神秘主義エッセーブログ「49 絵画に見る様々なマグダラのマリア」に追記
はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました(過去記事に追記)。
マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp
- 49 絵画に見る様々なマグダラのマリア
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/05/05/025512
神秘主義エッセーブログの人気記事に追記しました(マグダラのマリアを描いたパブリックドメインとなっている名画を紹介しています)。
「49 絵画に見る様々なマグダラのマリア 」は、当ブログに2016年2月23日に公開した記事を元にしています。同年4月6日に書いた記事を元に以下のように追記しました。
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2016年4月6日における追記:イエスの愛しておられた者とは誰か?
『ヨハネ福音書』がグノーシス的とは一般にもいわれているところで、カタリ派がグノーシス的であったことから考えると、カタリ派が『ヨハネ福音書』を愛した理由もわかる気がしたのだが、結局のところ偏愛したほどの理由がわたしにはわからなかった。
ところが、エレ―ヌ・ペイゲルス&カレン・L・キング(山形孝夫・新免貢訳)『「ユダ福音書」の謎を解く』(河出書房新社、2013)を読む中で、共観福音書とヨハネ福音書の違いを改めて意識させられ、なるほど……と思わせられた。
共観福音書というのは、比較のための共観表が作成されたマルコ福音書、マタイ福福音書、ルカ福音書のことで、この三つの福音書は共通点が多い。
エレ―ヌ・ペイゲルス、カレン・L・キングはイエス亡きあと、集団の指導者争いが起きた可能性が高いことに注意を促し、マルコ福音書、マタイ福音書、ルカ福音書がペトロを指導者として描いているのに対して、ヨハネ福音書だけが違った見方を示していると書く。
『ヨハネ福音書』の著者も、ペトロが弟子集団のなかで重きをなしていることを認めている。しかし、著者は一貫して、弟子集団のなかで最も高位にある者と彼が見なす者――それは「イエスの愛しておられた者」(『ヨハネによる福音書』13章23節)と彼が単純に呼ぶ者――を除けばの話であると限定づきである。*4
『ヨハネ福音書』では、「イエスの愛しておられた者」は明らかにペトロより高位に置かれている。「イエスの愛しておられた者」はヨハネ福音書にはたびたび登場し、共観福音書には登場しない。
このイエスに愛された弟子が誰であったかについて、古来憶測を呼んだようであるが、わたしはこの人物の特異な描かれ方について、昨日になるまで全く気づかなかった。
レオナルド・ダヴィンチ「最後の晩餐」からダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』に至るまでイエスの影のように存在する人物像のモチーフとなり、果てはバチカンに付きまとう男色傾向の原因となってきたものが何であるかをわたしはこれまでわかっていなかったことになる。
だが、それもそのはず、翻訳の問題があったのである。主に新改訳聖書刊行会訳で新約聖書を読んできたわたしが気づかなかったのも仕方がない。
「イエスの愛しておられた者」を女性と考えるか男性と考えるかで、ヨハネ福音書の世界は180度変わってくる。
その部分を、わたしが大学時代、集中的に丹念に読んだ新改訳聖書刊行会訳と後年参考のためにカトリック教会付属の書店で買ったフランシスコ会聖書研究所訳とで比較してみよう。
新改訳聖書刊行会訳『聖書 新改訳』(日本聖書刊行会、1978・2版)
弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。*5
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フランシスコ会聖書研究所訳『新訳聖書』(中央出版社、改訂1984)
弟子の一人が、イエズスの胸に寄り添って食事の席に着いていた。その弟子をイエズスは愛しておられた。(11)*6
