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2019年9月27日 (金)

夫の鼻の手術(祝・トンネル開通)

最近、夫が鼻の手術を受けました。慢性副鼻腔炎、鼻茸(鼻ポリープ)の手術です。

昨日が退院でした。わたしは夫のスースー、ゴゴゴゴ、ピー……といった、鼻が立てる音をバックミュージックにして長年創作してきたので、昨夜、パソコンに向かいながら、寝ている夫から何の音もしないことに驚きました。

夫が起きていても、呼吸と共に何らかの音のすることが当たり前の現象となっていました。今思えば異常な話ですが、鼻の悪い人はわたしの友人の中にも何人かいたので、鼻の悪い人というのはこんなものだろうと思っていたのです。

入院の翌日が手術で、それから1週間後に退院でしたから、入院期間は9日間でした。

夫は小学生のときに鼻茸、中学生のときに慢性副鼻腔炎の手術を受けたそうで、「副鼻腔炎は治っている」といっていました。でも、大学時代に文芸部でなぜか7歳も上の夫と出会ったときから、鼻声が特徴的でした。結婚してみると、ますます、治っているようには思えませんでした。

手術が成功したとしても、体質や鼻の形によっては再発することがあるらしいので、そのケースなのかもしれません。何にしても、夫は耳鼻科に行きたがりませんでした。それというのも、昔の副鼻腔炎の手術はとても怖ろしいものだったそうで、すっかりトラウマになっていた様子です。

上の歯茎からメスを入れて頬の骨を削り、副鼻腔の膿をとり出すというものだったそうです。

何しろ 50 年以上も前の話です。局部麻酔だったために、土木工事さながらの手術の過程が全てわかり(わたしも検査のために局部麻酔で頭蓋骨抉られたときは自分自身が工事中の建物になったような気がしましたっけ)、麻酔がうまく効かず、相当に痛かったとのことです。

現在でも歯茎や頬からメスを入れる手術は行われているようですが、おそらく昔のように怖ろしいものではないでしょうね。

そのころ夫は、父親の転勤で北九州市にいました。黒崎の個人病院に夏休みを使って入院し、丸ひと月入院していたそうです。術後、夫は顔がひどく腫れ、鼻より両頬が高くなったため容貌が変わり、お見舞いに来てくれた友人は2回も夫の顔を見ていながら、夫とは気づかずに探し回ったとか。

退院したとき、二度と耳鼻咽喉科には足を踏み入れまいと誓ったそうです。

ところが、最近、両鼻孔に鼻茸が「充満」していることがわかって、ついに手術するはめになったのでした。相当に、怯えていましたね。

でも、現在では内視鏡下での手術であることが多くて安全性も高く、それほど怖がる必要はなくなったようです。ネットサーフィンしてそのような情報を仕入れ、安心させようとしても、夫は暗い雰囲気を纏って落ち着かず、不機嫌でした。

夫が自分で選んだ総合病院の耳鼻咽喉科は、面会に通うには交通の便がよくないところでした。耳鼻咽喉科の担当医は一人みたいだし、自宅に近い総合病院のほうがいいのではないかと思い、ググると、論文が出てきて、担当医の得意分野がわかりました。

手術経験の豊富なベテランみたいで、脂がのった年齢域のようでもあり(精力的に手術をこなせるだけの若さがある)、夫の選択を尊重しようと思いました。

事前に「高額療養費」を申請しました。健康保険の窓口に申請すると、1週間程度で「限度額適用認定証」が 届きます。 申請した窓口で、「傷病手当金」を受けられると教わりました。夫は有給休暇の消化で対応して貰うことにしたので、傷病手当金は申請しませんでした。

全身麻酔による内視鏡下副鼻腔手術は午前中で、2時間の予定でした。手術室に近い待機用の待合室では、他に待っている人が結構いました。

夫が聞いた担当医の話では、鼻茸が、とるには危険な場所にある場合は無理をしないとのことでした。安全にとりきれたらいいけれど、と思いながら、緊張して娘と椅子に座っていました。

緊張を有意義な方向に持って行くために、わたしは神秘主義者として、例の、結果として役に立たなかったように思えることがあるかもしれないけれど(カルマなどありますから)、やらないよりは絶対にいいと思う、患部に想像の白い光を送る方法を試みました。

普通の人には見えないかもしれませんが、清浄な白い光を想像すると、オーラにその光が現れます。その光を想像の中で自分の望む場所に送るのです。こんなよけいなことをされると嫌な人がいるかもしれないので、わたしはごく限定的にしか行いません。夫は嫌がりません、というより、ほとんど気にしていませんし、基本的にわたしを信頼してくれています。

自分自身が自らの内的な白い光に包まれるだけでも、精神安定の効果があります。わたしは、手術室で頑張ってくださっているドクターに助太刀しているつもりでした。

手術の終了までに残すところ半時間ほどになったので、わたしはトイレへ行っておくことにしました。娘はトイレが遠いほうです。

トイレへ行って待合室に戻ると、娘が立ち上がっていいました。「半時間早く終わって、もう担当医から別室で説明も受けたよ。手術は成功したって。とりにくい場所にあったものも、何とかとりきれて、両方とも通ったんだって。鼻茸のサンプルも、嫌だったけど、遠目に見た……」

拍子抜けしましたが、成功してよかったと思いました。「説明はママが来るまで待って貰おうと思ったけれど、先生が忙しそうだったから、一人で受けた」と娘。

術後の痛みは軽く、ただ、ガーゼをとるときに痛くて涙が出たと夫はいいました。退院するとき、薬は何も出ませんでした。次第に間遠くなっていくらしい通院があります。

まだ血や何やらが出るらしいのですが、ドロッとした何か(膿?)が出れば出るほど、鼻は回復していくそうです。鼻が通ったのは、記憶にないくらい昔らしく、夫は感激しています。

一方、夫が留守で、昼間一人きりでいた間の空気の清浄さに、わたしは驚いていました。これは正真正銘の自身の汚れなきオーラの美しさであり、その反映です。

一人きりでいたら、内的な光がこぼれ溢れてきます。家族がいるとついイライラ、ガミガミ、口うるさくなりがちで、オーラもそれ相応の低下したものになってしまうのでしょうが、本来の自分はこのようであることを忘れないように、これを励みに日々頑張ろうと思いました。

前の記事で書いた新作能の本を借りてきたので、最初に読んだ瀬戸内寂聴の作品から感想を書こうと思っていましたが、記事を改めます。メアリー・ポピンズ、臓器移植のことなど神秘主義の観点から書きたい記事があり、忘れたわけではありません。いずれ書きます。

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