悪童の落書きめいたジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』(ブラヴァツキーの似顔絵もへのへのもへじに描いた)※何回かの加筆あり
1922年に出版されたジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』は、プルーストの『失われた時を求めて』と並んで、20世紀を代表する世界文学の金字塔といわれている。ちょっと嫌な顔しているけれど、凄いね。
チューリッヒでのジョイス(1918年頃)
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce,1882 – 1941)は、アイルランド出身の小説家で、前掲『ユリシーズ』と、その前編にあたる半自伝的小説『若い芸術家の肖像』が有名である。
なぜ急遽、長編『ユリシーズ』を読むことになったかというと、トラヴァースを調べていたことからだ。
トラヴァースが恋したジョージ・ラッセルについて調べていたらジェイムズ・ジョイスが出てきたわけだった。
そして、これも過去記事で書いたオレイジやらマンスフィールドやらが出てきて(マンスフィールドにはジョイスの『ユリシーズ』はわからなかったようだ)、当然ながらヴァージニア・ウルフが含まれるブルームズベリー・グループが出てきた(拙神秘主義エッセーブログの以下の記事参照)。
44 ヴァージニア・ウルフの知性美と唯物主義的極点
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/02/04/211114
そして、マンスフィールド関連からグルジェフ、何とルネ・ゲノンまで出てきた。
25 ブラヴァツキー批判の代表格ゲノンの空っぽな著作『世界の終末―現代世界の危機』
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/09/16/070556
いい加減、メアリー・ポピンズはこの辺で……と思いながらも変にジョイスが気になった。
有名な作家ということで、昔から何度となく読もうとしてきたけれど、落ち着きのない作品に思えて、読めなかった。
今回、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』を仕方なく読んでみて(気晴らしにTwitterでつぶやきながら)、難解なのではなく(ブラヴァツキー夫人の著作は難解)、いい加減なので、ちゃんと読めないだけなのだと改めてわかった。
最近の本好きの読書傾向として、「謎解き」をお楽しみにしたいという目的があるようだ。純文学小説まで、謎解きゲームのように読んでしまう……
だから、ジョイスのようなわかりにくい作品は案外好まれるのではないだろうか。
ユリシーズでは、あちこちの思想書、文学書から盗ってきた断章ががらくた市のように並べられている。村上春樹も同じようなことをする。ジョイスのような名人芸ではないが。
ジョイスとプルーストによる世界文学の金字塔といわれる2作品が現れてから、純文学の崩壊が始まったようである。プルーストについてもいずれ書きたいのだが、メリー・ポピンズを終わらせて萬子媛に行かなければ……
ユリシーズ全編に神智学関連のちょっとしたことは出てくるが、突っ込んだ内容のものでは全くない。神智学についてそうなら、他のことについてもそうだということだ。
だが、ユリシーズがオデュッセイアを下敷きにしていることを考えれば、ジェイムズ・ジョイスがブラヴァツキーを必要とした理由もわかる。
おどろおどろしい雰囲気を出したかったからに違いない。神話っぽい、冥界っぽい、魔物っぽい……本当のところ、ユリシーズはオデュッセイアとは似ても似つかない。
そして、難解な哲学など、ジョイスには必要なかった。真理の追究や神聖なインスピレーションとの一体感など、求めてはいなかった。作品はそう告白している。
思想書や文芸書から、作品作りに役立つ断章を気ままに拾いたかっただけなのだ。でも、それはピラミッドから宝物を盗むのと同じ泥棒行為にあたるだけでなく、思想や文学の流れに悪影響を及ぼす。
ただ、実際につきあいのあった人々の言葉を割合忠実に映している部分もあるのではないかと思われる。冴えていると感じられる言葉は、そうした写実的なものではないかと推察している。
