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2019年8月19日 (月)

原田マハ『楽園のカンヴァス』を読んで気になった、嘘。神秘家だったアンリ・ルソー。

「あいちトリエンナーレ」問題に続いて、古市憲寿「百の夜は跳ねて」のパクリ疑惑など出てきて、夏休みの宿題(?)ができなかった。

家族でショッピングモールへ、恒例となっているコーヒー豆の買い出しに出かけた。夫は映画、わたしと娘はショッピング。帰りに書店に寄った。

美術館勤務の経験があるという、原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮文庫: 新潮社、2014)が目に留まった。アンリ・ルソーの名画「夢」をめぐる美術ミステリーという。ベストセラーらしい。

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アンリ・ルソー(1844 – 1910)「夢」ニューヨーク近代美術館、1910

本物はなかなか観る機会がないけれど、アンリ・ルソーは学生の頃から好きで、40年以上のファンだ。「あいちトリエンナーレ」問題では美術界に疑問が湧いたが、その疑問をいくらか払拭できるかもしれないという期待感も高まった。

この種の売れていそうな本は図書館から借りると大抵汚されていることを思えば、買ってしまおうと思い、買った。手の出ない、ほしい本はいくらでもあるというのに、魔が差したというべきか。

美術畑、また音楽畑の人の文芸作品もそうだが、エッセイなど読むと、文章が洗練されていて、論旨も明快、さすがは芸術家の文章と感心させられることが多いものだ。

ところが、帰宅後、本を開いて、冒頭の一行目を目にしたとたん、早くも読む気が削がれてしまった。わたしとしたことが、冒頭も確認せず、購入してしまったとは。

ここに、しらじらと青い空気をまとった一枚の絵がある。(原田,2014,p.7)

「しらじら」というのは、「しらじらと夜が明ける」というように、夜が次第に明けていくさまを意味することが多いと思うが、如何にも白く見えるさまもいう。興ざめなさまもいう。

しかし、次に「青」とある。一体、白なのか、青なのか。二つを混ぜて水色というわけではあるまい。それとも、何か興ざめな感じがあるのだろうか。そして、その青と形容されたものは空気であって、その空気(雰囲気の意か)を一枚の絵が纏っているのだという。

ここに一枚の絵があることはわかるのだが、その絵がどう見えるのかがもう一つはっきりしない。

先を読めば、「それぞれの身体[からだ]はパウダーをはたいたように白く透明だ」とか「それほどまでに青く、白く、まぶしい画面だ」とあるので、どんな色調の絵であるのかが次第にわかってはくる。

アンリ・ルソーの絵の話なのかと思って読み進めると、そうではなく、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌが1866年に描いた絵なのだそうだ。シャヴァンヌがアンリ・ルソーにこの後、関わってくるのだろうと思ったが、これきりだった。

作者は、大原美術館を小説に出したかったのだろう。ストーリーからすれば、必ずしも必要のない設定に思える。いずれにせよ、冒頭に出てくる絵は、大原美術館所蔵のピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ作「幻想(Fantasy)」である。

なるほど、その絵は、青色と白色が優劣つけ難いあざやかさで、観る者を圧倒する。

実際に観れば、ペガサス、女性、子供のそれぞれの身体はパウダーをはたいたように見えるのだろう。だが、パウダーをはたけば、その部分は他の部分の色合いに比べて白さが際立つか、元の色が殺されて朧気に見えるだろうが、透明には見えない気がする。

作者は、絵の各部分から受けた異なる印象を一気に描写しようとする。それで、自家中毒を起こしたように意味不明な表現となっているのだ。子供が見たものを一気に伝えようとして、息せき切っておしゃべりするときのようだ。

美術畑で働いたことのある人にしては、全体に稚拙な文章である。読みながら、美内すずえの少女漫画を連想した。漫画の原作を想わせる小説なのだ。恩田陸の小説に似ている。

漫画の原作であれば、漫画家が人物に表情をつけて内面まで見せてくれるだろうが、単独で書くからには、作者が内面描写まで行わなければならない。その描写があまりに平板であるため、どの人物にも魅力がない。

あちこち引っかかりながら読み進めると、次の箇所がどうにも気になった。

 画家を知るには、その作品を見ること。何十時間も何百時間もかけて、その作品と向き合うこと。
 そういう意味では、コレクターほど絵に向き合い続ける人間はいないと思うよ。
 キュレーター、研究者、評論家。誰もコレクターの足もとにも及びないだろう。
 ああ、でも、ーー待てよ。コレクター以上に、もっと名画に向き合い続ける人もいるな。
 誰かって? ――美術館の監視員[セキュリティスタッフ]だよ。(原田,2014,pp.10-11)

