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2017年10月 6日 (金)

カズオ・イシグロ氏の受賞ではっきりした、ノーベル文学賞の変節

カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞の受賞者に選ばれた。NHK NEWSWEBの記事より引用する。

スウェーデンのストックホルムにある選考委員会は日本時間の5日午後8時すぎ、ことしのノーベル文学賞の受賞者にカズオ・イシグロ氏を選んだと発表しました。

イシグロ氏は62歳。1954年に長崎で生まれ、5歳のとき、日本人の両親とともにイギリスに渡り、その後、イギリス国籍を取得しました。

1989年に出版された「日の名残り」は、第2次世界大戦後のイギリスの田園地帯にある邸宅を舞台にした作品で、そこで働く執事の回想を通して失われつつある伝統を描き、イギリスで最も権威のある文学賞、ブッカー賞を受賞しています。

また、2005年に出版された「わたしを離さないで」は、臓器移植の提供者となるために育てられた若者たちが、運命を受け入れながらも生き続けたいと願うさまを繊細に描いたフィクションで、2010年に映画化され、翌年には日本でも公開されました。

ノーベル文学賞の選考委員会は「カズオ・イシグロ氏の力強い感情の小説は、私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている闇を明らかにした」と評価しています。

NHK NEWSWEB(2017年10月5日 20時03分)「ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏 英国の小説家」<http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171005/k10011169111000.html?utm_int=detail_contents_news-related_002>(2017年10月6日アクセス)

ノーベル文学賞の選考委員会のいう「力強い感情の小説」という言葉の意味を、わたしは理解できない。登場人物の感情表現が巧みだということか? それとも、作者の感情が充溢した作品であるということか。

後者であれば、いわゆる文学という芸術作品にはなりにくい感傷小説である可能性がある。

また「私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている闇を明らかにした」という文章も解せない表現だ。翻訳の問題なのだろうか。

世界とつながっているというわたしたちの思いが幻想にすぎないことを、作者が何らかの闇を描くことで明らかにした――というのであれば、まだわかるが。

作者は何の闇を描いたのか。そのことがなぜ、世界とつながっているというわたしたちの思いを否定させるのか? こうしたことが納得のいくように伝えられなければ、授賞理由はよくわからないままだ。

Yahoo!ニュースに、「ノーベル賞受賞!カズオ・イシグロ『書くことは生きること、読むことは生きるために必要なこと』」というインタビュー記事があり、その中で、「イシグロ作品は広く読まれていながら『文学』の香りがあるように感じます。ご自身が考える『文学』のあるべき要素とはどんなものですか?」という問いに対して、イシグロ氏は次のように答えている。

それほど堅苦しく考えなくてもいいと思いますよ。つまり「文学」と、「娯楽作」「大衆作」を分け隔てることもないのかなと、私は思っているんです。大学の勉強などでは人工的に線引きをすることもありますが、現代のそういう場所で「文学」と呼ばれているものは、過去においては「ポップ」だったんですから。

Yahoo!ニュース(2017年10月6日12時15分),渥美志保(映画ライター)「ノーベル賞受賞!カズオ・イシグロ『書くことは生きること、読むことは生きるために必要なこと』」<https://news.yahoo.co.jp/byline/atsumishiho/20171006-00076589/>(2017年10月6日アクセス)

2015年まで、ノーベル文学賞は純文学作品を対象としていたが、2016年になって突然ポピュラー音楽の作詞を対象とし、2017年の今年は娯楽作・大衆作を対象としたようである。

カズオ・イシグロ氏の本は書店の目立つ位置に置かれていることが多いので、わたしは何度となく手にとりながら、読んだことがない。

ぱらぱらとめくってみて、娯楽作・大衆作と思ったのである。

反日左派によって席巻されたわが国の文学界で、世に出られない物書きとして草の根的(?)な創作活動を続けているわたしには読まなければならない純文学作品のことで頭がいっぱいなので、元の位置にそっと戻してきたのだった。

実際に読んでみなくてはわからない――そのうち読んでみたいと思っている――が、前掲のインタビューの内容自体がイシグロ氏の諸作品がジャンルとしては文学(日本流にいえば、いわゆる純文学)に分類されるタイプの作品ではなく、娯楽作・大衆作に分類される性質のものであることを物語っている。

純文学には学術的、芸術的という特徴があるゆえに、ノーベル文学賞は理系のノーベル賞と釣り合いのとれるものであった。ところが、昨年から文学賞に関していえば、人気コンテストになってしまったのだった。

純文学は文学の土台をつくる研究部門といってよい分野だから、純文学が衰退すれば、娯楽作・大衆作も衰退を免れない。

音楽に例えれば、クラシック音楽が衰退してポピュラー音楽だけが存在する世界を想像してみればよい。

純文学が衰退することによる、人々の言語能力や思考能力の低下、また伝統の継承や優れた文化醸成への悪影響なども懸念される。

一体、ノーベル文学賞に何が起きたのか?

