« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »

2019年3月の22件の記事

2019年3月30日 (土)

パソコン復活(まだアイパッドから)

Windows10をインストールしてネットに繋げ、NTTのセキリティツールを再設定し、現在、外付ハードディスクに移していたデータを戻しているところです。

「わたしたちって、やっぱり二人でようやく一人前なのね」というと、夫も同感。共同作業を完成させたーーちとオーバーですがーー達成感があります。でも、疲れたわ、こんな作業は今度は新品のパソコンを買うときまでしたくありません。

夫の思いつきにわたしが脇を固めるといった役割り分担で、何とかパソコンの復活に漕ぎ着けました。データを丸ごと外付に移すのは無意味だし、無理でもあったので、消えたデータがあるでしょうし、アプリケーションは再インストールが必要なので、元のような快適なパソコン環境を整えるには時間がかかりそう。

精神的には高くついたボタン電池交換でしたが、金銭的にはボタン電池代200円と、2.5インチSSD/HDDケース代1,000円しかかかりませんでした。

Windows10は公式ホームぺージからダウンロードできます。今もできるとは知りませんでした。わたしのパソコンは使えないので、夫のパソコンで、USBメモリにWindows10をダウンロードしました。この作業には、パソコンが2台ないと、無理ですね。

そして、まずわたしのパソコンのBIOS(バイオス)を起動させました。わたしのパソコンではF2キーの連打で、起動します。BIOS画面で、読み込み順位をUSBメモリに変更しました。

そのあと、メモリを差し込むと、Windows10のインストールが始まり、ライセンス認証を求められたので、わたしのパソコンのプロダクトキーを打ち込みました。Windows10が立ち上がったら、順位の変更を戻しておきます。

パソコン、死ななかった……よかった。

今回パソコンについて調べたことは、今後パソコンを買い替えるときに役に立ちそうです。

| | コメント (0)

2019年3月29日 (金)

パソコンの受難、その後(アイパッドから)

パソコンは入院していません。購入した電器店でみていただいたところ(ただで。最初に某パソコン専門店に電話して尋ねたら、ワンコイン診断→5,000円の総合診断というので、そこは高くつくと思い、やめました)、Windows10が壊れているとのこと。

修復ディスクは作成していたのですが、リカバリーディスクを作成していなかったのは致命的です。まさか、こんなことになるとはね。

Windows10OSソフトと、駄目になっている場合はハードディスクの購入も必要になるかもしれません。買い替えを勧められて、痛いわ、とても。なきましたよ。

わたしが泣き寝入りしていた間に、夫が1,000円の2.5インチSSD/HDDケースを買ってきて自分のパソコンを使い、わたしのハードディスクからデータを総て取出してくれていました。データは綺麗そのもの。

バックアップはとっていたのに……というと、念のためとのこと。この件ではもう電器店には頼みません。2012年製造のWindows7だったパソコンを再び使えるように試みるか、買い替えるかで迷っています。古いけれど、型落ちのお得な、頭のいい子でした。

あまりにお得だったので、それまでは娘と1台のノートパソコンを共有していたのですが、それぞれのマイパソコンを持つことにし、2台購入してそれで一層お得になったーー負けて貰ったーーのでした。第三世代のCore i7で、8Gの子です。

今、買い替えるとしたら、とにかく高いパソコンは買えません。

夫はデル、HP(ヒューレット・パッカード)が好きで(中がいじりやすいそうです)、最近、HPのデスクトップを中古で購入しました。会社で使われていることの多いHPは、一斉に売りに出されることが多く、お得な中古も多いとか。いじるのが好きな夫には中古がぴったりかも。

でも、わたしは中古は嫌。わたしが大事に使うのを知ってるので、わたしにも中古を探せとはいいません。

NECと富士通は中国レノボ、シャープと東芝は台湾ホンハイ傘下。国内メーカーといえるのは、パナソニック、ソニーから切り離されたPCブランド「VAIO」、エプソンくらい。

アメリカのブランドには馴染みがなかったけれど、HPとデルに惹かれ始めたわたしです。特に、HPはカッコいいと思います。パソコンにWindows10さえ入っていればいいので、比較的リーズナブルなお値段で買えそうだし。

でも、まだ迷っています。

話題は変わりますが、昨夜リヴリーアイランドにアイパッドで行けたので、うちの子たちにごはんをやった後で、いつものように飼主に見捨てられている風情の子たちのいる島へごはんやりに、20島ほど回りました。ところが、スマホ版が公開されたばかりで、不具合なのか、ごはんをいくらやっても反映しない子がいて、家出、餓死が心配になります。今日はまだ行っていません。不具合が解消されていればいいのですが……

|

2019年3月28日 (木)

パソコンの入院

パソコンのボタン電池が切れたようで、時間がうまく表示されなくなりました。ノートパソコンのボタン電池はデスクトップと違って、交換しにくく、細心の注意が必要とネット検索で出てきました。

電器店にお願いするつもりでしたが、デスクトップ派でキカイいじりの好きな夫が「俺に任せてくれたら、数百円でできるよ」というので、任せたところ、Windowsが立ち上がらなくなりました。

トラブル解決ナビが出てきて無限ループ状態。ハードディスクが壊れたのではないかと想像していますが、みて貰わなくてはわかりません。1週間くらいの入院は覚悟しなくてはならないようです。修理できることを祈るばかり😵

この記事は、息子から貰ったアイパッドで書いています。指先で記事を書くのは疲れるので、夫のパソコンを借りて書こうとしましたが、勝手が違って書きにくいのです。

久しぶりに、手書きで歴史小説の下書きを執筆するのもいいかもしれません。その前に、神智学の影響を受けたメアリー・ポピンズの生みの親トラヴァースとユングについて「マダムNの神秘主義的エッセー」にまとめをアップしたいと思っていましたが、お預けになりそう。

そういえば、従姉の息子さんが出した絵本はどうなったでしょう?

| | コメント (0)

2019年3月27日 (水)

ストウブで、キャベツ料理

みないきぬこ『はじめてのストウブ』(池田書店、2018)がストウブ入門に役立っていることは過去記事でも書きましたが、本の中のストウブレシピ「焼きキャベツ」を参考に作ってみました。

キャベツとちょっとしたベーコンがあれば作れる、お手軽レシピですが、キャベツって甘いんだと感動する美味しさでした。

Img_0208_b1

これで、息子が帰省すれば、ストウブ鍋の空いたところが増量するキャベツで埋まるなと思いました。愛用している「ココット ラウンド ブラック 22cm」(我が家での愛称はノワール2世)は、3~4人にぴったりという感じです。そのうち、もっと小さいのと、楕円形の大きいのがほしいです。

Img_0214_c1

これに、イタリアンパセリ、オリーブオイル、粒マスタード、塩、粗びきこしょうを合わせたものを添えるようになっています。焼きキャベツの味わいを損なわない、ぴったりのドレッシングでした。レシピでは、二人分で、キャベツ 1/4 個となっています。

焼きキャベツに、アジの干物と小松菜の味噌汁でしたが、この和洋の組み合わせは悪くありませんでした。

Img_2357_a

2019年2月25日 (月)
ストウブ鍋、炊き込み御飯の失敗と成功
https://elder.tea-nifty.com/blog/2019/02/post-62f7.html

