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2018年8月12日 (日)

「試着室」(金平糖企画新作公演、作・演出 時枝霙)を観劇して

インターネットでの拡散はOKのようなので、下手なレビューを書きます。ネタバレありなので、これから観劇なさるかたはご注意ください。

金平糖企画主宰、時枝霙さんを採り上げた記事がネット検索で出てきたので、リンクしておきます。

クローズアップ 2018  輝きの女たち
いつも行く美容院や飲食店を舞台に公演
演劇、朗読、写真、文章など多彩に表現
時枝 霙さん
金平糖企画主宰

http://www.josei-oita.jp/2018_7h.html

「医師と表現者の二足のわらじ。演劇、朗読、文章、写真など活動は多彩」と前掲記事にあり、驚かされます。

以下は、「金平糖企画」のツイッターです。

金平糖企画 @confettiplannin
舞台作品をつくったり、ライブをします。9/23.24熊本DENGEKI参戦。諫早独楽劇場シアターバー10月。

https://twitter.com/confettiplannin

8月8日、「試着室」(金平糖企画新作公演、作・演出 時枝霙)を観に行きました。

貸店舗での舞台と客席の境界を設けない上演で、全体に実験的要素が感じられる劇でした。

舞台はアパレルショップ。舞台装置は極めてシンプルで、境目のない舞台からドアに向かう空間が舞台の延長として活用され、能楽でいう橋掛りの役目を持っていました。

音響はレトロ調、近距離からの照明は迫力がありました。

店主役によって吊り下げられていくハンガーには折鶴がぶら下がり、床には折り紙が巻き散らされます。それらは服に見立てられているようでした。

登場人物は、アパレルショップの店主、アルバイトの女子学生(長身のスリムな男性が演じていました)、女性客、沈黙したまま片隅に蹲っている首にギブスをつけた怪我人。

台詞はしばしば詩のようで、客と店主が会話を交わすとき、客が失恋を独白するときなどに、学生がバックミュージックのように髪、爪、血液などの人体に関する自然科学的な台詞を詩の朗読のようにいう場面があり、不思議な雰囲気を創り出していました。

客が学生と一緒に駆け回りながら、床にまき散らされた折り紙を掴んではまき散らす場面は圧巻で、絶望感に囚われた女性に合う服はどうしても見つかりません。

ストーリーらしいストーリー、結末らしい結末はなく、別の客がアパレルショップへやってきて(片隅に蹲っていた怪我人との二役。演じていたのは時枝さん)、店主と新しい客が、前の客と全く同じ会話を交わすところで、存在しない幕が下りました。

アパレルショップは、エンドレスに循環する宇宙的な営みをシンボライズしているようでもありました。

娘の友人の演技には磨きがかかっていました。アパレルショップへの訪問者(客)を過去のトラウマから自分探しの旅(?)へと誘う店主の役を、品よくこなしていました。

この品のよさこそが、劇中で日常と非日常を違和感なく一体化させていた重要な要素に思えました。

「試着室」からはよい意味でのアマチュアリズムというべきか、ひじょうにナイーヴな芸術性というべきか、純粋志向が感じられ、いささか古い用語を用いるならば、「不条理」なテーマへの純粋すぎるくらいのアプローチが印象的でした。

不条理という言葉は、今の若い人々には馴染みのない言葉かもしれませんが、アルベール・カミュ(Albert Camus,1913 - 1960)の哲学的エッセー「シーシュポスの神話」で有名になった実存主義の用語で、人間存在の根源的曖昧さ、無意味さ、非論理性に由来する絶望的状況を意味する言葉です。

ここからは蛇足になりますが、わたしの大学のころ――40年ほども昔の話になります――には、第二次大戦後にフランスからサルトルなどによって広まった実存主義はまだ流行っていました。否今でも哲学的主流はこのあたりに停滞していて、現代哲学は唯物論に依拠して局部的、細部的分析に終始しているように思えます。

ちなみに、カミュは自分では実存主義者ではないとしていますが、その思想傾向からすれば、実存主義者に分類されていいと思われます。

カミュに発見された女性哲学者シモーヌ・ヴェイユは晩年、キリスト教的神秘主義思想を独自に深めていきますが、しばしば実存主義哲学者に分類されます。

実存主義はマルクス主義の影響を受けた思想で、唯物論的であり、マルクス主義の流行とも相俟って一世を風靡したのでした。

しかし、一端、唯物論的袋小路へ入り込んでしまうと、自家中毒を起こし、下手をすれば阿片中毒者のような廃人になってしまう危険性さえあります。村上春樹のムーディ、曖昧模糊とした小説はこうした不条理哲学の子供、ただしカミュの作品が持つ聡明さ、誠実さを欠いた子供といえます。

戦後、日本人はGHQによる洗脳工作(WGIP)や公職追放(注)などもあって、唯物主義、物質主義が優勢となりました。こうしたことに起因する現代日本の問題点が演劇という形式で真摯に表現されているという点で――それが意図されたわけではなかったのかもしれませんが――、「試着室」は興味深い作品でした。

(注)
わが国では、第二次大戦後のGHQの占領政策によってマルクス主義の影響力が高まりました。20万人以上もの公職追放によって空きのできた教育、研究、行政機関などのポストにフランクフルト学派の流れを汲むラディカルなマルキストたちが大勢ついたといわれます。

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