伯父の四十九日の翌日に脳梗塞で倒れ、百か日の日に亡くなりました。叔母さん、天晴れな最期でしたね。天国でお幸せに……伯父さんによろしく。

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2020年9月 5日 (土)

大型台風10号が近づいています。ブラヴァツキー夫人の伝記にある引用に関する昨日の続き。

大型台風10号が近づいています。ここ九州では、避難のため予約が埋まっているホテルも多いようです。

台風の恐ろしさは大分県日田市で暮らしていたときに嫌というほど味わいました。翌日は晴れ渡っていたにも拘わらず、破れた台所の天井から蛇口を取り付けたように雨が迸り出ていた光景、その天井が瞬く間に色鮮やかなカビに覆われていった信じがたい現象……このときですら瞬間最大風速50.2mでした。

それが、この10号は本日10時推定で70mというのですから、想像を絶します。

台風の接近中に台風を描いたリアリズム小説を読みたいという物好きなかたは少ないと思いますが、そのときになったら逃げるに逃げられない状況はよく描けていると思うので、AmazonのKindleストアに出している拙台風小説にリンクを張っておきます。

直塚万季著『台風』(B00BI55HV8)→https://www.amazon.co.jp/dp/B00BI55HV8

ブラヴァツキー夫人に関する昨日の記事の続きを書く時間が今日はとれそうにないので、ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981)の第29章に出てくる引用が原書のどこからなのか、リンクを張っておきたいと思います。

インドのチェンナイ市アディヤール(Adyar)に本部を置く神智学協会から独立したウィリアム・クァン・ジャッジ(神智学協会の3人の創立者の1人で最年少)がカリフォルニア州パサデナ(Pasadena)に設立した神智学協会のホームページのオンライン文献(ONLINE LITERATURE)に『シークレット・ドクトリン』がありますので、そこ(HTML version)へのリンクです。

H. P. Blavatsky. “The Secret Doctrine: A Synthesis of Science, Religion, and Philosophy.”,Vol.1,pp.519-520. The Theosophical Society International Headquarters – Pasadena, California. https://www.theosociety.org/pasadena/sd/sd1-3-06.htm, (accessed 2020-09-05).

伝記では、「Vol. 1, Page 519」から「Vol. 1, Page 520」にかけて、引用が行われています。伝記で行われている引用やそれに関連する『シークレット・ドクトリン」の文章については、続きの記事で。

『シークレット・ドクトリン』は宇宙発生論(Cosmogenesis)、人類発生論(Anthropogenesis)、インデックスで構成されており、優れた邦訳が宇宙発生論、人類発生論の各前半部分は上梓されています。しかし、この引用はまだ邦訳が出ていない宇宙発生論の後半部分にあります。

引用元のページだけ読んでもわかりづらいでしょうし、また、英語ができるからといって予備知識もなしに読める文章ではないと思いますが、ざっと読んでいただくだけでも、大田俊寛『現代オカルトの根源――霊性進化論』(筑摩書房、2013)で書かれているような「数々のミスティーフィケーション(神秘化やごまかし)の手法によって、自説の深遠さを過分に装っていた」(045頁)類いの文章ではないことがわかっていただけるのではないかと期待します。

ブラヴァツキー夫人に対する誹謗中傷にわたしが拘るのは、ブラヴァツキー夫人の諸著には、今後科学が進歩していくにつれて花開くであろう多くの貴重な種子が存在しているのではないかと思うからです。その種子は科学が進歩するためのヒントとなるはず。現に、アインシュタインは『シークレット・ドクトリン』を愛読していたといわれます。

わたしは若輩者ではありますが、文学書からの引用はほとんど全て、哲学書からの引用は一部、霊的な事柄についてはごくごく一部にすぎませんが、適切な引用とそれを上回る説明がなされていると確認できます。

でも科学的な部分に関しては音痴で、さっぱりわかりません。

ブラヴァツキー夫人の著作を科学の各分野の専門家がお読みになったらどう思われるだろう? 古代キリスト教・グノーシス主義の研究家がお読みになったらどうなのか?

誹謗中傷の煙幕を張られていたのでは、そうした方々の目に触れる機会がなくなってしまうとの焦りを覚えます。そうこうしている間にも、単純な唯物論に依拠した共産主義が思わぬ拡大のしかたをしています。煙幕が濃くなるばかり。

息子は化学を博士課程まで学びましたが、博士課程からは社会人であったために卒論を納得がいくだけのものに仕上げる時間がなく、残念ながら退学しました。

わたしは身近な理系人間である息子に読んでほしい気がして、それとなく働きかけたことがありましたが、わたしとは逆に息子は――歴史的教養を除けば――文系的教養に欠けているので、わたしと同じように、理解するには足りない苦労をするでしょうし、まあ興味が持てなければそれまでです。いつか興味を持ってくれないかなと思ってしまいますけれど。

尤も、『シークレット・ドクトリン』を完璧に読みこなせる人は一握りでしょう。竜王会、神智学協会ニッポン・ロッジには相当読みこなせるかたが複数名いらっしゃると思いますが、故田中先生は抜群にいい線いかれていたと思います。すばらしいかたでした。オーラも本当に美しかった。お亡くなりになった今もわたしの尊敬の対象であり、憧れの対象です。