過日、上の過去記事で「Nadia」のレシピ「じゃがバターライス」を参考に作ったライスがとても美味しかったので、夫と2人だった夕飯に、ウインナーを加えて作りました。ウインナーはごはんが炊き上がって10分放置する直前に加えました。

娘はイタリア語講座で仲良くなった人たちとフランス料理を食べて帰宅しました。イタリア語講座の先生がたと一緒のときはイタリアンレストランみたいです。

ご夫婦でイタリア語講座なさっていて、娘は以前は女の先生、今は男の先生から習っています。女の先生の講座に見学にいったときのことを書いた過去記事がありましたっけ。

2014年9月23日 (火)
お気楽な見学のつもりが体験学習でした。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2014/09/post-bdcf.html

わたしはほんの見学のつもりだったのに、当てられて大慌てでした。でも、楽しかったなあ。イタリア語、美しいし。時間とお金があればわたしも行きたいけれど、書きものと読まなければならないもので1年先くらいまで予定で埋まっております。

娘は御馳走食べてきた癖に、「わたしがいないときに、じゃがバターライス、作ったんだ。ウインナーも入れて」と恨みがましくいったので、翌朝の朝食に出しました。そのぶん、多めに作っていましたよ。

Img_0219-1

ただ、わたしはウインナーなしでレシピ通りに作る「じゃがバターライス」が最高だと再認識しました。

Img_0205_a

久しぶりのミスタードーナツ。おやつに2個いただくと、年取ったせいか、もう夕飯いらないくらい、おなかいっぱいになりました。

| | コメント (0)

日記体の純文学小説『詩人の死』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

3月20日ごろ日記体の純文学小説『詩人の死』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます!

8冊目のお買い上げでした。

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。拙電子著書一覧を御覧いただけます。

Amazon.co.jp: 直塚万季: 作品一覧、著書略歴
https://www.amazon.co.jp/-/e/B00BERQ7P0

 

|

2019年3月25日 (月)

トマト缶入りインスタントカレー(ストウブ鍋で)

ココログのリニューアルメンテナンス後、管理画面が変わり、記事が書きにくくなりました。不具合も多々発生。

どこかのブログサービスの管理画面に似ているような気がするけれど、うーん、どこだっけ?

ストウブ鍋の話題が多くなりますが、ちょっとだけ。ジャワカレー中辛のルーを使ったインスタントカレーを作ったのですが、無水で作ってみました。合い挽き肉を使ったインスタントカレーは時間がないときに作ります。

ストウブだと、10分加熱すれば、火を切った後で10分蒸らす時間が必要になることが多いので、必ずしも速くできるとは限りません。無水にして失敗すると、ますます時間をとることになるだろうし。と思いつつも、決行。

合い挽き肉、玉ねぎ、人参、じゃがいもだけでは水分が充分でないため、トマト缶を一缶入れたらいいそうです。生のトマトだとなおいいでしょう。いくらトマト缶入れたからって、こんなに水分でるの? と呆れたくらいに出ました。そして、とても美味しかった!

時間はどれくらい加熱したかなあ。様子を見ながら適当だったので、忘れました。火を切ったあとは10分以上蒸らしました。適当に作っても、トマト缶で、無水カレーがインスタントルーで、手軽に美味しくできるということなんです。

ググれば、レシピを書いていらっしゃるかたが沢山見つかると思います。美味しかったというご報告のみで、申し訳ありません。

トマト風味のカレー、家族に受けるかどうか心配でしたが、夫も娘もわたし以上に気に入ったようでした。二人ともバスタが好きですし、トマト缶入りカレーにも抵抗感がないようです。

急いでいたので、写真はありませんが、野菜がやはり美味しい。形を保っているのに、ふっくら柔らかでした。水分が沢山出たといっても、いつもよりは少な目なので、キーマカレーにちょっと近づいた味わいでした。

16日に循環器クリニックに出かけたので(日が経っちゃいましたね)、その受診記録も一緒に書くつもりでしたが、記事を改めます。特に書くこともないくらいでも、一応書いておかないと、後でこの日はどうだったかなということになりますから。

| | コメント (0)

2019年3月24日 (日)

エッセーブログの 41「ゴッホが求めたもの」に加筆しました

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」の 41「ゴッホが求めたもの」に加筆しました。

加筆したのは、目次 7 の一部と 8 の全部です。

目次

  1. ゴッホ全油彩画
  2. 国立西洋美術館で出合ったゴッホの「ばら」
  3. パンのオブジェ
  4. 入魂の絵の数々
  5. ああ、馬鹿な男たち……!
  6. はっきり言って、ゴッホは可愛い
  7. ゴッホとゴーギャンにおけるジヌー夫人
  8. 物質的不幸と死に関するゴッホの独創的考察
  9. 2019年3月23日における追記:ゴッホの画集から感じられた不純物の正体

以下に、7と8を全文(画像を除き)、引用しておきます。

7. ゴッホとゴーギャンにおけるジヌー夫人

 ここで、ゴッホとゴーギャンの話題に戻ろう。画集には、ジヌー夫人という中年女性を描いた両者の絵が収録されていた。これが同じ女性だろうか、と思うくらいの違いがそこにはある。

 ゴーギャンの描いたジヌー夫人の絵からは、彼がタヒチへ行ってしまった謎が読み取れるような気がする。絵の向かって右前方にカフェの女主人ジヌー夫人が、どこか皮肉っぽさを湛えた艶っぽい笑みを口の端に浮かべ、左頬杖をついて座っている。背景には玉突き台、その後ろに顔はよくわからないながらキツネのように目の端が吊り上がった客たち、奥に平板に塗りこまれた赤い壁。

 ジヌー夫人はしたたかそうで、腹黒そうで、気に入りの客には情け深そうでもある、如何にもカフェの女主人という感じの女性に描かれている。それ以上の人間でもそれ以下の人間でもないという、大雑把に値踏みしたような描き方だ。

 ただ、見ようによってはジヌー夫人は地母神のようにも見える。なかなかどうして、動かそうとしても動かしえない安定感が彼女には備わっているのだ。タヒチへ行って、この安定感をゴーギャンは発展させたかったのかもしれないし、あるいは逆に、ねっとりと濃厚な、底意地の悪そうにも見えるこの女性は、彼の嫌悪する社会そのものの象徴である可能性もあった。

 事実、ゴーギャンは、これを描いたアルルという土地を嫌い、去ったのだから。いずれにしても、ゴーギャンを知ろうとするうえで、興味深い絵ではある。

 他方、ゴッホのジヌー夫人。この絵に関しては、あまり説明を要しない気がする。ゴッホのジヌー夫人は、精神性の勝った、思慮深げな女性に見える。とことん精神的な描き方だ。理想をこめた描き方といってもいいかもしれない。

 というのも、ゴッホのジヌー夫人はカフェの女主人には見えないからだ。婦人会の会長か何かに見える。ゴッホは大変な読書家だったが、ジヌー夫人もそうだったのだろうか。単なる装飾として置かれたのだろうか。

 ちなみに、『ゴッホの手紙〔全三冊〕』(硲伊之助訳、岩波文庫 - 岩波書店、1955・1961・1970)に収められた書簡には、ボードレール、ドーデ、ロチ、ゾラ、バルザック、ゴンクール兄弟、モーパッサン、フロベール、リシュパン、トルストイ、ストウ、ディケンズ、ラマルチーヌ、ヴォルテールといった作家の作品に言及がある。特に、バルザック、ゾラ、モーパッサンは好きだったようだ。