ジョイスが真理も真実も求めていなかったことがわかる文章を挙げよう。ジェイムズ・ジョイス(丸谷才一&永川玲二&高松雄一訳)『ユリシーズ Ⅰ』(集英社、1996)より。
ドーソン会館の降霊術用びっくり箱。《覆いを取ったイシス》。ぼくたちはやつらのパーリ語聖典を質に入れようとしたっけ。(ジョイス,丸谷&氷川&高松訳,1996,p.465)
その脚注には次のように書かれている。
337 ドーソン会館 ドーソン通りの貸し事務所。毎週木曜日にラッセルを中心にした集会がこのなかで行われていた。
337 降霊術用びっくり箱 yogibogeybox ジョイスの造語。「ヨガ」yoga と「お化け」bogey をつなげた。「降霊術師の用いる道具一式」くらいの意味。ゴーガティ(マリガンのモデル)は「ボックス」を集会所の意味で使っていたという。
337《覆いをとったイシス》 ブラヴァツキー夫人の著書(1876)の題名。
338 やつらのパーリ語聖典 パーリ語は小乗仏教の原典に用いた言葉。前記ブラヴァツキー夫人の著書を茶化して言うのか。実生活でも、ジョイスとゴガーティは神智学協会の集会所に忍び入っていたずらしたことがある(エルマン)。
「降霊術用びっくり箱」という造語から、ラッセルたちがヨガとお化けに関係が深く、降霊術を行っていたかのようなイメージを与えるが、後述するように、ジョイスはブラヴァツキーの神智学に魅了されたラッセル、イェイツを含むダブリンの文学者をからかう造語を他にも作っている。
神智学徒は心霊主義者ではない。降霊術などと結びつけられることを彼らが嫌ったからこそ、からかいのネタにされたのだろう。降霊術の集まりをすることがなぜ危険かは、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)を参照されたい。
ブラヴァツキー夫人の著書を茶化すのなら、どのような内容なのか書かれていてもおかしくない。それが、書かれていないのだ。どれもこれも、こんな風なのである。
しかし、本当に忍び入っていたずらしたのだとしたら、オツムの程度が知れるレベルである。
そのいたずらが、神智学協会の所有物を盗って質に入れたことだとしたら、それは窃盗罪だ。わたしはジョイスの創作の仕方が窃盗してがらくた市に出すようなやりかただと前述したが、素行にも問題があったのか?
後世のわたしたちは、ブラヴァツキーを誹謗中傷した人々があたかもまともな人々であったかのように錯覚している可能性がある。
覆いをとったイシス、は夫人の代表作の一つだ。ジョイスは、これをちゃんと読んではいない。もし読み、理解することができていたとすれば、卑近な心霊現象、「アカーシャの記録」についても(ジョイスに受けたのか、これはあちこちに出てくる)、輪廻についても、あやふやな概念ではない、しっかりした見解を持ち得たことだろうから、作為的で薄っぺらな『ユリシーズ』はもっと厚みと輝かしさを備えた作品となっただろうにと残念に思う。
バルザックは薔薇十字系神秘主義者であり、その知識を血肉としていたからこそ、「人間喜劇」のような偉大な創造を成し得た。ユリシーズでは様々な思想の断片が次々に紹介されるが、それらはジョイスの生半可な知識にすぎないために、有機的つながりを欠いている。
例のブラヴァツキー女史ってのが事のはじまりだ。ありゃいろんな手口を心得ている婆さんだったからな。(ジョイス,丸谷&氷川&高松訳,1996,p.343)
どんな手口か書いていない。嫌らしく匂わせるだけだ。何て卑劣なやりかただろう。
ブラヴァツキー夫人がロンドンで亡くなったとき、ジョイスは9つ、アイルランドで暮らしていた。だからジョイスは生前の夫人を知らないはずなのだが、まるで知っていたかのように書く。読者は知ったかぶりの断定口調に呑まれて、夫人に関する情報がフェイクかもしれないとは思わない。
わたしは以下の記事で、ウィリアム・ジェームズについて次のように書いた。
32 神格化された夏目漱石 (1)神仏分離政策の影
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/192042プラグマティズムはアメリカの哲学で、ウィリアム・ジェームズ(William James、1842 - 1910)によって有名になった。その影響は哲学、心理学、生理学、文学など多岐に及ぶとされ、意識の流れの理論を提唱したことでも知られている。