産経ニュースの記事によると、イシグロ氏と村上春樹は互いにファンであることを公言しているという。

ノーベル文学賞に決まったカズオ・イシグロ氏。毎年、有力候補に名前が挙がる村上春樹氏とは、互いにファンを“公言”していることでも知られる。

産経ニュース(2017年10月5日21時27分)「カズオ・イシグロ氏と村上春樹氏、互いにファンを公言」<http://www.sankei.com/life/news/171005/lif1710050041-n1.html>(2017年10月6日アクセス)

以下のエッセーは、昨年の10月16日に拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に公開したものである。ライン以下に折り畳んで再掲しておく。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

64 2016年に、実質的終焉を告げたノーベル文学賞(2016・10・16)
マダムNの神秘主義的
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/10/16/191359

純文学なんてない、という奇怪な純文学排斥運動がわが国で行われるようになった時期と、村上春樹がもてはやされるようになった時期はだいたい重なっていたように思う。

私事になるが、わたしは1998年度の織田作之助賞第15回で「救われなかった男の物語」(結果発表誌『文學界』1999年2月号)、2005年度の第22回で「台風」(結果発表誌『文學界』2006年5月号)が最終候補になった。

第22回の授賞式で、選考委員のお一人だった三枝和子先生の講演があり、その講演の中で先生が「純文学はわたしはあると思っています」とおっしゃって、その理由を述べられたのを鮮明に覚えている。

わたしはその講演を聴きながら、激しく泣いていた。

何者らかの陰謀――としかわたしには思えなかった――によって純文学の存在そのものが攻撃され、それがわが国における純文学の終わりの始まりだと思われたということと、もうこの国では自分はプロの作家にはなれないという予感とが交じり合い、頭の中で渦巻いていたのだった。

それを遡ること、7年前の1998年、第15回受賞式のときにはまだわたしは文学界を信じていた。

受賞式後のパーティーで三枝先生から、ようやく見つけたという表情で、強く光る美しい目で見据えられながら「あなたの頭はわたしと同じく、男ね」といわれたことを覚えている。

三枝先生のあの目は男性的というより、性を超越した哲学者の目だった。ギリシア在住の経験があった先生にはプラトンを諧謔的に描いた作品がおありになる。

三枝先生は2003年にお亡くなりになった。わたしはお亡くなりになったことをあとになって知ったが、先生の臨終を察知していた。印象的な夢を見たのである。余談になるので、この話は別の機会に書きたい。

その後、2006年に村上春樹がチェコのフランツ・カフカ賞(2001年創設)を受賞したのをきっかけとして、彼がノーベル文学賞にノミネートされたというデマがしきりに流されるようになった(ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務がある*1)。それに伴い、文学には無関係なイベントや乱痴気騒ぎなども起きるようになった。

そして、芥川賞受賞作品からは、人間性の追求という学究的側面と豊かな情操を持つ純文学の特徴が失われ、さりとて読者を楽しませることに徹した大衆文学の特徴もない、もはや文学作品といってよいのかどうかもわからないものとなり果てて、異様な臭気が放たれるようになった。

こうした純文学の凋落に至る一連の出来事は、敗戦後の複雑な事情を抱えるわが国だから発生した、いわばわが国固有の不幸な出来事だと思っていた。拙作『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』を参照されたい。*2

日本で起きたようなことが、ノーベル文学賞という国際的な舞台で起きるとは予想しなかった。翻訳文学から推測する限りでは、世界では純文学に分類されるような文学作品は依然として一定の水準を保っているように思われていたからである。

ノーベル文学賞が、国際的に通用する意味合いにおいてのリベラルな傾向を持つ作家に授与されてきたことは過去の受賞者一覧を一瞥すれば、わかることである。

作品の内容から窺われる観察力、認識力、分析力、洞察力、教養の度合い、情操に訴える力、普遍的意義という点で、わたしが首を傾げてしまう大江健三郎のような作家に授与されることがあったにせよ、ノーベル文学賞が優れた文学作品に授与されるという国際的な共通認識は2015年までは不動のものであった。

しかし、2016年、ノーベル文学賞という純文学形式の文学作品に与えられていた賞は、突然別物になった。シンガーソングライターのボブ・ディランに授与されることになったのだ。作家を志す人間には怖ろしい出来事である。ノーベル文学賞の裏事情を知りたいと切に願う。

「風に吹かれて(Blowin' In The Wind)」を久しぶりに聴きかけて、いつもそうであるように、単調なボブ・ディランの声に飽き、途中でピーター・ポール&マリーで聴き直した。ボブにノーベル文学賞が授与されるのであれば、デヴィッド・ボウイにそうされたって、おかしくはない。いや、ボウイが生きていればだが。ボブ・デイランも年とった。皺がいっぱいだ。締めはジャニス・ジョプリンといこう。

ボブ・ディランの歌詞は説教臭くて、如何にもポピュラーソングの歌詞という感じがする。ボブがディラン・トマスに傾倒してディランと名乗るようになったのだとは、知らなかった。