 また、宗教書、歴史書も好んだ。牧師の家に生まれ、画家を志す前は聖職者を志した来歴からすると、宗教書への関心は当然かもしれないが、ゴッホの読書の仕方は信仰者としてのそれというよりは、いわゆる知識人的読み方ではないだろうか。書簡には、次に引用するような考察が出てくる。

 君はルーテルの伝記を読んだことがないのか。クラナッハもデュレルも、ホルバインもその影響を受けた。その――人格は――中世の高い光だった。
 君と同意見で太陽王は嫌いだ――なんだか燈明消しのような気がするルイ十四世――あんなソロモン王をメソジスト教徒にしたような奴は、何につけてもやっかいだったにちがいない。僕はソロモン王はきらいだしメソジスト教徒はなおさらなんだ――ソロモン王は偽善的異教徒らしいし、他の様式を模倣したその建築は全く尊敬できない、文章もきらいだ、異教徒はもっとすぐれたものを残している。
*5 エミル・ベルナール編(硲伊之助訳)『ゴッホの手紙(上)』(岩波文庫 - 岩波書店、1955、p.123)

 その後もゴッホはジヌー夫人を描いていて、これらはさらに彼の理解度だか理想度だかはわからないが、それが高まった感のある、善良そのもののジヌー夫人だ。

 1890年以降のジヌー夫人は、ゴーギャンの素描を基に制作されたものらしい。ウィキペディア「アルルの女(ジヌー夫人)」に、次のような解説がある。

 1890年以降の別バージョンの構図はポール・ゴーギャンが1888年に描いた素描が基とされ、ゴッホの筆による同様の構図の絵が複数(4点とされる)ある。そのうちで特に傑作とされるものが、衣服がピンク色の1点である(他の3点は衣服が黒い暗色である)。
*6 「アルルの女 (ジヌー夫人)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年10月10日 13:40 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

 テオが所有していたプライベートコレクションの絵は、落札されたのが丁度このエッセーを書いたころの2006年5月で、2002年刊行の『ゴッホ全油彩画』には、モノクロで撮影された小さな写真「アルルの女(ジヌー夫人)1890年2月(サン・レミ)油彩、カンヴァス 66×54 ㎝ F 543,JH 1895 所在不明」として掲載されている。

 精神的な美点を際立たせるような描き方で、彼女は純朴な、それでいながら理智的でもある綺麗な笑みをほのかに見せて、こちらを見ている。柔和さの頂点に達した修道女といった雰囲気さえ湛えている。

 ゴッホは他人との交わりに、心から精神的なものを求めた人であったに違いない。まことに、いじらしい。社会人として生き抜くには、それが甘さ、弱点となった可能性も否定できないだろう。

 ゴッホ、ゴーギャン、両者が描くジヌー夫人の違いは、彼らが求めたものの違いでもあるのだろう。

 あたかも、ゴーギャンのジヌー夫人が肉体を、ゴッホのジヌー夫人が精神をシンボライズしているかのような、劇的なまでの相違がそこにはあった。彼らの衝突には、肉体と精神の相克を見るようなシンボリックなものがある気がする。

 縛りの中に息づきながら何かを求め続けるゴッホを、無能な安住者とばかりに足蹴にして、が、その縛りに徹底抗戦を挑むというより、逃走を企てたマッチョだったのか弱かったのかよくわからない男ゴーギャン。

 最晩年には、タヒチよりもっと辺鄙なマルキーズ諸島に暮らし、地域の政治論争に加わったりしたそうだが、何か奇異な感じを受ける。

 ゴーギャンは実際には、どんな人間だったのだろうか?  そして本当のところ彼は何を求めたのか、別のエッセーで、彼の軌跡も追ってみたいと考えている。

8. 物質的不幸と死に関するゴッホの独創的考察

 ゴッホの死の真相はわからないままだ。画商であった弟テオの経済的援助を受けていたゴッホだったが、家庭ができたテオの負担を軽くするために自殺したのだろうか。

 ゴッホが単純な人でなかったことは間違いない。テオ宛ての書簡に、物質的不幸と死に関するゴッホの考察があるので、長くなるが、引用しておきたい。

 すべての芸術家、詩人、音楽家、画家たちが物質的に不幸なのは確かに不可思議な現象だ――たとえ幸福でも――君が最近ギュイ・ド・モーパッサンについて語ったことはなおそれを裏づけている。これは永遠の謎に触れることだ。われわれに生命の全部が見えるのか、或いは死以前の半分だけしかわれわれは知らないのか。
 多くの画家たちは――敢て彼らについて語れば――死んで埋められていても、その作品を通じて次代から数代あとまでの語り草になる。
 それだけで総てなのか、又はもっとほかに何かあるのか、絵かきの生涯にとって恐らく死は彼らが遭遇する最大の苦難ではあるまい。
 僕としては、それがどんなものだか知りたいとも思わないが、いつも星を見つめていると、地図の上の町や村を表示する黒点が夢を与えるように、簡単に夢見心地になってしまう。どうしてそう考えてはいけないのだろう、蒼穹の光点がなぜフランス地図の黒点以下なのだろう。
 汽車に乗ってタラスコンやルアンへ行くように、われわれは星へ行くのに死を選ぶのかもしれない。
 生きているあいだに星の世界へ行けないのと、死んでしまったら汽車に乗れないのとは、この推理のうち、たしかに本当のことだ。
 要するに、コレラや、砂粒状結石、肺病、癌が、汽船や乗合馬車や汽車が地上の交通機関であるように、天上の交通機関だと考えられないこともない。
 老衰で静かに死ぬのは歩いてゆく方だ。
*7 J・v・ゴッホ-ボンゲル編(硲伊之助訳)『ゴッホの手紙(中)』(岩波文庫 - 岩波書店、1961、pp.127-128)

 ゴッホは1890年7月29日に37歳で、弟テオはその後を追うように翌1891年、33歳で死去した。残した業績の大きさを考えれば、短命であったことに、改めて驚かされる。

| | コメント (0)

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。39、40、41。

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。

39 芥川賞候補、川上未映子の詩『私はゴッホにゆうたりたい』を読む 2007.7.7 
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/23/013245

Cat351926_640_1

40 末吉暁子『星に帰った少女』(偕成社、2003改訂版)を読む 2019.3.19
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/23/021037

Springflowers4056414_314

41 ゴッホが求めたもの 2006.5.11・14
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/24/080954

314pxvincent_van_gogh_roses

| | コメント (0)

2019年3月22日 (金)

「94 祐徳稲荷神社参詣記(10)」を神秘主義エッセーブログにアップしました。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

 94 祐徳稲荷神社参詣記 (10)萬子媛入寂後に届いた鍋島直條の訃報:『鹿島藩日記 第二巻』
 https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/21/212607

目次

  1. 飛脚が東奔西走
  2. 鍋島直條の死
  3. 『鹿島藩日記』に記された赤穂事件

|

2019年3月19日 (火)

末吉暁子『星に帰った少女』(偕成社、2003改訂版)を読んで ※20日に加筆あり、緑字

児童小説、末吉暁子『星に帰った少女』(偕成社、2003改訂版)を読みました。

ネタバレあり、ご注意ください。

佐藤さとる氏の解説によると、イギリスの女流作家フィリッパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』が日本に紹介されたときの影響力は大きく、同じ手法を追う試みがいくつかなされたそうだ。『星に帰った少女』も、直接か間接か影響を受けているかもしれないという。

