追記を、神秘主義エッセーブログの記事「68 今東光が…」にアップしました
9日にアップした記事「祐徳稲荷神社と普明寺に行き、博物館で取材しました」には、続きがあります。
博物館で取材し、岩本社や普明寺を見学したことから、なるほど……と納得したことがあった反面では、大変に意外で、驚かされたことがありました。
気持ちの整理がつかないため、続きが書けず、今東光のエッセーを優先しました。
マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp
- 68 今東光が訳した神智学書籍と日教組批判活動 (追記あり)
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/06/03/201119
追記したのは、当ブログの過去記事に加筆訂正したもので、以下の文章です。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
追記:
ウェブサイトで閲覧した記事には今東光の著作からの引用も多く、参考になった。しかし、本人の著作を読まずに済ませるわけにはいかないので、色々なタイプの今東光の5冊の著作――歴史エッセー2冊、時代小説1冊、身上相談物2冊(『最後の極道辻説法』は文庫版『毒舌 身の上相談』に含まれていることがわかったので、1冊とすべきかもしれない)――と、今東光をよく知る編集者による追想エッセーをまだざっとだが、読んだところだ。
読み込む時間がとれないので、とりあえずメモ程度の感想を記しておきたい。
6冊を紐解いてみて、今東光は神智学に薫染した父親を持っただけあって、その思想が血肉となっていることがわかった。図書館の本を含めて、今手元にあるのは次の6冊である。
- 今東光『奥州藤原氏の栄光と挫折』(講談社、1993)
- 今東光『毒舌日本史』(文藝春秋〈文春文庫〉、1996)*13
- 今東光『ポピュラー時代小説全15巻 第8巻 今 東光集(大きな活字で読みやすい本)』(リヴリオ出版、1998)*14
- 今東光『最後の極道辻説法』(集英社、1977)*15
- 今東光『毒舌 身の上相談』(集英社〈集英社文庫〉、1994)*16
- 島地勝彦『異端力のススメ 破天荒でセクシーな凄いこいつら(文庫オリジナル)』(光文社、2012)
身上相談物を読んで東光が大好きになってしまい、ああ会ってみたかったと思った。
親に恵まれなくとも、昔の日本には今東光のような慈父であり、またどこか慈母でもあるような人物がいて、魅力的な毒舌口調で相談にのってくれていたのだ。読んでいて感激の涙が出てくるくらいに、真正面からこの上なく真剣に東光は回答している。
身上相談を読んでも東光が身につけている豊かな教養とユーモアのセンスは感じとれるのだが、今東光『毒舌日本史』(文藝春秋、1996)を読むと、その教養から神智学の薫りがするのである。
例えば、聖徳太子の描きかたにもそれが表れているように思う。
今東光は阿育王(アショーカ王)の善政を評価し、その善政に倣った隋の文帝を評価し、短命だった隋だが、「僕に言わせるとこの文帝の仏教治国策は古代東洋における阿育王の話に次ぐ近代性を有つ国家です」*17という。
そして、人民の民度は低く、野蛮と無法とが貧困と同居していた当時の日本で、この隣国の仏教治国策を施そうとしたのが聖徳太子だといい、東光は聖徳太子に最大級の賛辞を捧げている。
アショーカ王の特色は、彼が熱烈な仏教信者でありながら、他の諸宗教を排斥しなかったところにある。中村元は『古代インド』(講談社、2004)で、それは仏教に、本来このような性格があるからだと述べている。
仏教とは覚者(ブッダ)の教えである。覚者とは万有の真理を会得した人にほかならない。このような覚者は、偏狭な先入見を去って、ありとあらゆるものにその存在理由を求め、主種な思想的立場に対しては、そのよって成立するゆえんを洞察するものであらねばならない。覚者の教えは他の教えと対立することがない。それらを超越してしかも包含しているところのものである。ゆえに仏教それ自身はかならずしも他の思想体系を否認せず、それぞれの意義を十分に承認し、それぞれの長所を生かそうとするものである。*18
わたしはここから神智学の教えを連想するのであるが、アショーカ王は真の仏教信者であったから排他的でない宗教性を持っていたのだろうし、今東光は真の仏教信者であったからこそ、神智学に親和性があったのだろう。あるいは、神智学に親和性のある資質が東光を仏教信者にしたといえるのかもしれない。
アショーカ王はチャンドラグプタの孫だった。ブラヴァツキーを指導、守護したモリヤ大師のモリヤの名は、同大師の化身であったモリヤ(マウリヤ)王朝の始祖チャンドラグプタ・モリヤから来たものだといわれている。東光はこのことを知っていただろうか。
東光は神仏分離を次のように批判している。
僕の持論はね、明治初年の神仏分離は稀に見る悪法で、稀に見る悪法で、あのために日本はモラルのバックボーンを喪失したと見るんです。従って神仏は改めて新しく発足し直し、昔ながらに手を握るべきである。これなくして日本はモラルを恢復することが出来ないと主張してるんですどうです、こりゃ名論卓説てえもんでしょう。*19