そのジェームズは、1894年から1895年にかけて SPR (心霊現象研究会)の会長を務めている。SPR はブラヴァツキー夫人の集まりから派生した、神智学協会にとっては近代神智学運動の趣旨をちっとも理解しなかった、ちょっと鬼子のような存在である。
端的にいうなら、ジェームズは真理を現金価値に変換して計量しようと企てることで、物質主義的価値観を高め、唯物論の拡散に貢献した。
おそらくジョイスは、SPR(心霊現象研究会)から出たホジソン・リポートについていっているに違いない。そのリポートはブラヴァツキーが詐欺師であるかのように結論づけた。幸い、ホジソン・リポートの虚偽性は、1977年に SPR の別のメンバー、ヴァーノン・ハリソンによって暴かれたのだったが、ジョイスは1941年に亡くなっているから、知らなかっただろう。
前掲書『神智学の鍵』でブラヴァツキーは、神智学協会にとって危険な敵はとてもたくさんいると語っている。
その危険な敵の名は「第一にアメリカやイギリスやフランスの心霊主義者の憎しみ、第二にあらゆる宗派の牧師達の絶え間ない反対、第三に特にインドの宣教師達の容赦のない憎しみと迫害、第四にインドの宣教師達が組織した陰謀によって唆された英国心霊研究会による神智学協会に対する音に聞こえた攻撃があります」(ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.263)
英国心霊研究会とは SPR のことである。
これに関連して、ブラヴァツキーは協会の簡単な歴史や、なぜ世間はそんなにいろいろ悪口を信じるのかという問に、次のように答えている。
たいていの局外者は協会自体について、また、その動機、目的、信念については何も知りませんでした。協会のごく始めから世間は神智学には或る不思議な現象以外は何もないと考えていました。そして心霊主義者でない三分の二は現象を信じていません。すぐに協会は「奇跡的」な力の持ち主のふりをする団体と見なされるようになりました。協会は奇跡を絶対に信じないし、奇跡の可能性さえないと教えていることを世間は理解しませんでした。また、協会にはこのようなサイキック能力をもっている人達はごくわずかしかいないし、そんな力を欲しがる人もほとんどいないということも理解しません。また、その現象はけっして公けに起こされたものではなく、私的に友達のためにしたことで、現象のようなことは暗い部屋や霊達や霊媒や普通の小道具がなくてもできることを直接見せることで証明しようと、一つの補助物として行ったにすぎないことも理解しませんでした。(後略)(ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.263)
その私的に、補助的に行われた「現象のようなこと」に関して、ホジソンはブラヴァツキーには望まれない調査を強行し、リポートでブラヴァツキーを詐欺師であるかのように結論づけたというわけだった。リポートの虚偽性は前述したように1977年に暴かれた。
9のスキュレとカリュプディスには、神智学協会関係者が5名登場する箇所がある。脚注から引用すると、
- ダニエル・ニコル・ダンロップ 1896年にヨーロッパ神智学協会終身会長、96年ごろから1915年まで『アイルランド神智学研究者』を編集。
- ウィリアム・クワン・ジャッジ(1896没)アイルランド系アメリカ人。1875年にブラヴァツキー夫人らと神智学協会を創設。彼女の死後、1895年にアメリカ神智学協会会長。
- K・H ブラヴァツキー夫人の支配霊クート・フーミKoot Foomiの頭文字。※支配霊という解説は誤り(引用者)
- ミセス・クーパー・オークリー ロンドンの神秘主義者。ブラヴァツキー夫人の腹心の一人。
- H・P・B ヘレナ・ペトローナヴナ・ブラヴァツキー Helena Petrovna Blavatsuky の頭文字。
ジョイスの文章は次のようなものである。