主人公マミ子がママから貰った古いオーバーのポケットに入っていたバスの回数券を使ってタイムトラベルするというストーリーだから、解説を読む前の作品を読んでいる途中で、わたしもピアスの作品を連想した。

12歳の誕生日の晩、母子家庭でママの帰宅を待つマミ子。マミ子の気持ちにあまり寄り添わない、キャリア志向のママ。古びたオーバーを貰って困惑するマミ子の気持ちも、率直な物言いをするママの気持ちもよく書けている。オーバーはママが大層大事にしていたものだった。

東京からタイムトラベルした、敗戦後間もない昭和24年の海辺の町。富士山が間近に見える。進駐軍が何気なく出てくる。町の様子は丹念に、叙情味ゆたかに描かれ、「昭和」の薫りが郷愁を誘う。

マミ子はその町で、同じ12歳のママ、杏子と出会った……これはもしかしたらピアスにも勝る第一級の児童小説ではないだろうか、とわたしは興奮した。

だが、後半部、その感激は徐々に冷めていき、竜頭蛇尾の印象に終わったことを残念に思う。

ママが再婚を匂わせるようになり、その相手の男性トシさんをマミ子は受け入れていたはずだった。ところが、トシさんといるときのママに違和感を覚え、反発した態度をとってしまう。

その場面の描写は秀逸である。長くなるが、勉強のためにも引用しておこう。

 とつぜん、ふたりのわらい声がきこえた。ふりかえると、ママはその場に立ちどまり、おなかに手をあて、身をよじってわらっている。いっぱいに、ひらかれた赤いくちびる……切れめなしに、あふれでてくるわらい声。
「ママったら、道のまんなかでみっともない……」
 トシさんも、そんなママをたのしそうにみている。両手をポケットにつっこみ、じょうだんでママをわらわせた、とくいの表情をして……。
 ママのあんなわらい声を、一度もみたことがない……。
「そう、あたしは、これまで一度もわらわなかった。だからいままでのぶんも、いっぺんにとりもどしているのよ。」
 かん高いわらい声は、そういっていた。
 マミ子は、きびすをかえして歩きだした。駐車場にはいかず、駅にむかって、どんどん歩いた。
 ふりかえると、絵の具箱をぶちまけたような色彩のなかを、みしらぬ顔、顔がうごめいているだけだった。
(末吉,2003,pp.193-194)

無防備に女としての自分をさらけ出しているママに対するマミ子の生理的な嫌悪感、トシさんに対する敗北感、孤独感といった一連の心の動きが実に巧みに表現されている。

それなのに、そこからの展開は、マミ子の心情を切り捨てた、ママ側に立ったご都合主義の要素が強まるのである。

古びたオーバーは、海で溺死したマミ子の祖母がママにくれたものだった。海での事故は、小学6年生だったときのママ、杏子が母の再婚をうまく受け入れることができなかったことに起因する不幸な事故だった。

つまり、杏子とマミ子は同じ年齢のときに、母親の再婚を受け入れることができないという同じ問題を抱えていたわけである。

海が荒れてきていたのに、杏子は母と再婚相手に無茶をいって、大きな鳥のように見える舟で海に出て行かせた。舟は転覆し、一人しか助けられない再婚相手に娘を助けてくれるように頼み、杏子の母は海に沈んでいった。

作者は、同じ体験をさせることで、それを通過儀礼のように用いて、杏子ができなかった受容をマミ子に果たさせようとする。

祖母を呑み込んだ海にやってきたマミ子は、砂浜で一人、鳥のように見える舟に乗り込む。舟はなぜか海へと動き出し、やがて転覆して、マミ子は海に放り出される。

ここで読者は、オカルティックな忌まわしい現象か、亡き祖母による神秘的な救いかのいずれかを期待するのではないだろうか。

作者は他の救いを用意していた。事前にビーバーみたいな歯をした少年との出会いがあり、その少年に救出されるのである。

海に投げ出されたとき、マミ子の手さげかばんも一緒に海に投げ出された。かばんには12歳のときのママが綴った日記も入っていた(日記にはマミ子との出会いと事故のトラウマが綴られていた)。

日記が海に消え去ったことが、厄落としにでもなったかのようなことをママはいう。あれほどマミ子が貰ったオーバーが大事にされていたわりには、祖母の出番は全くない。

次のようなことをマミ子にいうとき、ママには母性の欠片も見あたらず、子供のように直截的である。

マミ子がいてくれるのが、生きていく支えだったんだけど……でもね、マミ子、いま、ママは、もっと必要な人がいるのよ。ママの足りない部分をおぎなってくれるおとなの人が……
(末吉,2003,p.259)

「マミ子はママにとってかけがえのない娘だけど、トシさんもママにはかけがえのない人なの。」といえば、マミ子の心証も違っただろう。尤も、あなたは不要といわれたも同然のマミ子は、溺れかけた体験が通過儀礼となったらしく、大人びた理解者にバージョンアップ(?)していて、さほど傷つくこともない。作者の思惑通りに、ママの再婚を祝福するのである。おまけのように、そこにはビーバーのような歯をした少年もいる。

めでたし、めでたしで、納得できないのは読者であるわたし一人だけだ。

比べようのないものを、無理に比べる必要があるのだろうか。母性愛と異性愛のどちらが重いか、量ることができるのだろうか。ハッピーエンドがそんなに貴重だろうか。

杏子はかつて母親を失ったように、今度は娘を犠牲にしようとしているように思えてならない。当座の「必要」、そのときの自分の都合だけで物事を判断する、身勝手な人間に思えてならない。

子供をネグレクトしたり、不倫したりする人間は、杏子型の単純な思考回路の持主ではないかとわたしは穿った見方さえしてしまう。

割り切れないものを割り切れないままに、通常の見方とは異なる視点から描くのが純文学だとわたしは考えているので、割り切れないものを切り捨てて茶番劇のような終わり方をしたこの作品が『トムは真夜中の庭で』のような純文学作品だとはわたしには思えない。エンター系かといわれると、そうなのかどうか、わたしにはわからない。

タイムトラベルという技法の用いられかたは、両作品によって、はっきりと異なる。

『トムは真夜中の庭で』では、同じ場所を別の視点から見ることが目的である。そうすることによって、今は失われた庭園が息づき、そこに展開していた――今につながる――人間関係が浮かび上がってくる。タイムトラベルは、歴史を紐解くという本来の役どころに納まっている。

『星に帰った少女』では、タイムトラベルはマミ子の「教育」に用いられている。ママの12歳のときの体験を娘に追体験させ、ママの理解者に育てるための「教育」である。

小学6年生には無理な成熟を促がそうというわけだが、人の成熟は社会を含めた大自然が促すもので、タイムトラベルには土台無理なお役目なのである。

トムはタイムトラベルしたことで、内面的な成長を遂げたようでもあるが、神経過敏になった。タイムトラベルすることによって歴史の思わぬ闇を体験し、精神的損傷を受ける可能性もあったのだ。タイムトラベルは、トムにとってスリリングな冒険だった。

