エドナ・オブライエン(井川ちとせ訳)『ペンギン評伝双書 ジェイムズ・ジョイス』(岩波書店、2002)を読んで(加筆あり)
当記事には加筆、訂正しました。こちら⇒https://elder.tea-nifty.com/blog/2019/06/post-900f8d.html
なぜ、ジョイスがブラヴァツキー夫人を、神智学関係者を、神智学用語を茶化したのかがどうしても気になって、エドナ・オブライエン(井川ちとせ訳)『ペンギン評伝双書 ジェイムズ・ジョイス』(岩波書店、2002)を読んだ。
わたしのジョイスに関する見方は、オブライエンの評伝によって、裏付けられた気がする。
彼は様々な知識を、概念を、頭の中がパンクするくらいに蓄えたが、それらは断片のままで、纏まりを欠き、深められることもないまま、頭の中で極彩色を放ちながら散乱している状態にあったのではないだろうか。
詩的(?)小説家として、彼はそれらに勝手なイメージを付与し、いわば音律的感覚で、利己的に利用した。
わたしはジョイスの評伝を読みながら、太宰治を、あるいはフィッツジェラルドを連想した。
アイルランドの子沢山の家庭に生まれたジョイスは、幼少時には「おひさまジム」と呼ばれた可愛がられる子で、イエズス会の学校に入ってからは、まるで現代日本の児童のように、ある少年の意地悪と司祭(教師)の無理解が発端となり、養護室通学をしたりした。
カトリックの壮麗な内装や典礼に魅了され、聖母マリアを憧憬したが、司祭によって語られるありとあらゆる罰や灼熱の地獄に関する説教に恐怖し、その恐怖体験から終生逃れられなかったようである。
ジョイスは十代ですでにカトリック教会とは決別していたが、ある意味では決して信仰を離れることはなかった。離れられなかったのだ。母や司祭に教え込まれたことはあまりに強烈だった。(オブライエン,井川訳,2002,p.14)
ジョイスは、家庭の経済事情で学校を何度か変わる。優等生で、将来は聖職者になると思われていたほど敬虔だった。ジョイスの創作は早い時期に始まり、彼が作家になることを予想していた司祭もいた。
しかし、その後、ジョイスは変貌する。反抗期に入ったのかもしれない。
わずか数年のあいだに彼に起こった変化は、サムライのごとき決断によるものだった。それは子どもらしい優しさから冷淡な無関心へ、臆病ゆえの敬神から不信と反逆への移行であった。(オブライエン,井川訳,2002,p.7)
こうした反抗期が、人生の終焉まで続いたようだ。わたしがジョイスの作品を読んで感じた幼稚さは、こうしたところから来ているのではないだろうか。
しかし、成人した後も反抗期を引き摺るというのは、どう考えても知的な何かが足りない。彼の作品が如実にそのことを物語っている。
一方、ジョイスの人気の秘密が、彼のこうした、ある種の永遠の若さにあるのではないかとも思わせられる。
性に目覚めたのは12歳のときで、集英社版『ユリシーズ Ⅲ』年譜によると、14歳で娼婦との体験を持った。早熟すぎて(只というわけでもないだろうに)、このあたりの記述はわたしには信じられない。
青年期のジョイスは家を罵倒しながらも、両親をはじめとする家族に期待され、フラフラする自由を与えられている。
物書きとしてのジョイスは、ダブリンに根付けなかった。
ダブリンでは彼は周縁に追いやられ、嘲られ、文芸サークルからも締め出された。ジョイスはその都市を、徹底的に作り直してやろうと決めた。(オブライエン,井川訳,2002,p.16)
この記述は、ジョイスの主観ではないかと少々疑う。
というのも、ジョイスはアイルランド文学復興運動の指導的人物であったラッセル、イェイツ、グレゴリー夫人らの恩恵を被っているはずだからである。
また、『ユリシーズ』でジョイスはブラヴァツキー夫人のことをあくどく、見てきたように書いているが、二人に接点があったはずはないのである。純粋に、空想の産物である。
ただ、22歳のジョイスが20歳のノラ・バーナクルと駆け落ちする資金集めにイェイツ、グレゴリー夫人に無心したときは、その申し出を断られていることから考えれば(グレゴリー夫人はあとで金を送ってやっている)、彼の逆恨みがあったのかもしれない。
評伝及びジェイムズ・ジョイス(丸谷才一&永川玲二&高松雄一訳)『ユリシーズ Ⅲ』(集英社、1997)巻末の「ジェイムズ・ジョイス年譜」を参考にすると、ノラとアイルランドを出発したジョイスはイタリア領プーラ(現在はクロアチア共和国のプーラ)のベルリッツ校に英語教師の職に就いたのを皮切りに、23歳でトリエステのベツリッツ校に転任。24歳でローマに移って銀行に職を得(父がダブリン市長に書いて貰った手紙のおかげ)、25歳でトリエステのベツリッツ校に復職。27歳で映画館ヴォルタ座を開館(翌年潰れた)。
31歳でレヴォルテッラ高等商業学校(後のトリエステ大学)にポストを得、33歳でジョイス一家は(長女ルチア、息子ジョルジオ)はチューリヒに移住。1919年、ジョイス37歳のとき、アイルランド独立戦争が始まっている。一家でトリエステに戻り、レヴォルテッラ高等商業学校に復職。
