友情について、再び
旧友からまたメールがあった。目的は今度も温泉旅行へのお誘いだろう。
40年近く年賀状のやりとりだけであったのに(それも彼女とはしばしば音信不通になったため、心配させられた)、わたしが友情の賞味期限も過ぎたと思い、年賀状のやりたりもやめようと思ったときになって、なぜか急に連絡をしてくるようになり(近くに引っ越してきたからというが、中間地点で会ったとしても博多で、片道2時間近くかかる)、しつこく温泉旅行に誘ってくる。
飲み友達がほしいのだろう。
昔のような友情が復活するかどうかに懸念があったので、まずは博多で、他の友人を交えた4人で会ったのは正解だった。
彼女を含む2人が姑臭く(底意地悪く)なっていた。新興宗教に熱中している友人だけが無事だった(意地悪でなく、ごく普通だった)。大学時代の友人の中にやはり、あからさまに意地悪になった人が1人いて、いずれも衝撃だった。
昔をなつかしみ、温かな友情に浸ることを期待して博多へ出かけたのに、ひどい仕打ちである。
こちらの気持ちが昂揚して話に熱が入りかけたところで、すっと冷ややかな顔つきで横を向き、別の話を切り出す。その意地悪そうな顔には戦慄させられた。
もっとも、もう1人の友人が目立ってそうして、彼女はそれに連動した反応をするという風だった。
親しみのこもった雑談の中での一瞬の早業である。独身時代であれば、気のせいだろうか、それとも何か不愉快なことを自分がいったからだろうかと考え込んだところだろうが、もうだまされない。
意地悪というのはそのようになされるものだということを、さすがにこの年齢となっては学習済みなのだ。
上に挙げた大学時代からの友人1人を含む3人には昔から、気のせいだろうか、いや、話に熱中するあまり、うっかりわたしを仲間外れにしてしまうのだろう――とこちらを思わせる特有の癖があった。
バルザックが次のように表現している。
やがて夫人は私とはなんの関係もない、この土地柄のこと、収穫のこと、ぶどう畑のことなどを話しだしました。一家の女主人のこうしたやり方は、当人の教養のなさを示すものか、相手を会話から閉めだして、軽蔑を見せつけようとしている証拠です。しかし夫人の場合には、それもただひたすら困惑のなさしめるわざでした。(バルザック『谷間の百合』石井晴一訳、昭和48年、46頁)
注意不足から、相手に意地悪と受け取られても仕方のない言動をとってしまうことは誰にだってある。
しかし、それが明らかに意図的に繰り返される場合は教養のなさか意地悪かのどちらかだろうが、わたしには3人の場合がそのどちらに当たるのかがよくわからなかったので、そうした面は見て見ぬふりをして友人づき合いを続けていたのだった。
年月が回答を出した。意地悪からだった。隠れていた面が露わになった。
3人は嫁いびりをする姑そっくりになっていたけれど、考えてみれば、3人共、姑にはなっていない。
昔、わたしはお金持ちのお嬢さんであったそうだ(それほどだったとは知らなかった。普通だと思っていた)。今は貧乏人らしい。
わたしという彼女たちの友人であるはずの人間に対して、こうした類型化を3人が3人とも嬉々として行い(貧乏だと判断して奢ってくれるというならまだしも)、経済的優越を匂わせて、露骨に意地悪をしてくるようになったというわけだ。
彼女たちは拝金主義者なのだろう。唯物的、打算的ではあっても、リベラルではない。人類の思想の歴史を紐解き、いずれかの思想に共鳴するといったタイプの人々ではない。ある意味で素朴な人々なのだ。
まあ自分が貧乏であることを否定はしないが、別に貯金通帳を見せたわけでもないのに、せっかちに貧乏認定するのだから、とにかく見下せる人間を作りたいのだろう。
第一、貧乏と見下されるなど、定年後も働いて、普通に暮らせるくらいの収入を得てくれている夫に申し訳が立たない。わたしにもう少し体力があり、外で働ければ、もっと豊かになれるだろうが、専業主婦だからこそできている、有意義なことも沢山ある。
倹約し、健康を考えた美味しい料理を提供し、国会中継を視聴して日本が変にならないように見守り、伝統文化に関心を持ち、考えの足りない人のぶんまでよく考え、吞兵衛でないことでも家計に貢献している。
そもそも、貧乏はそんなに恥ずべきことだろうか。神秘主義者にとっては貧乏は少しも恥ずべきことではない。
イエスの言葉にもあるではないか。「貧しいあなたがたは幸いである。神の国はあなたがたのものである」(フランシスコ会聖書研究所訳、中央出版社、初版1980、改訂初版1984)
それに3人共、ご主人がアル中気味だったり、ギャンブル中気味だったり、精神的安定を欠くなどして、彼女たちがそれほど金銭的に安心できる状態にないことは、当人たちからもたらされる情報からわかることだ。
不安感が意地悪な行為を助長させるのだろうか。
しかし、この3人以外の友人たちも、中年期までに苦渋をなめなかった人は1人もいないといってよいくらだ。皆それぞれに苦労している。
この世が魂の教育の場、魂を洗練させる場であると主張する神秘主義の立場から見て、それはこの世がそのような仕組みになっているからだと思わざるをえない。
つらい思いをしてきたからといって、友人たち全員が意地悪になったわけでは決してない。幸いにも、意地悪になった――いや、おそらく元々意地悪だった――のは3人だけだ。他の友人たちには昔も今もそんなところは微塵もない。
意地悪な3人とは、今後友人づき合いをするつもりはない。正確ないいかたをするなら、本当の友人であったことなど一度もなかったのだと思う。
社会生活では意地悪な人ともつき合わざるをえないことがよくある。でも、友人は自由に選択できるはずだ。そうでなければ、友人とはいえない。
互いに相手を好きであれば、誤解や行き違いがあったとしても、何とかなるものだ。
最良の友人といえた、長年統合失調症で苦しんだ友人はもう亡くなったが、彼女との友情は今もわたしの宝物だ。なかなか会えないけれど、他の友人たちとの友情も大事にしたい。
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