ダンロップ、あの者たちのなかでもっとも高潔なローマ人ジャッジ、農耕神官団の一人AE、口にしてはならない名前、天にあってK・Hと呼ばれる彼らの師、その実体は秘儀に精通する者には周知のことだ。大いなる白い支部の会員たちは、つねに、助けを求める者はいないかと見張っている。キリストは花嫁となる妹を連れて覚醒の境地へ去った。一人の乙女が聖なる魂と合体して産み落とした光のしずく、悔い改めたソフィアを連れて。秘儀の生は常人の知るところではない。O・Pは、まず悪しき業から抜け出さねば。ミセス・クーパー・オークリーは、かつて、わが高名な妹H・P・Bの心霊力をかいま見た。
ああ、いやな! なんという! 《なんて恥知らずなの!》 見ちゃいけないのよ、奥さん! レディが心霊力を見せているときには見ちゃいけないのよ。(ジョイス,丸谷&氷川&高松訳,1996,p.451)
ブラヴァツキーも他の人々も、思いっきり馬鹿にされている。こんなことが楽しいのだろうか。
しかし、K・Hが「天にあって」というのはジョイスの思い違いであるし、K・Hがブラヴァツキー夫人の支配霊という脚注の解説も間違っている。
ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981)によると、ブラヴァツキーは「主に化身している超人達の為の仲介者即ち伝達者として特別に訓練された」(マーフェット,田中訳,p.188)
人物で、彼女は霊媒と思われることを嫌っていた。
ブラヴァツキーはHPBと呼びかけられることを望んでいた。「大師方が『HPBのようなすぐれた人を長い間、待っていた」と言われたので、偉大な方々の協力グループの一員であることを示す、彼女にとって重大な意味のある名がHPBでした」(マーフェット,田中訳,p.189)
つまりK・Hは化身している超人達のお一人であり、ブラヴァツキーはその方々の協力グループの一員だった。「HPB」は、ブラヴァツキーにとって、神聖な意味合いの籠った、誇らしい名だったのだ。
キリスト教と心霊主義の混じったような考えかたでは、ブラヴァツキーと彼女の著書を理解することはできない。
悪童のように無知で愚かだからこそ、文学の名を騙って盗ったり、玩具にしたりできるのだろう。恥知らずなのは、ジョイスではないだろうか。
『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ボリス・デ・ジルコフ「前書きにかえて」で、ジルコフは霊媒とブラヴァツキーのような媒介者とを厳密に区別している。両者は対極にある。詳しくは、拙神秘主義エッセーブログの以下の記事を参照されたい(記事で引用したジルコフの解説をライン以下に転写しておく)。
77 前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/11/16/195219
ところで、ジョイスはヴァージニア・ウルフ同様、意識の流れという技法を使ったといわれている。ウルフの小説は確かにそのような実験ごころと何かに到達しようとする祈りのような意志を感じさせる。一方、ジョイスの場合は遊びにしかなっていないとわたしには思える。
例えば18のペネロペイア。句読点のない、主人公ブルームの妻モリーの独白が455頁から563頁まで続く。意識の流れがこんなに不自然なものであるはずがない。ヴァージニア・ウルフの技法とは似て非なるものだ。
ジョイスは糞尿好き、卑猥好きで、わたしは読みながらうんざりするが、丸谷才一氏はそうした傾向にも、解説「巨大な砂時計のくびれの箇所」で好意的な考察を加え、ユリシーズで最も重要なのは言語遊戯だという。「対象のきたなさと言葉の藝の洗練との対立は、ただ息を呑むしかない」(p.585)そうである。
ヴァージニア・ウルフをはじめとするブルムベリー・グループの作家、イギリスの読者は『ユリシーズ』を嫌がったそうで、それはこの糞尿譚のせいではないかと思っていたそうだ。理性的な作家であれば、それが作品を嫌う一番の原因となることはないのではないか。不快に感じてしまうこのような箇所を、わたしなら飛ばすだけだ。
合成語、造語も得意だったらしい。脚注から引用した前掲のyogibogeybox(降霊術用びっくり箱)はそうだが、電話、エレベーター、水道設備、水洗便所という4つの単語を「神智学者が好きなサンスクリット用語めかした綴り字で書いて、ダブリンの文学者たちがAEやイェイツを含めてマダム・ブラヴァツキーに心酔してゐるのをからかったもの」(p.583)もある。