マミ子には、「成熟」という課題が与えられており、タイムトラベルがもたらす過去の歴史はそのために整えられた教育環境にすぎないから、マミ子はタイムトラベルがもたらすかもしれない弊害からはあらかじめ作者によって保護されているのである。

マミ子のタイムトラベルはトムの場合に比べれば小手先の教育対策にすぎず、冒険というよりは修学旅行だろう。

平家物語をモチーフとした末吉暁子『波のそこにも』(偕成社、2015)は、着想の卓抜さ、「水底[みなそこ]の国」のファンタスティックな描写の美しさに心惹かれたが、神秘性がもう一つ感じられず、次第に単調に思われ出した。

わたしの好みから出た感想にすぎないが、美点を考えれば、この作品も『星に帰った少女』同様、残念な作品に思われた。わたしのようなヨチヨチ歩きの物書きからすれば、こんなに長く綺麗な文章で書き通すことができるということだけでも、凄いことだと思うけれど。

割り切れないものを強引に割り、余りは切り捨ててしまってハッピーエンドに納まるパターンは、今のわが国の児童文学にはよく見かけるものだ。それが教科書とされているからだろう。

|

長かったココログのメンテナンス

13時に終了の予定が長引きました。

今やっと管理画面に入ることができて、ホッとしました。

管理画面がリニューアルしていて、使い勝手が違います。

https化も予定されているようです。

| | コメント (0)

2019年3月18日 (月)

不審なコピペ事件は解決しました

昨日、出典を明記せず、拙はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の記事をコピペしたブログを偶然発見し、当ブログでご報告していました。解決しましたので、ご報告した記事は現在、非公開設定にしています。

コピペ者はSeesaaブログを利用していたので、シーサー株式会社に問い合わせたところ、すぐに対応していただき、本日には問題の記事は表示されなくなりました。コピペ者は別件の利用規約違反もあったようです。

ご心配をおかけしました。

|

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。38。

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。

38 フジコ・ヘミング (2)ベーゼンドルファーとの微妙な相性 2007.5.21・27
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/18/005310

|

2019年3月17日 (日)

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。36、37。

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。

36 日テレ系ドラマ『ハケンの品格』で考えさせられる脚本家の品格、ワーキングプワという身近すぎる問題 2007.2~3
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/17/095340

37 日本画の価格がどのようにして決まるか知り、驚いた 2007.2.6
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/17/110126

|

2019年3月16日 (土)

Kindle版児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』をKENPCでお読みいただき、ありがとうございます!

Kindle版児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』(ASIN:B00BEMD5ZK)を3月8日ごろKENPC(Kindle Edition Normalized Page Count)でお読みいただきました。ありがとうございます! KENPCでお読みいただいたのは今回で14回目でした。これまでに8冊お買い上げいただいています。

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。拙電子著書一覧を御覧いただけます。

Amazon.co.jp: 直塚万季: 作品一覧、著書略歴
https://www.amazon.co.jp/-/e/B00BERQ7P0

|

2019年3月15日 (金)

しょうゆジプシー。ストウブであれこれ。瞑想的効果のある(?)料理。

最近しょうゆジプシーをしていました。しょうゆには、「こいくち」「うすくち」「たまり」などありますが、九州のしょうゆが他の地域のしょうゆとは異なり、とても甘いとは知らなかったのです。

ウィキペディア「醤油」

九州では、長崎貿易で砂糖が比較的豊富に手に入った伝統から甘味を求める傾向が強い。このため北陸と同様に混合醸造方式の比率が高いが、糖分やうまみ成分などは北陸のものに比べ多めに添加されており、甘みが一層引き立っている。なお、九州ではこれらの製法で作られた醤油を「うまくち」と称している。
「醤油」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年3月1日 05:30 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

どおりで、甘すぎるレシピが多いと思っていました。それで、わたしは砂糖をレシピより少なめに入れていたのですが、本来はたぶん減らした砂糖の分くらい、しょうゆが甘くないぶん、レシピの砂糖の全体量は少なかったというわけですね。

亡くなった女友達も、レシピは甘いと同じことをいっていました。彼女は小倉出身でした。

わたしは福岡県ではニビシを主に使い(佐賀の実家で、母は何使っていたのかなあ?)、サブ的にキッコーマン。大分県に来てからはニビシが置いてないので、フンドーキンかフジジンで、やはりサブ的にキッコーマンでした。

これまで使っていた、こいくちしょうゆのストックがなくなる前にと思い、アマゾンで、煮物に使うと美味しいというヒゲタ本膳と、なつかしくなって少ない容量――500ミリリットル――のニビシを頼んでみました。

ニビシに慣れていただけかもしれないと思い、少ない容量のにしたのでした。

家族は、ヒゲタ本膳で作った煮物が気に入りました。わたしは優しい味わいのニビシがやっぱり好き。

今は、煮物には主にヒゲタ本膳。吸い物、煮物にも使ううすくちは、フジジンがまだあります。刺身用もフジジン。食卓には二種類――ニビシ特級うまくち、キッコーマンいつでも新鮮しぼりたて生しょうゆ……という具合です。

まだジプシー中なので、これからどう変わるか楽しみです。全国には使ってみたいしょうゆが山ほど。でも、一度買ったら、しばらくはありますから、満足するまでジプシーするには相当に時間がかかりそう。少ない容量のばかり買うのは不経済ですし。

ところで、過去記事で何度か書いたストウブ(ノワール2世と呼んでいます)は、すっかり我が家の一員となりました。

Img_0137_1

「これ美味しいね。ストウブで作ったの?」と家族は、別の鍋や御影さん(バッラリーニ・フライパンの我が家的愛称)で作った料理のときも尋ねたりします。

というと、ストウブの宣伝マンみたいですね。

うちはIHクッキングヒーターですが、御影さんもなかなか使いやすいですよ。リーズナブルでしたし。

みないきぬこ『はじめてのストウブ』(池田書店、2018)がストウブ入門に役立っています。

ただ、鍋の大きさによって、仕上がる時間は違ってくるので、模索しながらやっています。

水は少なめ、もしくは無水。沸騰したら蓋をして――例えば10分――弱火、火をとめて――例えば10分――時間を置くという基本があるようです。

この基本を頭に入れておけば、ストウブレシピでなくても、活用できることがわかりました。

『はじめてのストウブ』の中のレシピ、「鶏団子のスープ仕立て」を作りました。

Img_0179_p_2

水の量が、これまでわたしが入れていた量の半分以下だったので、焦げつかないか心配になりました。杞憂でした。「だんごがふっくらしていて、ジューシー!」との家族の反応でした。次回は、春雨も入れてみたいと思っています。

別の日に、バター焼きをするつもりで娘にアサリを買ってきて貰いました。思ったより量がなかったので、ネット検索してストウブで美味しく仕上がりそうな、サイト「Nadia」の以下のレシピを参考に作ってみることにしました。

スペインの鍋ごはん * バスク風 あさりの炊き込みごはん
 
魚介の旨みたっぷりのスープを吸ったお米がたまらなくおいしい、スペインの鍋ごはん。「Arroz con almejas(アロス・コン・アルメハス)」という、スペイン北部・バスク地方の郷土料理です。パエリアとは違い、本来はカスエラという名前のお鍋で作ります。日本でならストウブやル・クルーゼで作ると楽ちん。春はあさりがおいしい季節、自然の恵み豊かな土地の極上ごはんをぜひお楽しみください。

