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2019年2月12日 (火)

五十肩の再発と回復の経緯を三浦先生の著書で確認してみる。ブラヴァツキーの病気と貧乏。

このところ、雑用で忙しかったのに加え、五十肩――もう六十だが――を再発(何回目かな)したということもあって、記事の更新が間延びした。

今回の五十肩の再発は左肩で、無理な動かしをしたのか、再発の数日前からおかしかった。用心すればよかったのだが、忙しさの中で、注意を怠った。その結果、左肩が激しく痛み出し、腕がほんの少ししか上がらなくなった。

家事に手間取る。皿を食器棚の上の棚に上げるとき、洗濯物を干すときは踏み台が必要。着衣に手間取る。就寝時は、左肩が落ちると痛いので、クッションがいる。

炎症が悪化するのも時間の問題と思われた。今回のはひどくなりそうだとの予感がした。

わたしは一旦五十肩を発症して成り行きに任せれば、下手をすれば、2年ぐらい整形外科に通う羽目になるのだ。重症といわれ、手術が検討されたこともあった。

このことと、骨に異常が表れやすい副甲状腺機能亢進症の疑いで内科で経過観察していただいていることとが関係あるのかどうかは不明。

五十肩の最初の発症は2006年だった。後に右肩もなったが、左肩から始まったようだ。

2006年6月 2日 (金)
整形外科受診 - 左の肩関節周囲炎(五十肩)
https://elder.tea-nifty.com/blog/2006/06/post_8164.html

別件で年に一度、整形外科で経過観察していただいており、それが来月の予定なのだが、受診日まで我慢できそうにないと思い、「どうしよう?」と夫に相談した。「うーん、受診したら?」と夫。「そうだ、あれ、やってみようかな」とわたし。「あれって?」と夫。「あれったら、あれよ」とわたし。夫にはわたしの試みがわかっている。

過去記事で何度か書いたように、想像の白い光を患部に放射するのだ。

2017年12月18日 (月)
腰痛のその後、最強のオーラビーム?
https://elder.tea-nifty.com/blog/2017/12/post-1.html

昔確認したように(「枕許からのレポート」参照)、ハートが清浄な光の源泉であることは確かである。

光源と書くべきかもしれないが、光が水のように迸るさま、溢れて充満するさまには、源泉という表現のほうが合う。その光は単純な肉体的不具合にとてもよく効く。

放射してしばらくは、あまり効き目が感じられなかった。徐々に回復してきて、数時間後には夫に左腕を上げてみせることができた。調子に乗ってブンブン振り回したら、また少しおかしくなったので、再度放射。翌日には普通に戻っていた。

いい加減に、この辺で、回復した経緯をヨガの本で確認しておくべきだと思った。

ヘレナ・レーリッヒの本は示唆的で、精神的に昂揚してくるような美しい表現で著されているが、霊的治療に関しては抽象的だ。

<ここから引用>
治療者は二つのグループに分かれる。一つは手を当てたり直接見たりして治療する。もう一つは、ハートの流れを遠方に送る。もちろん、未来の建設のためには、二番目の方法が優先する。
(略)ハートの流れによる治療者は、肉体と同様精妙体にも作用する。人生の現象的な面に注意を払うべきだ。それは、思ったよりもずっと本質的である。
<ここまで引用>
(アグニ・ヨガ協会編(田中恵美子訳)『ハート』平成17年9月1日コピー本復刻、竜王文庫、2005、p.51)

他に、具体的に技法を解説した本はなかっただろうか……長尾雅人編『中公バックス 世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』(中央公論社、1979)所収、パタンジャリ「ヨーガ根本聖典(ヨーガ・スートラ)」を読んだ。うーん。そうだ、三浦先生の本だと思い、本棚を漁る(漁らなくてはならないほど不勉強だった。反省……)。

序に「本書『大直感力』はヨガの聖典をもととし、且つヨガの代表的文献を実証とし、初歩の呼吸から説いて、ヨガ(統一)瞑想の最高級までを説くものであります」と書かれているように、三浦関造『大直感力』(竜王文庫、1959・初版、1979・11版)は、本格的なヨガの技法の奥義書である。

わたしは三浦先生のような師匠にこの世で出会わない限り、この中の技法を試みる勇気はないが、竜王会には、教えを受け継ぎ、綜合ヨガのヨギ――実践者――の育成を行っている会員がおられる。

わたしがハートの光を患部に放射するやりかたは、痛みに耐えられないと思う中でいつしか自分で自然に行うようになったものなので、このやりかたの裏付けとなる文章を三浦先生の著作の中で見つけられたら、これが科学的な原理に則ったものであることがわかり、安心できるような気がする。そして、それをブログに書くくらいのことは、三浦先生に許していただけるのではないだろうか。

以下に書くことは、あくまでわたしのやりかたにすぎない。

前述したように、ハートが清浄な光の源泉であることは確かだ。胸の奥から白い光が部屋いっぱいに溢れ出て、その光に浴していることは、わたしにはよくあることだから。

ハートの一点から光を患部に送ろうと決意するとき、わたしの意識は頭頂にある。そこがなぜか涼しくなるのだ。患部がどこかを探るとき、意識は額に移っている。ここが患部だと思ったとき、意識はさらに喉に移っている。そして、思いを定めるとき、意識は自然に胸に移動して、そこから光を患部に向けて放つ。

果たして、ちゃんと読まなければと思いつつ、あまり読んでいなかった三浦関造『マニ光明ヨガ』(竜王文庫、1959・初版、1981・5版)を紐解くと、その中の一文が目に留まった。