ジョイスのからかいはともかく、当時のダブリンに、ブラヴァツキーの神智学に心酔していた真摯な文学者たちがいたという情報がもたらされたことは、ありがたい。ウィリアム・バトラー・イェイツは1923年にノーベル文学賞を受賞している。わたしは未読だが、彼には日本の能楽の影響を受けた戯曲『鷹の井戸』などもある。
ジョイスの語彙は、専門語、学術語から、俗語、卑語、幼児語、誓語(罵り言葉)、擬音語にまで及ぶという。「言語の多様性へのかういう執着は、長編小説を、 辞書と競争 させようといふもので、この企てもまた明らかに言葉遊びの一種であり、そしてこの遊びは当然、 百科事典と競争 歴史事典と競争 地名事典と競争 する段階へ進む」(p.587)そうだ。
何が当然なんだか……わたしは、ジョイスと関わるのはもう充分である。ブラヴァツキーが病身に鞭打ち、どれほどの思いで執筆に向かっていたかを伝記と著書を通して知っているためか、何か物哀しい気分にさえなった。
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ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ボリス・デ・ジルコフ「前書きにかえて」で、ジルコフは霊媒とブラヴァツキーのような媒介者とを厳密に区別している。両者は対極にある。拙神秘主義エッセーブログの以下の記事を参照していただきたいが、記事で引用したジルコフの解説を転写しておく。
77 前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/11/16/195219
H・P・ブラヴァツキーが通常の霊媒の状態にあると考え,彼女のオカルト現象をトランス降霊術と解釈した批評家たちの意見は,そこに含まれている諸要素に対する無知と単なる外見についての表面的判断にもとづいている。H・P・ブラヴァツキーが見せたある現象は,ほんものの霊媒が見せるそれに似ていたが,それらの外見の類似性は,次のようなふたりの人間の間に存在する類似性になぞらえることができる。すなわち,自発的な意志や意図で通りを歩いている人と,何が起きているかまったく知らずに夢中遊行している人と,である。ともかく,どちらも歩いていることにかわりはない。
それゆえ,〈オカルティズム〉においては,単なる霊媒と媒介者をはっきりと区別する。前者は,一貫性のない気まぐれな星辰的諸力の不幸で無力な道具であることが多く,後者は,〈熟達者[アデプト]たちの同胞団〉とふつうの人間の間に立つ,完全に自発的でありながらまったく従順かつ協力的で自覚を持った仲介者である。したがって,媒介者は,高度に進化し訓練された人間で,強靭さや生き生きとした活力や霊的な洞察力の備わった個性を持っており,たいていは説得力のある肯定的な人格を通して機能する。H・P・ブラヴァツキーの場合も,きっとそうだったのだろう。(略)通常の霊媒は,多かれ少なかれ調子の悪い心霊学的[心理学的]装置が備わった人間で,星辰的な潮流やエネルギーがたまたま彼ないし彼女に向かってくれば,いつも無意識的に,あるいはせいぜい半意識的に,その餌食や犠牲者になっている。じつのところ,霊媒は,その体の諸原理が高次の霊的な意志や精神[マインド]のコントロール下にない者,あるいは部分的にしかそうでない者である。そのため,彼の体の低次の部分は,多かれ少なかれ一貫性を欠き,他者の考えや感情によって容易に揺らぐものになってしまう。
一方、媒介者は,少なくとも自分の意志に関しては自由行為者であり,そのなかで内なる神からの霊的な流れが多少とも不断に働いている者である。それゆえ,そしてまた定義からしても,媒介者は,他のいかなるものの意志にも隷属したり服従したりしない高度なオカルト的訓練を積んだ人であり,心霊化にも自己心霊化にも苦しむことがない。そんなことがあるなら,媒介者でいるにはふさわしくないだろう。何をなすにせよ,彼は自己決定と自由選択の結果としてそれをなす。そして,彼が媒介者として活動することは,本質的に,高次の霊的〈原因〉に対する積極的な奉仕の最も壮大にして崇高な部分である。
(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてpp.17-18)
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