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2020年7月25日 (土)

作品1「祐徳院」らくがきメモ1

萬子媛をモデルとした作品を、新作能(作品1)、童話(作品2)、小評伝(作品3)と三本立てで考えている。

カテゴリーが増えすぎるが、新作能のメモを「作品1『祐徳院』らくがきメモ」というカテゴリーに入れていくことにした。曲名は未定だが、仮称とする。

このらくがきメモは単なる自分のためのメモで、読んでいただく価値はあまりないと思います。

○○軍医(ワキ)は、戦場ボルネオへ向かう貨物船の通路で、尼僧達(前ジテとツレ)に出合う。出合うはずのない人々であった。尼僧達は求法のために船に乗ったという。

軍医の疑問に対して、前ジテは「法(のり)の舟さしてゆく身ぞもろもろの神も仏もわれをみそなへ」(新古今和歌集 巻第二十 釈教歌 1921)、「しるべある時にだにゆけ極楽の道にまどへる世の中の人」(新古今和歌集 巻第二十 釈教歌 1922)という歌を答えの代わりとして、尼僧一行は何処にか姿を消す。

ツレの人数が問題だ。わたしは神秘主義エッセーで次のように書いた。

100 祐徳稲荷神社参詣記 (12)祐徳院における尼僧達:『鹿島藩日記 第二巻』
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/12/08/233845

もし、萬子媛の葬礼のときの布施の記録に名のあった僧侶達の中で、蘭契からが祐徳院に属した尼僧達だとすれば、17 名(蘭契、満堂、蔵山、亮澤、大拙、瑞山、眠山、石林、観渓、英仲、梅点、旭山、仙倫、全貞、禅国、智覚、𫀈要)。萬子媛がいらっしゃったときは総勢 18 名だったことになる。

この方々をツレのモデルとするつもりなので、17名全員登場させたいところなのだが、さすがに多すぎる。登場人物の多い「安宅(あたか)」では、義経の家来だけでも10名ほど登場するが、それでも10名ほどだ。

数をぐっと絞って蘭契1人にするか、3名ほどにするか、多く登場させるか(それでも17名は無理)、うーん、それが問題だ。

○○軍医は里に妻子を残してきており、幼子は重態であった。

船が爆発し、○○軍医が飛び込んだ大海原。流れてきた里の樽に縋り付いて命拾いした○○軍医に、神々しい姿となって登場する後(のち)ジテは、自分が我が子を亡くしたことから出家した身であることを明かす。

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「断り書き」の下書き

当作品は、田中保善著『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980年)に触発されて執筆したものです。執筆にあたり、「本音と建前」の章「キャプテン・ラスト」の節の中の41頁の記述をモチーフとさせていただきました。

ここに引用

『泣き虫軍医物語』の内容について、著者あとがきに「この本は太平洋戦争末期の昭和19年7月、町の一開業医だった私がにわか軍医として応召、戦地ボルネオを中心に体験した記録である」とあります。以下は、後で考える。

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曲名の第一候補「祐徳院」

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