でも、この田中先生にしてもそのお父様であった三浦関造先生にしても崇拝しているわけではありませんよ、大田氏が勘違いしがちな点ですけれど。この微妙な違いがわかりませんか? 大きな違いです。オウム真理教信者の麻原崇拝とは別物であるということです。

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2020年9月 4日 (金)

『豚ひき肉としめじの炊き込みご飯』(みんなのきょうの料理)。ブラヴァツキー夫人の伝記にあった引用文を探して。

まだブラヴァツキー夫人批判に対する感想の続きを書いているのですが、ブラヴァツキー夫人の引用に出てくるバトラーロフButleroを検索しても一向に出てこないので、諦めかけたところ、Butlerovとも書くのだとわかり、解決。Александр Михайлович Бутлеровという帝政ロシアの科学者なのです。「ロシア化学の父」とロシアでは評価されているとか。

ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981)によると、夫人はこの科学者の文章を代表作『シークレット・ドクトリン』に引用しており、加えて、現代の素粒子物理の最前線どころか、その遙か先のことまで見通しているような凄いことを書いているのです。

ブラヴァツキー夫人の亡くなったのが和暦でいえば明治24年で、生まれたのは江戸時代であったことを思えば、著作の内容の新しさに驚かされます。

ですが、当時の人々はそのようなことには関心がなかったと伝記にはあります。今も同じですね……。

ブラヴァツキー夫人の著作の内容は、彼女を誹謗中傷するような人々がでっち上げるような、いい加減なものでも、ちゃちなものでもありません。でなければ、アインシュタインが『シークレット・ドクトリン』を座右の書にするはずがありません。

わたしは科学のことはよくわかりませんが、クォークの話題が持ち上がっていたとき(62歳のわたしもまだ23歳)、「ブラヴァツキー夫人はこれを遙かに凌駕することを言っている……」と胸が熱くなりました。南部陽一郎氏のクォークの本も買いました。

当時、大学卒業間近に母が倒れ、生死の境をさまよう事態となり(このときの出来事がわたしの神秘主義者としての原点です。そのときのことを書いた「枕許からのレポート」はこちら)、決まっていた博多での就職を諦め、決まっていたアパートは契約がまだだったのか解約したのだったか、病院で寝泊まりしたひと月……その後母が回復して退院してくれたのは喜びでしたが、自分の将来を思うと暗澹とし……そんなときに読んだブラヴァツキー夫人の伝記とクォークの本でした。

実家に遊びに来てくれた1学年下の薬学部に通っていた女友達に、クォークの本を読んだ感想を熱く語ったのを覚えています。科学音痴のわたしの口吻に、女友達は半信半疑の微苦笑した表情で、でも面白そうに聞いてくれました。

「枕許からのレポート」に友人に宛てた手紙が出てきますが、この女友達も薬学部で、当時3学年下でした。どちらとも寮生活で知り合ったのです。わたしは法学部でした。片時も目の離せない母の付き添いで卒業証書も取りに行けず、彼女が持ってきてくれましたっけ。

ブラヴァツキー夫人の伝記にあった引用をふと思い出し、引用元は『シークレット・ドクトリン』と書かれていたので、昨日1日かけて探していました。

3回斜め読みしたH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)には該当する文章がなく、まだ邦訳されていない下巻にあると思われました。上巻には、伝記に引用された文章と関連する重要な文章が数カ所ありましたけれど。

原書から探さなければならないと思うと、英語だめのわたしは気が遠くなりそうでした。章のタイトルや索引を頼りに探しましたが、老眼に応えるわ、時間はなくなるわで、お上げ状態。

神智学協会には、インドのチェンナイ市アディヤール(Adyar)に本部を置く神智学協会の他に、そこから独立したウィリアム・クァン・ジャッジ(神智学協会の3人の創立者の1人で最年少)がカリフォルニア州パサデナ(Pasadena)に設立した神智学協会があります。

そこのホームページのオンライン文献に『シークレット・ドクトリン』があったので、ありがたく読ませていただくことにし、Google先生の翻訳機能をぬくぬく使って読み探したら、伝記に引用された文章が見つかりました。

この続きは、改めて別記事にします。

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サイト「サントリーレシピッタ」の レシピ『しいたけのベーコンチーズ焼き』。しいたけがあるけれど、こくのあるサイドディッシュが何かないかなと思い、探し当てたレシピ。とても美味しかったですよ。

大好きな焼き茄子。

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上にのっているのは、鰹節とすりおろし生姜です。好みで、しょうゆ、めんつゆ、ポン酢をかけて。茄子の季節になりましたが、焼き茄子って、結構面倒に感じます。それで最近、魚か肉を焼くのにグリルを使う夕飯には、我が家ではもれなく焼き茄子がついてくるという風です。フライパンで焼き茄子というレシピもあるようですよ。

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サイト「みんなのきょうの料理」のレシピ『豚ひき肉としめじの炊き込みご飯』はボリュームがあります。家族に受けました。ご飯の上の蒸し豚ひき肉の塊がいくらか残るように混ぜると、豪華な感じが出ます。

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