« ストウブ鍋、炊き込み御飯の失敗と成功 | トップページ | ストウブでポトフ »

2019年2月27日 (水)

大学時代からの女友達の死(2019年12月17日に追記あり)

大学で同じ法学部だった女友達が昨年の12月29日に、61歳で亡くなった。詳しいことはわからない。彼女を含む同じ法学部の4人でグループを作り親しくしていたが、その中の別の女友達から電話があって知った。

年賀状が来なかったので案じていたところ、年賀欠礼状(喪中はがき)が届いたという。わたしも同様に気にかかり、今年に入ってから何度か彼女から貰った木目込み人形に目をやっていた。

拙神秘主義エッセーブログの以下の記事で書いたように、亡くなった女友達が「もしわたしに何かあったら、きっとこの人形の髪がのびるから」といったことを思い出したからだった。

16 学生時代の思い出 2006.10.19: マダムNの神秘主義的エッセー
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2016/03/17/160231

彼女手製の木目込み人形は、他の人形と一緒にガラス棚に飾っていた。取り出してよく見たい気もしたけれど、縁起でもないと思って、その気持ちを押しとどめた。

数年前、彼女の身体に関する思わしくない夢を見た。その夢が象徴的なものなのかどうかの見当もつかず、エッセーで書いたように気軽に電話し合う仲ではなくなっていたため、電話することはしなかった。そのときに電話をかけてみるべきだったと後悔しても、もう遅い。

彼女については、詩人と呼んだ女友達同様に、死の予兆も死後の訪問も何も感じなかった。これが普通のことに違いない。仮に別れの挨拶に来てくれていたとしても、普通の人にはわたしも普通の反応をするようだから、気づかなかった可能性が高い。

死後にやってきて、その存在をありありと感じさせた人々は特殊な人々だったといってよい。わたしは神秘主義者であるゆえに、その人々にはその人々に合わせて神秘主義的応対をしたのである。自分でも気づかぬうちに。

女友達と電話で話したあと、ガラス棚から木目込み人形を取り出した。感極まって人形を抱きしめ、「なぜ、こんなに早く死んじゃったの? ちゃんと仲直りもしないうちに。そのうち、きっと会おうと思っていたのに」といいながら、人形の髪を撫でた。

甘く、人懐こく、どこか謎めいて響く声で「Nちゃん」とわたしに呼びかけた人は彼女以外にいない。

しぱらくして、彼女の言葉を思い出し、人形の髪が伸びていないか、つくづくと眺めた。何しろ、人形の髪は元から長い。いくらか不揃いに見え、あちこち髪の毛が飛び出ているように見えるのも、人形の髪を強く撫でたせいかもしれなかった。

わたしは人形に、武者人形らしく、兜をかぶせてきりりと紐を結び、ガラスケースに戻して彼女の冥福を祈った。

夜、仕事から帰宅した娘が、集合ポストに届いていた年賀欠礼状を持ってきた。わたしはもう一人の女友達に電話し、先に女友達と話した内容を伝えた。

文章を書き慣れているからといわれ、わたしがまとめて御香典を送ることになったが、「そんな文章は書き慣れないわよ」といった。

ところで、もう一人の女友達は悪名高い出版社から、高くついた絵本を出していた。そのころは憑かれたように賞を欲していたけれど、すっかり元の彼女に戻り、純粋に創作している風で、嬉しかった。彼女の秘めている美質が作品に反映されるのを待つ楽しみができた。

創作の話など長く会話しているうちにいくらか悲しみが癒えた気がしたが、電話を切ると、喉元まで涙が溜まっているかのようで苦しい。その涙が出ないので、何か灼けつくように苦しい。詩人と呼んだ女友達の訃報に接したときも、涙が出なくて苦しかった。それと関係あるのかどうか、メニエールのような症状が出た。

年取ったせいか、コントロールが悪くなって、とめどもなく涙が流れるか出ないかのどちらかなのだ。

神秘主義エッセーブログを更新しました。

93 詩人と呼んだ女友達の命日が近づいたこのときに書く、死者たちに関する断章
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/02/27/084017

追記:

このように書いたが、実は、乳がんで亡くなった女友達の初七日のころ――正月だった――に、たまたま夫と人形ケースの前にいた。そして、なぜかわたしは夫に人形の話をして脳天気に笑い、「この人形の髪、最初から長いものねえ」というと、まさに女友達がちょっとムッとした感じが伝わってきたのだ。姿も何も見えなかったが、そう感じた。わたしは当然のようにそう感じたことを心の中で打ち消した。

そのときにチラッと感じただけだったので、錯覚だと思ったのだ。そして、訃報を受けたときにそのことを思い出したのだが、彼女が別れに来たのだろうと思っている。2019年にもう一件、同じようなことがあった。

それがいつだったか、もう日付もわすれてしまったが、大腸がん治療を受けずにホスピスに行くといって連絡を絶った幼馴染み(彼女はそのことに賛成できなかったわたしを理解のない人間と解釈したのだった)が「Nちゃん!」と昔の懐かしい言い方でいったような強い感じを覚えた。

しかし、死後ありありと存在を印象づけた3人と比べると、あまりにも瞬間的な印象にすぎなかったので、まだ生きているはずだと自分に言い聞かせて、そのことを忘れるようにした。乳がんで亡くなった女友達のことも、あれが正月の出来事でなければ、それが初七日ごろに起きたことだとはわからなくなっていただろう。

幼馴染みの死は、確認できていない。彼女はおそらく自分の死後のことを託した人々にだけ気を許して、わたしに自分の死を知らせてくれるようにと頼むことはしなかったのかもしれない。もしかしたら、まだ生きているのかもしれないが、わたしはあのころに亡くなったのではないかと思っている。

いずれにしても、この程度の虫の知らせは誰にでも起きることだろう。わたしは普通の人に対しては、神秘主義者でも何でもないことがわかった。

神秘主義的な人に対してだけわたしは神秘主義者としての自分を発揮でき、相通じることができるのだ。一方通行ではだめだというわけだ。

高級霊として地上と彼の世を毎日往来なさっている萬子媛は、亡くなったのは江戸時代であるのに、ありありと存在を感じることがある。これも、相互作用というわけだろう。(2019.12.17)

|

« ストウブ鍋、炊き込み御飯の失敗と成功 | トップページ | ストウブでポトフ »

神秘主義」カテゴリの記事

家庭での出来事」カテゴリの記事