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2020年8月13日 (木)

世阿弥「花鏡」、戦国時代の中国に早くも臓器移植を連想させる道家の文書。神智学でいうカーマ・ルーパ。

世阿弥の『花鏡』に次のようなことが書かれている。能勢朝次『世阿彌十六部集評釋 上』(岩波書店、1940)より引用する。

妙とはたへなりと也。たへなると云は、かたちなきすがた也。かたちなき所妙體也。抑、能藝において、妙所と申さん事、二曲をはじめて、立ちふるまひ、あらゆる所に、此妙所はあるべし。さて、いはんとすればなし。若、この妙所のあらんしては、無上の其物なるべし。(能勢,1940,p.383)

〔口譯〕妙とは「妙なり」といふ意味である。藝能の上でいへば、この「妙なり」といふことは「形なき姿」とでも申すべきである。「姿」といふ以上、當然それは形があるべきことを豫想するに拘わらず、「形なき」と言はざるを得ない所に「妙體」の深義があるのである。一體、能藝に於て、この妙所といふものは、舞曲歌曲をはじめとして、立振舞のあらゆる所に、これがある筈であるが、さて、何処にとそれを指摘しようとすれば、全く捕へどころがないのである。若し、この妙所を得てゐるシテがあれば、それは能に於ける窮極無上の名人と言ひ得よう。(能勢,1940,pp.384-385)

世阿弥が能という表現形式において、何を目指していたかがわかる文章である。「妙とはたへなりと也。たへなると云は、かたちなきすがた也。かたちなき所妙體也」という箇所を読みながら、わたしはふいに萬子媛の「かたちなきすがた」を思い出し、涙してしまった。

心眼でしか捉えられない、あの「かたちなきすがた」の高雅な美しさを、この世の限られた――それもあまり頭がよいとはいえない――わが頭脳で、表現方法で、どのように表せばよいのだろうかと思う。そして、あの方々が住まっていられるところへの憧れの気持ちでいっぱいになったが、この不浄の身で畏れ多いことを……と慌てて自分の気持ちを打ち消した。

YouTubeに、祐徳稲荷神社をドローンで撮影した動画が公開されている。それを見ながら、天から毎日この世へボランティアに降りてこられる萬子媛ご一行には、近づいてくる地上世界はこんな風に見えるのかもしれないと想像を逞しくした。

空から見た秋の祐徳稲荷神社 ドローン映像
https://youtu.be/d38PbrpYAgU

以下の過去記事で書いたことを思い出すとき、『竹取物語』を連想する。『羽衣』においても、天人は天から下界へ来て、天へ去って行く。

2018年10月 4日 (木)
歴史短編1のために #46 落胆と取材の成果 (1)祐徳稲荷神社での私的心理劇
https://elder.tea-nifty.com/blog/2018/10/post-891c.html

昨年参拝したときは、博物館を優先したために、萬子媛ご一行が一日のお勤めを終えて御帰りになるところが――もう雲の辺り――地上から何となくわかり、そのときに萬子媛の放たれた霊的な光が辺りを一変させて、わたしは天国にいるような高揚感を覚えました。……(略)……これまでのことがわたしの妄想でないことだけは、はっきりしました。あのような高貴な気配やオーラを、わたしが自分でつくり出す――想像する――など、とてもできない芸当だからです。尤も、それを他人に証明できないという点では同じですけれど。

萬子媛を中心にしてボランティアなさっているあの世の方々は、当時は尼寺であった祐徳院で一緒に修行なさっていた尼僧達ではないかと推測している。この方々は不浄な地上界へ、自己犠牲を伴う慈悲心から降りてこられるに違いない。

このボランティア集団は、たぶん全員が一塊になって降りてこられ(降りてこられるところは察知したことがない。いつも午後の参詣になるので)、帰りはわたしが察知したところでは、全員が「せーの!」というかけ声が聴こえそうな気合いを込めて一斉に天へ舞い上がられるのだ。ある種の技術が要るのだろうか? そして、あの世にはあの世の規則があるのか、時間厳守という感じだ。

普通の死者は初七日を過ぎたら、わたしの知る限り、あの世へ行ったきりで、その後のことは全くわからない。夫の父方の祖父がずっと昔に残していったカーマ・ルーパ(死後、死者が脱ぎ捨てる殻)には長年悩まされたけれど、神智学の知識があったお陰で、ああいったものの性質を学ぶことができた。

この世では人を楽しませる嗜好品にすぎないものが、摂取の仕方によっては、死後、他人にとんだ公害を引き起こす原因となることを、ほとんどの人間は知らない。

そういえば、一度だけ、お亡くなりになった神智学の先生がわたしの離婚を阻止するかのように(なぜ?)降りていらしたことがあった。何年も前の話になるけれど、あのときは本当に驚いた。そのときも心眼に映ったのであって、肉眼で見るように見たわけではなかった。

先生はあのとき、わたしと夫の間に、ちょっと困ったような、なだめるような、優しい表情で――それが心眼に映った――立ちはだかられ、その一瞬の神秘現象(?)がなければ、わたしは今、夫と暮らしていないかもしれない。

