末吉暁子『星に帰った少女』(偕成社、2003改訂版)を読んで ※20日に加筆あり、緑字
児童小説、末吉暁子『星に帰った少女』(偕成社、2003改訂版)を読みました。
ネタバレあり、ご注意ください。
佐藤さとる氏の解説によると、イギリスの女流作家フィリッパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』が日本に紹介されたときの影響力は大きく、同じ手法を追う試みがいくつかなされたそうだ。『星に帰った少女』も、直接か間接か影響を受けているかもしれないという。
主人公マミ子がママから貰った古いオーバーのポケットに入っていたバスの回数券を使ってタイムトラベルするというストーリーだから、解説を読む前の作品を読んでいる途中で、わたしもピアスの作品を連想した。
12歳の誕生日の晩、母子家庭でママの帰宅を待つマミ子。マミ子の気持ちにあまり寄り添わない、キャリア志向のママ。古びたオーバーを貰って困惑するマミ子の気持ちも、率直な物言いをするママの気持ちもよく書けている。オーバーはママが大層大事にしていたものだった。
東京からタイムトラベルした、敗戦後間もない昭和24年の海辺の町。富士山が間近に見える。進駐軍が何気なく出てくる。町の様子は丹念に、叙情味ゆたかに描かれ、「昭和」の薫りが郷愁を誘う。
マミ子はその町で、同じ12歳のママ、杏子と出会った……これはもしかしたらピアスにも勝る第一級の児童小説ではないだろうか、とわたしは興奮した。
だが、後半部、その感激は徐々に冷めていき、竜頭蛇尾の印象に終わったことを残念に思う。
ママが再婚を匂わせるようになり、その相手の男性トシさんをマミ子は受け入れていたはずだった。ところが、トシさんといるときのママに違和感を覚え、反発した態度をとってしまう。
その場面の描写は秀逸である。長くなるが、勉強のためにも引用しておこう。
とつぜん、ふたりのわらい声がきこえた。ふりかえると、ママはその場に立ちどまり、おなかに手をあて、身をよじってわらっている。いっぱいに、ひらかれた赤いくちびる……切れめなしに、あふれでてくるわらい声。
「ママったら、道のまんなかでみっともない……」
トシさんも、そんなママをたのしそうにみている。両手をポケットにつっこみ、じょうだんでママをわらわせた、とくいの表情をして……。
ママのあんなわらい声を、一度もみたことがない……。
「そう、あたしは、これまで一度もわらわなかった。だからいままでのぶんも、いっぺんにとりもどしているのよ。」
かん高いわらい声は、そういっていた。
マミ子は、きびすをかえして歩きだした。駐車場にはいかず、駅にむかって、どんどん歩いた。
ふりかえると、絵の具箱をぶちまけたような色彩のなかを、みしらぬ顔、顔がうごめいているだけだった。
(末吉,2003,pp.193-194)
無防備に女としての自分をさらけ出しているママに対するマミ子の生理的な嫌悪感、トシさんに対する敗北感、孤独感といった一連の心の動きが実に巧みに表現されている。
それなのに、そこからの展開は、マミ子の心情を切り捨てた、ママ側に立ったご都合主義の要素が強まるのである。
古びたオーバーは、海で溺死したマミ子の祖母がママにくれたものだった。海での事故は、小学6年生だったときのママ、杏子が母の再婚をうまく受け入れることができなかったことに起因する不幸な事故だった。
つまり、杏子とマミ子は同じ年齢のときに、母親の再婚を受け入れることができないという同じ問題を抱えていたわけである。
海が荒れてきていたのに、杏子は母と再婚相手に無茶をいって、大きな鳥のように見える舟で海に出て行かせた。舟は転覆し、一人しか助けられない再婚相手に娘を助けてくれるように頼み、杏子の母は海に沈んでいった。
作者は、同じ体験をさせることで、それを通過儀礼のように用いて、杏子ができなかった受容をマミ子に果たさせようとする。
祖母を呑み込んだ海にやってきたマミ子は、砂浜で一人、鳥のように見える舟に乗り込む。舟はなぜか海へと動き出し、やがて転覆して、マミ子は海に放り出される。
ここで読者は、オカルティックな忌まわしい現象か、亡き祖母による神秘的な救いかのいずれかを期待するのではないだろうか。
作者は他の救いを用意していた。事前にビーバーみたいな歯をした少年との出会いがあり、その少年に救出されるのである。
