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2019年9月 8日 (日)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その11。芸術監督・津田大介氏及び同展実行委員会による、日本外国特派員協会でのそれぞれの記者会見

カテゴリー「あいちトリエンナーレ」

愛知県で開催中の「あいちトリエンナーレ2019」(2019年8月1日~10月14日)の企画展「表現の不自由展・その後」は2019年8月1日より開催され、8月3日をもって中止されました。

この件で2019年9月2日、芸術監督・津田大介氏及び同展の実行委員会が、日本外国特派員協会でそれぞれ記者会見を開きました。

「表現の不自由展・その後」の内容が芸術作品とはおよそいいがたい、韓国政府の主張に全面的に依拠した政治プロパガンダであることを過去記事で確認しましたが、「表現の不自由展・その後」の実行委員会の会見はこのことを裏付けるものです。

展覧会の目的が「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判にあることを実行委員会自ら臆面もなく語っているのですから、開いた口が塞がりません。

これだけ露骨な政治プロパガンダであるにも拘わらず、実行委員会にも芸術監督・津田大介氏にも、その自覚がなさそうです。芸術と政治プロパガンダは異なるという基本的認識を欠いているようです。

「表現の不自由展・その後」には組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品が集められたということですが、「検閲」されて表現の機会(発表の機会の間違いではありませんか?)を奪われたはずの作品が、白昼堂々と「表現」されていたという可笑しさ。

今回の中止も、公共施設での開催が問題視されたにすぎません。やりたければ、「検閲」されているわけでもなんでもないのだから、公共施設でないところで、自費で、お好きなようにやってくださいというしかありません。

ところで、馬渕睦夫氏(元駐ウクライナ兼モルドバ大使、元防衛大学校教授、前吉備国際大学教員教授)が「林原チャンネル」2019年9月4日公開の動画で、GHQ占領下における天皇陛下の役割がどのようなものであったのか――日本人は伝統的に天皇陛下をどのように捉えてきたのか――を的確に考察しておられます。

そこから、「表現の不自由展・その後」の内容がこのような日本人の奥底に存在する思いにどれほど無知、無理解なものであり、そのことが多くの日本人を怒らせたのだとわかります。

貴重な動画も、時間が経てば消えてしまうことが多いので、以下に、部分的に文字起こしさせていただきました。

(……)GHQ占領下における天皇陛下の役割は大きかった。それは古事記の神世にまで遡らなくてはならない、日本の伝統的な精神に依っているわけですけれども、陛下が日本の最高の権威としてGHQの下でも、実はGHQの上に君臨しておられたということですね。

天皇陛下が存在されたということがGHQ占領下における日本人の精神を、いわゆる植民地支配下にあった他のアジア、アフリカ諸国のような精神にはならなかったということではないかという気がしてならないんですね。

今日、ということは逆にいえば、わが国は有史以来ずっと独立をしているわけです。わたしたちの生き方そのものが我々の精神の中では生き方がゆがめられていないということですね。このことは実に大きなことだと思います。

これから令和の時代はすでに始まりましたけれども、これから激動の9月からさらに日本を取り巻く環境はさらに悪化していくといいますか、様々な分野での紛争、あるいは闘争といいますかね、そういうものが顕在化していくという風に感じていますけれども、そのときに我々がどうそこを乗り切るかという重大なヒントを与えてくれていると思うんですね。

それは日本の国体の真髄といってもいいんですが、それは日本という国家が天皇陛下を戴く国であるということですね。このことは我々あまり日々は感じていないんですけれども、一旦緩急あらば、やはり天皇陛下が存在しておられる、天皇陛下が国家の安泰と国民の幸せを祈ってくださっている、そういう意味では守ってくださっている、そういう気持ちがわたしたちのDNAの奥底にずっと存在しているわけですね。

わたしたちはその思いにいわば抱かれて、今も今日まで生き延びることができたんだとわたくしは素直にそう思っております。

これを西欧思想かぶれした人は、つまり西欧思想かぶれの人というのは唯物論者ですからね。そういうことが認められないんですね、残念ながら。そういうことを認めてしまうと、彼らが一生懸命今まで勉強してきた西欧思想というものが全く無駄になりますからね。

わたくしは無駄とはいわないけれども、その程度のものだとは思っておりますが、結局日本のいわゆる文壇にしろ、メディアにしろ、政界にしろ、経済界にしろ、教育界にしろ、どうしてもその唯物論思考から逃れられないんですね。

で、そういうことを平成の時代までは唯物的思考で生活してきたと。それが圧倒的な比重を占めてたという風にいえるんじゃないかと思いますね。

ちょっと朝鮮統治との比較から話は飛びましたけれども、問題は戦後の体制の中で、日本は韓国――北朝鮮はちょっと外すにしても――に対して特別扱いを強いられてきたということですね。ここが非常に重要な点なわけです。

簡単にいえば、韓国のほうから見てみますと、韓国は被害者、日本は加害者ということですね。そういう関係に入りますと、日韓が対等な関係になれないわけですね。

同じ独立国として、同じ主権国家として、日本と韓国が対等の関係には今までなってこなかったわけです。それは韓国から見て、日本は加害者、それから韓国は被害者。

ですから、被害者は特別扱いされて当然だという心理が働いていたんだと思いますね。それだけなら今日のような事態には至らなかったんですが、日本のほうも何となく自分たちは加害者であったんじゃないか、だから韓国に対してはいろいろ手厚くしてあげなければならない、そういう気持ちが期せずしてあったんだと思います。

その気持ち自体が悪いとは思いませんけれども、それは個人のレベルの問題と、国際関係、あるいは国と国との問題、あるいは政治の世界では違う効果をーー結果を導き出すことになるわけですね。

我々はなかなかそこまでは予見できなかったわけなんです。韓国が困っていれば戦後助けてあげよう、それ自体は美談のように聞こえますけれども、実はそれが重なって今日のような歪な日韓関係になってしまった、ということではないかと思います。

その責任は勿論韓国にも日本にもあるんですが、もう一つ大きな責任を担った国があるわけなんですね。国というよりは勢力とわたくしはいっておりますが、それは皆さんもうおわかりのように、戦後のアメリカなんですね。

もっといえばオバマ大統領までのアメリカですし、もっといえば、ディープステイトが事実上支配していた戦後のアメリカということになるわけなんです。(……)

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