そのとき、わたしは夫の裏切りが許せないと思っていたし、相手がストーカー傾向の強い女性であることを知らなかった。そのころはまだ夫にカーマ・ルーパの影響もあっただろう。

それでも、なぜ、という疑問はある。離婚したら、ひどい境遇に陥るからだろうか。宿題が残っているからだろうか。それとも似合いの夫婦だからだろうか? 何にせよ、わたしなんかのことを先生は死後何年も経つのに、あの世から見守ってくださっていた……そのことが嬉しかった。

定年退職後のアル中が増えているそうだ。そういう場合はカーマ・ルーパが取り憑いていそうだ。カーマ・ルーパは死んだ人が残していった欲望によって作られた主観的な形体で、その欲望を共有できる人間に取り憑くことがあるからだ。

カーマ・ルーパに取り憑かれた人間は、本人が気づいていないだけで、相当多いのではないだろうか。

カーマ・ルーパが夫から離れ、あの世で夫の祖父が長い眠りから覚めた夢をわたしが見て以降、夫はお酒をそれほど好まなくなり、そのうち全く飲まなくなった。

別に、夫はアル中ではなかった。休肝日を設け、そう多く飲んでいたわけでもなかった。それでも、わたしには、お酒をほしがっているのが夫ではない執拗な何かであることを察知していたから(ブラヴァツキー夫人の『神智学の鍵』を読むまでは、カーマ・ルーパに関する知識はなかった)、あまり飲んでほしくなかったのだ。

カーマ・ルーパの存在やオーラに関することを、ブラヴァツキー夫人以外の誰が現代的な表現で、科学的に解説してくれただろうか? 

ブラヴァツキー夫人の著作が広く読まれるようになれば、社会の習慣、精神医学、教育などはよいほうに変わっていくと思う。

無知な学者がその価値もわからず、彼女を叩くのだ。体系的な理論であるに留まらず、日々の暮らしに役立つ生きた教えが散りばめられているというのに。

大田俊寛『現代オカルトの根源――霊性進化論』(筑摩書房、2013)を読んでいるところなのだが、タイトルからしてわたしには意味不明である。霊性進化論なんて、意味がわからない。霊性が進化する? この著作の感想は別記事にする。

話がひどく逸れたが、『竹取物語』も『羽衣』も、天人やその昇天の様子は、原文で読むと、何ともいえない美しさだ。わたしと同じような体験のある人々によって書かれたのだとしか思えない。

新作能でそのようなものがないだろうか?

現代になって、新作能がどれくらい書かれてきたのかは知らないが、再度検索してみても、見つかったのは過去記事で書いた3冊だった。

2019年10月 3日 (木)
あらすじ、できました。新作能を読んだ感想。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2019/10/post-6e6c1a.html

  • 瀬戸内寂聴の新作能 虵 夢浮橋
  • 石牟礼道子全集・不知火 第16巻 〔新作 能・狂言・歌謡ほか〕 (石牟礼道子全集・不知火(全17巻・別巻一))
  • 多田富雄新作能全集

新作能を書こうとする場合、これらの著作は参考になるが、古典の曲目にあるような浮世離れした感じはもたらされず、どれもこの世を一歩も出ていない作品だとの感じを受けてしまう。

それでも、参考になるはずなので、再度、図書館から借りた本で、石牟礼道子「不知火」と多田富雄氏の諸作品を読み返した。

多田富雄氏の作品は、構成を考える上で参考になる。時事問題や科学的テーマは斬新なのだが、プロパガンダ的であるため、亡霊や聖母マリアなどの出現が作り物めいて感じられてしまう。

多田富雄「原爆忌」の中の「ワキ 無残やな。その日より早六十年。かかる惨事に遭いしこと、よも忘るることはあるまじ」「シテ 〽しかるに何とこの国に 今核武装の兆しとかや われも被爆者 戦争はゆるさじと」(多田富雄『多田富雄新作能全集』藤原書店、2012、p.133)の箇所で、思わず九条教の人々を連想してしまった。

わたしの作品も戦場(海上)が舞台なので、そう見なされるかもしれないが、プロパガンダが目的ではない。神霊の舞台として戦場を用いるにすぎない。

プロバガンダは抽象的なのだ。俳句は抽象を嫌う。同じことが能にもいえるのではないだろうか。

脳死での臓器移植を描いた多田氏の「無明の弁」は、ぜひ、中共高官御用達の移植医療最前線で上演していただきたいと思う。

この「無明の弁」の創作ノートで驚いたのは、戦国時代の中国に早くも臓器移植を連想させる文書が存在したことである。

『万葉集』第五巻の山上憶良の「沈痾自哀[ちんあじあい]文」「扁鵲[へんしゃく]、姓は蓁[しん]、字[あざな]は越人[えつじん]、渤海郡の人なり。胸を割[さ]き心を採り、易[か]えて置き、投げぐるに神薬を以[もち]てすれば、即ち寤[さ]めて平[つね]なるがごとし」というのがあるという。原典は『列子』湯問[とうもん]篇』だそうだ。道家の文書である。

まとりのない記事ですみません。覚書として書いた記事ですが、後日、テーマ別にまとめます。

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