40歳のとき、アイルランド自由国成立。49歳のとき、ロンドンで妻ノーラと結婚式を行っている。1939年、57歳のとき、第二次大戦勃発。南仏に移住。58歳で、チューリヒに移住。翌1941年、1月13日に十二指腸潰瘍穿孔で死去。
作品の発表については早くから発表舞台にも、出版にも恵まれていたように思える。
なぜかジョイスには孤独癖があり、恨みがましく、僻みっぽかったようだが、常に協力者が都合よく現れていて、世渡りは上手だったとしか思えない。甘え上手だったのかもしれない。
ノラとの間では紆余曲折あったようだ。
ジョイスはノラと別れず、それどころか、ますます依存するようになっていた。スチュアート・アルバートは、一年ほど前の悶着を回想している。ジョイス夫人がホテルに移るために荷物をまとめていると、ジョイスが椅子に丸くなり、ひとりでは自分のこともできない、彼女がいないとだめだと言い、それに対してノラは、川に身投げしたらどうかと言ったというのだ。(オブライエン,井川訳,2002,p.200)
が、ノラは添い遂げ、彼の死後ノラは自分の妹に宛てた手紙で「かわいそうなジム、彼はとても素晴らしいひとだった」(オブライエン,井川訳,2002,p.196)という感動的な言葉を綴っている。
死の前年にスイスに移住したのは占領下のフランスにいるのが危険になったからだった。長女ルチアは長年精神を病んでリヴリの病院に入院しており、溺愛する娘を心配しながらの出発だった。
フルンタン墓地で行われた葬儀はささやかだった。
ポール・ルッジェロは司祭を呼んではどうかと提案したが、ノラは、ジムに対して自分にはそれはできないと言った。(オブライエン,井川訳,2002,p.204)
新約聖書「ルカによる福音書」に「放蕩息子」(15:11 - 32)という例え話がある。
ある人に二人の息子があり、弟のほうが父に生前分与を要求する。その財産を持って遠い国に旅立った弟は、放蕩で身を持ち崩し、飢えて帰郷する。
父はその弟を温かく迎え、弟は改心の言葉を父に告げて、もう自分に子と呼ばれる資格はないという。しかし、父は祝宴を開いた。
ジョイスは、キリスト教の観点では帰還した放蕩息子なのだろうか。唯物主義者の観点では、ジョイスは自由に正直に生き、世界を諧謔的に眺めた才能豊かな小説家だろうか。
一神秘主義者の観点から眺めると、ある特殊な知力はずば抜けていたにせよ、落ち着いて物事の考えられない、バランス感覚と高貴さに結び付くような高級なタイプの知力の不足した人に見える。ジョイスが死後、あの世でどのような状態にあるかは浅学のわたしにはわからない。
ところで、死んだ人を眺めると、この世にはどうも、死んだはずなのに死んでいない人々がいるようである。
そのような人々のあの世での霊的な体は、死人さながらの昏睡状態にあるようだ。
そして、彼らの強すぎる欲望のために崩壊しきれない遺物、カーマ・ルーパと呼ばれる「物質に関するあらゆる精神的、肉体的欲望と思いによって作られた主観的な形体」(H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』田中恵美子訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、「用語解説」24頁)は、時にこの世の人々に憑依してまでも、欲望を存続させようとする吸血鬼となる。
その強すぎる欲望の対象の筆頭に来るのがアルコール、麻薬ではあるまいか。
神智学の観点では、この世に有害物質を置き土産とする放蕩息子たちは、自らの意志であの世に――霊的価値観に――目覚めるしかない。人は完全に自由であり、天国も地獄も自分で創り出す世界にすぎないからだ(客観世界であるこの世が地獄である以外は)。
なぜ、この世が、この世だけが地獄というかといえば、神智学徒は自我の賞罰をカルマとの関係で考えるからである。ブラヴァツキー夫人の言葉を引用しておきたい。
自我の前世の罪が罰せられるのは、自我のために用意されているこの再生においてです。新しい人生は、この神秘で容赦のない、しかも公平さと賢明さで絶対に誤りのない法則によって選ばれ、用意されるのです。自我が投げ込まれるのは、芝居がかった焔や尻尾や角のあるばかばかしい悪魔達のいる想像上の地獄ではなく、この地上です。つまり、自分が罪を犯したこの世界でこそ、あらゆる悪い思いと行いを贖[あがな]わなければなりません。自分の蒔いた通りに刈り取るのです。(H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』田中恵美子訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、142頁)
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