フランシスコ会聖書研究所訳では異様な光景に思えるが、この箇所には次のような注がつけられている。
「食事の席に着いていた」は直訳では「横になっていた」。宴会では、身を横たえながら左肘をついて食事をするのが当時の習慣であった。「弟子の一人」はイエズスの右側に横になり、顔をイエズスの胸に近づけていたのであろう。*7
イエスたちはローマ式のマナーで食事をしていて、最後の晩餐でもそうであったというだけの話であるが、そうした予備知識なしに読むと、何だか官能的なムードの最後の晩餐に思えてギョッとする。
何にしても、最後の晩餐でイエスや弟子たちが身を横たえて飲み食いしていたと考えると、イメージが狂う。
自身の磔刑死を予感していたイエスが最後の晩餐の席で最愛の者を最も身近に置きたいと思ったとしても、何の不思議があろうか。
イエスがしばしばラビと呼ばれ、ラビは結婚していたことが普通であったことから考えると、その最愛の者が最高位の弟子であり、また最愛の者であったと外典が語るマグダラのマリアであっては、なぜいけないのか。
正典から除外された、いわゆる「外典」に分類されるグノーシス主義的福音書『マリア福音書』ではマグダラのマリアとペトロが口論し、『フィリポ福音書』ではイエスがマグダラのマリアを全ての弟子たちよりも愛してしばしば口づけしたと書かれ、『トマス福音書』では女性蔑視とマグダラのマリアに対する敵意を露わにするペトロをイエスがたしなめる。
こうした外典を知ってしまうと、イエスに愛された弟子はマグダラのマリア以外に考えられず、その事実をぼかし、曖昧にするために架空の「イエスに愛された弟子」が追加されたとしか考えられなくなる。
つまり、「イエスに愛された弟子」もまたマグダラのマリアであり、マグダラのマリアは表現上の工夫から二人に分けられた。ヨハネ福音書ではマリアをペトロより高位に位置づけながら、そのことをぼかすために架空の弟子が配置させられたのだ……
グノーシス主義的な福音書が正典として生き残ってこられたのは、こうした工夫があったからこそだろう。もっとも、「イエスの愛しておられた者」が実在した他の人物であったことを否定する根拠には乏しい。
ヨハネ福音書をごく素直に読めば、「イエスに愛された弟子」は使徒ヨハネだと考えるのが自然であろうから、そうだとすれば、そこにはプラトン描く美少年愛好癖のソクラテスかと見まごう光景が最後の晩餐では繰り広げられていたことになり、バチカンが男色にお墨付きをもらったような気分に誘われるのも道理な話ではある。
ただ実際にはソクラテスの美少年愛好癖はひじょうにプラトニックな、情操を高めるためのアイテムといってよい性質のものだと思われ、こうした傾向にしても、「秘すれば花」的男色を語る『葉隠』にしても、ここまでプラトニックになると、もはや男色とは呼べない種類のひじょうに高級な情操であろう。
イエスと母マリアが列席している印象的なカナの婚宴が出てくるのも、ヨハネ福音書である。イエス自身の婚宴との説もある(結婚相手はマグダラのマリア)。他人の婚宴で、母マリアが葡萄酒の心配をして息子イエスに相談するのは妙だが、それが息子の婚宴だったとすると不自然な話ではない。
いずれにしても、ペトロよりもマグダラのマリアと「イエスに愛された弟子」が存在感を持つグノーシス主義的ヨハネ福音書を異端とされたカタリ派は偏愛したということである。
ブラヴァツキーは『シークレット・ドクトリン』の中で、グノーシス派を高く評価している。
仏陀とピタゴラスではじまり、新プラトン派とグノーシス派に終わるこの時代は、頑迷と狂信の黒雲によって曇らされることなく、過ぎ去った幾時代もの昔から流れ出た輝かしい光線が最後に集まって現れた、歴史の中に残された唯一の焦点である。*8
*4:ペイゲルス&キング,山形・新免訳,2013,p.66
*5:ヨハネ13.23,新改訳聖書刊行会訳,1978・2版,p.190
*6:ヨハネ13.23,フランシスコ会聖書研究所訳,1984,p.360
*7:(11),フランシスコ会聖書研究所訳,1984,p.361
*8:H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ,1989,序論p.181
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