歌詞を曲から切り離して評価することには戸惑いを覚えるが、あえてそうするなら、ボブ・ディランの歌詞はある快さを伴ったイデオロギーにすぎず、ディラン・トマスの詩にあるような――名詩が特徴とする――発見がボブの歌詞にはなく、詩作の過程にはあるはずの結晶化を経ていないように思われる。

ディラン・トマスにノーベル文学賞というのなら、わかる。『世界文学全集――103 世界詩集』*3所収ディラン・トマスの詩から断片的に引用してみる。

    ぼくはばかの唖で吊り下がっている男に言えない
    どのように絞首刑執行人の生石灰がぼくの肉体で出来ているかを。
「緑の信管を通って花をひらかせる力」

邦訳版でも充分に伝わってくるだけの思索の深みを感じさせる。このような作品はディラン・トマスにしか書けない。

    ぼくが千切るこのパンは かつて燕麦[からすむぎ]だった。
    異国の樹になる この葡萄酒は
    その実[み]の中に飛びんだ。
    日中は人間が、また夜は嵐が
    作物を倒した、葡萄の歓びを砕いた。
「千切るパン」

この詩を読んでいると、本当にパンや葡萄の香りがしてくる。ノーベル文学賞を受賞したガブリエラ・ミストラルの詩を連想した。

    ほかのいくつかの渓谷でいっしょに
    パンを食べていた亡き友人たちは味わっている
    刈り入れのすんだカスティリャ地方の八月の
    そして挽き砕かれた九月のパンの呼気を。
「パン」)*4

彼らの味わっているパンが特別な清らかなパンに思えてくる。パンの呼気をわたしも感じる。

    最初の死者と地下深く ロンドンの娘は横たわる、
    永劫の友だち、
    年齢をこえた時間、母の暗い静脈に包まれて、
    海へ注ぐテムズ河の
    悲しむことのない水のほとりに秘[ひめ]やかに、
    最初の死のあと、もうほかの死はない。
「ロンドンの空襲により焼死した子供を悼むことを拒む詩」

空襲で焼死した子供を、流れる時間のただ中へと釘づけるようなトマスの詩作……

ボブ・ディランの歌詞は単純だから単調で、それゆえに曲を必要とする。彼の歌詞は曲と一体となってこそ真価を発揮するものであって、独立した詩とみなすには無理があるのではないかと思う。

作品の優劣以前の問題として、文学作品とはいえないのではないだろうか。文学作品であるような詩は、音楽的な調べを言葉のうちに含んでいるものなのだ。

次のリルケの詩「LES ROSES 薔薇」からの引用は、山崎栄治の秀逸な邦訳によって、その詩に内在する音楽性が現代日本語として可能な限り高められている。

    薔薇よ、おお、おまえ、この上もなく完全なものよ、
    無限にみずからをつつみ、
    無限ににおいあふれるものよ、おお、やさしさのあまり
    あるとしもそこにみえぬからだから咲き出た面輪
[おもわ] よ、

    おまえにあたいするものはない、おお、おまえ、さゆらぐ
    そのすみかの至高の精よ、
    ひとのゆきなやむあの愛の空間を
    おまえの香気はめぐる。
(Ⅲ)*5    

    …………    

    一輪の薔薇、それはすべての薔薇、
    そしてまたこの薔薇、――物たちの本文に挿入
[そうにゅう]された、
    おきかえようのない、完璧[かんぺき]な、それでいて
    自在なことば。
      この花なしにどうして語りえよう、
    わたしたちの希望のかずかずがどんなものだったか、
    そしてまたうちつづく船出のあいまあいまの
    ねんごろな休止のひとときがどんなものだったか。
(Ⅵ)*6

「薔薇」には24編が収められている。この詩に値する曲など存在しないと思わせられるほど、音楽的な詩である。下手に曲がつけられたリしたら、幻滅を招くだろう。

賞は文化の振興に役立つものだが、使い方を間違えれば、それは直ちに文化破壊の道具となる。

文学作品とはどんなものをいうのかさえわからない人々が選んだのではないか――という危惧さえ抱かせる今回のノーベル文学賞。一度でも、こういうことがあったら、御仕舞だ。

もうノーベル賞は理系に限定すべきである。

賞ではないが、賞に似た文化振興の役割を果たしてきたユネスコも今や完全におかしい。

2014年11月に、岩間浩『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』(学苑社、2008)を読んで、神智学協会の理念がユネスコの精神的母胎となったことを知った。今のユネスコの動向から、その精神を感じることはできない。

……

*1:ウィキペディアの執筆者. “ノーベル文学賞”. ウィキペディア日本語版. 2016-10-15. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%B3%9E&oldid=61533301, (参照 2016-10-15).

*2:直塚万季『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)』(Kindle版、2013年、ASIN: B00BV46D64)

*3:安藤一郎・木村彰一、生野幸吉、高畠正明編、講談社、1981

*4:『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』田村さと子編・訳、小沢書店、1993

*5:『新潮世界文学32 リルケ』新潮社、1971、山崎栄治訳「LES ROSES 薔薇」よりⅢp.745

*6:『新潮世界文学32 リルケ』新潮社、1971、山崎栄治訳「LES ROSES 薔薇」よりⅥp.746

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