歴史短編1のために #42 鹿島藩日記第二巻ノート (4)飛脚が東奔西走、洪水
「円福山普明禅寺創建事由略記」(井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一編『肥前鹿島円福寺普明禅寺誌』佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2016)の中の普明禅寺末寺である祐徳院に関して引用しておきたいが、Windowsのメモ帳に写しているところで、前日は時間切れとなった。
その作業を残しつつ、今日は引き続き、『鹿島藩日記 第二巻』を読んでいた。解読しつつ、ざっと読んでいるだけなので、間違いがあるかも。
鹿島四代藩主・鍋島直條と継母に当る萬子媛の死亡時期が近かったうえに、当時の交通事情もあって連絡が遅れ、萬子媛の訃報をあちこちに届け、葬礼準備にとりかかった矢先、先月直條が江戸で亡くなったという知らせが届く。届くのに、13日もかかっている。
今であれば、メール、電報、電話で瞬時に伝わる情報も、当時は飛脚頼み。二人の死が重なって、日記には飛脚の文字が頻出する。飛脚が東奔西走する。
直條の亡くなったのが、宝永二年四月三十日(1705年5月22日)。この年は翌月が閏四月であって、四月が2回あるのだ。萬子媛が亡くなったのはその閏四月だった。宝永二年閏四月十日(1705年6月1日)。郷土史家の迎昭典氏がこのあたりのまぎらわしい前後関係を整理してくださっているので、ありがたい。
江戸で亡くなった直條の遺骸を鹿島まで運ぶのも大変だった様子が、日記から伝わってくる。遺骸はまず、江戸から「大坂」まで運ばれた。
御遺骸去月廿七日大坂御着、同廿九日彼地御出棺、(430頁)。
これは五月六日の日記であるから、つまり直條の遺骸は閏四月二十七日(1705年6月18日)に大坂に到着し、二十九日(1705年6月20日)にその地を出棺した。
ちなみに、CASIO「keisan」というサイトが便利。ホーム→こよみの計算→和暦・西暦とアクセス。「和暦から西暦変換(年月日)」のページで、指定する和暦年月日を西暦の年月日に変換してくれる。高性能で助かる。
日記には、人、馬、舟の手配(勿論その手配のための連絡には飛脚が欠かせない)、銀などによる金銭の遣り取りなども記されている。
五月十四日(1705年7月4日)の日記には直條の遺骸は去十二日(1705年7月2日)に下関に着き、十三日に小倉の海を渡って黒崎に泊まることになるが、潮時次第で遅速が当然あるだろうと記されている。「次馬35疋、人足30人、駕3挺」。駕は乗り物。
小倉より飛脚が到着し、小倉の海を渡るのに適した船がなく、十三日は小倉に留まるといってきたので、花木庭へお知らせしたとある。花木庭は、萬子媛の夫で鹿島三代藩主・鍋島直朝の隠棲の地。
同日、盗物である材木(樛[※ツガ]、樫)を売って一儲けしようとした者達。また傷害事件に関する記録があり、斎藤伝右衛門とその女房が下人三助を斧で打擲(殴った)。そのときの傷が原因で三助は後日、相果てた(死んだ)……
いずれも岩松殿(鍋島直堅)家来が起こした事件である。鍋島直堅は直條が亡くなったため、将軍綱吉に謁見し、家督相続して五代藩主となるが、このとき、11歳。
同日、晩の記録には、小倉より飛脚が到着したとあり、遺骸が下関に到着、海を渡って、「大里御泊十三日、飯塚御泊十四日、田代御泊十五日、牛津御泊十六日、加嶋御着之段、外記へ舎人より(※「より」は合字が使われている)申越候、依之、」と文章は続く。
五月十五日(1705年7月5日)の日記には、今日御遺骸が牛津に到着するので、御迎えのため吉田官兵衛・松永藤次郎が牛津に向かった。一方、「今日祐徳院様御三十五日」とあり、御供えする野菜、料理のことなどが書かれている。
現代でも和食(精進料理)に使われている食材、調味料が色々と書かれていて、読んでいて全く違和感がない。当時からこんなに色々とあったのかと驚かされる。これについても、別にメモしておきたいと思う。
それにしても直條の遺骸が鹿島に届くまでにずいぶん日数がかかっているけれど、防腐処理なんかは施されていたのだろうか。五月十六日になってもまだ、牛津を御出棺、雨が降り続いているために「塩田川水出、中川・山田川も水出申候、」などと書かれていて、続く記述を読むと、これは洪水状態と考えていいだろう。人が大勢出て、対処している。
翌五月十七日になってやっと、「昨夜中雨止申候付而、塩田川水減、御尊躰船より(※「より」は合字が使われている)御渡被成候、」とあり、読んでいてホッとした。直條公、御帰りなさい。
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