もしかしたら、自分では忘れていても、以前に先生の本で読んだその記述がわたしの記憶にあり、痛みの中でその記憶が甦って実行したのかもしれない。あるいは、田中先生がご存命だったころに大会で学んだのかもしれない。あるいは、前世の自分が行っていたことなのかもしれない。

いずれにせよ、次の一文がわたしの方法に合致するように思われるのだ。

<ここから引用>
頭の中心マニから光明エネルギーを発して、眉間から甲状腺を通り、心臓の中心に送り、今度は反対にそれを頭の中心に返へす。これを数度くりかへして最後に胸腺から全身に発散させることは、イエスが「全身光に満さる」といわれたことで、これで以て体内の欠点を正す。
<ここまで引用>
(三浦関造『マニ光明ヨガ』竜王文庫、1981・5版)

中心マニとは、チャクラでいえばササスハラと説明されている。頭の中心と書かれているが、わたしは頭頂付近に微妙な点があることを感じる。そこがむず痒かったり、涼しかったり、振り絞られるような気のすることがある。

<ここから引用>
チャクラ  Chakra
 サンスクリット語で輪を意味し,人間のエーテル複体の表面にある一連の車輪状の渦を指す。或いは脊柱に相応する管腔内に位置する。エネルギーの流入及び流出の焦点(中心)であり,力を貯える。主な中心が七つあり,肉体の内分泌腺に相応している。

<ここまで引用>
(竜王会東京青年部編『総合ヨガ用語解説集』竜王文庫、1980、p.40)

眉間に位置するのはアジナー。喉に位置するのはカンサ(またはヴィシュダ)。心臓に位置するのはアナハタ。

他に、マニピュラ、スワジスターナ、ムラダーナといった全部で七つのチャクラがある。

わたしが自分の患部に送っていた光を全身に発散させれば、体内の欠点を正すことができると三浦先生はお書きになっている。

不具合の起きている心臓にこそ、真っ先にハートの光を送るべきかもしれないが、わたしには心臓の不具合の原因がはっきりわかっており、自分ではその原因をどうすることもできないので、心臓に関しては目下医療に頼っている。

心臓といえば、ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981)には、ブラヴァツキーが自分の心臓と肝臓の病気について書いた悲痛な文章を思い出す。

<ここから引用>
「私には二つの致命的な病気があります。心臓と肝臓の病気です」と彼女はシネットに書きました。「心臓はいつ破裂するかもしれませんし、肝臓は二、三日で私をあの世へ送ることでしょう。これはみな、この五年間、絶え間ない苦闘と心配と抑圧された情緒のためです。グラッドストーンのような偉い人だったら、詐欺師と言われても笑いとばすでしょうが、私にはどうしてもそういうことはできません」
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中訳,1981,pp.293-294)

ブラヴァツキーが今なお誹謗中傷に晒されていることを思えば、何ともいえない気持ちにさせられる言葉だが、彼女が自分の貧乏について率直に語った言葉も、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』には出てくる。

ブラヴァツキーの妹ヴェラは姉と同じ著述家だった。ヴェラは議論好きで、あるとき次のようにいった。

<ここから引用>
「ねえ、お姉さんがよく幻姿を見せているのを私は見て来ましたが、貴女が本当に物質的なものがつくれるとは信じていませんよ」
「いいですよ、貴女がそんな愚にもつかないことを信じようと信じまいと、私の知ったことではありません」
「愚にもつかないことではありません! もし、貴女に金や宝石をつくれるなら、私と貴女を金持ちにすることが出来ます。例えば、私達は安いアパートを探すことはないでしょう。私達は一番いいものだけを持つべきです」
 ヘレナは笑いました。「それは魔法、黒魔術でしょう。それは害があるだけですよ」
「充分なお金があって、何の害になるの?」
 ヘレナは煙草の籠のある所へ行き、きゃしゃな手で煙草を巻きはじめました。
「ヴェラ、この人生で貧乏なのは、貴女と私のカルマに過ぎませんよ。もし私達が金持になる為に、神聖な力を使ったなら、今生だけでなく、おそらく未来の何世紀も二人とも破滅するでしょう」
「では、もしそういうものが害となるなら、貴女が他の人達に与えたといわれている贈り物はどうなの?」
「ねえ、わからないの? 僅かなつまらぬものをつくっても、誰も金持ちにはしませんよ。でも、馬鹿な物質主義者に人間の中にひそむ神の意志の可能性を示すことは出来るでしょう」

<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中訳,1981,pp.335-336)

ここでのヴェラとのやりとりから、ブラヴァツキーが自分のカルマをどう考え、どう対処したか、また、オカルティックな実験をどのような意図で行ったかがわかる。

ブラヴァツキーを指導したアデプト(イニシエーションの段階に達し、秘教哲学という科学に精通されたかた)のお一人であったK・H大師は、ブラヴァツキーについてシネットに次のようにお書きになった。

<ここから引用> 
わたしは君に誓うが、彼女は決して詐欺師ではなかったし、わざと嘘を言ったことはあったためしがない。また彼女は崇高な誓いをたてて誓ったので、度々困ったことはあるが、沢山のことを秘密にしてかくさねばならなかったのである。彼女は現象を起こすことが出来るし、実際に行った。それは彼女の生れつきの力に、長い年月の規則正しい訓練が加わったもので、彼女の現象は高い秘伝をうけた弟子達の或る者よりも、時にはすばらしく、ずっと完全である。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中訳,1981,p.322) 

並外れた人物であったブラヴァツキーが、如何に雄々しく、また人間的に多くの困難に耐えたかが『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』を読むと、よくわかる。

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