コレクター、キュレーター、研究者、評論家、監視員では、役割――専門――の違いから、絵を見る姿勢が異なるはずである。それに、時間さえかければいいというものでもあるまい。

作者は、優劣つける必要のないものに、優劣つけようとする。それは、作品のテーマに関わる部分でもそうで、ピカソとルソーを比べ、競わせようとする。

そして、作者は明らかにピカソをルソーの上に位置付けている。美術市場ではそうだからだろう。ルソーをことさら、不遇で評価の定まらない画家であると強調するのは、作者自身が市場――世俗といい換えてもよい――の価値観――を、市場が作り出すヒエラルキーを、高く評価し、信じているからに他ならない。

参考文献の筆頭に、岡谷公二『アンリ・ルソー 楽園の謎』(平凡社ライブラリー、2006)が挙げられている。わたしは中公文庫(中央公論社)から1993年に出た版で当時読み、大変な感銘を受けた。

だから、原田マハ(2014,p.288)が「史実通りに物語が進めば、ルソーはほとんど誰にも顧みられぬまま、この世を去る」と書いた箇所を読むと、岡谷氏の評伝を読んでいながら、なぜこんな嘘をつくのだろうと思う。

その理由として、わたしは前述したように、ピカソをルソーの上に位置付けるためだと考えたのだった。

岡谷氏によると、ルソーは晩年、真の成功に近づいていたという。「夢」の批評は『ニューヨーク・ヘラルド』をはじめとする21紙に載り、その大半は好意的だった。1910年は、亡くなる前月の8月までに、3,590フランを絵の代金として得た。しかし金は、消えた。最後の恋人レオニーに貢いだためだった。

讃美者も増えていた。

ウーデ、ドローネ、ブリュメルに次いで、この年さらに三人の若い讃美者がルソーに近づく。未来派の画家で、著作家でもあったイタリア人のアンデンゴ・ソフィッチ、セルジュ・フェラの名で知られた、ロシア生まれの画家ヤストルブゾフ、その従妹で、のちにロック・グレーの名でルソーの画集を出版するエッチンゲン男爵夫人である。(岡谷,1993,p.276)

小説はフィクションだからいい加減に書いていい、というわけではない。フィクションであればなおさら、事実を踏まえるべきところはそうすべきである。この場合は、作者は参考文献を毀損している。

作品を彩るはずのニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンと日本人研究者・早川織絵のロマンスは安手な印象で、退屈だった。

ミステリーの部分は作りすぎで、説得力を欠く。

『楽園のカンヴァス』が子供の推薦図書だったとのレビューを読んだ。最近ではライト・ノベルを推薦図書に選ぶのだろうか。昔の大衆小説家のように文章がしっかりしていればいいのだが、この作品における原田マハの文章はチープで粗い。

ここで、『楽園のカンヴァス』を離れようと思う。

今回、岡谷公二『アンリ・ルソー 楽園の謎』(中公文庫: 中央公論社、1993)を再読し、神秘家としてのルソーが印象的だった。ルソーはインタビューの中で、次のようにいう。

私はいつも描く前から、絵をはっきり見るんです。とても複雑な絵の場合だってそうです。ただ描いている間に、自分でもびっくりするようなことが出てきて、それはとても楽しいですね。(岡谷,1993,p.275)

岡谷氏(1993,p.193)によれば、ルソーはフリーメーソンに加入していた。薔薇十字団員、降霊術術者たちとの交わりもあった。

近代神智学運動の母ブラヴァツキー夫人は1831年に生まれ、1891年に亡くなっている。ルソーは1844年の生まれで、1910年に亡くなった。世代的には案外近い。当時は降霊術が流行っていたのだ。ブラヴァツキー夫人はその降霊術を批判して、心霊主義者たちの攻撃の的となった。

ルソーのお化け話は有名だったそうで、『アンリ・ルソー 楽園の謎』にはわたしを不安にさせる記述がある。幸い、ルソーの芸術の力が勝ったのだろう。死は、ルソーを平和裡に訪れたようである。

ルソーは、臨終まぎわの譫言[うわごと]の中で、父なる神や天使たちの姿を見、「ヴィオラとハープとリュートから成る天上のオーケストラ」のしらべを聞いたと浮かされたようにして語り、また、これから星や青空を描くのだと言ったと伝えられている。(岡谷,1993,p.286)

YouTubeで公開されていた動画 Henri Rousseau "El Aduanero"

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