出来上がって、味見をし、「これは炊き込み御飯というより、リゾットだなあ。失敗したのかしらん」と思いましたが、アサリの出汁がすごく出ていて美味しいのです。

レシピをよく読むと、「仕上がりはお米が少しかため。且つ、水分やや多めに炊き上げます。(リゾットのような雰囲気でOK。)」 とあったので、ああ成功だったんだと思いました。家族にもヒット。

Img_2334_p

昨夜は新じゃがを使って、煮ころがしを作りました。調味料の分量は土井勝(土井善晴・監修)『日本のおかず500選』(テレビ朝日コンテンツ事業部、1995)のレシピ「新じゃがいもの煮ころがし」を参考にしました。水の量は半分以下にしました。

材料(4人分)

新じゃがいも(小粒)……800g
揚げ油……1カップ
(A) だし汁……2カップ,砂糖……大さじ4,みりん……大さじ1と1/2,しょうゆ……大さじ5

レシピでは、「気長に炒めます」とあり、揚げたような仕上がりです。わたしは油を少なくして普通程度に炒めただけでした。これでも美味しかったのですが、次回は時間に余裕をもってレシピのように「気長に」炒めてみたいと思います。そしたら、もっと美味しいでしょうね。

Img_0197_p

わたしは調理器具を洗ってから食べるので、食卓に着くのが遅れます。洗いものをしながら家族に感想を聞こうと振り返ると、娘が「マシュマロみたいに、いつのまにかイモが消えていた。まるで、食べていないみたい」といいました。美味しすぎた、ということのようです。

夫も、「ほくほく~アチアチ」と、いいながら食べていました。煮ころがしをして、これほど美味しそうな家族の様子は初めてなので、ストウブ様様です。

わたしは心が乱れたとき、料理をすると、月並みな表現かもしれませんが、癒されます。

精神的苦痛は、自分の中で急いで答えを出そうとするときに高まる気がします。

台所仕事は、注意を働かせつつも無心になることが多いので、一種の瞑想といえるのではないでしょうか。

台所仕事をすることで、これまでどれだけ精神の均衡を保ってこられたか、改めて考えたこのごろでした。

短編小説『侵入者』で、料理の効果について、書いたことがありました。小説のストーリーに組み込む形でですが。その「瞑想」の効果(?)か、主人公の視点が変化したことで、ストーリーは悲劇から喜劇に転ずるのです。

この作品は平成19年8月に脱稿し、同人誌「日田文学」56号(編集人・江川義人、発行人・河津武俊、平成20年4月)に掲載していただきました。その後、「文学界」7月号(文藝春秋、平成20年)・同人雑誌評蘭で、今月のベスト5のうちの1編に選ばれました。

『侵入者』はその後、新しく計画した作品に組み込まれて前後編中の前編となり、『結婚という不可逆的な現象』という小説になりました。後編ではダイエットについて、ちょっと哲学的に分析しています。これも勿論、ストーリーに組み込む形で。何て小説だろうと思われるかもしれませんが、格調高い(?)純文学作品です。電子書籍にして、Kindleストアに出しています。

定年退職後に依存症に陥る人は結構多いそうで、その対策として料理はとてもいいというお話を前にテレビで視聴したことがありました。

女友達の予期せぬ、早すぎる死はこたえましたが、料理をすることで、自分を保っていられました。それと、神智学や萬子媛のことを考えることで。

|

2019年3月13日 (水)

歴史短編1のために #51 直朝公の愛(萬子媛80歳のお祝い)

今は京都御苑となっている、かつては200もの公家屋敷が立ち並んでいた町で、萬子媛はどのような暮らしを送られていたのだろう? 

 

萬子媛は二歳で、祖母である清子内親王の養女となり(萬子媛の母が亡くなったためではないかとわたしは想像している)、鷹司家でお暮しになっていたと思われる。清子内親王は鷹司信尚に嫁ぎ、信尚没後、大鑑院と号していた。

 

以下の写真付きブログ記事を閲覧させていただいて、わたしは貧弱な想像力を掻き立てようとしている。鷹司邸跡の標示……

京都御苑の公家跡: 京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1
https://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/41415018.html

 

<ここから引用>
江戸時代まで、今の京都御苑には、200もの公家屋敷が立ち並んでいたそうです。(……)
江戸時代末の慶応年間の公家屋敷図によれば、京都御苑には、大きな屋敷としては、北に近衛家と桂宮家、西北に一條(一条)家、中央に有栖川宮家、西南に嘉陽宮家と閑院宮家、南に九條(九条)家と鷹司家があったことがわかります。
<ここまで引用>

以下のブログ記事では、京都御苑内にある「花山院邸跡」と刻まれた石碑と、花山院家の邸宅で祀られていた邸内神「花山稲荷大明神」を閲覧させていただいた。

花山院家邸内にあった花山稲荷大明神: 京都観光旅行のあれこれ
https://kyotohotelsearch.com/blog/2018/06/07/kazaninaridaimyojin/

<ここから引用>
また、日本三大稲荷のひとつとされる佐賀県の祐徳稲荷神社は、花山院家の姫が鍋島家へ嫁いだ際に祀った分霊であり、「祐徳」はその姫の謚(おくりな)だそうです。
花山稲荷大明神は、京都を中心に庶民から公家・宮中さらには徳川将軍家をはじめ諸大名の江戸屋敷にも分霊や御札が祀られていました。
今は、宗像神社に小さな社殿が残るだけですが、信仰は全国に広がり、今もなお各地の分霊が祀られている神社に多くの人が参拝しています。
商売繁栄、産業興隆、書道・技芸上達の信仰も篤いそうですよ。

<ここまで引用>

養子に行ったといっても、同じ公家町内のこと。萬子媛は花山院家にちょくちょく行かれていたのではないだろうか。

 

鹿島鍋島家に嫁いでからも、花山院家との親密な関係が続いていたことは鹿島藩日記からも窺える。

 

ところで、井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一編『肥前鹿島円福寺普明禅寺誌』(佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2016)所収「直朝公」(普明寺蔵『鹿島家正系譜』収載)を読むと、直朝公が元禄四年(1691)辛未春正月二十一日、70歳のよろこびの礼を行い、申楽[さるがく](能楽)を花頂山に奏したとあり、「毎歳今日(この日)に必ず申楽[さるがく]有るは侯の誕辰(誕生日)を以[もっ]ての故[ゆえ]なり」(井上・伊香賀・高橋編,2016,p.92)と記されている。

 

ならば、同じ『肥前鹿島円福寺普明禅寺誌』所収「断橋和尚年譜」に、断橋和尚が54歳の宝永二年乙酉(1705)に記されている、次の箇所はどうだろう?