平安時代末期に編まれた歌謡集『梁塵秘抄』に収録された歌では神道と仏教とがそれぞれの系譜を純粋に保ちながら渾然一体となっていて、そこからは高い美意識と倫理観が感じられる。
日本人の美意識、倫理観がこのとき既に高度な水準に達していたことを考えるとき、わたしにも、神仏分離は悪法だったとしか思えない。神智学徒であれば、誰しもそう思うだろう。
絶世の美女とされるクレオパトラの知的魅力を、「アレクサンドリア学派の哲学を修めた教養の高い才女」*20という風に、アレクサンドリア学派を背景に説くところなども、神智学徒らしさを感じさせる。
H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)の用語解説「アレクサンドリア学派(Alexandrian Philosophers School)」を読むと、アレクサンドリア学派について総合的な知識を得ることができるが、ここに、アレクサンドリア市は「西暦173年にアンモニオス・サッカスが設立した折衷学派即ち新プラトン学派で一層有名になった」*21とあり、質疑応答形式の本文に「神智学という名称は三世紀に折衷神智学を創始したアンモニオス・サッカスとその弟子達から始まったものです」*22とあるように、神智学はアレクサンドリア学派から起こった。
だからアレクサンドリア学派という名称は、神智学徒にとっては特別の響きを持っているはずである。
今東光は嵐のような日教組に対する批判活動を繰り広げていたらしい。「共産主義てえもんは赤色帝国主義だってえ解るときが怖いんだ」*23という東光は、その怖さを緻密な歴史研究を通して知っている。
そして、引用する左翼的教育に対する今東光の懸念は、唯物史観とは到底相容れない神智学的歴史観からすれば、当然のものだ。
日本の左翼的教育てえものは、つまり馬鹿を拵[こしら]える教育で、それでねえとインチキなマルクス・レーニン主義を押しつけることが出来ねえんだね。だから日本の歴史も、仏教も何も知らねえ二十世紀人ばかりになってきた。将来、此奴等が大人になって人の親となったら、それこそ歴史の悲劇だろうな。*24
東光の懸念は当たってしまった。
島地勝彦『異端力のススメ 破天荒でセクシーな凄いこいつら』は、今東光をよく知る編集者・島地勝彦による追想エッセーである。
あまりにあけすけな筆致に、この編集者こそ破天荒だと思った。東光の破天荒ぶりには、稀に見るナイーヴな心が秘められているようにわたしには思われる。そうした東光の一面も捉えられているので、島地氏は優れた編集者だったのだろう。
『ポピュラー時代小説全15巻 第8巻 今 東光集(大きな活字で読みやすい本)』に収録された「お吟さま」は、千利休の娘・お吟の悲劇を、流麗な文章で、繊細に描いた時代小説である。
歴史エッセー『奥州藤原氏の栄光と挫折』は、端正な、わかりやすい文章だ。前掲小説「お吟さま」とこの作品には、今東光の美意識が遺憾なく発揮されている。ただ、どなたかアマゾンのレビューに書かれていたように、参考文献の記されていないのが残念である。
エッセーの冒頭で、荒廃に近い姿で二百余年を経過した中尊寺にある金色堂に東光が住職として任命され、六ヵ年の再現を費やして復元修理してから一躍、世の脚光を浴びたことが書かれている。東光は金色堂を「眩[めくるめ]くような藤原時代の宝石箱」*25と表現している。
ブラヴァツキーの神智学に薫染した人々の中から、文化保護のために働いた人物が数多く出ている。今東光もその一人といってよい。
明治の神仏分離(廃仏毀釈)を東光が批判していることは前述した。その廃仏毀釈から仏教美術品を部分的にでも救い上げることに成功した岡倉天心、フェノロサ、またアジア主義を唱えた大川周明、そして仏教復興運動に尽力したスリランカ(セイロン)独立の父アナガーリカ・ダルマパーラといった神智学の影響を受けた人々についても、そのうち簡単にでも書いておきたいと考えている。
………
*13:単行本化は1972年。
*14:収録作品は昭和31年茶道雑誌「淡交」に連載された中編「お吟さま」。第36回直木賞受賞。最初の単行本化は淡交社、1957年。
*15:「週刊プレイボーイ」に連載されたもので、『極道辻説法』『続極道辻説法』『最後の極道辻説法』と単行本化された。
*16:『続 極道辻説法』『最後の辻説法』を合わせて一冊とし、文庫収録にあたり『毒舌 身の上相談』と改題された。
*17:(今,1996,p.59)
*18:中村,2004,p.193
*19:今,1996,p.98
*20:今,1996,p.39
*21:田中,1995,「用語解説」pp.16-17
*22:田中,1665,p.13
*23:今,1996,p.133
*24:今,1996,p.19
*25:今,1993,p.12
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