歴史短編1のために #39 鹿島藩日記第二巻ノート (1)萬子媛の病気
自分のための単なる読書ノートです。あとでまとめて拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に「祐徳稲荷神社参詣記」の続きとしてアップします。
三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社:宮司・鍋島朝純、昭和54)
過去記事に書いたように、三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社:宮司・鍋島朝純、1979)には、宝永二年三月六日ごろから、ほぼ毎日、閏四月十日に「今夜五ツ時、祐徳院様(花山院定好女萬子 鍋島直朝後室)御逝去之吉、外記(岡村へ、番助(田中)。石丸作左衛門より申来」と記されるまで、萬子媛の病気に関する記述が繰り返されている(前掲書366~398頁)。
同年の三月二十六日の日記に、二十四日からの石丸作佐衛門という人の手紙が写されていて、萬子媛の病気や食欲について知ることができる。
この間より御心持御かろみあそばされ、御快(おこころよく)なられましたとのこと――といったことが書かれているから、病状はよくなったり悪くなったりで、一進一退を繰り返した。
食欲について、「御食事四十め宛」とあり、めは目盛りか? 宛は「数量を表す名詞に付いて、…あたり、…について、の意を表す」接尾語か?
御腫気とは浮腫のことか?
同写しに御風気とあり、御風気(ごふうき)とは風邪のことだから、高齢になって、断食行などは続けていられたのだろうが、やはり体は弱ってきており、風邪に罹ってそれがなかなか回復しないまま、肺炎か何かで亡くなられたのではないだろうか。まだざっと読んだだけで、解読はこれからだから、間違っているかもしれないが。
花山院家や英彦山との交際があったことなどもわかる。以下の過去記事に書いたように、萬子媛の姉が英彦山座主に嫁いでいた。
花山院家系図で見ると、定好には男子5人、女子3人いて、真ん中の女子が萬子媛。鍋嶌和泉守室とあるから。嶌は島で、鍋島。和泉守は官位。室はその妻のこと。
忠広と定教は若くして亡くなり、寛永17年2月26日(1640年4月17日)生まれの定誠が藤原氏北家師実流の花山院家24代当主となった。権大納言、武家伝奏役、内大臣をつとめたあと、元禄5年(1692年)、52歳で出家し、宝永元年(1704年)に死去。
円利は禅寺に入ったようである。堯円は浄土真宗の寺に入り、第16世大僧正となった。姉は、豊前国英彦山を統括する首席僧、亮有の妻となった。亮有の父有清の妻となったという異説もあるようだ。有清も英彦山座主である。萬子媛の妹は惣持院の尼となったとある。
閏四月十日(6月1日)の日記には様々なことが書かれている。萬子媛の義理の息子である鹿島藩第四代藩主・鍋島直條は既に四月三十日(5月22日)江戸で亡くなっていたのだが、郷土史家の迎昭典氏がお書きになっているように、まだ鹿島ではそのことを知らなかったことがこの日の日記を読むと、わかる。
同日、萬子媛の病床に付き添っている人々に、殿様からこわ飯(おこわ)・煮しめ物重二組が差し入れられた。萬子媛はこの日の「今夜五ツ時」――夜8時に亡くなった。
ここでいわれている殿様というのは隠居している萬子媛の夫、鍋島直朝のことだろう。先述したように鍋島直條はこのとき、亡くなっていたわけだから。
『鹿島藩日記 第二巻』は、なかなか興味深い。食物について。当時は様々な種類の鳥が食べられており、魚の種類も豊富。餅菓子なども出てくる。
日記には元禄14年3月14日 (1701年4月21日)に起きた赤穂事件についても、詳しく記されている。
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