 

<ここから引用>
猛春十八日、祐徳院殿瑞顔大師の耋齢(八十歳)の誕を祝するの序略に云う、
<ここまで引用>
(井上・伊香賀・高橋編,2016,p.92)

 

萬子媛80歳のお祝いが誕生日当日に行われたとは限らないが、直朝公は自分の誕生日に拘りがあったようだから、その直朝公が妻の80歳の誕生日に贈り物をしたことが三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社 宮司・鍋島朝純、1979)に記されているとなると、妻の誕生日にも拘ったのではないか……と思いたくなるではないか。

 

つまり、その猛春十八日が萬子媛のお誕生日ではないかと。猛春には、春の初め、旧暦1月という意味があるが、『鹿島藩日記 第二巻』宝永二年乙酉正月十八日の日記に次のように記されている。

<ここから引用>
一、今日、祐徳院様八十之御祝誕ニ付而、従 殿様為御祝儀、御野菜被進候、左ニ書載、
   一、午房       一、山芋
   一、昆布       一、椎茸
   一、田鴈       一、蓮根
      
 右一折二〆
   一、蜜柑一折
 右、御使者木庭彦兵衛相勤、介副池田新内、

<ここまで引用>
(井上・伊香賀・高橋編,2016,pp.343-344)

何というささやかな、心づくしだろう! 修行に勤しむ妻に合わせた贈り物なのだ。直朝公から贈られた食材は調理され、萬子媛の80歳を祝う食卓を飾ったに違いない。

 

過去記事に書いたように、この年の閏四月十日、萬子媛は危篤となり、その日、直朝公から付き添う人々におこわと煮しめが届けられている。

2018年8月15日 (水)
歴史短編1のために #39 鹿島藩日記第二巻ノート (1)萬子媛の病気
https://elder.tea-nifty.com/blog/2018/08/post-caf5.html

閏四月十日(6月1日)の日記には様々なことが書かれている。[略]
同日、萬子媛の病床に付き添っている人々に、殿様からこわ飯(おこわ)・煮しめ物重二組が差し入れられた。萬子媛はこの日の「今夜五ツ時」――夜8時に亡くなった。

直朝公は家を出て修行三昧だった妻を全身全霊で愛し、気遣っていられたのではないだろうか。いやはや、ここまで思われちゃ、断食入定なんてできないだろうなあ。

 

で、萬子媛の仮ホロスコープを作成してみた。フィクションである小説の中の萬子媛のイメージを膨らませるために。これは、わたしの勝手な憶測です。寛永二年一月十八日は、西暦に変換すると、1625年2月24日。

 

 

 

 

 

 

|

2019年3月10日 (日)

理解を超える女友達の死

亡くなった大学時代からの女友達のご主人から香典返しが届き、それにお手紙が添えられていた。

それによると、女友達は乳がんを患い、それが肝臓へ転移、進んだ状態で、昨年末に緊急入院し、翌日眠るように亡くなったそうだ。病院嫌いだったので、この意味では自分の思いが叶った人生であったという。痛さ辛さを感じることなく、永い眠りについてのがせめてもの慰めと思っている――とあった。

文面からは、闘病期間を通じて二日だけしか入院しなかったように読め、まさかとは思うが、いずれにしても積極的な治療をしたようには読めない。

末期がんでありながら、「痛さ辛さを感じることなく」なんて、信じられない。

直腸がんのステージ3(直腸がんのステージは4まである)とわかった幼馴染みは、人工肛門にはならずに済むぎりぎりのところだと診断されたが、積極的な治療を行わず、ホスピスを選択した。そのことを思い出し、ああまたかと思ってしまった。

わたしの女友達は、誰も彼もまるで昔の人みたいだ。乳がんを患った女友達なんて、医者の娘なのに、何てことだろう。確かに大学時代から異常なまでに病院嫌いではあった。一度、風邪だったかインフルエンザだったか、受診につきあったことがあったのだ。

診察も注射も嫌がって、子供みたいで、穏やかな老医者は呆れて笑っていらした。学校での集団健診や予防注射のときはどうしていたのだろう? 訊いたに違いないけれど、どんな返事だったか忘れてしまった。

そういえば、亡くなった女友達のことで連絡をとった友人の一人は、徐脈気味だそうで、医者からペースメーカーを勧められているといったので、入れたほうがいいわよと勧め、若いころにペースメーカーを入れて労働基準監督官という激務を勤め上げ、高齢となった現在もお元気な知人の女性のことなど話した。

でも、その友人は放置しそうなのだ。自覚症状がないからというけれど、医者は失神や、最悪の場合は心停止することを防ぐために勧めているのだろうから、入れたほうがいいに決まっている。入れない理由がわたしにはわからない。

心雑音があるといわれた女友達も検査に行かないまま、バドミントンに行ったりしている。念のために、検査しておけばいいのにと思う。これも検査を受けない理由がわたしには想像できない。周囲にあまりに病院嫌いが多くて、これはどうしたことだろうと思う。

医学の恩恵を受けないライフスタイルが流行ってでもいるのだろうか?

友人達が絶滅危惧種に思えてきた。

勿論、普通に通院している友人も、健康な友人もいないわけではないが……

詩人と呼んだ女友達とはよく薬の副作用の話や治療の話をした。亡くなる前日まで話した彼女は統合失調症だったが、精神を病んでいながらも聡明で、自覚的な行動は極めてノーマル、わたしには把握しやすい人だった。彼女のすてきな詩はここ

相手の行動が理解からかけ離れていると、悲しみよりも違和感と疑問ばかりが膨らんでしまう。

神秘主義者のわたしがこうで、一見普通に生きていると思われた友人達がああだとは。

|

2019年3月 8日 (金)

P.L.トラヴァースにおける近代神智学の影響を考察する ①みんなおなじ

過去記事に書いたことだが、繰り返していうと、トラヴァースと神智学の関係は、森恵子氏の評伝『P.L.Travers(現代英米児童文学評伝叢書)』(KTC中央出版、2006)に出てくる(20~21頁参照)。

1933年、トラヴァースはアイルランドの文芸復興運動の指導者の一人で詩人であったAE(ジョージ・ラッセル George William
Russell, 1867 -
1935)に頼み、AEの友人で『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』の編集者アルフレッド・リチャード・オイレジ(Alfred Richard
Orage,1973 - 1934)に紹介して貰う。

トラヴァースはオイレジに才能をみこまれ、『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』に詩を寄稿、ほどなく同誌の劇評家となった。オイレジはマダム・ヘレナ・ブラヴァツキ(Helena
P.Blavatsky、1831 – 1891)の神知学派の流れをくむジョージ・イワノヴィッチ・グルジェフ(George Ivanovich
Gurdjieff,1866 - 1949)の布教活動をしていた。

トラヴァースはオイレジを通じグルジェフに出会った。トラヴァ―スにとって、AEは文学的な父、グルジェフは精神的な父であった。

<ここから引用>
当時、マダム・ブラヴァツキの神知学協会は、AEやイェイツにも大きな影響を与えていた。AEから聞いた神知学にはじめは疑問をいだいていたトラヴァースだったが、オイレジの話を聞き積極的な信奉者に変わった。彼女が実際にグルジェフに会うのは1936年である。
 神知学には、ゾロアスター教やヒンズー教、グノーシス主義などが混同している。人間は肉体に閉じこめられ本来の自己(霊性)を忘却し深い眠りのなかに落ちこんでいる。眠りをさまし本来的自己に目覚め、それが神性と同じであることを認識し救済にいたるという思想である。目覚めるためには超人的な努力が必要である。グルジェフの提唱する「仕事」を通じ、知性と感情と肉体の三つをつなぎバランスをとることで、それが可能となる。ところでトラヴァースによれば、妖精物語は人間の真の姿を見せてくれるものであり、それは子ども時代以降は眠りに落ちている。自分が何者であるかを認識するために、人間は妖精物語を眠りから呼び覚まさなければならない。トラヴァースは眠っている妖精物語と本来的自己は同じものと考え、ここで彼女のなかで妖精物語と神知学は結びつくのである。

