歴史短編1のために #51 直朝公の愛(萬子媛80歳のお祝い)
今は京都御苑となっている、かつては200もの公家屋敷が立ち並んでいた町で、萬子媛はどのような暮らしを送られていたのだろう?
萬子媛は二歳で、祖母である清子内親王の養女となり(萬子媛の母が亡くなったためではないかとわたしは想像している)、鷹司家でお暮しになっていたと思われる。清子内親王は鷹司信尚に嫁ぎ、信尚没後、大鑑院と号していた。
以下の写真付きブログ記事を閲覧させていただいて、わたしは貧弱な想像力を掻き立てようとしている。鷹司邸跡の標示……
京都御苑の公家跡: 京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1
https://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/41415018.html<ここから引用>
江戸時代まで、今の京都御苑には、200もの公家屋敷が立ち並んでいたそうです。(……)
江戸時代末の慶応年間の公家屋敷図によれば、京都御苑には、大きな屋敷としては、北に近衛家と桂宮家、西北に一條(一条)家、中央に有栖川宮家、西南に嘉陽宮家と閑院宮家、南に九條(九条)家と鷹司家があったことがわかります。
<ここまで引用>
以下のブログ記事では、京都御苑内にある「花山院邸跡」と刻まれた石碑と、花山院家の邸宅で祀られていた邸内神「花山稲荷大明神」を閲覧させていただいた。
花山院家邸内にあった花山稲荷大明神: 京都観光旅行のあれこれ
https://kyotohotelsearch.com/blog/2018/06/07/kazaninaridaimyojin/
<ここから引用>
また、日本三大稲荷のひとつとされる佐賀県の祐徳稲荷神社は、花山院家の姫が鍋島家へ嫁いだ際に祀った分霊であり、「祐徳」はその姫の謚(おくりな)だそうです。
花山稲荷大明神は、京都を中心に庶民から公家・宮中さらには徳川将軍家をはじめ諸大名の江戸屋敷にも分霊や御札が祀られていました。
今は、宗像神社に小さな社殿が残るだけですが、信仰は全国に広がり、今もなお各地の分霊が祀られている神社に多くの人が参拝しています。
商売繁栄、産業興隆、書道・技芸上達の信仰も篤いそうですよ。
<ここまで引用>
養子に行ったといっても、同じ公家町内のこと。萬子媛は花山院家にちょくちょく行かれていたのではないだろうか。
鹿島鍋島家に嫁いでからも、花山院家との親密な関係が続いていたことは鹿島藩日記からも窺える。
ところで、井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一編『肥前鹿島円福寺普明禅寺誌』(佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2016)所収「直朝公」(普明寺蔵『鹿島家正系譜』収載)を読むと、直朝公が元禄四年(1691)辛未春正月二十一日、70歳のよろこびの礼を行い、申楽[さるがく](能楽)を花頂山に奏したとあり、「毎歳今日(この日)に必ず申楽[さるがく]有るは侯の誕辰(誕生日)を以[もっ]ての故[ゆえ]なり」(井上・伊香賀・高橋編,2016,p.92)と記されている。
ならば、同じ『肥前鹿島円福寺普明禅寺誌』所収「断橋和尚年譜」に、断橋和尚が54歳の宝永二年乙酉(1705)に記されている、次の箇所はどうだろう?
<ここから引用>
猛春十八日、祐徳院殿瑞顔大師の耋齢(八十歳)の誕を祝するの序略に云う、
<ここまで引用>
(井上・伊香賀・高橋編,2016,p.92)
萬子媛80歳のお祝いが誕生日当日に行われたとは限らないが、直朝公は自分の誕生日に拘りがあったようだから、その直朝公が妻の80歳の誕生日に贈り物をしたことが三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社 宮司・鍋島朝純、1979)に記されているとなると、妻の誕生日にも拘ったのではないか……と思いたくなるではないか。
つまり、その猛春十八日が萬子媛のお誕生日ではないかと。猛春には、春の初め、旧暦1月という意味があるが、『鹿島藩日記 第二巻』宝永二年乙酉正月十八日の日記に次のように記されている。
<ここから引用>
一、今日、祐徳院様八十之御祝誕ニ付而、従 殿様為御祝儀、御野菜被進候、左ニ書載、
一、午房 一、山芋
一、昆布 一、椎茸
一、田鴈 一、蓮根
右一折二〆
一、蜜柑一折
右、御使者木庭彦兵衛相勤、介副池田新内、
<ここまで引用>
(井上・伊香賀・高橋編,2016,pp.343-344)
何というささやかな、心づくしだろう! 修行に勤しむ妻に合わせた贈り物なのだ。直朝公から贈られた食材は調理され、萬子媛の80歳を祝う食卓を飾ったに違いない。
過去記事に書いたように、この年の閏四月十日、萬子媛は危篤となり、その日、直朝公から付き添う人々におこわと煮しめが届けられている。
2018年8月15日 (水)
歴史短編1のために #39 鹿島藩日記第二巻ノート (1)萬子媛の病気
https://elder.tea-nifty.com/blog/2018/08/post-caf5.html
閏四月十日(6月1日)の日記には様々なことが書かれている。[略]
同日、萬子媛の病床に付き添っている人々に、殿様からこわ飯(おこわ)・煮しめ物重二組が差し入れられた。萬子媛はこの日の「今夜五ツ時」――夜8時に亡くなった。
直朝公は家を出て修行三昧だった妻を全身全霊で愛し、気遣っていられたのではないだろうか。いやはや、ここまで思われちゃ、断食入定なんてできないだろうなあ。
で、萬子媛の仮ホロスコープを作成してみた。フィクションである小説の中の萬子媛のイメージを膨らませるために。これは、わたしの勝手な憶測です。寛永二年一月十八日は、西暦に変換すると、1625年2月24日。
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