海に投げ出されたとき、マミ子の手さげかばんも一緒に海に投げ出された。かばんには12歳のときのママが綴った日記も入っていた(日記にはマミ子との出会いと事故のトラウマが綴られていた)。
日記が海に消え去ったことが、厄落としにでもなったかのようなことをママはいう。あれほどマミ子が貰ったオーバーが大事にされていたわりには、祖母の出番は全くない。
次のようなことをマミ子にいうとき、ママには母性の欠片も見あたらず、子供のように直截的である。
マミ子がいてくれるのが、生きていく支えだったんだけど……でもね、マミ子、いま、ママは、もっと必要な人がいるのよ。ママの足りない部分をおぎなってくれるおとなの人が……
(末吉,2003,p.259)
「マミ子はママにとってかけがえのない娘だけど、トシさんもママにはかけがえのない人なの。」といえば、マミ子の心証も違っただろう。尤も、あなたは不要といわれたも同然のマミ子は、溺れかけた体験が通過儀礼となったらしく、大人びた理解者にバージョンアップ(?)していて、さほど傷つくこともない。作者の思惑通りに、ママの再婚を祝福するのである。おまけのように、そこにはビーバーのような歯をした少年もいる。
めでたし、めでたしで、納得できないのは読者であるわたし一人だけだ。
比べようのないものを、無理に比べる必要があるのだろうか。母性愛と異性愛のどちらが重いか、量ることができるのだろうか。ハッピーエンドがそんなに貴重だろうか。
杏子はかつて母親を失ったように、今度は娘を犠牲にしようとしているように思えてならない。当座の「必要」、そのときの自分の都合だけで物事を判断する、身勝手な人間に思えてならない。
子供をネグレクトしたり、不倫したりする人間は、杏子型の単純な思考回路の持主ではないかとわたしは穿った見方さえしてしまう。
割り切れないものを割り切れないままに、通常の見方とは異なる視点から描くのが純文学だとわたしは考えているので、割り切れないものを切り捨てて茶番劇のような終わり方をしたこの作品が『トムは真夜中の庭で』のような純文学作品だとはわたしには思えない。エンター系かといわれると、そうなのかどうか、わたしにはわからない。
タイムトラベルという技法の用いられかたは、両作品によって、はっきりと異なる。
『トムは真夜中の庭で』では、同じ場所を別の視点から見ることが目的である。そうすることによって、今は失われた庭園が息づき、そこに展開していた――今につながる――人間関係が浮かび上がってくる。タイムトラベルは、歴史を紐解くという本来の役どころに納まっている。
『星に帰った少女』では、タイムトラベルはマミ子の「教育」に用いられている。ママの12歳のときの体験を娘に追体験させ、ママの理解者に育てるための「教育」である。
小学6年生には無理な成熟を促がそうというわけだが、人の成熟は社会を含めた大自然が促すもので、タイムトラベルには土台無理なお役目なのである。
トムはタイムトラベルしたことで、内面的な成長を遂げたようでもあるが、神経過敏になった。タイムトラベルすることによって歴史の思わぬ闇を体験し、精神的損傷を受ける可能性もあったのだ。タイムトラベルは、トムにとってスリリングな冒険だった。
マミ子には、「成熟」という課題が与えられており、タイムトラベルがもたらす過去の歴史はそのために整えられた教育環境にすぎないから、マミ子はタイムトラベルがもたらすかもしれない弊害からはあらかじめ作者によって保護されているのである。
マミ子のタイムトラベルはトムの場合に比べれば小手先の教育対策にすぎず、冒険というよりは修学旅行だろう。
平家物語をモチーフとした末吉暁子『波のそこにも』(偕成社、2015)は、着想の卓抜さ、「水底[みなそこ]の国」のファンタスティックな描写の美しさに心惹かれたが、神秘性がもう一つ感じられず、次第に単調に思われ出した。
わたしの好みから出た感想にすぎないが、美点を考えれば、この作品も『星に帰った少女』同様、残念な作品に思われた。わたしのようなヨチヨチ歩きの物書きからすれば、こんなに長く綺麗な文章で書き通すことができるということだけでも、凄いことだと思うけれど。
割り切れないものを強引に割り、余りは切り捨ててしまってハッピーエンドに納まるパターンは、今のわが国の児童文学にはよく見かけるものだ。それが教科書とされているからだろう。
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