<ここまで引用>
(森,2006,pp.20-21)

わたしはグルジェフは未読であるし、神智学の説明とトラヴァースの考えには若干違和感があるけれど、トラヴァースがブラヴァツキーの神智学の影響を受けていると思わせられる箇所をP.L.トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」シリーズから拾ってみたい。

『風にのってきたメアリー・ポピンズ』で、ジェインとマイケルはメアリー・ポピンズのお誕生日に動物園へ行く。檻の中には動物の代わりに人間が入っていて、動物はみんな外へ出ている。キング・コブラがいう。

<ここから引用>
たべることも、たべられることも、しょせん、おなじことであるかもしれない。わたくしの分別では、そのように思われるのです。わたくしどもは、すべて、おなじものでつくられているのです。いいですか、わたくしたちは、ジャングルで、あなたがたは、町で、できていてもですよ。おなじ物質が、わたくしどもをつくりあげているのです――頭のうえの木も、足のしたの石も、鳥も、けものも、星も、わたくしたちはみんなかわりはないのです。すべて、おなじところにむかって、うごいているのです。
<ここまで引用>
(トラヴァース、林訳、2003,pp.249-250)

「おなじものでつくられている」というキング・コブラの言葉から連想されるのは、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)に出てくる次の文章である。

<ここから引用>
無限で不死不生の唯一の宇宙元素だけが存在し、その他のものすべて、即ち大宇宙的結果から小宇宙的結果に至るまで、又超人から人間や人間より下の存在に至るまで、簡単に言えば、客観的存在のすべては、その唯一のものが多種多様に分化した諸面であり、今は相関関係(correlation)といわれている変形であることをもし学徒が覚えているならば、最初の主な難点はなくなり、オカルト宇宙論に熟達することができるだろう。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,p.293)

よほど大事な教えなのだ、同じ教えが言葉を変えて幾度も繰り返されるのだから。

<ここから引用>
星から鉱物原子に至るまで、最高のディヤーニ・チョーハンから最少の油虫に至るまで、完全な意味で、大自然の複合物の各構成部分の究極的エッセンスが根本的に統一していることは、オカルト科学の唯一の基本である。それが霊的世界または知的界、物質界のいずれに当てはめられても違いはない。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,p.352)

ということは、神智学で叩き込まれるこの教えがその人の思考形態を根本から支えていない限り、その人が神智学の影響を受けたということはできないに違いない。トラヴァースはこの基本を押さえていた。

「子どもも、ヘビも、星も、石も――みんなおなじ。」(トラヴァース、林訳、2003,p.251)というキング・コブラのシューシューいう声が低くなってきて、身をゆすり、ゆすられているような心地よさのなかで、「なかばかくした、やわらかい光」(トラヴァース、林訳、2003,p.251)がふたりの顔にあたる。「よくねて、夢でもみているよう――ふたりとも。」(トラヴァース、林訳、2003,p.252)といったひくい声がキング・コブラの声だったのか、おかあさんが毛布をなおしながらいったのか。ジェインとマイケルは夢うつつである。

「なかばかくした、やわらかい光」というのは月の光だろうか、それとも別の神秘的な――例えばオーラの光とか――だろうか? トラヴァースはしばしばこのような紗のかかったような、直截的でない繊細な表現をとり、それが作品を陰翳に富む、謎めいた、神秘がかったものにしている。

|

2019年3月 7日 (木)

一般公開されている、神智学勉強会の動画「チャクラ」

わたしはチャクラについて不勉強で、知りたいと思っていましたが、神智学協会ニッポン・ロッジの機関誌でジェフ・クラークさんがブラヴァツキーの論文から訳してくださっているのがとても参考になります。

やはりわたしには、ブラヴァツキーの説明が――難解な箇所はあっても――わかりやすく、科学的に深く、総合的で、明晰な美しさに充ちており、最も信頼の置けるものに感じられます。

チャクラに関する神智学勉強会の動画が、YouTubeで一般公開されています。関心がおありのかたは如何でしょうか。

会員専用動画は紹介できませんが、一般公開されている動画ならリンクを張っても叱られないでしょう。以下。

the Theosophical Society in Japan神智学協会

チャクラ①
https://youtu.be/SZnS5fQX54I
チャクラ②
https://youtu.be/WzLEnrHEIzY
チャクラ③
https://youtu.be/QGZ5r7D2prQ
チャクラ④
https://youtu.be/h9XNUiWPHFo

|

日があいてしまいました

前の投稿から日があいてしまいました。

整形外科を受診しました。副甲状腺ホルモンが多く出るときにカルシウムの沈着が見られるそうですが、前回と大して変化がなかったので、次回も一年後。五十肩はよくなったので、先生にいう必要がありませんでした。

娘の転職お祝いに、イタリアンレストランにランチに行きました。

「かもめのジョナサン」と迷ったのですが、他を開拓してみるのもいいかもしれないと思い、隠れ家風の別のイタリアンレストランに行きました。

好みの問題かもしれませんが、そこは、正直いってわたしの口には合いませんでした。ピザに大根は合わない気がしました。パスタも何か、だご汁(郷土料理)のだごみたいだった……

娘は「ヘルシー!」といって気にいった風だったので、幸いでした。材料の新鮮さ、味のすばらしさ、盛り付けの美しさ、全てにおいて「イルファルコーネ」ほどのお店には出合えません。閉店して何年になるでしょうか、本当に残念です。

ストウブはますます気に入っています。蒸し野菜がとても美味しいです。写真があるので、記事を改めてアップします。

メアリー・ポピンズを読んでいるときに――過去記事で書きましたが――友人が亡くなったとの訃報を受けました。まだ心身が日常に、完全には復帰できていないような気がします。

いくら神秘主義に馴染んでいたとしても、悲しいものは悲しいですね。

P.L.トラヴァースの『帰ってきたメアリー・ポピンズ』『公園のメアリー・ポピンズ 』『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』を図書館から借りました。近代神智学の影響を特に感じさせるところを抜き書きしています。

末吉暁子『星に帰った少女』『波のそこにも』も借りました。『星に帰った少女』は読了したので、これも記事を改めて感想を書いておきたいと思います。児童文学の同人誌「鬼ヶ島通信」の審査員のお一人でいらっしゃいましたね。

|

2019年3月 1日 (金)

ストウブでポトフ

Img_2319_p

ストウブでポトフを作ってみました。

キャベツ、ジャガイモ、ニンジン、大根、セロリ、白ネギ、ウインナーをストウブに入れ、2カップの水を注ぎ、コンソメ1本、ローリエ。煮立ったら、弱火にして15分、塩胡椒。10分くらい置く。

――が第一弾で、第二弾は、浸かりきれなかった材料が下になるように位置を入れ替え、10分くらい煮て、またしばらく放置。かなり汁が出ていました。

ジャガイモの形が綺麗なままだったので、よく煮えていないと思ったら、柔らかくなっていました。ジャガイモの濃厚な味わい。

他に、玉葱、蓮根、サツマイモなんかも入れたかったのですが、無理でした。オーバル27㎝もほしくなってきました。ストウブ貯金をせねば。

粒マスタードが合い、とても美味しいポトフでした。ウインナーの代わりに、厚切りベーコン、鶏手羽元なんかでも作ってみたいです。

|

« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »