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2019年8月 7日 (水)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その5。津田氏のゲンロン仲間、東浩紀氏は「文學界」(文藝春秋)新人賞の選考委員。

カテゴリー「あいちトリエンナーレ」

これはツイッターにも書いたことですが、「あいちトリエンナーレ」津田大介氏(芸術監督)のゲンロン仲間である東浩紀氏は、何と「文學界新人賞」(文藝春秋)の選考委員です。ずっと購読していなかったので、これまで気づきませんでした。

言論をゲンロンとカタカナ書きにしたのは、揶揄しているわけではありません。

ウィキペディア「ゲンロン」によると、2010年東浩紀氏は、インテリアデザイナーで建築家の浅子佳英、空間デザイナーの李明喜らと共に東京都新宿区四谷に合同会社コンテクチュアズ(Contectures, LLC.)として設立しており、2011年に代表に就任、2012年に株式会社ゲンロンに社名変更、社外取締役として津田大介・福嶋麻衣子を迎えています。

「文學界新人賞」を受賞した作品の多くが芥川賞候補になります。文藝春秋社内の日本文学振興会によって選考が行われるからです。

一昔前、「文學界」には、およそ文学的でない左翼知識人である柄谷行人の論文がよく載っていて辟易させられました。東浩紀氏はその柄谷氏の出来の悪い弟子らしいですね。その頃「文學界」では、すさんだ作風の在日文学も大流行りで、これにも辟易させられ、わたしは定期購読をやめました。

細井秀雄氏が編集長だったころは、文芸評論家であり保守論客であった江藤淳氏の作品がよく掲載されていました。江藤淳『占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間』(文春文庫 - 文藝春秋、1994)は日本人必読の書です。

その細井氏から、「九州芸術祭文学賞」で地区優秀作をとったわたしの作品について、懇親会の席でですが、「ああいったことは書かんがいい」と忠告されました。大したことは書いていなかったんですけれどね。その後、「織田作之助賞」で最終候補になったときの懇親会だったか、その席で「今後は児童文学作品を書こうと思っています」というと、心底ホッとした表情をなさいました。

そのころは、文學界の舞台裏をろくに知りませんでした。文学仲間を通して情報を集めた今では、下手に賞なんかとらなくてよかったと思っています。尤も、才能に乏しいので、その心配はいらなかったのでしょうが。

現在、純文学界に在日コリアンでも帰化人でもない日本人作家は何割くらいいるのでしょうか、疑問です。

最近では特に、日本文化を貶めているとしか思えない、文学作品の体すら成していない作品が芥川賞をとる傾向にあります。日本人であろうと、外国人であろうと、日本文化を愛する人間にはとても作りえないようなストーリー、無神経な表現が頻出しています。

前出の細井氏は現在、平山周吉という筆名で、作家活動をなさっているようです。アマゾンに読んでみたいと思う作品がありました。幸い図書館にあるようなので、借りて読んでみたいと思います、購入するには、専業主婦のわたしには高価ですから。3,996円。

江藤淳は甦える
平山 周吉 (著)
出版社: 新潮社 (2019/4/25)
ISBN-10: 4103524715
ISBN-13: 978-4103524717

今思えば、江藤淳氏が生きていらしたころは、文学界、日本の言論空間は、まだしもまともでした。

次のツイートで紹介されている動画内容は結構怖い、その次のツイートで出ている情報にはなるほどねと思わせられます。

こうした人々に好き放題されたら、日本は本当に日本ではなくなってしまいます。

芸術家でない大したキャリアもない津田氏がなぜ、こんな大役を任せられたのでしょうか? 反日ネットワークの存在を考えれば、別に不思議ではない気もしますが、武田邦彦氏の語る動画が出てきました。

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