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2018年8月26日 (日)

歴史短編1のために #44 鹿島藩日記第二巻ノート (6)祐徳院における尼僧達 その1

ノート(5)で、萬子媛は出家同然の扱いで、葬礼は「軽ク」執り行われ、僧侶の方々が大勢お見えになった、黄檗宗色の濃い葬礼であったようだ――と書いた。

布施の記録に、30人の僧侶の名があるのだが、この中に祐徳院で萬子媛と寝食を共にして修行に励んできた尼僧の名はあるのだろうか、というわたしの疑問があった。今一度、その記録を引用して凝視してみたい。

祐徳院様御葬礼、今日於津御庵相済申候、右に付、僧衆へ被下候布施、左ニ書載、

 白銀三枚   桂岩和尚
 同 壱枚    月岑和尚
 金子弐百疋   慧達
 同 弐百疋   石柱
 銀拾五匁宛   先玄 五州 絶玄 盤江 長霊 禹門 石応 万山 訥堂 蘭契 満堂 蔵山 亮澤 大拙 瑞山 
 銀拾匁宛   眠山 石林 観渓 英仲 梅点 旭山 仙倫 全貞 禅国
 銀五匁宛   智覚 𫀈要
 (406頁)

30名の僧侶方。「和尚」が付けてあるのは、桂岩(桂巌)和尚、月岑和尚のみ。

桂巌は普明寺の開山であり、月岑は普明寺第二代(貞享四年、1687年)であった。次に記されている慧達は第三代(元禄十三年、1700年。元禄十六年に月岑、普明寺再住)。

その次に記されている石柱は、前出の慧達と共に、五月十五日(1705年7月5日)の日記に出てくる。

五月十五日は萬子媛の三十五日に当たり、格峯(鍋島直孝、断橋)が前日の晩景(夕刻)から古江田御庵(古枝にある祐徳院)を訪れた。格峯はこのとき、恵達(慧達)、石柱を同行させている。

そして、御庵中比丘尼・男女下々まで、精進料理が供されている。比丘尼とは尼僧のことだから「御庵中比丘尼」というのは、祐徳院で萬子媛と共に修行した尼僧達のことだろう。

御霊供膳用を含め、精進料理に使う野菜を祐徳院に運んだのは大熊孫左衛門で、彼は御厨藤左衛門・原口孫左衛門へ渡した。またこの料理関係で提市郎兵衛が十四日晩から料理が済むまで祐徳院に詰めた。

食材は豊富である。こんにゃくにも、「こんにゃく」「白こんにゃく」「佐賀こんにゃく」「氷こんにゃく」が出てくる。氷こんにゃくを試しにググってみると、文字通りこんにゃくを凍らせたものがダイエットによいということで流行っているようだが、宝永のころの氷こんにゃくとは別物だろうか。

布施の記録にある桂岩、月岑、慧達、石柱は、普明寺関係の男性僧侶達である。それ以外はわからないのだが、残り全部が尼僧達かもしれないし、何割かがそうであるかもしれない。あるいは、尼僧達はこの記録には全然ないのかもしれない。

「蘭契」という名が女性的だな、とわたしは思った。果たして、この蘭契が先の頁に出てきた。

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